孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

〝市民の音楽〟の誕生。ベートーヴェン『交響曲 第3番 変ホ長調 作品55《エロイカ(英雄)》第4楽章』

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エロイカ作曲時の1804年、34歳のベートーヴェン像。ギリシャ神殿をバックにオルフェウスの竪琴を持っており、すでに神格化されている。

村の踊りが英雄の音楽に

ベートーヴェン交響曲 第3番 変ホ長調 Op.55《エロイカ(英雄)》

いよいよフィナーレの第4楽章です。

壮大な変奏曲になっていますが、そのテーマは、これまでも見てきたように、バレエ音楽『プロメテウスの創造物』作品43 のフィナーレ、ピアノのための15の変奏曲とフーガ 作品35と同じものです。

www.classic-suganne.com

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でも、その源流はさらに別にあって、1801年に作られたオーケストラのための12のコントルダンス WoO14の第7曲です。

これらのテーマはほとんど同じであることが分かります。

「コントルダンス」というのはフランス語で、英語で言えば「カントリーダンス」ですから、田舎の素朴な踊り、ということになります。

村のお祭りや婚礼のときに踊られた音楽が、その素朴な魅力から、宮廷や貴族社会に持ち込まれたものです。

この優雅な旋律が、壮大な英雄的心情まで高められていく過程は、ベートーヴェンの創作活動を辿る上で、実に興味深いテーマです。

ひとつのテーマを、4つもの曲で使ったというのは、ベートーヴェンでは例がありません。

もちろん、それは単なる〝使いまわし〟ではなく、ひとつの素材を徹底的に彫琢していくという、芸術的探求にほかなりません。

プロメテウスをナポレオンに重ねて

この素朴なテーマが英雄と結びついたのは、『プロメテウスの創造物』です。

ギリシャ神話で、人類を生み出し、天界から火を盗み出して与え、その罰で3万年もの間、肝臓を鷲についばまれることになる英雄にして、人類の恩人です。

このバレエ音楽は大ヒットしましたから、この旋律は英雄のイメージでウィーンの聴衆にも広く知られていたことでしょう。

自分が犠牲になることを顧みず、他人のために尽くす利他の精神、これこそがベートーヴェンが時代に求めていた英雄像だったと思われます。

そのヒロイズムを表現するため、ベートーヴェンはこのシンフォニーの第2楽章を、崇高な自己犠牲を行った英雄の死を悼む表葬送行進曲とし、フィナーレをこの〝プロメテウスのテーマ〟としたのでしょう。

そして、現代の英雄、ナポレオン・ボナパルトに捧げようとしたのです。

ピアノ変奏曲のテーマにも用い、出版したのも、このメッセージを広く知らしめたい、と考えてのことかもしれません。

天地も震える音楽に、とまどう人々

このテーマを最後に使った、この《エロイカ》のフィナーレは、これまでの曲とは比べ物にならない大迫力で暴れまわります。

このシンフォニーについての、弟子リースの書簡による証言です。

これは外観から言って、彼がこれまで書いた最大の作品です。ベートーヴェンは最近、私のために弾いてくれ、私は天地がその演奏で震えるに違いないと思います。彼はその曲をボナパルトに献呈することを望んでいますが、そうでないならば、ロプコヴィッツが半年それを所有して400グルデンを払いたいとしていますので、それは〝ボナパルト〟と名付けられるでしょう。(1803年10月22日の書簡)*1

エロイカ》は、ロプコヴィッツ侯爵の屋敷から出て、まずは私的コンサートで演奏されるようになっていきました。

しかし、あまりにも革命的なこの曲は、多くの聴衆を戸惑わせました。

1805年1月20日のコンサートについての、『総合音楽新聞』の批評です。

全く新しい交響曲は、全く別の様式で書かれている。長大で大変に難しいこの作品は、実際のところ、きわめて手の込んだ造りの大胆かつ荒々しいファンタジーである。(中略)非常に重厚な楽器編成の変ホ長調アレグロ楽章に始まり、ハ短調の葬送行進曲が続き、フーガ風に展開される。アレグロスケルツォ楽章とフィナーレが来る。(中略)評者はベートーヴェン氏を心から尊敬する者だが、この作品では行き過ぎや奇抜さがあまりにも多く、そのため見通しが悪く統一感が失われているのを認めざるを得ない。*2

