孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

【曲解説】お情けで作った傑作。ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

〝4大ヴァイオリン・コンチェルト〟の筆頭

これまで、ベートーヴェン中期、いわゆる〝傑作の森〟といわれる時期の作品を聴いてきました。

この時期が過ぎると、ベートーヴェンの生産性はグッと落ち、作品数がかなり減って、内面的な世界に入っていく後期に向かっていきますので、ベートーヴェンの人気曲が一番多いのは中期です。

その爆発的創造の原動力となったのは、前々回取り上げたダイム伯爵未亡人ヨゼフィーネとの恋愛といわれており、それが影響していると考えられるのはピアノ・コンチェルト第4番シンフォニー第4番、そして今回のヴァイオリン・コンチェルトです。

ベートーヴェンヴァイオリン・コンチェルトをこの1曲しか完成させていませんが、メンデルスゾーンブラームスチャイコフスキーの作品と合わせて、〝4大ヴァイオリン協奏曲〟の筆頭に挙げられています。

ちなみに、ほかの3人も、ヴァイオリン・コンチェルトは1曲しか書いていないのは不思議です。

それ以前の作曲家も、バッハはソロのコンチェルトは2曲、ハイドンも確実な真作としては、駆け出しの頃に書いた2曲だけ。

モーツァルトも、若い頃に連続して5曲書いて終わりで、円熟期には一切書いていません。

ピアノ・コンチェルトの数に比べたら寂しい限りです。

これには色々な理由が考えられますが、コンチェルトは〝名人の妙技〟を誇示するのが主眼の曲種なので、ヴィルトゥオーゾたちは自分で作曲することが多かった、ということが挙げられます。

自分の得意技や〝ウリ〟が最大限発揮できるような曲を自作したわけです。

モーツァルトベートーヴェンは、ヴァイオリンもかなりうまく弾けましたが、名人の域に達していたのはピアノなので、自分が出演するコンサートのためにピアノ・コンチェルトをたくさん書きました。

天才ヴァイオリニストからのおねだり

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8歳のときのフランツ・クレメント

このコンチェルトも、当時評判だったヴァイオリニスト、フランツ・クレメント(1780-1842)の依頼で書かれました。

クレメントは1780年に生まれた生粋のウィーンっ子で、8才の時にヴァイオリンの神童としてデビューしました。

その後、ドイツ各地、ベルギー、英国などに演奏旅行して評判をとりました。

ベートーヴェンより10才年下ということになりますが、クレメントが14才のときにベートーヴェンはその演奏を聴き、彼のノートにサインしてあげて、感激させています。

その後クレメントは、1802年アン・デア・ウィーン劇場のコンサート・マスターになり、ベートーヴェンと親交を結んでいました。

クレメントは、1806年12月23日に、同劇場で自分が主役のコンサートを開くことになり、そのわずか1ヵ月前に、自分のためにヴァイオリン独奏のコンチェルトを書いてもらうようベートーヴェンに依頼してきたのです。

そのため、この曲には、他の傑作のように以前から構想を温めていた形跡がほとんどなく、急ごしらえでした。

11月18日に、楽譜出版社ブライトコップフ・ウント・ヘルテルに宛てて、目下作曲中の曲目を報告する手紙を書いていますが、そこにヴァイオリン・コンチェルトが見当たらないことからも、依頼と作曲開始が11月下旬であったことは間違いありません。

曲は、演奏会の2日前に完成し、クレメントはとてもリハーサルをする暇はなく、本番ではいきなり初見でこの難曲を演奏したと伝えられています。

お情けで作曲?

