孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

名器で聴く、眠れない夜にぴったりの曲。シューベルト『弦楽五重奏曲 ハ長調』

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ウィーンで評判となった、友人たち主催のミニコンサート、シューベルティアーデ(シューベルトの夕べ)で演奏するシューベルト

シューベルト室内楽の最高傑作

前回、村上春樹の『騎士団長殺し』に出てくる曲として、シューベルト弦楽四重奏曲を取り上げました。

しかし、シューベルト室内楽では、最高峰のこの曲をまず取り上げないわけにはいきません。

弦楽五重奏曲 ハ長調

その若すぎる死の、わずか約2ヵ月前に書かれた作品です。

シューベルトは、最後の年となった1828年に、この五重奏曲のほか、シンフォニー ハ長調〝グレイト〟、ミサ曲 変ホ長調、歌曲集『白鳥の歌』、最後の3つのピアノ・ソナタなど、花火が燃え尽きる最後の輝きのように、奇蹟のような傑作の数々を生みだすのです。

クインテットでは、カルテットにヴィオラをもう1本加えるのが普通で、モーツァルトの有名な2曲もその形です。

でも、シューベルトのこの曲では、チェロが追加になっていて、それが何とも落ち着いた、独特の響きを醸し出しているのです。

この曲は、私にと ってもかけがえのない曲で、若い頃、眠れない夜によく聴いたものです。クラシックを聴くと眠くなるという人は多いですが、私は逆に興奮して眠れなくなってしまいがちです。でも、この曲のしっとりとした情感は、心地良く語りかけてくれて、眠れぬ原因の心配事を忘れさせてくれたのです。

名器ストラディヴァリウスのみによる演奏

ご紹介する演奏は、5つの楽器が全て名器のストラディヴァリウスという、贅沢なものです。

アメリカのスミソニアン博物館に所蔵された銘器を集めた演奏なのです。

奏者と使用楽器は次の通りです。 楽器には全て愛称がついています。

第1ヴァイオリン:ヴェラ・ベス(『オレ・ブル』1678年製)

第2ヴァイオリン:リサ・ラウテンバーグ(『グレフューレ』1709年製)

ヴィオラ:スティーヴン・ダン(『アクセルロッド』1695年製)

第1チェロ:アンナー・ビルスマ(『セルヴェ』1701年製)

2チェロ:ケネス・スロウィック(『メリルボーン』1688年製)

ストラディヴァリについては、以前、千住真理子さん所有の『デュランティ』について書きました。

www.classic-suganne.com

楽家兼毒舌家の高嶋ちさ子さんもストラディヴァリウスルーシー』を所有しており、先日TV番組で披露されていました。

ちなみに、高嶋ちさ子さんのお父上は元東芝EMIのディレクターで、ビートルズの楽曲の放題を訳したしたそうです。その際、『ノルウェーの森』を意訳(誤訳?)してしまったとのことで、そのまま村上春樹氏の作品の題名になったのですから、興味深い話ですね。

名器も、優れた奏者の手にかからないといい音は出ないのわけですが、これは出色の演奏です。

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スミソニアン博物館所蔵のストラディヴァリウス

シューベルト『弦楽五重奏曲 ハ長調 D.956』

Schubert : String Quintet in C major, D.956

演奏:ストラディヴァリウスインストゥルメンタル

Stradivarius Instruments from the Smithsonian Institution

Vera Beths, Lisa Rautenberg, Steven Dann, Kenneth Slowik, Anner Bylsma

第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ

闇の中から指す一筋の光のように、引き伸ばされた長い和音から始まります。そして、悦びに満ちた総奏が盛り上がりを見せたかと思うと、たゆたう春の海のような、うっとりするような曲調に移ります。舟の心地良い揺れに身を任せると、さわやかな海風が頬を撫で、海鳥たちが飛ぶのが見える…。前回ご紹介したシューベルトの手紙にあるような絶望感は、みじんもありません。モーツァルトもそうなのですが、死の直前の音楽はどうしてこのように清澄になるのでしょうか。

第2楽章 アダージョ

どこまでも静謐な響きで始まります。優しく語りかけるヴァイオリンを、チェロのピチカートが彩ります。天国的な雰囲気が続きますが、一転にわかに空が掻き曇り、嵐がやってきます。この中間部では、すすり泣くような嘆きが聞かれますが、なぜか聴く人を絶望させることはありません。ただただ、深い感動が心を埋め尽くすのです。そして、再び何もなかったかのように、元の静寂が戻ります。

第3楽章 スケルツォ-トリオ

活気に満ちた音楽は、たった5人で演奏しているとは思えません。まるで、シンフォニーを聴いているかのようです。トリオは、普通見られるようなのどかなものではなく、深い思索に満ちたものです。まさに深夜に聴くにふさわしい楽章です。

第4楽章 アレグレット

シューベルトによく見られるハンガリーの民族舞踊的な音楽です。陽気な中にも、深い抒情をたたえた、決して無邪気な子供の踊りではなく、大人の音楽です。やがて音楽は高揚していき、力強く幕を閉じます。

 

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続・村上春樹『騎士団長殺し』と音楽。シューベルト『弦楽四重奏曲 第13番〝ロザムンデ〟』そして『ファウスト』

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フランツ・シューベルト(1797-1828)

カルテットの魅力

村上春樹氏の『騎士団長殺し』では、オペラが重要なファクターになっていますが、それとともに作品を味わい深くしているのが、何曲か取り上げられている弦楽四重奏曲です。

弦楽四重奏曲String Quartet.