このシンフォニーは、あまりに壮大すぎて、当時の一般聴衆はもとより、専門的な評論家にとっても、全体像を把握し切れず、奇抜でまとまりに欠けているように感じたのは、無理からぬことです。

一般公開初演は、1805年4月7日に、アン・デア・ウィーン劇場で行われました。

初演についての『デア・フライミューティゲ』誌の評論です。

ベートーヴェンの最も親しい友人たち一派は、この交響曲こそ傑作であり、まさしく高度な音楽のための真の様式である、と主張している。もし、この曲が今日受け容れられないとするならば、それは聴衆にこの美しさを理解するための芸術的素養が十分に備わっていないためである。(中略)別の一派は、この作品のどんな芸術的価値をも完全に否定する。目立つこと、奇妙さへの抑制のない傾斜が明らかで、それは美しさや真の崇高さや力をどこにも生み出すことはない。風変りな転調や無理矢理の推移、異質な様相を併置することで、ある種の独創性を大した労苦なしに獲得できるかもしれないが、それは美しさや崇高さを創造することとは違う。(中略)第三の、これは少数派だが、前二者のどちらにも与しない者たちは、この交響曲に多くの美しさを認めるが、脈絡がしばしば断絶しているように思われるところがあることにも気づいている。そして、すべての交響曲の中で最も長く、もしかしたら最も難解な曲の際限ない長さは専門家でさえも疲れさせ、単なる音楽愛好家には耐え難いものである。

当時ふつうのシンフォニーの倍はあろうかという、この巨人的な音楽に、当時の多くの人がとまどい、疲れてしまったのは何の不思議もありません。

しかし、この音楽は、オペラに匹敵するドラマを、器楽の抽象表現に移したものと考えれば、決して長いものではありません。

ハイドンモーツァルトと受け継がれて、発展してきたシンフォニーは、時代が19世紀に移るとともに、この曲によって、新たな世界へと広がってゆくことになったのです。

それはまさに、貴族の音楽から、市民の音楽への変革でした。

ベートーヴェン交響曲 第3番 変ホ長調 Op.55《エロイカ(英雄)》

Ludwig Van Beethoven:Symphony no. 3 in E flat major, Op.55 “Eroica”

演奏:ホルディ・サヴァル指揮 ル・コンセール・ナシオン(古楽器使用)

Jordi Savall & Le Consert des Nations

第4楽章 フィナーレ:アレグロモルト

めくるめくような、弦楽5部の激しい下行音型で始まります。イエスの降臨を表した、ヘンデルのオラトリオ『復活』を思い起こします。これから始まる壮大なドラマを予告するかのようです。そして、始まるのは、15の変奏曲と同じく、プロメテウスのテーマの骨格部分、バス主題です。骨組みに、だんだんと肉付けしていく形です。変奏が進みにつけ、弦3部、4部と増えていきます。そして、いよいよプロメテウスのテーマが、オーボエクラリネットファゴットによって、明るく歌い出されます。そして、新しい、無骨な民族舞踊のようなテーマが力強く奏でられますが、ここには全身が痺れるかのような思いがします。やがてテーマはフーガとなり、モーツァルトの〝ジュピター〟さながらに盛り上がっていきます。それがひとしきり収まると、テンポがポコ・アンダンテに落ち、木管の柔らかく叙情的な音楽になります。英雄の休息というべき時間です。そして、音楽は再び緊張感を増していき、不吉な影も差します。やがて、再び強烈な総奏が、クライマックスのコーダを導きます。この終わり方は、まさに前代未聞で、全楽器が火花を飛ばすよう。当時の人の耳はとてもついていけなかったことでしょう。時代はこれで、新しい時代、19世紀に突入したのです。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

 

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*1:ベートーヴェン像再構築2』大崎滋生著・春秋社

*2:ベートーヴェン』平野昭著・音楽之友社