孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

可憐というより激情の乙女。ベートーヴェン:交響曲 第4番 変ロ長調

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ギリシャの乙女たち〟(パルテノン神殿のカリアティード)

巨人にはさまれたギリシャの乙女 

のだめカンタービレ〟の再放送に引かれ、ベートーヴェンの時計をどんどん進めて1812年シンフォニー第8番まで行ってしまいましたが、時を1806年に戻したいと思います。

ダイム伯爵未亡人ヨゼフィーネとの熱烈な恋愛中、ピアノ・コンチェルト第4番ヴァイオリン・コンチェルトなど、あま~い傑作をたくさん創っていた頃です。

そんなロマンティックな気分のなか生まれたシンフォニーが、第4番 変ロ長調 作品60です。

ベートーヴェンの9曲のシンフォニーは、重厚な〝奇数曲〟と軽快な〝偶数曲〟に分けられ、偶数は前回の第8番のようにちょっと軽く見られがちで、この第4番もその代表のようなものです。

シューマンがこの曲を『北国のふたりの巨人に挟まれた清楚可憐なギリシャの乙女』と評したのはあまりに有名で、この曲には〝乙女〟という愛称がついているかのようです。

〝北国のふたりの巨人〟というのは、シンフォニー第3番〝エロイカ(英雄)〟第5番〝運命〟のことですが、トールとかテュールといった北欧神話荒ぶる神々に例えているのでしょう。

しかし、乙女チックなのは変ロ長調という調性のなせる業で、全体としては、のけぞってしまうほどの激しさと力強さを持っている曲です。

モーツァルトベートーヴェン、ふたりとも支援した貴族

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カール・フォン・リヒノフスキー侯爵

ベートーヴェンは、音楽界の革命というべき〝エロイカ〟を作曲したあと、次作としてハ短調のシンフォニーに取り掛かります。

これが〝運命〟になるわけですが、その作曲と平行して、この変ロ長調も書き進めていました。

もしかすると、ベートーヴェンはこの曲を〝運命〟との2曲セットで構想していたのかもしれません。

1805年春、〝エロイカ〟の初演のあと、伯爵夫人ヨゼフィーネは、オーストリアに侵攻してくるナポレオン軍の戦火を避けて、ベートーヴェンとの恋に後ろ髪を引かれるようにウィーンから離れます。

ベートーヴェンも8月下旬から、パトロンのひとりであるカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵(1761-1814)の誘いで、シュレージエン(シレジア)トロッパウ(現オパヴァ)近郊、グレーツ(現フラデツ)の侯爵の居城に滞在していました。

リヒノフスキー侯爵は、モーツァルトの後援者としても知られ、1789年には彼を誘ってベルリンへの演奏旅行に連れ出しています。

侯爵はモーツァルトに経済的援助をする一方、お金も貸していましたが、モーツァルトがいっこうに返さないのでついにブチ切れ、彼を告訴しました。

裁判所は、モーツァルトに1435フローリンを返済するよう判決を下しましたが、彼はその数週間後に死去してしまいます。

どうせ援助するなら最後までしてあげたらいいのに、と思いますが、借りたお金は返さないといけませんから、侯爵を責めるわけにもいきません。

侯爵は、モーツァルトの死から5年後に、再び若き天才を見出します。

それがベートーヴェンです。

侯爵は、モーツァルトと同様にベートーヴェンをベルリンやプラハに連れていき、その名声を高めるのに大きな役割を果たしています。

1800年からは、ベートーヴェンが定職につくまでという約束で、年金600フローリンを支給しています。

モーツァルトを借金取り立てで追い詰めた罪滅ぼしだったかもしれません。

傑作を生みだした豊穣の地

侯爵の領地のあるシュレージエン(シレジア)は、今はほぼポーランドの一部になっていますが、古来、その豊かさから諸国係争の地で、ボヘミア王国の一部だった時期もあります。

マリア・テレジアが女性の身でハプスブルク家の当主を継ぐと、これに諸国が反対したのに乗じて、かねてこの地を狙っていたプロイセンフリードリヒ大王が侵攻して占領してしまいます。

