孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

愛は与えるもの。裏切られても、捨てられても、あの人のことが心配なのです。オペラ『ドン・ジョヴァンニ』(13)『ドンナ・エルヴィーラのアリア』

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ドン・ジョヴァンニ』ウィーン再演のポスター

プラハに負けるな? 鶴の一声でウィーン再演

これまでも、オペラ『ドン・ジョヴァンニには、プラハでの初演版ウィーンでの再演版があるということに触れてきました。

ウィーンではいまいちの評判だった『フィガロの結婚』が、プラハで上演されると大ヒットし、第2弾として1787年10月29日に初演された『ドン・ジョヴァンニ』も、なかなかの好評だったという報告を受けた皇帝ヨーゼフ2世は、『ドン・ジョヴァンニ』をウィーンでも上演するよう取り計らいました。

そして、これまでモーツァルトに職を与えることのなかった皇帝は、1787年12月7日に、折しも逝去した巨匠グルック(1714-1787)の後任として、モーツァルトを『皇室宮廷作曲家』に任じました。

前任のグルックが年俸2,000グルデン(約600万円)だったのに対し、800グルデン(約240万円)という薄給で、仕事も宮廷の舞踏会用のダンス・ミュージックを提供するという軽いものでしたが、モーツァルトにとっては、ザルツブルク大司教の宮廷音楽家の職をなげうって以来の公職でした。

やはり皇帝も、ウィーンの因縁のライバル都市であったプラハモーツァルトを高く評価したのに、ウィーン人の耳はレベルが低い、などと言われたくなかったのでしょう。

今でこそウィーンは〝音楽の都〟と呼ばれていますが、当時は、モーツァルトの父レオポルトも『当地には正歌劇(オペラ・セリア)を歌える歌手がおらず、喜歌劇(オペラ・ブッファ)の歌手で代用している』と、驚いていますし、聴衆も大衆迎合的な俗っぽい曲を好む傾向がありました。

実際、皇帝の肝いりで1788年5月7日より、ウィーンの皇室国立宮廷劇場で『ドン・ジョヴァンニ』が上演されることになりましたが、ウィーンの歌手たちは、難しい、歌えない、と文句を言うので、モーツァルトは一部の歌の差し替えを余儀なくされました。

しかし、これは単に同じ場面の曲を差し替えるのではなく、そもそもその場面を削除し、別の場面を追加する、という、劇の流れまで変わってしまう形で行われたため、今ではいいとこどりをして上演することが可能になっているのです。

今回の場面は、プラハ初演では存在せず、すべてウィーン再演で追加された部分です。

前回の第9場の後半、レポレロが謝り倒して逃げるアリア(第20曲『ああ、お許しください、皆様方』)がカットされ、レポレロがドン・オッターヴィオに謝りながら逃げてしまうレチタティーヴォ・セッコに置き換えられています。

さらに、続くオッターヴィオの長大なアリア(第21曲『私の愛する人を慰めに行ってください』)もカットされ、第1幕に差し替えられていますので、ここでかなりの〝尺〟 が失われています。

そこで挿入されたのが、レポレロツェルリーナの寸劇です。

モーツァルトドン・ジョヴァンニ』第2幕第10場a

ツェルリーナがSの女王様に!?

レポレロはプラハ版ではまんまと逃げおおせていますが、ウィーン版ではツェルリーナにとっつかまります。

そして、手に刃物を持ち、怒り狂ったツェルリーナによって髪をわしづかみにされ、舞台中を引きずり回されます。ナイフでさんざん脅され、髪を切ってやろうか、目玉をくり抜いてやろうか、それとも心臓を…となぶられます。

レポレロが『刃物は勘弁してくださいよ。髭でも剃ってくれるんですかい。』と言うと、『そうしてやろうか、石鹸なしでね!』という具合。

しまいには、ツェルリーナは布でレポレロの両手両足をきつくしばり、椅子にくくりつけ、さらに椅子を窓枠に縄でつなぎます。完全拘束の状態で、ふたりのデュエットが始まります。

第21番a ツェルリーナとレポレロの二重唱『そのちっちゃな手』

レポレロ

そのちっちゃな手、真っ白でやわらかい手、そのきれいな肌に免じて、あたしを勘弁してくださいよ。

ツェルリーナ

あんたに同情なんかするもんですか。

私は怒った虎よ、コブラよ、ライオンよ。

いいえ、いいえ、勘弁なんか絶対しないわ。

レポレロ

どうにかして逃げたいもんだ!

