孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

ほんとに4日で書いたの!?モーツァルト『交響曲 第36番 ハ長調 K.425〝リンツ〟』と、永久欠番の『交響曲 第37番』

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オーストリアリンツの街

最後の帰郷を終えて

3年ぶりにウィーンから故郷ザルツブルクに帰郷した新婚のモーツァルト夫妻。

生まれたばかりの赤ちゃんを残してのハネムーンでしたが、滞在は3ヵ月に及びました。

結婚に猛反対していた父レオポルト姉ナンネルと、どれだけ和解できたのか分かりませんが、衝突した形跡もありません。

モーツァルトの日常が分かるのは主に父宛の手紙ですが、当然滞在中は手紙は書かないので、姉ナンネルの日記が頼りです。

しかし、それも淡々としたもので、日が間違っていたりして、十分なものとはいえません。もちろん、書いてくれていてよかったですが。

故郷に錦を飾るべく作曲した『ハ短調ミサ』の演奏の翌日、10月27日に夫妻はザルツブルクを後にします。

当日のナンネルの日記です。

27日。チェッカレッリ、ヴェークシャイダー、ハーゲナウアーが訪ねてくる。ヴァレスコも。9時半、弟と義妹出発。午後、パパと私、グレートゥル、アンリで、グニーグルで鳥を食べる。ボローニャも同行。芝居に行く。お天気。

朝、何人かの友人が訪ねて来て、モーツァルトを見送ったのでしょう。

ヴァレスコザルツブルクの司祭であり台本作家で、かつてミュンヘンで上演したオペラ『クレタの王イドメネオ』の台本を書きました。

後宮からの誘拐』の次作を、ヴァレスコに台本を書いてもらえないか、というのも今回のザルツブルク旅行の目的でもありました。

皇帝ヨーゼフ2世の意向を受け、『後宮』によってドイツ語オペラ「ジングシュピール」の価値を高めたモーツァルトでしたが、ウィーン聴衆の興味は早くもイタリアオペラに戻ってしまっていました。

そこで、ヴァレスコとザルツブルクで打ち合わせしたのですが、書き始められたオペラ『カイロの鵞鳥』は、結局、第1幕を作ったところで未完に終わりました。

ヴァレスコの創作した劇の筋が第2幕で破綻し、彼は台本を完成させることができなかったのです。

今でも、ドラマの収録途中で筋を変えることもあるようですが、これはどうしようもなく、打ち切りになってしまったわけです。

次に作曲を始めた『だまされた花嫁』も未完に終わり、イタリア・オペラの完成は『フィガロの結婚』を待たなければなりません。

リンツへの寄り道

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リンツの広場

そんなわけで、いろいろあった末、ザルツブルクを後にしたモーツァルト

父は後にウィーンに来て再会しますが、姉ナンネルとはこれが永遠の別れとなりました。

ウィーンに帰る途中、夫妻はリンツの街に立ち寄ります。

リンツは、ウィーンとザルツブルクの間に位置し、今のオーストリアでもウィーン、グラーツに次ぐ第3の都市です。

そこで、熱狂的なモーツァルトファン、トゥーン・ホーエンシュタイン伯爵に歓待されます。

結局、夫妻はリンツに3、4週間寄り道で滞在したようです。

リンツに着いたのは10月31日。

無事到着したことを、同日に父に知らせた手紙にこうあります。

11月4日の火曜日に、ぼくは当地の劇場で音楽会をします。それに交響曲を1曲も持ち合わせていないので、大急ぎで新作を書いていますが、これはその時までに仕上げなければなりません。

こうして出来たシンフォニーが『交響曲 第36番 ハ長調 K.425〝リンツ』です。

後期6大シンフォニーのひとつで、とても人気のある傑作です。

モーツァルトのシンフォニーで、街の名前が愛称になっているのは〝パリ〟〝リンツ〟〝プラハ〟の3曲です。

〝4日で作曲〟の謎

それにしても、到着したのが10月31日。演奏会が11月4日。

作曲するのに、中3日しかありません!