2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロで構成されるカルテットは、クラシックの形式の中でも最も高尚とされ、音楽思考を最も純粋に表すといわれるジャンルです。

シンフォニーとともにハイドンが形式を確立し、ハイドンは〝交響曲の父〟であり〝弦楽四重奏の父〟とも言われています。

少人数で充実した内容の音楽を演奏できることから、家族や友人たちでの気のおけない仲間内での愉しみであり、さらに芸術的にどこまでも深化できる器でもありました。

ベートーヴェンの有名な後期の弦楽四重奏曲などは、その極みです。

しかし、いかんせん弦だけで音色が地味であり、渋すぎるということで、敬遠される向きもあります。

私も若い頃は、ほんの一部の曲を除いて、好んでは聴きませんでした。しかし、年齢を重ねるとともに、その渋い味わいが分かるようになってきました。大人の音楽、ということかもしれません。

あくまでも私の個人の思いですが、ウイスキーに似ているような気がします。ウイスキーも、私は若い頃はあまり美味しいとは思わなかったのですが、四十路を越えると、しみじみ味わいが沁みるようになってきました。

騎士団長殺し』でも、主人公は、オペラと弦楽四重奏曲ばかりの画伯のレコード・コレクションの中から、何曲かを選び、シングルモルトのスコッチをちびりちびりやりながら、耳を傾けています。

まさに至福の大人の時間です。

その中でも、多く取り上げられているのが、シューベルト弦楽四重奏曲です。

漂泊する魂の作曲家、シューベルト

フランツ・シューベルト(1797-1828)。

このブログでは初登場の大作曲家です。

ハイドンモーツァルトベートーヴェンの、古典派三大巨匠の後の作曲家で、初期ロマン派を切り拓いた作曲家、というのが 音楽史の位置づけですが、わずか31歳で亡くなったのは、ベートーヴェンの没後1年後ですから、ほとんど時期的には古典派とかぶっています。

しかし、彼の音楽は古典派ともロマン派とも違い、〝シューベルト的〟としか言いようのないものです。旋律は繊細で、独特のメランコリックな香りに満ちています。

ウィーン近郊の貧しい教師の家に生まれましたが、若くして音楽の才能を発揮し、宮廷礼拝堂児童合唱団の試験に合格し、11歳でコンヴィクトという、国立の全寮制神学校に入学することができました。試験官は、モーツァルトのライバルで、映画『アマデウス』ではモーツァルトを死に追いやったとされている、宮廷楽長アントニオ・サリエリ(1750-1825)。

サリエリは、シューベルトの才能を見出し、しばらくの間、音楽教育を施すのです。それはすでに古い教育内容でしたが、基礎作りには役に立ったはずです。

学校を出てからは、定職につかず作曲に没頭します。定収入はほとんどなく、友人からの支援に頼っていました。まさに、さすらうボヘミアンでした。

出版社からの声もほとんどかからず、生前に出版された曲はわずかです。しかし、全く無名であったというわけではなく、その作品の素晴らしさは、ウィーンで貴族に変わって力をつけていた市民(ブルジョワジー)の間で口コミのように広がっていました。

特に、ドイツ歌曲(リート)は素晴らしく、高名な歌手フォーグルが取り上げてからは一気に人気が出ました。『魔王』『野ばら』『ます』まど、有名な曲は枚挙にいとまがなく、ドイツ歌曲を確立したということで〝歌曲王〟と言われています。

彼が誰かの家に行き、自作を演奏するミニ・コンサート「シューベルティアーデ」(シューベルトの夕べ)は有名でした。

しかし、引っ込み思案で人見知りをするシューベルトは、病気がちでもあり、人生に多くを求めず、〝自分は作曲をするために生まれてきたのだから〟と自らを慰めつつ、31歳の若さで世を去るのです。

世界がシューベルトの真価に気が付くのは死後40年たってのことでした。

ロザムンデ

騎士団長殺し』全編を覆う雰囲気には、シューベルトの音楽はぴったりです。むしろ逆に、村上春樹氏はシューベルトの似合う場面設定をしたのかもしれません。

シューベルト弦楽四重奏曲は数曲名前が出ますが、特に印象的なのが、第13番イ短調〝ロザムンデ〟です。

重要な登場人物、M氏邸を主人公が訪ね、〝騎士団長を招いた宴〟が開かれた際、M氏がかけるレコードが〝ロザムンデ〟でした。

主人公は、家に帰ってあらためて、スコッチを傾けながら、この曲に聴き入るのです。

この曲は、シューベルトの後期の3大弦楽四重奏曲の第1作にあたる作品です。この曲を作曲した頃のシューベルトの心境を表した、友人に宛てた手紙を引用します。

僕はこの世でもっとも不幸で、哀れな人間だと感じている。考えてみてほしい、健康が回復する見込みがもはやなく、その絶望から物事をよいようにではなく、どんどんと悪い方向へもっていくような、そんな人間のことを。考えてほしい、輝いていた希望が無に帰し、愛と友情の幸福がこの上ない苦痛しかもたらさず、美に対する熱狂も消えゆこうとしているような人間のことを。…歌曲は新しいものをほとんど作らなかったが、器楽曲はいくつか試みた。弦楽四重奏曲を2曲と八重奏曲を1曲作曲したが、もう1曲弦楽四重奏曲を書くつもりだ。このようにして大きな交響曲への道を開いていこうと思っている。

