孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

国王に大喝采を浴びた、ベルリンのベートーヴェン。『2つのチェロ・ソナタ 作品5』

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チェロ・ソナタ作品5をベートーヴェンと初演したジャン=ルイ・デュポール

ベートーヴェンがたどるバッハ巡礼の旅

初の長旅に出た若きベートーヴェン

1796年4月半ば頃、かけがえのない出会い、そして名声を獲得したプラハを後にして、次の目的地に向かいます。

彼を旅に連れ出したリヒノフスキー侯爵は、すでにウィーンに戻っていました。

最初はベルリンまでベートーヴェンを連れていって、プロイセンに引き合わせる予定だったはずですが、所用ができたものと思われます。

ベートーヴェンはここからは一人旅になりますが、侯爵は十分にお膳立てしてくれていたと見えて、行程に支障はありませんでした。

次の目的地は、ザクセン選帝侯の都、ドレスデン

到着したのは4月23日でした。

当時の選帝侯は、バッハロ短調ミサやカンタータを捧げて、宮廷楽長の称号を求めたフリードリヒ・アウグスト2世の孫、フリードリヒ・アウグスト3世(1750-1827)でした。

www.classic-suganne.com

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ザクセン選帝侯は、当時はすでにポーランド王位の兼任を失っていて、バッハの頃の威勢はありませんでしたが、4月29日にベートーヴェンは選帝侯主催の夜会に招かれて、1時間半にわたってピアノ演奏を披露しています。

選帝侯はその演奏に深く感動して、ベートーヴェン「金の煙草入れ」を贈ったと記録に残っています。

月末にドレスデンを後にしたベートーヴェンは、ライプツィヒに向かいます。

大バッハの活躍した街であり、平均律クラヴィーア曲集を教材とし、生涯深く尊敬していたベートーヴェンですから、さぞや感慨深かったと思われますが、残念ながら滞在中の記録は一切残っていません。

ゆかりの聖トーマス教会を訪ねなかったとは考えにくいですが、当時ヨーロッパ最大の出版社ブライトコップフ&ヘルテル社を訪ねた形跡もないのは不可思議です。

この時点では同社はまだベートーヴェンの作品は出版していませんが、後年は多くの出版を手掛け、同社とやりとりした手紙の数々は貴重な資料です。

そんなライプツィヒ滞在はわずかであったらしく、5月中旬には最終目的地、プロイセン王国の首都ベルリン入りしています。

チェロが得意な王様

そこではプロイセンフリードリヒ・ヴィルヘルム2世(1744-1797)が、到着を今や遅しと待ってくれていました。

ベートーヴェンが旅を急いだのは、王からの催促があったからかもしれません。

この王は、世界史の英雄フリードリヒ大王(2世)にあたります。

啓蒙専制君主として名高いフリードリヒ大王は、戦争に明け暮れる傍ら音楽を愛し、自らフルートを演奏、作曲もし、大バッハの次男カール・フィリップエマニュエル・バッハを雇っていたことでも有名です。

大王は1786年に子のないまま薨去し、すでに亡くなっていた弟の子、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世が即位しました。

この王様も、大変な音楽好きで、自らチェロを演奏し、かなりの腕前だったと伝わっています。

フランスから有名なチェリストジャン=ピエール・デュポール(1741-1818)とジャン=ルイ・デュポール(1749-1819)兄弟を招き、高給をもって召し抱えていました。

チェロ演奏家であった王のために、ハイドン1787年6曲の弦楽四重奏曲 作品50『プロイセン四重奏曲』を献呈し、モーツァルトも1790年に3曲の弦楽四重奏曲プロイセン王セット』を作曲しています。

