孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

ハイドン来る!ロンドンの熱狂と、シャンデリア落下事件の謎。ハイドン『交響曲 第96番 ニ長調〝奇跡〟』

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18世紀のロンドン

ハイドンのロンドン到着

ハイドンシンフォニーザロモン・セット(ロンドン・セット)』の4曲目は、交響曲 第96番 ニ長調〝奇跡〟』です。

番号順では4曲目になりますが、ハイドンペーター・ザロモンに招かれてロンドンに到着し、おそらく最初に作曲、演奏したシンフォニーです。

1790年12月15日にザロモンとともにウィーンを出発したハイドンは、ミュンヘン、ボンを経由し、王侯を表敬訪問しながら、大晦日12月31日にフランスのカレーに到着。

嵐のドーヴァー海峡を渡って1791年1月2日にロンドンに到着しました。ハイドンはこれまで海を見たことがなく、若い頃、オペラの〝海の嵐〟の場面に曲をつけるのに難儀して、やけくそでピアノの上に指を走らせたところ、注文主からブラヴォー!と抱きしめられたことがありました。でも、今回実際にドーヴァー海峡で海の嵐を体験したところ、まるで違っていたので、そのエピソードを思い出して大笑いしたそうです。

ハイドンは到着するなり、大歓迎を受けました。手紙にこのように書いています。

私の到着は全市に大きな興奮をまきおこしました。全新聞が3日にわたって私のことを書きたてました。誰もが私と知り合いになりたがっています。私は今までに6回も晩餐会に行かねばなりませんでした。しかも、私が承諾すれば、毎日でも晩餐会に出かけなくてはならないありさまなのです。けれども第一に自分の健康を考えなくてはなりませんし、第2に、仕事があります。貴族をのぞいて、午後の2時までは来訪者を受けないことにしています。4時にザロモン氏といっしょに家で食事をします。宿は万事ぐあいよく快適ですが、費用がかさみます。家主はイタリア人で、料理人でもあり、日に4度、はなはだ上等の食事を出してくれます。これに対してワインやビールを別として1日に1フローリンと30クロイツァーも払うのです。とにかく、ここではすべてのものが高くつきます。

昨晩、私は大規模な素人音楽会に招待されました。少し時間におくれましたので、控えの間に案内され、ホールで演奏中だった1曲が終わるまで、待たされました。それから扉がひらかれ、いっせいにおこった拍手のなかを、主催者に腕をとられて、ホールの中央、オーケストラの真ん前に導かれ、大ぜいのイギリス人たちの注視と歓呼を浴びたのです。こんな名誉は、50年間だれにもあたえられたことがないと思います。演奏会が終わってから、瀟洒な隣室に案内されました。そこには200人ものアマチュアのために沢山のテーブルがあちこちにしつらえられていました。私のために主賓の席が用意されてあったのですが、その日はもう食事をすませており、しかもいつもよりたっぷり食べていましたので、あまり気分がよくないからと断りをいってこの名誉を辞退したのですが、それにもかかわらず、紳士諸君の健康を祝してバーガンディを乾杯しなくてはなりませんでした。お返しに一同が乾杯し、それから家に帰ることを許してくれたのです。*1

ロンドンでの歓迎ぶりが手に取るようにわかります。ザロモンがロンドンでハイドンに約束した報酬は異例の高額でしたが、ロンドンでは物価も高かったわけです。次世紀に七つの海を支配した、大英帝国が築かれる前夜の経済的繁栄ぶりが伝わってきます。

公式の場にハイドンが現れたのは、1月18日、セント・ジェームス宮殿における王妃の誕生日を祝う宮廷舞踏会でした。その場でプリンス・オブ・ウェールズ(皇太子)から誰よりも先に挨拶され、並み居る貴賓たちの注目を浴びました。ハイドンの地位はこれで確固たるものになったといわれています。

さて、こんな歓迎行事で多忙な中、作曲を続け、前回ご紹介したシンフォニー95番と、この96番を書き上げました。

そして、記念すべき第1回のザロモン演奏会は、3月11日にハノーヴァー・スクエアで開催されました。

ハイドンチェンバロの前に座り、コンサートマスターはザロモン。ザロモンが手にしたヴァイオリンは、かつてあのコレッリが所有していたストラディヴァリウスでした。

演奏会は2部に分かれていましたが、第2部の最初に、メインイベントであるハイドンの大序曲(シンフォニー)が演奏されました。これは、第1部に遅れてきた人も落ち着いて聴けるように、という配慮でしたが、このあとずっと、ザロモン演奏会でこの形式は踏襲されました。

