孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

ラモーおすすめアルバムその1。ルセ『ラモー:序曲集』ロマネ・コンティの物語とブルボン王朝の光と影~ベルばら音楽(36)

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ロマネ・コンティの畑

ロマネ・コンティ』とポンパドゥール夫人

18世紀のフランスの政治、文化に絶対的権力を振るったルイ15世の寵姫ポンパドゥール夫人。

極度の好色家だった王の寵愛をつなぎとめるため、肉体的魅力に乏しいといわれていた夫人は、その方面は別の女たちにまかせつつ、フランス文化の振興や、王が苦手とした政治を補佐するなどして、その全幅の信頼を勝ち取っていました。

その努力を示すエピソードのひとつが、世界一高値のワインロマネ・コンティをめぐる争いです。

ブルゴーニュに、2000年前から極上のワインを生み出す畑がありました。

その素晴らしさから、古代ローマ人によって〝ロマネ〟と名付けられたほどです。

太陽王ルイ14世も、持病に効くと信じて、毎日スプーン数杯のロマネ・コンティを飲んでいたといわれています。

ルイ15世の時代に、その畑が競売にかけられることになりました。

ポンパドゥール夫人は、王に思う存分ロマネ・コンティを飲んでもらおうと、そのオークションに莫大な投資をしますが、僅差で、王族のコンティ公ルイ・フランソワ1世に競り負けてしまったのです。

そのため、後世、このワインには〝コンティ〟の名が冠せられることになりました。

もしポンパドゥール夫人が畑を競り落としていたら、〝ロマネ・ポンパドゥール〟と呼ばれることになったに違いありません。

モーツァルトとコンティ公、そしてマリー・アントワネット

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コンティ公ルイ・フランソワ1世・ド・ブルボン(1717-1776)

そんなわけで、ロマネ・コンティは以後、コンティ公の館に招待されない限り、飲むことができなくなってしまいました。

軍功もあったコンティ公ですが、その経緯もあって、ポンパドゥール夫人にうとまれてヴェルサイユ宮殿に出入り禁止となりました。

そこで、自邸であるパリのタンプル宮殿にサロンを開き、貴族や文化人を集めて夜会や茶会を催しました。そこに招かれるのは大変な名誉とされたのです。

今や、ポンパドゥール夫人への抵抗勢力の牙城となったタンプル宮でふるまわれるロマネ・コンティ

まさにこの銘醸ワインは政治の道具でもあったのです。〝飲むよりも語られることが多い〟といわれるゆえんです。

1763年、当時7歳のモーツァルトは、父レオポルトに連れられて、姉ナンネルとともに〝天才姉弟〟としてヨーロッパ興行の旅の途中、パリを訪れました。

パリでは〝神童(アンファン・プロディージュ)きたる!!〟と大変な話題となり、新聞も書き立てたので、モーツァルト一家は引っ張りダコとなって、あちこちの貴族の館に招かれました。

翌1764年の元旦には、ヴェルサイユ宮殿の新年の宴に招かれ、ルイ15世に謁見したほか、モーツァルトは王妃の側にずっといて話し相手になったり、ご馳走をもらったりしていました。

ちょうど、ラモーが80歳でその生涯を閉じる年のことです。

そんな中、タンプル宮殿のコンティ公のお茶会にも招かれ、クラヴサンを演奏している光景が、オリヴィエルによる大作『パリ、タンプル宮の四面鏡の間でのイギリス風茶会』、いわゆる『コンティ公のお茶会』という絵画に残されています。

画面左手で、クラヴサンを弾く天才少年モーツァルトに一同びっくりしている場面です。

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オリヴィエル『コンティ公のお茶会』

後年、フランス革命のさなか、ヴァレンヌ逃亡事件から連れ戻されたルイ16世マリー・アントワネット一家は、王権を停止され、タンプル宮の塔に幽閉されましたが、その壁には『コンティ公のお茶会』が掲げられていたといいます。

幼いモーツァルトは、パリでこの絵に描かれる前、ウィーンのシェーンブルン宮殿マリア・テレジア一家を表敬訪問した際、つるつるした床で滑って転びました。

それを助け起こしてくれた1歳年上の皇女マリー・アントワネット(当時はマリア・アントニア)に、『御礼にお嫁さんにしてあげる』とマセたことを言ったのは有名な逸話です。

マリー・アントワネットがこの時そんなことを覚えていたかどうかは分かりませんが、どんな感慨でこの絵を見上げていたことでしょうか。

ラモーの味わい方

さて、奇跡のテロワールロマネ・コンティの畑を何としても手に入れたくて果たせなかったポンパドゥール夫人は、音楽ではラモーに傾倒し、オペラ座ではラモー以外の演目の上演を禁止したのは前回触れました。

文化、芸術の目利き、ポンパドゥール夫人が愛したラモーを、現代人はどのように味わったらよいでしょうか。

1本200万円といわれるロマネ・コンティは一生味わうことはできないでしょうが、ラモーは誰でも堪能できます。

ラモーの作曲したジャンルは限られていて、ほぼ、クラヴサン曲とオペラのふたつといってよいでしょう。

そしてオペラでは、バレエが不可欠の要素なので、耳で聴くだけではなく、ダンスを目で見なければラモーの真髄を味わったとはいえません。

しかし、現代の上演環境では、バロック・バレエのダンサーは世界でも限られていて、クラシック・バレエや現代舞踊に置き換えざるを得ないのが実情です。

また、ひとつひとつのオペラは長いため、聴くには根気も必要です。

そこで当時でも、気軽にラモーの音楽を楽しむために、オペラは管弦楽組曲に編曲されていました。

ひとつにはその組曲を聴くという方法がありますが、ラモーの作曲した多くの名オペラから名曲を抜粋し、再編した素晴らしいアルバムがいくつかあります。

ラモーの素晴らしさを堪能できる4枚をご紹介して、フランスバロックを聴いてきた一連の〝ベルばら音楽〟の締めくくりとしたいと思います。

まずは、ラモーのオペラの序曲だけを集めたアルバムです。

緩急のフランス風序曲の枠を超えたものもあり、どれも交響的な充実した曲です。

ラモーの時代には、すでにパリでもコンセール・スピリチュエルでゴセックらのシンフォニー(交響曲)が盛んに演奏され始めていましたが、ラモーは1曲もシンフォニーは作曲していません。

でも、序曲を並べて聴いてみると、そのシンフォニックな迫力は、まさに大交響曲といっていいでしょう。

ぜひ、無人島に持っていくとしたら、選びたい1枚です。

ルセ指揮 レ・タラン・リリク:ラモー『序曲集』

Jean-Philippe Rameau:Ouvertures

演奏:クリストフ・ルセ指揮 レ・タラン・リリク

Christophe Rousset & Les Talens Lyriques

『詩神ポリムニーの祭典』序曲

1745年、フォントノワの戦いの勝利を祝う催しのために、宮廷から依頼されたオペラ=バレの序曲です。

冒頭、ゆっくりと積み重なっていく不協和音(属和音の転回形)が、実に神秘的で、まさに和音の大家ラモーの真骨頂です。

初めて聴いたときは、そのあまりの現代的な響きに、18世紀の音楽とは信じられませんでした。

続いてトランペットがファンファーレを鳴り響かせ、戦いの勝利を告げ、音楽は最高潮に盛り上がります。

フォントノワの戦いは、1745年に行われたオーストリア継承戦争の中の局地戦で、ルイ15世王太子ルイ・フェルディナンとともに出陣しました。

敵は、カンバーランド公率いる英国、オランダ、オーストリアの連合軍。

戦いの前夜にはルイ15世は、『百年戦争のポワティエの戦い以来、フランス王が王太子とともに戦いに臨んだことはなく、英国軍を打ち破った王もいない。余はその最初の王となる!』と張り切っていたといいます。

