パリでぶち上げた、オペラ改革!
前回まで、グルックのオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』を聴きました。
これは現在ポピュラーに上演される、グルックの唯一の作品といってよいでしょう。
クリストフ・ヴィリバルト・グルック(1714-1787)は古典音楽の巨匠と讃えられ、「オペラ改革」を成し遂げた音楽史上の偉人ですが、その作品の多くはほとんど演奏されておらず、よほどのクラシックファンでもあまり聴いたことがないと思われます。
このブログでは、彼の音楽がマリー・アントワネットとの関りの中で果たした、大きな歴史的役割に思いを馳せながら、味わってみたいと思います。
『オルフェオとエウリディーチェ』は、1774年に王妃マリー・アントワネットの肝いりでパリで上演されましたが、新作ではなく、もともと1762年にウィーンで上演されたものです。
グルックの「オペラ改革」の第1弾でしたが、イタリア語の歌唱でした。
それを、パリでの上演に合わせてフランス語に替え、スコアにも大きく手を入れました。
しかし、グルックの本格的な「オペラ改革」は、最初からフランス語で作曲され、1774年4月19日にパリで上演された、『オーリードのイフィジェニー』から始まったのです。
以前も書きましたが、グルックの改革は、歌手中心でさながら歌謡ショーのようなイタリア・オペラを排し、古代ギリシャの音楽劇に範をとった、「音楽によるドラマ」に戻すことでした。
偉大なるラモーの跡を継いで
ドラマについては、17世紀に活躍した古典主義三大作家、ラシーヌ、コルネイユ、モリエールに代表されるように、フランスで発展してきました。
そして、オペラについても、同じく17世紀にリュリが叙情悲劇(トラジェディ・リリック)を生み出し、カンプラが受け継ぎ、バッハ、ヘンデルと同年代のジャン=フィリップ・ラモー(1683-1764)が大成させました。
これも、ドラマを音楽の力で盛り上げてゆく、文学的なジャンルです。
しかし、偉大なラモーが、その庇護者ポンパドゥール夫人の後を追うように1764年に世を去ってから、しばらくトラジェディ・リリックは廃れてしまっていました。
ラモーが去って10年。
グルックは、自らの新しいオペラの方向性をフランスのトラジェディ・リリックに見出し、パリで新作を世に問うことを企てたのです。
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母帝、兄帝の思惑
この企画には、グルックの庇護者である、オーストリア、ハプスブルク家の女帝マリア・テレジア、皇帝ヨーゼフ2世も大いに乗り気になりました。
なにしろ、娘、妹であるマリー・アントワネットをフランス王太子妃として嫁がせたものの、なかなか子宝に恵まれず、その地位が不安定であるのを心配していました。
ドイツの誇る偉大なる作曲家、しかも少女時代のマリー・アントワネットの音楽教師であったグルックに、パリ・オペラ座でその画期的な新作を上演させる。
それは、ハプスブルク家としてフランスに対し、大いに面目を施し、国威発揚となります。
王太子妃の立場も強化されるのではないか。
母帝、兄帝にこの話を持ち掛けられたマリー・アントワネットは、この企画に飛びつきます。
彼女は、自分を縛ってばかりいるヴェルサイユ宮廷に、自らの力を行使できる絶好の機会だと考えたのです。
実際、前年に、嫁いでから3年もお預けを喰らっていた正式なパリ入城を果たし、20万の市民の歓呼を受けたマリー・アントワネットは、自分に自信をつけ、やりたいことをやりたい、という気持ちでいっぱいでした。
横暴なる、異国のプリンセスと音楽家
グルックのパリでのオペラ上演は、当然のことながら、フランス劇団、イタリア劇団から妨害を受けました。
裏ではさまざまな陰謀が企てられました。
しかし、マリー・アントワネットとグルックは強力なタッグを組み、そのような陰謀は潰していきます。
以前も触れたように、グルックのオーケストラや歌手に対する要求は厳しく、彼はリハーサルで自分の満足のゆくまで何度も演奏をやり直させ、怒鳴り散らし、暴れまわりました。
当時の女性歌手たちは、たいてい有力貴族の愛人になっていましたから、彼女たちはパトロンに泣きつき、グルックをウィーンに追い返してくれるよう頼みました。
しかし、その意を受けた貴族たちも、マリー・アントワネットの強い保護には勝てません。
オーケストラも、こんな難しいオペラは上演不能、と訴えますが、マリー・アントワネットは絶対に上演するように、と命じます。
歌手が病気なら、延期すればいいじゃない!
