孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

すべてを許す、寛容の徳。モーツァルト:オペラ『後宮からの誘拐』あらすじと対訳(10)『最終幕フィナーレ』

 

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たまたま観客として訪れた劇場で、オーケストラの誤りを指摘するモーツァルト。(1789年『後宮からの誘拐』ベルリン公演)

父と太守の宿怨

モーツァルトオペラ『後宮からの誘拐、あらすじと対訳の10回目です。

最3幕フィナーレ、これで最終回です。

逃走の途中で、番人のオスミンに見つかり、捕まったベルモンテコンスタンツェ、ペドリロブロンデの2組のカップル。

場は転換して太守セリムの部屋になりますが、通常の演出では、捕まった場所にセリムがやってきます。

『オスミン、何の騒ぎだ?』と質すセリムにオスミンは、裏切りです、と得意げに報告します。

『裏切りだと?』

『はい、あなたがお雇いになった建築家が、コンスタンツェ様を誘拐しようとしました。』

『誘拐?すぐに追いかけろ!』

『それに抜かりはありません。もう捕まえました。』

連れてこられたコンスタンツェを、セリムはなじります。

『この女狐め!お前があれほど待ってくれと言ったのは、このことだったのか?私の寛容をお前は悪用しようとしたわけだな。』

『あなたにとっては、私は罪深い女ですわ。でも、この方は私の心を捧げた恋人なのです。どうかお助け下さい。』

『お前は厚かましくも、恋人の命乞いまでするのか?』

『それ以上ですわ。私を代わりに殺してください。』

ここでベルモンテが膝まづき、太守に言上します。

『私はこれまで誰にも膝を屈したことはない。しかし、今はあなたの前に膝まづき、お情けを乞います。私はスペインの名家の出です。どうか私たちに身代金を要求されたい。いかなる額でも結構ですぞ、我が名はロスタドスです。』

これを聞いたセリムの顔色が変わります。

『ロスタドス...?オランの司令官を知っているか?』

『それは私の父です。』

オランは北アフリカ、現アルジェリアにある地中海に面した貿易都市で、スペインとオスマン・トルコが奪い合った、最前線ともいうべき要衝です。

セリムはこれを聞いて呵呵大笑。

彼が語るには、ベルモンテの父は、セリムの仇敵だったのです。

その貪欲な陰謀のせいで、セリムは祖国を追われ、命より愛する女を奪われ、地位も名誉も失ったというのです。

『さて、最悪の敵の息子が我が手中にあるとなったら、その運命はどうなるかな?』

『…それは悲惨なものとなるでしょう…』

『その通り。彼が私にした仕打ちと、同じことをお前にやってやる。オスミン来い、彼らに行う拷問の指示を与える。』

そう言ってセリムとオスミンは退場します。

残されたベルモンテは、もうコンスタンツェの顔も見ることはできません。

悲痛なレチタティーヴォで、絶望の叫びを上げますが、コンスタンツェは気丈にこれに応え、感動的で壮大なデュエットとなります。

オペラ『後宮からの誘拐』第3幕第7場

W.A.Mozart : Die Entführung aus dem Serail K.384

演奏: ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団

John Eliot Gardiner & The English Baroque Soloists , The Monteverdi Choir

第20曲 コンスタンツェとベルモンテの二重唱『なんという運命!なんという苦痛!』 

ソプラノ:ルーガ・オルガノソーヴァ

テノールスタンフォードオルセン

レチタティーヴォ

ベルモンテ

なんという運命!なんという苦痛!

すべてが裏目に出てしまった

ああ、コンスタンツェ

私のせいで君が死んでしまうなんて

なんという苦しみ!

コンスタンツェ

愛しいお方、どうか苦しまないで

死がいったいなんでしょう?

安らぎへの道ですわ

あなたと一緒なら、死は幸せの第一歩です

ベルモンテ

天使よ!なんという優しい心!

君は私の心に慰めを与えてくれる

君は死の苦しみを和らげてくれる

それなのに、私は君を墓場に引きずり込んでしまうのだ!

(二重唱)

ベルモンテ

私のせいで、君が死ぬなんて!

ああコンスタンツェ!

私は君の目を見ることができない

私は君に死をもたらしたのだ

コンスタンツェ

ベルモンテ!

あなたこそ、私のために死ぬのです

私があなたを破滅させてしまうのです

せめて一緒に死んではだめ?

