十字架にかけられた我が子を見つめる母
ペルゴレージ(1710-1736)は、インテルメッツォ『奥様女中』で一世を風靡しましたが、その名を不朽のものにしたのは、その若すぎる死の間際に書いた宗教音楽『スターバト・マーテル』です。
バロック音楽として今もよく聴かれているのは、『奥様女中』よりもこの曲なのです。
『スターバト・マーテル』は、カトリックの聖歌で、13世紀にヤコポーネ・ダ・トーディによって作られたと伝えられますが、作者は教皇インノケンティウスⅢ世に擬せられることもあります。中世にはグレゴリオ聖歌として歌い継がれてきました。
歌詞が〝スターバト・マーテル・ドロローサ...(悲しみの聖母は立ちたまえる…)〟から始まるところからこの名で呼ばれ、十字架に架けられたイエス・キリストのかたわらに立ち尽くす、聖母マリアの悲しみに思いを馳せた感動的な聖歌です。
あらゆる時代に作曲され続けた聖歌
「聖母の七つの悲しみ」の日に歌う習慣となったことから、ルネサンス期にはパレストリーナ、バロック期にはシャルパンティエ、ヴィヴァルディ、スカルラッティ父子、古典期にはハイドン、ボッケリーニ、シューベルト、近代になってもロッシーニ、ドヴォルザーク、ヴェルディ、グノー、プーランクなどに作例があり、ずっと作曲し続けられてきた聖歌です。
ペルゴレージは、1733年にナポリで『誇り高い囚人』と『奥様女中』を上演したあと、翌年ローマにデビューして聖ロレンツォ教会で『ミサ曲ヘ長調』を指揮します。
その後ナポリに戻り、オペラ・セリア『シリアのハドリアヌス』とそのインテルメッツォ『リヴィエッタとトラコッロ』を上演しますが、『奥様女中』ほどの成功は収めませんでした。
1735年には再びローマを訪れ、オペラ・セリア『オリンピアーデ』を上演しますが失敗。この頃から結核を患うようになってしまいます。
1736年初めには、療養のため、ナポリ近郊の港町ポッツォーリに移ります。
死の床での作曲
ちょうどポッツォーリに居を移した頃、1736年に、ナポリ貴族たちによる信徒集団「悲しみの聖母騎士団」から、『スターバト・マーテル』作曲の依頼を受けました。
この団体は、毎年キリスト受難の主日後の金曜日の礼拝に、アレッサンドロ・スカルラッティ(1660-1725)が1724年に作曲した『スターバト・マーテル』を演奏していましたが、これがやや古い音楽になってきたため、新曲への差し替えを依頼してきたのです。
アレッサンドロ・スカルラッティは、近代ピアノ奏法の父といわれるドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)の父で、ナポリ楽派オペラの創始者にも位置付けられる偉大な巨匠ですが、音楽の好みが時代とともに変化するのは世の常です。
ペルゴレージは、病をおして曲を完成させ、それからまもなく、同年3月16日に世を去ります。
ポッツォーリでの療養は3ヵ月間ほどだったことになります。
白鳥は死ぬ前に歌う
彼はなぜ病の中で作曲したのでしょうか。
オペラの失敗を取り返そうとしたのか、経済的な理由なのか、謎ですが、結核は当時不治の病であり、ポッツォーリに転地したときには死を覚悟していたと思われますから、信仰心も大きな理由だったかもしれません。
後年、モーツァルトが死の床で『レクイエム』を作曲したこととシンクロします。
そんないきさつからも、この曲はペルゴレージの〝白鳥の歌〟といわれています。
白鳥はふだん、その美しい姿には似つかわしくない声で鳴きますが、死ぬ間際には美しい歌で歌う、という言い伝えから、詩人や作曲家の最後の作品がこのように呼ばれることがあります。
『スターバト・マーテル』は、我が子が目の前で十字架に架けられ、それもすぐには絶命できず、苦しみ抜いているのを、何もできずに見守るしかない聖母マリアの悲痛な心境を歌ったものですが、これに作曲者の死もオーバーラップし、聴く人の心を打ってやまないのです。
Giovanni Battista Pergolesi: Stabat Mater
演奏:デイヴィッド・ベイツ指揮 ラ・ヌオーヴォ・ムジカ
ルーシー・クロウ(ソプラノ)、ティム・ミード(カウンター・テナー)
David Bates & La Nuova Musica
第1曲 二重唱『悲しみの聖母は涙にくれて』
悲しみの聖母は涙にくれて
御子がかけられた
十字架のもとに立ち尽くされる
ペルゴレージの『スターバト・マーテル』は、アレッサンドロ・スカルラッティの旧作と同じ、ソプラノとアルト、弦楽、通奏低音という簡素な編成です。冒頭、たたみかけるような弦の悲痛な叫びが胸を打ちます。そして、ソプラノとアルト(この演奏ではカウンター・テナー)が絡み合いながら、十字架の元に絶望して立ち尽くす聖母の姿を描写していきます。弦は絶え絶えな息遣いを現わし、イエスの瀕死の苦しみをたどっていますが、末期の結核に苦しみながらペンで音符を綴るペルゴレージの姿も思い浮かびます。次から次へと湧き出でる新しい楽想と、まもなく消えゆかんとする我が命と。彼の胸にはどんな思いが去来していたのでしょうか。
第2曲 アリア『嘆き悲しみ』
嘆き悲しみ
苦しめる御子の魂を
剣がつらぬいた
ソプラノの悲痛なアリアが、十字架上のイエスの苦しみを歌います。弦の鋭いパッセージがイエスを貫いた剣をイメージさせます。
第3曲 二重唱『おお、神のひとり子の』
おお、神のひとり子の
祝福されし御母は
悲しみと傷はいかばかりか