オーケストラは約40名で、ヴァイオリン12か16、ヴィオラ4、チェロ5、コントラバス4、フルート、オーボエファゴット、ホルン、トランペット各2にティンパニという、近代的な大編成でした。エステルハージ侯爵家の宮廷楽団の倍以上の規模です。クラリネットはまだ含まれておらず、2回目の訪問の作品(第2期ザロモン・セット)から加わることになります。

第1回ザロモン・コンサートの盛況ぶりは、新聞ダイアリー紙に次のように報じられています。

今年ザロモン氏によって企てられたコンサートは、長らく延期されていたが、昨夜開催され、多数の非常に上品な聴衆が出席した。偉大なハイドンの直接の指揮による音楽の饗宴は、愛好家たちのあいだで、はなはだ美味なるご馳走として期待されていたものであるが、彼らは決して失望させられなかった。ハイドンによる新しい大序曲は、最大の喝采を浴び、人々はみな、この作品が厳格であると同時に楽しいものであることを知ったのである。聴衆は魅了され、満場の希望によって第2楽章がアンコールされた。つぎに第3楽章をもう一度繰り返すよう熱心に求められたが、作曲者の謙虚さは、反復演奏を許すにはあまりにも強かったのである。(1791年3月12日)*2

この日初演されたシンフォニーは、諸説あるものの、この第96番であるという説が有力です。では、ロンドンの聴衆が熱狂したそのシンフォニーを聴きましょう。

演奏は、ザロモン・コンサートでの編成をほぼ再現したものです。ハイドン鍵盤楽器、すなわちチェンバロフォルテピアノの前に座って〝弾き振り〟をしたということですが、この演奏ではホグウッドはフォルテピアノを弾いています。

ハイドン交響曲 第96番 ニ長調 Hob.Ⅰ:96〝奇跡〟  

F.J.Haydn : Symphony no.96 in D major, Hob.Ⅰ:96 “Miracle”

クリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック

Christopher Hogwood & Academy of Ancient Music

第1楽章 アダージョーアレグロ

序奏は高音から降りてくるトゥッティで始まります。印象的な開始です。そして、後半を主短調として主部につなげていくのは、ザロモン・セットでハイドンが常用した手法です。そして、輝かしい主部が始まります。ファゴットオーボエが可愛らしく弦の主旋律を彩り、第1、第2ヴァイオリンが競うように歌い交わし、トランペットとティンパニが勇ましく推進力を加えます。展開部は非常によく計算されており、新聞報道が伝えるように〝厳格かつ楽しい〟ものとなっています。産業革命を起こし、近代化のトップを走っている世界の最先端都市ロンドンの聴衆が、ハイドンの音楽の〝新しさ〟に圧倒され、熱狂したのです。

第2楽章 アンダンテ

バッハも好んだシチリアーノのリズムですが、哀愁はなく、きわめて理性的な音楽です。中間部では短調に移行し、しだいに声部が加わっていく手法で、とてもドラマティックです。初演でアンコールされたのも分かる気がします。コーダ(終結部)も非常に凝っており、ヴァイオリン・ソロや登場したかと思うと、管楽器たちがソロを競演する趣向で終わります。当時の人は第2楽章を好んでいたようですので、〝びっくりシンフォニー〟が居眠り防止のために作られた、というのも信ぴょう性が薄い話です。

第3楽章 メヌエット:アレグレット

気品あふれるメヌエットです。装飾的なアクセントは〝ハイドン・オルナメント〟と呼ばれています。トリオは一転、田舎風のひなびたメロディをオーボエが奏で、ホッとさせてくれます。初演でアンコールを求められたのにハイドンは固辞したので、オーボエ奏者はさぞがっかりしたのではないでしょうか。

第4楽章 フィナーレ:ヴィヴィーチェ

ユーモアに満ちた、愉快なテーマです。最初は静かに、そして例によって元気いっぱい、総員で走り出します。この演奏では、ピアノの低弦が小気味良く聞こえてきます。終わり近くでは、ティンパニも踊り、お見事、というしかない幕切れです。当時の聴衆の歓声が聞えてくる気がします。