戦いが始まると、戦局は連合軍優勢に進み、フランス軍の司令官サックス伯は王父子に、危険なので後方に退がるよう伝令をやって促したのですが、王は『君を信じている』と聞かなかったとされています。

しかしこれは脚色で、実際には逆にサックス伯が、王が退がることによる士気の低下を恐れて、側近たちに撤退を許さなかったようです。

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ルイ15世に戦場からの退避を勧める伝令

その効果もあって、ピンチもありましたが、なんとかフランス軍は勝利を収めることができたのです。

ヘンデルが勝利記念の曲を書いたデッティンゲンの戦いでは、英国王ジョージ2世が出陣して英国が勝利していますので、やはり王がいると将兵のモチベーションがまるで違うようです。

ルイ15世は出陣中、毎日のようにポンパドゥール夫人に手紙を書いています。女性たちの手前も勝たずにはいられなかったわけで、さぞご満悦だったことでしょう。

それにしてもオーストリア継承戦争は、一進一退の戦況の中で、面白いことに英国が勝つたびにヘンデルが、フランスが勝つたびにラモーが祝いの曲を依頼されていますから、戦争というよりスポーツ、サッカーのワールドカップか何かを思わせます。

当時の戦争は、もちろん血なまぐさいものではありましたが、一般人が多く巻き込まれた20世紀の総力戦と違い、軍人同士の戦いですから、そんな余裕もあったのでしょう。

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『優雅なインドの国々』序曲

すでに取り上げた、1735年初演のオペラ=バレです。冒頭の旋律が親しみやすいので、台本を書いたフェズリエの息子が『なんと楽しいことか、私の隣人がワインを飲むときは…』という歌詞をつけ、ラモー自身がそれを二重唱にして雑誌に発表したということです。

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『ザイス』序曲

1748年初演の、英雄的牧歌劇(パストラル=エロイック)です。

ティンパニのおどろおどろしい打撃から始まり、人を驚かせますが、天地創造のはじめ、混沌とした世界から、四大元素(空気、水、土、火)が生まれる様子を描写しています。急激な調性の変化が、これも現代的に響きます。

続く急速な後半部では、各元素がそれぞれ独自のテーマをもって展開していきます。

まさに、世界が生まれ出る輝かしさです。天空を舞うかのようなフルートにしびれます。

オペラのテーマは、空気の精ザイスと、羊飼いの娘ゼリディの恋の物語です。

『カストールとポリュックス』序曲

1737年初演の抒情悲劇(トラジェディ・リリック)で、当時から高い評価を得た名作です。

星座の双子座になった、ゼウスのふたりの息子の物語です。序曲から劇へと音楽上の関連づけがなされています。

『ナイス』序曲

1749年に初演された、オーストリア継承戦争終結アーヘンの和約を記念して制作された英雄的牧歌劇(パストラル=エロイック)です。

こちらも前回取り上げました。

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『プラテー、または嫉妬深いジュノー』序曲

1745年に初演された、音楽喜劇(コメディ・リリック)という、ラモー初挑戦の新ジャンルの曲です。

ヘラ(ジュノー)の嫉妬に困った大神ゼウス(ジュピター)が、妻の心を改めさせるため、沼の女王、プラテー口説きます。

プラテーはとても醜く、カエルの姿で表されますが、自分はモテると思い込んでおり、滑稽な場面が続きます。

ヘラは、ゼウスがまた浮気をしてると思って、プラテーに飛びかかりますが、その容姿を見てビックリ。

ゼウスは、こんな醜い奴を俺が相手にするわけがないじゃないか、嫉妬するだけ無駄だよ、と妻をさとし、ヘラも笑って、ほんとにそうですわね、と仲直り、天に戻っていきます。

収まらないのは、夫婦の間を修復するだけに使われ、さんざん弄ばれ、侮辱されたプラテー。悪態をつきながら沼に戻っていきます。

それをみんなで笑いものにするという喜劇ですが、かわいそうでとても笑えません。

どうにも不思議なこの作品は、なんと王太子ルイ・フェルディナンスペイン王女マリー・テレーズ・ラファエルとの婚約を祝う祝典で演じられたのです。

しかも、その王女は美しくない、という評判だったので、人々はどんな思いでこのオペラを観ていたことやら。

しかし、結婚後のふたりは仲睦まじかったということです。

ところが、王太子妃は結婚1年後に出産がもとで亡くなってしまいました。

王太子は再婚しますが、ずっと最初の王妃のことが忘れられなかったと伝えられています。

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王太子妃マリー・テレーズ・ラファエル(1726-1746)
『ヘベの祭典、またはオペラの才能』序曲

1739年初演のオペラ=バレです。最初のゆっくりした部分はなく、いきなり心躍るような速いパッセージで始まり、魅了されます。

台本作家のモンドルジュはアマチュアで、その詩に曲をつけるくらいなら、新聞記事につけた方がマシだ、と酷評されていましたが、ラモーの曲は素晴らしく、初演の年だけでもなんと約80回、ラモーの生前では200回も演奏される人気作となりました。

『優雅なインドの国々』でも活躍した青春の女神ヘベ(エベ)が、セーヌ川の岸辺で「詩」「音楽」「ダンス」という、フランス・オペラの三要素をそれぞれ楽しむ祭典を開く、という筋です。

このオーケストラの名前、「タレン・リリック」もこのタイトルから採られました。

ゾロアストル』序曲

1749年初演の抒情悲劇(トラジェディ・リリック)ですが、はじめて序幕であるプロローグが廃止された作品で、よりドラマの筋に重きが置かれるようになりました。

主人公はゾロアスター教の教祖ゾロアスターで、教義である善悪の戦いのドラマです。

序曲の前半は、残酷な支配者によって抑圧された人々のうめきを表現し、後半はゾロアスターの善の力と、それにより解放された人々の喜びを表しています。

モーツァルトのオペラ魔笛ザラストロも同じキャラクターから派生しています。

『ダルダニュス』序曲

1739年初演の抒情悲劇(トラジェディ・リリック)です。ゼウスの息子ダルダニュスの恋を軸とした物語で、何度も改訂されながら100回以上も演じられた作品です。

フランス風序曲の形式ですが、厳格なリュリのスタイルからはかなり自由になり、スケールの大きさを感じる名曲です。

『遍歴の騎士』序曲

1760年初演の音楽喜劇(コメディ・リリック)、2作目です。ラモーの生前に上演された最後のオペラとなりました。

テーマはこれまでのように神話から採られたものではなく、中世のラ・フォンテーヌの物語による喜劇です。

しかし、オペラ座で喜劇はあまり受けなかったようで、15回で打ち切られ、『ダルダニュス』に差し替えとなりました。

序曲は3つの部分からなり、まず速い部分、そして遅いメヌエット、最後は陽気なエールという構成で、ひとつの組曲といえます。

『イポリートとアリシー』序曲

これまで取り上げてきました、1733年初演の抒情悲劇(トラジェディ・リリック)で、ラモー50歳のオペラ処女作です。

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『栄光の神殿』序曲

1745年初演のオペラ=バレで、『詩神ポリムニーの祭典』と同じく、フォントノワの戦いの勝利を祝うための作品です。

同年11月25日に、ヴェルサイユ宮殿のグランテュリ劇場で上演されました。

まさにタイトル通り、勝利者ルイ15世の栄光を讃えるべく、トランペット、ホルン、ティンパニがこれでもか、とばかりに華やかに盛り上げます。

ロイヤルボックスでご満悦の王とポンパドゥール夫人が目に浮かびます。

『愛の神の驚き』プロローグ〔アストレの帰還〕序曲

1748年初演のオペラ=バレで、ポンパドゥール夫人の個人的注文で作られた作品です。

夫人の住居に作られた舞台で、プロの歌手やダンサーではなく、宮廷の人々によって上演されたということですから、余興のようなものだったのでしょう。

そのせいか、学芸会のような素朴な趣きも感じられる楽しい曲です。

『愛の神の驚き』〔アドーニスの誘拐〕序曲

後の改作で加えられたアントレ『アドーニスの誘惑』の序曲です。

元気いっぱいの導入部分(できるだけ速く)から、悲劇的な趣きのアダージョに移り、最後は速度の指定はありませんが、広がりをもった壮大な音楽で締めくくられます。

『結婚の女神と愛の神の祭典』序曲

1747年初演のオペラ=バレです。

『プラテー』でその婚約を祝われた王太子ルイ・フェルディナンは、新妻をお産で亡くしてしまいましたので、ポーランド王兼ザクセン選帝侯の王女マリー=ジョゼフ・ド・サクスと再婚することになり、そのために急遽作られた作品です。

