孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

この支配からの卒業、親の反対押し切った結婚編。モーツァルト『ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 作品2〝アウエルンハンマー・ソナタ〟』(2)

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コンスタンツェ・ウェーバー(1762-1842)

親の心、子知らず

父レオポルトの反対を押し切り、雇い主であるザルツブルク大司教と大ゲンカをして辞表を叩きつけ、ウィーンでのフリーター生活を始めたモーツァルト

大司教の侍従である伯爵からお尻を蹴られて追い出され、ザルツブルクと縁が切れたのは1781年6月8日のことでした。

事ここに至っては父も追認するほかはないのですが、モーツァルトがウィーンでウェーバーに下宿していることだけは承服しかねることでした。

モーツァルト同様に収入の途を求めてウィーンに移住してきたウェーバー家。

ご主人は早々に亡くなり、夫人と4人の娘で暮らしていました。

モーツァルトが求婚してふられた次女アロイジアは、ランゲという俳優と結婚し、ソプラノ歌手として売れ始めていました。

モーツァルトはなんだかんだウェーバー家が大好きで、その家に下宿に入り浸っていたのですが、ウェーバー夫人は大酒飲みで評判が悪く、父レオポルトにもよからぬ噂が聞こえてきていました。ウェーバー夫人は、三女のコンスタンツェモーツァルトに押し付けようと画策している…と。

これまでも、息子がそのせいで何度も道を踏み外しそうになった因縁のウェーバー家です。

父は、百歩譲ってウィーン定住を認める代わりに、ウェーバー家から離れるよう命じていました。

それに対するモーツァルトの返事です。

ウェーバー家から引っ越すことは、もう以前から考えていたことで、きっと実行されると思います。フォン・アウエルンハンマー氏の家に泊まるはずだったなどとは、誓って申しますが、ぼくの全然知らないことです。習字の先生メスマーのところに下宿しそうになったことは事実です。でもやっぱりそれよりはウェーバー家にいたいと思います。良くって安くって手ごろな下宿が見つかるまでは、今のところから出て行きません。それに、その時は、あの親切なウェーバー夫人に何とか嘘を言わなければなりません。本当に出て行く理由はないのですから。フォン・モル氏(注:父レオポルトモーツァルトウェーバー家についての噂を伝えたと思われる人物)は、なぜか知りませんが、人の悪口を言う人で、特に変だと思います。いずれぼくが反省して、そのうちザルツブルクへ帰るだろう、ここにいてもザルツブルクのようには、なかなか便宜が得られないから。僕がここを離れないのは、ただ女のためだ、と言っています。(1781年7月13日付)*1

ウェーバー家だけは近づくな!

モーツァルトは、ウェーバー夫人の好意に篭絡されているように思えます。この頃の、父レオポルトからモーツァルトに宛てた手紙は、今に残っていません。あまりにキツい内容ばかりだったはずなので、モーツァルトは捨ててしまったのかもしれません。ただ、どんな内容かは、モーツァルトの手紙からだいぶ推察できます。先の手紙に納得しなかった父への、さらなる返事です。

大好きなお父さん!もう一度申し上げますが、別な下宿に移ることは、ずっと前から考えていたことです。それもただ、みんながつまらないおしゃべりをするからです。ひと言として本当でないようなバカげたおしゃべりのために、それを強いられるのは、残念です。それにしても、ある種の人たちが、何の根拠もないのにしゃべり立てるのが何がうれしいのか、知りたいものです。ぼくがそこに住んでいるから、そこの娘と結婚する、恋をしているなどということはまったく問題になっていません。その点を飛ばしてしまって、ぼくが下宿する、そして結婚する、というのです。ぼくが一生のうちで結婚のことを考えなかった時があるとすれば、今がまさにその時です!実際(ぼくは金持ちの女など望んではいませんが)、今本当に結婚によって運が開かれるとしても、ぼくの頭はほかの事で一杯なのですから、とても女にサービスすることはできません。神様がぼくに才能を与えて下さったのは、それを一人の女のために台無しにしたり、若い日々を無為に過ごしたりするためではありません。ぼくの生活はようやく始まったばかりです。それを自分から辛いものにしていいものですか。(1781年7月25日付)

200人の妻?

