
ルーカス・クラナッハ(1472-1553)『正義のアレゴリー』(オペラとは関係ありません)
昨夜、その部屋に忍び込み、騒がれたあげくにその父を殺したドンナ・アンナに、道端で出くわしたドン・ジョヴァンニ。ギクッとしますが、どうやらアンナは相手がドン・ジョヴァンニとは気づいていない様子。それを知った彼は、調子に乗って、仇討に私の力を全てを捧げます、と、またアンナの歓心を得るような甘い言葉を残して去っていきます。
その最後の言葉から、アンナは重大なことに気づいてしまいます。
ここから、婚約者のドン・オッターヴィオに対し、昨夜の出来事を、ドラマチックで緊張感に満ちたレチタティーヴォ・アコンパニャート(オーケストラ伴奏つきの叙唱)で語り、アリアを歌います。
ドンナ・アンナ
ドン・オッターヴィオ、私死にそう・・・!
ドン・オッターヴィオ
どうしました!
ドンナ・アンナ
私を助けて!
ドン・オッターヴィオ
しっかりしてください!
ドンナ・アンナ
ああ神様! ああ神様!今のが私の父を殺した男です!
ドン・オッターヴィオ
なんですって!?
ドンナ・アンナ
疑う余地はないわ。今の最後の言い方と、あの声で、思い出したの。
あの夜、私の部屋に忍び込んできた悪人のことを・・・
ドン・オッターヴィオ
なんと!信じられない、そんなことが友情のマントの下に隠されているとは・・・
でも、どうだったのです? 話してください、その異常な事件のことを。
ドンナ・アンナ
もうすでに夜もいくらか更けていて、私は不幸にも部屋にひとりでいました。
すると、マントに身を包んだ男が入ってきました。最初は、私はそれはあなただと思ってしまったのです。でもすぐにそれは間違いだと分かりました。
ドン・オッターヴィオ
なんだって!? 続けて!
ドンナ・アンナ
その男は黙って私に近づき、私を抱こうとしたので、私は逃げようとしました。
でも、彼はもっと強く抱きしめたので、私は叫びました。でも誰も来なくて、男は片手で私の声が出ないようにし、別の手で私を強く締め付けたので、もう私はダメだと思いました。
ドン・オッターヴィオ
なんて奴だ!! それで!?
ドンナ・アンナ
凌辱される怖さと苦痛を思って力を振り絞り、身をよじり、体をひねって、あの男から身を振りほどいたのです。
ドン・オッターヴィオ
ああ・・・よかった・・・!!
ドンナ・アンナ
それから、私は大声を上げて人を呼んだら、男は逃げたので、私は危険をかえりみず後を追って、道まで出たの。
追われた者が逆に追うことになって。
そこにお父様が駆けつけて、その男の正体を見破ろうとしたら、老いた父より男の方が強く、その男は悪行を殺人で仕上げたのです。
ドンナ・アンナのアリア『もうお分かりでしょう』
ドンナ・アンナ
もうお分かりでしょう、誰が私の操を奪おうとしたか。
誰が裏切者で、父を私から奪ったのか。
私はあなたに復讐を望み、あなたの心も復讐を誓っている。
思い出して、あの傷を。
哀れな老人のあの胸の傷に、あたりの地面が血に染まっていたことを。
もしあなたの中で怒りが弱まることがあるなら。
(アンナ退場)
あの夜、あの部屋で、何があったのか
アンナはここで、昨夜自分を襲い、父騎士長を殺した犯人がドン・ジョヴァンニであることを確信します。
そしてこの場面でようやく、アンナ自身の口から、昨夜、アンナの部屋で起こったことが語られます。
我々は、婚約者オッターヴィオと同じタイミングでそれを聞くことになります。
オッターヴィオもずっと気になっていたはずですが、父を殺されたショックが大きい中で、アンナに嫌なことを思い出させるわけにはいかないと、たずねるのを躊躇していたのです。
ここで、アンナが語ることは、嘘か真実か。
それが古来、解釈論争の尽きないところで、このオペラの核心にもなっています。
アンナの〝証言〟では、ドン・ジョヴァンニの行動はレイプ犯そのものです。暴力で強姦しようとし、抵抗され、騒がれて逃げた男。
19世紀以降に主流となった解釈は、アンナはドン・ジョヴァンニに凌辱されてしまったが、婚約者オッターヴィオには、うまく逃れたと言って隠している、というものでした。
そして、オッターヴィオはそれを単純に信じてしまっているのが、モーツァルトの音楽からも読み取れる、といわれています。
さらに、アンナが命の危険をかえりみず犯人を追いかけたのは、もはや喪うものはない、という思いゆえであり、その結果父を殺されてしまうが、オッターヴィオに求めた〝血の復讐〟は、父の流した血に加え、自分の流した血の意味も含まれている、とするものです。
しかし、疑問も残ります。
伝説の色事師ドン・ファンともあろう者が、そんな並みの犯罪者のような振る舞いをするだろうか?
