孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

伯爵令嬢との楽しいひととき。ベートーヴェン『マンドリンとクラヴィーアのための4つの小品』

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ティエポロマンドリンを持つ女』

ベートーヴェン唯一のマンドリン作品

リヒノフスキー侯爵に連れられて、ボヘミアの都プラハを訪れた25歳のベートーヴェン

モーツァルトを愛したこの街で、ベートーヴェンも人気者になったようです。

ボヘミア貴族である侯爵の紹介で、前回のドゥシェク夫人をはじめ、人脈も広がりました。

その中で、ひとりの貴族令嬢とお近づきになります。

当時19歳の、クラリ=アルドリンゲン伯爵令嬢ヨゼフィーネ(1777-1828)です。

この令嬢はマンドリンを上手に演奏しましたが、歌もうまかったといわれています。

前回取り上げたアリア『おお、不実な人よ!』も、ドゥシェク夫人のために作曲しましたが、ベートーヴェンは筆写譜の校閲をした際に、フランス語で『シェーナとアリア、プラハにて、1796年』と書き、イタリア語で『レチタティーヴォとアリア、作曲ベートーヴェン、クラリ伯爵夫人に捧げる』と記してあります。

あのアリアも、生前に出版はされませんでしたが、非公式には彼女に献呈されたのです。

さらにベートーヴェンはこの令嬢のために、マンドリンのための小品をいくつか作曲し、プレゼントしてます。

そのうち、今に伝わっているのは4曲ですが、ベートーヴェンマンドリンのために作ったのはこれらの曲だけです。

マンドリンを弾く人にとっては貴重なレパートリーですが、あまり知られていないのではないでしょうか。

恋の楽器、マンドリン

マンドリンはイタリア・ナポリ発祥の楽器で、そのエキゾチックな響きから、当時のウィーンでも流行っていました。

令嬢もその流れで嗜むようになったと考えられます。

ただ、ギター同様オーケストラの一員ではないためか、いわゆる大作曲家の作品は少ないです。

有名なのは、このブログの最初の頃に取り上げたヴィヴァルディのマンドリン協奏曲、あるいはモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニのセレナーデ』でしょうか。

www.classic-suganne.com

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いずれにしても恋のイメージがあるロマンティックな楽器です。

私も大学に入ったとき、何か楽器ができるようになりたいとマンドリン・オーケストラに体験入部しましたが、やはり不器用と根気のなさを思い知ってあきらめました。

それにしても、持続音が出せない代わりにトレモロで表現する、マンドリンだけのオーケストラの響きも素晴らしいものです。 

ベートーヴェンの曲は、とても楽しく、愛らしく、明朗快活で、たぶん知らずに聴いた人はベートーヴェンとは思わないのではないでしょうか。

でも、これもベートーヴェンの重要な一面なのです。

ベートーヴェンが彼女に恋心を抱いたのかは分かりませんが、この令嬢を気に入ったのは音楽から伝わってきます。

伯爵夫人が秘蔵していた楽譜

19世紀の時点で知られていたのは、ハ短調ソナチネと、変ホ長調アダージョ・マ・ノン・トロッポの2曲だけでした。

令嬢ヨゼフィーネはベートーヴェンと出会った翌年、クラム=ガラス伯爵と結婚し、伯爵夫人になりますが、20世紀初めになって、その伯爵家に残された資料を研究していた学者がハ長調ソナチネと、ニ長調の主題と変奏の自筆譜を新たに発見します。

その楽譜にヨゼフィーネへの献辞が書かれていたので、令嬢へのプレゼントであったことが判ったのです。

実はもう1曲、筆写譜があったのですが、その学者はユダヤ系であったため、第二次大戦中に強制収容所で亡くなってしまい、行方不明のままです。

伴奏楽器は自筆譜にはチェンバロと記されていますが、この時期のベートーヴェンの表記では、「クラヴィーア」というドイツ語と同様、ピアノも含む鍵盤楽器全般を指します。

特にアダージョ・マ・ノン・トロッポには、チェンバロでは出せない強弱の指示がありますので、ピアノを想定していたことがうかがわれます。

でも、チェンバロで演奏しても、その繊細な響きとマンドリンの音色がよくマッチします。

ただ、ピアノで演奏する場合は、グランドピアノでは音量も音質もアンバランスになってしまいます。

やはり、フォルテピアノで弾くべきと思います。

若いベートーヴェンと伯爵令嬢の楽し気なデュオを想像しながら聴きましょう。

おすすめ演奏は、ラファエレ・ラ・ラジョーネのマンドリン、マルコ・クロセットのフォルテピアノのものです。

使用楽器は、18世紀後期にクレモーナのカルロ・ベルゴンツィII世作の複製で、ポピュラーなナポリ式の8弦ではなく、北イタリアで使われた単弦4弦のかなり小型なマンドリンです。