ツェルリーナ

動いたら命はないよ!

レポレロ

むごい神様、なんであたしをこんな女の手に渡しちまったんですかい…

ツェルリーナ

ひどい裏切者!あんたの主人の心臓もあんたにくっついていればいいのに!

レポレロ

そんなにきつく縛らないで…息ができないよ。

ツェルリーナ

息なんかしなくていいよ。どうせここから逃げられないんだから。

レポレロ

痛えよお、ひでえなあ…

今は昼間なのかい? なんだか目の前が暗くなってきた…

地震かい?なんだこの揺れは…? まるで真っ暗闇だ…

ツェルリーナ

楽しさと悦びで胸がいっぱいよ。

こんな風に、こんな風に、男たちとは、

こんな風に、こんな風に、やるんだわ。 

第1幕のアリア 『ぶってよ、マゼット』では〝いけない私をムチで打って〟とM的な魅力で旦那を篭絡したツェルリーナが、ここでは逆にとんだ〝女王様〟になり、レポレロをしばりつけ、痛めつけ、あろうことかそれで快感を得ているようです。

サディズム〟の語源となった、フランス貴族のマルキ・ド・サド侯爵(1740-1814)は同時代の人ですが、このオペラの上演時には背徳行為の罪でバスティーユ牢獄に収監されていました。ですので、SとかMとかの概念はまだありませんが、その行為を音楽にしたのはモーツァルトのこの曲が初めてでしょうね。

これを皇帝陛下がどんなお顔でご覧になっていたか分かりませんが(笑)、現在ではこの場面が演じられることはほとんどありません。

しかし、曲はさすが、コミカルで楽しい音楽です。

さてツェルリーナは、彼に一番恨みを持っているはずのドンナ・エルヴィーラを呼びにいきます。

その隙に、レポレロは全身の力を振り絞って椅子から立ち上がり、引っ張ると、綱で結びつけられた窓枠が落ちてきます。

そこで彼は、椅子に縛られたまま、窓枠を引きずりつつ、観衆の笑いに包まれながら退場していくのです。

モーツァルトドン・ジョヴァンニ』第2幕第10場d

目頭が熱くなる、無償の愛

ツェルリーナがエルヴィーラを連れてくると、そこはもぬけの殻。ツェルリーナは地団太踏んで悔しがりますが、迎えに来たマゼットとともに去っていきます。

ひとり残された、エルヴィーラ。

一度捨てられたドン・ジョヴァンニに、再びその恋心を利用され、裏切られました。

当然、さらなる深い怒りと悲しみの淵にありますが、心情に大きな変化が…。

それは、これだけの悪行を犯したドン・ジョヴァンニには、必ず罰が下される。その身を案じている自分を見つけてしまったのです。

修道院にいたエルヴィーラを、甘い言葉で誘惑し、妻にすると約束して3日で逃げ出したドン・ジョヴァンニ

エルヴィーラはあきらめず、旅に出てまで執拗に彼を追いかけます。

1800人を口説いたドン・ジョヴァンニですが、ここまで追いかけられるのは初めてでした。目的は復讐と言っていますが、自分のもとに戻ってきてほしい、というのが本心。1800人のうち、ドン・ジョヴァンニのことを本当に愛したのは彼女だけだった、とも言えるのではないでしょうか。

彼女は、ドン・ジョヴァンニが、自分に対する裏切りよりも、さらに大きな罪を犯していることを知り、その報いを受けて破滅してしまうのを心から心配しているのです。

自分が受けた仕打ちもかまわず、もはや見返りも求めず、今やただ、彼の身を案じているのです。

これこそが真実の愛でしょう。

愛は求めるものではなく、与えるものなのです。

その愛を歌う、ドンナ・エルヴィーラのアリア。

これこそ、モーツァルトの作った数ある傑作の中でも最高のものです。

追加のアリアなのに、この1曲で『ドン・ジョヴァンニ』というオペラそのものの価値が、さらなる高みに達しているのです。

まさに、画竜点睛の妙、と言うほかありません。

第21曲b ドンナ・エルヴィーラのレチタティーヴォとアリア『神様、なんということを~あの情知らずの心は私を裏切り』

レチタティーヴォ・アコンパニャート

ドンナ・エルヴィーラ

神様、なんというひどいことを、なんという酷い、恐ろしい悪行をあの人はしてしまったのでしょう。

ああ、いけない! 天の怒りが、正義の裁きが、もうすぐ下るのは避けられない…。

私には分かる。運命の雷があの人の頭に落ちようとしているのが!

