孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

月と狩りの女神に祝福された誕生日。バッハ:狩りのカンタータ『楽しき狩りこそ、わが悦び』BWV208

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ペンニ『女狩人アルテミス』(1550年)

狩り好き領主へのプレゼント

バッハ世俗カンタータを聴いていますが、今回は「狩り」をテーマにしたカンタータです。

古今東西狩猟は上流階級の最高のアウトドアレジャーです。

日本の武士たちも、武芸の鍛錬も兼ねて鷹狩りを楽しみ、源頼朝がたくさんの御家人を集めて行った「富士の巻狩り」は軍事演習の意味合いもありました。

ヨーロッパの王侯貴族たちも狩りが大好きでした。

このカンタータは、そんな狩り好きの領主のために作曲された曲です。

残っているバッハの世俗カンタータの中では最も古く、作曲は1713年、ワイマール時代にさかのぼります。

当時、バッハは28歳、ザクセン=ワイマール公ヴィルヘルム・エルンスト(1662-1728)の「宮廷音楽家兼宮廷オルガニストとして仕えていました。

年俸は就職当初は150グルデンでしたが、1714年には250グルデンにまで昇給しています。公爵がどれほどバッハの仕事ぶりを評価していたかが分かります。

1713年2月、バッハは公爵のお供をして、ザクセン=ワイマール公の親戚筋にあたる、ザクセン=ヴァイセンフェルス公クリスティアンの宮廷を訪れます。

そして、クリスティアン公の誕生日を祝うカンタータを作曲、演奏しますが、それがこの『狩りのカンタータです。

隣国の君主に対するお誕生日プレゼント、というわけです。主君のメンツがかかっていますから、相当に張り切って作ったさまがうかがえます。

バッハでははじめて、オペラ風のレチタティーヴォや、ダ・カーポ・アリアが登場し、形式が実に多彩なのです。

狩りの女神が祝う誕生日

クリスティアン公は、無類の狩り好きで有名でしたから、狩猟をテーマに、例によってギリシャ神話の神々を登場人物とした物語に仕立てました。歌詞はワイマールの宮廷詩人ザロモン・フランク作です。

ギリシャ神話で狩りの神様といえば、月の女神アルテミスです。ローマ神話ではディアナ(ダイアナ)にあたります。

以前取り上げたラモーのオペラ『イポリートとアリシー』でも登場しました。

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大神ゼウスの娘で、太陽神アポロンとは兄妹です。

古い月の女神としてセレネがいますが、彼女は月そのものとみなされ、アルテミスは月の持つ抽象的な力、性格を具現化していると言われます。

太陽神ヘリオスアポロンも同じ関係です。

でもしばし、両者はごっちゃにされており、このカンタータでもそれが見られます。

また、ヴァイセンフェルスの街はバッハとゆかりが深く、二度目の妻アンナ・マグダレーナの出身地でもあり、また、以前ご紹介したトランペットの名手ライヒもここの生まれです。

狩り好きの領主の宮廷楽団ですから、野外演奏に適した管楽器が重視され、数々の名手を生み出したのです。

バッハがこのカンタータを演奏した〝狩りの館〟は今も残っていて、ホテルになっています。

ではさっそく聴いていきましょう。

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バッハ:カンタータ 第208番 狩のカンタータ『楽しき狩こそ、わが悦び』BWV208

Johann Sebastian Bach:“Jagdkantata, BWV208 “Was mir behagt, ist nur muntre Jagd!”

演奏:鈴木雅明指揮 バッハ・コレギウム・ジャパン

Masaaki Suzuki & Bach Collegium Japan

シンフォニア ヘ長調 BWV1046a

このカンタータには序曲のようなものはありませんが、このシンフォニアが演奏されたとする説が有力です。この曲は後にブランデンブルク協奏曲第1番の第1楽章となります。第1番はブランデンブルク協奏曲6曲の中でも最も編成が大きく、田園的、牧歌的な響きが特徴的です。〝狩りの楽器〟ホルンが活躍することからも、この祝祭カンタータの幕開けにふさわしい雰囲気をもっています。 

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ルフェーブル『アルテミス』(1879年)
第1曲 レチタティーヴォ(ソプラノ)

ディアナ(アルテミス)

楽しい狩こそ、わたしの悦び!

オーロラの輝きが

まだ天を染める前に

わたしの手を離れた矢は

早くもうれしい獲物を捕らえた!

女神ディアナの前口上です。女神は、狩り大好き!と叫びながら、うきうきと登場します。オーロラはディアナの妹で、曙の女神です。夜明けの美しい光の神ですが、今では〝オーロラ〟は、極地で夜空を彩る神秘的な光のことを指すようになりました。レチタティーヴォは後半アリオーソになり、うなる矢が獲物を捉えた興奮を表します。

第2曲 アリア(ソプラノ)

ディアナ(アルテミス)

狩り、それは神々の悦楽

狩り、それは勇者の会心の技!

退け、わがニンフたちを嘲る者ども

退け、女神ディアナの行く手を空けよ!