ナポリタン・マンドリンと同じチューニングで使われています。

フォルテピアノモーツァルトも愛用した1792年アントン・ヴァルター作の複製です。

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ラファエレ・ラ・ラジョーネ(マンドリン)、マルコ・クロセット(フォルテピアノ

ベートーヴェンマンドリンとクラヴィーアのための4つの小品

Ludwig Van Beethoven

ラファエレ・ラ・ラジョーネ(マンドリン)、マルコ・クロセットフォルテピアノ

Raffaele La Ragione(Mandolin), Marco Crosetto(Fortepiano)

ソナチネ ハ短調 WoO43a

4曲の中で唯一の短調ですが、ベートーヴェンハ短調にありがちな激しさはなく、しっとりと落ち着いています。ソナチネと題されていますが、ソナタ形式ではなく、トリオをもった3部形式で、メヌエットなどの舞曲楽章に近い構成です。主部はゆりかごのような8分の6のリズムで、憂いを帯びています。マンドリンの切ない響きが心に沁みます。トリオはハ長調で明るい陽射しが差し込みます。2年後に書かれたピアノ・ソナタ 第9番 ホ長調 作品14の1 第2楽章との共通点も指摘されています。トリオのあとの主部にはきらびやかな装飾をまとい、コーダもついています。

 

こちらの動画はチェンバロとの演奏です。同じ撥弦楽器ですが、音色の微妙な違いがまた素敵です。


Beethoven - Sonatina for Mandolin and Harpsichord, WoO 43a | Ekaterina Skliar & Anna Kislitsyna

アダージョ・マ・ノン・トロッポ 変ホ長調 WoO43b (Hess44)

ピアノの和音連打による静かな響きで始まりますが、思いがけない転調を含んでいて、不思議な空間を醸し出す印象的な音楽です。目立った旋律はなく、形式もきっちりとしておらず、エンハーモニック異名同音)を含む転調がうつろい、夢のまどろみの中にいるようです。その中でクライマックスもあって、マンドリンの最高音(3点へ)にまで至ります。これらの小品は、さりげないようでいて、実はマンドリンの音域を最大限使っているのです。

 

こちらの動画は、フォルテピアノとの演奏です。


Beethoven: Adagio ma non troppo for mandolin | Avi Avital

 

こちらは、チェンバロの伴奏です。


Ludwig van Beethoven - Adagio for Mandolin and Harpsichord WoO 43b

ソナチネ ハ長調 WoO44a (Hess43)

20世紀になって伯爵家から自筆譜が発見された曲です。伯爵夫人となった令嬢は、若き日にベートーヴェンからもらった楽譜を一生大切に保管していたのです。出版もされず、誰にも知られていない自分だけの曲ですから、秘密の宝物だったのでしょう。小さなロンド形式で、冒頭の楽しいフレーズは、マンドリンならでは浮き立つような民俗的な旋律で、農民の愉快な踊りのようです。しかし、中間部でのハ短調へのハッとするような転調と走る緊張感は、まさしくベートーヴェンです。

 

この動画は掲げたApple Musicと同じ、ラ・ラジョーネとマルコ・クロセットのものです。北イタリアの古城での演奏です。


Beethoven - Mandolin Sonatina in C Major

 

こちらはチェンバロ伴奏の演奏です。


Beethoven - Sonatina for Mandolin and Clavier in C major WoO 44a | Ekaterina Skliar, Anna Kislitsyna

主題と変奏 ニ長調 WoO44b (Hess45)

テーマと6つの装飾変奏です。イチ、ニ、サンと歩く可愛いマーチのような魅力的なテーマは、ベートーヴェンらしくないとされて、以前は他人の借用からではないかといわれていましたが、残されたスケッチが研究されると、そこにはかなりの推敲のあとが見受けられ、何度も形を変えていることが判り、ベートーヴェンのオリジナルであることが確認されました。単純に見えて、考えに考えられたテーマなのです。第1変奏はマンドリンが16分音符の3連音で華麗にメインを担当。第2変奏はメインがピアノに交替して32分音符でほぼ独奏、マンドリンはちょこっと和音を鳴らすだけです。第3変奏は32分音符の楽し気な掛け合い。第4変奏はメインテーマを奏でるピアノの上に、マンドリンが分散和音を重ねていきます。第5変奏は唯一短調に転じ、減七和音の幻想的な世界を現出します。最後の第6変奏は ピアノの軽快な和音の上を、マンドリンがメインテーマをご機嫌に乗せていきます。そのままコーダに突入しますが、終わったと思いきや、アダージョでメインテーマを回想します。楽しかった時間の名残を惜しむかのようです。

それは、ベートーヴェンと伯爵令嬢が心を通わせた、かけがえのない旅の思い出なのでしょう。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

 

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