フランスのエスプリ
〝いちばん人間の声に近い楽器〟といわれたヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)の深い音色を活かした名曲を数々作曲したマラン・マレ(1656-1728)ですが、落ち着いた深遠な曲ばかりというわけではなく、むしろかなり〝やんちゃ〟な曲も作っています。
前回の『迷宮(ラビリンス)』などもその一例です。
またフランス人作曲家は、曲に標題をつけることを好む傾向があります。
イタリア人やドイツ人は、抽象的な音楽を好み、曲名としては〝アレグロ〟〝アダージョ〟などの速度表記や、〝アルマンド〟〝メヌエット〟などの舞曲名、あるいは〝フーガ〟〝カノン〟などの形式名でそっけなく呼んでいますが、フランス人は具体的な、あるいは意味深な名前をつけた例が多くあります。
それは、イタリアからもたらされたオペラも、ダンス、バレエを多く取り入れてフランス風に改造したように、視覚的なものを重視するフランス人の民族性ということでしょうか。
確かに、フランス人の色彩感覚が優れていることは、印象派など、美術の世界でも際立っており、それが音楽にも反映しているように感じます。
あるいは、謎かけのような題をつけて、聴く人にいろいろ考えさせようという〝知的な遊び〟もフランスならではで、それが『エスプリ esprit』と呼ばれるものなのかもしれません。
恐ろしい、麻酔なし手術
マラン・マレが1725年に出した最後の曲集、『ヴィオール曲集 第5巻』の中に『膀胱結石手術図』と題された曲が所収されています。
これは、マレが実際に受けた、膀胱結石を取り出す手術を、なんと音楽で描いたものなのです!
膀胱結石を含む尿路結石は、現代でも七転八倒、のたうち回るような痛みとして多くの人を苦しめていますが、薬で石の排出をうながしたり、なんらかの方法で破砕するなどの治療が施されます。
しかし、18世紀にはそんな方法はなく、治そうと思えば、腹を切開して直接鉗子で石を取り出すしか方法はありませんでした。
エーテルによる全身麻酔手術が成功したのは1842年、あるいは1846年といわれていますから、19世紀も半ばのことです。
その40年前、日本の医師、華岡青洲が曼荼羅華やトリカブトなどの薬草、毒草を調合して麻酔薬を使用し、実母や妻を実験台にして麻酔薬「通仙散」を完成させたことも知られています。
実母は死亡、妻は乳がんの摘出に成功したものの失明、という大きな犠牲を払いましたが。
マレが受けた手術は、18世紀前半ですから、もちろん麻酔などありません。
〝切腹〟と同じ痛みに耐えねばなりませんでした。
しかも、消毒の知識も薄く、術後に命を落とすことも多くて、まさに命がけ。
マレは運よく〝生還〟を果たしたため、その恐怖と、乗り越えた喜びを音楽で表現したのです。
ただ、音楽だけでは内容が伝わらないので、演奏に合わせてナレーションがついているのです。
では、聴いてみましょう。
M.Marais:Le Tableau de I’Operation de la Taille, Pieces de viole du Ⅴ livre, 1725
演奏:ホルディ・サヴァル(ヴィオール)、クリストフ・コワン(ヴィオール)、トン・コープマン(チェンバロ)、ホプキンソン・スミス(テオルボ)
Jordi Savall
手術の場面
(ナレーション)
手術の様子
それを見て震える
手術台に登ろうと決心する
手術台の上まで行き
降りてくる
真剣に反省
腕と足の間に
絹糸が巻きつけられる
いよいよ切開
鉗子を挿入する
石が取り出される
声も出ない
血が流れる
絹糸がはずされる
寝台に移される
読むだけで恐ろしい内容です。自分より先に手術を受けた人の様子を見て、身の毛がよだっています。医師や助手は、患者の絶叫が聞えないよう耳栓をしていたそうです。
ついに自分の番が来てしまいますが、手術台に登っては下りの繰り返し。
そんなことではダメだ、と覚悟を決めます。
絹糸で暴れないよう手術台に縛り付けられ、ついにナイフで腹が切開され、鉗子で結石が取り出されます。
痛みで声も出ません。
この当時の医師は、患者の苦痛を軽減するため、いかに素早く処置するかが腕前とされていました。
マレは身分の高い宮廷楽長ですから、当時としては名医の執刀を受けることができたのでしょう。
それにしても、現代に生まれた幸せを噛みしめたくなる音楽です。
快癒 (陽気に)
術後の経過がよく、快癒に至った喜びを表した音楽です。足を傷つけただけのリュリでさえ、傷口が壊疽を起こして亡くなったのですから、奇跡といってもよいでしょう。
続き
前曲に引き続き、すっかり健康を取り戻し、跳ねて踊るかのような幸せな音楽です。
聴いている方もホッとします。祝・快癒!
ストイックな鐘の音
最後にもう1曲、マラン・マレの標題音楽をご紹介します。
『聖ジュヌヴィエーヴ・デュ・モン教会の鐘』という曲です。
鐘の音が鳴り続ける様子を音楽で表現したもので、映画『めぐり逢う朝』の冒頭で弟子が演奏する様が印象的に使われます。この凡庸な演奏に老マレが苛立って、その苛立ちは若い頃の自分に向けられ、物語が幕を開けるのです。
そのサウンドトラック所収の演奏です。
マレ:聖ジュヌヴィエーヴ・デュ・モン教会の鐘
M.Marais:Sonerie de Sainte Genevieve du Mont de Paris
ホルディ・サヴァル(ヴィオール)、ファビオ・ビオンディ(ヴァイオリン)、ロルフ・リスレヴァン(テオルボ)、ピエール・アンタイ(チェンバロ)
ヴァイオリンとヴィオール、そして通奏低音による曲ですが、レーファーミの3音の繰り返しを、鐘の音のごとく、400回も繰り返して展開していきます。
その上にヴァイオリンとヴィオールが様々な曲芸を繰り広げるわけですが、まるで覚めない悪夢の中にいるようなストイックさです。
マラン・マレの音楽は、まさに、奇抜でゆがんだバロック芸術を象徴するかのようです。
それは、太陽王の君臨したヴェルサイユ宮廷の表面的な豪華さ、優雅さの裏に隠された、ドロドロした部分を偲ばせてくれる気がするのです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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