地獄のリハーサルが終わり、ついに上演は1774年4月13日に決定し、宮廷は貴族たちに席を割り振り、馬車の手配をし、王太子ルイの臨席も決まります。
ところが、直前に歌手がひとり、体調不良となり、代役を立てなければならない事態となりました。
しかし、グルックは、それではダメだ、練習していない歌手には歌わせられない、上演は延期だ、と吠えます。
国王の都合ならまだしも、歌手一人のために、また歌のうまいヘタのために、既に段取りの固まった宮廷行事を延期するなど、前代未聞です。
宮廷は震えあがり、王太子妃に訴えます。
グルックの方も頑として譲らず、不満足な形でオペラを上演するくらいなら、楽譜を火にくべる方がマシだ、と怒鳴り、また王太子妃に訴えます。
マリー・アントワネットは元師匠グルックの言い分を聞き入れ、無理矢理初演を4月19日に延期してしまいます。
そして、当日には、劇場で観客が口笛を吹いたり、ヤジを飛ばしたりして上演を妨害しないよう、宮廷警察に取り締まりを命じます。
マリー・アントワネットは、グルックの改革オペラの意義や、その音楽の崇高さは理解できていません。
しかし、自分の元教師、またオーストリア帝国の一音楽家のために、いや、自分の意思を通すために、公然と動いたのです。
これは、彼女がフランス王国に押しつけた、初めてのわがままでした。
だんだんと評価された、崇高なる音楽
そして、初演当日。
幕が上がっても、ヤジは飛ばないものの、拍手も起こりません。
マリー・アントワネットは、これ見よがしに、率先して拍手します。
そうなると、儀礼上、義弟のプロヴァンス伯、アルトワ伯たちも拍手せねばならず、全観客も拍手せざるを得ませんでした。
そのため、初演は一応、「大成功」ということで歴史に刻まれました。
このオペラは、翌日の新聞に『いくつか非常に良い箇所があるものの、全体としては単調』と評されますが、新しいものはすぐには受け入れられません。
しかし、グルックの改革オペラは、第2弾、第3弾と繰り出されるたび、真面目な悲劇を好むフランス人の中に、熱狂的なファンが増えていきました。
そして、パリ人は「グルック派」と、伝統的なイタリア・オペラを支持する「ピッチンニ派」に分かれ、史上有名な音楽論争「グルック=ピッチンニ論争」に発展していきます。
いずれにしても、『オーリードのイフィジェニー』は、音楽史上も、政治史上も、大きな意義をもった作品なのです。
それでは、まず序曲から聴きましょう。
原作『アウリスのイピゲネイア』
このオペラの舞台は、古代ギリシャ。
有名な「トロイア戦争」にまつわるエピソードが題材となっています。
伝説的な古代の叙情詩人、ホメロスによって歌われた戦争ですが、長年神話と考えられてきました。
しかし、19世紀になってシュリーマンがトロイアの遺跡を発見し、戦争自体は史実であることが証明されました。
題材はギリシャ語に基づく読み方では『アウリスのイピゲネイア』で、フランス語で『オーリードのイフィジェニー』となります。
『アウリスのイピゲネイア』は、古代アテネの三大悲劇詩人のひとり、エウリピデス(紀元前480年頃-紀元前406年頃)の悲劇作品で、これを前述のフランス古典演劇三大作家、ジャン・バティスト・ラシーヌ(1639-1699)が戯曲『イフィジェニー』とし、これを元に、フランソワ=ルイ・ガン・ル・ブラン・デュ・ルレがオペラ台本にしました。
トロイア戦争の発端は、神々の結婚式に呼ばれなかった不和の神エリスが、「最も美しい女神へ」と書いた黄金のリンゴを式場に投げ込んだことに始まります。大神ゼウス(ジュピター)の妃ヘラ(ジュノー)、知恵と戦いの神アテナ、美と性愛の神アフロディーテ(ヴィーナス)の3人が、このリンゴは私のものよ!と争い、ゼウスに裁定を求めます。
ゼウスは、誰に決めても厄介なことになる、と裁判官の役目を、訳あって羊飼いになっていたトロイア王国の王子パリスに押し付けます。
三人の女神はそれぞれパリスに対し、自分を選んでくれたら見返りを約束します。
ヘラは「世界を支配する力」を、アテナは「いかなる戦争にも勝利を得る力」を、アフロディーテは「最も美しい女」を、それぞれ与えると提案。
若いパリスは、美女を選んでしまいます。
アフロディーテは喜び、ギリシャの一王国、スパルタ王メネラオスの妃ヘレネをパリスによってさらわせます。
