孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

新上司とのしがらみを超えて。ハイドン『交響曲 第43番 変ホ長調《マーキュリー》』

エステルハージ侯爵ニコラウス1世

新しいご主人さまも名君

ハイドンエステルハージ侯爵家宮廷楽団副楽長として雇用され、さっそくに〝チームハイドン〟ともいうべき新オーケストラを編成し、宮廷の音楽活動の総監督として八面六臂の活躍を始めて1年足らず。

彼を抜擢したエステルハージ・パウル・アントン侯爵(1711-1762)が急逝してしまいます。

もっと長生きしてハイドンの音楽を堪能してもらいたかったのに、惜しいことです。

代わりに、弟のエステルハージ・ニコラウス・ヨーゼフ侯爵(1714-1790)が跡を継ぎましたが、これが、前代を上回る英主でした。

ニコラウス1世とも呼ばれます。

〝島津にバカ殿なし〟といいますが、エステルハージ家も代々名君揃いなのです。

ニコラウス1世は次男として生まれましたので、最初から跡継ぎとされていたわけではありませんでした。

そのため、オランダのライデン大学ウィーン大学で学んだあと、エステルハージ家の使命である、ハプスブルク家を守るために軍人の道に進みました。

七年戦争では中尉として従軍し、コリンの戦いではフリードリヒ大王率いるプロイセン軍を打ち破るのに大きな功績を立てました。

その後、マリア・テレジアの幕僚となり、1762年には近衛師団大佐、1764年には砲兵大将、1768年には陸軍元帥に取り立てられました。

兄侯爵との仲は悪くありませんでしたが、一緒には住まず、ノイジードル湖のほとりの狩猟用の館がお気に入りで、そこに住んでいました。

彼はのちにこの狩猟館を〝ハンガリーヴェルサイユ〟に改築します。

兄が子がないまま亡くなると、侯爵位を襲爵し、エステルハージ家の主となります。

そして、ハイドンはそのまま副楽長として留任させます。

ハイドンの失敗

バリトン

ニコラウス1世は、兄以上の音楽好きで、ハイドンを全面的に信頼し、公私ともに彼の活動を援助しますが、最初はちょっとギクシャクしていたようです。

というのも、1765年には侯爵がハイドンを公式に叱責した譴責文書が遺っているのです。

そこには、ハイドンが作曲をおろそかにしたということが書かれており、侯爵のお気に入りの楽器バリトンの曲をもっと作るように、との記述があります。

バリトン』は、歌手のことではなく、ヴィオラ・ダ・ガンバに似た古い楽器です。

6本ないし7本のガット弦が張られ、さらに9本から24本の金属の共鳴弦(主に12本)を持っていて、独特の音色を出しました。

複雑な構造で、演奏は非常に難しく、調律にも手間がかかるため、その後廃れてしまいました。

ニコラウス侯は、この名手だったということですから、相当な音楽通です。

侯爵は、4人ものバリトンの名手を召し抱え、軍務、公務の傍ら、朝な夕な演奏していました。

ハイドンヴィオラで、バリトンのアンサンブルに加わっていました。

ハイドンは、音楽監督として、侯爵お気に入りのバリトンをモノにしなければ立つ瀬がない、と思ったようです。

また、この楽器を使いこなして、侯爵の歓心を得ようと考えました。

伝記作家ポールが、ハイドンが晩年同じく伝記作家のディースに語ったというエピソードを残しています。

バリトンのために作るハイドンの曲は、ただ一つの調だけに限られている、という侯爵の主張に刺激されて、ハイドンはこの楽器を、独力で、徹底的に学んでみようと思い立った。おそらく、彼はまた、侯爵を喜ばせようと思ったでもあろうし、あるいはその際、虚栄心もはたらいていたにちがいない。自分の作曲をほうりだし、侯爵に無断で、おそらく半年ものあいだ、彼は十分に練習した。そうするためには、時間もなく、妻の怒りも買ったために、ほとんど夜を利用しなければならなかった。ついに彼は、誇りをもって侯爵の前で聴かせることができると考えるにいたった。彼は演奏した。しかもまさにいろいろの調で演奏したのである。そして、驚きと喝采とを期待した。だが、侯爵は全く心を動かされず、ただこう言った。「ハイドン!おまえはそれをもっとよく知らねばならぬ。」(ハイドンはのちにディースにこう語った。)「私は侯爵のことはよくわかっている。もっとも、私もはじめは、侯の冷淡さに苦しんだし、私がとつぜん名バリトン奏者になろうと思い立ったために、侯がおもしろくない感情をもたれたのではないかと疑ってもみた。けれども私は、そのときすでにいくらかの名声を獲ちえていたのは、演奏の名手としてではなく、楽長としてであったことを思いおこし、半年ものあいだ作曲をおろそかにしていたことに対してわが身を責め、ふたたび新しい熱意をもって、作曲へと身を向けたのだった。」*1