鬱々とした思いの中で、創作意欲だけは旺盛です。ここに書かれている2曲の弦楽四重奏曲のうちの一つが、〝ロザムンデ〟です。もう1曲は、第14番ニ短調〝死と乙女〟。このような心境で作られた音楽を、村上氏は小説の意味ある場面でBGMにしているのです。

この演奏は、古楽器を使っています。

シューベルト弦楽四重奏曲 第13番 イ短調〝ロザムンデ〟D.804』

Schubert : String Quartet no.13 in A minor, D.804 op.29 no.1 “Rosamunde”

演奏:モザイク弦楽四重奏団 Quatuor Mosaiques 

第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ

たゆたうような第2ヴァイオリンの上に、第1ヴァイオリンが憂愁に満ちた歌を歌います。この冒頭の部分は、シューベルトの初期の記念碑的な歌曲、『糸を紡ぐグレートヒェン』からとられています。曲が進むにつれて、緊張感は増し、孤独な思いが虚空をさまようかのようです。まさに〝遷ろうメタファー〟を思わせます。

第2楽章 アンダンテ

優しいメロディに心癒されますが、これはシューベルト劇音楽『ロザムンデ』からとられたもので、この曲の愛称にもなっています。シューベルトはオペラや劇音楽にかなり取り組んだのですが、いい台本作家に恵まれず、いま上演にたえる作品はひとつもありません。その点、ダ・ポンテと巡り合えたモーツァルトは、本当に幸運でした。この旋律も、四重奏曲によって親しまれているのです。

第3楽章 メヌエット

チェロの低音から始まるこの曲のメインテーマも、シューベルトがシラーの詩に曲をつけたリート『〝ギリシアの神々〟からのストローフ』からとられていますが、舞曲というより、ゆりかごのような揺らぎを感じる、深いメヌエットです。多様な転調がここでも寂しさや孤独さを感じさせます。初演ではこの楽章がアンコールされたということです。

第4楽章 アレグロ・モデラート 

軽めのリズムは、ハンガリーの民族舞踊風です。 楽しげではありますが、シューベルト独特のメランコリーが漂っています。

ファウストと『糸を紡ぐグレートヒェン』

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ファウスト博士と悪魔メフィストフェレス

さて、この〝ロザムンデ〟ですが、村上氏が取り上げたのには隠された意味もあるのではないか、と私は感じています。

題名がついたのは前述の通り第2楽章からですが、第1楽章は歌曲『糸を紡ぐグレートヒェン』から引用されています。

この歌曲は、若き日のシューベルトが、ゲーテ(1749-1831)の戯曲『ファウスト』のテキストに曲をつけたものでした。

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ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1831)

ゲーテの『ファウスト』では、学問を究めたファウスト博士が、いくら学問をしても宇宙の何もわからない、と悩んでいるところに、悪魔メフィストフェレスが現れ、現世で人生の快楽と悲哀を味わわせてやろう、その代わり死後の魂を売り渡せ、という契約を持ち掛け、ファウストは承諾します。

そしてファウストは、町娘グレートヒェンと恋に落ち、快楽を味わいますが、結果、グレートヒェンは孕み、その母や兄を死に追いやった上に、グレートヒェンも嬰児殺しの罪で投獄、別れの悲哀を味わうことになります。

この歌曲は、恋に落ちたグレートヒェンが、糸車を回しながら、ファウストの甘い口車と激しい接吻を思い出し、物思いにふけっている情景です。

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物思いにふけるグレートヒェン

シューベルト『糸を紡ぐグレートヒェン』D.118

Schubert : Gretchen Am Spinnrade, D.118

ソプラノ:バーバラ・ボニー  Barbara Bonney

これは、シューベルト20歳の作で、ドイツ歌曲を確立させた、と言われている曲です。

シューベルトゲーテの詩を好み、『魔王』を始め、その詩に曲をつけた楽譜をゲーテのもとにせっせと送りましたが、ゲーテはそれらの曲を好まず、返事はありませんでした。

一方、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』を聴いたゲーテは、『私の「ファウスト」をオペラに出来るのはこの作曲家だけだ!』と叫んだといいます。もはやその時にはモーツァルトはこの世にいませんでしたが。

さらに後年、ゲーテシューベルトの『魔王』を優れた歌手の歌で聴き、『以前はこの曲はいいと思わなかったが、このように歌われてはじめて、その素晴らしさが分かった。』と言ったといいます。文豪にして宰相、ゲーテ閣下は何につけても遅いですね…。

