孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

テムズの優雅な舟遊び。ヘンデル『水上の音楽〝アラ・ホーンパイプ〟』~古楽器で聴く結婚式の定番曲(6)

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テムズ川上のヘンデルとジョージ1世(想像画)

結婚式の定番曲、6曲目は、わがヘンデルです。『水上の音楽 Water Music』はヘンデルの代表作で、一般的には〝ヘンデル=水上の音楽〟は、〝ベートーヴェン=運命〟のような組み合わせでしょう。

アラ・ホーンパイプ

『水上の音楽』は前回取り上げました、G線上のアリアを含むバッハのフランス風序曲と同じ管弦楽組曲で、3つの組曲があります。第1番ヘ長調、第2番ニ長調、第3番ト長調がありますが、結婚式でよく使われるのは、トランペットが使われ、最も華やかな組曲第2番の第2曲、『アラ・ホーンパイプ』です。

華やかな祭典を盛り上げることにかけては、ヘンデルの右に出る人はいません。

この曲も、結婚式のクラシックランキング上位の常連ですが、私としては、結婚式よりも卒業式のイメージです。自分の卒業式でも〝卒業証書授与〟の間、ずっと流されていましたし、吹奏楽部の娘にいたっては、先輩の卒業式でずっと生演奏でやらされ、辟易していました。笑

クラシックの名曲は、様々な場面でずっと使われるので、いくらいい曲でも〝耳タコ〟になってしまうのも、クラシックが一般的にはBGMの域を出なかったり、敬遠されたりしがちな理由かもしれません。

この一連の結婚式シリーズでは、そんな耳タコの曲を見直してもらえればと思い書いておりますが。

イタリアのヘンデル

さて、この曲の成り立ちには歴史上の有名な出来事がからんだエピソードがあります。

ヘンデルはドイツ・ザクセン地方の小都市ハレの生まれで、幼い頃から音楽に非凡な才能をあらわし、20代前半にはイタリアに赴いて作曲、演奏し、名声を得ました。

特に、1709年にヴェネツィアで上演したオペラ『アグリッピーナ』は、以前ご紹介した後年のプラハにおけるモーツァルトフィガロの結婚』と並んで、歴史に残る伝説的ヒットとなりました。当時の批評を引用します。

聴衆はあまりに感動したために、何も知らない者が彼らの心動かされる様子を見たなら、きっと皆気が狂ったと思ったことだろう。ほとんど音楽が止むごとに、劇場には「ばんざい、ザクセン人!」という歓呼と喝采が轟いた。称賛の言葉はあまりに多く、逐一書き記せないほどであった。人々はヘンデルの音楽の偉大さと崇高さに肝を潰した。それというのも、このときまで彼らは、ハーモニーとメロディのもつ威力がこれほど密接に寄り添い、力強く結合されるのを聞いたことがなかったのである。*1

音楽の本場イタリアでここまでの成功を収めたヘンデルには、各国の宮廷からオファーが殺到しました。高名な音楽家を召し抱えるのは、君主のステイタスだったからです。

その中からヘンデルが選んだのは、ドイツのハノーヴァー選帝侯の宮廷でした。

ロンドンのヘンデル

しかし、着任後もハノーヴァー宮廷楽長の仕事はほとんどそっちのけで、さらなる活躍の場を求め、休暇をもらってロンドンに渡ります。そしてオペラ『リナルド』で大当たりを得て、また英国アン女王からは引き抜きをかけられて年金を与えられたりしました。

ヘンデルは、自分のメインステージはドイツの田舎宮廷ではなく、大都市ロンドンだと確信したことでしょう。

職務上いったんハノーヴァーに戻ったものの、すぐまた休暇をとってロンドンに渡り、帰国命令をごまかしつつ、ロンドンで活躍していました。

ところが、ヘンデルにとって意外な事態が訪れます。1714年、英国アン女王が子供のないまま亡くなり、血縁関係から、なんと、さんざん不義理を働いた主君、ハノーヴァー選帝侯ゲオルグが、ロンドンに迎えられ、イギリス国王ジョージ1世として即位したのです。

ピンチになったヘンデルは、ジョージ1世がテムズ川で舟遊びをする機会をとらえて、素晴らしい音楽を作曲し、御座船の横で演奏し、ご機嫌を直してもらった、というのが、『水上の音楽』誕生のエピソードです。

しかし、ジョージ1世がヘンデルに対し怒っていたという形跡は全くなく、ジョージがロンドンにきてまもなく、御前で演奏もした記録もあるので、これは単なる伝説であるというのが今の定説です。

ヘンデルはそもそも、ハノーヴァー選帝侯に雇われるとき、旅行の自由を条件にしていますし、王も、高名なヘンデルを今度こそお膝元で使える、と喜んだのではないでしょうか。

