この曲は、私とモーツァルトのティーン番号のピアノ・コンチェルトとの出会いの曲です。まだ古楽器に出会う前、第24番が欲しくて、巨匠ルドルフ・ゼルキンが弾く、クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団の演奏のCDを買い、それにカップリングされていました。
モーツァルトの聴き始めの頃で、深遠な24番に比べて、ずいぶん軽くて脳天気に感じ、最初はあまり気に入りませんでしたが、古楽器のガーディナーの演奏に出会って、まるで違う印象になり、大好きな曲になりました。
そして、ゼルキンのCDはもう要らない、と中古CD屋に売ってしまったのです。
現代の大きなオーケストラで、荘重な巨匠の演奏で聴くと、特にモーツァルトの若い頃の軽快な作品などは、ともすれば空虚に響いてしまうことも無きにしもあらずです。
もちろん、現代楽器の演奏にも良さがあり、私も若かったと思いますが、やはり古楽器で演ることによって、モーツァルトの狙った効果がダイレクトに伝わる、というのは今でも確信しています。
モーツァルト『ピアノ協奏曲第18番 変ロ長調 K.456 〝パラディース〟』
Mozart:Concerto for Piano and Orchestra no.18 in major , K.453
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)
マルコム・ビルソン(フォルテピアノ)
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
John Eliot Gardiner , Malcolm Bilson & English Baroque Soloists
例のタンタカタッタ、でさりげなく始まるのは、毎度意表をつかれます。やはり、これを現代のグランドピアノでやられると、どうしても重くなりがちです。もちろん、軽妙に弾くピアニストもいますが。ピアノパートと弦、管楽器の合いの手が見事で、幸せな気持ちになります。
父レオポルトはウィーンに来て、オーケストラの近くでこの曲を聴くことができ、『冴えわたった楽器相互の交換の素晴らしい楽しみを聴き取り、喜びの涙を流した。』と、モーツァルトの姉ナンネルに書き送っています。
第2楽章 アンダンテ・ウン・ポコ・ソステヌート
哀しげな短調の音楽です。ピアノ・コンチェルトの第2楽章で短調を使うのは、第9番“ジュノーム”以来です。
このコンチェルトは、盲目の女性ピアニスト、マリア・テレジア・パラディースのために作曲されたのですが、“ジュノーム”も、同じく盲目の女性ピアニストのために作られたのです。
メロディは、オペラ『フィガロの結婚』第4幕冒頭の、バルバリーナの歌(カヴァティーナ)に似ています。バルバリーナは、暗闇の中で大事なピンをなくしてしまい、途方に暮れてこの歌を歌うのですが、パラディ―スが盲目であることを意識してのことなのかどうかは分かりません。
モーツァルトの短調の最大の魅力、哀しさの中に差す温かな光は、ここでも聴く人を癒してくれます。
軽快なピアノから始まります。そして、オーケストラがそれを受け継ぎますが、ウィーンの街から大空に浮かび上がるような心地がします。そして、遠くには雪をいただいたアルプスの山々が輝いている……それが私のイメージです。気負わず、それでいて颯爽とした、まことにカッコいいフィナーレです。
コンサートに臨席していた神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世は、退場するピアニストに向かって帽子を取り、『ブラヴォー!モーツァルト!!』と叫んだといいます。モーツァルトの辞職、ウィーン行き、そして結婚にも大反対していた父レオポルトも、息子の晴れ姿に涙が止まらなかったことでしょう。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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