さて、『騎士団長殺し』の中では、ふたつの不思議な妊娠が大きな意味を持っていますが、訳ありの子を孕んだグレートヒェンが、その旋律を引用された弦楽四重奏曲〝ロザムンデ〟に暗示されているのではないでしょうか。

深読みしすぎかもしれませんが、村上春樹氏の作品には、クラシックが重要なファクターとなっているのは間違いありません。

さらに言えば、この作品の登場人物は全て劇中の人物であって、そのうちの隠されたふたりが、『オルフェーオ』と『グレートヒェン』なのではないか…と私は仮に読み解くのですが、正解は村上春樹氏の胸のうちですので、永遠の謎です。

いずれ、他の作品もそんな視点で味わってみたいと思っています。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

 

 

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村上春樹『騎士団長殺し』と音楽。オペラ『ドン・ジョヴァンニ』とリヒャルト・シュトラウス『薔薇の騎士』

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リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)

村上春樹と音楽

私はノンフィクションが好きなので、あまり現代小説は読まないのですが、村上春樹氏が昨年久しぶりに出した長編小説『騎士団長殺し』は、一目見てモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニがテーマと分かり、読んでみました。

村上作品をちゃんと読んだのは、浪人時代の『ノルウェイの森』以来でした。

当時は大変なブームで、どうしても読まないわけにはいかないくらいの雰囲気だったのです。

しかし、あまり内容には心を動かされず、予備校の現代文の先生を始め、酷評する人も多く、それ以後、氏の本を手に取ることはありませんでした。(先生は本にカバーをしない主義のため、車内で目立って仕方がない、ともこぼしていました。笑)

しかし、彼が雑誌に連載していたクラシックの批評などは愛読していました。

よく知られているように、村上春樹氏は音楽への造詣が深く、特にクラシック音楽がよく作品に取り上げられるので、なかなかヒットの出ないクラシックのレコード会社やCD店は、村上春樹の小説が出るたびに速攻チェックし、作品に出てくるCDを店頭に並べるのだとか。

そんなわけで、私には村上春樹作品の論評などできないのですが、読んでみると、この作品はとても面白く、その独特の世界にはまってしまいました。

同時に、ノーベル賞の時期になると今年こそ村上春樹文学賞を取れるか??ということが話題になりますが、なかなか取れない理由もちょっとわかる気がしてます。

面白過ぎて、文学作品というより、娯楽小説と捉えられてしまうのではないでしょうか。

しかし、何という深い教養と趣味に満ちた娯楽でしょうか。平易な文章ながら、筋は難解で、色々な解釈が楽しめます。

騎士団長とは誰か

読んでみて、やはり主題は『ドン・ジョヴァンニ』でした。

騎士団長〟はドン・ジョヴァンニに殺された、ドンナ・アンナの父親ですが、オペラの役名の訳語としては昔から〝騎士長〟がポピュラーなので、私もそれを使いました。

しかし、何の長なのか、ちょっとあいまいです。

原語は、小説の中でも紹介されていますが、イタリア語で『Il Commendatore(コメンダトーレ)』です。英語ではコマンダーですので〝司令官〟と訳されることもあります。

村上春樹もおそらく、騎士長ではわかりにくいため、熟慮の末に騎士団長を選んだのでしょうが、一般的に騎士団と言うと、世界史に出てくる、十字軍に由来する『聖ヨハネ騎士団』や『テンプル騎士団』、『ドイツ騎士団』などの騎士修道会が思い出されます。

しかし、これらの騎士団は広大な領地を保有し、実質的に国に匹敵する規模であり、騎士団長は国家元首に等しい地位でした。

ドンナ・アンナの父はそこまで偉くありませんので、一定の地域のトップである〝騎士団管区長〟が実態に合った訳語と思います。

しかし、それでは長ったらしいので〝騎士団長〟にしたのでしょう。それは妥当な選択なので、オペラの方もそろそろ騎士団長にしてもよいのではないでしょうか。

イデアとメタファー

さて、ネタバレに気を付けながら内容に触れていきますが、あれだけクラシック、特にモーツァルトが好きな村上春樹氏が、モーツァルト作品の中でも最も謎に満ち、ドラマティックな『ドン・ジョヴァンニ』にインスピレーションを掻き立てられないはずがなく、長年温めていた構想が、ようやく形になったという気がします。

主人公の画家は、ひょんなことから、認知症になって施設に入った日本画壇の長老の家に、留守番として住み始めます。そして屋根裏から、画伯の未発表の作品を見つけるのです。その絵は日本画ですので、描かれた人々は飛鳥時代の服装を身にまとっていますが、明らかに、『ドン・ジョヴァンニ』の冒頭、〝騎士団長殺し〟の場面が描かれているのです。

そしてそこから、オペラの筋を通奏低音のようにして、不思議な物語が展開していきます。

小説は2部に分かれていて、それぞれ副題がついています。

第1部が『顕れるイデア』、第2部が『遷ろうメタファー編』です。

村上作品は、まさに〝イデア〟と〝メタファー〟が交錯していて、そこが難解であり、面白いところでもあると思うのですが、特に、クラシック音楽に基づいた〝メタファー〟(暗喩)が魅力的です。