死の淵が口を開けているのが見える…。

あわれなエルヴィーラ!

なんという矛盾した感情が胸に湧くの…

どうしてこんなにため息が出て、胸が苦しくなるの…

 アリア

ドンナ・エルヴィーラ

あの情知らずの心は私を裏切ったのよ。

ああ! 私を不幸にしたのよ。

でも裏切られても、捨てられても、まだ私はあの人の身を案じてしまう…

苦しい自分を思うとき、心は復讐に燃えるけど、

あの人が苦境にあるのを見ると、私の心は乱れてしまう。

クラリネットの豊かな響きが歌をさらに深めていますが、それはモーツァルトが晩年にさしかかっていることを示しています。モーツァルトの晩年は、クラリネットに彩られているのです。

エルヴィーラの心情が絶頂に達するときに鳴る3つの和音は、彼女の無償の愛が〝聖化〟したように感じられます。

さながらギリシア神話で、愛を貫きながらも不幸な最期を遂げた人間の魂が神によって天上に上げられ、星座にされるかのように。

また、最後のコロラトゥーラは、息継ぎの極めて困難な超絶技巧にもかかわらず、不自然さを感じさせず、彼女の引き裂かれた複雑な思いを表現して余りあります。

高校生のときに初めて聴いて以来、何度聴いても胸がいっぱいになり、目頭の熱くなる、私の人生でかけがえのない歌です。

最初は復讐、復讐、とばかり言っていたエルヴィーラが、真実の愛に目覚める。

こうした登場人物の成長が見られるのが、モーツァルトのオペラの醍醐味なのです。

最後のオペラ『魔笛』でも、最初は夢見がちな少女に過ぎなかった王女パミーナが、終幕では伴侶をしっかり支える大人の女性に成長しているのです。

それは、心を揺さぶるような感動を与えてくれるドラマです。

私の出会いの版、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、エリザベートシュワルツコップ(ソプラノ)の歌はこちらです。

ドロットニングホルム宮廷劇場版、テラ・ジョーンズ(ソプラノ)はこちらです。

この1曲で、ドンナ・エルヴィーラはヒロイン、ドンナ・アンナを上回る重要な役となりました。

数々の名曲をモーツァルトに作らせた歌姫、カヴァリエリ嬢

ウィーン再演での歌手はプラハよりレベルが低かったため、モーツァルトは何曲も差し替えを余儀なくされましたが、エルヴィーラ役だけは違いました。

ウィーンでエルヴィーラ役を歌ったのは、カテリーナ・カヴァリエリ(1760-1801)。

彼女は、モーツァルトのお気に入りの歌手で、モーツァルトがウィーンでのオペラ・デビューを飾った、青春の金字塔というべき傑作、『後宮よりの誘拐』のヒロイン、コンスタンツェ役を歌ったプリマ・ドンナです。

彼女は超絶技巧を持ち、モーツァルトは彼女のために、このオペラの第1幕で長大なアリアを二つも続けて用意し、20分近くも見せ場を作ったのです。

映画『アマデウスでも彼女は重要な役柄で、モーツァルトのライバル作曲家、サリエリがひそかに彼女に心を寄せていたのに、モーツァルトがそれを奪い、自分の主役に抜擢したことから、彼に恨みを持つようになった、という設定になっています。

カヴァリエリが有名な『拷問のアリア』を歌う場面がこちらです。


映画『アマデウス』よりコンスタンツェのアリア

ドンナ・エルヴィーラは脇役であり、第2幕にはアリアがないことから、彼女のために、モーツァルトはわざわざ彼女にふさわしい技巧に満ちたアリアを創ったのが、 この曲なのです。

モーツァルトの名アリアは、こうした歌手たちと出会い、その声からインスピレーションを得たおかげで紡ぎ出されたことが多いのです。まさに小室哲哉が、出会った歌姫たちのために、数々の名曲を生み出したように。

以前の稿では、映画『プラハモーツァルト』のラストシーンがこのレチタティーヴォで終わるのは、見識ある設定だと感動したことを綴りました。

www.classic-suganne.com

 

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