ルイ14世(1638-1715)は1638年9月5日に、ルイ13世(1601-1643)と王妃アンヌ・ドートリッシュ(1601-1666)の王子として生まれました。
王妃は〝オーストリアのアンヌ〟の名の通り、フランス・ブルボン王家の宿敵、ハプスブルク家の王女で、政略結婚。
夫妻の不仲は有名で、アレクサンドル・デュマの小説『三銃士』では、ダルタニャンと三銃士が王妃とその愛人、英国のバッキンガム公爵との不倫の証拠隠滅のため活躍?する場面があるほど。
ふたりはほとんど別居状態で、23年間子供ができませんでしたが、ある日、狩りをしていたルイ13世は急に悪天候に見舞われ、やむなく近くにあった王妃の城館に泊めてもらいました。
王妃が懐妊したのはその夜だった、と言われています。
しかし、夫妻が一緒にいたのはたった一夜だったので、ルイ14世にはずっと出生についての疑惑がささやかれ、父親には宰相のリシュリュー枢機卿、マザラン枢機卿の名前まで巷では挙げられています。
真実は永遠に闇の中ですが。
権力を握るまで
父ルイ13世が1643年に41歳の若さで薨去すると、ルイ14世はわずか4歳で即位することになり、母后アンヌ・ドートリッシュが摂政となり、前王の敏腕宰相リシュリュー枢機卿の腹心、マザラン枢機卿が宰相に任命されました。
しかし、当時はまだ貴族の力が強く、反乱(フロンドの乱)が起こり、王一家はパリ脱出を余儀なくされました。
反乱軍はルイ14世の寝室まで押し寄せ、王は寝たふりをして難を逃れた、ということさえあり、こうした体験から、ルイ14世は成長してから貴族を手なづけ、その力をそぐことに腐心し、絶対王政を確立していったのです。
1661年にマザラン枢機卿が死去すると、王は宰相を置かないことを宣言、親政を開始。
コルベールを財務総監に任命して財政を立て直し、富国強兵策に邁進します。
親政開始の年、父王ルイ13世の狩りの小さな館があった、パリ郊外のヴェルサイユに大宮殿の造営を始めます。
フロンドの乱の苦い思い出のあるパリを離れたかった、という説もありますが、自然豊かな広い土地に、自分の思い通りの世界を実現したかった、というのが本当のようです。
しかし、湿地で水利も悪い土地で、工事は困難を極め、宮廷が移るのは20年後の1682年になりました。
宮殿の造営には、建築家のル・ヴォー、造園家のル・ノートル、画家・室内装飾家のシャルル・ルブランら、当代最高の技術者が腕を振るいました。
その間、ルイ14世は諸国との戦争に明け暮れますが、そのさなかでも、暇さえあればヴェルサイユを訪れ、細かく指図し、気に入らないところはやり直させました。工事に携わる人たちの悲鳴が聞こえてきそうです。
1664年、旧城館を改築する第一期工事が竣工すると、ルイ14世は600人をヴェルサイユに招いて盛大な祝典を開きました。
これが『魔法の島の歓楽』です。
『魔法の島の歓楽』
これは、ヴェルサイユを舞台とした、今のテーマパークのようなストーリーを伴った大スペクタクルでした。
物語は、イタリアの空想小説、アリオストの『狂えるオルランド』を元に、自由に改変したものです。
〝オルランド〟は、カール大帝の名高い家臣ローランのことで、彼の英雄的冒険を、魔法あり、怪物あり、恋愛ありで描いた創作叙事詩です。月に行くことまで出てきます。
もう一人の主人公、英雄ルッジェーロは、美しい魔法使いのアルチーナに誘惑され、魔法の島にある宮殿で彼女と快楽にふけります。
しかし、助けにきた本当の恋人に目を覚まされ、魔法の壺を壊して、美魔女アルチーナからの束縛から解放されて幕となります。
この物語は当時大人気で、ヘンデルもこのテーマで『リナルド』『オルランド』『アルチーナ』の3作のオペラを書いているのです。
この祝典では、ルイ14世はルッジェーロに擬され、その〝魔法の島〟での歓楽が再現されました。
当時の証言です。
王は、これが郊外の館かと思うような設備を備えた場所で、一風変わった祝宴を催して妃たちやすべての廷臣を楽しませたいと思い、パリから4リーグほど離れたヴェルサイユを選ばれた。この城が魔法の宮殿と呼ばれるのも当然かもしれない。なぜなら、芸術的な装飾が自然の神のなされた配慮を補い、完全なものとしているからである。この美しい場所に宮廷全体が移動したのは5月5日であり、14日まで王は600人以上もの人々をもてなした。その他にも、踊りや劇のために多くの人が必要であった。また、あらゆる職人がパリから来たが、あまりに大勢だったので、まるで小さな軍隊のように思われた。
