前回、婚礼の音楽を取り上げたので、モーツァルトの結婚にまつわる音楽を聴いていきたいと思います。
モーツァルトは、1782年8月4日にコンスタンツェ・ウェーバーと結婚します。(ドイツ語の発音では〝ヴェーバー〟が近いですが〝ウェーバー〟の方が一般的なのでこちらにします。〝ウィーン〟も同様ですが)
もうすぐモーツァルトの結婚記念日というわけですね。
コンスタンツェは、マンハイム宮廷劇場のバス歌手で、写譜屋もやっていたフランツ・フリードリン・ウェーバーの三女でした。
彼には4人の娘がいて、うち3人が歌手で、長女ヨゼファと次女アロイジアが特に優れていました。
四女ゾフィーは歌手ではありませんでしたが、モーツァルトのいまわの際に側にいて、その最後を記録に残していることで有名です。
音楽の才能がある家系のようで、従弟には、初期ロマン派の巨匠で、オペラ『魔弾の射手』を作曲したカール・マリア・フォン・ウェーバー(1786-1826)がいます。
ここに面白いアルバムがあります。
『ウェーバー・シスターズ』と題し、フランスの歌手サビーヌ・ドゥヴィエルが、ウェーバー姉妹にまつわるモーツァルトの楽曲を収録しているのです。
なかなかに気の利いた企画です。
順番に聴いていきましょう。
まずは長女ヨゼファです。
長女ヨゼファ
彼女は、モーツァルトの最後のオペラ『魔笛』K.620の、「夜の女王」の初演歌手なのです。
特に有名な、第2幕のアリア『復讐の心は地獄のように燃え』は、高音の、いわゆるハイF(3点F)が出てくる難曲として知られています。
オペラの華というべき装飾フレーズ、コロラトゥーラは、男声にあっては英雄的な心情を、女声にあっては高みに達した感情を表わすものといわれています。
『魔笛』についてはあらためて取り上げるつもりですが、このアリアは、大祭司ザラストロに、自分の権力と娘を奪われた夜の女王が、王女パミーナにひそかに短剣を渡し、ザラストロを殺すよう命ずる恐ろしい場面で歌われるものです。
ヨゼファのテクニックを最大限引き出すために作られた、アクロバティックな曲なのです。
オペラ『魔笛』より夜の女王のアリア『復讐の心は地獄のように燃え』
歌:サビーヌ・ドゥヴィエル Sabine Devieilhe
演奏:ラファエル・ピション指揮 アンサンブル・ピグマリオン
Raphael Pichon & Pygmalion
日本の誇るコロラトゥーラ、田中彩子
コロラトゥーラや高音を芸術的に歌える歌手はそうそういませんが、日本の田中彩子さんはその中のひとりです。
バラエティー番組に出る機会も多くて、TVでこの歌を歌い、モーツァルトを広めるのに一役買っています。
素晴らしい歌声ですね。
次女アロイジア
次女アロイジアは、モーツァルトが初めて結婚を考えた相手です。マンハイム・パリ旅行の際、マンハイムで出会い、その歌声に魅せられ、恋に落ちてしまいました。
恋で見境のなくなったモーツァルトは、彼女を連れてイタリアに行き、デビューさせる、と父レオポルトに書き送りますが、父は波平よろしく、バッカモ~ン!!と雷を落とします。
モーツァルトに宛てた父の手紙を引用します。
お前はその子をプリマ・ドンナとしてイタリアに連れていこうと考える。お前は、ドイツですでに何度もプリマ・ドンナとして歌ったこともなしに、いきなりイタリアの舞台にを踏んだプリマ・ドンナを、一人でも知っているのかね?(中略)
ヴェーバー嬢がガブリエリ嬢のように巧く歌い、イタリアの劇場などに向いたいい声の持ち主で、プリマ・ドンナの役にも十分堪えられる等々のことは、まあ認めるとしよう。しかし、お前がそのひとの演技まで保証しようというのは、滑稽なことだ。それにはいろいろなことが必要なのだよ。女だけでなく、いっぱし舞台慣れした男でも、外国での初舞台となると、ふるえるものだ。そして、それで全部だと思うか?とんでもない。女の場合は、衣装、調髪、装身具などとなると、劇場をすっかりわが物にしているくらいでなければならないのだ。(中略)
まだ一度も舞台に立ったことのない16、7の小娘を推薦されたら、どんな興行主だって笑い出すだろう!お前のもくろみ(それを考えるだけでも、私はもうほとんど書けなくなってしまう)、ウェーバー氏と、その上二人の娘などと一緒に旅回りをするというそのもくろみを思うと、私は分別さえなくなってしまいそうだ。可愛い息子よ、一体どうして、お前に持ち込まれたそんなとんでもない考えに、ほんのいっときでさえ、心をとらわれたのかね。お前の手紙は、まるで小説のように書かれたものだ。そして、お前が他人と一緒に世の中を歩き回ることを、本当に決心できたのか?お前の名声と、お前の両親とお前の姉さんをほったらかして?私を君主や、お前が愛している町中の人々のあざけりと笑いの種にして?*1