ヘレネは、世界一の美女と讃えられ、ギリシャの王たちから求婚を受けますが、危うく戦争になりかけたため、「誰が選ばれるにしても、その男が困難な状況に陥った場合には、全員がその男を助ける」と求婚者全員が誓いを立て、その上でヘレネはスパルタ王メネラーオスを選んだのです。
女神アルテミスを怒らせた、総大将アガメムノン
アフロディーテはパリスに人妻を与えてしまったわけですが、当然、夫王メネラオスは怒り、かつての誓いを発動して、ヘレネを取り戻すため、全ギリシャの王たちに、トロイアへの遠征を呼びかけます。
王たちも、誓いを破るわけにはいかず、名誉をかけ、おびただしい軍船を率いて、アウリスの港に終結。
ミケーネ(ミュケナイ)王のアガメムノンが総大将に選ばれます。
アガメムノンは大きな栄誉を手にして天狗に。
そして、神聖な森で狩りをし、狩りと月の女神アルテミス(ダイアナ)が可愛がっていた大きな鹿を仕留めたばかりか、『アルテミスであっても、こんな大物はとても得られまい』、とうそぶいてしまいます。
これを聞いたアルテミスは、その傲慢ぶりに激怒。
いざ、トロイアに向けてエーゲ海を渡らんと船出を待っていたギリシャの軍船に対し、一切の風を止めてしまいます。
戦で手柄を立てようと勇んでいたギリシャ軍の将兵たちは、長滞陣に倦み、こんなに長い間、全く風が吹かないのはおかしい、神が怒っているのではないか?と疑い、祭司カルカスに神託を求めます。
カルカスに下された神託は、『アガメムノンの娘、イピゲネイアを生贄に捧げよ』というものでした。
カルカスは、これをアガメムノンだけに打ち明けます。
アガメムノンは、愛する娘をとても犠牲になどできない…と苦悩するところから、この物語は始まります。
物語の始まりを告げる序曲に、グルックはドラマの登場人物たちのさまざまな思いを込めました。
幕開けの〝ガヤ鎮め〟や、王様が劇場で着席する際の〝BGM〟の役割だった序曲を、ドラマの内容を予告するものとする、というコンセプトも、グルックの画期的な改革の一環です。
この序曲は、グルックの作品でも、いや、古典派の序曲の中でもひときわ優れた傑作と言って過言ではなく、後年ワーグナーも絶賛し、編曲までしたのです。
グルック:オペラ『オーリードのイフィジェニー』序曲
Christoph Willibald Gluck:Iphigénie en Aulide, Wq.40, Ouverture
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)リヨン国立歌劇場管弦楽団【1987年録音】
序曲
この序曲は、これから始まる物語を構成するいくつかの要素を組み合わせており、「オペラ改革」の肝となる「序曲の劇的な意味の重視」を体現した作品です。
冒頭のハ短調の悲劇的な旋律は、アガメムノン王の父としての苦悩と哀願を表しています。
続いて、オーケストラとティンパニによる荒々しいユニゾンは、人間には抵抗できない神の絶対的な意思を示します。
その後の16分音符に乗って上昇と下降を繰り返す、痺れるような楽想は、戦に逸る軍勢を、次に現れるヴァイオリンとフルートによる軽快で優美な楽想は、純真無垢な王女イピゲネイアをイメージさせます。
そして、ヴァイオリンとオーボエの掛け合いで、半音階的な不安な楽想が覆いますが、それは母で王妃のクリュタイムネストラの苦悩を表しているといわれます。
このオペラを評価して編曲までしたワーグナーも、おおむねこのように解釈しています。
音楽は、これらのモチーフを繰り返しながら、終わることなく、そのまま第1幕が開き、アガメムノン王の苦悩に満ちたレチタティーヴォに流れ込むのです。
なんという崇高でドラマティックな音楽でしょうか。
動画は、ハイドンの『パリ・セット』の演奏を以前取り上げた、ジュリアン・ショーヴァン指揮、ル・コンセール・ド・ラ・ロージュによる、コンサート形式の上演です。やはりこのオペラはフランスの演奏家の表現が抜きんでている気がします。
動画プレイヤーは下の▶️です☟
次回は第1幕です。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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