これを取り戻すため、マリア・テレジアは宿敵フランスと同盟を結び、七年戦争となりますが、最終的にはかなわず、シュレージエンの地はプロイセン領となります。

しかし、リヒノフスキー侯爵はハプスブルク家の侍従として仕えていますから、オーストリアとの縁が切れたわけではなさそうです。

第4シンフォニーをはじめとする一連の傑作は、そんな侯爵の居城で至れり尽くせりの環境で書かれたのです。

離れ離れになってしまった伯爵夫人への想いを胸に秘めながら。

熱烈ファンの伯爵から頼まれて

ベートーヴェンは、シュレージエンからライプツィヒの出版社ブライトコップフ&ヘルテル社に『新しい3つのヴァイオリン四重奏曲(ラズモフスキー四重奏曲)、新しいピアノ・コンチェルト(第4番)、新しいシンフォニー(第4番)、オペラ・スコア、オラトリオは直ちに提供することができます。』と書き送っています。

全てが完成していたわけではありませんが。

9月中旬に、侯爵はベートーヴェンを、同じシュレージエンに領地をもつフランツ・フォン・オッペンスドルフ伯爵の居城に連れていきます。

この伯爵も大の音楽好きで、私設オーケストラを抱えていました。

そしてベートーヴェンの大ファンで、歓迎のため第2シンフォニーを演奏して迎えたほどです。

ベートーヴェンは作曲中の新しいシンフォニーを、出版社に渡す前に、伯爵に売ることにしました。

ベートーヴェンが発行した500フローリンの領収書が残っています。

そして、出版社には次のように書き送りました。

『お約束したシンフォニーにつきましては、目下のところあなたに手渡すことができません。というのは、さる高貴なお方がそれを私の手元から持っていかれているからです。しかし、半年後にそれを私が出版する権利は確保してあります。』

つまり、伯爵に売り渡したのは、半年間の独占使用権、ということになります。

出版時には、この曲はオッペンスドルフ伯爵に献呈されました。

俺はピエロじゃない!!

さて、これだけベートーヴェンを助けたリヒノフスキー侯爵とは、いったん喧嘩別れとなります。

ウィーンはナポレオン軍に占領されてしまい、侯爵も館にフランス軍将校を招いて接待します。

将校たちは、有名なベートーヴェンにピアノ演奏をせがみましたが、彼は拒みます。

侯爵はそこで、さらに演奏を強要するような言葉を言ったらしく、ベートーヴェンは怒り狂って、荷物をまとめ、雨の中、城から出て行ってしまいます。

夜道をトロッパウまで歩き、そこで馬車に乗ってウィーンの自宅に戻り、着くやいなや部屋に飾ってあった侯爵の石膏像を叩き壊した、という逸話まで残っていますが、真偽のほどは分かりません。

ただ、当時抱えていたアパッショナータ・ソナタ(熱情)や、ラズモフスキー四重奏曲の自筆譜には雨に濡れた跡が残っています。

パーティーの余興を強要され、大いにプライドを傷つけられたのでしょうが、侯爵はその後も年金は打ち切らず、ベートーヴェンへの支援は続けていました。

これもモーツァルトのトラウマからでしょうか。

そんなエピソードから、この侯爵は後世あまりいいイメージを持たれていませんが、私たちがモーツァルトベートーヴェンの素晴らしい曲を聴けるのも、こうしたパトロンたちのお陰であることは間違いありません。

何度も言いますが、今、芸術にここまでお金を出せる個人、企業、団体、国家があるでしょうか。

一方、ベートーヴェンが、王侯貴族からの援助を当然とし、へりくだることなく、逆に反抗していた姿は、新時代の芸術家像として、実に興味深いものがあります。

ベートーヴェンの曲には、そんな矜持と自信があふれていて、聴く我々を高めてくれるのです。

ベートーヴェン交響曲 第4番 変ロ長調 Op.60

Ludwig Van Beethoven:Symphony no.4 in B flat major, Op.60 

演奏:ホルディ・サヴァール指揮 ル・コンセール・デ・ナシオン

Jordi Savall & Le Concert des Nations 

第1楽章 アダージョアレグロ・ヴィヴァーチェ

第4番は、編成を拡大し、その長大さで音楽の歴史を変えた第3番〝エロイカ〟の次作としては、編成は第2番とほぼ同じ、いやフルートが1本になった分むしろ小さくなっています。序奏がついていることもあって、一見後退したような印象もありますが、その内容は、冒頭の響きからして新しい世界を切り開いています。

全楽器で始まりますが、主音はなんとピアニッシモ。不安げで混沌とした雰囲気は、ハイドンの『天地創造』の開始、あるいは『四季』の夜明け前を思わせます。テーマは、やがて始まる速い主要部を予告しながら、神秘的な和音を響かせ、不思議な転調で推移していきます。

