孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

アマチュアには難しすぎた曲。アマデウスの光と影(3)モーツァルト『ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調』

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珍しいピアノ・カルテット

モーツァルトの明&暗2曲セット、弦楽五重奏曲の次はピアノ四重奏曲です。第1番 ト短調  K.478第2番 変ホ長調 K.493カップリングです。

ありそうな編成の曲ですが、モーツァルトにはこの2曲しかなく、ハイドンには1曲もありません。

ヴァイオリンは1台で、ヴィオラ、チェロ、そしてクラヴィーア(ピアノ)の四重奏です。

弦楽五重奏曲がミニ・シンフォニーとすれば、ピアノ・カルテットはさながらミニ・ピアノ・コンチェルトといえます。

モーツァルトの楽器〟ピアノが入るだけで、こんなにも情感豊かに、繊細になるものか、と感じ入ります。心の襞に沁み込むような音楽です。

作曲された時期は、第1番がオペラ『フィガロの結婚作曲の直前、第2番が直後になり、数々のピアノ・コンチェルトが生み出された、絶好調の時期にあたり、この2曲もまったく完璧、円熟の極致にあります。

ご家庭にモーツァルト

第1番は、友人である作曲家、出版業者のホフマイスターからの注文で作曲されました。

ホフマイスターの計画は、家庭で楽しめるピアノ音楽の楽譜を、自作と、モーツァルトハイドンほか人気の作曲家の作品を中心に毎月出版する、というものでした。

さだめし〝月刊『ピアノの愉しみ』〟のような感じでしょうか。

この時代、家庭内の室内音楽のメインはピアノでした。

ヴァイオリン・ソナタも、ふつうヴァイオリンがメインでピアノが伴奏になりますが、モーツァルトの時代に限っては、ヴァイオリンの伴奏つきのピアノ・ソナタ、という性格でした。チェロ・ソナタや、ピアノ三重奏曲なども同様です。

当時の中・上流家庭では、娘たちはピアノを、息子たちは弦楽器を嗜むのが習慣でした。

息子たちは楽器のほかにも、乗馬や剣術などを習う必要もありますが、娘は音楽の嗜みが婚活で重要とされていたので、より深く打ち込むことになりました。

要するに一般的には娘のピアノの腕前の方が上で、兄弟たちは楽器は片手間ですから、その伴奏にとどまっていたわけです。

しかし、モーツァルトが提供したのはこのト短調。4人に等しく名人的な腕前を要求した曲でした。

ホフマイスターは文句を言います。

『もっと易しく書いてくれないか。これじゃあ難しくて売れないよ!』

これを聞いたモーツァルトホフマイスターとの契約を自ら解除し、第2番は別の出版社、アルターリアから出版します。

モーツァルトはおそらく怒ったのではなく、この企画は自分には無理、と感じたのでしょう。

彼は職人ですから、後年の有名なピアノ・ソナタ ハ長調 K.545 (いわゆるソナチネ)のように、初心者向けの曲も自在に作れたはずですが、自分のレベルがどんどん上がっていき、聴衆がそれについてきてくれている、と感じていたこの時期のモーツァルトには、創作意欲が湧かなかったのではないか、と思います。

マチュアが演奏すると…

実際、この曲が出た3年後、1788年に発行されたベルリンの音楽雑誌『豪奢と流行』に『大演奏会における最近の音楽趣味―ピアノ愛好主義における女性偏重をめぐって』と題して、この曲について次のような批評が載っています。

数年前、モーツァルトによる四重奏曲が1曲出版されたが、この作品は非常に芸術的に作曲されており、演奏に際しては、4つのパートすべてに寸分の狂いもない正確さが求められている。

しかし、かりにうまく演奏されたとしても、あるいはそう思われたとしても、この作品は、室内楽における音楽の専門家だけが満足することのできるものであり、まさそのように意図されたものである。

モーツァルトが全く新しい四重奏曲を作曲した。そこそこの王女様や伯爵夫人がこれを演奏しているそうだ!〟という噂がその後まもなく広まった。これが人々の好奇心を刺激して、大きな賑やかな音楽会でこの新しい四重奏曲を演奏し、非才の身ながら自慢をしようという向こう見ずな考えを起こさせたのである。

他の多くの作品なら並みの演奏でも楽しめるだろう。しかし、このモーツァルトの創造物だけは、並みのアマテュアの手にかかりぞんざいに演奏されると、全く聴けたものではない。

そうしたことは、この冬にあちこちで見られた。旅先であれ、音楽会であれ、私が訪ねた所ではほぼ一様に、賑やかな集いの席で若いご婦人や中流階級の取り澄ました令嬢、あるいは生意気な芸術愛好家がこの四重奏曲の楽譜を手に入れ、誇らしげに演奏してみせたのだった。

しかし、それはとても満足できるような代物ではなかった。誰も彼もが、4つの楽器が奏でる訳の分からない音にうんざりし、あくびをしていたのだ。4小節にも及んで音がそろわず、その愚にもつかない合奏からは、感情らしきものは何ひとつ湧き上がってこなかった。それでも、その演奏は満足され、称賛されなければならなかったのだ!