ドン・ジョヴァンニ』のメタファーについては、私も読み解けたとはいえませんが、オペラを知らないとおそらく前提が分かりませんので、これから読む方も、すでに読んだ方も、17回にわたって『ドン・ジョヴァンニ』を取り上げた私のブログをぜひお読みください。笑

薔薇の騎士

画伯の晩年は孤高のうちにあり、そのアトリエにこもって、ほとんど世間との交際を避けていたのですが、部屋にはクラシックのレコードがたくさんありました。

それも、オペラ弦楽四重奏曲が中心という、クラシック愛好者の中でも特に通な嗜好でした。

当然、『ドン・ジョヴァンニ』もその中にありました。そして、それを題材とした、未発表の作品。そこには、戦前・戦中を生きた画伯の激動の過去が秘められていたのでした。

そして主人公は〝顕れたイデア〟によって、画伯の人生、そして『ドン・ジョヴァンニ』の一場面を自ら追体験することになります。

作品には、画伯のコレクションを聴くという形で、何曲ものクラシックが取り上げられます。

ドン・ジョヴァンニ』の次に重要な役割を果たすのが、リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)のオペラ『薔薇の騎士』です。しかも、演奏はゲオルク・ショルティ(1912-1997)指揮のウィーン・フィルが名指しされています。リヒャルト・シュトラウスが生きていた時代のウィーンも、物語に重要な意味をもつのです。激動の戦前・戦中を生きた画伯の人生を追うのも、この小説の大きなファクターになっています。また、両オペラとも、不倫の恋をテーマにしていますので、これも主人公の女性関係をめぐる何らかのメタファーなのでしょう。

リヒャルト・シュトラウス作曲 オペラ『薔薇の騎士』前奏曲

演奏:サー・ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1969年録音)

隠された第3のオペラ

この作品で取り上げられるオペラは『ドン・ジョヴァンニ』と『薔薇の騎士』なのですが、第2部を読み進めると、どうしても、あるオペラを思い起こさざるを得ない場面が出てきます。

それは、クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643)の『オルフェオ』か、クリストフ・ヴィリバルト・グルック(1714-1787)の『オルフェオとエウリディーチェ』です。

両オペラともギリシア神話の『オルフェウス物語』を題材にしていますが、モンテヴェルディのものは、史上初のちゃんとしたオペラといえるほど、オペラ草創期の作品で、グルックは、モーツァルトが『ドン・ジョヴァンニ』作曲によって任じられた帝室作曲家の前任で、モーツァルトの先輩筋にあたります。

これらのオペラは、素晴らしい曲ですので、またいつかあらためて取り上げたいと思いますが、名前は出てこないものの、別な意味でこの小説では〝二重メタファー〟になっているのではないか、と私は勝手に思ったので、村上作品の幻想的な雰囲気を感じた曲だけご紹介しておきます。

モンテヴェルディオルフェオ』第2幕より

グルックオルフェオとエウリディーチェ』第2幕より

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

 

 

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遥かなる未来へ、大歌劇の幕が下りる。オペラ『ドン・ジョヴァンニ』(17)第2幕フィナーレ(後)

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モーツァルトドン・ジョヴァンニ』第1幕第16場(終景)

カットされた、締めの六重唱

主人公ドン・ジョヴァンニは、この世のものとも思われない恐ろしい音楽で地獄に堕ちました。

ウィーン版ではそれでおしまい、ですが、プラハでは、いきなりまた楽し気な音楽が始まり、他の登場人物全員がワラワラと駆け込んできます。

その音楽的落差に驚かない人はいないでしょう。でも、モーツァルトと台本作者ダ・ポンテが参考にした(悪く言えばパクった)、ガッツァニーガと台本作者ベルターティの『ドン・ジョヴァンニ』では、地獄落ちの音楽にそこまでの緊迫感はないので、自然な感じです。

モーツァルトの音楽があまりにも迫力がありすぎて、ここでの明転の拍子抜け感は否めません。

ドン・ジョヴァンニ』を喜劇ではなく、ロマンティック、かつデーモニッシュな悲劇として解釈、上演した19世紀には、当然のようにこの締めの六重唱はカットされました。

確かに、音楽的には地獄落ちで完結しているとも言え、モーツァルト自身もウィーン再演でカットしたのですが、しかし、物語の筋上ではカットできない終景です。モーツァルトのカットも、この時代のことですから、芸術上の理由とも限らず、時間的制約や、歌手の都合などからかもしれません。

今では、この終景がカットされることはありません。

地獄落ちの恐怖さめやらぬドン・ジョヴァンニ邸に、ドンナ・アンナ、ドン・オッターヴィオ、ドンナ・エルヴィーラ、ツェルリーナ、マゼットたちが駆け込んできます。

彼らは司法官、つまり警察官を連れて来ていて、ドン・ジョヴァンニを逮捕させ、裁判にかけようと踏み込んできたのです。

プラハやウィーンでの上演では、歌い手が7人しかいなかったため、マゼットと騎士長役は同じ歌手がやっていました。マゼットは騎士長の着ぐるみをあわてて脱いで来たのでしょう。

しかし、ドン・ジョヴァンニの姿はどこにもありません。一同は、気を失っていたレポレロを叩き起こして問い詰めます。あの悪者はどこ!?

