ケチケチバッハ!?
前回は、バッハが亡きお妃の追悼式のために作曲した感動的なカンタータを取り上げました。
それは特別な作品でしたが、ライプツィヒの聖トーマス教会のカントル(音楽監督)だったバッハには、街で行われる日常的な冠婚葬祭に際して、音楽提供を依頼されることも多々ありました。
カントルとしての俸給に不満だったバッハにとって、これら市民からの依頼は大事な臨時収入でした。
あるときバッハは、こんなことを友人にボヤいています。
『いつもより葬式が多いと謝礼もこれに比例して多くなる。だが、吹く風が穏やかだと葬式が減る。例えば昨年は、葬式から入る謝礼が100ターレル以上も減って、大損をした。』
厳しい気候の北ドイツのこと、穏やかな日が続けば脳卒中や心筋梗塞も減るでしょうが、それじゃあ商売あがったりだ、というのです。
バッハが敬虔なクリスチャンであったのは疑いもありませんが、同時にドライな生活者だったことも実像です。
特にお金にシビアだったことは有名で、いとこのエリアスがバッハにワインを送ったとき、その一部が配送業者の不手際で不着になってしまい、『神のこの尊い贈り物はたとえ一滴でもこぼしてはいけなかった』と大いに手紙で嘆いています。
さらに、また送る、と言ういとこに対し、次の理由で断っています。
『あなたは親切にも酒をもっと送る、と言ってくれているが、当地での経費が極めて高くつくため、お断りしなければならない。というのは運送代が16グロシェン、運搬人に2グロシェン、税関検査官に2グロシェン、内陸関税が5グロシェン3ペーニヒ、一般関税が3グロシェンもかかるので、私は1クォート(約0.95リットル)あたり5グロシェン近くも払わねばならず、贈り物をいただくにしては経費がかかり過ぎることをご理解願えると思う。』
まあ、これはバッハに限らず、節制倹約、質実剛健、現実主義のドイツ人気質というべきでしょう。
気候が穏やかだと葬式が減って困る、というのはいかにも不謹慎ですが、バッハにも生活がかかっていますので、ここで倫理とかいっても野暮というものです。
しかし、バッハは常に死について考え、その意味を生涯探求しつづけていたのも事実です。
それを示す作品が、バッハが22歳の青年時代、ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会のオルガニストだったときに作曲した、今回取り上げるカンタータ『神の時こそいと良き時』です。
おそらく、その頃亡くなった母方の伯父、レンマーヒルトの葬儀(1707年8月14日)のために書かれた、とされています。
その伯父さんはバッハに多額の遺産をのこし、バッハはそのおかげで最初の妻マリア・バルバラと結婚できたともいわれています。
バッハの遺骨の発掘
曲を聴く前に、バッハ自身の墓について触れておきましょう。
バッハは1750年7月28日に65歳で亡くなりましたが、長らくその埋葬場所は不明でした。
ただ、ライプツィヒには、聖ヨハネ教会の扉の近く、南の壁から5、6メートル離れたところに、ヨハン・セバスティアン・バッハの遺体が樫の棺に入って埋葬されている、という、かなり具体性を帯びた伝承がありました。
バッハの死後150年ほど経った19世紀末、教会が大改築を行うことになり、伝説の場所が工事で壊されることになりました。
そのため、1894年、解剖学者を交えて発掘調査が行われました。
結果、教会の南の壁付近から3つの棺が発掘され、うち2つは松の棺で、1つだけ樫の棺でした。
樫の棺の中には、状態のよい男性の骸骨が入っていました。
あらゆる調査が行われ、頭蓋骨を石膏で覆って顔を復元したところ、よく知られたバッハの肖像画によく似た姿が現れたのです。
科学者たちは、これをバッハの遺骨と断定し、あらためて聖ヨハネ教会の床下に葬りました。
これが今、観光客が目にするバッハの墓なのです。
さて、この曲は、若い時の作品ながら、バッハが再評価された19世紀からとても人気があった作品です。
同じく若い頃のものとされる『トッカータとフーガ』のように、斬新な魅力があるといえるでしょう。
歌詞は、「掟としての死」を説く旧約聖書と、「救済としての死」を説く新約聖書を対比的に引用するという凝ったもので、音楽にも細かな彫琢が施されています。
内容的にも、明らかに特定の人物を想定した葬儀用音楽になっています。
編成はなかなかの規模で、4人の独唱に4部合唱、リコーダー(ブロックフレーテ)、ヴィオラ・ダ・ガンバ各2、通奏低音という、古風で渋いものです。
この曲については、音楽学者の礒山雅氏が名著『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』で、宗教的な意味合いと音楽を詳しく考察されているので、それを引用しながら聴いていきます。
バッハ:カンタータ 第106番 哀悼行事『神の時こそいと良き時』BWV106
Johann Sebastian Bach:Cantata, BWV106 “Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit”
