孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

遥かなる未来へ、大歌劇の幕が下りる。オペラ『ドン・ジョヴァンニ』(17)第2幕フィナーレ(後)

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モーツァルトドン・ジョヴァンニ』第1幕第16場(終景)

カットされた、締めの六重唱

主人公ドン・ジョヴァンニは、この世のものとも思われない恐ろしい音楽で地獄に堕ちました。

ウィーン版ではそれでおしまい、ですが、プラハでは、いきなりまた楽し気な音楽が始まり、他の登場人物全員がワラワラと駆け込んできます。

その音楽的落差に驚かない人はいないでしょう。でも、モーツァルトと台本作者ダ・ポンテが参考にした(悪く言えばパクった)、ガッツァニーガと台本作者ベルターティの『ドン・ジョヴァンニ』では、地獄落ちの音楽にそこまでの緊迫感はないので、自然な感じです。

モーツァルトの音楽があまりにも迫力がありすぎて、ここでの明転の拍子抜け感は否めません。

ドン・ジョヴァンニ』を喜劇ではなく、ロマンティック、かつデーモニッシュな悲劇として解釈、上演した19世紀には、当然のようにこの締めの六重唱はカットされました。

確かに、音楽的には地獄落ちで完結しているとも言え、モーツァルト自身もウィーン再演でカットしたのですが、しかし、物語の筋上ではカットできない終景です。モーツァルトのカットも、この時代のことですから、芸術上の理由とも限らず、時間的制約や、歌手の都合などからかもしれません。

今では、この終景がカットされることはありません。

地獄落ちの恐怖さめやらぬドン・ジョヴァンニ邸に、ドンナ・アンナ、ドン・オッターヴィオ、ドンナ・エルヴィーラ、ツェルリーナ、マゼットたちが駆け込んできます。

彼らは司法官、つまり警察官を連れて来ていて、ドン・ジョヴァンニを逮捕させ、裁判にかけようと踏み込んできたのです。

プラハやウィーンでの上演では、歌い手が7人しかいなかったため、マゼットと騎士長役は同じ歌手がやっていました。マゼットは騎士長の着ぐるみをあわてて脱いで来たのでしょう。

しかし、ドン・ジョヴァンニの姿はどこにもありません。一同は、気を失っていたレポレロを叩き起こして問い詰めます。あの悪者はどこ!?

レポレロは、自分の主人は悪魔に地獄に引きずり込まれてしまいました、と答えますが、さんざん二人にだまされてきた皆は信じません。

しかし、実際に石像に出会ったドンナ・エルヴィーラの証言によって、あっけにとられながらも、みなその事実を信じ、司法官は帰っていきます。

(ドンナ・エルヴィーラ、ドンナ・アンナ、ツェルリーナ、ドン・オッターヴィオ、マゼット、司法官たちを連れて登場)

全員(レポレロを除く)

ああ、非道な男はどこ?恥ずべき男はどこ?

私の怒りのすべてをぶちまけたい。

アンナ

鎖につながれたあの男を見ないことには、私の心は晴れることはない。

レポレロ

もう無駄ですよ…

あの方にお会いになろうとしても…

もうお探しにならないでください…

遠いところにいっちまいました…

全員

何ですって?どういうこと!

レポレロ

巨人がやってまいりまして…

全員

早く話して!

レポレロ

…でも、私は何もできず…

全員

早く、早く!

レポレロ

煙と火の中で…よく聞いてくださいよ…

石の人間が…動き回らないくださいよ…

ちょうどあそこで…すごい一撃で…

悪魔があの方を引きずり込んだんです…

全員

ああ!なんということ!

レポレロ

本当なんでさ!

エルヴィーラ

ああ、私が出会ったのは、確かにその亡霊だったのね!

全員

ああ、あの方が出会ったのは、確かにその亡霊だったのだ!

人間が手を下す前に、天によって罰が与えられたことを知った一同。

アンナの復讐が成就されたことを受け、オッターヴィオは、あらためてアンナに結婚を申し込みます。

しかしアンナは、1年待ってください、と告げるのです。

オッターヴィオは、今回も、しぶしぶ受け入れざるを得ません。

ふたりの優しくも哀しいデュエットに続いて、ほかの登場人物たちが、これからの自分の身の振り方を語ります。

エルヴィーラは、私は修道院に入って生涯をそこで終えましょう、と。ドン・ジョヴァンニによって目覚されてしまった愛欲を捨て去ろうというのでしょうか、それとも再婚はせず、ドン・ジョヴァンニへの愛を貫こうというのでしょうか。

ツェルリーナとマゼットは、家に帰ってご飯にしましょう、と。ドン・ジョヴァンニによってかき回されてしまった新婚生活のスタートですが、ようやく、平凡ながらも幸せな日常が始まるのです。

