孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

作曲者自身による、メイキング解説!モーツァルト:オペラ『後宮からの誘拐』あらすじと対訳(3)『オスミンとベルモンテのアリア』

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オスミンはなぜペドリロが嫌い?

モーツアルトオペラ『後宮よりの誘拐』、あらすじと対訳の3回目です。

怪しいよそ者ベルモンテを追っ払った番人オスミンは、嫌な名前を聞いたとばかり、独りペドリロを罵っています。

あいつは太守にうまく取り入ってやがるが、きっと悪だくみを考えている、いずれ尻尾をつかんでやるぞ…と。

オスミンのこの勘は見事に当たっているのですが、それとは別に、彼がペドリロを目の敵にするにはわけがありました。

海賊から一緒に太守に買われたコンスタンツェの侍女、ブロンデをオスミンは気に入っているのです。

オスミンは奴隷頭ですから、ブロンテは太守が自分に下さった奴隷と思っていますが、イギリス人のブロンテは勝気で、オスミンにはなびきません。

しかも、もともとペドリロと付き合っているのですから、なおさらです。

オスミンは、それをペドリロが自分のブロンテにちょっかいを出していると思い、さらに憎み、厄介者扱いしているわけです。

さて、そんなところにペドリロが現れ、オスミンに『ようオスミン、太守はまだお戻りじゃないかい?』と親し気に話しかけます。

太守はコンスタンツェを連れて舟遊びに出かけているのです。

オスミンは『自分で確かめろ』と吐き捨てます。

ペドリロが、なんでそんなに自分を邪険にするんだよ、仲良くしようぜ、と言うと、オスミンはアリアで答えます。

怒りの感情も、人に嫌悪を催させてはならない

前述のように、『後宮よりの誘拐』は、幸運にも父宛の手紙によってモーツァルトがオペラを作曲する〝メイキング・ドキュメント〟がありますので、このオスミンのアリアについてのくだりを引用します。

お手元に差し上げたのは、その始めと終わりだけですが、終わりはきっと効果があがります。オスミンの怒りは、トルコ風の音楽がつけられるために、滑稽になってきます。アリアの展開で、ぼくは(ザルツブルクのミダス王が何と言おうと)青の人の低音をひびかせるようにしました。『だから、預言者のヒゲにかけて』は、テンポは同じでも速い音符ですし、その怒りがつのるにつれて―――アリアがもう終わるかと思うころにー――アレグロ・アッサイがまったく別なテンポと、別な調性になるので、まさに最高の効果を上げるに違いありません。じっさい、人間は、こんなに烈しく怒ったら、秩序も節度も目標もすべて踏み越えて、自分自身が分からなくなります。音楽だって、もう自分が分からなくなるはずです。でも、激情は、烈しくあろうとなかろうと、けっして嫌悪を催すほどに表現させてはなりませんし、音楽は、どんなに恐ろしい場面でも、けっして耳を汚さず、やはり楽しませてくれるもの、つまり、いつでも音楽でありつづけなければなりませんので、ぼくはヘ長調(アリアの調)に無縁な調ではなく、親近性のある調、しかし、ごく近いニ短調ではなくて、もう少し遠いイ短調を選びました。(1781年9月26日 父レオポルト宛)*1

このくだりはとても有名です。ドラマを音楽で表現するオペラにあっては、どんなに激しい感情でも、恐ろしい場面でも、人を楽しませる「音楽」の域を超えてはならない、というのです。

人が怒っているのを見るのは嫌なものです。

職場で上司が誰かを怒っていたら、自分に関係がなくても嫌な気持ちになります。

また我が家でも、リビングにはよく録画したTVドラマが流れていて、家族の誰かが見るともなく見ているのですが、ドラマには誰かが誰かを怒ったり、非難したり、罵ったりしているシーンが多くて、いたたまれない気持ちになることがしばしばです。

自分が好きで見ているドラマならともかく、何の話かも知らないドラマでいきなり家の中に怒号がひびくのは嫌なのです。

何のいざこざも起こらない、穏やか~なドラマなんて視聴率を取れないのでしょうが、みんな争いや諍いが好きなんでしょうかねぇ。

それをモーツァルトは、音楽に載せて、楽しく表現しようとしてくれているのです。

このアリアではオスミンの怒りは三部構成で、だんだんエスカレートしていきます。

そしてペドリロのセリフを挟んで、トルコ風の残酷な処刑をまくし立てて、去っていきます。

処刑方法の残酷さにかけては、ヨーロッパの方がえげつないように思いますが、当時のトルコのイメージだったのですね。

そんな作曲者の狙いを踏まえてお聴きください。

オペラ『後宮からの誘拐』第1幕第3場

W.A.Mozart : Die Entführung aus dem Serail K.384

演奏: ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団

John Eliot Gardiner & The English Baroque Soloists , The Monteverdi Choir

第3曲 オスミンのアリア『お前らのような風来坊は』

 オスミン

お前らのような風来坊のすることは

女の尻を追うことばかり。

悪魔にかけても好きにはなれん。

こいつらのやることといえば、

仕事するふりして隙を窺うことばかり。

だが俺の目はごまかせないぞ。

お前らの悪だくみはお見通しだ。

俺の裏をかこうというなら、相当早起きでもするんだな。

俺にだって分別はあるからな。

だから、預言者のヒゲにかけて、

昼も夜もお前の仕業を見張っているぞ。

せいぜい気を付けるんだな。

ペドリロ(セリフで)