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団
John Eliot Gardiner & The English Baroque Soloists, The Monteverdi Choir
第1曲 ソナティーナ
冒頭、この上なく愛らしい、それでいて含蓄深いメロディーを奏でるのは、リコーダー(ブロックフレーテ)とヴィオラ・ダ・ガンバという、もうすぐいったん世から消え去る楽器です。もちろん、バッハにはそんな認識はありませんが、今から思うと暗示的です。現代のお葬式でリコーダーが吹かれたら、学芸会か!?ということになりますが、苦労の多かったであろう人生を終えて、救いに向かう魂を送るのにふさわしい音色に思えます。この曲は葬儀の参列者の心に、故人の思い出とともに沁み入っていくことでしょう。
第2曲 合唱と独唱
(合唱)
神の時こそいと良き時
神が望みたもう限り
われらは神のうちに生き、動き、また在るなり
《新約:使徒行伝17, 28》
神が望みたもう時
われら神のうちに在りて、良き時に死す
(アリオーソ:テノール)
ああ主よ、われらに
おのれに与えられた日を数えることを教えて
知恵あるものにさせたまえ
《旧約:詩篇90, 12》
(アリア:バス)
汝の家を整えよ
汝は死もて
生き永らえること能わざればなり
《旧約:イザヤ書38, 1》
(合唱)
それは古き掟なり
人よ、汝は死すべきなり
《外伝:シラク14, 18》
(アリオーソ:ソプラノ)
しかり、来たれ、主イエスよ
《新約:ヨハネ黙示録22, 20》
歌詞は聖書を引用した自由詩ですが、作者は分かっていません。バッハ自身だという人もいます。全体は4部に分かれ、後年のカンタータのように、アリア、レチタティーヴォときっぱり分かたれているわけではなく、連続して続いていきます。未成熟のような形式ですが、それがかえって劇的に心に訴えてくる、というので人気があります。古くて新しい音楽といえるでしょう。
まずホモフォニックな合唱で、明るく〝良き時〟が歌われ、 続いて〝われら神のうちに生き〟という歌詞にあわせて、生き生きとしたアレグロのフーガとなり、アダージョ・アッサイで〝良き時に死す〟としみじみと死の影を匂わせながら、合唱から切れ目なくテノールのアリオーソに続きます。
テノールは、リコーダーの伴奏で、息もたえだえの風で神に哀願します。
続いてバスが〝汝の家を整えよ〟と深刻なアリアを歌い、2本のリコーダーがユニゾンで激しく上下して伴奏します。
最後に合唱がフーガ風に〝それは古き掟〟とテノール、アルト、バスの順に歌い、と途中でソプラノが〝しかり、来たれ、主イエスよ〟と投げかけます。ソプラノと合唱がせめぎあい、最後にソプラノが残って、闇に消えゆくように曲は閉じられます。こんな終わり方の曲をほかに知りません。
この曲の構成は、キリスト教の教義を踏まえないと、その意味するところが理解できません。少し長いですが、礒山雅氏の解説を引用します。
「神の時こそいと良き時」という第1行は、「神の意志がつねに最善である」という命題に加えて「(故人の身罷った今こそ)神の時が満ちてきた」というニュアンスをも含んでいる。そこで音楽は、まず通奏低音に、神の時を告げる鐘の音を響かせ、これが、のどかな合唱を導入する。いわば「カイロスの時」の、印象的な音楽的具現である。その曲調は、いかにも信頼に満ちていて、明るい。次に音楽は、アレグロの活気のある部分に入り、使徒行伝の言葉によって、地上の人間のいとなむ生活を描く。しかし、第41小節目に至って音楽はにわかに暗い世界に踏みこみ、不協和音と半音階進行が、死の恐怖を浮彫りにする。死を免れ得ぬ、人生の空しさ。ここでテノールは、詩篇第90篇の、苦い祈りの言葉を歌い出す。「ああ主よ、願わくばわれらにおのが日を数うることを教えて、知恵の心を得しめたまえ」。旋律には嘆息のような大小の休止が刻まれ、流れもとだえがちである。するとそこに、バスが「汝の家に遺言をとどめよ!」の宣告をもって入ってくる(イザヤ書38・1)。この神的威厳を帯びたアリオーソには、リコーダーの激しい分散和音が伴っている。やがて荘重な合唱フーガが起こり、「こは旧き契約の定めぞ、人よ、汝死なざるべからず」(ベン・シラの知恵14・18)と伝える。いまや死は黒々とした威嚇的姿をもって迫り、聴き手を、不如意の絶望へと追い込むかのようである。だが、まったく思いがけなくも、そこにソプラノが、澄みきった明るさで入ってくる。「しかり、主イエスよ、来たりたまえ!」(ヨハネ黙示録22・20)。苦悩の中で、魂は、イエスに目を向けるすべを知った。この鮮烈な対照に驚くわれわれの耳には、さらに、リコーダーの奏するコラール、「我わがことを神に委ねたり」の旋律が響いてくる。当時の会衆がこれを聴けば、ソプラノの明るいよびかけが神への深い信頼から生まれたことを、即座に諒解し得たにちがいない。このあと再びフーガが展開し、死の恐怖が再来するが、ソプラノは、これと争うかのように、主によばわり続ける。闘いの果てにフーガは形を崩され、各パートが続々と鳴りやんで、最後には、ソプラノの呼び声が残るのみである。死における信仰の意義をこれ以上印象深く描き出した芸術が、いったいほかにあるだろうか。(礒山雅『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』東京書籍)