魔法の島の歓楽。馬上での騎馬試合。舞台効果を考えた軽食会。舞踏と音楽を伴うモリエールの喜劇。アルチーナの宮殿でのバレエ。花火。その他にも国王によって、1664年5月7日に優雅で壮麗な催しがヴェルサイユで催され、さらに数日間続けられた。
ここで活躍したのも劇のモリエール、音楽のリュリのコンビでした。
3日続いた『魔法の島の歓楽』では、最終日にはアルチーナの宮殿が花火で豪快に爆発するという、大フィナーレが用意されていました。
愛人のご機嫌を取るための大イベント
この祭典は、実は本物の〝美魔女〟のために開催されたものだったのです。
ルイ14世は父と同じくハプスブルク家から、スペイン王フェリペ4世の王女マリー・テレーズを1660年に妃に迎えますが、政略結婚で愛は抱けなかったようで、女性遍歴を繰り返すことになります。
翌年には、なんと弟オルレアン公の妃アンリエット・ダングルテールと恋仲になり、フォンテーヌブローの森で密会を重ねます。
アンリエットは、清教徒革命で処刑されたイングランド王チャールズ1世の王女で、現王チャールズ2世の実妹でもあります。
倫理上は言うまでもなく、外交上、国際上も問題になりかねない事態に、アンリエットはさすがにヤバいと思い、王は自分ではなく、侍女のもとに通っているのだ、ということにしてカモフラージュしようとしましたが、ルイ14世はあっけなくその侍女ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールに惚れてしまいます。
彼女は敬虔な人物で、王妃への罪の意識に苛まれますが、侍女の身で王の愛を拒むこともできず、悶々としていました。3人も王の子を産みますが、2度も修道院に駆け込む騒ぎを起こしています。
『魔法の島の歓楽』は、実はそんな愛人のご機嫌を取るために催されたイベントで、それは誰一人知らぬ者のない周知の事実だったのです。
リュリの音楽の一部をご紹介します。
「ディヴェルティスマン」とは〝余興〟といった意味で、踊り、歌の入った自由な劇のことです。
リュリ:ディヴェルティスマン『魔法の島の歓楽』
J.B.Lully:Les Plaisirs de L'ile Enchantée ,
演奏:ウィリアム・クリスティ指揮 レザール・フロリサン
William Christie & Les Arts Florissants
二重唱『ねえクリメーヌ、恋ってなんでしょう?』
恋について語る甘美なデュエットで、イタリアオペラのスタイルで書かれています。
序曲と、祭典の様子を描いた銅版画の動画です。
Jean-Baptiste Lully - Les Plaisirs de l'Ile Enchantée, extraits
やり手の寵姫、モンテスパン夫人
1668年。ヴェルサイユの工事も進み、庭園も、遠近法を利用した並木道、岩の洞窟、噴水、生垣の迷路、野外劇場が出来上がったため、ルイ14世は再びこの地で愛人のために壮大なディヴェルティスマンを挙行しようと思いつきました。
この時の愛人は、『魔法の島の歓楽』のときのルイーズ・ド・ヴァリエールではなく、新たな寵姫モンテスパン夫人でした。
彼女は1666年に亡くなった母后アンヌ・ドートリッシュの追悼ミサで王に知り合いましたが、自ら王の寵姫になる野望を抱き、以前からチャンスをうかがっていたのでした。
ちょうど夫のモンテスパン侯爵が遠くの戦地に単身赴任にした隙に王に近づき、まんまと愛人になりおおせたのです。
夫人は金髪に青い目の豊満な魅力的な女性で、快活で才気と機知に富み、ユーモアあふれる会話術で王をとりこにしました。
夫の侯爵は何も知らずにパリに戻った折、モリエールの喜劇『ジョルジュ・ダンダン』を観て大爆笑していました。
この劇は『やりこめられた亭主』という副題で、貴族の娘を身分不相応に妻に迎えた平民亭主が、妻の浮気にさんざん振り回されるという筋だったのです。
これに大笑いしているモンテスパン侯爵こそ〝知らぬは亭主ばかりなり〟とパリ中の笑いものになってしまったのです。
やがて事実を知った侯爵は激怒しますが、相手が王ではどうにもなりません。
