ミサをサボった神父さま
前回はヴィヴァルディの宗教音楽を聴きましたが、彼の作品で一番人気なのは言うまでもなくコンチェルトです。
バロック時代のコンチェルト(コンチェルト・グロッソ)は、アレッサンドロ・ストラデッラ(1644-1682)という、プレイボーイの音楽家が創始したといわれています。
ストラデッラは、ある貴族の愛人の音楽教師として雇われたものの、その愛人と愛人関係になり、怒った貴族によって暗殺されたという人物ですが、そのコンチェルトを形式として確立させ、広めたのは、これまでも私の一押しとして取り上げてきたアルカンジェロ・コレッリ(1653-1713)です。
ヴィヴァルディはコレッリの形式からスタートし、リトルネッロ形式で新しい境地を開き、ヨーロッパ中で人気を博すに至りました。
バッハのコンチェルトはヴィヴァルディの、ヘンデルのコンチェルトはコレッリの影響が濃厚です。
ヴィヴァルディは、前回触れたようにヴェネツィアのヴァイオリニストの息子として生まれ、聖職者の道に進みますが、ミサなど、司祭の仕事はほとんどしませんでした。
それは自身では生まれつきの病気のせいだ、として、次のようにのちに手紙で述べています。
司祭に任命されてすぐの頃、1年かもう少しはミサを執り行ったものの、その後はやめてしまいました。それは私の病気が原因で、ミサの終わらないうちに祭壇から引き下がらなければならないことが3度もあったからです。この病気のために私はほとんど家に引きこもって過ごし、ゴンドラか駕篭でなければ外出しませんでした。というのも胸の痛み、あるいは胸が締めつけられるような感じがして私は歩くことができなかったからです。
ヴィヴァルディが生まれたときに虚弱だったというのは洗礼の記録にも残っているので、何らかの持病があったのは事実で、後世の研究者や医者がさまざまに病名を推測し、アレルギー性の喘息だという説が有力ですが、彼の精力的な音楽活動からすると、どうもちょっと大げさで、言い訳みたいな気がしないでもありません。
実際、ヴィヴァルディは手紙で年齢を詐称したり、作曲数を多く書いたり、どうも〝話を盛る〟傾向があるのです。
19世紀初頭の音楽辞典には、ヴィヴァルディが聖職者としての務めをサボった理由が次のように書かれています。
ある時ヴィヴァルディがミサを執行していると、フーガのテーマが頭に浮かんだ。そこで彼はミサの途中で祭壇を離れ、そのテーマを書き留めるために聖具室へ駆け込み、そこから戻ってミサを終えた。人々はこのことを異端審問所に告発したが、彼にとって幸いなことに、裁判所は彼を音楽家、要するに気がおかしい者だと見なし、以後ミサの執行を禁止させるにとどめた。
これはこれでかなり盛った話と考えられるのですが、ヴィヴァルディが病気を理由に聖職者の仕事はせず、得意の音楽活動に専念したのは間違いないでしょう。
そして周囲もそれを認めていたのは事実なのです。
ヴィヴァルディは〝ヴァイオリンを弾く赤毛の神父(プレーテ・ロッソ)〟のあだ名で通っており、ヴェネツィアの観光ガイドブックにも載せられ、しばしば本名が忘れられるくらいでした。
ホワイト職場だった慈善院
さてヴィヴァルディは、1703年9月、前回取り上げた「ピエタ慈善院」のヴァイオリン教師(Maestro di violino)に年俸60ドゥカートで採用されます。
これは様々な職に就いていた父親が、ひとつの仕事から得る給料よりも高額でした。
さらに、ピエタ慈善院の理事会は、就任5ヵ月たった頃、次の決議をします。
ドン・アントニオ・ヴィヴァルディは、娘たちのヴァイオリンの教師として成果を上げており、またヴィオラ・イングレーゼの教授にも熱心に取り組んでいる。貴聖会(ピエタの運営理事会)はヴィオラ・アングレーゼの教授をも彼の仕事とみなし、この授業に対して年間40ドゥカートを通常の給料に追加することを決定した。こうすれば年間100ドゥカートになり、これが彼の職務の励みになり、娘たちの教育にとっても最高の成果を収めるのに役立つであろう。
ヴィオラ・アングレーゼ、つまり〝英国のヴィオラ〟は、ヴィオラ・ダモーレに似た、共鳴弦を持った豊かな音色の楽器です。
なんと理事会は、ヴィヴァルディが仕事の幅をどんどん広げるのを評価して、頼まれもしないのに大幅な給与ベースアップを行ったのです。
バッハを評価せずに給与カットをしたライプツィヒの参事会とは大違いです。
さすが、音楽の国というべきでしょう。
ヴィヴァルディは契約社員?
