日常とクラシック
クラシックは、日常的にはBGMとして触れることは多いですが、音楽として向き合うとなると、とたんに〝芸術〟になってしまって敷居が高くなり、嗜む人もグッと減ってしまいます。
電車の中ではかなりの人がヘッドホンをつけていますが、皆さん、何を聴いているんでしょうね。たぶん、クラシックを聴いてる人はあまりいないでしょう。電車一両の中で私一人でしょうか。笑
もちろん、クラシックは重かったり、複雑だったり、時代色が強かったりするので、たまにならともかく、日常的に聴ける、という人が少ないのも仕方がないと思います。
でもその中で、特に〝クラシック好き〟じゃない人にまで広く支持されているのが、『グレン・グールドのバッハ』ではないかと思います。
バンドをやっている人や、ロック好きの人の棚に、さりげなく『グレン・グールドのゴールドベルク変奏曲』のCDがあるのを見つけることがあります。
グレン・グールドは、1932年に生まれ、1982年に50歳で世を去ったカナダのピアニストです。
彼の偉大さや芸術性には百万言が費やされ、CD店の一角には専用コーナーがあったりしますので、ここで詳しく論ずるつもりはないのですが、簡単に、ご紹介しておきたいと思います。
彼の演奏はそれまでのクラシック界の常識を覆すようなものが多く、最初は批判も多かったようですが、ほどなくその名声、評価には誰も物申すことはできなくなりました。
そして、没後も人気はむしろ上がる一方です。
さらに、彼の人気に拍車をかけているのが、その〝伝説的奇行〟の数々で、それがまた、彼の人間像に神秘性、カリスマ性を与えています。
有名なものを挙げてみましょう。
黙って演奏できない。演奏しながらハミングをしてしまうので、彼の演奏では必ず彼の鼻歌が必ず聞こえる。レコード会社は再三やめさせようとしたが、終生無理だった。
異様な演奏姿勢。父親に作ってもらった特製の低い折りたたみ椅子でなければ演奏できなかった。高さ30cmの低さで、背中を丸めて弾いていた。
コンサート嫌い。演奏会は聴衆の見世物のようだとして、嫌っていた。出るときも、正装せず、セーターなどの普段着で出ることもあり、また演奏を始めるにあたり、指揮者、オーケストラ、聴衆を待たせたまま、椅子の調整に30分かけたりした。
レコーディングへのこだわり。1964年に、もう二度とコンサートには出ない、と〝コンサート・ドロップアウト宣言〟を行い、以後公衆の前に出ることはなかった。その代わり、録音室にこもり、何度もテイクを録り、気に入ったものをつなぎ合わせるというレコーディング作業に没頭し、数々の名録音を残した。
大胆な解釈。作曲者の楽譜の指示に従わないことが多く、自由な解釈で演奏した。テンポも極端に遅かったり、逆に早かったり、もはやアレンジの域だった。
極端な寒がり。真夏でもコートを着て、ハンチングをかぶり、手袋をしていた。演奏前には30分手を湯につけて温めていた。
飲み物、食べ物の偏り。ミネラルウォーターが好きで、どこに行くにも、アメリカ産のポーランドスプリングを持参し、水道水を絶対に飲まなかった。同じものを食べ続ける傾向があり、また健康不安からサプリメントや抗生剤を多量に服用していた。
孤高の人間関係。孤高の性格で、気を許した友人は少なく、共演者とのトラブルも多かった。
予言的な死。生前から、50歳で演奏活動から引退する、と公言していたが、ちょうど50歳で脳卒中で急逝した。
ゴールトベルク変奏曲の衝撃
そんなグレン・グールドが一番こだわった作曲家が、バッハでした。
彼が1956年にデピューアルバムを出すことになったとき、プロデューサーらの反対を押し切って選んだのが、バッハの『ゴールトベルク変奏曲』でした。
従来、バッハは堅く、通向きの作曲家で、ゴールドベルク変奏曲はまだマイナーな曲であり、とても一般受けはしないと思われていたのです。
しかし、彼の演奏はそれまでのイメージを全く覆すものであり、発売後、ジャズのルイ・アームストロングの新譜を抑えて、いきなりヒットチャート1位となったのです。
まさにクラシック界の歴史の1ページとなった〝ゴールドベルクの衝撃〟です。
そして、逝去の一年前に、自分の代名詞となったゴールドベルク変奏曲の再録音を行い、こちらも一大センセーションを巻き起こします。
同じ曲なのに、また違った解釈で、その斬新さが人の心を奪いました。
今の、人によって、モノラル録音の1956年の〝旧録〟がいい、という人と、デジタル録音の1981年の〝新録〟がいい、という人がいます。