レポレロは、旅籠に行って、もっとまともなご主人を探そう、と。

ドン・ジョヴァンニに振り回されてしまった皆の人生を、それぞれに、遥かな未来に向かって仕切り直そうというのです。

オッターヴィオ

ああ、いとしい人よ。今や天が、私たちの復讐をしてくれました。どうか、私に安らぎをください。これ以上、私を苦しめないでください。

アンナ

ああ、いとしい人よ。もう1年待ってください。私の心が静まるまで。

アンナ、オッターヴィオ

いとしい人の望みには、誠の愛なら従わなければなりません…

エルヴィーラ

私は修道院に入って、そこで人生を終えましょう。

ツェルリーナ、マゼット

私たちは、ねえマゼット(ツェルリーナ)、家に帰りましょう。そして一緒にご飯にしましょう。

レポレロ

あたしは旅籠にでも行って、もっとマシな主人を見つけるとしよう。

ツェルリーナ、マゼット、レポレロ

それならあの悪党は、ペルセフォネやハデス(冥界の女王と王)と暮らせばいい。

そして私たち善人は、楽しく繰り返し歌おう、とても古い歌を。

結婚1年延期の謎

これまでも触れましたが、アンナがここでオッターヴィオの求婚に対し、なぜ1年の延期を申し出たか、ということは、古来論議の的になっています。

折しも、秋篠宮眞子内親王の結婚延期が話題となっていますが…。

深読みしない説では、 単に父親の喪に服すため、ということ。確かに、父が殺されたばかりですぐ結婚というのは、オッターヴィオも非常識ですし、アンナが世間の目を気にするのも当然です。

しかし、常識的なこのやりとりをわざわざドラマにし、意味深な音楽をつけるだろうか、というのも、誰しも感じるところです。

主流となっている解釈は、やはりアンナはあの夜、オッターヴィオと勘違いしてドン・ジョヴァンニに犯されていて、心と体の傷を癒すため、というものです。

第1幕で、アンナがその夜の出来事をオッターヴィオに語るとき、危ういところで逃れた、というアンナの話に、オッターヴィオが『よかった…(respiro)』と答えるのも、オッターヴィオの昼行燈さ、単純さを示していて、〝知らぬは亭主ばかりなり〟と聴衆の笑いを誘うところ、という見方もできます。

しかし、私が考えるのは、アンナがドン・ジョヴァンニのことを、よくも悪くも忘れられないからではないか、ということです。

ややフロイト的な解釈ですが、女性にとって夫は、父に代わる存在です。自分を支配し、頼るべき男性は、これまでは父親だったのが、いずれ夫がそれに代わります。端的に言えば、夫は妻をその父から奪うことになります。それを象徴するのが〝騎士団長殺し〟に暗示されているのではないでしょうか。(男女平等の観点からは外れますが、18世紀の話ですので。)

もちろん、父の仇を愛することはできないでしょうが、深層心理の中でアンナは、自分を父から奪ったドン・ジョヴァンニに惹かれてしまっている。そして、父と争うことのないまま、自分を得ようとしているオッターヴィオの支配に入るのを、躊躇している…。

優等生的な無難な男より、野性的で危険な男に惹かれてしまう女性の心理を、アンナを通じて描いているのではないか。人間観察の達人モーツァルトの音楽に、私はそう感じるのです。

ただいずれにしても、1年経っても、アンナとオッターヴィオが結ばれることは考えにくいでしょう。あわれなボンボン、オッターヴィオ…。

永遠のドンナ・アンナ

ドンナ・アンナは、深窓の令嬢でありながら、確固たる意志を持ち、行動力をもった強い女性です。

しかしながら、一部の批評では、劇中での役割は一面的で、ドンナ・エルヴィーラやツェルリーナのように人間の弱さやずるさをさらけ出していないので、ヒロインでありながら重要な役になっていない、と言われてもいますが、ドン・ジョヴァンニと対等な相手役であり、多くの芸術家にインスピレーションを与えてきました。

モーツァルトと同時代の作家、E.T.A.ホフマン(1776-1822)は、『ドン・ジョヴァンニ』に触発されて1813年に発表した小説『ドン・ファン』で、ドンナ・アンナと主人公に会話させていますし、村上春樹も『騎士団長殺し』にドンナ・アンナを登場させています。

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1823年にドンナ・アンナを演じる伝説の歌手、ゾンターク(1806-1854)

モーツァルトが伝えたかったこと

そんな思いを乗せて、残された一同は〝とっても古い歌〟を歌い、この大歌劇の幕を下ろすのです。

一同

悪人の最後はこうなのだ!

悪人にとっての死は、いつでも生と同じものなのだ!

(全幕終了) 

あれだけの強烈なキャラクター、存在感を示した主人公が不在の中で歌われる、この終幕の歌は、さまざまな思いが交錯し、万感胸に迫ります。

遥かなる未来に思いを馳せるような音楽です。

歌が終わった後の、走り抜けるような弦の動きの素晴らしさ!

そして、締めくくりの和音!

ドン・ジョヴァンニ』のフィナーレは、地獄落ちではなく、この六重唱でなくてはなりません。

あんな悪者ですが、いなくなってしまった喪失感が観衆をも襲います。

残った登場人物たちは、自分たちは善人だと信じて疑っていませんが、果たして本当にそうでしょうか?誰しも、心の中にドン・ジョヴァンニを住まわせていないでしょうか?

しかし、そんな凡人たちにも、それぞれの人生があり、おのおの一生懸命、これからの人生を歩んでいこうと決意しています。

悪は必ず滅ぶのだ!

台本通りのこの言葉が、モーツァルトがこのオペラで真に訴えたかったこととは、音楽を聴く限りでは思えないのです。

権威とか、倫理とか、規範とか、世の中のルールと言われるものに大胆に逆らった末に、世の中によって葬られる反抗者。

反逆者よ、万歳!

私には、そんなメッセージが伝わってくるのです。

オペラ『ドン・ジョヴァンニ』のあらすじ、解説は以上でおしまいです。

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