しかしながら、ヴィヴァルディは、その後ずっとピエタ慈善院との関わりは保つものの、時々職を離れています。
1709年には ヴァイオリン教師の再任を拒否されており、その後、離任と就任を繰り返します。
その理由は、慈善院の経営状況とか、ヴィヴァルディの女弟子たちが十分教師の役を果たせるようになったから、など、様々な憶測がありますが、よくわかっていません。
1713年には慈善院の音楽監督か楽長というべき合奏長(Maestro di coro)のガスパリーニが職を離れますが、ヴィヴァルディは後任にはならなかったものの、その職務を委ねられます。
ヴィヴァルディの役職名は協奏曲長(Maestro de'concerti)で、本人も出版楽譜では好んでこの肩書を使っていました。
要するに、ヴィヴァルディは終身雇用ではなく、非常勤講師のようなものでした。
それだけに、比較的自由な立場を利用して、1714年以降はオペラ作曲家としても活躍し始め、人生の後半は興行師として活動するのです。
ヨーロッパを席捲した楽譜
さて、人生の前半、ヴェネツィアの慈善院で高まったヴィヴァルディの名声が、全ヨーロッパに広まったのは楽譜の出版によります。
ヴィヴァルディは、1705年に『12曲のトリオ・ソナタ集 作品1』を、1709年に『12曲のヴァイオリン・ソナタ集 作品2』を出版しましたが、いずれもヴェネツィアの出版社からでした。
いずれもコレッリの様式に従った作品です。
そして、コレッリの影響も残しつつ、独自の世界を広げて、満を持して得意の協奏曲を出版したのが、1711年の『12曲のコンチェルト集 作品3〝調和の霊感〟』です。
これは、これまでのヴェネツィアの出版社ではなく、オランダ・アムステルダムの出版社、エティエンヌ・ロジェ社から出版されました。
E.ロジェ社は、画期的な最新鋭の印刷機を持つばかりでなく、ヨーロッパ各地に販路を持っていました。
これによって、ヴィヴァルディの楽譜はヨーロッパ全土に広がっていったのです。
まさに『調和の霊感』は、ヴィヴァルディの国際的名声を確立した出世作でした。
曲集に題された『調和の霊感 L'estro armonico (レストロ・アルモニコ)』は、〝ハーモニーとインスピレーション〟といったような意味ですが、estro にはイタリア語で「アブ」の意味もあり、馬をいきなり驚かせて暴走させる、厄介でうるさいあの虫のように、音楽界に波紋を投げかける問題作、という意味も込められている、という説もあります。
まさに、この12曲はヨーロッパの音楽界を変える画期的な作品となりました。
『調和の霊感』の曲構成
この曲集は、ピエタ慈善院の女子生徒のために作った作品の中から、ヴィヴァルディが厳選し、入念に構成したものです。
そのことは、独奏ヴァイオリンの数からみた12曲の構成からもうかがえます。
独奏ヴァイオリンの数から、下記3タイプに分けられます。
ヴァイオリン・ソロ4人 4曲(うち1曲はチェロのソロ1人追加)
ヴァイオリン・ソロ2人 4曲(うち1曲はチェロのソロ1人追加)
ヴァイオリン・ソロ1人 4曲
そして配列は、4人、2人、1人がワンセットで、それが4セットあることになります。
セットの締めは必ずソロひとりの作品です。
ソロが複数、というのも矛盾した感じがしますが、イタリア語では「ソーリ」と複数形になり、〝独奏者群(コンチェルティーノ)〟として、総奏(トゥッティ)のオーケストラ部分「リピエーノ」と対比されます。
トゥッティとソロが明確に分かれず、トゥッティの部分には独奏者(ソーリ)も参加するのが古典的なコレッリ流。
これに対し、純粋なひとりのソロ・コンチェルトのソリストは、トゥッティには参加しません。
これがニュータイプのコンチェルトで、ヴィヴァルディは今後これを拡大していき、後世のモーツァルトやベートーヴェン、ロマン派のヴァイオリン・コンチェルトにつながっていきます。
つまり、この曲集には新旧2タイプのコンチェルトが混在しており、まさに次の時代への架け橋の役目を果たしているわけです。
それでは、第1番から、3曲セットずつ味わっていきたいと思います。
ヴィヴァルディ:『調和の霊感 作品3』第1番 4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ニ長調 RV549