レポレロは、自分の主人は悪魔に地獄に引きずり込まれてしまいました、と答えますが、さんざん二人にだまされてきた皆は信じません。

しかし、実際に石像に出会ったドンナ・エルヴィーラの証言によって、あっけにとられながらも、みなその事実を信じ、司法官は帰っていきます。

(ドンナ・エルヴィーラ、ドンナ・アンナ、ツェルリーナ、ドン・オッターヴィオ、マゼット、司法官たちを連れて登場)

全員(レポレロを除く)

ああ、非道な男はどこ?恥ずべき男はどこ?

私の怒りのすべてをぶちまけたい。

アンナ

鎖につながれたあの男を見ないことには、私の心は晴れることはない。

レポレロ

もう無駄ですよ…

あの方にお会いになろうとしても…

もうお探しにならないでください…

遠いところにいっちまいました…

全員

何ですって?どういうこと!

レポレロ

巨人がやってまいりまして…

全員

早く話して!

レポレロ

…でも、私は何もできず…

全員

早く、早く!

レポレロ

煙と火の中で…よく聞いてくださいよ…

石の人間が…動き回らないくださいよ…

ちょうどあそこで…すごい一撃で…

悪魔があの方を引きずり込んだんです…

全員

ああ!なんということ!

レポレロ

本当なんでさ!

エルヴィーラ

ああ、私が出会ったのは、確かにその亡霊だったのね!

全員

ああ、あの方が出会ったのは、確かにその亡霊だったのだ!

人間が手を下す前に、天によって罰が与えられたことを知った一同。

アンナの復讐が成就されたことを受け、オッターヴィオは、あらためてアンナに結婚を申し込みます。

しかしアンナは、1年待ってください、と告げるのです。

オッターヴィオは、今回も、しぶしぶ受け入れざるを得ません。

ふたりの優しくも哀しいデュエットに続いて、ほかの登場人物たちが、これからの自分の身の振り方を語ります。

エルヴィーラは、私は修道院に入って生涯をそこで終えましょう、と。ドン・ジョヴァンニによって目覚されてしまった愛欲を捨て去ろうというのでしょうか、それとも再婚はせず、ドン・ジョヴァンニへの愛を貫こうというのでしょうか。

ツェルリーナとマゼットは、家に帰ってご飯にしましょう、と。ドン・ジョヴァンニによってかき回されてしまった新婚生活のスタートですが、ようやく、平凡ながらも幸せな日常が始まるのです。

レポレロは、旅籠に行って、もっとまともなご主人を探そう、と。

ドン・ジョヴァンニに振り回されてしまった皆の人生を、それぞれに、遥かな未来に向かって仕切り直そうというのです。

オッターヴィオ

ああ、いとしい人よ。今や天が、私たちの復讐をしてくれました。どうか、私に安らぎをください。これ以上、私を苦しめないでください。

アンナ

ああ、いとしい人よ。もう1年待ってください。私の心が静まるまで。

アンナ、オッターヴィオ

いとしい人の望みには、誠の愛なら従わなければなりません…

エルヴィーラ

私は修道院に入って、そこで人生を終えましょう。

ツェルリーナ、マゼット

私たちは、ねえマゼット(ツェルリーナ)、家に帰りましょう。そして一緒にご飯にしましょう。

レポレロ

あたしは旅籠にでも行って、もっとマシな主人を見つけるとしよう。

ツェルリーナ、マゼット、レポレロ

それならあの悪党は、ペルセフォネやハデス(冥界の女王と王)と暮らせばいい。

そして私たち善人は、楽しく繰り返し歌おう、とても古い歌を。

結婚1年延期の謎

これまでも触れましたが、アンナがここでオッターヴィオの求婚に対し、なぜ1年の延期を申し出たか、ということは、古来論議の的になっています。

折しも、秋篠宮眞子内親王の結婚延期が話題となっていますが…。

深読みしない説では、 単に父親の喪に服すため、ということ。確かに、父が殺されたばかりですぐ結婚というのは、オッターヴィオも非常識ですし、アンナが世間の目を気にするのも当然です。

しかし、常識的なこのやりとりをわざわざドラマにし、意味深な音楽をつけるだろうか、というのも、誰しも感じるところです。

主流となっている解釈は、やはりアンナはあの夜、オッターヴィオと勘違いしてドン・ジョヴァンニに犯されていて、心と体の傷を癒すため、というものです。

第1幕で、アンナがその夜の出来事をオッターヴィオに語るとき、危ういところで逃れた、というアンナの話に、オッターヴィオが『よかった…(respiro)』と答えるのも、オッターヴィオの昼行燈さ、単純さを示していて、〝知らぬは亭主ばかりなり〟と聴衆の笑いを誘うところ、という見方もできます。

しかし、私が考えるのは、アンナがドン・ジョヴァンニのことを、よくも悪くも忘れられないからではないか、ということです。

ややフロイト的な解釈ですが、女性にとって夫は、父に代わる存在です。自分を支配し、頼るべき男性は、これまでは父親だったのが、いずれ夫がそれに代わります。端的に言えば、夫は妻をその父から奪うことになります。それを象徴するのが〝騎士団長殺し〟に暗示されているのではないでしょうか。(男女平等の観点からは外れますが、18世紀の話ですので。)