あんたは何てひどいんだ。

これはあんたに何もしていないのに…

オスミン

お前の顔が気にくわない。それでじゅうぶんだ。

まず首を切ってから、吊るし、焼けた棒で串刺しだ。

それから焼いて、縛って、水に漬けて、

最後に皮を剥いでやる!

(宮殿の中に入る)

オペラ『後宮からの誘拐』第1幕第4場

ベルモンテとペドリロの再会

オスミンにさんざん罵られていじけているペドリロのもとに、いったん追い払われたベルモンテが戻ってきて、主従喜びの再会を果たします。

そして、これまでのいきさつを主人に報告するペドリロ。

海賊につかまったものの、運よく太守セリムに3人まとめて買われ、コンスタンツェは太守の特別の恋人になっていること。

ベルモンテは、何だって!?と色めき立ちますが、ペドリロは、太守セリムは異教徒ながら寛容で紳士的であり、無理矢理に女をモノにするような人ではありません、なので自分の知っている限り、ふたりはまだそんな関係ではありません、と安心させます。

でも、自分の恋人ブロンテはオスミンに権力で言い寄られているから、どうなることやら…と心配顔。

沖合に舟を待たせてあるから、と逸るベルモンテを抑え、ペドリロはそんなに簡単にはいきません、と軍師のごとく策略を練ります。

まずは、太守セリムに、ベルモンテを、太守の声望をきいて仕えたいとはるばるたずねてきた建築家として紹介。そして、邪魔なオスミンを何とかして、その隙に連れ出す、という作戦を説明します。

そうこうするうち、太守一行がコンスタンツェを伴って舟遊びから帰還してくる気配がします。

ペドリロは、コンスタンツェ様に会っても、くれぐれも取り乱さないでくださいよ、作戦がパーになりますから、と念を押しますが、ベルモンテはもう、コンスタンツェに会える、ということだけでポーっとなっています。

そして歌うのが次のアリア。

モーツァルトがシュテファニーから台本を受け取って、勢いですぐ作ってしまった3曲のうちの1曲です。

第1幕ではベルモンテのアリアは2曲ありますが、冒頭のアリアはモーツァルトが付け加えた軽いもので、こちらがメインの曲になります。

これにも、同じ手紙にモーツァルトの自身の解説があります。

さて、ベルモンテのアリアは、イ長調です。『ああ、何と心配な、ああ、何と燃えるような』はどう表現されているか、ご存知でしょう。愛に溢れてドキドキする胸も、すでにオクターヴ並行のヴァイオリンで示されています。これは、それを聴いたみんなのお気に入りのアリアです。ぼくも大好きです。そして、アダムベルガー(注:初演歌手)の声にすっかり合わせて書かれています。震えが、よろめきが、そして胸がふくらんで高まるのが、まるで目に見えます。これはクレッシェンドで表されています。ささやきと、ため息が、耳に聞こえます。これは弱音器をつけた第1ヴァイオリンと1本のフルートのユニゾンで表されています。(1781年9月26日 父レオポルト宛)

というわけで、恋する男の純な心のうちが、楽器のオブリガートによって繊細に表現されています。

この手紙を読んでから聴くと、ああなるほど、とよく分かるのです。

第4曲 ベルモンテのアリア『コンスタンツェ、ようやく君に』

 ベルモンテ

コンスタンツェ、ようやく君に会えるのだ。

ああ、何と不安な、

ああ、何と燃えるような、

愛でいっぱいの私の心、激しく鼓動している。

長い別れの苦しみは、再会の涙で報われるのだ。

私はもう、おののき、よろめいている。

私はもう、怖がり、ゆらめいている。

私の胸はふくらみ、高鳴っている!

あれは彼女のささやきだろうか?

心が不安におそれおののく。

あれは彼女のため息だろうか?

燃えるような気持ちに心がときめく。

それは愛の幻か?それとも夢なのか?

純情あふれる素敵なアリアですが、恋に恋しているようなところも無きにしも非ずです。でも、恋は盲目、それさえ恋のなせる業なのです。 

 

次回、太守の一行が屋敷に帰還します。コンスタンツェもそこに…。

 

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*1:柴田治三郎訳