マリーは、ルイ16世ルイ18世プロヴァンス伯)、シャルル10世(アルトワ伯)を産むことになります。

もともと、『エジプトの神々』というタイトルで作曲されていましたが、転用されたのです。

ゆっくりした部分が終わると、オーボエファゴットが華やかな名人芸を見せます。

『アカントとセフィーズ』序曲

1751年に初演された英雄的牧歌劇(パストラル=エロイック)です。

王太子ルイ・フェルディナンの初の男子、ブルゴーニュ公ルイの誕生を祝うために作曲されました。

この序曲には特に「国民の願い」というタイトルがつけられており、3部に分かれ、それぞれにも標題がつけられています。

第1部は「トスカーナ」で、ゆっくりと抒情的です。

第2部は「花火」で、大砲の発射音を表わす、と楽譜に指示があり、その通りにティンパニが打ち鳴らされます。ますで、チャイコフスキーの大序曲を予告するかのようです。

第3部は「ファンファーレ」で〝国王万歳〟という国民の叫びを模倣したリズムになっています。

後継ぎの男子が誕生し、ルイ王朝は安泰、という演出ですが、実際には長男と次男は夭折してしまいます。

王太子ルイ・フェルディナン自身も、王位に就くことなく、父ルイ15世に先立って亡くなってしまい、3男のルイ16世がいきなり王位を継ぐことになります。

ルイ16世は即位にあたって『何にも教えてもらっていないのに…』と嘆いたということですが、その後の悲劇はご承知の通りです。

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王太子ルイ・フェルディナン(1729-1765)

このように、序曲を並べて聴いてみるだけで、50歳でオペラデビューしたラモーの精力的な創作活動に圧倒されます。

そして、ラモーの音楽は、ルイ王朝、ブルボン王家の慶事とともにあったことも分かります。

まもなく破滅を迎えるアンシャンレジーム(旧体制)の最後の輝き、ともいえるでしょう。

ラモー:序曲集

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ポンパドゥール夫人、『オペラ座の演目はラモーだけよ!』とご決定。ラモー:英雄的牧歌劇『ナイス、平和のためのオペラ』~ベルばら音楽(35)

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ブーシェ『ポンパドゥール侯爵夫人』

ラモーの音楽にハマったポンパドゥール夫人

次々と名作オペラを作りだすラモーは、その度に賛否両論を巻き起こしながらも、その国民的支持は不動のものとなっていきました。

当時、政治にあまり関心のなかった国王ルイ15世に代わり、フランスの〝影の支配者〟として君臨していた、国王の寵姫ポンパドゥール夫人は、オペラ座で上演される演目の監督権も持っていましたが、1745年には『今後2年間はオペラ座ではラモーの音楽しか上演しない』と決定しました。

ポンパドゥール夫人はラモーの音楽の魅力にすっかり取りつかれ、そのあまりの肩入れぶりは大いに物議を醸し、ラモーの反対派は陰で不平を漏らしましたが、その絶大な権力に逆らえる人はいませんでした。

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ラモーがフランスの音楽界を征服したことを表した風刺画『ラモーの勝利』。戦いに勝った将軍のようにラモーが凱旋車に乗ってパレード。

〝国王の愛人〟という公職

太陽王ルイ14世の話で触れたように、キリスト教では一夫多妻制は認められていませんでしたが、王が正式な王妃のほかに愛人を持ったのはよくあることでした。

しかしフランスでは、興味深いことに国王の愛人は「公職」でした。

定員はひとりで、その生活に関わる費用は宮廷費から支出され、正式なお披露目の儀式があり、王妃に次ぐ存在として公式の場には必ず出席しました。

公妾」と訳されますが、日陰の存在どころか、逆に社交界の女王として君臨したのです。

ルイ14世のルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールのように、控えめな性格の人もいましたが、あまたの女たちがその地位を狙い、自分が影響力を行使できる女性を送り込もうとする貴族たちの思惑が交錯し、謀略と陰謀が渦巻きました。

ひとたびその地位を得たら、絶大な権力を堂々と行使できるのです。

ルイ15世のように優柔不断で言いなりになりやすい国王であればなおさらでした。

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ルイ15世(1710-1774)

女性活躍の鑑、ポンパドゥール夫人

ポンパドゥール侯爵夫人(1721-1764)は、本名をジャンヌ=アントワネット・ポワソンといい、ブルジョワ階級の銀行家の娘として生まれますが、平民出身でした。

しかし、幼い頃から才気あふれ、音楽、美術、演劇に親しみ、語学も数か国語を習得しました。

徴税請負人ルノルマン・デティオールと結婚しますが、裕福な夫の城館にはヴォルテールモンテスキューなど、高名な啓蒙思想家や文人、芸術家が出入りしていました。

やがて国王の目に留まり、1745年に正式に公妾としてヴェルサイユ宮殿に迎えられ、ポンパドゥール侯爵夫人の称号と領地を与えられます。

夫は別居させられますが、既婚者でなければ公妾にはなれなかったのです。

ポンパドゥール夫人はラモーを支持したように、芸術に造詣が深く、文化・芸術の振興に尽力しました。

絵画ではブーシェがお気に入りで、焼き物では王立セーブル磁器工場の設立に尽力、また伝統にとらわれない知識の集大成として、ディドロダランベールらの『百科全書』の刊行も助成しました。

装飾においては、優美なロココ芸術を花開かせ、フランス文化の爛熟期を現出したのです。

ポンパドゥール夫人の有名な言葉は『私の時代がきた』ですが、ルイ15世に『余のあとには大洪水がくるだろう(あとは野となれ山となれ)』と言わせたのも彼女です。

フランス革命を引き起こしたのは『パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない』のマリー・アントワネットのせいにされていますが、破滅の遠因はルイ15世とポンパドゥール夫人の時代に見出されます。

ポンパドゥール夫人は、体はあまり強くなかったので、30歳頃には王の夜の相手は退きました。

好色で、ありあまる精力の持ち主だったルイ15世のために、『鹿の園』という王専用の娼館を設置し、その運営にあたりました。

町から若く美しい少女を探してきて王の相手をさせたのですが、その一人がブーシェの絵で有名なマリー=ルイーズ・オミュルフィです。

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ブーシェ『ソファに横たわる裸婦(金髪のオダリスク)』

ポンパドゥール夫人は、鹿の園での務めを終えた女性には、良縁を紹介したり、年金を支給したりと面倒を見ました。

それは、自分の公妾の地位を奪う者を防ぐとともに、若い乙女を提供することで王を梅毒から守る目的もあったのです。

その努力の甲斐あって、ポンパドゥール夫人は、王と性的関係がなくなってからも、王の補佐役、助言者としての地位を保ちつづけ、大臣の任免権を持ち、フランスの政治、外交を主導しました。