もちろん、父の仇を愛することはできないでしょうが、深層心理の中でアンナは、自分を父から奪ったドン・ジョヴァンニに惹かれてしまっている。そして、父と争うことのないまま、自分を得ようとしているオッターヴィオの支配に入るのを、躊躇している…。

優等生的な無難な男より、野性的で危険な男に惹かれてしまう女性の心理を、アンナを通じて描いているのではないか。人間観察の達人モーツァルトの音楽に、私はそう感じるのです。

ただいずれにしても、1年経っても、アンナとオッターヴィオが結ばれることは考えにくいでしょう。あわれなボンボン、オッターヴィオ…。

永遠のドンナ・アンナ

ドンナ・アンナは、深窓の令嬢でありながら、確固たる意志を持ち、行動力をもった強い女性です。

しかしながら、一部の批評では、劇中での役割は一面的で、ドンナ・エルヴィーラやツェルリーナのように人間の弱さやずるさをさらけ出していないので、ヒロインでありながら重要な役になっていない、と言われてもいますが、ドン・ジョヴァンニと対等な相手役であり、多くの芸術家にインスピレーションを与えてきました。

モーツァルトと同時代の作家、E.T.A.ホフマン(1776-1822)は、『ドン・ジョヴァンニ』に触発されて1813年に発表した小説『ドン・ファン』で、ドンナ・アンナと主人公に会話させていますし、村上春樹も『騎士団長殺し』にドンナ・アンナを登場させています。

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1823年にドンナ・アンナを演じる伝説の歌手、ゾンターク(1806-1854)

モーツァルトが伝えたかったこと

そんな思いを乗せて、残された一同は〝とっても古い歌〟を歌い、この大歌劇の幕を下ろすのです。

一同

悪人の最後はこうなのだ!

悪人にとっての死は、いつでも生と同じものなのだ!

(全幕終了) 

あれだけの強烈なキャラクター、存在感を示した主人公が不在の中で歌われる、この終幕の歌は、さまざまな思いが交錯し、万感胸に迫ります。

遥かなる未来に思いを馳せるような音楽です。

歌が終わった後の、走り抜けるような弦の動きの素晴らしさ!

そして、締めくくりの和音!

ドン・ジョヴァンニ』のフィナーレは、地獄落ちではなく、この六重唱でなくてはなりません。

あんな悪者ですが、いなくなってしまった喪失感が観衆をも襲います。

残った登場人物たちは、自分たちは善人だと信じて疑っていませんが、果たして本当にそうでしょうか?誰しも、心の中にドン・ジョヴァンニを住まわせていないでしょうか?

しかし、そんな凡人たちにも、それぞれの人生があり、おのおの一生懸命、これからの人生を歩んでいこうと決意しています。

悪は必ず滅ぶのだ!

台本通りのこの言葉が、モーツァルトがこのオペラで真に訴えたかったこととは、音楽を聴く限りでは思えないのです。

権威とか、倫理とか、規範とか、世の中のルールと言われるものに大胆に逆らった末に、世の中によって葬られる反抗者。

反逆者よ、万歳!

私には、そんなメッセージが伝わってくるのです。

オペラ『ドン・ジョヴァンニ』のあらすじ、解説は以上でおしまいです。

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オペラ史上最恐の場面、戦慄の地獄落ち。オペラ『ドン・ジョヴァンニ』(16)第2幕フィナーレ(中)

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石像とドン・ジョヴァンニ

モーツァルトドン・ジョヴァンニ』第1幕第15場

招かれし客、騎士長の石像あらわる

墓場で、自分が殺した騎士長の石像を見つけ、うちに飯を食いに来い、と、からかったドン・ジョヴァンニ

招きに応じて、ついに石像が宴に現れます。

音楽は、序曲で予告されたニ短調の総奏。これまでのふざけた雰囲気は一変、オペラ史上最も緊張感に満ちた、壮絶な場面が始まります。

そして、のっし、のっしと、石像が歩み寄ってくる音楽には、背筋が寒くなります。レポレロのガタガタふるえるさまも、モーツァルトはリアルに表現しています。

しかしドン・ジョヴァンニは、まさか本当に来るとは…と驚きつつも、恐れることはなく、ふるえるレポレロに、もうひとり分の食事の用意を命じます。

石像はそれを止め、自分は地上の食べ物は口にしない、それよりも大事な話をするためにここに来たのだ、と重々しく告げ、ドン・ジョヴァンニと問答を始めます。

石像の目的とは、ドン・ジョヴァンニに改悛を求め、生活を変えること。

殺された相手にすぐに復讐をするのではなく、悔い改めのチャンスを与えるのです。

これに対し、ドン・ジョヴァンニは決然と No ! と答えます。

ここでのドン・ジョヴァンニは、単なるチャラい女たらしではなく、自らの生き方を信じて貫く、一徹した態度を示すのです。

何度もSi !(Yes)、つまり同意を迫る石像、はいとおっしゃい、と促すレポレロに対し、ドン・ジョヴァンニはどこまでも No ! と拒否します。

騎士長

ドン・ジョヴァンニよ、お前の晩餐の招きによって、ここに参上した。

ドン・ジョヴァンニ

まさか来るとは思わなかったが、できるだけのことはしよう。レポレロ、もう一人前の食事を用意しろ!