第3曲 独唱とコラール
(アリオーソ:アルト)
われらはわが霊を汝の手に委ねん
汝はわれを贖いたまえり
主よ、まことの神よ
《旧約:詩篇31, 6》
(アリオーソ:バス)
きょう、汝はわれとともにパラダイスにあるべし
《新約:ルカ伝23, 43》
(コラール:アルト合唱)
心安らかに喜びて、われ、かの地へ行かん
神の御心のままに
わが心と魂は
やさしく静かに慰められたれば
神がわれに約束せしごとく
死はわが眠りとなれり
《マルチン・ルター「シメオンの頌歌」第1節 1524年》
通奏低音のみの伴奏で、アルトが神への呼びかけを歌いますが、その響きにはすでに哀願や恐怖はなく、静かな中に神への信頼に満ちています。
音楽はそのままバスに受け継がれます。その歌詞は、イエスと一緒に十字架にかけられたふたりの罪人の片方に語った言葉です。一人はイエスに「神の子なら自分と俺達を救って見せろ」と罵ったのに対して、もう一人は「我々は当然の報いを受けているだけだが、この人は何の罪も無いのだ」と諭し、さらにイエスに「神の国で、私のことを思い出して下さい」と語りかけました。それに対するイエスの返事、「きょう、あなたは私と一緒にパラダイスにいるだろう」です。死を前にしたキリスト教徒にとって、かけがえのない言葉であり、これでカンタータは希望に転換し、ルターのコラールがアルトで歌われ、ヴィオラ・ダ・ガンバがこれに和し、天国的雰囲気に満ち溢れます。
教師による弔辞と遺骸の祝別を経て演奏されたと思われるカンタータの後半は、すでに浄化された気分に支配されている。「わが霊をば汝の御手に委ぬ」(詩篇31・5)と高みをふり仰ぐアルトに対し、バスは、十字架上におけるキリストの言葉(「きょう、汝はわれとともにパラダイスに在るべし」、ルカ伝23・43)をもって答える。救いの確信を得たアルトは、安らかに、「平安と歓喜もてわれは往く」のコラールを歌う。これにはヴィオラ・ダ・ガンバが花のようにまといついて、静かな眠りの世界を暗示する。(礒山雅『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』東京書籍)
第4曲 合唱
(合唱)
栄光と賛美と栄誉と主権とが
神なる父と子と
御名とともにいます聖霊にあらんことを
神の力は
イエス・キリストによりて
われらを勝たしめたもう
アーメン
《アダム・ロイスナー「主よ、われ汝に望めり」
第7節 1533年》
途中の深い信仰的考察の世界から、冒頭の明るい器楽の奏楽に戻り、その導入に続いて、コラールがしめやかに歌われます。そして、合唱がイエスの栄光の力を讃え、最後にはアレグロのフーガ「アーメン」で締めくくられます。
こうしてカンタータは、喜びに満ちた終曲へと入ってゆく。つまり、コラール「誉れ、讃美、尊崇、栄光を」が合唱され、「アーメン」の二重フーガがクライマックスを築いて、全曲が閉じられるのである。
こうしたカンタータを前にすると、われわれは、宗教的歌詞の解釈やその音楽化において、バッハがすでにきわめて高い境地に達していたと実感しないわけにいかない。いやそれどころか、バッハは、22歳においてすでに、生と死の問題に関して、大きな悟りのようなものに到達していたと、信ぜざるを得ないのである。(礒山雅『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』東京書籍)
欧米には古くから〝メメント・モリ〟すなわち〝常に死を思え〟という言葉があり、教会での典礼を通じて、死について日常的に思いを致す文化がありました。
バッハは、この曲のように、それを若いうちから音楽という形で具現化しており、その作品には常に生と死についての深い考察が込められているのです。
これに対して、日本では古来、死は「穢れ」であり、タブーとされてきました。
日常では、死に関することを口にするのも憚られ、そんな話をしようものなら〝縁起でもない〟とたしなめられたものです。
そのため、親に、葬式はどんな感じにしたい?とも聞けず、亡くなってから大慌て、というのが当たり前でした。
でも、昨今では〝終活〟が広がってきて、自分の死後に子や周囲に迷惑をかけないよう、また悔いなく一生を終えられるよう、元気なうちに準備をしておこう、という人が増えてきました。
バッハの音楽に込められた「死」に耳を傾けてみるのも、人生の味わいではないかと思うのです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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