到着日に着手してるということですから、4日間。

リハーサルは当時の慣習ではほとんどなく、オーケストラは初見で演ったでしょうから、リハの時間は無くていいとしても、コピー機のない時代。演奏会は夜でも、当日は写譜しないと間に合わないはず。

シンフォニーの前作、第35番〝ハフナー〟は、超多忙の中、父にせっつかれ、書き飛ばして出来た楽章から送りつけたのですが、後日ゆっくりその曲を見返して、なんて素晴らしい曲なんだ!と自分でびっくりしたエピソードはすでにご紹介しました。

また、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』の序曲を、初演前夜に寝落ちして書けず、明け方3時間くらいで完成させた、という有名な逸話もあります。

このように速筆の伝説の多いモーツァルトですが、この4楽章ある堂々たる傑作を、たったの3、4日で、というのは最短記録です。

モーツァルトは頭の中ですでに曲を完成させており、楽譜に書き起こすだけだった、という話もありますが、それにしたって、書くだけでも大変な量の音符です。

幻の〝第37番シンフォニー〟

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ミヒャエル・ハイドン(1737-1806)

モーツァルトには、ここリンツで作ったといわれる、もう1曲のシンフォニーがありました。

それが『交響曲 第37番 ト長調 K.444』です。

モーツァルトの死後、妻コンスタンツェが所有する楽譜の山から出てきたもので、19世紀の間はモーツァルトの作品とされて、通番の『第37番』がふられました。

しかし20世紀初めに、筆跡鑑定などから、この曲は第1楽章の序奏部分だけがモーツァルトの作で、それ以外は、前回ご紹介したハイドンの弟、ミヒャエル・ハイドンの作品であることが判明したのです。

でも「第37番」を削除したら、これ以降の3大シンフォニーの番号まで繰り下げねばならず、すでに定着した「第40番」が「第39番」になったりしたら混乱するので、「第37番は欠番」ということになりました。

そして、4日間で作曲したというシンフォニーも、〝リンツ〟ではなく、この序奏だけだったら可能、ということになり、いくらなんでもそりゃそうだよね、ということでいったんは落ち着きました。

やっぱり4日で作曲していた!!

しかし、近年の研究で、それがまたくつがえります!

楽譜の紙質やインクの科学的分析が進み、M.ハイドンのシンフォニーにつけた序奏は、ウィーンに戻ってから書かれたことが判明したのです。

ウィーン帰還後のモーツァルトは演奏会でひっぱりだこになり、コンサートの前後で演奏するシンフォニーが足りなくなりました。

モーツァルトの手紙には『M.ハイドンのシンフォニーの海賊版楽譜を手に入れたので、それで間に合わせた』という記述もあるのです。

結局、リンツで数日で作曲したシンフォニーは、やっぱり〝リンツのシンフォニー〟だった、ということが有力になりました。

やはり、モーツァルトは常識では考えられない天才、ということになったのです。

そんな思いを馳せながら〝やっつけ〟で作ったとはとても信じられない、この素敵な曲をぜひ味わってみてください。

私はリンツに行ったことはまだないのですが、かつてウィーンからザルツブルクに向かう途中、高速道路から遠くにリンツの街を眺め、頭の中でこの曲を響かせました。

モーツァルトの滞在した館も残されているということなので、ぜひ一度訪ねたい街です。

モーツァルト交響曲 第36番 ハ長調 K.425〝リンツ〟』 

W.A.Mozart : Symphony no.36 in C major, K.425  “Linz”

演奏:クリストファー・ホグウッド指揮 アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(コンサートマスター:ヤープ・シュレーダー