ちなみに、今の英国王室はこのハノーヴァー家の直系ですので、ドイツ人ということになります。

実際、ジョージ1世は英語が話せなかったので、議会にはあまり出ず、政治は大臣に任せっきりで、故郷のハノーヴァーに滞在していることも多かったため、以後、イギリス国王は政治には口を出さない、という慣例ができ、〝国王は君臨すれども統治せず〟という英国型の民主主義が発展した、というのは世界史上有名な話です。

なお、後年第一次世界大戦で英国はドイツと戦うことになったとき、王家が〝ハノーヴァー家〟では戦いにくい、ということで、〝ウィンザー家〟と改称して今に至ります。 

さて、ここでは第2組曲の第1曲序曲と、第2曲の『アラ・ホーンパイプ』をご紹介します。

第3組曲には序曲がないため、第2組曲と合体して演奏されることもあり、ここではその形になっています。そもそも、バラバラだった曲を出版社に組み合わせたので、曲の編成はCDによっても微妙に違うのです。

ヘンデル『水上の音楽 組曲第2/3番 ニ/ト長調 HWV349/350』

Handel : Suite no.2/3 in D/G major , HWV349/350

演奏:トレヴァー・ピノック(指揮)イングリッシュ・コンサート

Trevor Pinnock & The English Concert

第1曲 序曲

トランペットの華やかな調べと弦楽合奏がかけあい、典雅にして、楽しげな音楽をテムズの川面に響かせます。 

第2曲 アラ・ホーンパイプ

曲名は〝ホーンパイプ風〟ということですが、ホーンパイプとは、3/2拍子の英国のフォークダンスです。フランス風組曲ですから、これもダンスミュージックの組み合わせになります。ヘンデルのほかの曲より、あらたまった感じがするのは、やはり王様の前で演奏するからであり、だからこそ、今でもあらたまった場所で便利に使われているのですね。

国王がどんなにこの曲を気に入ったかは、当時の記録にも残っています。

この音楽会は一昨日(7月17日)に行われた。夕刻8時頃、国王は御座船に赴いた。そこに乗船を許されたのは、ボルトン公爵夫人、ゴドルフォン伯爵夫人、キールマンゼック男爵夫人、ウェア夫人、オークニー伯爵、それに寝室付侍従であった。その御座船の近くには数にして50名ほどの音楽家達を乗せた船が続き、彼らはあらゆる楽器、すなわちトランペット、ホルン、オーボエバスーン、ドイツ・フルート、フランス・フルート、ヴァイオリン、バスによる演奏をした。歌手はひとりもいなかった。その音楽は、ハレ出身で、陛下の首席宮廷作曲家、高名なるヘンデルにより特別に作曲されたものである。陛下はそれをことのほかお気に入られ、演奏するには1時間もかかろうというその音楽を3回、つまり、夕食前に2回、夕食後に1回繰り返させた。その夜の天候は祝祭にふさわしいもので、御座船や、音楽を聴きに集まった人々を乗せたボートは数えきれないほどであった。*2

実際、現代の演奏でも、湖の小島でオーケストラが奏で、周囲には恋人たちが乗ったボートがいくつも浮かぶ・・・という演出のコンサートの映像を見たことがあります。

ヘンデル:水上の音楽

ヘンデル:水上の音楽

 

ところで、この2曲をヘンデルはコンチェルトとして編曲しているのです。

原曲を聴き慣れた私としては、こちらの方がとても楽しく、思わず体がノッてしまうようなリズムなので、愛聴しています。こちらもご紹介します。 

協奏曲 ヘ長調 HWV331(序曲の編曲)

協奏曲 ヘ長調 HWV331(アラ・ホーンパイプの編曲)

イギリス王室、というと、華やかなイメージがありますが、もともとはヨーロッパの王家の中では質素で素朴でした。優雅で洗練された宮廷文化はフランスで生まれたものなのです。

英国も何度か革命を経験しますが、1642年の清教徒革命でチャールズ1世がクロムウェルによって処刑されたあと、共和政も破綻し、1660年に大陸にのがれていた王子チャールズ2世が復位します。

この頃から、フランスなど大陸の洗練された文化が珍しく英国で流行ります。ヘンデルのオペラがもてはやされたのもこの流れからです。英国では文化は主に輸入品でした。

イギリス料理はマズイ、などと言われてしまうのも、そのような質実剛健なお国柄から来ているのかもしれません。

  

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

 


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*1:ジョン・マナリング『故ジョージ・フレデリックヘンデル回想録』クリストファー・ホグウッドヘンデル』より 三澤寿喜

*2:ロンドン駐在プロイセン弁務官フリードリヒ・ボネットの記録。クリストファー・ホグウッドヘンデル』より 三澤寿喜