貴族でありながら、農婦ツェルリーナにさえ、あれほど丁寧に口説いていたのに?
体を奪う前に心を奪うのが、ドン・ファンのポリシーではないのか?
少なくとも、台本のどこにも、アンナが犯されたことを示す文言は無いのです。
聴衆はさまざま想像をめぐらさざるを得ないのが、台本作者ダ・ポンテとモーツァルトの狙いなのかもしれません。
烈女アンナと、草食系男子オッターヴィオ
緊張に包まれたレチタティーヴォ・アコンパニャートのやりとりのあとに、アンナがオッターヴィオに復讐を求めるアリア。 モーツァルトの数あるソプラノアリアの中でも高名なもののひとつです。
まるで、美しい復讐の女神が、剣を振りかざしながら宙を舞うかのようです。
決然とした悲痛な叫びに、オッターヴィオはただ圧倒されるばかりです。
彼はまだ、紳士的な友人ドン・ジョヴァンニが、自分の婚約者にそんなことをしたということが信じられません。しかし、彼女が求めることを果たすのが自分の義務だ、と、やや消極的な姿勢で復讐を独り誓います。
アンナは、そんなオッターヴィオの性格を見越して、復讐の念が弱まらないよう、きつく釘を刺すアリアを歌ったのです。
アンナはどこまでオッターヴィオのことを愛しているのか?それも、このオペラを聴くうえで頭をよぎることです。
アンナは、犯人を取り押さえようと追いかけ、復讐の念に燃えた烈女です。淑女らしからぬ行動、という見方もできますが、中世やルネサンス期の西欧史には、歴史を動かした〝女傑〟が多く見いだせます。男の横暴や暴力に泣き寝入りしないのが現代的な女性、というイメージもありますが、歴史をひもとけば、決してさにあらず。アンナにはそんな女傑像をほうふつとさせるものがあります。
一方オッターヴィオは、育ちがよく、誠実な優等生ではありますが、どこか深みがなく、肝心なところで頼りない、今でいう〝草食系男子〟。
アンナはあの夜、最初部屋に入ってきたのは婚約者オッターヴィオだと勘違いした、と証言しています。厳格なカトリック国のスペイン、婚前交渉はご法度ですが、アンナは、それを生真面目に守っているオッターヴィオに物足りなさを感じ、男なら夜這いくらいかけてきなさいよ、と内心思っていたのかもしれません。
それで、やっと勇気を出して来たわね、と迎え入れたところ、違う男だった。
ドン・ジョヴァンニはそれを見越して、オッターヴィオのふりをして忍び込んだ、ということも十分考えられるのです。
ウィーン初演で追加されたアリア
さて、オッターヴィオは、ひとりアンナへの愛を歌います。
このアリアは、プラハ初演の時は存在せず、翌年、1788年に皇帝ヨーゼフ2世の肝いりで『ドン・ジョヴァンニ』がウィーンで再演されることになった際、オッターヴィオ役の歌手、フランチェスコ・モレッリが、第2幕にある唯一のオッターヴィオのアリアがコロラトゥーラが多く難しくて歌えない、と苦情を言ったために、彼のために新たに作曲してここに挿入したものです。
モーツァルトは、それぞれの歌手の持ち味が最大限発揮できるように曲を改変することを、むしろ喜んでやるのですが、登場人物のキャラクターが変わってしまうので、後世の我々からすると、どれがモーツァルトの意図を反映した真正な音楽なのか、大いにとまどわされます。
『フィガロの結婚』では差し替えが多いため、初演版の方が用いられ、追加稿は現在では全く演奏されませんが、『ドン・ジョヴァンニ』では、ウィーン再演時の追加が素晴らしく、またストーリー上差し替えの必要はないため、良い歌はプラハ版に追加して演奏されます。モーツァルトの生前には演奏されなかった形ですが、モーツァルトも許してくれるのではないでしょうか。
このオッターヴィオのアリアは、歌詞は平々凡々、まさに単純な彼の思いを叙べたものですが、音楽は、愛をストレートに表現した甘美で純粋、そのものです。
第10曲a ドン・オッターヴィオのアリア 『あの人の心の安らぎこそ』
ドン・オッターヴィオ
あの人の心の安らぎこそ、私の心の安らぎ。
あの人の喜びが、私に命を与え、
あの人の悲しみが、私を殺す。
あの人がため息をつけば、私も嘆く。
あの人の怒りは私のもの、涙も私のもの。
あの人が幸せでなければ、私も幸せでない。
(退場)
オッターヴィオの愛に嘘偽りはありません。やや頼りないが、誠実一路。結婚相手として申し分ありません。
しかし女性は、ドン・ジョヴァンニのような野性的な、肉食系ワルに、なぜか、どこか、心惹かれてしまうこともままあるようで・・・。
演奏は、クルレンツィス版を中心に掲げていますが、このアリアでは、私の原点であるジュリーニ版も掲げておきます。甘美な往年のテノールをご堪能ください。
歌(テノール):ルイジ・アルヴァ
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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