Christopher Hogwood, Jaap Schröder & The Academy of Ancient Music

第1楽章 アダージョアレグロ・スピリトーソ

フルートもクラリネットもない小編成ですが、それはリンツのオーケストラ事情だったのでしょう。でも、トランペットとティンパニが入っているので、響きは華やかです。

特にこの演奏ではトランペットの活躍が強調されています。

モーツァルトのシンフォニーで初めて、ハイドン風の序奏がつけられています。

重い付点リズムですが、後の〝プラハ〟や第39番ほど荘重ではなく、いくぶん軽いテイストです。

しかし、オーボエのただよわす哀感が深みを感じさせます。

続くアレグロは、弦が静かに奏でる魅力的なフレーズから始まり、ほどなく〝元気に〟と書かれてある通り、晴れやかで軽快なマーチ風なテーマに入っていきます。

わくわくするようなクレッシェンド、各楽器に次々に受け渡されるテーマの模倣、まさに手に汗をにぎるような進行です。

展開部では、オーボエがシリアスな音色を奏で、ひとときの落ち着きを経て、再び明朗な晴天のもとに還っていきます。

まるで、森の中でドワーフたちが無邪気に踊るかのような、屈託のない、天真爛漫な音楽です。

第2楽章 アンダンテ

前回取り上げた、ミヒャエル・ハイドンのために代作したヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲の2曲目、変ロ長調 K.424の第2楽章に似たメロディで、この曲がザルツブルク旅行の一連の流れの中で出来たことを示しています。

ヘ長調で、しかもゆっくりした緩徐楽章にトランペットとティンパニが加えられているのは極めて異例です。

ヨーゼフ・ハイドンの〝びっくりシンフォニー〟のアンダンテを思わせ、意表をつかれますが、驚かせるほどではなく、気の利いたアクセントになっています。

第1ヴァイオリンが歌う旋律は優雅の極みで、展開部では憂いの影が忍び寄りますが、あまり深刻にはならず、美しい一幅の叙景画に仕上がっています。

第3楽章 メヌエット

古式ゆかしい、端正で貴族的なメヌエットです。

トリオでは、オーボエファゴットがカノンを使って呼び交わします。

第4楽章 プレスト

モーツァルトが〝プレスト(速く)〟と書いたら本気です。笑

スピード感あふれるこの楽章は〝旅の途中で書いたから、駅馬車が快走しているイメージになった〟とか〝急いで書いたから、息つく暇もない曲になった〟などと、色々言われています。

それはともかく、まさに馬が疾走しているかのように爽快です。

第1主題は先輩ハイドンの影響を受け、ひとつのテーマが広がっていきますが、第2主題ではその枠を飛び出して、変幻自在、自由に飛翔していきます。

それはまるで、風に吹かれた落ち葉が、夕陽を浴びながら舞うかのようです。

うらを見せ 表を見せて 散るもみぢ ー良寛

展開部では、テーマの転回と模倣が、本当に息つく暇もなく繰り出され、聴く人を圧倒します。

何度聴いても飽きない、素晴らしいフィナーレです。

顔を紅潮させたトゥーン伯爵の喝采が聞えるようです。

 

古今の人気曲

この〝リンツのシンフォニー〟は、ウィーンに帰ってからのコンサートでも何度も演奏され、また父にも送られてザルツブルクでも演奏された記録があります。

モーツァルトの生前に各地で演奏された人気曲で、ピアノ編曲版も大いに売れたということです。

ここでは古楽器の演奏を取り上げていますが、このシンフォニーは古今の名曲ですので〝巨匠〟たちの名演も数多くあります。

中でも、カルロス・クライバー(1930-2004)がウィーン・フィルを振った映像は、その優雅の極致というべき流麗な指揮ぶりに魅了されます。

1982年の〝テレーズ事件〟(ウィーン・フィルのリハーサル中、ベートーヴェンの第4シンフォニーの第2楽章で『そこは〝マリー、マリー〟じゃない、〝テレーズ、テレーズ〟だ!』と指示を出したが、オケは〝マリー、マリー〟としか演奏できず、クライバーは怒って指揮棒を折って出て行き、定期演奏会をキャンセルし、ウィーン・フィルと絶交した事件。最近ジュリーも同じようなことをしましたが…)のあと、1988年に和解した〝仲直り公演〟の映像です。

