孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

まるで水戸黄門?お忍び旅が大好きな皇帝。マリア・テレジアとヨーゼフ2世母子の葛藤物語9。ハイドン『交響曲 第58番 ヘ長調』

自ら鋤を引くヨーゼフ2世

歴史に残る名君

先日、英国女王エリザベス2世薨去されました。

〝国王は君臨すれども統治せず〟という立憲君主制発祥の地でありながら、君主の立ち位置について明文化されていない慣習法の国にあって、立ち振る舞いの非常に難しい役回りを、70年の長きにわたって務め上げ、国民と世界の人々からの敬愛を一身に受けた生涯は、まさに偉大としか言いようがありません。

現代の王族は、王室の威厳と伝統を守りつつ、国民の支持も受けなければならないという、かつての王侯とは比べものにならない困難を乗り越えなければなりません。

しかも、それは自分で選択した道ではなく、生まれながらに強制されたものです。

まさに、国のため国民のため、自分を犠牲にした人生であり、その訃報に接し、ただただ胸が熱くなるばかりです。

生涯の1/3は旅行していた皇帝

さて、オーストリア女帝マリア・テレジアも、その生涯を国のために捧げ、今も敬愛されています。

息子の皇帝ヨーゼフ2世も、国民のため、という思いは、ある意味母帝以上に強く持っていましたが、どうも空回りの連続でした。

母帝の心配をよそに、仇敵プロイセン王フリードリヒ2世に会いに行った若き皇帝

その御腰の軽さは、当時の君主にあっては極めて異例でした。

皇帝に即位してから、母帝との共同統治時代の15年間に、国外旅行は5回、国内旅行は21回に上りました。

国内はほとんど隈なく回り、国外では東は黒海クリミア半島、北はロシアのサンクトペテルブルク、西はフランスの果て、ブレストやボルドーに至ります。

その旅のスタイルは、ハプスブルク家の君主としてではなく、ファルケンシュタイン伯爵」という偽名を使って身を中級貴族にやつし、数名の官僚、ひとりかふたりの側近、従僕、料理人、秘書を伴ってのものでした。

日頃から派手さや大袈裟なことを嫌い、質素と節約を好んだ彼は、訪問先に『宿泊する場所での照明や楽器演奏、そのほかの祝賀行事、歓迎の宴などはいっさい催されることのないよう』と依頼していました。

もちろん、政府も先々にあらかじめ連絡し、訪問を受ける方も、逆に色々と気を遣わなければなりませんでしたが。

郵便馬車の皇帝〟

彼の訪問の目的は、主にふたつ。

まずは、戦跡の視察や、戦場となるかもしれない土地の下見。

これは、戦争好きの彼には非常な愉しみだったようです。

事を構える可能性のあるプロイセンやロシア、トルコに関わる土地には特に関心があり、ウクライナも熱心に視察したようです。

もうひとつの目的は、民情巡視。

自分の才覚、判断力に絶対的な自信を持ち、人を信用していない彼は、臣下からの報告には満足できず、実際に自ら見聞きして得た情報しか当てにしなかったのです。

その姿勢は民衆には歓迎されました。

下々の者と親しく会話し、その話に耳を傾け、〝何かあれば直接余に言ってくれ〟などと請け負って去るわけですから、視察のあとには郵便馬車いっぱいの陳情書が届くといわれました。

そのため、彼には郵便馬車の皇帝〟という名がついたのです。

〝農民王〟

鋤を引くヨーゼフ2世

前回取り上げた、フリードリヒ大王とのナイセの会見に行く途中、モラヴィアのスラヴィーコヴィツェ村で彼の馬車が故障しました。

しばらく足止めを余儀なくされた彼は、道端の畑にいて農作業をしていたアンドレアス・トゥルンカという農夫を呼んで、自分に鋤を引かせてくれ、と頼みました。

そして実際に自ら一畝を耕作してみたのです。

このエピソードは銅版画にされて拡散。

今度は〝農民王〟というあだ名がついて、民衆の人気を呼びました。

このとき使用した鋤は、今もチェコモラヴィアのブルノにある民族博物館に遺されているということです。

鋤を引くヨーゼフ2世

鋤を引くヨーゼフ2世

このハプスブルクの紋章が目に入らぬか!

あるときヨーゼフ2世は、ウィーンの公営質屋がぼろ儲けをしている上に、本来助けるべき貧しい市民や農民に対して辛く当たっている、という噂を聞きました。

彼は、平民の格好に身をやつし、使い古したシルクハットを出して、これでお金を貸してほしい、申し入れました。

するとその質屋は、そのみすぼらしい格好を見て、とても金など貸せない、帰れ、とけんもほろろに追い返そうとしました。

そこで彼は、余は皇帝ヨーゼフであるぞ、控えおろう!とばかり身を明かし、驚愕して平伏する質屋に営業停止を言い渡しました。

そして彼は、普通の市民でも利用できる質屋ドロテウムを創設したのです。

まさに〝水戸黄門〟です。

庶民は拍手喝采しました。

偉大すぎる母から離れたい…?