いったいどういうわけで、至るところこうしたことが行われているのか、私には説明のつけようがない。だが、ひと冬もの間続いていたことなのだから、これは単に、はかない一時の熱狂と難じるだけではすまされないだろう。

ひとつひとつの音の響きが聴き手の耳に伝わってくるような静かな部屋で、わずか数人がじっと聴き入る中、入念に練習を重ねた4人の熟練した音楽家が、今評判のこの芸術作品を完璧なまでに忠実に演奏したならば、どんなにかすばらしいことだろう!

しかし、もちろんこの場合には、華やかさや拍手喝采などは無縁のものであり、お決まりのほめことばも聞かれない。与えるものもなければ得るものもない。ここでは、今日の公開演奏会につきものの政治的思惑は、一切無用なのである。*1

モーツァルトが存命中にどこまで理解、評価されていたのか、なかなかはっきりしないなかで、非常に納得できる証言です。

辛口な批評ですが、確かに、平凡なお金持ち一家で『有名な楽長モーツァルトの新作を手に入れたわよ!』といって子供たちで演奏された場合、この曲はとてつもない不協和音を立てたことでしょう。

しかし、それはなんという悲しいことか!

レコードやCDが無かった時代、家庭でモーツァルトの音楽を楽しむことは、よほどの名手が身近にいない限り、無理だったということですから。

それにしても、この批評家はモーツァルトの曲がただの見栄っ張りの道具にされている、と嘆いていますが、生前にもそれだけブランド力があったということに驚かされます。

各地でうんざりするほど下手な演奏を聴かされた、ということですから、ホフマイスターの楽譜も、出版社の思惑とは別の方向で、それなりに売れたと思われます。

しかし、聴かされる方はたまらない、ということで、生前のモーツァルトの人気はじわじわと落ちていくことになったのでしょう。

それでは、当時の批評家が必ず満足するであろう演奏を聴きましょう。

モーツァルト:ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調 K.478 

W.A.Mozart : Piano Quartet no.1 in G minor, K.478

演奏:マルコム・ビルソン(フォルテピアノ)、エリザベス・ウィルコック(ヴァイオリン)、ジャン・シュラップ(ヴィオラ)、ティモシー・メイソン(チェロ)

第1楽章 アレグロ

いきなり鋭くショッキングな弦のユニゾンで始まり、ピアノがそれに一度聴いたら忘れられないようなフレーズで応えます。アインシュタインは、モーツァルトの〝運命〟と言っています。しかし、だんだんと音楽は陽転していき、悲劇性は薄まっていきます。ピアノと3つの弦のからみあいは、全く対等で、起伏に満ちた物語をつむいでいきます。展開部はさらにドラマティックで、かつ繊細。コーダは心の底の叫びを聞くようで、家庭音楽の域ではありません。

第2楽章 アンダンテ

この曲は、短調を主調にしていますが、第2楽章、第3楽章は長調で、明るい陽射しの中にあります。この楽章は、数あるモーツァルトの緩徐楽章の中でも、特に愛してやまない曲です。ピアノのしみじみとした語りに、弦はどこまでも優しく応じ、ピアノが流れるようなオクターヴを弾けば、弦も天に昇るかのようにこたえます。そして、深い瞑想の世界にいざなわれていくような心地がするのです。

第3楽章 ロンド:アレグロモデラー

明るいロンドですが、半音階的なニュアンスが含まれているため、感慨深く、胸がいっぱいになります。遠い昔の楽しかった思い出を、胸の奥で反芻するような懐かしさを感じます。展開部では短調の不安な影も差し、第1楽章の悲劇的な物語を思い起こしますが、すぐに明るい世界に戻っていきます。ピアノだけでも素晴らしいのに、3つの弦が加わることより、より深い世界が広がり、感動に心が震えます。例の批評家は、たったひとりで、誰からも邪魔されず、拍手もおせじも不要な中、一流の演奏でこの曲を味わいたかったに違いありません。今の我々はなんと幸せなことでしょうか。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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*1:Journal des Luxus und der Moden, 1788