いずれも、普段はアンサンブルの中で〝縁の下の力持ち〟的な位置になりがちなチェロに目立つ役割を与えて、王様を持ち上げています。

王はまた、大バッハヘンデルモーツァルトの音楽を深く愛し、宮廷劇場ではしばしばヘンデルのオラトリオが上演されていました。

ウィーンでの評判を耳にした王は、ベートーヴェンが来るのをどれだけ楽しみにしていたことでしょう。

〝デブの女たらし〟

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プロイセンフリードリヒ・ヴィルヘルム2世

ここまで音楽を愛し、芸術に造詣の深い王ですから、さぞや英邁な名君であろうと思いきや、国民からは散々な評判の君主でした。

つけられたあだ名は〝der Vielgeliebte und der dicke Lüderjahn〟すなわち〝デブの女たらし〟

あるいは〝肉の機械〟

王妃との仲は悪くありませんでしたが、とにかく女好き。

次から次へと愛人を作りました。

一番のお気に入りはトランペット奏者の娘で、伯爵夫人の称号を与えたりしたので、非難の的となりました。

楽家びいきも行き過ぎると、国民からしたらたまったものではありません。

古今東西、あだ名をつけられた君王は山ほどいますが、ここまでのひどい言われようもなかなかないでしょう。

王は、啓蒙主義の権化だった先王の路線には従わず、フランス革命つぶしに動き、同じく啓蒙的な先帝オポルト2世亡き後に、一転反動政策をとったオーストリアフランツ2世と意気投合し、「ピルニッツ宣言」を発しました。

ただ、王の在位中、プロイセン王国は勢力を拡大し、ドイツ統一の象徴となったブランデンブルク門を築いたのもこの王です。

しかし、ベートーヴェンは王の人格や政治的なことは別として、この音楽の保護者に対し、先輩ハイドンモーツァルトにならって曲を捧げます。

3大巨匠から曲を捧げられた王もこのお方だけです。

もちろん、王の好きなチェロの曲です。

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ブランデンブルク門

チェロの新約聖書

こうしてできたのが「2つのチェロ・ソナタ 作品5」です。

まぎれもなく、初期の傑作のひとつです。

ベートーヴェンチェロ・ソナタを生涯に5曲書いていますが、時期は集中しておらず、初期、中期、後期にバランスよく作曲しています。

それぞれにその当時のベートーヴェンの特徴がよく現れており、すべてが傑作といっても過言ではなく、チェロ奏者にとってはかけがえのないレパートリーとなっています。

ピアノの世界では、大バッハ平均律クラヴィーア曲は〝ピアノの旧約聖書〟、ベートーヴェンのピアノ・ソナタは〝ピアノの新約聖書〟と呼ばれていますが、チェロではバッハの「無伴奏チェロ組曲〝チェロの旧約聖書ベートーヴェンのチェロ・ソナタが〝チェロの新約聖書とされているのです。

このソナタの画期的な点は、チェロとピアノが対等に扱われている点です。

というと、ピアノが伴奏の域を超えている、というように受け取られますが、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタが、正式には「ヴァイオリン伴奏つきのクラヴィーア・ソナタ」であるように、当時としては、原点は「チェロ伴奏つきのピアノ・ソナタ」なのです。

伴奏の域を脱したのはチェロの方だということです。

恩賜の「金の嗅ぎ煙草入れ」とは

ベートーヴェンはベルリンに到着すると、何度も王に招かれて御前演奏しましたが、この2つのチェロ・ソナタは、デュポール兄弟の弟、ジャン=ルイのチェロ、ベートーヴェンのピアノで初演され、楽譜は王に献呈されました。

王はこの曲に深く感動し、「金の嗅ぎ煙草入れ」ルイドール金貨(フランスの金貨)をたっぷりと詰めて下賜しました。

〝金の嗅ぎ煙草入れ〟は、先述したようにザクセン選帝侯からももらっていますが、さすが、プロイセン王の方が太っ腹だったようです。

それにしても、なんで「嗅ぎ煙草入れ」なのかというと、これはフランス王ルイ15世が始めた慣例でした。

専門の王室御用達職人に作らせ、王のもとを訪れた外国の賓客、大使や特使に記念品として与えられました。

ルイ15世のものには、自身の若い頃の肖像があしらわれていました。

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ルイ15世が表敬訪問に来たジュネーヴ市長に与えた嗅ぎ煙草入れ(ルーヴル美術館蔵)

つまり外交の小道具だったわけです。

宮廷儀礼や外交儀礼というものは、ルイ14世以来、フランスに発祥して諸外国に広まっていました。

特にドイツ諸侯は、礼儀知らずの田舎者と言われたくないばかりに、こぞって真似をしたのです。

大国プロイセンといえども例外ではなく、あのフリードリヒ大王でさえ、ヴェルサイユ宮殿を模したサン・スーシ宮殿をベルリン近郊のポツダムを築き、宮廷ではフランス語以外の使用を禁じました。

