モーツァルトのオペラ『後宮よりの誘拐』、あらすじと対訳の5回目です。
ここから第2幕です。
部屋に、奴隷頭のオスミンと、コンスタンツェの侍女、ブロンデがいます。
ブロンテはベルモンテの召使ベドリロの恋人ですが、オスミンがモノにしようとしています。
いや、オスミンにしてみれば、そもそもブロンデは太守セリムが自分にくれたモノだと思っているのですが、気の強いブロンデは、当然のことながらなびきません。
このオペラでは、コンスタンツェとベルモンテ、ブロンデとペドリロのふたつのカップルが、それぞれトルコ人の横恋慕される、という構造なのです。
このふたつの三角関係がフーガのように進んでいくのがこのオペラの面白さなのです。
コンスタンツェは太守セリムの愛に対して、その真心に感謝しつつ辞退し、太守セリムも極めて寛容に、コンスタンツェの心に寄り添いつつ口説いています。
これに対してオスミンは、当時のヨーロッパ人から見た、残忍で粗暴なトルコ人のイメージそのままに、ブロンデに対し、つべこべ言わず俺に従え、お前は太守様が俺にくださったんだ!と権力で迫ります。
ブロンデはそれを軽くいなし、ヨーロッパの女を口説きたいなら、そんなやり方はダメよ、と言ってアリアを歌います。
ブロンデを歌った初演歌手のテレーゼ・タイバー嬢(1760-1830)は、コンスタンツェを歌ったカヴァリエリ嬢とはまた違ったタイプのソプラノ歌手で、コミカルな演技が得意で、モーツァルトのオペラにかかせないコケティッシュなメイド役にぴったりでした。
音域も広く、かなりの高音から低音まで出せる、アクロバティックな歌手で、このアリアで出てくる高音は、主役コンスタンツェより高いのです。
W.A.Mozart : Die Entführung aus dem Serail K.384
演奏: ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団
John Eliot Gardiner & The English Baroque Soloists , The Monteverdi Choir
第8曲 ブロンデのアリア『優しくて、お話が上手で』
ソプラノ:シンディア・ズィーデン
オスミン(セリフ)
毒でも短刀でも喰らえ!
ブロンデ(セリフ)
怒鳴ったり、脅かしたり、わめいたり、いつまでたっても終わらないわね!
オスミン(セリフ)
黙れ!家の中に入れ!
入れと言ってるんだ!
ブロンデ(セリフ)
おバカさん、あなたの前にいるのがトルコの女奴隷だと思ってるの?
とんでもない間違いよ!
ヨーロッパの娘には全然違った扱いをしなくちゃ!
ブロンデ(アリア)
優しくて、お話が上手で、
気が利いて、楽しませてくれる人には、
女の子の心はすぐに落ちるわ。
でも威張ったり、怒鳴ったり、
命令したり、うるさく言う人には、
心も体もあっという間にサヨナラよ。
これを聞いたオスミンは怒り心頭。ふざけるのもいい加減にしろ、ここをどこだと思ってるんだ、トルコだぞ!お前は奴隷、主人は俺だ、従わなければならんのだ!と怒鳴ります。
ブロンデはパワハラに恐れるどころか、あざ笑います。
女の子は品物じゃないのよ?私はイギリスの女で、自由に生まれついているの。トルコの女たちはかわいそうね。でも私から、あんたのような男に従うなんてアホらしいわよって、教えてあげようかしら?
オスミンは、俺の女たちに謀反をおこさせようってのか!? じゃあ、俺がペドリロのような優男だったらよかったのか?とあきれます。
そうよ、と平然と言うブロンデに、オスミンはさらに激高しますが、ブロンデは、これ以上私にからむと、目ん玉をほじくるわよ、それとも、太守様のお気に入りのコンスタンツェ様から、あんたの横暴を何とかしてくださいって言ってもらえば、あんたの足の裏にムチ50回は確実ね、と脅します。
オスミンはタジタジとなって退散しようとし、ふたりの愉快なデュエットが始まります。
第9曲 ブロンデとオスミンの二重唱『俺は去るが』
オスミン
俺は去るが、ペドリロにだけは近づくなよ
ブロンデ
さっさと行って。命令するんじゃないの。
私はそういうのが一番嫌いなの
オスミン
約束しろよ
ブロンデ
何言ってるの
オスミン
こんちくしょうめ!
