孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

ポンパドゥール夫人、『オペラ座の演目はラモーだけよ!』とご決定。ラモー:英雄的牧歌劇『ナイス、平和のためのオペラ』~ベルばら音楽(35)

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ブーシェ『ポンパドゥール侯爵夫人』

ラモーの音楽にハマったポンパドゥール夫人

次々と名作オペラを作りだすラモーは、その度に賛否両論を巻き起こしながらも、その国民的支持は不動のものとなっていきました。

当時、政治にあまり関心のなかった国王ルイ15世に代わり、フランスの〝影の支配者〟として君臨していた、国王の寵姫ポンパドゥール夫人は、オペラ座で上演される演目の監督権も持っていましたが、1745年には『今後2年間はオペラ座ではラモーの音楽しか上演しない』と決定しました。

ポンパドゥール夫人はラモーの音楽の魅力にすっかり取りつかれ、そのあまりの肩入れぶりは大いに物議を醸し、ラモーの反対派は陰で不平を漏らしましたが、その絶大な権力に逆らえる人はいませんでした。

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ラモーがフランスの音楽界を征服したことを表した風刺画『ラモーの勝利』。戦いに勝った将軍のようにラモーが凱旋車に乗ってパレード。

〝国王の愛人〟という公職

太陽王ルイ14世の話で触れたように、キリスト教では一夫多妻制は認められていませんでしたが、王が正式な王妃のほかに愛人を持ったのはよくあることでした。

しかしフランスでは、興味深いことに国王の愛人は「公職」でした。

定員はひとりで、その生活に関わる費用は宮廷費から支出され、正式なお披露目の儀式があり、王妃に次ぐ存在として公式の場には必ず出席しました。

公妾」と訳されますが、日陰の存在どころか、逆に社交界の女王として君臨したのです。

ルイ14世のルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールのように、控えめな性格の人もいましたが、あまたの女たちがその地位を狙い、自分が影響力を行使できる女性を送り込もうとする貴族たちの思惑が交錯し、謀略と陰謀が渦巻きました。

ひとたびその地位を得たら、絶大な権力を堂々と行使できるのです。

ルイ15世のように優柔不断で言いなりになりやすい国王であればなおさらでした。

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ルイ15世(1710-1774)

女性活躍の鑑、ポンパドゥール夫人

ポンパドゥール侯爵夫人(1721-1764)は、本名をジャンヌ=アントワネット・ポワソンといい、ブルジョワ階級の銀行家の娘として生まれますが、平民出身でした。

しかし、幼い頃から才気あふれ、音楽、美術、演劇に親しみ、語学も数か国語を習得しました。

徴税請負人ルノルマン・デティオールと結婚しますが、裕福な夫の城館にはヴォルテールモンテスキューなど、高名な啓蒙思想家や文人、芸術家が出入りしていました。

やがて国王の目に留まり、1745年に正式に公妾としてヴェルサイユ宮殿に迎えられ、ポンパドゥール侯爵夫人の称号と領地を与えられます。

夫は別居させられますが、既婚者でなければ公妾にはなれなかったのです。

ポンパドゥール夫人はラモーを支持したように、芸術に造詣が深く、文化・芸術の振興に尽力しました。

絵画ではブーシェがお気に入りで、焼き物では王立セーブル磁器工場の設立に尽力、また伝統にとらわれない知識の集大成として、ディドロダランベールらの『百科全書』の刊行も助成しました。

装飾においては、優美なロココ芸術を花開かせ、フランス文化の爛熟期を現出したのです。

ポンパドゥール夫人の有名な言葉は『私の時代がきた』ですが、ルイ15世に『余のあとには大洪水がくるだろう(あとは野となれ山となれ)』と言わせたのも彼女です。

フランス革命を引き起こしたのは『パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない』のマリー・アントワネットのせいにされていますが、破滅の遠因はルイ15世とポンパドゥール夫人の時代に見出されます。