このような演奏風景はモーツァルトの時代にはありませんでしたが、近代のもたらした新たな愉しみがあります。

それは、コンサートは演奏者が観客を楽しませる目的で開かれるわけですが、逆に、演奏者が楽しんでいる姿を観て、味わうことです。

この映像の醍醐味は、クライバーが聴衆など関係なく、〝リンツ〟を全身で楽しみ、堪能している姿を観ることなのです。


Mozart Symphony No 36 in C major KV 425 ”Linz”

モーツァルトとミヒャエル・ハイドンの合作

では、モーツァルトが序奏をつけた『交響曲 第37番 ト長調 K.444(425a)』、実はミヒャエル・ハイドンの『交響曲 第25番 ト長調 Perger No.16』も聴いてみましょう。

モーツァルト交響曲 第37番 ト長調 K.444(425a)(序奏のみ)』/ミヒャエル・ハイドン交響曲 ト長調 Perger No.16』

W.A.Mozart : Symphony no.37 in G major, K.444(425a)/M.Haydn : Symphony in G major , Perger no.16

演奏:クリストファー・ホグウッド指揮 アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(コンサートマスター:ヤープ・シュレーダー

第1楽章 アダージョ・マエストーソーアレグロ・コン・スピリート

モーツァルトの序奏は、〝ハフナー・シンフォニー〟を思わせる、ユニゾンの跳躍で始まりますが、〝マエストーソ〟と書かれているように荘重な雰囲気があります。

しかし、ほどなく明るい調子になり、少しそぐわない感じもしますが、それは、続くM.ハイドンの曲の明るさに合わせたのでしょう。

ハイドンアレグロは屈託のない、明朗そのものの音楽で、確かにこの時期のモーツァルトにあるような深みはありませんが、モーツァルトが若い頃、ザルツブルク時代に書いた多くのシンフォニーにそっくりです。

19世紀の人がこの曲をモーツァルトのものと信じ込んでいたのも無理はありません。

逆にモーツァルトが若き日に、どれだけ先輩M.ハイドンの影響を受けたか、ということを思い知ります。

それはもしかしたら、兄J.ハイドンからのものよりも大きかったかもしれません。

第2楽章 アンダンテ・ソステヌート

抒情豊かなこの楽章も、ザルツブルクの若き日を思わせます。

中間部でファゴットが奏でる哀愁ある旋律と、弦の絡み合いは感動的です。

後半にオーボエが登場して奏でる歌も素晴らしく、こうした詩情はモーツァルトの専売特許ではなかったのです。

まさにミヒャエル・ハイドンは一流の作曲家でした。

メヌエットはなく、イタリア風に3楽章になっています。

第3楽章 フィナーレ:アレグロモルト

ユーモラスで素朴なテーマは、さすがにモーツァルトっぽくないですが、主題の展開はモーツァルト並み、いやむしろモーツァルトハイドン兄弟の真似をしたのだ、ということを実感します。

悲しみを乗り越えて

3ヵ月ぶりにウィーンに戻ったモーツァルト夫妻を待っていたのは、乳母に預けてあった最初の赤ちゃん、ライムント・レオポルトが生後わずか2ヵ月で腸閉塞で亡くなっていた、という悲しい報告でした。

ふたりの悲しみは記録には残っていませんが、察するに余りあります。

しかし、夫妻はこの不幸も乗り越えて、再びウィーンでの忙しい日々に突入していきます。

そして生み出されるのは、『フィガロの結婚』をはじめとした不朽の名曲の数々。

モーツァルトの結婚をめぐる曲を聴いてきましたが、喜びと悲しみを共にする生涯の伴侶を得てから、その作品はますます深みを増していくのです。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

 

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