ヘンデル『メサイア』の第1部より、第18曲から第1部終曲の第21曲までを聴きます。
救い主がこの世に来臨した喜びと希望でいっぱいの部分です。
Handel : Messiah HWV56
エマニュエル・アイム指揮 ル・コンセール・ダストレ
Emmanuelle Haim & Le Concert D’Astree
第18曲 アリア(ソプラノ)
喜べ!
大いに喜べ、シオンの娘よ
叫べ!
歓呼せよ、エルサレムの娘よ
見よ、あなたの王が来る
彼は正義の救い主
諸国民にまで平和を告げる
(ゼカリヤ書 9:9-10)
喜びに満ち、かつ技巧に満ちたソプラノのアリアです。第9曲で告げられたメシア来臨の知らせに応えて、喜びを存分に歌います。娘、とありますが、娘だけに向けられた歌ではありません。エルサレムの町は、女性名詞なので、しばしば娘にたとえられますが、町全体とそこに住む人々を指しています。ここでも、メシアの救いの恩恵は、諸国民、異教徒までもたらされることが示されています。しかしながら、エルサレムはその後ずっと、ローマとの戦争、イスラムによる征服、十字軍と、平和どころか、世界で最も血なまぐさい殺し合いの舞台となり、現代に至っても諸宗徒、諸国民の係争の地となり、むしろ世界平和の妨げとなっているのは、皮肉としか言いようがありません。せっかく神が平和をもたらそうとしているのに、愚かにも人間の方がそれを受けないということなのでしょうか・・・。
そのとき、目の見えない者の目は開かれ
耳の聞こえない者の耳は開かれる
そのとき、歩けなかった者は雄鹿のように飛び跳ね
口のきけなかった者は喜び歌う
(イザヤ書 35:5-6)
旧約聖書では、メシアが行う奇蹟として、障がい者の障がいを取り除く、ということが挙げられており、新約聖書の各福音書では、イエスが実際にそのような奇蹟を行った、と記されています。今でも、カトリック教会では、聖人として認定される列聖の条件として、奇蹟を起こしたという実績が求められます。
第20曲 二重唱(ソプラノ、アルト)
主は羊飼いのように人々の群れを養い
その腕に小羊を集め
ふところに抱き
その母をやさしく導く
(イザヤ書 40:11)
疲れた者、重荷を負った者は、誰でも彼のもとに来なさい
彼が休ませて下さる
彼の軛(くびき)を負い、彼に学びなさい
彼は柔和で心の広い方だから
そうすれば、あなたがたは魂の安らぎを得ことができる
(マタイ 11:28-29)
アルトとソプラノの二重唱です。メシアは精錬する火のように恐ろしい、という第6曲とは反対ですが、疲れた人、重荷を背負った人はイエスのもとに行きなさい、必ず受け容れてもらえ、救われるだろう、という、美しくも優しい、癒される歌です。現代のストレス社会に疲れた人にも沁みわたります。しかし今も昔も、宗教の名で人を騙し、私腹を肥やす人がいるのですから、困ったことです。そんな輩こそ、精錬の火に投げ込んで欲しいものです。
第21曲 合唱
彼が引かせる軛(くびき)は負いやすく
彼が負わせる荷は軽いのだから
(マタイ 11:30)
くびきとは、牛馬に車や鋤を引かせるときに首につける器具で、拘束して労役させることを意味します。キリスト教徒になると、それなりの義務や規則は課されますが、他の宗教、特に旧来のユダヤ教の律法(モーセの律法)に比べると相当に軽い、と述べています。イエスは、律法を守る余裕のない貧しい人や、律法を犯してしまった罪人にも赦しは与えられる、としました。合唱も、歌詞にあわせて軽々とした調子で終始するのですが、そのため、コンサートでは、この曲が第1部の締めくくりと気づかず、拍手が送れるのです。笑
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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