しかしこれを〝愛妾のくせに政治に口を出して国を誤らせた〟などと断罪するのは早計です。

彼女は理想に燃え、深い教養と見識、多岐にわたる才能、広い視野をもち、バイタリティーにあふれていました。

大国を領導していくなんて、誰にでもできることではありません。まさに、偉大なる女性だったといえます。

それを〝女の武器を使って成り上がった〟などと言っていては、歴史上の女性の活躍を正しく評価できません。

男性のしでかした失敗の方が、歴史上はるかに多いのですから。

多忙を極めた彼女は、やがて健康を害し、王族以外では死ぬことが許されないヴェルサイユ宮殿において、42年の生涯を閉じます。

戦争終結記念オペラ

このように王妃に次ぐ存在として、時には王妃以上の権力をふるった公妾ですが、子が産まれても、王位継承権はもとより、王族としても認められませんでした。

王位を継ぐのはあくまでも正式な王妃の子に限られています。

ヨーロッパでは、日本の皇室とは違って女系継承が認められていましたから、男子がいない場合は、他国に嫁いだ王女が生んだ子に継承権が発生することになります。

しかし、いわば他国の子が王になるわけですから、これはこれで戦争のもとになりました。

この問題が、1740年、フランス・ブルボン家の最大のライバル、オーストリアハプスブルク家で起こります。

ハプスブルク家神聖ローマ皇帝カール6世(1685-1740)は男子に恵まれませんでした。

皇帝には男性でなければなれないため、娘のマリア・テレジア(1717-1780)にハプスブルク家の所領を相続させ、夫のトスカーナ大公(元ロレーヌ大公)フランツ・シュテファン(1708-1765)を皇帝に即位させるよう遺言して亡くなりました。

しかし、ルイ15世の宮廷は、これをハプスブルク家を弱体化させる好機として認めず、プロイセン、スペイン、バイエルンを味方にして戦争を仕掛けました。

これがオーストリア継承戦争(1740-1748)です。

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マリア・テレジア(1717-1780)

女傑マリア・テレジアはフランスと仲の悪い英国、オランダを味方にして受けて立ちます。

全ヨーロッパを巻き込んだ大戦争になりましたが、結果としては、マリア・テレジアはいくつかの領土を失ったものの、夫の帝位を確保し、1748年のアーヘンの和約で戦争は終結しました。

マリア・テレジアはよく〝女帝〟といわれますが、正確には皇帝であったのは夫であり、オーストリア大公兼ハンガリー王、ボヘミア王、というのが彼女の正式な地位です。

ともあれ、ルイ15世のフランスは、何も得るものなく戦争終結を迎えたのです。

しかし、国民に対しては〝偉大なる勝利〟と宣伝しなければなりません。

そこでフランス政府は、ラモーに戦争終結記念のオペラの制作、上演を依頼しました。

そして出来たのが、今回取り上げる英雄的牧歌劇(パストラル・エロイック)『ナイス、平和のためのオペラ』です。

ちなみに、英国でアーヘン和約記念の音楽を依頼されたのは、ヘンデルでした。

そして作曲、演奏されたのが有名な『王宮の花火の音楽』です。

〝痛み分け〟の戦争が終わった喜びを、海峡をはさんで、英国ではヘンデルフランスではラモーの音楽で祝い、お互いに〝勝った!勝った!〟とやっていたわけです。

天界大戦争になぞらえたオペラ

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打ち負かされる巨人族(タイタン)

このオペラの主題は、海の神ポセイドン(ネプチューン )が、ニンフ(妖精)のナイスに恋した物語ですが、そのプロローグでは、ギリシャ神話にある天界大戦争が描かれています。

ゼウスが率いるオリュンポスの神々は、前世代の神であるクロノス率いる巨人族(タイタン)から王権を奪ったのですが、その巨人族が巻き返しを図って、ゼウスたちが陣取るオリュンポス山に攻めてきます。

不死の神同士の戦いですから、決着はなかなかつかず、戦争は10年に及び、ティタノマキア」と呼ばれます。

最終段階で、ゼウスは地下深くに巨人族によって幽閉されていた一つ目巨人のキュクロプスたちを解放するのですが、感謝したキュクロプスたちは、必勝の武器としてゼウスに雷を、ポセイドンに三叉鉾を、ハデスに隠れ帽を提供し、それでゼウスたちは巨人族に勝利します。

特にゼウスの放つ雷光の威力は圧倒的で、天界は崩れ落ち、巨人族の目を焼いて視力を奪いました。

巨人族たちは冥界よりさらに深淵にあるタルタロスに封じ込められ、オリュンポス側の勝利となります。

そして、ゼウスは天界と地上を、ポセイドンは海を、ハデスは冥界を分担して統治することになり、世界に平和がもたらされます。

ラモーのこのオペラのプロローグでは、その天界大戦争が描かれますが、それはオーストリア継承戦争を指しているのです。

そして勝利者として諸国の争いを収めたゼウス(ジュピテル)は、言うまでもなくフランス国王ルイ15世に擬せられています。

フランス国民たちは、労多くして得るものの無かったこの戦争を冷ややかにみていましたが、ラモーの音楽は音楽として楽しんだのです。

今回はこのオペラのうち、序幕のプロローグだけ取り上げます。

ラモー:英雄的牧歌劇『ナイス、平和のためのオペラ』

Jean-Philippe Rameau:Naïs, opéra pour la Paix

演奏:ジェルジュ・ヴァシェジ指揮 オルフェオ管弦楽団パーセル合唱団

Gyorgy Vashegyi & Orfeo Orchestra , Purcell Choir

プロローグ『神々の合意』

序曲

この曲にはフランス風序曲の冒頭のゆっくりした部分はなく、いきなり速いパッセージで始まりますが、これは巨人族たちの激しい攻撃を表わしているのです。

台本には「侵略者たちの叫びと荒々しい動き」と書かれています。

その通り、トランペットが鳴り響き、緊迫した戦いの様子が手に汗をにぎるように描写されています。

タイタンたちと巨人たちの合唱

合唱

天界を攻撃するのだ

雷に立ち向かうのだ

地上の主たちよ、神々を引きずり下ろすのだ

序曲が途切れることなく続き、タイタンたちの攻撃のシーンとなります。タイタンたちは山を積み上げ、天に登ろうとします。彼らを率いているのは、不和の女神と、戦の女神。天上にはゼウスがいて、雷を投げ落とそうとしています。 

ゼウスは、何とか血を流さずに戦いを終えられないか、と嘆きますが、状況はそんな悠長なものではありません。

天界の神々の合唱

合唱

投げよ、稲妻を投げよ

雷を落とせ、野望に満ちた敵どもを蹴散らせ

彼らが灰燼に帰しますように

彼らがあなたの一撃に屈しますように

投げよ、稲妻を投げよ

オリュンポスの神々に促されて、やむなくゼウスはタイタンたちと巨人族に雷を投げつけます。舞台は火に包まれ、雷鳴が轟き、稲妻が光り、タイタンたちが積み上げていた山を崩し、タイタンたちを押しつぶして奈落の底に落とします。