結婚そのものを否定しつつ、噂のせいでウェーバー家を離れるのは残念至極…と言っているわけですが、コンスタンツェに対して全く気がないかというと、同じ手紙の後半は少し歯切れが悪くなってきます。

こんな噂が立っていなかったら、ぼくは引っ越そうなどとはしなかったでしょう。もちろん綺麗な部屋は容易に見つかるでしょうが、こんな便利なところ、こんなに仲良くしてくれる親切な人たちは、おいそれとは…。世間の人たちがぼくともう結婚させてくれた娘さん(注:コンスタンツェのこと)と同じ家にいて、ぼくがそのひとに対してかたくなになって口も利かずにいるなどとは、申しません。しかし恋をしているわけでもありません。暇のあるときは、その人とふざけもし、冗談も言います、しかし、それだけのことで、ほかに何もありません。ぼくが冗談を言った人とみんな結婚しなければならないとしたら、たちまち200人の妻を持つことになるでしょう。

厳しい収入の途

いかがでしょうか?コンスタンツェとの仲は否定していますが、どうも言い訳が怪しい。

とはいえ、モーツァルトはこの段階で結婚までは考えていなかったのも事実と思われます。

モーツァルトがコンスタンツェとの結婚に踏み切るには、こののち、ウェーバー夫人のプレッシャーがあったからです。

それは後述するとして、この手紙の続きは、収入の話になります。

次はお金の話です。ぼくの生徒は3週間も田舎に行っているので、収入はまったく無く、支出はあいかわらず続きます。そのため30ドゥカーテンはお送りできませんでした。でも20ドゥカーテンは…。しかし予約を当てにしていたので、お約束の額が送れるように、待っていようかと思いました。ところが、トゥーン伯爵夫人の話では、お金のある人はみんな田舎に行っているので、秋になるまでは予約のことは考えられない、とのことです。夫人は10人しか集めてくれませんし、ぼくの生徒は7人以上にはなりません。その間にその6曲のソナタを彫らせます。アルターリアは、それが売れ次第お金を払うと言いましたから、その時はお送りいたします。

モーツァルトがフリーターとして当てにしていた収入のうち、ピアノの教師の仕事は、ちょうど夏で、貴族や金持ちはみな避暑地に行ってしまっているので、仕事ゼロだというのです。

そのため父への約束の仕送りも滞り。だから言わんこっちゃない、というレオポルトのツッコミが聞こえてきそうです。

そこで当てにしているのが「6曲のソナタ」のアルターリア(楽譜出版社)からの出版です。

それが前回と今回取り上げている、この『アウレルンハンマー・ソナタ 作品2』にほかなりません。

しかし、売れたら払う、というのでは、これもいつになることやら。

オペラで一気に状況打開

モーツァルトは、この状況を一気に挽回するため、オペラの作曲の機会を狙っていました。オペラこそ、作曲家として名声を轟かせる絶好の手段なのです。

父宛ての次の手紙では、素敵な台本を手に入れた、オペラ作曲、上演のチャンスを得た!と嬉々として報告しています。

その台本は『ベルモンテとコンスタンツェ または後宮からの誘拐』というものでした。

なんと、ヒロインの名が奇しくも〝コンスタンツェ〟だったのです。

上演の機会は、9月に予定されていたロシア大公のウィーン訪問ということで、モーツァルトは突貫工事で作曲に打ち込むのですが、訪問は伸び伸びになり、作曲もそれに合わせてスピードダウンしていき、肝心の大公訪問には間に合わず、結局、翌年1782年7月16日に上演にこぎつけます。

1年かかってしまったわけですが、時間をかけられたおかげで、モーツァルトの若き記念碑というべき傑作になりました。

オペラの筋は、トルコの太守のハーレムに囚われの身となった娘コンスタンツェを、婚約者のベルモンテが救い出す、というものでした。

このオペラの作曲が続けられている間、モーツァルトのコンスタンツェに対する気持ちが大きく結婚へと傾いていったのです。

その間、コンスタンツェが、酒乱の母ウェーバー夫人に耐えかねて家出をする、という事件がありました。

このかわいそうな娘を母から救い出すには、結婚しかありません。

まさに、オペラの筋書とオーバーラップする出来事が、モーツァルトのプライベートで起こっていたのです。

結婚の言い訳は、欲望...?

