前々回、バッハのふたりの妻について書きました。
先妻のマリア・バルバラと、後妻のアンナ・マグダレーナ。
それぞれ、音楽家として優れた息子を生みましたので、今回からバッハの息子たちの音楽をご紹介します。
昨今、バッハの息子たちの再評価が高まり、演奏の録音も増えてきています。
音楽職人、バッハ一族
もともと、バッハ一族は、ドイツで名高い音楽一家でした。
バッハ(ヨハン・セバスティアン・バッハ)は、その一族の業績を伝えるべく、系図を作ったことがあるのですが、それによると、先祖はハンガリーから、宗教上の理由でドイツに逃れてきた白パン焼き職人、ファイト・バッハということになっています。
バッハはファイトについて次のように書いています。
小さなシターン(ギター)を弾くことに最大の喜びを見出し、これを製粉所まで持ち込んでは臼挽きの間中、曲を演奏した。どんなに美しい音楽であったことか。この方法によって彼は、リズムを自分の体内に刻み込むことができたのである。そして、いわばこれが、彼の子孫が音楽好きになった起源である。
そして、その後200年にわたり、ファイトの子孫は音楽を生業とし、ドイツ各地で活躍したのです。
バッハ一族は同族意識が高く、互いに訪問しあったり、集まって演奏会を開いたりして結束を固め、どこかに音楽関連の就職口があると、情報交換をして、一族の誰かが職にありつけるようにしました。
そのため、当時一地域では〝バッハ〟といえば音楽家の代名詞となったようです。
音楽家として名を成すには、遺伝的な素質と、優れた教育が車の両輪として必要なようですね。
私などは一族の誰にも音楽的才能のある者はいませんので、最初からあきらめましたが。(あきらめる前に努力もしませんでしたが)
さて、そんなバッハでしたから、子供たちを音楽家にするのは天命のようなものですし、実際才能のある子が生まれ、何人も立派な音楽家になりました。
ドイツでは今でも中世の徒弟制度の伝統を受け継ぎ、職人の養成が盛んです。
手に職をつける、ということがとても大事にされているのは、こうした職業音楽家を育む土壌が今も残っているということでしょう。
日本の伝統工芸が後継者不在で失われていく、という残念な話をよく聞きますが、対照的ですね。
音楽家になった息子たちのうち、3人を順番にご紹介していきます。
マリア・バルバラから生まれた長男のヴィルヘルム・フリーデマンは、バッハが一番評価し、愛し、〝自分の心にかなった息子〟と周囲にも自慢していました。
実際才能に恵まれていたようで、出版された作品は少ないのですが、楽譜に残す曲よりも、父に似て即興演奏が素晴らしかったと伝えられています。
また、楽器演奏も一番上手で、鍵盤楽器に加え、ヴァイオリンの腕前も巧みで、父の難曲『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』全曲を軽々と弾きこなしたということです。
自分が大学に行かなかったことを後悔していた父により、ライプツィヒ大学に入学させてもらって法学を学び、1733年にドレスデンの聖ソフィア教会の、1746年にはヘンデルの生まれた町ハレの聖母教会のオルガニストに就任しました。
ハレへの就職時には、父のコネで無試験だったそうです。
フリーデマンは〝ドレスデンのバッハ〟または〝ハレのバッハ〟と呼ばれています。
しかし、過保護に育てられたからか、人間的には虚栄心に満ちた夢想家になってしまいました。
人を見下したような態度をとることも多く、周囲とはうまくいかず、父の死後には職も失い、酒におぼれ、放蕩生活に堕ちてしまったのです。
晩年は貧困のため、相続した父の楽譜を売り払ったり、自分の作だと偽ったりし、そのため多くの曲が散逸してしまいました。
期待されすぎた息子がたどりがちな末路です。
しかし、最近ではフリーデマンの再評価の動きもあり、聴ける曲も増えてきました。
そのうち数曲をご紹介していきます。
W. F. バッハ『シンフォニー ヘ長調 BR C 2/Fk.67』
Wilhelm Friedemann Bach : Symphony in F major, BR C 2/Fk.67
ジョヴァンニ・アントニーニ指揮ジャルディーノ・アルモニコ
Giovanni Antonini & Il Giardino Armonico
とぎれとぎれの断片的なモチーフですが、ナイフのように鋭く、迫力があり、劇的です。父バッハの曲よりも感情が込められているように感じます。弟のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハとともに、次の時代へとつなぐ感情過多様式、あるいは多感様式の代表と言われています。どんな感情が込められているのか、それは受け取り方次第かもしれません。
W. F. バッハ『クラヴィーア・ソナタ ト長調 Fk.7』
Keyboard Sonata in G major F.7
ジャン・ロンドー(チェンバロ)Jean Rondeau
第2楽章 ラメント
〝ラメント〟は哀歌で、こちらも深い悲しみの感情が込められた音楽です。演奏者のジャン・ロンドーは、1991年生まれの新進気鋭のチェンバロ奏者です。そのような若い奏者がわざわざフリーデマンの曲を取り上げたのは、なにか心に響くものがあったに違いありません。
W. F. バッハ:カンタータ『闇の行いを脱ぎ捨て』Fk.80
Lasset uns ablegen, Fk.80
ヘルマン・マックス指揮クライネ・コンツェルト
Hermann Max & Das Kleine Konzert
第1曲 合唱『闇の行いを脱ぎ捨て』
フリーデマンが教会の公職に就いていた頃の教会カンタータです。やはり、大バッハ仕込みの素晴らしい響きです。父はこれを聴いて、息子の曲の出来栄えに涙していたかもしれません。ぜひ、以前ご紹介した父バッハのカンタータと聴き比べてみてください。及ばずとも、なかなかだと思います。
父のカンタータはこちら
www.classic-suganne.com
次回以降にご紹介する弟たちは、兄フリーデマンよりも成功し、名声を得ます。
しかし、父バッハの心には叶いませんでした。
それは、時代が求める音楽はもっと華やかで軽いものになっており、父バッハの音楽は、晩年には時代遅れとなっていました。
弟たちは逆に新しい時代の旗手となって、世間をリードしていきました。
父の大成した多声音楽、対位法は、むしろフリーデマンが受け継いでいたと言われていますが、時代にはついていけなかったということかもしれません。
音楽の流行はめまぐるしく変わります。
そして、それにうまく乗れなかった音楽家は食べるにも困るのですから、〝ミュージシャン〟という職業は、今も昔もハイリスク、ハイリターンだといえるでしょう。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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