楽譜冒頭にベートーヴェンは、〝お情けでクレメントのために〟(par Clemenza pour Clement)と書き込みました。

〝お情け〟はイタリア語で〝クレメンツァ〟ですので、ダジャレなわけです。

こんなやり取りが目に浮かびます。

クレメント『先生、来月、なんと私のリサイタルができることになったんですよ!!こんな機会めったにないんで、私のためにコンチェルトを書いてもらえませんか?』

ベートーヴェン『なんだと? バカ言うな、俺は忙しいんだ!来月なんて無理だ!』

クレメント『私の人生がかかっているんですよぉ…。先生の新作をやるってだけで客の入りが違いますし…。一世一代のチャンスなんです、なんとかお願いします!!』

ベートーヴェン『だめだ、だめだ、何でお前なんかのために一肌脱がなきゃならんのだ!』

クレメント『そんなことおっしゃらないで…。私も曲がりなりにも劇場のコンマスですし、先生の演奏会にはこれからも全身全霊でご協力させていただきますから…』

ベートーヴェン『フン、ヴァイオリンより口が達者なんじゃないか? …しゃあないから書いてはやるが、できるのはギリギリだぞ!』

クレメント『あ、ありがとうございます!! 無茶なお願いだってことは重々承知してますから、ギリギリでも結構です!私は初見でもやれますから!』

ベートーヴェン『分かっているだろうが、俺はお前のしょうもない小技を見せびらかすような曲は書かんぞ。俺は俺の崇高な魂が要求する曲を書くんだからな。』

クレメント『それは覚悟の上です。どんな難曲でもこなして、お心を全聴衆に表現してみせます! マエストロ、恩に着ます!!』

ベートーヴェン『ふん、この貸しは高いぞ。』

クレメントは、抜群の記憶力の持主で、楽譜を1回読んだだけで記憶してしまうほどだったと言われています。

おそらく、リハーサルなどする時間は無く、受け取ったばかりの、インクも乾かない楽譜を何とか一通り読み、初演に臨んだと思われます。

煮え切らない、初演の評判

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初演のポスター

コンサートはメユールの序曲で始まり、いきなり2曲目がこのベートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルトでした。

その後、モーツァルトのアリアとヘンデルの合唱曲で前半が終わり。

休憩を挟んで後半は、ケルビーニの序曲が2曲、3曲目が『クレメント氏によるヴァイオリンの即興演奏、そして逆さにしたヴァイオリンのただ1本の弦によって弾くソナタでした。

そして、ヘンデル作曲、モーツァルト編曲の合唱曲『聖チェチーリアの祝日のための頌歌(オード)』で締めくくられました。

この演奏会、およびベートーヴェンのコンチェルトの評判はどうだったのか、『ウィーン演劇新聞』で次のように報じられました。

優れたヴァイオリニストのクレメントは、他の素晴らしい作品とともにベートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルトを演奏した。その独創性とさまざまな美しさにより格別の拍手喝采を受けた。特に声高のブラーヴォをもって受け容れられたのは、定評あるクレメントの演奏技巧と優雅さと彼の召使たるヴァイオリンによる力強さと確実さであった。(中略)識者の意見は一致している。つまり、この作品の多くの美しさは認めるが、音楽の関連がしばしば全く断ち切られているように思われ、若干の平凡な箇所が際限なく反復されて聴衆を飽きさせてしまう。*1

〝ブラーヴォ〟の声がかかったのは、ヴァイオリンを逆さまにして1本の弦だけで弾くというクレメントのサーカス的曲芸であって、ベートーヴェンのコンチェルトは〝まあまあ〟といった評判だったようです。

今でも演奏の難しい曲

このコンチェルトは、4大コンチェルトや、ベートーヴェンの他の曲と比べてもちょっと異質なものを感じます。

いきなりティンパニの連打から始まるところには衝撃を受けますが、続くメインテーマには、ピアノ・コンチェルト群のような煌びやかさや派手さがなく、第1楽章はその繰り返しの中で味わいを深めていきますので、私も最初に聴いたときには、初演を聴いた〝識者〟と同じような感想を抱きました。