モーツァルトにとっては、それは運命のドラマでしたが、父から見れば、ずっと心配していた最悪の事態でした。

父に問い詰められ、ついに告白せざるを得なくなったモーツァルトの手紙を引用します。

最愛のお父さん!お父さんは、ぼくがこの前の手紙の最後にちょっと付け加えた言葉の説明をお求めになるのですね!ああ、どんなにぼくの気持ちを、もっと前から打ち明けたかったことでしょう。でも、そんなことを考えるには早すぎるのと、叱られやしないかと思うと、言い出せませんでした。もちろん、考える分には早すぎることなどあろうはずもないのですが。その間のぼくの努力は、ここで少しでも確かな収入を持つことです。そうすれば、不時の収入と合わせて、ここでちゃんと暮らして行けます。その上で、結婚することです!こんな考えを聞いて、びっくりなさいますか?でも最愛の、最上のお父さん、ぼくの話をお聴きください。ぼくはかねて心に願っていたことをとうとう打ち明けてしまったのですが、今度は、ぼくの理由を、しかも非常に根拠のある理由を、打ち明けさせてください。ぼくの中には、他の人たちと同様に、自然の欲望が強く働いています。しかしぼくには、いまどきの若い者たちのようには、どうしてもやれません。第一に、ぼくには宗教観念が、第二に、隣人愛と真面目な気持ちがありすぎて、純真な娘を誘惑することができませんし、第三に、病気に対する恐怖と嫌悪と懸念がありすぎ、それに自分の健康を大事だと思うので、娼婦と遊ぶこともできません。だから誓って申しますが、ぼくはまだどんな女性とも、そのような関係をもったことはありません。もしあったとしたら、お父さんに隠しておくはずもないでしょう。(1781年12月15日)

なんと、結婚したいという理由が性欲だとは!

モーツァルトも、父が反対できないような理由を考え抜いてのことでしょうけれど、素人の女性を誘惑するのは宗教的にも真面目な性分からもできない、かといって娼婦と遊ぶのは病気も怖い、だからこれまでずっと童貞を守ってきましたが、もう我慢できません…などとは、26歳の青年が父親に言うには異様な内容です。

このあと、収入面でも生活面でも、妻がいた方がいい、と付け加えていますが、そちらの方がよっぽど説得力があるというものです。

醜くはないが、決して美人ではない?

さて、いよいよ相手について打ち明けます。

ところで、ぼくの相手は誰でしょう?それを聴いて、どうかびっくりしないでください。まさか、ウェーバー家の一人ではなかろうな、ですって?そうなんです。ウェーバー家の一人です。しかしヨゼファでも、ゾフィーでもなく、中の娘のコンスタンツェです。一つの家族で、この家族ほど一人一人の気質の違うのを、見たことがありません。長女(注:ヨゼファ)は怠け者で、粗野で、嘘つきで、狡猾な人間です。ランゲに嫁いだ娘’(注:アロイジア)も嘘つきで、意地悪で、コケットです。末娘(注:ゾフィー)は若過ぎて、まだどうということはありませんが、かわいいけれど、おてんば娘にすぎません。神様がこの子を誘惑から守ってくださいますように!ところで真ん中の、つまりぼくのやさしい、いとしいコンスタンツェは、その中の殉難者で、おそらくそのためかえって、いちばん気立てがよく、いちばん分別があり、一口で言って、みんなの中でいちばんいい娘です。(中略)このひとは、醜くはありませんが、けっして美しいとは言えません。このひとの美しさは、すべてその小さな黒い両の眼と、そのすてきな姿勢にあります。機知はありませんが、妻として、また母としての義務が果たせるだけの、十分な常識があります。浪費癖はありません。それはまったく間違いです。それどころか、質素な身なりに慣れています。母親が娘たちにしてやれる少しばかりのことも、他の二人にしてやって、このひとには構ってやらなかったからです。いつもこざっぱりしてきれい好きなことは確かですが、しゃれた身なりをしていることはありません。そして女が必要とするたいていのことは、一人でできます。髪も毎日自分でとかします。家政の心得もあり、この世にまたとないような良い心根の持ち主です。ぼくはこのひとを愛していますし、このひともぼくを心から愛しています。ぼくがこれ以上の妻を望めるかどうか、お知らせください。なお申し添えておかなければなりませんが、ぼくが職を捨てたあの当時は、この恋愛はまだ何もなく、(ぼくがあの家に住んで)あのひとの優しい心遣いと世話を受けて初めて生じたのです。