そもそも「嗅ぎ煙草」も、フランス宮廷で〝鼻から煙を出すのは下品〟とされたことにより、広まりました。

「嗅ぎ煙草」は、パイプに詰めて火をつけて吸うのではなく、煙草の粉末を鼻から直接吸い込み、香りを愉しむので、その仕草〝スナッフ〟の方が優雅とされたのです。

確かにそれだと受動喫煙の心配はないですが。

それにしても、喫煙について色々言われるのは今に始まったことではないわけです。

実は皇室と縁が深いたばこ

日本でも、明治以来、天皇からの下賜品の代表として「恩賜のたばこ」がありました。

嗅ぎ煙草から紙巻煙草の時代になっていましたが、君主がねぎらいの気持ちとして煙草や喫煙用具を贈るのは、フランス宮廷以来の伝統であり、日本も明治期にそれを真似したのだと思われます。

健康増進法の施行により「恩賜のたばこ」は2006年に廃止となりました。

ほかに、皇室からの引出物としては「ボンボニエール」も有名です。

これは煙草入れではなくて、砂糖菓子入れですが、これも同じ伝統から来ているかもしれません。

さて、嗅ぎ煙草入れは、王様の肖像が入っていますし、金でできているとはいえ、すぐに売り飛ばして換金するのも難しいでしょうから、そこに金貨を詰めたフリードリヒ・ヴィルヘルム2世のはからいは実に粋ですし、どれだけベートーヴェンの作品に感動したかが伝わってきます。

外交の小道具を平民である音楽家に与えるのも破格ですが、著名な作曲家から曲を献呈されたら、王侯は何らか謝礼を与えるのが慣例であり、これをケチると体面に関わるので、大盤振る舞いは自分の沽券のためでもありました。

それにしても、ベートーヴェンが既に相当の国際的評価を得ていたことを示すエピソードでもあります。

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恩賜のたばこ

ではベートーヴェンの御前演奏を思い浮かべながら聴いていきましょう。

前回のマンドリン同様、ピアノは作曲当時と同様、フォルテピアノで演奏するのが望ましいです。

チェロは地味ながら、渋く優しい音色が持ち味ですから、1台でフル・オーケストラと対峙できる現代のグランドピアノとではどうしてもバランスが悪くなります。

それがチェロ・ソナタを弾く上での、ピアニストの一番の注意事項ですが、音量に注意しながら控えめに弾くよりも、フォルテピアノで思い切り弾いた演奏の方が、この曲の効果が大いに発揮できるように感じます。

ベートーヴェン:チェロ・ソナタ 第1番 ヘ長調 作品5-1

Ludwig Van Beethoven:Cello Sonata No.1 in F Major, Op. 5, No. 1

マルコ・テストーリ(チェロ)、コスタンティーノ・マストロプリミアーノ(フォルテピアノ

Marco Testori(Cello), Costantino Mastroprimiano(Fortepiano)

第1楽章 序奏(アレグロ・ソステヌート)

このふたつの曲の構成は特徴的です。緩徐楽章のない2楽章で、第1楽章の冒頭には比較的長い序奏がついています。これが緩徐楽章の代わりをしていると言えなくもないですが、フランス好みの王やプロイセンの宮廷文化に配慮して、緩ー急のフランス風序曲の体裁にしたのかもしれません。また、共演したデュポールもフランス人ですから、初めてチェロを手掛けるにあたり、フランス楽派の影響を受けたとも考えられます。ベートーヴェンのチェロ作品はフランス流からスタートしたといってもよさそうです。

チェロのつぶやきから始まりますが、最初はピアノはそれを静かに見守るかのように寄り添います。やがてピアノは物憂げな和音を奏ではじめ、不思議な雰囲気が続きます。やがて、ピアノとチェロは華麗なアルペジオをからませて、主部を導入します。