聴くほどにその奥深さが分かっていくタイプの曲なのです。

この穏やかさは、当時進行中だった伯爵夫人との恋愛由来とされていますが、私は、ピアノ・コンチェルト第4番ほどには恋愛情緒を感じません。

クレメントは曲芸もやりましたが、基本的には、パガニーニ的な激しいパフォーマンスとは真逆で、抒情的でゆったりした演奏ぶりだったと伝わっていますので、ベートーヴェンはその特質を意識して作曲したということではないでしょうか。

お情けといっても、ベートーヴェンが評価していない演奏家のために曲を書くはずはないのです。

ということで、演奏の難度が非常に高いわりに見せ場の作りにくいこの作品を、見事に演奏するのはとても難しいとされています。

一般的には、ヴァイオリンをできる限り激しく、力強く響かせた演奏が好まれるようですが、私は逆に、優雅で落ち着いた、線の細い独奏の方が、クレメントのパフォーマンスとベートーヴェンの意図に近いのではないか、と思っています。

私が好きなのは、昨年亡くなった偉大な古楽器チェロ奏者アンナー・ビルスマの奥さん、ヴェラ・ベスの演奏です。

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 二長調 Op.61

Ludwig Van Beethoven:Konzert für Violine und Orchester D-dur Op.61

演奏:ヴェラ・ベス(ヴァイオリン)、ブルーノ・ヴァイル(指揮)ターフェルムジーク

Vera Beths (Violin), Bruno Weil & Tafelmusik

第1楽章 アレグロ ・マ・ノン・トロッポ

冒頭、ティンパニだけがトントントントン、とニ音でリズムを刻んで始まります。こんな曲は他にはなく、異様なまでの開始です。ティンパニから始まる曲には、ほかにハイドンのシンフォニー第103番〝太鼓連打〟がありますが、そのロールは曲想にはあまり関係がありません。しかし、この曲では、その連打が曲を通して構成要素の根幹を成しています。まさに、〝運命〟やピアノ・コンチェルト第4番と同じように、同音連打から世界が広がっていくのです。それはこの時期のベートーヴェンが取り組んだ壮大な実験だったのでしょう。

ティンパニの連打に続くのは木管のやわらかな合奏です。いつになったらガツンとくるのか、焦らされている感じがします。ほどなく、力強い総奏がきますが、第2主題もまた木管による穏やかな提示です。

オーケストラが簡素ながら雄大に序奏部を結ぶと、いよいよヴァイオリン・ソロの登場です。独奏ヴァイオリンも、冒頭のティンパニ連打のリズムを刻みつつ、第1主題、第2主題を繰り返しつつ、展開していきます。

中間部でのオーケストラの総奏はさすがの迫力ですが、再びヴァイオリンが冒頭と同じ上行音型で帰ってくると、影のある展開部に入っていきます。

ティンパニと低弦が刻むリズムが遠雷のように響くなか、哀愁を漂わせながら歌うヴァイオリンは聴きどころです。この奥深い味わいは確かに、一度聴いただけでは分からないかもしれません。

この曲は、ピアノ・コンチェルト〝皇帝〟のような、独奏とオーケストラの対決、というものではなく、ヴァイオリン独奏つきのシンフォニーととらえた方がいいかもしれません。それでもカデンツァはクレメントの見せ場ですから、ベートーヴェンは作曲していません。

第2楽章 ラルゲット

短調ではなく、ト長調の穏やかな楽章です。弱音器をつけた弦がため息のように美しい調べを静かに奏でます。クラリネットがそのテーマから変奏を始めると、独奏ヴァイオリンがそれに絡みつくように繊細な変奏を繰り広げていきます。変奏は3部形式で進みます。ヴァイオリンの音色は、闇の迫った秋の夕暮れのように、どこか懐かしく、切なく胸に沁み込んでいきます。これは曲芸師の技ではありません。時には消え入りそうになりながら抒情をつむぎ、短いカデンツァを経て切れ目なく、おもむろに第3楽章のロンドに入っていきます。このさりげなさにはしびれます。

