ヨーロッパとオスマン・トルコの攻防の歴史と、その影響で流行したトルコ風音楽を聴いてきましたが、さらなるエピソードをご紹介していきたいと思います。
オスマン・トルコ帝国が〝黄金のリンゴ〟と呼んで、どうしても手に入れたがったオーストリアの帝都ウィーン。
第2回ウィーン包囲(1683年)に先立ち、外交上不穏な動きがありました。
オスマン・トルコの侵略の矢面に立ったオーストリア・ハプスブルク家は、神聖ローマ皇帝位を保持し、ヨーロッパ世界の盟主として君臨していました。
その長年のライバルは、フランス王。
中世以来、イタリアの支配をめぐって、ドイツとフランスは戦い続けていました。
フランスでは、1589年に成立したブルボン朝が、第3代のルイ14世(在位1643-1715)に至って絶頂期を迎えていました。
『朕は国家なり』で世界史に名高い〝太陽王〟ルイ14世は、王権神授説を掲げ、絶対王政の確立に成功していました。
そして今や、ヨーロッパの覇権を手にすべく、周辺諸国に盛んに戦争を仕掛けていました。
最大のライバルはもちろん、オーストリアのハプスブルク家です。
しかし敵は強大な皇帝。手段は選んでいられません。
敵の敵は味方、ということで、あろうことか、ハプスブルク家を圧迫していたオスマン・トルコ帝国と手を結ぶことにしたのです。
挟み撃ちにしようというわけです。
いくらなんでも、異教徒にヨーロッパを支配されてしまったら本末転倒と思いますが、ルイ14世の野望は、オスマン・トルコとハプスブルク家に死闘をさせて、漁夫の利を得ようというものでした。
オスマン・トルコがハプスブルク家を倒したら、そこで、戦いに疲弊しているであろうトルコを追い払い、キリスト教世界の守護者として、いにしえのフランクのカール大帝のように、西ローマ皇帝として全ヨーロッパに君臨するつもりだったのです。
尊大なトルコからの使者
そんな遠大な策に基づき、1669年、ルイ14世はメフメト4世の遣わした使者をパリ郊外のヴェルサイユ宮殿に迎えます。
ヴェルサイユは、バロック芸術の粋を尽くし、ヨーロッパの諸王室が競って真似をした、贅を尽くした宮殿です。
ルイ14世は、ここで大国フランスの財力と威光を使者に見せつけるべく、1400万リーブルになるというダイヤモンドを散りばめたガウンを仕立てさせ、飾り立てた玉座で迎えます。
使者は、ソリマン・アガ(スレイマン・アヤ)というスルタンの側近でした。
彼は、なんと簡素な平服でやってきて、輝かしいヴェルサイユの威容にも何も動じません。
スルタンの書簡をルイ14世に差し出すと、王が座ったまま受け取ったことに対し、無礼であるとして怒り出します。
また、書簡を読み上げたフランスの大臣は、そこに「全権大使」の文言がないことに気づきます。
大国には全権大使を派遣するのが外交上の儀礼ですが、オスマン・トルコはフランスを格下の国と見下げていたわけです。
ソリマン・アガは大使ではなく、単なる使者だったのです。
これを正装で迎えたルイ14世こそ、いい面の皮。大恥をかかされました。
トルコ人を笑いものにせよ!