ここでは、まず〝新録〟の方をご紹介しておきます。
古い録音ですが、グレン・グールドの音楽はリマスターされていますので、いい音質で聴くことができます。
それを、Apple Musicなどで聴き放題なのですから、最高です。
バッハの数ある曲の中でも、特に不滅の名曲と讃えられる『ゴールトベルク変奏曲』の成り立ちには、有名な逸話があります。
ドレスデン駐在のロシア大使、ヘルマン・カール・フォン・カイザーリンク伯爵(1696-1764)は、大の音楽好きで、ヨハン・ゴットリーブ・テオフィルス・ゴールトベルク(1727-1756)という10歳の天才クラヴィーア奏者を召し抱え、常にそばに置いて演奏させていました。
〝クラヴィーア〟はドイツで鍵盤楽器を総称する言葉で、チェンバロ時代は主にチェンバロを、ピアノ時代は主にピアノを指しますが、厳密には分けられません。
伯爵は不眠症気味で、眠れない夜には隣室でゴールトベルクにチェンバロを演奏させたといいます。
TVもラジオもCDもスマホもない時代ですから、夜はシーンとしていたことでしょう。TVつけっぱなしでないと眠れない、という人もいますから、気持ちは分かります。
カイザーリンク伯爵は、ドレスデンで客演したバッハのオルガン演奏を聴いてすっかり大ファンになってしまい、バッハに眠れない夜のための、特別な曲の作曲を依頼します。
その注文内容は、『穏やかでいくらか快活な性格をもち、眠れぬ夜に気分が晴れるようなクラヴィーア曲』でした。
バッハがそれに応えて書いたのが、この曲です。
出来上がったのは、眠れるどころか、かえって興奮して目が覚めるんじゃないかと思われるような、壮大で充実した大作でしたが、伯爵はこの曲に満足し、バッハに〝ルイ金貨が100枚つまった金杯〟を贈り、この曲を〝私の変奏曲〟と呼んで終生愛したということです。
このエピソードは、フォルケルという伝記作家が、半ばうっとりした調子で伝えているのですが、マユツバ、とする研究者も多いです。
それは、当時ようやく14歳だったゴールトベルクが演奏できるとは思えない難曲だということと、バッハがこの曲を『クラヴィーア練習曲集 第4部』として出版した際、伯爵について全く言及していない、ことなどからです。
もしかすると、依頼に基づいたものではなくて、バッハが先に作曲して、伯爵に献呈した、ということかもしれません。
しかし、フォルケルはバッハの子供たちにも取材していますし、この曲の他の記述には信憑性が高いものもあるので、多少話は盛ったとしても、ある程度の史実は反映しているでしょう。
14歳にはとてもこれは弾けないだろう、というのも、逆に根拠はありません。音楽界には早熟の天才はしばしば現れますから。
数学的な構成
さて、曲の中身ですが、バッハはなぜか『変奏曲』というジャンルをあまり書いていません。この曲のほかには2曲ほどしかありません。
また、この曲を聴くと、〝どこが変奏曲なの?〟と思います。
ヘンデルの『調子の良い鍛冶屋』や、モーツァルトの『きらきら星変奏曲』のように、メインテーマが明確に聞こえてこず、分かりづらいのです。
それは、テーマが低音の基本線であり、各変奏は、そのテーマをさらに自由に低音で再現させているからです。
しかし、曲の構成は、バッハらしく、かなり計算された、しっかりしたものです。
1曲目にメインテーマを示した『アリア』があり、これをダ・カーポといって、最後にもう一度持ってきています。
そして、その間に、第1変奏から第30変奏まで、30曲展開させています。(つまり、計32曲、ということになります)
その性格はそれぞれに変幻自在なのですが、3曲ごとにカノン(輪唱のようなもの)が置かれていて(つまり3の倍数の曲はカノン)、しかも、カノンの音程が1曲目は1度(ユニゾン)、2曲目は2度、3曲目は3度、というように増えていって、最後の第27変奏は9度のものになるのです。
また、第16変奏がフランス風序曲になっていて、ここで大きく前編と後編に分かれています。
この曲はもちろんピアノが普及する前のものですので、2段鍵盤の大型チェンバロが指定されていて、曲ごとに、原則第1鍵盤と第2鍵盤のどちらを使うか指定されています。
チェンバロは鍵盤を強く叩いても弱く叩いても出る音は同じなので、鍵盤を分け、音色と音量に変化を出しているのですが、第2鍵盤の方が強めになっていて、後編では第2鍵盤の使用が多くなっています。