世の中に、自分の子どもの死に遭うほどつらいことはないでしょう。後年、相次いで我が子に先立たれたドヴォルザークも、悲痛な『スターバト・マーテル』を作曲しています。二重唱が、聖母の悲痛な胸のうちを察して歌います。
第4曲 アリア『尊き御子の苦しみを』
尊き御子の苦しみを
ご覧になって嘆き悲しみ
うち震えておられる
一転、オペラのような変ホ長調の明るいアルトのアリアになります。歌詞に似つかわしくないように感じますが、これはこの時代の教会音楽に一般的に見られる傾向で、当時からも賛否両論がありましたが、明暗の組み合わせがあってはじめて、悲しみが引き立つ効果もあるのです。しかし、モーツァルトの師でもあったイタリア音楽の権威マルティーニ神父は、世俗的な音楽だとして切り捨てています。
第5曲 二重唱『これほどに嘆きたまえる』
これほどに嘆きたまえる
救い主の御母を見て
泣かない者は誰か
御子とともに苦しみたまえる
慈悲深い御母を眺めて
悲しまない者は誰か
その人々の罪のために
拷問と鞭に身を委ねられた
イエスを御母はご覧になったのだ
ソプラノとアルトが、かわりばんこに、こんなマリアさまを見て悲しまない者がいるのか!と非難口調で問いかけます。そして、最後のフレーズでは一緒に、決然と、イエスがどんな苦難を受けたのかを叫びます。
第6曲 アリア『また苦悶のうちに見捨てられ』
また苦悶のうちに見捨てられ
息絶えられた
愛する御子をご覧になった
前曲の激しい口調を引き継ぎ、ソプラノのアリアが、ついにイエスの死をみとったマリアの姿を劇的に歌います。
第7曲 アリア『愛の泉なる聖母よ』
愛の泉なる聖母よ
御身とともに悲しむよう
われに嘆かせたまえ
アルトのアリアが、聖母のこの上ない苦しみに対し、自分も一緒に嘆かせてください、と哀願します。後半には、日本の演歌の節回しのようなフレーズが出てきます。
第8曲 二重唱『その御心にかなうべく』
その御心にかなうべく
われを神なるキリストを愛する火で
燃え立たせたまえ
情熱的なデュエットが、キリストへの燃え立つ愛を歌います。まるでオペラの一場面のようにドラマチックです。ペルゴレージの音楽は、時々ハッとするほど現代的な響きがあり、これが当時星の数ほど輩出した作曲家の中で、後世まで残った理由だと思います。
第9曲 二重唱『聖なる御母よ』
聖なる御母よ
十字架に釘付けされた御子の傷を
わが心に深く刻みたまえ
わがためにかく傷つけられ
苦しまれた御子の栄光を
われにも分かちたまえ
わが命のある限り
十字架につけられた御子に対し
御身とともに涙し
苦悩させたまえ
われは御身とともに十字架のもとに立ち
御身とともに嘆かせたまえ
乙女の中の清らかな乙女よ
われを拒むことなく
御身とともにわれを泣かしたまえ
人々の罪を背負った十字架上のイエスの死によって人々は救われた、とするのがキリスト教の教義ですので、信者にとってその死は、悲しいと同時に、この上なくありがたいものです。その複雑な心境を歌う切々としたデュエットです。マリアに甘えるような、切々としたフレーズが印象的です。
第10曲 アリア『われにキリストの死を負わしめ』
われにキリストの死を負わしめ
受難をともにし
その傷を再びわれにも与えたまえ
御子の傷をもってわれを傷つけ
その十字架と御子への愛によって
我を酔わしたまえ
ヴァイオリンのソロが、イエスに与えられた鞭のように響くト短調のアルトのアリアです。実に技巧的に作られた感動的な歌です。
第11曲 二重唱『おお乙女よ、審判の日に』
おお乙女よ、審判の日に
炎と熱よりわれを守りたまえ
十字架によってわれを守り
キリストの死によって前を固め
恩寵によって慈しみたまえ
一転、変ロ長調、アレグロの楽し気な明るいデュエットになります。これは、恐ろしい審判の日でも、キリストが業火から守ってくれる、という喜びを表したものですが、まるでオペラだ!という批判もあったでしょう。
第12曲 二重唱『肉体が死するとき』
肉体が死するとき
魂に天国の栄光を与えたまえ
ヘ短調、ラルゴのデュエットです。哀調に満ちた清澄な響きは、モーツァルトのレクイエムにも共通するものがあり、まさに〝白鳥の歌〟と呼ぶにふさわしい美しさです。死を前にし、魂が天国に召されることを願った思いが込められていると感じざるを得ません。
第13曲 二重唱『アーメン』
アーメン
終曲は、フーガ調の、合唱曲のようなアーメンです。簡素に、かつ力強く全曲を締めくくります。
偽作が118曲?
26歳の若さで夭折したペルゴレージですが、『奥様女中』と『スターバト・マーテル』によって、死後、その名声は神話的に高まりました。第二次大戦中に出版された『ペルゴレージ全集』には148曲が収められているのですが、その後の研究で、69曲はペルゴレージの作ではなく、49曲は疑わしい作品であり、真作と認められたのはわずか30作なのです。
〝ペルゴレージ作〟とすれば、どれだけの偽作が売れたのか、を示しています。
しかし、ペルゴレージの功績は、単なる〝一発屋〟ではなく、〝新しい曲〟を作り出したことにあります。
たった26年の生涯で、次の時代を切り拓いた偉人がいたのです。
こちらはルセ指揮タレン・リリックの演奏です。
Pergolesi׃ Stabat mater, for soprano & alto ¦ Les Talens Lyriques
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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