モーツァルトのピアノ作品をしばらく聴いてきましたが、影ということでは、最後に挙げたい曲があります。
ロンド イ短調 K.511。短い小品ですが、私の愛してやまない曲です。
夏の太陽がまぶしく輝くこれからの季節にはちょっと合わないかもしれない、切なさでいっぱいの曲です。
モーツァルトがこの曲を作曲したのは、ちょうどプラハで『フィガロの結婚』が大当たりをし、次のオペラ『ドン・ジョヴァンニ』の作曲を頼まれて、意気揚々とウィーンに凱旋した頃です。
しかしちょうど、モーツァルトと確執が続いていた父レオポルトが、故郷ザルツブルクで病床に伏したという知らせが入っていました。
モーツァルトがその頃父に送った手紙には、彼の死生観が述べられていることで有名です。
死は(厳密に考えて)われわれの一生の真の最終目標なのですから、私は数年この方、人間のこの真の最善の友ととても親しくなって、その姿が私にとってもう何の恐ろしいものでもなくなり、むしろ多くの安らぎと慰めを与えるものとなっています!そして、神さまが私に、死がわれわれの真の幸福の鍵だと知る機会を(私の申すことがお分かりになりますね)幸いにも恵んでくださったことを、ありがたいと思っています。私は、(まだこんなに若いのですが)もしかしたら明日はもうこの世にいないのではないかと、考えずに床につくことは一度もありません。それでいて、私を知っている人はだれ一人として、私が人との交際で、不機嫌だったり憂鬱だったりするなどと、言える人はいないでしょう。*1
私も、死ぬにはまだ早い歳ではありますが、明日の朝にはそのまま死んでいたとしても悔いはなく、モーツァルトの言い分にはほぼ同感です。しかし、病気の父に対して、死を恐れるな、自分は怖くない、とは、よく書けたものと思いますが、これは、モーツァルトも父レオポルトも加入していたフリーメイソンの思想も影響しているといわれています。
モーツァルトがこの曲を作ったのはちょうどこの手紙を書いていた頃なので、この曲の哀調を、死への思いに結び付ける人は多いです。
実際、父レオポルトは、この手紙を受け取って2ヵ月後に世を去ります。
しかし、私がこの曲に感じるのは、死の影ではなく、逆に生きる糧である、恋の切なさです。苦しい片思いの心情がぴったりくる気がしてなりません。
もちろん、モーツァルトの意図は分かりませんし、受け取り方は人それぞれですが。
ぜひ、この美しい小品を聴いて、それぞれに感じていただきたいです。
W.A.Mozart : Rondo in A minor, K.511
演奏:クリスティアン・ベズイデンホウト(フォルテピアノ)
Kristian Bezuidenhout (Fortepiano)
半音階の哀感をたたえた、心に沁みるテーマが切々と奏でられます。リズムもシチリアーノ風で、ゆったりと、たゆたいます。イ短調のロンドをはさんで、ヘ長調、そしてイ長調に転ずるあたり、かなわない恋の、不安とやるせなさ、あきらめと希望が、交錯している気がしてなりません。聴いていて胸が苦しくなります。そして、コーダはメインテーマがうめくように揺らぎ、線香花火の最期の光のように消えていくのです。
やはり、夏の終わりに聴くのがふさわしい曲かも知れません。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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