そして、戦いは終わり、ハデスは不和の女神と戦いの女神を捕えて鎖につなぎます。

勝利者ゼウスは、ポセイドンに海を、ハデスに冥界を統治するよう命じ、ハデスは女神たちを手下として冥界に連れて行きます。

空中にはゼウス、天界の神々、地上には花と春と豊穣を司る女神、フローラが現れ、平和を寿ぎます。

舞台には諸国民の民が集い、平和の祭典が始まります。

フローラのエール

フローラ

ああ!平和の女神はなんとたくさんの甘美を約束しているのでしょう

静けさがフローラの王国にゆきわたり

喜びがみんなの心に広がるでしょう

涙はなくなり、甘美な春が私たちに戻ってくるわ

毎朝、夜明けとともに

花と同じ数の愛が生まれることでしょう

生き生きとしたガヴォット

フローラの歌に続き、その従者であるニンフとゼフィロス(西風)たちが踊り、足元には花々や草が生え、戦争がもたらした荒廃からの復興を表わしています。

ニンフとゼフィロスのふたつのリゴドン

ガヴォットに続き、タンバリンの響きも楽しく、平和を祝う喜びのダンスがくり広げられます。

地上の神々と民の合唱

合唱

幸福なる勝利者よ、天、大地、海が

その幸せを手にしたのはあなたの栄光に満ちた配慮のおかげです

神々の合意は、世界に平和を与える

ゼウスの適切な采配によって、世界に平和がもたらされました。

神々の合意、それこそアーヘンの和約における王たちの合意になぞらえられ、その主宰者ゼウスがルイ15世とされているわけです。

王のメンツと気まぐれで始まり、多くの犠牲を払ったわりにはまるで得るものがなかった戦争でしたが、政府からの依頼ですから、ラモーも王を讃えたオペラを一生懸命作りしました。

しかし、純粋に平和を喜び、二度と戦争が起こらないように、という思いは音楽から伝わってくるのです。

3枚のペチコート作戦

さて、オーストリア継承戦争を戦い抜き、フランスの野望を打ち砕いたマリア・テレジアですが、この戦争で失ったものがありました。

それは、新興国プロイセンフリードリヒ2世に、豊かなシュレージェン(シレジア)地方を奪われたことです。

人が困っているときに火事場泥棒のように自国の利権を拡張したフリードリヒ2世をマリア・テレジアは絶対許さず、いつか取り返してやる、と復讐を誓っていました。

軍国主義プロイセンの勃興は、オーストリアの大きな脅威ともなっていました。

フリードリヒ2世はその功績で大王、と讃えられており、大バッハの息子、カール・フィリップエマヌエル・バッハが仕えたことでも有名です。

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マリア・テレジアはひそかに、フランスを牛耳っていたポンパドゥール夫人に連絡を取り、宿敵ブルボン家と同盟を結ぶことに成功しました。

ハプスブルク家ブルボン家が手を結ぶ、ということは、両家の対立がこれまでの世界史を紡いできたのですから、まさに驚天動地の出来事であり、「外交革命」と呼ばれています。

マリア・テレジアはさらにロシアのエリザヴェータ女帝とも手を結び、プロイセン包囲網の結成に成功しました。

たまたま、この時期の大国の指導者が3人とも女性だったので、女同士、メンツや過去や常識にとらわれない、実利的な判断ができたといわれています。

これは男たちから〝3枚のペティコート作戦〟と揶揄されました。

ペティコートは当時はいわゆるスカートのことを指します。

これを察知したフリードリヒ2世は、機先を制して先制攻撃に踏み切り、七年戦争が始まります。

ヨーロッパは再び戦火に見舞われたわけです。

一時期は、3人の女性同盟によって、フリードリヒ2世は絶体絶命のピンチに追い込まれますが、皮肉にも彼女らの後継者の男たちは、英雄フリードリヒ2世に憧れていました。

ロシアでは、戦争中に亡くなったエリザヴェータ女帝の後を継いだピョートル3世がフリードリヒ2世と単独講和してしまい、プロイセンはギリギリのところで起死回生を果たします。

マリア・テレジアの息子で、共同統治者であった、モーツァルトびいきのヨーゼフ2世も、親の心子知らずで、さんざん母を苦しめたフルードリヒ2世と友好関係を築こうとし、親子の亀裂を深めました。

その結果、19世紀のドイツ統一では、オーストリアは締め出されてしまい、ドイツ民族の国家作りはプロイセンによって成し遂げられることになるのです。

18世紀は、女性たちが歴史を動かした時代だったのです。 

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ラ・トゥールの描いた、楽譜を持ったポンパドゥール夫人

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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自分で作った彫刻に恋した男の物語。ラモー:アクト・ド・バレ『ピグマリオン』~ベルばら音楽(34)

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ジャン=レオン・ジェロームピグマリオンとガラテア』

8日間で作られ、200回以上上演されたオペラ

50歳にしてオペラ・デビューを果たしたラモーは、その後も次々と作品を世に送ります。

当初は、あまりの斬新さゆえ、リュリの完成した伝統的なフランスオペラを破壊した、として大変なバッシングを受けましたが、その素晴らしい楽想と大胆な和音に、時間が経つにつれパリの聴衆も魅了されていきました。

ラモーのオペラはいくつかのジャンルに分けられ、これまで「トラジェディ・リリック(抒情悲劇)」の『イポリートとアリシー』、「オペラ=バレ」の『優雅なインドの国々 』を取り上げましたが、今回は「アクト・ド・バレ」の『ピグマリオン』です。

「アクト・ド・バレ」は〝1幕のバレエ付きオペラ〟ということで、その名の通り1幕しかない、短い作品です。

そして、筋書きもさることながら、バレエも同じくらい重要な要素となっていて、比較的気軽なものとして楽しまれました。

ピグマリオン』は、1748年に、オペラ座監督の急な頼みで8日で作曲したとされています。

大作曲家のこの手のエピソードに漏れず、〝やっつけ〟で作られたとは思えない出来栄えで、上演は成功。

3年後に再演されたときにはさらに大人気を博して、パリじゅうの話題となり、ラモーの喜びぶりが次のように伝わっています。

ラモーは有頂天になり、喜びに涙した。彼は観客に熱狂的に迎えられたことに狂喜し、以後の彼の人生を彼らのために捧げると誓った。*1

『イポリートとアリシー』初演時の酷評に絶望したのとは大違いです。

この作品はフランス革命までに200回以上も上演され、1778年の『メルキュール・ド・フランス』誌には次のような記事が掲載されました。

このふたつのオペラ(『ピグマリオン』と『カストールとポリュックス』)は絶えず上演されてきた。私の年上の人たちで、これを100回聴いていないという者は誰もいない。そして誰ひとりとして、2つのオペラに飽きている者はいない。

今でもラモーの作品の中では上演の機会の多い人気作となっています。

自分で作った彫刻に恋した男

このオペラのテーマも、ギリシャ神話から採られています。

キプロス島の王ピュグマリオンは、彫刻の腕前が神業レベルで、自分で彫った象牙の女性像に恋してしまいます。

しかし、どんなに愛してもしょせんは彫刻、もちろん応えてはくれません。

成就するはずもない恋に憔悴していくピュグマリオンを、美と愛の女神アフロディーテ(ヴィーナス)が憐れんで、息子キューピッドの力で彫像に命を吹き込み、人間にしてあげる、という物語です。

古代ギリシャの彫刻は、作者不明の『ミロのヴィーナス』や『ラオコーン』など、わずかなものを除いてほとんど失われてしまい、今残っているのはローマ時代のレプリカ(ローマン・コピー)なのですが、本物の素晴らしさは比較にならない、とされています。

古代世界に名の轟いた名匠、とくにアテネパルテノン神殿のアテナ像を造ったというフェイディアスの作品などは、本当に生きているかのようだったと伝えられています。

このような神話ができるほど、そのレベルは高かったのです。

お気に入りのフィギュアが人間化して、しかも自分を愛してくれるなんて、こんな幸せな話はないでしょう。

バーナード・ショウはこの神話を戯曲にし、女性を自分好みに改造していく物語に翻案して、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の元ネタとなりました。

テーマからして、人気の題材だったわけです。

では、聴いていきましょう。

ラモー:アクト・ド・バレ『ピグマリオン

Jean-Philippe RameauPygmalion

演奏:クリストフ・ルセ指揮 レ・タレン・リリック

Christophe Rousset & Les Talens Lyriques 

序曲

ラモーの序曲の中でも特に親しまれ、独立して演奏される機会の多い曲です。

「緩」の前半部は単純明快にしてこの上ない気品をたたえています。まさにシンプルの美といえます。重々しい弦の合間に響く、愛らしい管楽器の合いの手が絶妙です。

続く後半の「急」は、一転、めくるめくような速いパッセージが連続しますが、これは彫刻のノミの音を表わすといわれています。

この気高さと颯爽としたカッコよさは、イタリア、ドイツの作曲家にはない、フランスの作曲家ならではのものといえます。

ケネス・ワイスの素敵なクラヴサンチェンバロ)版も合わせて掲げておきます。

ピグマリオン:運命の愛の神よ、むごい勝利者

ピグマリオン

運命の愛の神よ、むごい勝利者

わたしの心を突き刺すために

あなたは何という矢を選んだことか

わたしはあなたに支配されるのを恐れていた

わたしは恋に落ちることを恐れ

そうなる自分を罰するつもりだった

しかし、愛することのできない彫像のために

そういう定めになっていたのだろうか

(彫像に)

私の苦しみの非情な証人よ

おまえがわが手の仕業でありえようか

わが技がおまえの素晴らしい姿を創り上げたのも

空しく嘆くためなのか?