ディアナは、狩りのホルンの前奏に続き、狩りの楽しみを歌い上げます。誕生日を祝われているクリスティアン公の趣味は、神の趣味でもある、というわけです。 

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ウォード『アルテミスの水浴』(1830年
第3曲 レチタティーヴォテノール

エンデュミオン

なんと?

うるわしの女神よ、これはどうしたことですか?

かつてあなたと一心同体だった者を、もうお忘れになったのですか?

あなたこそ、このエンデュミオンが

安らかに静まっていたときに

甘い蜜の口づけをたくさんくださったのではないですか?

うるわしの方よ、あなたは今や

恋の絆を逃れて

ただ狩の戯れにだけいそしまれるというのですか?

女神の楽しみに水を差すように、ひとりの男が現れます。名はエンデュミオン。ディアナの〝元カレ〟という設定です。あれ?処女神に恋人?と思いますが、これは本来は同じ月の女神セレネのエピソードなのです。セレネはあるとき、人間界のイケメン、エンデュミオンを見初め、恋に落ちます。しかし、エンデュミオンは神と違って不老不死ではないので、だんだん老いて容色が衰えていきます。これを惜しんだセレネは、ゼウスになんとかしてもらえないかと頼みますが、ゼウスはその願いを叶え、エンデュミオンに永遠の命を与えたものの、条件として永遠に眠らせます。セレネは毎夜、エンデュミオンのところに降りてきて、その寝顔にキスをする、という切ない物語です。

ギリシャ神話のディアナ(アルテミス)はとことん男嫌いで、自分に仕えるニンフたちにも純潔を要求し、ニンフのひとりカリストがゼウスに妊娠させられると、怒って追放したばかりか、熊に姿を変えてしまいます。そして、後に何も知らない息子に山で出会い、射殺されそうになったところ、ゼウスによって母子ともに天に召され、おおぐま座こぐま座になった、という有名な神話があります。

もっとひどい話は、うっかり自分の水浴中に出会った狩人アクタイオンに、裸を見られたといって怒り、鹿に変えてしまいます。アクタイオンは自分の猟犬たちに食い殺されるのです。

ここではエンデュミオンは、狩りに夢中になるディアナに、もう私のことはお忘れですか、と愚痴りにきたのです。

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ジェンナーリ『ディアナとエンデュミオン』(1674年)
第4曲 アリア(テノール

エンデュミオン

あなたはもう楽しみを求めないのですか

アモール(愛の神)の仕掛けた網の目に

その絆に捕らわれた者は

望みのままに

恋の喜びを味わえるというのに

エンデュミオンは、通奏低音のオスティナートで、獲物を捉えるよりも、愛の神のわなにかかって、その虜になる方が恋の悦びを味わえますよ、と誘惑します。地味な伴奏が、テノールの艶っぽさを引き立てます。狩りの楽しみと恋愛の楽しみ、どちらが捨てがたいか、という投げかけです。 

第5曲 レチタティーヴォ(ソプラノ)

ディアナ(アルテミス)

私はあなたを今でも好きよ!

でも、きょう一筋の光明が現れたからには

わたしはもう何をおいても

愛の口づけでそれを迎え

これに浸らざるを得ないのです!

高貴なクリスティアン公、エルンスト・アウグストの君

森を治め

悦ばせたもうパンのあるじが

いまご機嫌もうるわしく

お誕生日をむかえられたのですから!

エンデュミオン

では、わたしにお許しください

ディアナよ、いまはあなたと手をたずさえ

喜びの捧げものに火を灯すことを

ふたり

めでたい!めでたい!

わたしたちはこの熱い炎を

祈りと喜びをこめて

いま一緒に運びましょう

ふたりの対話のレチタティーヴォです。ディアナは、エンデュミオンの話をそらすように、狩り好きのクリスティアン公が光明のように現れた、その誕生日を一緒にお祝いしよう、と呼びかけます。エンデュミオンはこれに応え、ふたりで公の誕生日を祝福します。この場では、狩りの楽しみは恋愛に勝る、という結論になりました。 

第6曲 レチタティーヴォ(バス)

パーン

このあたりの野山の主であるわたし

神々のはしくれではあるものの

わたしが握る牧杖を

いまクリスティアン公、エルンスト・アウグストの君の

王笏の前になげうつ!

この尊いパーンの君こそ

国に幸いをもたらし

森も、野原も

いや、よろずのものがみんな生き、

かつ歌うことになるのだから!

ここで、新たな登場人物として、牧神パーンが登場します。パーンは半身が羊の、羊飼いの神です。神の中の序列は低いですが、人々を導く羊飼いの杖を、クリスティアン公の王笏として与えようと、宣言します。

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牧神パーン
第7曲 アリア(バス)

パーン

君主こそ、その国を牧するパーンである!

魂の抜けた体

命なく、動かぬ屍と化するように

頭である君主のいない国は

死者の満ちた墓穴

命のないぬけがらとなるだろう

オーボエ・ダカッチャのオスティナートに伴奏され、パーンが、羊飼いのごとく迷える人々と国家を導くクリスティアン公のリーダーシップを讃えます。 バッハは後に、この曲をカンタータ第68番に転用しました。

第8曲 レチタティーヴォ(ソプラノ)

パレス

では、遅くなってしまいましたが

このパレスからも贈り物を差し上げてよろしいでしょうか?