第3楽章 ロンド:アレグロ

実に楽しい、ウキウキするようなロンド主題をヴァイオリン・ソロが歌い、オーケストラがそれに続きます。ロンド主題のあいだあいだに、ヴァイオリンは変幻自在に新しい旋律を繰り出しながら踊ります。ヴァイオリニストの技巧を尽くしますが、それを感じさせない自然さで、木管との絡みも小気味よく流れていきます。

形式でいうと、A-B-A-C-A-B-Aの構造になっており、2回目のBのあとにカデンツァがあり、最後のAは結尾に向けて大いに盛り上げますが、急に音量を落とし、ヴァイオリンが静かに短く語ったのちに、フォルテッシモの和音をオーケストラが2回鳴らして締めくくります。

ピアノ編曲のいきさつ

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ムツィオ・クレメンティ(1752-1832)

この曲の草稿はクレメントにお情けで捧げられたものの、出版の時には、ボン時代の旧友シュテファン・フォン・ブロイニングにバースデー・プレゼントとして献呈されました。

クレメントとベートーヴェンとの関係は、その後はそれほど緊密ではなくなりましたが、つかずはなれずで、ベートーヴェンが死の床に伏したときにはクレメントも見舞いに駆けつけています。

この曲の作曲後、ベートーヴェンは、かつてモーツァルトと皇帝ヨーゼフ2世の御前でピアノ対決をしたムツィオ・クレメンティ(1752-1832)と出会いました。

クレメンティは、今もソナチネ・アルバムに初心者用の作品を残していますが、その頃はロンドン楽譜出版業を営んでいました。

商売人としてウィーンにやってきた彼は、ベートーヴェンとの間で、英国での楽譜独占出版権を得る契約に成功しました。

ベートーヴェンは、カルテット3曲、シンフォニー第4番、コリオラン序曲、ピアノ・コンチェルト第4番とともに、このヴァイオリン・コンチェルトを提供しました。

クレメンティはその際、ヴァイオリン・コンチェルトをピアノ・コンチェルトに編曲することを依頼し、ベートーヴェンはそれを承諾しました。

クレメンティはそのことを誇らしげに手紙で報告しています。

『少し苦労したが、あの高慢な芸術家のベートーヴェンをとうとうすっかりものにした。(中略)この美しいヴァイオリン・コンチェルトは私の依頼で、ピアノフォルテ用に編曲してくれることになった。』

確かに、ベートーヴェンがこうした依頼に応じるのは珍しいですが、契約金は200ポンドで、ベートーヴェンはそれに満足だったらしく、実現はしませんでしたが、このセット契約を他の国の出版社にも打診したくらいです。

海賊版に苦しんだモーツァルトの時代に比べて、著作権と出版契約はかなり保護され、作曲家の収入を支えるようになってきたことがうかがえます。

クレメンティピアノ製造業もやっていましたから、頼み込んで、ヴァイオリン・コンチェルトをわざわざピアノ編曲してもらったわけです。

本人が自慢するように、なかなかのビジネス交渉手腕です。

ヴァイオリンからピアノへの編曲ですから、最低でも左手の補筆は必要ですが、それだけでは済まないので、独奏部分はかなりの部分に手が入っています。

編曲は長らくベートーヴェン本人ではないという説がありましたが、今では真正であることが証明されています。

そのお陰で、作曲家本人が編曲したコンチェルトを聴くことができるわけで、ここでご紹介しておきます。

今ではピアノ・コンチェルト 第6番と呼ばれています。

それにしても、クレメントといい、クレメンティといい、どうもこの曲は〝お情け〟に縁があるようです。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第6番 ニ長調 Op.61a

Ludwig Van Beethoven:Konzert für Klavier und Orchester Nr.6 D-dur Op.61a

演奏:アーサー・スクーンダーエルド(アルテュール・スホーンデルヴルト)(フォルテピアノ)、クリストフォリ

Arthur Schoonderwoerd (fortepiano)& Cristofori

第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ

第2楽章 ラルゲット

第3楽章 アレグロ:ロンド 

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

 

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