ポンパドゥール夫人は、体はあまり強くなかったので、30歳頃には王の夜の相手は退きました。

好色で、ありあまる精力の持ち主だったルイ15世のために、『鹿の園』という王専用の娼館を設置し、その運営にあたりました。

町から若く美しい少女を探してきて王の相手をさせたのですが、その一人がブーシェの絵で有名なマリー=ルイーズ・オミュルフィです。

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ブーシェ『ソファに横たわる裸婦(金髪のオダリスク)』

ポンパドゥール夫人は、鹿の園での務めを終えた女性には、良縁を紹介したり、年金を支給したりと面倒を見ました。

それは、自分の公妾の地位を奪う者を防ぐとともに、若い乙女を提供することで王を梅毒から守る目的もあったのです。

その努力の甲斐あって、ポンパドゥール夫人は、王と性的関係がなくなってからも、王の補佐役、助言者としての地位を保ちつづけ、大臣の任免権を持ち、フランスの政治、外交を主導しました。

しかしこれを〝愛妾のくせに政治に口を出して国を誤らせた〟などと断罪するのは早計です。

彼女は理想に燃え、深い教養と見識、多岐にわたる才能、広い視野をもち、バイタリティーにあふれていました。

大国を領導していくなんて、誰にでもできることではありません。まさに、偉大なる女性だったといえます。

それを〝女の武器を使って成り上がった〟などと言っていては、歴史上の女性の活躍を正しく評価できません。

男性のしでかした失敗の方が、歴史上はるかに多いのですから。

多忙を極めた彼女は、やがて健康を害し、王族以外では死ぬことが許されないヴェルサイユ宮殿において、42年の生涯を閉じます。

戦争終結記念オペラ

このように王妃に次ぐ存在として、時には王妃以上の権力をふるった公妾ですが、子が産まれても、王位継承権はもとより、王族としても認められませんでした。

王位を継ぐのはあくまでも正式な王妃の子に限られています。

ヨーロッパでは、日本の皇室とは違って女系継承が認められていましたから、男子がいない場合は、他国に嫁いだ王女が生んだ子に継承権が発生することになります。

しかし、いわば他国の子が王になるわけですから、これはこれで戦争のもとになりました。

この問題が、1740年、フランス・ブルボン家の最大のライバル、オーストリアハプスブルク家で起こります。

ハプスブルク家神聖ローマ皇帝カール6世(1685-1740)は男子に恵まれませんでした。

皇帝には男性でなければなれないため、娘のマリア・テレジア(1717-1780)にハプスブルク家の所領を相続させ、夫のトスカーナ大公(元ロレーヌ大公)フランツ・シュテファン(1708-1765)を皇帝に即位させるよう遺言して亡くなりました。

しかし、ルイ15世の宮廷は、これをハプスブルク家を弱体化させる好機として認めず、プロイセン、スペイン、バイエルンを味方にして戦争を仕掛けました。

これがオーストリア継承戦争(1740-1748)です。

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マリア・テレジア(1717-1780)

女傑マリア・テレジアはフランスと仲の悪い英国、オランダを味方にして受けて立ちます。

全ヨーロッパを巻き込んだ大戦争になりましたが、結果としては、マリア・テレジアはいくつかの領土を失ったものの、夫の帝位を確保し、1748年のアーヘンの和約で戦争は終結しました。

マリア・テレジアはよく〝女帝〟といわれますが、正確には皇帝であったのは夫であり、オーストリア大公兼ハンガリー王、ボヘミア王、というのが彼女の正式な地位です。

ともあれ、ルイ15世のフランスは、何も得るものなく戦争終結を迎えたのです。

しかし、国民に対しては〝偉大なる勝利〟と宣伝しなければなりません。

そこでフランス政府は、ラモーに戦争終結記念のオペラの制作、上演を依頼しました。

そして出来たのが、今回取り上げる英雄的牧歌劇(パストラル・エロイック)『ナイス、平和のためのオペラ』です。

ちなみに、英国でアーヘン和約記念の音楽を依頼されたのは、ヘンデルでした。

そして作曲、演奏されたのが有名な『王宮の花火の音楽』です。

〝痛み分け〟の戦争が終わった喜びを、海峡をはさんで、英国ではヘンデルフランスではラモーの音楽で祝い、お互いに〝勝った!勝った!〟とやっていたわけです。

天界大戦争になぞらえたオペラ

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打ち負かされる巨人族(タイタン)