退出したソリマンが、ルイ14世に会った感想をきかれると、『トルコ皇帝がお出ましになるときは、馬でさえもっと豪華な衣装をつける』などとうそぶきました。
これを聞いたルイ14世はさらに怒り心頭、ブチ切れました。
しかし、例の作戦もあることから国交断絶するわけにもいかず、お気に入りの劇作家モリエールと、音楽家リュリを呼び、トルコをバカにした喜劇を作って上演するよう命じました。
劇でトルコ人を笑いものにして、いささかでも留飲を下げようというのです。
太陽王にしてはかなりセコい意趣返しですが、こうして出来たのが、名作コメディ・バレ『町人貴族』です。
ジャン=バティスト・リュリ(1632-1687)は、イタリア出身ですが、ルイ14世に気に入られ、その寵愛をほしいままにし、当時のフランス楽壇に絶対王者として君臨した作曲家です。
彼は、バレエ好きで、自らも踊ったルイ14世のために、数々のダンスを作曲、演奏しました。
ルイ14世が〝太陽王〟と呼ばれるのは、その威光が太陽に匹敵するという意味のように思われがちですが、バレエで太陽の神アポロンの役を演じたことによります。
リュリは、音楽の分野でルイ14世の絶対王政を支えたといえます。
リュリとルイ14世の信頼関係は、映画『王は踊る』に描かれています。
こちらは、即位したばかりの若き国王ルイ14世のダンス。バレエで王の権威を確立しようというところです。摂政の母后アンヌ・ドートリッシュと宰相マザラン枢機卿が見守ります。
Le Roi Danse J.B Lully Ballet de la Nuit 1653 (Ouverture) Le Roi représentant le soleil levant
こちらは親政開始後、自信たっぷりにリュリの指揮で踊るルイ14世です。このとき、音楽は統治の力そのものだったのです。
"Le Roi danse" - Idylle Sur La Paix (Air pour Madame la Dauphine)
リュリは、フランスの古典音楽を確立し、ヴェルサイユ宮殿と同様、ヨーロッパ諸国に〝フランス風音楽〟として広がっていきました。
特に「フランス風序曲」はスタンダードな形式となり、バッハの『管弦楽組曲』やヘンデルの『王宮の花火の音楽』はまさにそのスタイルで書かれているのです。
死因は指揮棒!?
また彼は〝指揮棒を誤って自分に刺して死んだ〟ことでも有名です。
といっても、当時はまだ今のタクトはなく、その時リュリは重い杖で床を打ちながらリズムをとって指揮をしていました。
その杖で誤って自分の足を突いてしまったのです。痛い!
で、傷口が化膿してしまい、あっけなくこの世を去ってしまいました。
台本を担当したジャン・バティスト・モリエール(1622-1673)は、コルネイユ、ラシーヌとともに、フランス古典主義3大作家のひとりで、その主宰した劇団はのちにコメディ・フランセーズになります。
風刺を効かせた数々の名作喜劇を生み出し、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の元となった『ドン・ジュアン』も作りました。
『町人貴族』は、まさに当時最高のコンビが作った作品なのです。
あらすじは、金持ちの商人ジュルダン氏が、貴族になりたくてたまらず、教養や剣術、ダンスなどの素養を身につけようとしますが、見栄っ張りで単純な性格を周囲に利用されてばかり。結局、豪華な服にしか興味がわきません。
娘には結婚したい相手がいましたが、ジュルダン氏は相手は貴族でなきゃならん!と許しません。
そこで娘と恋人は一計を案じ、恋人はトルコの王子ということにして、その妃の父はトルコの〝ママムーシ〟という貴族に叙される、という話をもちかけます。
ジュルダン氏は、トルコでもなんでも貴族になれるなら、とこの話を受け、貴族の位を与えるトルコの愉快な儀式が行われます。
この場面で、トルコ人が滑稽に描かれ、バカにされているわけです。
ここでは、序曲と、そのトルコの儀式の場面をご紹介します。
リュリ:コメディ・バレ『町人貴族』LWV43
J.B.Lully:Le Bourgeois Gentilhomme , LWV43
演奏:ホルディ・サヴァール指揮 コンセール・デ・ナシオン
Jordi Savall & Le Consert des Nations
序曲
典型的なフランス風序曲です。前半の「緩」の部分は重々しい付点リズムで、場を厳粛なムードにします。喜劇とはいえ、国王臨席ですので、露払いが必要なわけです。続く「急」の部分は、速い音楽になりますが、ここで王がお出ましになり、席に着きます。
トルコの儀式のための行進曲
ジュルダン氏に爵位を授ける儀式の始まりの音楽です。このマーチに合わせて、滑稽な恰好をしたトルコ人たちが次々に入場してきて、ジュルダン氏の目を丸くさせる場面です。まさに〝トルコ行進曲〟そのものです。
上記の演奏は行進曲のみですが、続く歌の場面を含んだ音楽は下記です。イスラムの大祭司(ムフティ)が出て来て、めちゃくちゃな儀式を進めます。まさにトルコ人を愚弄していて、ルイ14世は腹をかかえて笑ったことでしょう。ジュルダン氏はモリエールが、大祭司はリュリが自ら演じたということです。
トルコの儀式の場面
演奏:グスタフ・レオンハルト指揮 ラ・プティト・バンド
Gustav Leonhardt & La Petite Bande
トルコの儀式のための行進曲(第1の曲)
トルコ人たち
アラーは偉大なり
大祭司(ジュルダン氏に)
知ってたら返事しろ
知らなきゃだまってろ
わしは大祭司
お前は誰だ
分からなきゃだまってろ
大祭司(トルコ人たちに)
トルコ人よ 、言え、この者は何者か?