このような行き違いが、かえってお互いの理解を深め、主従の信頼関係が強固なものとなりました。

侯爵のために作曲したバリトン作品は、宮殿の火事で相当失われたはずなのですが、それでも136曲が現存しているのです。

ハイドンは、侯爵家の使用人の中でも最高位を与えられ、特別なテーブルで食事を与えられました。

ハイドンの邸宅が2度火事になったときは侯爵はその都度再建費用を出してくれましたし、ハイドンの愛人となった歌手ルイジア・ポルツェリの解雇を取り消したり、凡庸な歌手だったハイドンの弟ジョセフを雇用したり、私的な事情にも曲げて配慮をしてくれたのです。

出版や他の貴族のために作曲することも、寛容に許してくれました。

ハイドンが豊かな芸術作品を生み出せたのは、まったくもってニコラウス1世のお陰なのです。

 

それでは、ハイドンが全力投球したシンフォニー群を聴いていきましょう。

今回は第43番『マーキュリー』です。

ローマ神話の神メルクリウス(マーキュリー)

ハイドン交響曲 第43番 変ホ長調《マーキュリー》

Joseph Haydn:Symphony no.43 in E flat major, Hob.I:43 "Merkur"

演奏:ジョヴァンニ・アントニーニ指揮 ジャルディーノ・アルモニコ

(バグにより、一部プレイヤーが全曲になってしまっております。お許しください。)

第1楽章 アレグロ

1771年に作曲されたシンフォニーです。タイトルの『マーキュリー』は、ローマ神話の商売・旅人の神、メルクリウスのことです。ギリシア神話の神ヘルメスと同一視されます。しかし、このタイトルはハイドンのつけたものではないばかりか、何の根拠かも分かっていません。アロイス・フックスという人が、1839年に作ったハイドンの作品目録に載っているだけです。第50番のシンフォニーの第2楽章が、ハイドンのマリオネット・オペラ『フィレモンとバウキス』の序曲から転用されており、このオペラの登場人物にマーキュリーが出てくるため、混同されたのではないか、という説があります。

しかし、この曲の颯爽として格好いい雰囲気は、神の名にぴったりな気もします。

この曲は、ハイドンのシンフォニーの新境地を開拓したものと言われています。というのも、提示部の各要素、第一主題、経過部、第二主題、コデッタが、はっきりとした輪郭をもっておらず、対位法や不安定な楽節によって、混然としているのです。形式を整えたといわれるハイドンは、逆に形式にこだわらず、それを崩した妙を追求しているのです。

トゥッティの強奏に続き、第1ヴァイオリンがピアノでゆっくりした、いささか間延びしたテーマを歌います。しかしこれは前座の仕掛けで、やがて突然、ヴァイオリンが16分音符で下降したかと思うと、躍動的なスピード感あふれる音楽が走り出します。まるで、天空を翔けるマーキュリーのようです。

展開部では、第1主題の冒頭が、調を揺るがせながら不安定に進行し、ハ短調の劇的なフレーズに移行したかと思うと、お得意の「疑似再現」・・・にしては早い?といった意表を突きまくる展開となります。

再現部では、単なる明るい再現ではなく、緊張感をはらんで、最後まで引き込んでいきます。ハイドンは、シンフォニーをエンターテインメントにとどまらせず、芸術として深化を図っているのです。

第2楽章 アダージョ

弱音器をつけた第一ヴァイオリンが第一主題を静かに語りだします。管楽器はほぼお休みです。この楽章では、第1楽章のような突拍子のないような試みは無く、半音階的なため息の音型が美しく心に沁みます。

第3楽章 メヌエット

対位法的な処理が加えられた、凝ったメヌエットです。音楽的にみると、モチーフとリズムに精緻な変奏の工夫があるそうです。トリオはオーストリア農村風の朴訥な雰囲気のものです。

第4楽章 フィナーレ:アレグロ

第1楽章と同じような、いささか冗長と思えるような、伸びやかなテーマで始まります。そしてまた、いきなり飛び跳ねるように走り出していきます。唐突感さえある強弱がインパクトを与えます。スピードに乗ったかと思うと、突然立ち止まったり、聴いている方はずっと翻弄され続けます。

「風変り」「エキセントリック」と言われる楽章ですが、宮廷楽団を使ったこうしたハイドンの大胆な実験を、侯爵は寛容な心で許していたのか、それとも、一緒になって楽しんでいたのでしょうか。

 

動画は、ジョヴァンニ・アントニーニ指揮 イル・ジャルディーノ・アルモニコの演奏です。


www.youtube.com

 

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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*1:大宮真琴『新版ハイドン音楽之友社