ブロンデ
早く行って、私をひとりにして
オスミン
そんなら、俺はここから一歩も動かないぞ。
お前が俺のものにならない限り
ブロンデ
無理に決まってるでしょ、あわれな人。
たとえあんたがムガール皇帝でもいやよ
オスミン
ああ、イギリスの男は情けない、
女をこんな勝手にさせちまって。
ブロンデ
自由の国に生まれた心は、けっして奴隷にはならないの。
オスミン
こんなじゃじゃ馬を手に入れたら、
どんなに悩まされ、手を焼くことやら
ブロンデ
たとえ自由を奪われても、誇りは絶対失わないわ
ブロンデ
さあ、さっさと消えて!
オスミン
そんな口のきき方があるか?
ブロンデ
ほかに言い方なんてないわ
オスミン
それならまだここにいるぞ
ブロンデ
だめったらだめ、さっさとお行き!
オスミン
こんな勝手な女は見たことがない
ブロンデ
ぐずぐずしてると、目玉をくり抜くわよ
オスミン
分かった、分かった、退散するよ
お前にやられないうちにな
(オスミン退場)
バスとソプラノの低音合戦
これは、このオペラでも一番愉快な場面です。
現代の職場での、パワハラ&セクハラ上司と、部下の女性とのやり取りに置き換えても面白いでしょう。やめないと社長に言いつけるわよ?と、撃退できたら痛快です。
トルコが遅れた国として描かれていますが、ヨーロッパもまだまだ男尊女卑の社会だったはずです。
でもその中で、ブロンデがわざわざ英国女性という設定になっているのは、モーツァルトの時代にすでに、イギリスがいち早く議会制民主主義を確立した自由の先進国、とされていたことを意味していて、興味深いです。
音楽としては、この二重唱の中で、オスミンが開き直って、ここを動かないぞ、と、階段を降りるように低音を響かせます。
ザルツブルク大司教コロレードが、初演歌手のフィッシャーの声を『バスにしては低すぎる』と素人批評し、モーツァルトがあざ笑ったエピソードはすでにご紹介しましたが、モーツァルトはさらにそれを馬鹿にするかのように、フィッシャーに最低音を出させます。
ブロンデはこれを受けてたち、たとえあんたがムガール皇帝でもいやよ…と同じように低音の音階を下っていきます。
ソプラノ歌手が低音を出すのがどんなに大変か・・・。
バス歌手が低音を出すのは当たり前ですが。
これで、音楽的にもオスミンはたじたじになってしまうわけです。
ひとつ前のアリアでこのオペラの最高音を出したブロンデが、すぐ最低音。
まさに初演のタイバー嬢の名人芸をうかがわせます。
また、この〝ムガール皇帝(Großmogul) 〟は、栄耀栄華を極めたインドのムガール帝国の皇帝のことで、最盛期を築いたアクバル大帝のことか、タージ・マハルを建てたシャー・ジャハンを指すのか分かりませんが、大変な権力者、という意味で使われています。
実はこの言葉を、ハイドンがベートーヴェンに対して使っているのです。
それは、自分の弟子でありながら、その教えに従わず、前衛的な音楽ばかり創り出すベートーヴェンにあきれて、〝ご大層な奴〟というニュアンスで揶揄したのです。
確かに、ハイドンやモーツァルトの音楽を聴き慣れた耳で、第2交響曲などを聴いていると、ハイドンが〝ムガール皇帝め〟とつぶやいている声が聞こえてくるようで、ついニヤニヤしてしまうのです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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