幕が開くと、ピグマリオンがひとり、美しい彫像の前で嘆いています。

自分の理想の女性像を求めるあまりに、出来上がった彫刻の魅力にとりつかれてしまったのです。

どんなに愛の言葉をかけても、当然のことながら、彫像は応えてくれません。

そして、そのような境遇に追い込んだ愛の神に恨み言を述べますが、それも詮無いこと。

そこに、ピグマリオンの恋人セフィーズが現れます。

彼女はギリシャ神話には 登場せず、このオペラで創作されたキャラです。

セフィーズが、自分をほっかたらかしにして彫像に夢中になっているピグマリオンを責めますが、ピグマリオン聞く耳を持ちません。

彼女は、あきれるやら悲しむやらで、最後は怒って退場していきます。

ピグマリオン:この妙なる楽の音は?

ピグマリオン

この妙なる楽の音はどこから生まれたのだろう?

調和した響きはどこからくるのだろう?

まばゆい光がこのあたりを満たしている

ピグマリオンが、セフィーズが去った後も空しく嘆いていると、どこからか優しい音楽が聞こえてきて、あたりが明るくなります。

ピグマリオンがとまどっていると、愛の神キューピッド(アムール)が現れて、彫像の上で松明の灯りを振ります。

ピグマリオンはそれに気づきませんが、しばらくすると彫像が動き出し、台座からゆっくりと下りてきます。

あまりのことにピグマリオンが呆然とする一方、彫像も『ここはどこ?私は誰?』ととまどっています。

そのうち、ピグマリオンを目にして『何て素敵な人、私はあなたのために命を与えられたんだわ』と告げます。

ピグマリオンはこれは夢か?ととまどううちに、愛の神が現れ『私はかねて愛らしいものを造りたいと思っていたが、果たせず、今、お前の技で実現した。そのため、この奇跡を起こした。』を告げます。

そして、人間になったばかりの彫像のために、3人の美の女神を呼び寄せ、『笑いの神』と『遊びの神』も呼んで、教育するよう命じます。

愛の神に呼ばれた神々は、様々なダンスを彫像に教えていきます。

彫像は伝説では「ガラテア」という名前ですが、このオペラでは単に〝彫像〟とされています。

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アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾン『ピグマリオンとガラテア』
エール

この舞曲は、きわめて遅いダンスに始まり、優美なガヴォット、メヌエット、快活なガヴォット、速いシャコンヌ、きわめて重々しいルール、と続きます。

これらの曲を彫像はマスターしていき、やがて自らのダンス、サラバンドを踊ります。

彫像のためのサラバンド

人間になったばかりの彫像がややぎこちなく、しかしこの上なく優雅に美しく踊る、有名なダンスです。

サラバンドが終わると、楽しいタンブランとなり、人々も歌います。

ピグマリオン:愛の神の勝利だ!

ピグマリオンと合唱

愛の神の勝利だ、その栄光を讃えなさい!

この神はわれらの望みを叶えることだけを考えてくださる

その栄光を歌って歌いすぎることはない

愛の神はわれらの喜び

奇跡が現実のものと知ったピグマリオンは狂喜、愛の神を讃え、集まってきた国の人々もそれに和します。

パントマイム

人々は彫像を取り囲んで楽しいジーガを踊ります。幸せな気分が舞台いっぱいに広がる音楽です。

ピグマリオン:愛の神よ、支配せよ

ピグマリオン

愛の神よ、支配せよ

あなたの炎を輝かせよ

われらの心にあなたの矢を射よ

あなたの掟に従う人々のため

あなたのえびらを空にせよ

魅力あふれる神よ

あなたは我らに最高に幸せな運命をもたらす

わたしのこの上なく大切なこの物体は息をしている

あなたの神聖な松明の火によって生きている

感極まったピグマリオンは、愛の神の支配を讃える長大なアリエットを歌います。メリスマ唱法と装飾をふんだんに駆使した、テノールのきかせどころです。

コントルダンス

一同が喜びの極みの中、タンバリンを鳴らしながら、ロンド形式の田園舞曲を踊り、ダンスの渦の中で幕が下ります。

 

物語としては、何とも他愛のない筋書きであり、ドラマチックなのは冒頭のピグマリオンとセフィーズの嘆きだけで、ハッピーエンドというより、大半がただただ幸せなだけのオペラですが、バレエが主体で、ストーリーはその踊りの幸福感を増すためのものといえます。

しかし、このオペラがどれだけの人を幸せな気分にしたことでしょう。

成就するはずもない恋が成就した奇跡を、存分に堪能できるオペラなのです。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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*1:1751.3.『Journal』

ネイティブ・アメリカンよ、永遠に。ラモー:オペラ=バレ『優雅なインドの国々』⑤ 第4アントレ「未開人たち」~ベルばら音楽(33)

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ジョン・スミスを救うポカホンタス(想像画)

新大陸の広大なフランス領、ルイジアナ

オムニバス形式の4つの幕(アントレ)から成る、ラモーのオペラ=バレ『優雅なインドの国々 』。

いよいよ最後の幕です。

このオペラは、1735年8月の初演時にはプロローグと第2アントレだけで上演され、3回目の公演で第3アントレが追加されました。

そして、翌年に第3アントレが変更されるとともに、この新しい第4アントレが加わって、今の形となりました。

愛を求めて諸国を旅するキューピッドたちが、最後にたどりついたのはアメリでした。

北米大陸は「未開の地」とされています。

南米にはインカ、アステカといった古代文明が栄えていたのですが、北米には文明と言えるものはなかったので、野蛮人の地とされていました。

奪うべき金銀も見当たらなかったため、侵略先進国のスペインも中南米への進出に比べてあまり積極的ではなく、メキシコからテキサスあたりに徐々に北上していました。

遅れて大航海時代に入ったオランダ、英国、フランスは、中南米はほとんどスペインに押さえられてしまっていたため、まだ手付かずの北米に植民地を築きつつありました。

アメリカの植民地というと、後にアメリカ合衆国となった英国の植民地のイメージが強いですが、先行していたのは実はフランスでした。

フランスの支配領域はミシシッピ川流域をほぼ手中におさめ、五大湖からカナダに及び、現在のUSAの大半を占める広大なものでした。

ミシシッピ流域の植民地は太陽王ルイ14世にちなみ〝ルイジアナと名付けられました。

現在のルイジアナ州は、領域としてはそのほんの一部でしかありません。

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濃い青がフランス領ルイジアナ、薄い青は他のフランス領

このオペラが上演される10年ちょっと前に、〝新オルレアン〟すなわちニューオーリンズフランス領ルイジアナの首都に定められました。

その後、英国との度重なる戦争でフランス領は削られていき、アメリカの独立後、フランスの執政となったナポレオンは、もはや北米の植民地は防衛しきれないと判断し、英国との戦費調達と、アメリカがフランス側についてくれることを期待して、1500万ドルという〝二束三文〟で、広大なルイジアナアメリカに売却したのです。

