聖書そのままの歌詞
『メサイア』は、ヘンデルのオラトリオの中でも特異な存在で、聖書の文言(聖句)が、基本的にはそのまま歌詞になっています。
聖書の言葉をそのまま引用し、つなぎ合わせることによって、イエスがメシア(救世主、救い主)であることを、預言、降誕、受難、復活、信仰の順で人々に示したのです。〝キリスト〟も、メシアに捧げられた称号ですので、救世主を指す言葉です。
メサイア、は言うまでもなくメシアの英語読みです。
キリスト教の聖書(バイブル)には、旧約聖書と新約聖書がありますが、旧約聖書はユダヤ教の聖典で、天地創造(創世記)、アダムとイブ(エヴァ)の楽園追放、ノアの箱船、アブラハムとその子孫の物語、モーセの出エジプト(エクソドス)、約束の地を求めての戦い、ダビデ王とソロモン王の栄華、亡国とバビロン捕囚、といった、イスラエル人(ユダヤ人、ヘブライ人)の栄光と苦難の歴史、神から授けられた律法、亡国の悲運の中で綴られた悲哀の歌と預言などから成っています。
キリスト教はユダヤ教とは違う宗教なのに、なぜユダヤ教の旧約聖書を聖典にしているのか?
そこが、『メサイア』を聴く上で重要なポイントですので、よく知られていることではありますが、音楽を聴く前に綴っておきます。
旧約聖書における、神との契約
ユダヤの神の名は、モーセの十戒のひとつ、『神の名をみだりに唱えてはならない』ということから、ヘブライ語の子音文字4つ(神聖四文字、テトラグラマトン)で表わされます。
アルファベットでは『YHWH』です。
神様の名を呼んではならないとは、厳しい!と思われますが、日本でも、目上の人をファーストネームで呼ぶことがはばかられるのと一緒です。
中国でも、ファーストネームは諱(忌み名)と言って、親以外は呼んではいけないことになっていました。そのため、成人男子は通称として字(あざな)を持っていました。三国志に出てくる、姓は諸葛、諱は亮、字は孔明、といった形です。特に皇帝の諱は、避諱と言って、その王朝では使用禁止になるので、唐の太宗、李世民の〝世〟のように、よく使う字だと非常に不便でした。
日本でも、戦前は天皇の名を軽々しく言ったり書いたりすることはできませんでしたので、特にモーセの戒律が特別なわけではありません。
しかし、話す必要がある時もありましたので、子音だけでは読めないため、一定の根拠で母音を補って発音しました。
それが、〝ヤハウェ〟〝ヤーウェ〟〝エホバ〟などになりますが、最近ではヤハウェが主流のようです。
ヤハウェは、聖書によれば、非常に強力な唯一神であって、かつ激情をもった嫉妬深い神で、自分を信じれば幾千代にもわたり恩恵を与えるが、拒む者は子孫3代、4代まで罪を問う、という厳しさをもっています。
ユダヤの民にも、自分を信じるという契約を守れば、世界のどの民族よりも繁栄させるが、破れば容赦なく罰を与える、と告げます。
しかし、ユダヤの民は、長い歴史の中で何度も神を裏切る行為をし、その度に罰が当たって、他民族の奴隷となったり、国を失って離散したりし、そうした苦難の中で、神の言葉を預かった〝預言者〟が現れ、民を悔い改めさせる、という繰り返しが行われました。
バビロン捕囚と預言者たち
ユダヤ人は、神から与えられた約束の地で、敵であるペリシテ人と戦い、ダビデ王の時に王国を確固たるものにします。フィレンツェにあるミケランジェロの有名なダビデ像は、少年のときに、ペリシテ人の巨人ゴリアテを石投げ器で倒しに行くところの姿です。
メシアはダビデの子孫から生まれる、というのも聖書の預言です。
その子、ソロモン王の時代に、それまで砂漠を担いで回っていた、モーセの十戒を刻んだ石板を収めた契約の箱(聖櫃、アーク)を、レバノン杉と石材で作った壮麗な神殿に納め、ユダヤ人の王国、すなわちイスラエル王国は栄華の絶頂を極めました。
ソロモンは神から知恵を授かり、息子争いの裁判での〝大岡裁き〟や、シバの女王との知恵比べの話などが有名です。
アークには敵をやっつける神秘的な力があるとされていますが、今は行方が分からないため、スピルバーグ監督がインディ・ジョーンズシリーズの1作目として『レイダース/失われたアーク』として映画にしました。
ヘンデルもこのあたりの物語を、オラトリオ『サウル』『ソロモン』にしています。しかし、ソロモンの死後、イスラエル王国は南北に分裂し、北王国は紀元前722年にアッシリア帝国に滅ぼされ、南のユダ王国はアッシリアやエジプトなどに服属しながら存続しますが、紀元前597年に、ついに新バビロニアのネブカドネザル2世に屈し、さらに紀元前586年にはバビロニアに対する造反が発覚したとして、ヤハウェの神殿は破壊され、ユダヤ人はバビロンに捕虜として連行されました。
有名なバビロン捕囚です。
これ以前に、ユダ王国の堕落を嘆き、人々に悔い改めないと、このままでは国が滅びる、と警告したのがイザヤです。