いくらコンスタンツェを引き立てようとしたとしても、仲の良い他の姉妹たちをケチョンケチョンにディスっているのもショッキングです。

父が怒り狂うのが分かっているので、この手紙を書いたモーツァルトの精神状態は正常ではなかったと思えます。

結婚契約書事件

モーツァルトはこの時点では隠していて、次の手紙で打ち明けているのですが、モーツァルトは父を失ったウェーバー家の後見人から、コンスタンツェとの結婚契約書を取られたのです。

それは次のような内容でした。

『私はコンスタンツェ・ウェーバー嬢と3年以内に結婚する義務を負うものとします。もし当方にそれが不可能な事情が起こって当方の考えが変わった場合には、先方は当方から毎年300フローリンを受け取るべきものとします。』 

モーツァルトはこんな一筆を書かされたのですが、後見人はこれを書かないと娘との交際は認めない、というのでした。

これもどうも変な話で、父が胡散臭がるのも無理はありません。

しかし、コンスタンツェはこの契約書を母から手に入れ、モーツァルトの目の前で破ったのです。

モーツァルトさん!あなたから保証の書類なんかもらわなくったっていいわ。あなたの言葉をそっくり信じてよ』と、〝この天使のような娘〟は言ったということです。

何だか芝居がかっているような一幕ですが、モーツァルトはこれで、コンスタンツェにいっそうぞっこんになったということです。

父の承諾を待たず、見切り発車の結婚

しかし父はずっと結婚の承諾を与えず、モーツァルトはコンスタンツェの家出事件もあって、父の承諾を待たずに翌年1782年8月4日に、ウィーンのシュテファン大聖堂でつつましい結婚式を挙げました。

式で結ばれた瞬間、新郎新婦は泣き出し、列席者も司祭も涙したということです。

待ちに待った父の承諾書が届いたのは、式が終わってからでした。 

モーツァルトは、言葉にたがわず、妻コンスタンツェをずっと愛しつづけました。

しかし、父との溝は決定的なものになり、気まずい関係は父の死まで改善することはなく、父へのコンプレックスは映画『アマデウスの主題にもなっています。

一方コンスタンツェは、浪費と気ままな行動で、後世から悪妻のレッテルを貼られてしまいました。

モーツァルトの埋葬にも立ち会わなかったせいで、墓がどこにあるか分からなくなってしまったり、夫の楽譜を売り飛ばして散逸させてしまったりと、ファンから見れば散々ですが、彼女がモーツァルトの創作の源泉になったのは間違いないことだと思います。

モーツァルト:『ピアノとヴァイオリンのためのソナタ ヘ長調 K.376 (374d)』

Mozart : Sonata for Pianoforte & Violin in F major, K.376(374d)

演奏: テメヌシュカ・ヴェッセリノーヴァ(フォルテピアノ)、キアラ・バンキーニ(ヴァイオリン)

Temenuschka Vesselinova (Fortepiano) & Chiara Banchini (Violin)

第1楽章 アレグロ

「作品2」の第1曲です。ウィーンでの新生活への希望を託したような屈託のない曲です。当時の貴族は、女性がピアノ、男性がヴァイオリンなど弦楽器を嗜むのが一般的でしたから、娘のピアノに父や兄が、あるいは夫人のピアノに夫がヴァイオリンで合わせるのをイメージして作曲されました。ですから、この曲集ではあくまでもピアノが主役、ヴァイオリンは引き立て役です。レディー・ファーストというわけですね。そんな光景を思い浮かべながら聴くと、格別な味わいです。

第2楽章 アンダンテ

3部形式のロマンスに近い、自由で短い緩徐楽章です。ピアノもヴァイオリンもどこまでも優しく、補い合いながら音を紡いでいきます。ピアノのトリルの上をすべるようにヴァイオリンが歌ったかと思うと、今度は逆になり、ヴァイオリンが音を伸ばす間にピアノが歌うといった楽しい趣向もあります。この趣向は、後のオペラ『コジ・ファン・トゥッテ』の姉妹のデュエットにもみられます。

第3楽章 ロンド:アレグレット・グラティオーソ

ウィーン人好みの行進曲風のテーマのロンドです。このテーマは、最後のオペラ『魔笛』のパパゲーノのアリアも思わせます。中間部の抒情的な旋律も印象的です。最後のコーダでは、エコーのような効果を使い、モーツァルトの意気込みが伝わってくる、凝った楽章です。