これが1803年の米国による「ルイジアナ買収」で、今のUSAの23%に相当する領土です。

インディアン酋長の姫をめぐって

さて、この幕の舞台は、ちょうどスペインフランスの植民地が隣接していたあたりです。

両国と、原住民、つまりネイティブ・アメリカン(インディアン)との和平の儀式〝大いなる平和のパイプの儀式〟が行われようとしていました。

これは、和睦のためにタバコをパイプ(キセル)でまわし喫みするという、原住民の儀式でした。

しかしそこでは、インディアンの酋長の美しい娘ジーをめぐって、フランス人将校のダモンと、スペイン人将校アルヴァールが争っていました。

ラモー:オペラ=バレ『優雅なインドの国々』新(第4)アントレ「未開人たち」

Jean-Philippe Rameau:Les Indes Galantes "Les Sauvages"

ファンファーレ

フランス軍のファンファーレが聞こえる中、インディアンの若きリーダー、アダリオが戦士たちを指揮しています。

アダリオは、愛する酋長の娘ジーを、ヨーロッパ人たちが狙っていることに気が気でありません。

我らは武力でも勝てず、愛でも勝てないのか、と歯噛みをしながら、物陰から彼らとジーマのやりとりを窺っています。

フランス人将校のダモンと、スペイン人将校アルヴァールがふたりしてジーマを口説きにかかりますが、ジーマは、ふたりとも言葉が軽いわ、と言って受け入れません。

アルヴァールは、セーヌ川のほとりの住人(フランス人)は、結婚してからも浮気するのが甲斐性だと思っているんだよ、と悪口を言います。

ダモンは、タホ川のほとりの住人(スペイン人)は、嫉妬深くて結婚してからは妻を疑ってうるさく束縛しつづけるんだよ、と言い返します。

ジーマは、スペイン人は愛し過ぎる、フランス人は愛し足りない、と言って、私が選んだのはこの方、と物陰のアダリオを招きます。

アルヴァールは怒って、殺してやる、と息巻きますが、ダモンは、あきらめよう、とたしなめ、ふたりを祝福してやろうじゃないか、と去っていきます。

フランスのオペラだけに、フランス人の方が大人に描かれています。笑

フランスは、北米植民地ではインディアンと交易などで比較的平和的な関係を築いており、通婚もよくありました。

ヨーロッパでの七年戦争(1756-1763)が新大陸の植民地に及んだ英仏の戦いは「フレンチ・インディアン戦争」と呼ばれますが、インディアン部族の多くはフランス側に味方をしたのです。

インディアンたちの祭りが始まり、ジーマとアダリオは結婚と、幸せになることを誓います。

未開人たちの大いなる平和のパイプの踊り

ジーマとアダリオ

平和な森よ

むなしい欲望がわたしたちの心を乱さないように

わたしたちの心は弱いけれど

運命の女神の恩恵にはかなわないのだから

未開人たちの合唱

平和な森よ

むなしい欲望がわたしたちの心を乱さないように

わたしたちの心は弱いけれど

運命の女神の恩恵にはかなわないのだから

ジーマとアダリオ

わたしたちの土地に

富が来て人を誘惑しないように

天は、純真と平和のため

この地を作られたのだから

この地で享受しよう

穏やかな日々を楽しもう

ああ、わたしたちが幸せになるのに

ほかに何が必要だろうか?

この曲は、以前にも取り上げた、ラモーのクラヴサンチェンバロ)曲、「未開人」から流用されていて、全曲でもっとも有名な曲です。

www.classic-suganne.com


Rameau, Rondeau des Indes Galantes

この時代にはまだ、北米ではネイティブの人々と植民者はおおむね穏やかに共存していました。

そして、原住民の平和を祈る歌が、満座のパリのオペラ座に響いていたのです。

このあと時代が下り、ネイティブ・アメリカンのたどった悲惨な歴史を思うと胸が痛みます。

平和な森の穏やかな暮らし。

ヨーロッパ人が作った、この原住民の平和を願った素晴らしい音楽の精神は、いったいどこにいってしまったのか…。

戦士とアマゾネスたちのメヌエット

男女の戦士に、フランス兵も加わって祝福のメヌエットを踊ります。

シャコンヌ

いよいよこのアントレの、いや全幕の終曲となるシャコンヌです。

さりげなく始まりますが、まもなく輝かしいファンファーレが鳴り響き、華やかなフィナーレとなります。

ラモーの音楽は斬新な和音で現代的でさえあり、どこまでも新鮮です。

シャコンヌの形式として、しっとりと落ち着いた優雅な曲想と、輝かしい曲想が交互に現れますが、それが絶大な効果をもたらし、これまでの4つの愛の物語が走馬灯のように巡るかのようです。

遥かなる未来に思いを馳せるかのような雄大な音楽。胸がいっぱいになるうちに幕が下ります。

筆舌に尽くしがたい、味わいの深さです。

戦乱のヨーロッパから飛び出したキューピッドたちは、異国の地に若き愛を見つけて、青春の女神ヘベに伝えたのでした。


Rameau, Les Indes galantes, Chaconne

ポカホンタスの物語

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英国に連れていかれるポカホンタス

中米アステカ征服において、コルテスを助けた原住民の娘マリンチェの話は第2アントレで取り上げましたが、北米でも、ヨーロッパ人とかかわった原住民の娘がいました。

その名はポカホンタス

ディズニー映画のヒロインにもなりました。

ポカホンタスとは、へんな名前にもほどがありますが、これは〝おてんば娘〟を意味するあだ名で、本名は「マトアカ」といい、ネイティブ・アメリカンポウハタン族の酋長の娘でした。

ポウハタン族の居住地に、1607年、英国は植民地を建設し、処女王(ヴァージン・クイーン)エリザベス1世にちなんで「ヴァージニア」と名付けました。

英国人は当初はネイティブ・アメリカンと仲良くしていましたが、やがていざこざが起こり、指導者のジョン・スミスはポウハタン族に捕まってしまいます。

いざ処刑される段になって、酋長の娘が飛び出しスミスに抱きついて、父に命乞いをしました。

それがポカホンタスということになっています。

それが縁で、ポカホンタスは英語を学び、マリンチェのように通訳として活躍。

ネイティブ・アメリカンと英国人との間につかの間の平和をもたらしました。

英国人ジョン・ロルフと結婚し、1616年に英国に渡って〝インディアンの姫〟として国王ジェームス1世に謁見し、英国に一大センセーションを巻き起こしましたが、翌年、アメリカに帰る途中、病気になって23歳(推定)で死去しました。

しかし、ポカホンタスがジョン・スミスを助けた、というのは、どうやらポカホンタスが亡くなった後の、スミスの作り話だというのが定説です。

ポカホンタスは人質として英国人に捕らえられた、というのが真実のようです。

ともあれ、新大陸代表としてはじめてヨーロッパを訪れ、その架け橋となったということで、今も慕われています。

ジーマは結婚相手にヨーロッパ人ではなく、同じ部族の男を選びましたが、現地人との恋として、ポカホンタスのロマンスもこの物語に影響していると考えられます。 

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生前に描かれた唯一のポカホンタス

ラモーの『優雅なインドの国々』はこのように、フランス革命前のヨーロッパ人の世界観が分かる興味深い作品なのです。

そこには、異国への憧れこそあれ、蔑視は感じられません。

また、後に世界各国を支配して収奪する帝国主義時代のヨーロッパ人の姿もありません。

最後のシャコンヌに響く平和な共存の世界がずっと続いたらよかったのに、と思わずにはいられません。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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目と耳と、鼻で楽しむオペラ。ラモー:オペラ=バレ『優雅なインドの国々』④ 第3アントレ「花々、ペルシャの祝祭」~ベルばら音楽(32)