嫌味に〝貞操の喪〟と称して喪服を着て王宮に出仕するなどしますが、当然王に疎んじられて領地に追い返され、結局、手切れ金を渡されて強制的に離婚させられます。
そして、王の愛を独占したモンテスパン夫人は、王妃まで愚弄するなど、傍若無人ぶりを発揮して大顰蹙を買いますが、長く続いた寵愛もやがて衰える日が来ます。
宮廷を追われた夫人は、かつてその地位を奪い、修道院に入ったルイーズ・ド・ヴァリエールのもとを訪れ、心の平穏を得るにはどうしたらよいか教えを乞うた、ということです。
ルイーズは王妃に常に敬意を払い、念願かなって修道院に入るときには王妃の足元に身を投げ出して許しを乞いました。。
王妃は控え目なルイーズにはずっと好意をもっており、『野にひそやかに咲くすみれのような方』と評し、一方王妃をないがしろにして傍若無人なふるまいのモンテスパン夫人には『いずれこの女により国が滅ぼされる』と嘆いていたということです。
華麗なるリュリの音楽
さて、この時のリュリの音楽を聴きましょう。
歌や合唱を省き、管弦楽組曲に仕立てた録音です。
まぶしいほどに輝きを増し、絢爛豪華な王朝絵巻が目の前に広がりますが、その陰にあったドロドロした権力争いや愛憎劇などの人間模様に思いを馳せるのも一興です。
リュリ『ヴェルサイユの国王陛下のディヴェルティスマン』LWV38
J.B.Lully:Le Bourgeois Gentilhomme , LWV28
演奏:ホルディ・サヴァール指揮 コンセール・デ・ナシオン
Jordi Savall & Le Consert des Nations
海の神ネプチューンが登場するように重々しくも華やかな序曲です。ティンパニのリズムがなんとも心地よく打たれます。
速いアレグロの楽章で、前曲と合わせてフランス風序曲を形作ります。タンバリンの音も楽し気で、華麗なダンスが目に浮かびます。
トランペットのプレリュード
〝王者の楽器〟トランペットのスカッとするようなファンファーレです。
男と女の武器
王の力を象徴する剣の舞いです。
強制結婚の儀式
『強制結婚』は、モリエールの戯曲で、そこにつけたリュリの音楽が引用されています。しっとりと落ち着いた哀愁のロンドです。
同じく『強制結婚』のためにリュリが書いた舞曲、ブーレ―です。短調ですが活気あふれる祝祭的なダンスです。
シャンボールのディヴェルティスマンのブーレ―
シャンボール城で上演されたディヴェルティスマンからの引用です。管楽器とタンバリンがこの世の愉しみを謳歌するかのように歌い、踊ります。
歓楽のシンフォニー
緩やかな情感あふれる曲です。フルートのしっとりとした音色が心を癒してくれます。
奴隷
生々しい太鼓のリズムが野趣を醸し出し、盛り上げていきます。
組曲の終曲はやはりメヌエットです。フィナーレにふさわしく、トランペットが高度な技を繰り広げ、にぎにぎしく王の祝宴を締めくくります。
バロック様式の見本とされたこの豪奢な宮殿は、諸外国を驚かせ、ヨーロッパ中の王侯貴族が競って真似をしました。
幼いモーツァルトが転び、助け起こしてくれた王女マリー・アントワネットに『御礼にお嫁さんにしてあげる』と言ったオーストリアのシェーンブルン宮殿。
大バッハの息子カール・フィリップ・エマニュエル・バッハが、フルートを吹くフリードリヒ大王の伴奏をして活躍したプロイセンのサン・スーシ宮殿。
往時そのままの宮廷オペラ劇場が今に残るスウェーデンのドロットニングホルム宮殿。
ハイドンが30年務めたハンガリーのエステルハーザ宮殿など、枚挙に暇なく、またいずれも音楽史上重要な舞台となりました。
では、本家本元のヴェルサイユでは、どんな音楽が流れていたのでしょうか。
パリを訪れる観光客は必ず半日をヴェルサイユ宮殿観光にあて、その豪華さに目を奪われますが、それは宮殿の外側、いわば殻を観ているにすぎません。
ヴェルサイユの〝中身〟は、そこで繰り広げられた音楽とダンスにあります。
逆に言えば、音楽を聴けば、日本にいながらにしてヴェルサイユ宮殿の〝中身〟に触れられるということです。
それをこれから年代を追って聴いてみたいと思います。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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