やがて、主要部を導入する高まりが2度あり、それがそのままのフレーズで主部に突入してます。これを最初に聴いたときの衝撃は忘れられません。こんなのあり?というほど大胆です。木管が楽し気に呼び交わし、ティンパニがリズムを刻む中、弦が元気いっぱい、縦横無尽に駆け回ります。なんという高揚感でしょう。音階を上行させながらクレッシェンドしていくくだりは、子供っぽさも感じますが、それこそがベートーヴェンがこの曲に込めた諧謔の精神です。

展開部では、変ロ長調らしい気品も漂います。ティンパニのドラムロールを効果的に使っているのも斬新です。曲は最後まで元気いっぱいに走り、マラソンのゴールのように幕を閉じます。どこか、スポーツの香りを感じるのは私だけでしょうか。

第2楽章 アダージョ

このシンフォニーを〝乙女〟の印象にしているのは、この美しい第2楽章ゆえかと思います。落ち着いていて、万感を込めたような歌い出しにはうっとりしてしまいます。やがて、ティンパニの力強い響きが、その優雅さを打ち消しますが、その激しい部分の間々に、極めて抒情的な部分がサンドイッチのように挟まれているのです。これこそが、険しい谷間に咲く百合のようで、巨人に挟まれた乙女の印象です。

巨匠カルロス・クライバーが、ウィーン・フィルとのリハーサルで、この伴奏のフレーズを〝テレーズ、テレーズ〟と演奏しろと指示したのに、オケは〝マリー、マリー〟としか演奏しないので、ブチ切れたクライバーは指揮棒を折って出て行ってしまい、公演をキャンセルしたという『テレーズ事件』で有名です。テレーズにしろ、マリーにしろ、女性の名前でこのフレーズを表現しているのが意味深なエピソードです。代打のロリン・マゼールは、『じゃあ、私はマゼールマゼールでいってみようか(笑)』と言ったとか。

この楽章の魅力は、なんといってもメロディの移ろいにあります。時に熱く、時に切なく、まさに恋心のように流れていきますが、絶望の気配は感じられません。どこまでも幸せ感に包まれていきます。

最後には、木管たちのカデンツァ風な歌に続いて、ティンパニの独奏が胸の鼓動をうつすがごとく響きます。

この緩徐楽章は、曲全体の中でも一番の長さをもち、このシンフォニーの核心を成しています。

第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ

メヌエットと題されることがありますが、ハイドンへの回帰ではなく、内容はスケルツォです。舞曲の性格は全くなく、迫力に満ちていて、〝運命〟の一楽章であってもおかしくありません。

トリオは、木管の愛らしいメロディに弦が呼び交わす牧歌的なものです。くすぐり合う恋人たちの上を鳥たちが舞うかのようです。

このシンフォニーには、中断された〝運命〟を予告する音型やリズムが散りばめられており、隠れた兄弟曲とみなすことができます。

最後はホルンが印象的に盛り上げてフィナーレにつなげます。

第4楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ

陽気でご機嫌なフィナーレです。遊び心いっぱいのテーマは、弦、そして木管に受け渡されながら元気に展開していきます。モーツァルトハイドンのフィナーレと気分的には同じですが、ベートーヴェンはあえて不安定な不協和も盛り込んで、緊張感も与えているのが意欲的です。

展開部はまるで、さらに緊迫し、まるで手に汗握るレースのクライマックスを見るかのようです。第3楽章とテーマのつながりもあり、シンフォニー全体の統一性をもたすという〝運命〟の試みがここでも行われています。

最後は弦がざわめく中、木管が呼び交わし、一瞬の静寂をもたらし、サッと締めます。颯爽とした、実に爽やかな楽章です。

 

この曲の初演は1807年3月に、ロプコヴィッツ伯爵邸で、ピアノ・コンチェルト第4番、『コリオラン』序曲と同時に行われましたが、特にその評判は記録に残っていません。初演を報じた雑誌『豪華流行ジャーナル』も、個々の作品には言及せず、全体として『磨かれていないダイヤモンド』という、評価しているのか、していないのかよく分からない中途半端な批評を載せているに止まっています。

その後も19世紀を通じて、この曲の評価は、ベートーヴェンの他の曲の影に隠れ、相対的には低いものでした。ワーグナーも『冷たい音楽』と評しており、どこが?と思いますが、屈託のない陽気さが表面的に聞こえて、運命と闘うベートーヴェンのイメージと違うということでしょう。

しかし、第8番と同様、この曲はベートーヴェンの重要な一面、魅力を示していることは間違いありません。

 

 

ガーディナーの第4番評です。


Symphony No. 4: Composing for all eternity | Gardiner and the ORR on Beethoven's Symphonies

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

 

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