結婚という春の訪れ
バッハが公務のかたわら、いわば小遣い稼ぎで、貴族や裕福な市民の冠婚葬祭のために作った「世俗カンタータ」を聴いていますが、今回は「婚」です。
『消えよ、悲しみの影』という言葉から始まるこのカンタータは、『バッハの結婚カンタータ』として親しまれています。
歌は全てソプラノ独唱で、オーボエを伴う弦楽合奏と通奏低音のために作られています。
教会での正式な結婚式のあと、披露宴のような機会に演奏されたものと考えられていますが、いつ、誰の結婚のために作られたのかは分かっていません。
こうした機会音楽の楽譜は、演奏が終わったあとは依頼者に渡され、そのまましまい込まれるか散逸してしまうのがオチで、バッハの作品も多くが失われてしまっています。
たまたま、バッハが他の作品に転用したお陰で残っているものもあります。
この作品は、ヨハネス・リンクというオルガニストが1730年に筆写した総譜が残っていたために、世に伝わりました。
しかし、作曲されたのはそれ以前ですから、ケーテン時代という説が有力ですが、決め手はなく、ワイマール時代までさかのぼる、いやライプツィヒに来てからだ、など、定まっていません。
いずれにしても、奇跡のように残った曲で、今ではソプラノの重要なレパートリーとなっています。
結婚を、寒い冬から、陽光差す春の訪れにたとえ、その幸せをギリシャの神々になぞらえて歌い上げ、新郎新婦を祝福しています。
いざ、その幸せのおすそ分けをいただきましょう!
バッハ:カンタータ 第202番 結婚カンタータ『消えよ、悲しみの影』BWV202
Johann Sebastian Bach:“Wedding”Cantata, BWV202 “Weichet nur, betrübte Schatten”
演奏:ペトラ・ミュレヤンス指揮 フライブルク・バロック・オーケストラ
ソプラノ:キャロリン・サンプソン Carolyn Sampson, Soprano
Petra Müllejans & Freiburger Barockorchester
第1曲 アリア(ソプラノ)
消えよ、悲しみの影
霜よ、北風よ、休みに入れ!
喜びにはずむフローラ(花の女神)は
今まさに人の胸に
うれしいばかりの幸せをもたらそうとしている
その手には麗しい花束がたずさえられている
弦がゆったりとした、寄せては返す波のような序奏をはじめ、続いてオーボエがそれに和して歌い、ソプラノを導きます。悲しみに満ちた冬が終わり、冷たい霜や北風はもうお休み、と呼びかけます。そして、歌はアダージョからアンダンテの中間部に移り、花の女神フローラの訪れが、足取りも軽く歌われ、春の喜びが満ち溢れます。フローラは、ボッティチェリの名画プリマヴェーラ(春)で有名です。結婚カンタータのはじまりにふさわしく、うっとり、陶然としてしまう音楽です。
ふたたび新しい世界がおとずれ
山も谷も、その優美な装いを
倍の美しさで競っている
太陽も、もはや寒さから解き放たれている
冬が去り、春が来て、世界がリニューアルしたことを高らかに宣するレチタティーヴォです。
第3曲 アリア(ソプラノ)
太陽神フォイボスは足の速い馬で
新たに生まれた世界を天翔ける
そう、若返った大地は太陽神の御心に叶ったので
神自らが妻として娶ろうと望まれたのだ
フォイボスは、ギリシャの太陽神ヘリオスと同一で、馬車を駆って天空をわたる太陽そのものです。バスのオスティナートは、軽やかな馬のステップを表わしています。春になり、若返った大地を太陽神が娶るということで、結婚を春の訪れと結び付けています。聴くだけで楽しくなってしまうアリアです。
アモール(愛の神)もまたその愉しみを求めた
緋色は牧場に笑い輝き
フローラが壮麗に大地を覆うとき
アモールの国もまた
うるわしい花々のように
心の想いが萌え出て
愛の勝利を讃えて歌う