そう命じてくれればうれしいわ

ふたり

気高い心よ、あなたのために生きることこそ

私の願い、私のつとめ

あなたなしでは、この世は苦痛

生きていても仕方がない

コンスタンツェ

私は喜んで全てを耐え忍びますわ

ベルモンテ

心静かに喜んで私は死のう

ふたり

あなたの側にいるのだから

あなたのために、愛する人

喜んで命を捧げよう

ああ、なんという幸せ

愛する人と死んでいくのは

この上ない喜び

幸せいっぱいのまなざしで

この世に別れを告げよう

愛の力で死の恐怖を克服したふたりは、誰にも切り離すことのできない絆で結ばれました。

死を克服して初めて真の夫婦となる、というモチーフは、後年の『魔笛』でもメインテーマとなります。

死後の復活を信じるキリスト教にあっては、愛の絆は死より強い、という真理はさらに説得力があります。

ブロンデとペドリロも連れてこられ、ペドリロは絶望して大いに愚痴をこぼしますが、ブロンデは平然として『誰でも一度は死ぬんでしょ、同じことよ』と覚悟を決めています。

助けに行った男たちが頼りなく、救われる女の方がいざとなれば動じないように描かれています。

ドロットニングホルム宮廷劇場の舞台はこちらです。


W.A. Mozart - R.Croft & A.Winska "Die Entführung aus dem Serail" Welch ein Geschick!

意外な判決

さて、そんなカップルたちの前に、太守セリムが現れ、『判決を待つ気分はどうだ』とからかい気味に声をかけます。

ベルモンテは、『あなたが烈しく怒るほどに私は冷静です。父が行った不正を、どうぞ私で晴らしてください。』と言い放ちます。

これを聞いてセリムは、『不公正なことを望むのは家柄のようだな。お前は早とちりをしている。コンスタンツェを連れて故国に帰り、父に私の行いと言葉を伝えるがよい。悪行に対し悪行で報いるより、善行で報いる方が私ははるかに満足だ、とな。』と告げます。

ベルモンテは『太守、あなたは私をぼうぜんとさせます…』と絶句。

太守は憐れむようなまなざしで『せめて父より立派な人間になってくれ、さすれば私の行いも報われよう』とまさに大人の貫録を見せつけます。

『あなたの気高いお心は存じておりましたが、ただ驚くばかりです…』と言うコンスタンツェには、太守は『何も申すな。ただわしが望むのは、お前が私の心を退けたことを後悔することがないことだ。』と、少し負け惜しみを言います。

さて、ペドリロも、我々にもお情けをいただけるのでしょうか…と申し出ると、太守はこれも承諾。

これを聞いて収まらないのはオスミン。

『俺のブロンデもですかい!?』と太守に詰め寄ると、太守は笑って『わしはお前の目玉を心配しているのだぞ』と諭します。ブロンデが、オスミンの目玉をほじくってやる、と言っていたのを知っていたのです。

オスミンは糞くらえ、と悪態をつきますが、一同は「ヴォードヴィル」を歌って、太守セリムの寛容さと徳を讃えます。

「ヴォードヴィル」は、フランス語の「ヴォワ・ド・ヴィル」つまり〝街の声〟で、巷で歌われる大衆歌謡のようなものを指します。

途中で、オスミンが第1幕のアリアと同じ怒りの歌を差しはさみ、この愛すべきキャラクターは退場していきます。

そして、太守の親衛隊、イェニチェリが太守を讃えるトルコ風の合唱を響かせる中、4人は祖国に向かって出帆していき、大団円のうちに幕が下ります。

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第21曲a ヴォードヴィル『決してお情けは忘れません』 

ベルモンテ

決してお情けは忘れません

永遠の感謝の心で徳を讃えましょう

どこにいても、どんなときも

あなたを偉大で気高い方と呼びましょう

4人

これほどの恩を忘れる者は、軽蔑されるでしょう

コンスタンツェ

愛の喜びに浸りながらも

感謝の心が命じるものは忘れません

愛に捧げられた私の心は

また感謝にも捧げられましょう

4人

これほどの恩を忘れる者は、軽蔑されるでしょう

ペドリロ

この恐ろしさは忘れられません

すんでのところで縛り首になるところでした

あらゆる危険にさらされて

頭が燃えてしまうようでした

4人

これほどの恩を忘れる者は、軽蔑されるでしょう

ブロンデ

太守様、喜びをもって申し上げます

私などに食物や寝床を与えてくださり、感謝いたします

それにも増して、今ここを去るお許しをいただけたことは

心からうれしいことでございます

(オスミンを指して)

なぜって、あのケダモノをご覧ください

どうしてあれに耐えられましょうか

オスミン

人をたぶらかす犬どもは

焼いてしまうに限る

もう見ちゃいられん! 我慢ができん!