いえ、いえ

私もまた務めを果たしたいのです

国を挙げて響くばんざいの歓呼に合わせて

このうるわしい野原にも唱和させましょう

わたしたちザクセンの勇者の栄誉をたたえ

君主の喜びと生き甲斐が増していきますように

第4の登場人物として、パレスが現れます。聞き慣れない名前ですが、ローマ神話で、牧草地を司り、家畜を疫病や野獣から守る神です。

第9曲 アリア(ソプラノ)

パレス

羊たちは安らかに草を食む

よい羊飼いが見守るなか

統べる人がよく治めるところでは

安息と平和が広がり

国々をうるおす幸せの光はさやか

パレスの歌うこの曲は、このカンタータで最も有名な、またバッハの曲でも名高いもののひとつです。2本のリコーダー(ブロックフレーテ)が可愛らしく、牧歌的なリトルネッロを奏でる上に、ソプラノが、まるで子守唄のように癒しに満ちた旋律を歌い上げます。安らかに羊たちが草を食んでいる平和な光景を、善政がしかれた国を表し、クリスティアン公の統治をたたえています。文脈は忘れましたが、高校の英語の教科書に載っていたのを覚えています。羊がテーマなので、教会カンタータの1曲だと長く思っていましたが、世俗の君主の賛歌なのです。

第10曲 レチタティーヴォ(ソプラノ)

ディアナ(アルテミス)

では、一緒に声を合わせて

この佳き日の悦びに花を添えましょう

ディアナが唱導し、喜びの声を上げよう、と呼びかけます。

第11曲 合唱

合唱

ばんざい、地上の太陽の君よ

ディアナが夜ごとに

天の城の見張りにいそしむときに

また森が緑の春を迎えようとするときに

ばんざい、地上の太陽の君よ

4部合唱ですが、独唱者4人の四重唱で歌われることもあります。地上の太陽である君主ばんざい、というフーガと、夜を守るディアナを表わすホモフォニックな中間部で構成されたダ・カーポ形式です。昼は君主の力で、夜は神の加護で、この世は平和、とたたえます。オーケストラの活躍も目覚ましく、まさにブランデンブルク協奏曲第1番をほうふつとさせます。 

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メングス『夜空にあるアルテミス』(1765年)
第12曲 二重唱

ディアナとエンデュミオン

わたしたちふたりの心を狂喜させてください

天地四方に広がる悦びの光よ

そうして天空いっぱいにダイヤの飾りを散りばめてください!

クリスティアン公、エルンスト・アウグストの君

病より解き放たれて

心地よいバラの花園に憩い楽しまれますように!

独奏ヴァイオリンのオブリガートに乗って、ディアナとエンデュミオンがデュエットで、クリスティアン公を祝福します。バラの香りが広がるような、素敵な二重唱です。

第13曲 アリア(ソプラノ)

パレス

毛もふさふさとした獣たちの群れが

この誉れ高い野山のここかしこに

楽し気に放たれたとき

ザクセンの勇者よ、永遠なれ!

パレスが再びアリアを歌いますが、伴奏の通奏低音は生き生きとして、伴奏の域を超えています。獲物となる獣たちが野に満ち満ちていく光景が、目の前にありありと浮かぶようなアリアです。

第14曲 アリア(バス)

パーン

野原よ、牧場よ

緑なす姿を見せよ

いましもばんざいの歓呼を轟かせよ!

願わくば公、祝福と安息に包まれてお幸せに!と

パーンが、これも通奏低音だけの伴奏で公爵を祝福しますが、舞曲ジーグのリズムが、カンタータが終わり近いことを告げています。飛び跳ねる野ウサギのようなアリアです。

第15曲 合唱

なんという心地良い光景

喜ばしい時間

幸せよ、とこしなえに

あなたたちと共にあれ!

天よ、甘い悦楽であなたがたを満たされますように!

クリスティアン公、エルンスト・アウグストの君ばんざい!

心を満ち足らせ

悲しみに打ち勝つ道が

公のお心から離れませんように

いよいよ終曲、狩りのホルンが嚠喨と響くなか、クリスティアン公をたたえるにぎにぎしい合唱がはじまります。ホルンのリトルネッロにホモフォニックな中間部がはさまれたダ・カーポ形式です。この曲も、バッハ自身によって何度も転用されています。

君主が君主をもてなす、外交上の重要な儀典を担ったこのカンタータは、バッハの出世作といってよいでしょう。自身も気に入っていた、若き日の会心の作なのです。

今ではハンティングは資格や許可が要りますから限られた人しかできませんが、その代わりをゴルフが担っているのかもしれません。

バッハの時代にゴルフが流行っていたら、きっとどこかの殿様のために『ゴルフ・カンタータ』〝楽しきゴルフこそ、わが悦び〟を作曲していたに違いありません。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

 

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