再洗礼信者か? 再洗礼信者か?
ツヴィングリ派か? コプト派か?
フス派か? モーロ派か? 瞑想派か?
トルコ人たち
いいえ、いいえ、いいえ
大祭司
いいえ、いいえ、いいえ、か。
では異教徒か? ルター派か? 清教徒か?
バラモン教徒か? モフィン教徒か? ズリン教徒か?
トルコ人たち
いいえ、いいえ、いいえ
大祭司
いいえ、いいえ、いいえ、か。
イスラム教徒だな? イスラム教徒だな?
トルコ人たち
はい、神かけて。はい、神かけて。
大祭司
名はなんという?名はなんという?
トルコ人たち
ジュルディーナ。ジュルディーナ。
大祭司、トルコ人たち
ジュルディーナ?ジュルディーナ?ジュルディーナ?
大祭司
マホメットよ、ジュルディーナのために我は祈る。
夜も、昼も。
パラダンたらしむるために。
ジュルディーナに、ジュルディーナに、
ターバンを与えよ、半月刀を与えよ
ガレー船と帆船とともに、パレスティナを守るために。
マホメットよ、ジュルディーナのために我は祈る。
夜も、昼も。
大祭司
ジュルディーナは、よきトルコ人なりや?
トルコ人たち
はい、神かけて
大祭司とトルコ人たち
ハ・ラ・バ、バ・ラ・シュ、バ・ラ・バ、バ・ラ・ダ
(第2の曲)
トルコ人たち
ウ、ウ、ウ、偉大なり
大祭司
なんじはペテン師ではなかろうな?
トルコ人たち
いいえ、いいえ、いいえ
大祭司
なんじは悪者ではなかろうな
トルコ人たち
いいえ、いいえ、いいえ
大祭司
ターバンを与えよ
トルコ人たち
なんじはペテン師ではなかろうな
いいえ、いいえ、いいえ
なんじは悪者ではなかろうな
いいえ、いいえ、いいえ
(第3の曲)
大祭司とトルコ人たち
なんじは貴族なり、おとぎ話にあらず、剣をとれ
(第4の曲)
大祭司とトルコ人たち
打て、打て、杖で
(第3の曲)
大祭司とトルコ人たち
恥を知らぬは、これぞ最大の恥なり
実際の舞台はこちらです。演出によって、かなりの違いがあります。でもどうでしょう?まるで現代のミュージカルのように生き生きとした音楽と思いませんか?今から300年以上も前の曲なのに。
La cérémonie turque (Le Bourgeois Gentilhomme, de Molière e Lully)
コーヒー文化のはじまり
『町人貴族』は、ルイ14世臨席のもと、ロワール渓谷のシャンボール城の大広間で上演され、大喝采を浴びました。
ルイ14世の気がどこまで済んだか分かりませんが、太陽王をコケにしたトルコの使者ソリマン・アガは、ひょんなところでヨーロッパの文化に大きな影響を与えました。
それは、コーヒーを流行らせたことです。
この黒い液体は、既にヨーロッパに伝わってはいましたが、まだ得体の知れない飲み物でした。
ソリマン・アガはパリ滞在中、宿舎をトルコの宮殿風に豪奢に飾り付け、客人をコーヒーでもてなしました。
テーブルではなく、床に敷いた豪華な絨毯の上でクッションに座らされ、見たこともない〝ジャポン〟という東洋の磁器で振舞われる、香ばしい魅惑の飲み物。
ソリマン・アガは、コーヒーに慣れないヨーロッパ人向けに、砂糖をたっぷり入れて供したそうです。
客人はたちまちカフェイン効果で気分は高揚、まるでアラビアンナイトの世界にいるような陶酔感に包まれたのです。
これをきっかけに、コーヒー文化はヨーロッパに広まっていったのです。
茶、カカオとともに、この異世界の飲み物が歴史に与えた影響ははかり知れません。
音楽との関りも深いですが、それはあらためて取り上げるとして、まずはしばらく、フランスのヴェルサイユ宮殿に花開いた音楽「ヴェルサイユ楽派」、いわば〝ベルばら音楽〟を聴いていきましょう。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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