あいつらにふさわしい刑罰は

言おうとすると舌ももつれる

まず首を切り、吊るして

焼いた棒で串刺し

火あぶり、そして金縛り

水責めにして、最後は皮を剥ぐ

(怒り狂って退場)

4人

復讐ほど醜いものはない

それに比べて、人間らしく、大きな心で

私情を捨てて許すのは

偉大な心だけにできること

この尊さを理解できない者は、軽蔑に値する!

第21曲b トルコ兵たちの合唱

偉大なる太守よ、永遠に万歳!

その国に栄えあれ

その恵み深いこうべに光あれ

歓呼にあふれ、名誉に満ちて

(幕)

映画『アマデウス』での終幕場面です。ノリノリなモーツァルトの指揮と、仏頂面のサリエリの表情が最高です。


Wolfgang Amadeus Mozart's Turkish Finale

寛容の徳

太守セリムの寛大な心を讃えて幕となりますが、これは、啓蒙専制君主ヨーゼフ2世を讃える意味があります。

人の理性に光を見出した啓蒙思想はこの時代の最先端の価値観であり、ヨーゼフ2世も、自らの政策の理念の第一に掲げたのが「寛容」でした。

宗教による差別を無くし、農奴を解放し、人々に自由を与える政策は、先進的ではありましたが、急進に過ぎ、結局は頓挫してしまいますが。

やはり啓蒙的ではあっても〝専制君主〟の限界があり、上からの一方的な改革には誰もついていかなかったのです。

君主に寛容な徳が備わっていることは、誰もが望んでいることでしたが、政治は太陽だけではうまくいかず、時には北風も必要なのも現実です。

しかし日常生活では〝寛容の徳〟を持った方がうまくいくような気がします。

太守セリム万歳!

モーツァルト生前最大のヒット作

このオペラの初演1782年7月16日に、ウィーンブルク劇場にて、皇帝ヨーゼフ2世臨席のもと行われました。

モーツァルトは初演の様子を父レオポルトに書き送っているはずですが、その手紙は失われています。

しかし、次の便には、2回目の上演の様子が書かれています。

大好きなお父さん!ぼくのオペラが好評だったことをお知らせした前便を、確かにお受け取りのことと存じます。昨日、2度目の上演が行われたのですが、昨日は最初の晩以上にひどい陰謀がめぐらされていたなんて、ご想像できますか?第1幕は終始まぜっかえされましたが、それでもアリアのあいだに大声で叫ばれるブラヴォーまでは邪魔することはできませんでした。それでぼくは終曲の3重唱(注:第1幕の終曲)に望みをかけていたのですが、運悪くフィッシャー(注:オスミン役)がしくじり、そのためダウアー(注:ペドリロ役)もとちり、アダムベルガー(注:ベルモンテ役)一人で全てを埋め合わせることもできず、そのため効果がすっかり失われ、この度はアンコールをされませんでした。ぼくは、アダムベルガーと同様、我を忘れるほど腹が立って、今度は(歌手のために)前もってもう少し下稽古をしないうちは、オペラを上演させない、と言いました。第2幕では、2つの二重唱が初日と同様、それにベルモンテのロンド『喜びの涙が流れるとき』がアンコールされました。劇場は初日の時以上に大入りなくらいでした。前日には、平土間の上席も3階も仕切り席は売り切れ、ボックスも、もうなくなりました。劇場はこの2日で1200フローリンの売り上げがありました。(父宛 1782年7月20日付)*1

上演につきものの〝陰謀〟とは、ここではオペラを妨害するヤジやブーイングのことなのですが、皇帝が臨席しているのに、今の常識では考えられません。

上演そのものも、陰謀のせいで延び延びにされていたのを、ヨーゼフ2世の鶴の一声でようやく上演にこぎつけられたのですが、陰謀にも寛容だったのでしょうか。

映画『アマデウス』でも、サリエリや宮廷楽長ボンノといった、イタリア勢が妨害したことになっています。

また、このオペラは、ウィーンで16回も上演されたあと、翌年にはプラハライプツィヒなどドイツ語圏各地で上演され、モーツァルト生前で一番のヒット作となりました。

後年、1789年にベルリンを訪れた際、たまたま劇場で『後宮からの誘拐』が上演されており、それを聴いていたところ、オーケストラの第2ヴァイオリンがしっかり音を出さないのに業を煮やし、オケ・ピットに駆け寄ってヴァイオリニストに『ちゃんとDを出してください!』と注意しました。すると、それで作曲者が来ていることが伝わり、劇場全体が興奮に包まれた、というエピソードが記録されています。

モーツァルトは晩年不人気で、貧窮のうちに没した、とされていますが、このオペラはその間も愛され続けていたのです。

まぶしい青春の光のようなこのオペラを私も愛してやみません。


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*1:柴田治三郎訳