捕囚と、そこからいつか脱却できること、そしてメシア(救世主)の到来を予言しました。
そして、実際に起こったバビロン捕囚の苦難の中で、エレミヤ、エゼキエルといった預言者たちが、さらに神への信仰を呼びかけ、ここで現在のユダヤ教が固まったと言われます。
バビロン捕囚は、アケメネス朝ペルシアのキュロス2世(大王)によって新バビロニアが滅ぼされたことによって終わりを告げ、ユダヤ人は帰国と神殿の再建を許されるのです。
ヘンデルはこの解放の物語を、壮麗なオラトリオ『ベルシャザル』にしています。
しかしその後、ユダヤ人の国も、最終的にはローマ帝国の皇子ティトゥスによって、西暦73年に滅ぼされ、ユダヤ人は国を失います。
ティトゥスは後に皇帝となり、ユダヤにとっては敵ではあるものの、仁君として名高く、モーツァルトは晩年、彼を主人公にした『皇帝ティトゥスの慈悲』というオペラ・セリアを書いています。
今もローマのフォロ・ロマーノには『ティトゥスの凱旋門』があり、レリーフに、ユダヤの神殿にあった聖なる七枝の燭台(メノーラー)が、ローマ兵によって略奪される様子を見ることができます。ローマに行かれたら、ぜひご覧ください。
ユダヤ人は西暦132年、バル・コクバの乱という反乱を起こしますが、これもローマ皇帝ハドリアヌスによって鎮圧されます。
そして、ユダヤの自称〝イスラエル〟も廃止され、故地は、かつてユダヤ人の宿敵だったペリシテ人にちなみ、わざわざ〝パレスチナ〟と名付けられました。
いよいよ居場所のなくなったユダヤ人は世界各地に離散(ディアスポラ)します。
しかし、知恵に富み、賢いユダヤ人は、商人や金融業者として成功し、国こそ無くとも、ユダヤ人同士の国際ネットワークを築いて、ヨーロッパの歴史に、陰に陽に影響を与えます。
そのような不気味さや、金貸し業への憎しみなどから、長年差別され、第二次大戦中はナチスによってホロコーストの対象となりました。ユダヤ人の苦難と悲劇は、むしろ現代になってから、20世紀に極まったのです。
戦後、2000年前の故地、パレスチナへの建国を果たすも、そこには既に2000年間住んでいたパレスチナ人がおり、4次にわたる中東戦争、そして今もまさにイスラエル・パレスチナ間の対立は世界平和の障害となっています。
こうした中東問題は、もとはと言えば第一次大戦中に行った英国の矛盾した三枚舌外交に起因していますので、中立的に仲介ができる大国はアメリカだけでしたが、トランプ大統領は、エルサレムをイスラエルの首都として認めるという、イスラエルに荷担した宣言を行いましたので、和平の行方はますます混沌としてしまいました。
ユダヤ教徒としては、イザヤら預言者たちが予言したメシアはまだ到来していないことになります。
しかし、ローマ帝国支配下のユダヤ属州時代、ナザレのイエスという人物が現れ、神の国が近いという良い知らせ(福音)をもたらし、人々に悔い改めを説き、腐敗したユダヤ教の聖職者たちを批判しました。
ユダヤの祭司たちは、改革者イエスを捕らえ、ローマの総督ピラトに引き渡し、何の罪があるのか、と渋るピラトに圧力をかけて、十字架にかけさせます。
イエスの弟子たちは、師は復活したのだと信じ、イエスこそが、聖書に預言されたメシアであるという信仰を広げていきます。
これが後年、キリスト教になりますが、出来たばかりの原始キリスト教は、ユダヤ教改革派という性格でした。
イエスのもたらす救いも、当初はユダヤ人だけに限られる見解でしたが、ペテロ、パウロらが、帝都ローマを始めとする各地に伝道するに及んで、異教徒も信ずれば救われるということになり、人類全体が対象となる世界宗教に発展していきます。
そして、イエスは神の子ということになり、イエスが自らを犠牲にすることによって原罪をあがなったことは、神との新しい契約ということになり、イエスの伝記、言行録とその解釈書は新約聖書と呼ばれ、モーセがヤハウェと交わした契約は旧い契約、すなわち旧約と呼ばれました。
よって、旧約聖書にあるメシア到来の預言は、キリスト教の立場では、イエスを指すということになるため、ユダヤ教の聖典でありながら、キリスト教の聖典の一部にもなったのです。
もちろん、ユダヤ教徒はイエスも新約聖書も認めない立場ですので、神との契約はひとつであり、旧いも新しいもありません。
『メサイア』は、旧約聖書のそのような預言を歌詞にしていますから、そのまま読んでも聴いても、意味はなかなか分かりづらいのです。
毎週教会に行って説教を聞いているクリスチャンにはおなじみの章句なのですが、そうでければ、以上のような経緯を知らないと、どこでイエスが受難して復活したのか、気がつかないまま曲が進んでしまうのです。
次回より、解説をしながら聴いていきたいと思います。
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