Antonio Vivaldi:L'estro Armonico op.3, no.1 Concerto con 4 violini e violoncello D-dur, RV549
演奏:ファビオ・ビオンディ(指揮とヴァイオリン)、エウローパ・ガランテ
Fabio Biondi & Europa galante
虚空に響くような無伴奏のヴァイオリン・ソロ(ヴァイオリンⅠ&Ⅱ)で印象的に始まります。トゥッティではなく、ソロで始まるのは異例です。リトルネッロは可愛いほどに単純ですが、独奏チェロが16分音符で激しく動き、装飾していくのが何とも粋です。トゥッティとソロは5回交替しますが、それぞれにめくるめく技を魅せます。最後の2回のトゥッティでは独奏チェロの役割をヴァイオリンが変化して果たすという、凝った作りです。
第2楽章 ラルゴ・エ・スピッカート
断言するかのようなトゥッティのフレーズがユニゾンで3回繰り返されます。ベートーヴェンのピアノ・コンチェルト 第4番の第2楽章を思わせる、厳しい 雰囲気の中、ヴァイオリンⅠ&Ⅱが、か弱いソロを奏でます。
一転、明るい舞曲のリズムになります。第1楽章と同じようにソロで始まりますが、それがこの曲の個性となっています。春の日差しに浮かれるような楽しい楽章です。
ヴィヴァルディ:『調和の霊感 作品3』第2番 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ト短調 RV578
Antonio Vivaldi:L'estro Armonico op.3, no.2 Concerto con 2 violini G-moll, RV578
第1楽章 アダージョ・エ・スピッカート
4楽章の古い教会ソナタ(ソナタ・ダ・キエサ)の形式をとっているコレッリ風の曲です。しかし、新しい試みと工夫がみられる佳曲です。音がだんだんと積み重なっていく不思議な雰囲気で始まります。不協和音とその扱いが現代的に響きます。
駆け抜けるような激しく情熱的な楽章です。リトルネッロは音階を駆け上がり、そしてシンコペーションで再び上昇。ソロは名人芸の限りを尽くします。
第3楽章 ラルゲット
この曲では全ての楽章が主調のト短調です。哀愁を帯びた語り口が、どこか懐かしい気持ちにさせてくれる不思議な楽章です。ピアノとフォルテの交替の繰り返しは、何を訴えているのでしょうか。
組曲の締めくくりの常道に従い、ジーグのリズムをとっています。あまり複雑な構造ではなく、転調も控えめで、それがシンプルに心に響く楽章です。
ヴィヴァルディ:『調和の霊感 作品3』第3番 ヴァイオリン協奏曲 ト長調 RV310
Antonio Vivaldi:L'estro Armonico op.3, no.3 Concerto per violino G-dur, RV310
ヴィヴァルディらしい、ストレートで輝かしいトゥッティでスタートします。さあ始めるぞ、という活気に満ちています。ヴァイオリンはひとりが思う存分に活躍する、新時代のソロ・コンチェルトです。何度も登場するソロ・パートは16分音符で走り回り、颯爽として、かっこ良さここに極まれり、といった感じです。
第2楽章 ラルゴ
厳しいホ短調の楽章で、トゥッティはほとんどリズムを刻むだけ、ソロのつぶやきが絶妙です。
常道のリトルネッロ形式です。明るいトゥッティのフレーズは、ソロが短調に移るにつれて転調し、曲に深みを増しています。最後にはお日様のように明るく、穏やかに曲を閉じます。この鮮やかで意表をつく展開が、ヴィヴァルディの真骨頂といえるでしょう。
バッハはワイマール時代、この第3番を、オランダ留学からヴィヴァルディの楽譜を持ち帰った主君のエルンスト公子の依頼でチェンバロで弾けるように編曲しています。
バッハは基本的な構造は変えていませんが、ヘ長調に移調し、鍵盤楽器用に音型を変える、装飾を加える、内声部を充実させる、などの工夫を凝らしてアレンジしています。ぜひ聞き比べてみてください。
バッハ:協奏曲 ヘ長調 BWV978
J.S.Bach : Concerto in F major Bwv978
演奏:ヤーノシュ・シェベスティエン(チェンバロ)
第2楽章 ラルゴ
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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