いよいよ、愛の神アモール(エロス)の登場です。英語でキューピッド、羽の生えた子供や青年として表されます。中世以来、春はヨーロッパの人々にとって愛の季節でした。農民たちは冬の間は一間しかない家の中で、家族みんなで身を寄せ合って生活しなければなりません。夫婦や恋人たちは、春になってようやく、野山に出て愛を育むことができたのです。春の訪れは、まさに愛の神の訪れでした。レチタティーヴォですが、後半はアリオーソになってアリアに続きます。
第5曲 アリア(ソプラノ)
春のそよ風がほほを撫で
色とりどりの野を吹きわたるとき
アモールもまた忍び出て
自分にふさわしい飾りを見出そうとする
アモールを装う飾りとは
それはきっと
心と心が通じ合って
くちづけを交わす光景
ホ短調の落ち着いた曲想で、ヴァイオリンが雅なオブリガートを奏でます。アモールはこっそりと、さまざまな色に彩られた春の野に出て、カップルを探します。ソプラノは、愛こそが、愛の神にふさわしい装飾、と歌います。
アモールは、その矢で人だけでなく、神をも恋に陥らせてしまいますが、あるとき調子に乗り過ぎて、うっかり矢で自分の手を傷つけてしまい、 プシュケという人間の女性に恋してしまいます。しかし、神と人間という身分違いの恋は、ふたりにつらい試練を与えます。紆余曲折の末に、ふたりはめでたく結ばれ、ハッピーエンドになりますが、恋を自在に操るアモールでさえ、自分の恋はままならないという興味深い神話です。
そして、本当の幸せとは
天の恵みの配剤によって
ふたつのたましいがひとつの飾りを得て
豊かな安らぎと
祝福の輝きを放つところにある
ふたつの魂がひとつになるこそ、結婚なのだ、と新郎新婦を祝福します。そしてそれは偶然ではなく、天の恵みの配剤なのです。
第7曲 アリア(ソプラノ)
愛の修練にいそしみ
悦び、愉しみ、睦みあうのは
フローラの過ぎゆく楽しみにまさる
ここに湧き出る波は
尽きることのない生命の証
ここに笑み栄える棕櫚の葉は
唇と胸に勝利を記す
オーボエのオブリガートが実に都会的で、オペラの中にあってもおかしくないオシャレなアリアです。でも歌詞は、できたばかりのカップルには、「愛の修練」が必要であり、それにいそしんでこそ、結婚生活は過ぎ去ってしまう春とは違い、永遠の命を得るのだ、と、まるで披露宴で親戚のおじさんが語るスピーチのようです。バッハがマイクの前でしゃべったらこんなことを言ったかもしれません。しかし、愛の修練は決してつらいものではなく、幸せで愉しいものだ、ということを音楽は示しています。お互いを尊重し、仲良くすること、結婚にそれ以上大切なことはありません。棕櫚の葉は勝利の象徴です。
清い愛の契りに結ばれた両人よ
無常の世の移ろいを超えて進め!
突然の事故も
雷の急襲も
愛にひたる心を怯えさせてはいけない!
人生いろいろ辛いこともあるが、そんなときこそ、ふたりで力を合わせて乗り越えるのだ、と、これも披露宴のスピーチのような歌詞ですが、今も昔も新郎新婦へのメッセージは変わらないということでしょう。夫婦の絆の大切さを讃えるレチタティーヴォです。
第9曲 ガヴォット:アリア(ソプラノ)
満ち足りた平安のうちに
光さやかな幸福の日々が
末永く続くように
そしてほどなく時がきて
あなた方の愛が実りの花々を咲かせるように!
いよいよ中締めの曲です。ダンス曲であるカヴォットの親しみやすいリズムで、この幸せがいついつまでも、幾久しく続きますように、と願う、おめでたいアリアです。合唱団がいれば合唱となったはずの曲ですが、そこまでの動員はなかった披露宴だったのでしょう。 でも、招待客は手拍子をしたり、一緒に歌ったりしたりして、座は盛り上がったはずです。
バッハのオリジナル曲で祝ってもらえるなんて、どれだけ幸せな新郎新婦だったことでしょう。
おめでとうございます!お幸せに!!
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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