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1796年のロンドンの街角

シャンデリア落下の〝奇跡〟

さて、この曲には当時から〝奇跡〟という愛称がつけられていますが、それには有名な逸話があります。ハイドンと親交があった画家、ディースハイドンの死の翌年、1810年に著した『ハイドン伝』に、次のように紹介されています。

2年目(1792年)にひとつの事件が起こった。それは容易に悲劇となりうるものであったが、幸いにしてそうはならなかった。ハイドンがオーケストラの前に姿を現し、みずからひとつの交響曲を指揮するためにピアノフォルテに向かったとき、物見高い聴衆が有名なハイドンをもっとよく間近に見ようと平土間の席を離れオーケストラに向かって殺到した。そこで平土間の中央の席が空いた。ちょうどそのとき大きなシャンデリアが落ちてきて粉々に砕け、居合わせた大勢の人々を大混乱に陥れた。恐怖の一瞬が過ぎると、前方に集まっていた人々は、自分たちが幸運にも危険を免れることができたことを知り、言うべき言葉を求めた。数人の者たちがその実感を口ぐちに大声で叫んだ。『奇跡だ!奇跡だ!』ハイドン自身も深く心を動かされ、神の摂理によって自分がそのような方法で、すくなくとも30人の生命を救う原因、もしくは手段となったことを感謝した。たったふたりが軽い挫傷を負っただけであった。私はこの事件がさまざまに語り伝えられているのを知っている。そしてロンドンではほとんど常に人々がこの交響曲に「奇跡」という愛称をつけていた。この話は事実かもしれない。しかしそのことを私がハイドンにたずねたとき、彼は『そんなことは知らない』と答えた。 

ハイドンが登場し、聴衆がそれを見に行った瞬間、空いた席にシャンデリアが落下し、多くの人の命が助かったという〝奇跡〟です。

しかし、ハイドン自身が知らないと言うのは不思議ですが、シャンデリア落下事件がハイドンのコンサートで起こったのは事実のようで、そのような新聞報道が残っています。しかしその日付は、ハイドンが2回目に訪英した1795年2月2日の第1回オペラ・コンサートの時でした。記事にはこのようにあります。

交響曲第102番の終楽章はアンコールされた。そしてシャンデリアのひとつが落下するという事件による中断があったにもかかわらず、演奏はすくなからず効果的であった。

アクシデントがあったのは事実のようですが、このような記述ぶりではケガ人はいなかったのでしょう。でも〝奇跡〟の愛称がつくべき曲は102番の方、ということになります。

でも、この曲が早いうちからこの愛称で人口に膾炙したのも事実ですから、全くの作り話とも思えず、ハイドン自身の証言も含めて、歴史の謎になっています。

ちなみに、漢字でいう「奇跡」と「奇蹟」はどう違うのでしょうか。この曲のCDのタイトルではどちらも使われています。両方とも英語で言えば「ミラクル Miracle」なのですが。調べると、偶然の産物のような出来事を「奇跡」、神や聖人が起こした(と思われる)不思議な事象を「奇蹟」と呼ぶのが適当のようです。私の自宅の最寄り駅「聖蹟桜ヶ丘」は、明治天皇が度々ウサギ狩りに来られたということで「聖なる跡」という意味で戦前につけられました。戦前では天皇は神ですから「聖跡」ではなく「聖蹟」となったわけです。

ハイドンは聖人ではありませんから、私は「奇跡」を使いましたが、ハイドンの作品は当時の聴衆にとってはまさに〝神〟だったために、ハイドンは人の命まで救った、ということで、このエピソードが広がったのは間違いありません。ですから、「奇蹟」としてもおかしくはないでしょう。

さて、シャンデリア落下事件といえば、ミュージカルオペラ座の怪人』にまつわる話の方がポピュラーかもしれません。この事件は、ハイドンのコンサートでの事件が1795年とすれば、101年後の1896年にパリ・オペラ座(オペラ・ガルニエ)で起こりました。

そのお話は次回に。

Haydn: Symphonies 94 & 96

Haydn: Symphonies 94 & 96

 

 

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*1:大宮真琴訳

*2:大宮真琴訳