第1楽章 主部(アレグロ

アレグロの主部は、「ワルトシュタイン・ソナタ」を思わせる8分音符の連打に乗って、ピアノで朗々と歌い出されます。実に明朗快活でスケールの大きいテーマで、何度でも聞きたくなってしまいます。ベートーヴェンが新たな境地に入ったことを実感します。テーマはチェロに受け継がれ、それからはくんずほぐれつ、盛り上がっていきます。新しいテーマが次々と繰り出されるさまは、モーツァルト的と言う人もいますが、緊張と弛緩を繰り返しながら、戦闘的なまでに力強く推進される音楽はまさしくベートーヴェンです。展開部はさらにドラマティックであり、ロマンティックです。再現部直前の、抑制された世界観はこれまでの音楽になかったものです。終わりの方ではカデンツァのような場面が用意され、チェロとピアノが技を披露し、力強く終わります。2台の楽器で演じているとは思えない、ほとんどコンチェルトに匹敵する内容です。チェロを知り尽くしたはずの国王陛下も、チェロでこんなことができたのか!とその表現力の可能性に目を丸くしたことでしょう。

第2楽章 ロンド(アレグロ・ヴィヴァーチェ

最終楽章は2曲ともロンドになっていて、これもフランス流を思わせます。チェロが肩の力が抜けたような、軽いテーマを奏でながら始まり、ピアノも愛らしく和しますが、だんだんと転調を繰り返して激しさも伴います。ピアノの華麗なパッセージにチェロも負けずと技を繰り広げます。ふたつの楽器の掛け合いに心奪われていくうち、ベートーヴェンらしい劇的な効果に引き込まれていきます。チェロは重音奏法やピツィカートなど、技の限りを尽くします。途中、トルコ風のフレーズも登場し、サービス精神も満載です。王の御前で、大汗をかきながら必死で弾くヨーロッパ一の名手のデュポールと、涼し気な顔をして華麗に鍵盤上に指を走らす若きベートーヴェン。王は、手に汗握りながら、身を乗り出して引き込まれたことでしょう。

最終楽章、ロンドのフォルテピアノとチェロによる演奏動画です。


Extended Trailer - BEETHOVEN, Period.

ベートーヴェン:チェロ・ソナタ 第2番 ト短調 作品5-2

Ludwig Van Beethoven:Cello Sonata No.1 in G Minor, Op.5, No.2

第1楽章 序奏(アダージョ・ソステヌート・エ・エスプレッシーヴォ)

主部と合わせると、ベートーヴェンの初期の作品では最大の小節数となる壮大な第1楽章です。冒頭、チェロが主音を鳴らし、ピアノが悲劇的な下降音型を奏で、それを受けてチェロがさらにうめきます。まったく斬新な、ただならぬ開始です。付点リズムの重々しい響きは、フランス風序曲を意識し、王の威厳を表しているのかもしれません。チェロはやがて懐かしさにあふれた優しい旋律を奏ではじめ、ピアノもそれに和しますが、決してきらびやかな世界ではなく、不思議な、幻想的な世界が現出します。

第1楽章 主部(アレグロモルト・ピウ・トスト・プレスト)

序奏に導かれ、哀愁を帯びたチェロの歌で主部が始まります。ピアノがそれにすぐ和しますが、それほど深刻には陥らず、気高い雰囲気です。激しさがおさまると、ほどなく、長調に移り、明るく楽し気なテーマが、チェロの持続音に乗ってピアノからつま弾かれ、そのあとは両楽器の掛け合いで進みます。音楽の鳴る空間全体が幸福感に包まれるかのようです。展開部は比較的短いですが、その主題をいじる手法はハイドンモーツァルトのやり方とは明らかに一線を画しています。そしてクライマックスに至ったところで、いったん終わったかに思えますが、曲はまだ続き、展開部から再び始まり、鎮静と盛り上がりを繰り返しながら、この長い楽章を思い出深く振り返るように、余韻を残して曲を閉じます。

第2楽章 ロンド(アレグロ

宮廷的な終楽章に戻ったかのような、抒情的で優美なロンド主題をピアノが奏で、チェロが最初は控えめに和します。 だんだんとチェロが存在感を発揮しはじめ、ピアノの跡を追います。やがて、チェロは短調に転じ、感傷的な歌を歌いますが、やがて転調を経て、再び明るい調子に戻ります。経過的な部分を経て、チェロが、ジャズを思わせるような32音符の急速な分散和音を奏でる上を、ピアノがユーモアたっぷりのいたずらっぽいフレーズを鳴らします。この主奏と副奏の役割はすぐ交替しますが、この斬新さ、愉しさといったらありません。このあとのめくるめく展開は、まさに音楽のテーマパークです。コーダ近くの鎮静化を経て、一気に盛り上げて颯爽と曲を閉じます。王は立ち上がって拍手喝采したことでしょう。