そのため、楽譜に忠実に弾くのはピアノでは不可能ということになりますが、ピアニストたちはそれぞれに工夫をして弾いています。各変奏にはほとんど速度指定もないので、演奏者の解釈のしどころでもあります。グールドの旧録は、その速さに皆度肝を抜かれました。
チェンバロでの演奏、ピアノでの演奏、それぞれに趣きと良さがありますので、その聴き比べも楽しみなのです。
この曲は、正式には『2段の手鍵盤をもつチェンバロのためのアリアとさまざまな変奏』と記されています。
前後2曲のアリアを含めて32曲の大曲ですので、今回は前半を聴きます。
バッハ『ゴールトベルグ変奏曲 BWV988』前半
演奏:グレン・グールド(ピアノ)
The Goldberg Variations BWV988
Glenn Gould
アリア
舞曲のサラバンド風の、静かで含蓄深い味わいの曲です。これから始まる壮大なドラマの序章であり、眠れない人を優しく慰めているかのようです。32小節から成りますが、これは曲全体が32曲であるのと符合しています。また、構成も前半16小節、後半16小節、というのも、曲全体が16曲ずつに分かれているのを暗示しています。バッハはこのような、誰も気がつかないような数字の「ダヴィンチ・コード」を随所に仕込んでいるのです。
第1変奏
ト長調、4分の3拍子。わくわくするような2声のプレリュードです。グールドの新録では、最初の音がすごいフォルテで、いきなり目が覚めます(笑)第4変奏までは第1鍵盤使用で、手の交差があります。
第2変奏
ト長調、4分の2拍子。少し落ち着いた感じです。3声で進んでいき、上の2声がメインテーマを暗示します。
第3変奏
ト長調、8分の12拍子。カノンの1曲目で、追いかける旋律は1小節遅れです。ユニゾン(同音)で、バスの基本線が分かりやすいです。
第4変奏
ト長調、8分の3拍子。輝かしい旋律を高らかに歌い上げます。グールドの鼻歌も一段と高く聞こえます。
第5変奏
ト長調、4分の3拍子。1段または2段鍵盤で演奏される、軽やかに走るような曲想です。
第6変奏
ト長調、8分の3拍子。1段鍵盤用の2度のカノンで、旋律は1小節遅れ、小川のせせらぎのように流れていきます。
第7変奏
ト長調、8分の6拍子。落ち着いたシシリア―ノのリズムで、優しく心に響いてきます。やや憂いを含んだところも印象的です。1段または2段鍵盤用です。
第8変奏
ト長調、4分の3拍子。また、走り出します。2声のトッカータ風の斬新な風情です。2段鍵盤用で、ピアノで弾くのは難しい曲です。
第9変奏
ト長調、4分の4拍子。1段鍵盤で弾く、3度のカノン。風に吹かれるような爽快な曲調です。
第10変奏
ト長調、2分の2拍子。1段鍵盤による、一度聴いたら忘れられない、つい口ずさんでしまうような4声のフーガです。1段鍵盤用。グールドは最初はスタッカートで弾き、2回目はレガートで弾くという大胆なことをしていますが、すごい実験です。
第11変奏
ト長調、16分の12拍子。2段鍵盤のための、光が静かにきらめくような、美しい曲です。
第12変奏
ト長調、4分の3拍子。強い調子の、4度の転回カノンです。
第13変奏
ト長調、4分の3拍子。2段鍵盤によりますが、繊細な感じの、優しく撫でるような曲です。
第14変奏
ト長調、4分の3拍子。2段鍵盤による毅然とした曲。はるか高みから流れ落ちる音階の部分では、グールドの大きなハミングが聞こえます。
第15変奏
ト短調、4分の2拍子。前半唯一の短調曲です。1段鍵盤による5度のカノン。この曲だけ、速度がアンダンテに指定されています。深夜の憂愁を示すような深い音楽です。これで前半が終わり、しばし休憩。
電車の中で、キッチンで。
グレン・グールドの演奏も斬新ですが、バッハの曲も時代を超越したものがあり、『ゴールドベルク変奏曲』は、とある評論家の言では『ショパンとワーグナーの到来までその色調の強さで比類のない』といわれた曲ですので、この組み合わせは、もはやクラシックの域を超えています。
しかし、それは決して手の届かない高みに昇った、ということではなく、むしろ、電車の中や、キッチンで料理をしながら聴けるような、現代の日常生活にマッチした音楽だと思うのです。
楽曲のご紹介は次回にしたいと思います。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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