孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

春来る、卒業式にちなんで。ハイドン『交響曲 第92番 ト長調《オックスフォード》』

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オックスフォード大学

常に健康的な音楽

すっかり春めいてきました。かぐわしい大気を胸いっぱいに吸うと、気分が晴れやかになります。

これで花粉が無ければ最高なのですが。〝世の中にたえて花粉のなかりせば 春の心はのどけからまし〟

ともあれ、そんな春の気分にふさわしい音楽といえば、なんといってもハイドンです。

音楽評論家ショーンバーグは、ハイドンの音楽について次のように述べています。

彼の作品ほど、ノイローゼ的要素のない音楽を考えるのはむずかしい(おそらく、この点で匹敵する唯一の音楽作品は、ドヴォルザークの音楽であろう)。ハイドンの音楽は常に正気で健康である。モーツァルトほどの情熱はないかもしれないが、ハイドンの音楽はモーツァルトの最高の作品には決して及ばなかったにせよ、一貫してモーツァルトと同じか、それ以上の高い水準にあった、と立証することは可能である。1780年頃から死に至るまでの間に、ハイドンが作った交響曲、四重奏曲、ミサ、オラトリオで、傑作と呼ばれない作品はほとんど一つもない。ハイドンの多産性には、息がとまるほどである。*1

まさに、ハイドンの音楽性について、これほど的確な評言はないでしょう。よく比較されるモーツァルトとの関係もこれに尽きます。

音楽に限らず、芸術作品によく見受けられる鬱的な要素がほとんどないのです。

そのため、ハイドンの音楽には深みがない、となどと言われることになるのですが、ハイドンは自分の内面や感情を他人にぶつけるようなことはしませんでした。

彼は〝顧客サービス〟に徹しました。

モーツァルトハイドンについて語った有名な言葉があります。

『戯れたり、興奮させたり、笑いをひきおこしたり、深い感動を与える、いったようなすべてのことを、ハイドンほどうまくできる人はだれもいません』

これはモーツァルトのおせじではなく、本心であり、また事実と思います。

人を楽しませることにかけては、ハイドンの右に出る作曲家はいないのです。

朝、会社に行く前の、ちょっと憂鬱な時間などに、ハイドンを聴くと、元気づけられること、この上ありません。

これまでの人生で、私はどれだけハイドンに元気をもらったことか!

ハイドンの功績とは

音楽史上でもハイドンの功績は、モーツァルト以上に讃えられています。捧げられた尊称は、〝交響曲の父〟〝弦楽四重奏曲の父〟〝ソナタ形式の父〟などあまたあり、後進の作曲家に与えた影響も、直接、間接を問わず、史上最大。

直接影響を受けたのはモーツァルトベートーヴェンで、会うことはかなわなったシューベルトもしかりです。〝パパ・ハイドン〟と親しまれました。

特に、音楽の形式を整えた、ということが最大の功績とされていますが、それは、俳句の五七五の音律を整えたようなものです。

ソナタ形式も、シンフォニーもハイドン以前からありましたが、表現のスタイルとして優れていることを、たくさんの作品を創造することによって、証明したということです。

俳句で言えば、ちょうど松尾芭蕉の果たした役割でしょうか。

絶え間ない実験

それでは、素晴らしいハイドンシンフォニーを聴いていきましょう。まるで、宝箱をひとつひとつ開けていく思いがします。

ハイドンは、77年の生涯で、通し番号のついたシンフォニーを104曲作曲していますが、大きく前期と後期に分けられます。

生涯の前半は、何度か触れたように、ハンガリー副王格の大領主エステルハージ侯爵家の宮廷楽長として、勤続30年の勤勉なサラリーマン生活を送りました。

www.classic-suganne.com

主君ニコラウス侯とは、君臣水魚の交わりというべき信頼関係にあり、雇われ人でありながら、ハイドンは専属のオーケストラで様々な実験にチャレンジすることができました。

その時代のシンフォニーが、〝疾風怒濤時代(シュトルム・ウント・ドランク)のシンフォニー〟と言われています。

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その実験は評判を呼び、全ヨーロッパに人気が広がっていきました。ハイドン自身は職務上、エステルハーザ宮殿に拘束されていましたが、宮廷務めの後半には、各地から作曲依頼が殺到し、主君も、本業に影響が無い範囲で、そうした注文を引き受けるのを許してくれました。

高名な音楽家を召し抱えているということは、主君の名誉にもなりましたから。

特に、1785年に大都会パリからの注文を受けて作曲した6曲の〝パリ・セット(パリ交響曲〟から、エステルハーザの室内オーケストラ用の作品から、大衆向けの大きなコンサートホールでの、大オーケストラ用の作品が作られるようになり、それ以降はほとんど全てが傑作と言ってよい作品です。

その後期シンフォニーをリストにしてみます。注文に応じて、何曲かをセットにして作曲しています。

後期シンフォニーのリスト

【パリ・セット】

1785年から1786年にかけて、パリのオーケストラ『コンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピック』からの注文で作曲した、6曲のシンフォニー。