こちらもロンド楽章のフォルテピアノとチェロによる素晴らしい演奏画像です。 


Beethoven SONATA opus 5 no 2 fortepiano and cello

楽長就任の話まで出たベルリン滞在

この素晴らしい2曲を聴いたフリードリヒ・ヴィルヘルム2世は、ベートーヴェンを気に入り、「金の煙草入れ」を贈っただけでなく、当時空席であったベルリンの宮廷楽長に招きたい意向を示したといわれています。

ベートーヴェンの作品は前衛的なため、熱狂的な賛辞とケチョンケチョンの批判の賛否両論でしたが、この王の心は鷲掴みにしたようです。

大国プロイセンの宮廷楽長といえば大変な高位ですが、この話は実現しませんでした。

翌年、このチェロ・ソナタを王に献呈出版してほどなく、王が亡くなってしまったこともありますが、ベートーヴェンとしてもあまり気乗りはしなかったのかもしれません。

プロイセンは名うての軍国主義専制主義国家でしたから、芸術も王の趣味嗜好に縛られ、自由な活動は制限されることが目に見えていました。

やはり、多民族国家で、ある程度〝ダイバーシティ〟に価値がおかれたウィーンの方が魅力的だったのでしょう。

後年、ウィーンで挫折を味わい、ナポレオンの弟の宮廷楽長に招かれたときには、本気で受けようとしていたので、「楽長就任」という選択肢自体は、本人にとっても絶対に無い話ではなかったはずです。

その証拠に、このベルリン滞在で、ベートーヴェンはさらに王の歓心を得るための作曲をしています。 

王は、ヘンデルモーツァルトをこよなく愛していましたので、宮廷劇場では、ヘンデルのオラトリオモーツァルトのオペラが頻繁に上演されていました。

そのため、そのふたりの曲をテーマにした変奏曲を、チェロとピアノのために作ったのです。

ヘンデルのオラトリオ『ユダス・マカベウス』から「見よ、勇者は帰る」の主題による12の変奏曲 ト長調 WoO45

テーマは、表彰式でおなじみの、あの曲です。なかなか変奏にするのは難しいように思いますが、ベートーヴェンの単なる装飾的な変奏から、性格的な変奏への転換へを示す画期的な作品です。王の歓心を買うきっかけだったとしても、非常に音楽的な水準は高くなっています。各変奏は独立しておらず、互いに関連性を持たせながら、終結に向けて工夫して配置してあります。第1変奏から第3変奏までは、原テーマのリズムの細分化による装飾的な変奏、第4変奏から第6変奏まではテーマの分解が進みます。第7変奏から第9変奏に至っては、もはやテーマは原型をとどめていません。最後の第10変奏から第12変奏では元のテーマに回帰しますが、単純ではなく、斬新な工夫な施されています。最後となる第12変奏は舞曲形式で、ソナタやシンフォニーのフィナーレのような性格が与えられています。

モーツァルトの『魔笛』から「娘っ子でも女房でも」の主題による12の変奏曲 ヘ長調 Op.66

モーツァルトの大人気オペラ『魔笛』の中でも、「夜の女王のアリア」と並んで有名な曲の旋律をテーマにしています。第2幕で道化役パパゲーノが、グロッケンシュピールを叩きながら歌うアリアです。ただし、変奏曲のテーマとするにあたって少し簡略化の加工をしています。第7変奏まではパパゲーノの歌を基本とした変奏、後半はベートーヴェンならではの性格変奏になっています。最後の第12変奏は、前曲同様、舞曲の性格となっています。

なおベートーヴェン自身は、変奏曲のような軽いジャンルには作品番号は振りませんでしたが、「作品66」は、1819年に出版社アルタリアが、倒産した初版の出版社から版権を譲り受けて再版したときにつけた番号です。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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