父は、さらに、モーツァルトがアロイジアの将来のためにしてあげられることをアドバイスしています。それは、有力な歌手に紹介してあげるという現実的な、大人の方策でした。
モーツァルトはさすがに、父の怒りには逆らえず、渋々ヴェーバー家に別れを告げ、パリに向かいます。
しかし、モーツァルトのアロイジアへの思いは募るばかりで、パリへ行ってからもやりとりは続き、彼女のためにアリアをいくつも作曲します。
パリから彼女に宛てた手紙です。
最愛の友よ!頼まれたアリアのための変奏曲を、この度はまだお送りできないことを、お許しください。お父上のお手紙になるべくご返事を差し上げなければならないと考えたので、その後で書く時間がなくなってしまい、そのためお送りできなかったのです。でも、次の手紙できっとお送りします。今はぼくのソナタが、早く印刷されるのを願っているところです。そしてその機会にもう半分は出来ているアリア『テッサリアの民よ』もお送りします。もしそれで、ぼく同様にあなたもご満足なら、ぼくは幸せだと思います。この場面が分かっていただけたと、あなた自身から手応えを聞くまでは、これはあなたのためにだけ書いたもので、他のだれよりもあなたにほめてもらいたいので、それまでは、ぼくのこの種の作品の中で、この場面が、今まで作った最上のものだと言うほかありませんし、またそう白状せざるをえません。
言及されているアリア『テッサリアの民よ』は、この手紙にあるように、モーツァルトがアロイジアのために心を込めて、渾身の力で書いたものでした。
速書きのモーツァルトが、忙しいといいつつ、まだ半分しかできていない、と言うのも珍しいことです。
そのくらい気合いを入れて書いた曲なのです。
しかし、アロイジアの心はモーツァルトにはなく、パリからザルツブルクに戻る途中、再会した際に、見事に振られてしまうのです。
この曲は、コンサート・アリアといって、オペラのテキストから1曲だけを取り出し、演奏会用に仕立てたものです。シェーナ(劇唱)ともいいます。
これはグルックが曲をつけた『アルチェステ』から取られ、王妃が、夫である王の身代わりとなって死ぬ悲壮な決意を歌うものです。
ここではなんと、夜の女王のアリアのハイFより1音高い、ハイG(3点G)が出てきますが、実はこれがモーツァルトの書いた最高音なのです。
モーツァルトが、いかにアロイジアを評価し、その力を引き出そうとしたかが分かります。
ただ、自分で〝最上の作品〟と言っていますが、その後の素晴らしい作品を知ってしまっている耳には、歌手のテクニックに走りすぎている向きは否めません。
しかし、この歌からは、恋に燃える若きモーツァルトの熱い思いが、真夜中の篝火のようにまぶしく伝わってくるのです。
シェーナ『テッサリアの民よー不滅の神々よ、私は求めはしない』K.316 (300b)
田中彩子さんも、この曲を歌っています。超絶技巧のコロラトゥーラと、3点Gの迫力は本当にすごいです。
Mozart Concert Aria "Popoli di Tessaglia!" Ayako Tanaka
三女コンスタンツェ
さて、モーツァルトが結婚することになるのは、アロイジアの妹コンスタンツェでした。
彼女も歌えましたが、実力は姉たちよりもはるかに劣っていたので、本格デビューすることはなく、モーツァルトの妻に収まっています。
この結婚にも、父レオポルトも、姉ナンネルも大反対しますが、最後には押し切られます。
結婚後、モーツァルトは、ミサ曲を故郷ザルツブルクに捧げる誓願を立て、未完成ながらそれを実現します。
それが、不朽の傑作、『ハ短調ミサ K.427』です。
ここで、モーツァルトは新妻コンスタンツェにために、メインのソプラノ・パートを作曲、歌わせます。
まさに、故郷に妻を紹介する、お披露目曲というわけです。
コンスタンツェのパートは、彼女の良さをアピールすべく、甘美を極めたものですが、それだけに難しい曲でもあるので、モーツァルトは練習曲も作って妻に与えます。
それが『ソルフェージョ K.393』 で,、本番のミサ曲と同じ旋律になっているのです。
第1部、天使が歌うかのような『クリステ・エレイソン(キリストよ、憐れみたまえ)のメロディラインです。
ソルフェージョ 第2番 ホ長調
本番の曲はこちらです。第3章『クレド』の、天国的な歌です。
歌の最後に、サービストラックとして〝ジュピター・シンフォニー〟をアレンジした、素敵な歌があります。
ハ短調ミサ K.427より『エト・インカルナトゥス』
コンスタンツェは世に悪妻と言われていますが、モーツァルトは終生愛しました。夫の優しさがにじみ出た曲といえます。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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