モーツァルト:『ピアノとヴァイオリンのためのソナタ ヘ長調 K.377 (374e)』

Mozart : Sonata for Pianoforte & Violin in B flat major, K.377(374e)

第1楽章 アレグロ

「作品2」の第3番です。前曲(K.376)と同じへ長調で、同じ曲集に同じ調性の曲があるのは異例です。6種のお菓子の詰め合わせに、2種だけ同じ味のものがあるような感じですが、曲の性格はかなり違い、前曲の優雅な曲想に対して、元気いっぱいで、非常に力強い曲です。第1楽章冒頭からして、いきなりの3連符の強烈な連続です。そのあとも上昇音型と下降音型を繰り返し、昇ったり、降りたり、めくるめく忙しさです。

第2楽章 アンダンテ

ニ短調のシリアスな変奏曲です。いくぶん抑制されていますが、深い哀愁と感傷にあふれた楽章で、この曲が優雅さよりも内容重視がコンセプトであることがわかります。変奏は6つあり、最後の第6変奏は印象的なシチリアーノですが、悲痛な叫びのようであり、陽気なウィーンの人相手にだいじょうぶ?と少し心配になります。

第3楽章 テンポ・ディ・メヌエット

前の楽章の緊張を解くようなメヌエットですが、決して明るいものではなく、どこか憂愁を秘めています。前の楽章からがらりと気分を変えるものではなく、受け継いだ内容といえると思います。中間の変ロ長調のトリオでは明るい陽が差しますが、浮かれたものではなく、また途切れ途切れの、落ち着いたメヌエットのテンポに戻っていきます。優雅な中に深みをもったこのような音楽は、当時はモーツァルトにしか書けなかったでしょう。

1時間で書いた、20分の曲

モーツァルト:『ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 変ホ長調 K.380(374f)』

Mozart : Sonata for Pianoforte & Violin in F flat major, K.380 (374f)

第1楽章 アレグロ

「作品2」の最後、第6番です。この曲は、モーツァルトザルツブルク大司教と決裂する直前、ウィーンで大司教が滞在した館「ドイッチェハウス」でのコンサートで演奏されました。それを伝えた父宛ての手紙には次のようにあります。

『これを書いているのは夜の11時ですが、きょうぼくたちは発表会を催しました。そこでぼくの曲が3曲演奏されました。もちろん新作です。ブルネッティ(ヴァイオリニスト)のための協奏曲に属するロンドと、ぼくがピアノを弾くヴァイオリン伴奏つきのソナタ、これは昨夜11時から12時までに作曲したのですが、一応仕上げてしまうために、ブルネッティのための伴奏の部分だけ書いて、自分のパートは頭の中に入れておきました。』

演奏するにも20分以上かかるこの曲を、たった1時間で書いたとは信じられません。それも、自分のパートは書く時間がないので暗譜しておいたというのです。いくら作曲者でといっても、信じがたい離れ業です。

そんなやっつけのような作り方なのに、この曲は実に堂々としており、まるでコンチェルトのような華やかさです。まさにウィーンでの第1作であり、その意気込みを示した新作なのです。大胆な転調、意表をつく構成に、ウィーンの聴衆は度肝を抜かれたことでしょう。

第2楽章 アンダンテ・コン・モート

ト短調の哀愁にあふれた曲ですが、不安と希望が交錯する素晴らしい曲です。どこか胸の奥の思い出に触れるような懐かしい趣きのある楽章です。ピアノとヴァイオリンの呼び交わす歌が胸に迫ります。

第3楽章 ロンド:アレグロ

一転、リラックスしたロンドで、8分の6拍子のいわゆる狩りのリズムです。ヴァイオリンに、伴奏を超えた見せ場を作っているのは、協演したブルネッティへの配慮でしょうか。初演のコンサートは大成功で、同じ月に同じ場所で行われたコンサートでは、終演後もモーツァルトは貴婦人たちに帰してもらえず、1時間もピアノを弾き続けなければならなかったのです。モーツァルトが、こここそ俺のいるべき場所、と思ったのも無理はありません。 

 

次回からは、モーツァルトがウィーンでの成功を賭けた野心作で、結婚へのゴタゴタと同時並行で作曲した、若き記念碑というべきオペラ、『後宮からの誘拐』です。

 

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*1:柴田治三郎訳