交響曲 第82番 ハ長調〝熊〟

交響曲 第83番 ト短調〝めんどり〟

交響曲 第84番 変ホ長調

交響曲 第85番 変ロ長調〝フランス王妃〟

交響曲 第86番 ニ長調

交響曲 第87番 イ長調

【トスト・セット】

1787年、エルテルハージ宮廷楽団のヴァイオリン奏者ヨハン・トストが楽団を去ってパリに行くにあたってハイドンから譲られた2曲のシンフォニー。

交響曲 第88番 ト長調〝V字〟

交響曲 第89番 へ長調

【ドーニ・セット】

1788年から1789年にフランスのドーニ伯爵から依頼された3曲のシンフォニー。

交響曲 第90番 ハ長調

交響曲 第91番 変ホ長調

交響曲 第92番 ト長調〝オックスフォード〟

【第1期ザロモン・セット(ロンドン・セット)】

1791年から1792年にかけて、エステルハージ家を退職したハイドンが、興行師ザロモンの招きでロンドンに赴き、作曲した6曲のシンフォニー。第2期の6曲と合わせてザロモン・セット、ロンドン・セットとも呼ばれる。

交響曲 第93番 ニ長調

交響曲 第94番 ト長調〝驚愕〟

交響曲 第95番 ハ短調

交響曲 第96番 ニ長調〝奇跡〟

交響曲 第97番 ハ長調

交響曲 第98番 変ロ長調

【第2期ザロモン・セット(ロンドン・セット)】

1回目のロンドン訪問が大成功だったことから、1793年から1795年にかけて、再訪して演奏した6曲のシンフォニー。

交響曲 第99番 変ホ長調

交響曲 第100番 ト長調〝軍隊〟

交響曲 第101番 ニ長調〝時計〟

交響曲 第102番 変ロ長調

交響曲 第103番 変ホ長調〝太鼓連打〟

交響曲 第104番 ニ長調〝ロンドン〟

ご覧の通り、愛称がついた曲が多くありますが、ハイドンが名付けたものではありません。それだけ当時から人気があり、愛されていた、という証しです。

〝名誉音楽博士〟

まず取り上げるのは、第92番〝オックスフォード〟です。

ハイドンは1790年、長年仕えたエルテルハージ侯爵家を辞し、フリーの音楽家になります。各地から雇用のオファーが来ますが、ハイドンが選んだのは宮仕えではなく、大都会ロンドンでした。

このあたりのいきさつは次回に譲りますが、英国はこの高名な人気作曲家を熱狂して迎えます。

ヨーロッパ随一の名門校、オックスフォード大学は、ハイドンに「名誉音楽博士」の学位を贈ることを申し出ました。

ハイドンはこの名誉を受け、1791年7月6日にオックスフォードに赴き、8日の学位授与式に出席し、3日間にわたりコンサートを行いました。

その時演奏されたのが、この曲です。先に掲げたリストにあるように、フランスのドーニ伯爵のために作曲された旧作ですが、英国では未発表曲だったので、コンサートの2日目にハイドン自らの指揮により演奏されました。

そして、大喝采を浴びたので、この曲は以後〝オックスフォード〟の名で呼ばれることになったのです。

学位授与式のあとは、歓呼の声のなか、ハイドンは博士のガウンを着て自作が演奏されるのを聴いたそうです。ハリーポッターの世界が目に浮かびます。

ロンドンで作曲されるこの後の12曲の〝ロンドン・セット〟に劣らない素晴らしい曲で、私も愛してやまない名曲です。

ちょうど春、卒業式のシーズンです。学位記を手に、大学を卒業した学生たちにお祝いとして贈りたい曲です。

ハイドン交響曲 第92番 ト長調《オックスフォード》 

F.J.Haydn : Symphony no.92 in G major, Hob.Ⅰ:92 “Oxford”

ルネ・ヤーコプス指揮フライブルクバロック・オーケストラ

Rene Jacobs & Freiburger Barockorchester

第1楽章 アダージョアレグロ・スピリトーソ

ハイドンのシンフォニーの象徴とも言うべき序奏から始まります。最初は弦だけで静かに進み、ほどなく管が彩りを添え、主部への期待を高めていきます。主部は浮きたつような楽しい3拍子。第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンのいきいきとした掛け合いがしびれます。トゥッティのあと、管が可愛い第2主題を歌います。展開部はティンパニによって力強いものとなり、緊張をはらみつつ、再現部に回帰するのはハイドンの定石です。何度聴いても飽きることのない、充実した楽章です。

第2楽章 アダージョ

のどかで美しいアダージョに心癒されますが、中間部はハイドンには珍しく、短調の激しいものとなります。当時の聴く人はびっくりしたことでしょう。モーツァルトのピアノ・コンチェルト20番の第2楽章を思わせます。そして、再び穏やかな田園風景が戻ってきます。

第3楽章 メヌエット:アレグレット

ダイナミックなメヌエットです。もはやダンスの曲ではなく、引き込まれるような力強い音楽です。トリオはファゴットとホルンが楽しく活躍します。

第4楽章 フィナーレ:プレスト

まず、第1ヴァイオリンが小さく走り始め、それにフルート、ホルン、第2ヴァイオリンが加わって、まるで運動会のように駆け回ります。トランペットとティンパニがさらに盛り上げ、巧妙に計算された展開部に突入します。聴く人は手に汗握るように興奮させられる充実したフィナーレです。

Haydn: Symphonies No. 91 & 92

Haydn: Symphonies No. 91 & 92 "Oxford" & Scena di Berenice

 

 

次回は、ハイドンのロンドン旅行のいきさつをご紹介します。 

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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*1:ショーンバーグ『大作曲家の生涯』亀井旭・玉木裕共訳・共同通信社