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〝地上の楽園〟ペルシャの庭園

オムニバス形式の4つの幕(アントレ)から成る、ラモーのオペラ=バレ『優雅なインドの国々 』。

愛を求めて諸国を旅するキューピッドたち。3か国目はペルシャです。

トルコのさらに東にあるペルシャは、ヨーロッパ人のオリエントへの憧れをさらにかき立ててやまない国でした。

このアントレのテーマは〝花〟

ペルシャの庭園に咲き乱れる花々の美しさは、遠くヨーロッパまで聞こえていました。

2011年に、イランにある9つの古い庭園が「ペルシャ式庭園」として世界遺産に登録されましたが、いずれも乾燥した土地に、遠くの山から大変な労力と高度な技術をつぎ込んで水を引き、別世界のような楽園を現出しているのです。

不毛の砂漠の中の塀で囲まれた空間に、豊かな水が流れる小川と噴水が、鮮やかな緑と花々を育む光景はまさに奇跡です。

その庭の様式は「チャハルバーグ(四分庭園)」と称され、4つの川によって幾何学的に4分割されていました。

それぞれが、ゾロアスター教における4元素、「水」「土」「空」「火」を表わすとされていますが、旧約聖書の「エデンの園」を再現したもの、という説もあります。

チャハルバーグはイスラム圏の拡大とともに世界に広まり、西はスペインのアルハンブラ宮殿、東はインドのタージ・マハルの庭園にも使われています。

ヴェルサイユ宮殿の庭園はル・ノートルが完成したフランス式庭園の傑作ですが、その幾何学的な様式にもその影響をみることができます。

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ペルシャ式庭園、チャハルバーグ

観客席の上から香水が!

このアントレはペルシャの花の祝祭がテーマですが、上演に際して、花のバレエの場面では観客席の上から香水がふりまかれ、劇場中が芳香で満たされたといいます。

さすがはオードトワレ、オーデコロンなど、香水の国フランスです。

かつて南仏グラースの香水工場を訪ねたときに、「ネ(鼻)」と呼ばれる調香師の技に感嘆したことを思い出します。

踊りと、音楽と、香りを、目で楽しみ、耳で楽しみ、鼻で楽しむ。

オペラ=バレは、今のテーマパークのアトラクションのような、総合エンターテインメントだったわけです。

ラモー:オペラ=バレ『優雅なインドの国々』第3アントレ「花々、ペルシャの祝祭」

Jean-Philippe Rameau:Les Indes Galantes "Les Fleurs  Féte persane"

リトルネル

どこまでも優しく、気品あふれた導入曲で、これも他のアントレと同じようにポリフォニックに作られています。後半のクレッシェンドが感動的です。

幕が開くと、そこはペルシャの貴族、アリーの館の庭園。召使い、奴隷たちが祝祭の準備をしています。

そこに、怪し気な女商人が入ってきますが、それはペルシャの王子タクマスが変装した姿。

アリーは王子と知ってびっくり、わけを尋ねます。

王子は、アリーの美しい奴隷ザイールに恋していて、近づくために変装して忍び込んだというのです。

王子という身分では、心から自分を愛してくれるか分からないから、あえて変装して本心を知りたい、ということでした。

アリーはアリーで、王子の愛人ファーティムに密かに恋していたので、これは自分にもチャンスがあるかも、と希望を持ちます。

ザイールが一人で嘆いているので、タクマスはそっと近づいて様子を窺います。

ザイール:愛よ、愛よ、運命の厳しさを感じるとき

ザイール

愛よ、愛よ、運命の厳しさを感じるとき

愛の厳しさだけが私に涙を流させる

私の弱さは私を苦しませるけれど

ああ!私の弱さは私の支えでもあるの

ザイールは誰かに恋しているのです。

フルートがザイールの心のうちを代弁しますが、ラモーを始めフランスの作曲家は、このように抒情的な場面でフルートを実に効果的に使います。

ドイツ人作曲家がフランス風の曲や、フランス人の好みの曲を作ろうとすると、フルートを多用する傾向があるように思います。

フランス宮廷文化に傾倒したプロイセンのフリードリヒ大王もフルートを好んで演奏しましたし、〝フランス人はフルートが好き〟というのが当時の常識だったのかもしれません。

さて王子は絶望しますが、恋敵は誰なのか探ろうと、ザイールに『悩みがあるなら力になるから話してごらん』と話しかけます。

ザイールは『奴隷に恋する資格なんてありませんわ』と逃げますが、王子は『奴隷のつらさを恋が和らげてくれますよ』と追いかけます。

そして、『心の慰めに、この素晴らしい絵を見てごらん』と自分の肖像画を見せます。

すると見るなりザイールは拒絶し、『そんなものを私に見せないで!』と怒ったので、王子は自分は嫌われている、と落ち込みます。

そこに、ポーランドの奴隷に変装したファーティムがやってきます。

彼女の心はもう王子にはなく、アリーを恋していて、近づこうとその館に変装して入り込んできたのです。

王子はそれを見破り、何をしてるんだ!と怒り、王子の姿を現し、剣を抜いて成敗しようとします。

アリーはそれを止め、王子もザイールに免じてそれを赦し、ザイールは王子に『奴隷の身で、王子のあなた様に恋してもかなわず、辛くて肖像画も見たくありませんでした』と告白します。

王子は歓喜し、アリーとファーティムの結婚も許します。

そして、二組のカップルは、愛を讃える美しい四重唱を歌います。

四重唱:優しい愛よ、われらのために

タクマス、ザイール、ファーティム、アリー

優しい愛よ

われらのために

あなたの絆が永遠に続きますように!

めでたし、めでたし、となって、花々の祭典が始まります。

舞台全体が庭園となり、花で満たされ、バルコニーや木の茂みの間から、奴隷たちが踊り、歌います。

奴隷たちは、アジアの様々な国の衣装を身につけ、花々をあしらっています。

ファーティムは、花々の周りをめぐる蝶たちに寄せた美しいエールを歌います。

ファーティム:移り気な蝶々よ

ファーティム

移り気な蝶々よ

この森を飛びなさい!

ここにとどまって

お前の浮気な愛の炎の流れを止めるのよ!

こんなに美しい花たちが

生まれたばかりの木陰で

お前の愛を引き留めるようなことは

一度もしてないわ

ペルシャの庭園で繰り広げられる、花々の物語

そして、花たちのバレエ、ディヴェルティスマンが始まります。

花の女王バラを中心に、擬人化された花たちが踊ります。

ラモーの音楽もまさに百花繚乱、オーケストラ、クラヴサンチェンバロ)を織り交ぜてお聴きください!

花々のエール

そこに、突如北風(ボレアス)が嵐を巻き起こし、花々を散らしてしまいます。

ラモーお得意の大迫力の嵐の描写です。花ニ嵐ノタトエモアルゾ…

ボレアスとバラのエール

バラは北風の横暴に強く抗議しますが、北風はかまわず踊り続けます。北風とバラの女王のせめぎ合いが続きます。

ボレアスとバラのふたつめのエール

そこに、優しい西風(ゼフィロス)がやってきて、再び明るさをもたらします。

ゼフィロスのためのエール

優しいフルートの音が表す春のそよ風、ゼフィロス(西風)は、花々をよみがえらせ、以前にもまして咲きほこらせていきます。

ゼフィロスのためのふたつめのエール

花たちのガヴォット

蘇った花々が、今よ春ぞと踊ります。

花たちのふたつめのガヴォット

花々の中を蝶々が舞い、短い春を惜しみながら、恋人たちを祝福しつつ、幕となります。

まさに、フランスの典雅の極致というべき幕です。

 

次回は、最後の国、当時としては未開の地、北米です。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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