孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。アマデウスの光と影(1)モーツァルト『弦楽五重奏曲 第4番 ト短調』

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アマデウスの光と影

モーツァルトの〝3大シンフォニー〟を聴いてきましたが、特に最後の第40番ト短調と、第41番ハ長調〝ジュピター〟は、その明暗の対比の強烈さに圧倒されます。

全く違う性格の曲に見えて、その構成は密接に関連づけされている、というのも驚かされます。

特に、モーツァルトにとって宿命的な調性といわれるト短調の曲は、明るい曲とセットで作られることが多いのです。

モーツァルトト短調の曲は、いずれも特別な情念が込められているかのようで、古来人の心を奪ってきましたが、モーツァルト自身、あえて明るい曲を作って気持ちのバランスを取っているのでは、といわれてきました。

エンターテイナー、モーツァルトのことですから、自分の精神的な理由ではなく、聴く人のことを考えてのことかとは、私は思いますが。

これから、そのようなセットの曲を聴いていきたいと思います。

モーツァルトヴィオラがお好き

最初は、弦楽五重奏曲(クインテット)です。

弦楽四重奏(カルテット)に、ひとつ楽器を加えて増強した曲ですが、チェロを加える場合と、ヴィオラを加える場合があります。

モーツァルトの場合は、全部で6曲ありますが、すべてヴィオラ2本の編成を取っています。

モーツァルトヴィオラが好き、と言われるゆえんですが、内声部の充実と、ヴァイオリンとヴィオラのコンチェルト的な協奏効果も狙っています。

ヴァイオリンとヴィオラのためのシンフォニア・コンチェルタンテ(協奏交響曲)がその見本です。このブログを始めた頃に取り上げたので、なんとも懐かしいです。

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モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。

最初に聴くのは、弦楽五重奏曲第4番 ト短調 K.516 です。

このところ毎回小林秀雄の『モオツァルト』を引用していますが、この曲はその評論の核心として取り上げられています。超有名なくだりです。

スタンダアルは、モオツァルトの音楽の根柢は tristesse (かなしさ)というものだ、と言った。定義としてはうまくないが、無論定義ではない。正直な耳にはよくわかる感じである。浪漫派音楽が tristesse を濫用して以来、スタンダアルの言葉は忘れられた。 tristesse を味わう為に涙を流す必要がある人々には、モオツァルトの tristesse は縁がない様である。それは、凡そ次のような音を立てる、アレグロで。《弦楽五重奏曲第4番 ト短調第1楽章冒頭の譜例》

ゲオンがこれを tristesse allante と呼んでいるのを、読んだ時、僕は自分の感じを一と言で言われた様に思い驚いた。確かに、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、「万葉」の歌人が、その使用法をよく知っていた「かなし」という言葉の様にかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家は、モオツァルトの後にも先きにもない。まるで歌声の様に、低音部のない彼の短い生涯を駆け抜ける。彼はあせってもいないし急いでもいない。彼の足取りは正確で健康である。彼は手ぶらで、裸で、余計な重荷を引き摺っていないだけだ。彼は悲しんではいない。ただ孤独なだけだ。孤独は、至極当たり前な、ありのままの命であり、でっち上げた孤独に伴う嘲笑や皮肉の影さえない。

この曲の冒頭は、何ともいえない暗さを持っていますが、それは〝悲しい〟でも〝哀しい〟でもなく、万葉歌人が古代日本語で表現した〝かなし〟がぴったりくる、というのです。

確かに、この暗さは絶望の中で立ち尽くし、涙に暮れる、という悲しさではなく、推進力を持った感情であり、疾走するかなしみ、涙は追いつけない、という表現はさすがです。

小林はそのかなしさを「孤独」としていますが、孤独=悲しさ、ではなく、孤独は当たり前の状態である、と説いています。

確かに、人間死ぬときは誰がついてきてくれるわけではなく、どんな人気者でも独りで逝かねばならないのですから、それはその通りです。

その孤独を表わすと、このような音楽になる、ということでしょうか。

ただ私個人としては、この素晴らしい文章を読んで、その孤独のかなしさを感じるのは、以前取り上げたピアノ・コンチェルト第27番の第2楽章の方です。

この曲には、逆に、モーツァルトの悩み、苦しみがそのまま表現されているように感じられてならないのです。

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モーツァルト弦楽五重奏曲第4番 ト短調 K.516 

W.A.Mozart : String Quintet no.4 in G minor, K.516

演奏:ストラディヴァリ弦楽四重奏団&カリーネ・レティエク(ヴィオラ

Quartet Stradivari & Karine Lethiec

第1楽章 アレグロ

小林秀雄は『あせってもいないし、急いでもいない』と表現していますが、普通に聴くと、まず受け取るのは焦燥感です。何かを訴えるかのような不安な曲調は、なかなかモーツァルトの他の曲では類例がみられません。かなりストレートな表現は直接的に心を打ちます。何かに苦しんでもがいているかのようにも聞こえてきます。

第2楽章 メヌエット:アレグレット

悲劇的なメヌエットです。鋭いフォルテが胸をえぐります。トリオで薄日が差しますが、いっときの慰めでしかありません。

第3楽章 アダージョ・マ・ノン・トロッポ

弱音器つきで奏でられる、まるで宗教曲のように厳粛なアダージョです。第2主題はさらに悲痛な響きになりますが、ふと、変ロ長調の明るい音型が、絶望の中から救い出してくれます。この瞬間はぜひ味わっていただきたいと思います。

第4楽章 アダージョアレグロ

暗澹とした序奏で始まり、真っ暗な気分になりますが、序奏が終わり、主部に移ると、その明るさに驚かされます。楽しいのですが、その能天気さに、これまでの暗さは何だったの!?とあきれるばかりです。ずっと落ち込んでいたモーツァルトをどう慰めようか、どう声をかけようか、と悩んでいたら、勝手に気分を直して元気に騒ぎ始めたかのようです。この陽転は賛否両論ですが、こうでもしなければ当時としては誰も弾いてくれなかったかもしれません。こうした意表をつく曲作りも、モーツァルトならではの魅力と思います。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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