このオペラの主題は、海の神ポセイドン(ネプチューン )が、ニンフ(妖精)のナイスに恋した物語ですが、そのプロローグでは、ギリシャ神話にある天界大戦争が描かれています。

ゼウスが率いるオリュンポスの神々は、前世代の神であるクロノス率いる巨人族(タイタン)から王権を奪ったのですが、その巨人族が巻き返しを図って、ゼウスたちが陣取るオリュンポス山に攻めてきます。

不死の神同士の戦いですから、決着はなかなかつかず、戦争は10年に及び、ティタノマキア」と呼ばれます。

最終段階で、ゼウスは地下深くに巨人族によって幽閉されていた一つ目巨人のキュクロプスたちを解放するのですが、感謝したキュクロプスたちは、必勝の武器としてゼウスに雷を、ポセイドンに三叉鉾を、ハデスに隠れ帽を提供し、それでゼウスたちは巨人族に勝利します。

特にゼウスの放つ雷光の威力は圧倒的で、天界は崩れ落ち、巨人族の目を焼いて視力を奪いました。

巨人族たちは冥界よりさらに深淵にあるタルタロスに封じ込められ、オリュンポス側の勝利となります。

そして、ゼウスは天界と地上を、ポセイドンは海を、ハデスは冥界を分担して統治することになり、世界に平和がもたらされます。

ラモーのこのオペラのプロローグでは、その天界大戦争が描かれますが、それはオーストリア継承戦争を指しているのです。

そして勝利者として諸国の争いを収めたゼウス(ジュピテル)は、言うまでもなくフランス国王ルイ15世に擬せられています。

フランス国民たちは、労多くして得るものの無かったこの戦争を冷ややかにみていましたが、ラモーの音楽は音楽として楽しんだのです。

今回はこのオペラのうち、序幕のプロローグだけ取り上げます。

ラモー:英雄的牧歌劇『ナイス、平和のためのオペラ』

Jean-Philippe Rameau:Naïs, opéra pour la Paix

演奏:ジェルジュ・ヴァシェジ指揮 オルフェオ管弦楽団パーセル合唱団

Gyorgy Vashegyi & Orfeo Orchestra , Purcell Choir

プロローグ『神々の合意』

序曲

この曲にはフランス風序曲の冒頭のゆっくりした部分はなく、いきなり速いパッセージで始まりますが、これは巨人族たちの激しい攻撃を表わしているのです。

台本には「侵略者たちの叫びと荒々しい動き」と書かれています。

その通り、トランペットが鳴り響き、緊迫した戦いの様子が手に汗をにぎるように描写されています。

タイタンたちと巨人たちの合唱

合唱

天界を攻撃するのだ

雷に立ち向かうのだ

地上の主たちよ、神々を引きずり下ろすのだ

序曲が途切れることなく続き、タイタンたちの攻撃のシーンとなります。タイタンたちは山を積み上げ、天に登ろうとします。彼らを率いているのは、不和の女神と、戦の女神。天上にはゼウスがいて、雷を投げ落とそうとしています。 

ゼウスは、何とか血を流さずに戦いを終えられないか、と嘆きますが、状況はそんな悠長なものではありません。

天界の神々の合唱

合唱

投げよ、稲妻を投げよ

雷を落とせ、野望に満ちた敵どもを蹴散らせ

彼らが灰燼に帰しますように

彼らがあなたの一撃に屈しますように

投げよ、稲妻を投げよ

オリュンポスの神々に促されて、やむなくゼウスはタイタンたちと巨人族に雷を投げつけます。舞台は火に包まれ、雷鳴が轟き、稲妻が光り、タイタンたちが積み上げていた山を崩し、タイタンたちを押しつぶして奈落の底に落とします。