しかし、このような帝王らしからぬ軽々しい振る舞いを、苦々しく、心を痛めながら見ていたのは、母帝マリア・テレジアでした。

彼女は1769年には『皇帝に期待を寄せることはできません。どこにも喜んで出かけますが、家にだけはいたがらないからです。』と嘆いていました。

ヨーゼフ2世としては、共同統治者である母君と一緒にウィーンにいたら、常に監視され、自分の好きなようにできない、という思いがあったことでしょう。

また、老練な母が政治を見てくれている間に、自分は各地で情報収集しよう、という考えだったかもしれません。

会社でいえば「会長」と「社長」のような役割分担かもしれませんが、母帝としては、出かけてばかりで実務を顧みず、やりたいことしかしない、地に足がついていない息子には、危なっかしさしか感じられなかったのです。

夫を喪い、相談相手さえいない孤独の中で、女帝はひとり悩むしかありませんでした。

そしてその心配は的中し、息子はこれからいくつも、とんでもないことをしでかしてしまうのです。

 

それでは、ハイドンのシンフォニーを聴いていきましょう。

ハイドン交響曲 第58番 へ長調

Joseph Haydn:Symphony no.58 in F major, Hob.I:58

演奏:トレヴァー・ピノック指揮 イングリッシュ・コンサート古楽器使用)

第1楽章 アレグロ

ハイドンのこの時期のシンフォニーは、自筆譜が残ってないものが多いので、後につけられた通番は必ずしも作曲順とは限りません。この第58番は古く、1767年頃、だいたい30番台の曲と同じくらいの成立ではないか、と考えられています。それも確固たる証拠はなく、推定の域ですが。

冒頭はあくまでもさりげなく、静かな歌い出しです。第1主題も、ハイドンには珍しいカンタービレ(歌謡的)なものです。第2主題にはやや力がこもりますが、それでも穏やかで平和な調子は変わりません。

展開部では、緊張感もはらみますが、第1主題がリズム的に加工され、ユーモラスな感じです。まさに〝癒しのシンフォニー〟といえます。

第2楽章 アンダンテ

第2楽章はこの時期のシンフォニーに多くあるように弦だけで演奏されます。第1楽章の穏やかな気分を引き継ぎながら、深刻になることなく、豊かな詩情が満ちています。ヴァイオリンと、低弦との掛け合いが実に典雅でオシャレです。形式は展開部を省略したソナタ形式で、円環式二部形式構造(ラウンディット・バイナリー・フォーム)をとっています。

第3楽章 メヌエット・アラ・ツォッパ(ウン・ポコ・アレグレット)&トリオ

このシンフォニーの主役は、実はこのメヌエットです。「アラ・ツォッパ」(alla zoppa)という見慣れない表記は「よろめくように」という意味で、英語ではリンピング(limping)といい、不均整なリズムを表したものです。

シンフォニーの楽譜には、それがどのようなものか具体的な指示はないのですが、ハイドンは仕えていたエステルハージ侯爵(ニコラウス侯)のために120曲に上るバリトン・トリオを作曲し、その第52番 ニ長調の第3楽章が実はほぼ同じ曲で、その楽譜にはトリオ部に「アル・コントラリオ」と表記され、正規の4小節フレーズとレガート奏が、メヌエット主部のスタッカートや付点リズム等とコントラストを描くように、という指示があります。バリトンは、今は滅んでしまった、やや複雑な構造をもつ弦楽器ですが、ニコラウス侯はこよなくこれを愛しました。このバリトン・トリオは1767年または1768年の作曲と考えられており、このシンフォニーとどちらが先に作曲されたかは定かではありませんが、侯爵がこの曲を気に入ったために、シンフォニー化したのかもしれません。

メヌエットはちょっとすましたような、ユーモラスな調子です。トリオは一転、ヘ短調の不気味な雰囲気となります。トリオの後半では、2本のホルンがトニック・ペダルを8小節吹きますが、これは弦楽のコードとは不協和になり、より不気味さを増す効果が狙われています。そして帰ってきたメヌエットとの対比が見事に聴こえるのです。

第4楽章 フィナーレ:プレスト

3拍子の、踊るかのようなフィナーレです。第1楽章も3拍子でしたので、このシンフォニーは、舞踏の雰囲気が全体を支配しているのです。しかし、本来の3拍子のリズムとは違い、第2拍目に重きを置き、風変りな印象を与えます。途中で、いきなり酔っ払いが乱入してくるかのようなユニゾンのフレーズがあったり、突然停止したかと思うと急に走り出したり、突如として遠隔調への転調があったりと、意表を突く仕掛けが満載です。ハイドンが、自分の思う通りに動かせるエステルハージ家宮廷楽団を使って、大胆で思い切った実験を繰り返していた様子がまざまざと窺えるシンフォニーです。

 

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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