そして、戦いは終わり、ハデスは不和の女神と戦いの女神を捕えて鎖につなぎます。

勝利者ゼウスは、ポセイドンに海を、ハデスに冥界を統治するよう命じ、ハデスは女神たちを手下として冥界に連れて行きます。

空中にはゼウス、天界の神々、地上には花と春と豊穣を司る女神、フローラが現れ、平和を寿ぎます。

舞台には諸国民の民が集い、平和の祭典が始まります。

フローラのエール

フローラ

ああ!平和の女神はなんとたくさんの甘美を約束しているのでしょう

静けさがフローラの王国にゆきわたり

喜びがみんなの心に広がるでしょう

涙はなくなり、甘美な春が私たちに戻ってくるわ

毎朝、夜明けとともに

花と同じ数の愛が生まれることでしょう

生き生きとしたガヴォット

フローラの歌に続き、その従者であるニンフとゼフィロス(西風)たちが踊り、足元には花々や草が生え、戦争がもたらした荒廃からの復興を表わしています。

ニンフとゼフィロスのふたつのリゴドン

ガヴォットに続き、タンバリンの響きも楽しく、平和を祝う喜びのダンスがくり広げられます。

地上の神々と民の合唱

合唱

幸福なる勝利者よ、天、大地、海が

その幸せを手にしたのはあなたの栄光に満ちた配慮のおかげです

神々の合意は、世界に平和を与える

ゼウスの適切な采配によって、世界に平和がもたらされました。

神々の合意、それこそアーヘンの和約における王たちの合意になぞらえられ、その主宰者ゼウスがルイ15世とされているわけです。

王のメンツと気まぐれで始まり、多くの犠牲を払ったわりにはまるで得るものがなかった戦争でしたが、政府からの依頼ですから、ラモーも王を讃えたオペラを一生懸命作りしました。

しかし、純粋に平和を喜び、二度と戦争が起こらないように、という思いは音楽から伝わってくるのです。

3枚のペチコート作戦

さて、オーストリア継承戦争を戦い抜き、フランスの野望を打ち砕いたマリア・テレジアですが、この戦争で失ったものがありました。

それは、新興国プロイセンフリードリヒ2世に、豊かなシュレージェン(シレジア)地方を奪われたことです。

人が困っているときに火事場泥棒のように自国の利権を拡張したフリードリヒ2世をマリア・テレジアは絶対許さず、いつか取り返してやる、と復讐を誓っていました。

軍国主義プロイセンの勃興は、オーストリアの大きな脅威ともなっていました。

フリードリヒ2世はその功績で大王、と讃えられており、大バッハの息子、カール・フィリップエマヌエル・バッハが仕えたことでも有名です。

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マリア・テレジアはひそかに、フランスを牛耳っていたポンパドゥール夫人に連絡を取り、宿敵ブルボン家と同盟を結ぶことに成功しました。

ハプスブルク家ブルボン家が手を結ぶ、ということは、両家の対立がこれまでの世界史を紡いできたのですから、まさに驚天動地の出来事であり、「外交革命」と呼ばれています。

マリア・テレジアはさらにロシアのエリザヴェータ女帝とも手を結び、プロイセン包囲網の結成に成功しました。

たまたま、この時期の大国の指導者が3人とも女性だったので、女同士、メンツや過去や常識にとらわれない、実利的な判断ができたといわれています。

これは男たちから〝3枚のペティコート作戦〟と揶揄されました。

ペティコートは当時はいわゆるスカートのことを指します。

これを察知したフリードリヒ2世は、機先を制して先制攻撃に踏み切り、七年戦争が始まります。

ヨーロッパは再び戦火に見舞われたわけです。

一時期は、3人の女性同盟によって、フリードリヒ2世は絶体絶命のピンチに追い込まれますが、皮肉にも彼女らの後継者の男たちは、英雄フリードリヒ2世に憧れていました。

ロシアでは、戦争中に亡くなったエリザヴェータ女帝の後を継いだピョートル3世がフリードリヒ2世と単独講和してしまい、プロイセンはギリギリのところで起死回生を果たします。

マリア・テレジアの息子で、共同統治者であった、モーツァルトびいきのヨーゼフ2世も、親の心子知らずで、さんざん母を苦しめたフルードリヒ2世と友好関係を築こうとし、親子の亀裂を深めました。

その結果、19世紀のドイツ統一では、オーストリアは締め出されてしまい、ドイツ民族の国家作りはプロイセンによって成し遂げられることになるのです。

18世紀は、女性たちが歴史を動かした時代だったのです。 

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ラ・トゥールの描いた、楽譜を持ったポンパドゥール夫人

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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