レポレロ

ああ、旦那様、あたしゃもうダメでして…

ドン・ジョヴァンニ

行けといっておるのだ!

騎士長

待て、天上の食事をとる者は地上の食事はとらない。

それよりも、もっと重大な思いと、別の願いによってここにやってきたのだ。

レポレロ

熱病にかかったように手足がふらふらだ…

ドン・ジョヴァンニ

聞こう、言うのだ。何を求め、何が望みなのだ?

騎士長

言おう、聞くのだ。もう時間がない。

ドン・ジョヴァンニ

言え、言え。お前の言うことを聞こう。

騎士長

お前は私を晩餐に招いた。お前の義務は知っておろう。

答えよ、今度は私のところに食事をしに来るか?

レポレロ

ひゃあ!あの方には時間がないんで…お許しを。

ドン・ジョヴァンニ

臆病者と言われたくない。

騎士長

決心しろ。

ドン・ジョヴァンニ

とっくに決心している。

騎士長

来るのか?

レポレロ

いやとおっしゃい!

ドン・ジョヴァンニ

俺の気持ちは決まっている。

何も恐れていない、ゆくぞ!

騎士長

その証拠に手を出せ!

ドン・ジョヴァンニ

そら! ああっ!

騎士長

どうした?

ドン・ジョヴァンニ

何という冷たさだ!

騎士長

悔い改めよ、生活を変えるのだ。これが最後だ!

ドン・ジョヴァンニ

いや、いや、悔いなどしない!立ち去れ!

騎士長

悔い改めよ、悪党め!

ドン・ジョヴァンニ

何を抜かす、おいぼれめ!

騎士長

悔い改めよ!

ドン・ジョヴァンニ

いやだ!

レポレロ

悔い改めてください!

ドン・ジョヴァンニ

いやだ!

騎士長

ああ、もう時間がない。

(退場)

放蕩者、地獄に落ちる

騎士長は、自分を殺した相手に、何度も悔い改めのチャンスを与えますが、ドン・ジョヴァンニは敢然として拒否します。

石像の手の冷たさに驚きながらも、最後まで恐れる様子はありません。

ついに石像はあきらめて立ち去り、地獄の業火が燃え始めます。

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地獄に落ちるドン・ジョヴァンニ

(方々から火が燃え上がり、大地が揺れる)

ドン・ジョヴァンニ

何という尋常ではない震えを…俺の魂は感じるのだ。

どこから出てきたのだ?この恐ろしい火の渦は…!

合唱(地下からこもった声で)

お前の罪に比べればまだ軽い。

来い、もっと重い罰がある!

ドン・ジョヴァンニ

誰が俺の魂を引き裂くのだ!

誰が俺の内臓を破るのだ!

何という苦しみだ!おお!

何という地獄だ!何という恐怖だ!

レポレロ

何という絶望の顔だ!何という苦しそうな姿だ!

何という悲鳴だ!何という叫びだ!

あたしゃ本当に恐ろしい!

(火は一段と燃え上がり、ドン・ジョヴァンニは奈落に落ちる)

ドン・ジョヴァンニ

ああっ!―――

レポレロ

ああっ!―――

ついに、背徳者として神の罰を受け、ドン・ジョヴァンニは地獄に落ちてしまいます。

しかし、最後まで改悛を拒否した姿は、英雄的でさえあります。

彼は、自分は悪者だとはみじんも思っていません。彼にしてみれば、たくさんの女性をモノにしたのは、自分の愛を分け隔てなく、惜しみなく与えた博愛の精神であり、殺した騎士長も、向こうから決闘を望んできたためやむなく応じたものであって、騎士道に則った行為なのです。

もともとの伝説では、ドン・ファンは、殺した相手の石像を家に持ってきて、宴の肴に一緒に飯を食べるという、愚弄する行為をしたために罰せられるのですが、モーツァルトのこのオペラでは、ドン・ジョヴァンニは騎士長に屈辱を与えるつもりはありません。 

最後の問答には、まるで、権威に反抗する革命家の姿さえ感じられます。

まさに、革命の世紀の香りがするオペラになっているのです。

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フランスのモリエール(1622-1673)の戯曲『ドン・ジュアン』の挿絵。石像の場面。

映画『アマデウス』のドン・ジョヴァンニ

この映画でも、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』は重要な要素になっています。

モーツァルトに神童の才能を見出した父レオポルトは、幼いモーツァルトを連れて、ヨーロッパ各地の王侯貴族のもとへ演奏旅行します。

そして各地で絶賛を受け、大儲けをします。その姿は、まるで猿回しのようだ、とも陰で揶揄されました。

幼い頃のベートーヴェンも、モーツァルトにあやかろうとした父によって、同じような目に遭わされそうになります。

しかし、神童も長ずればただの人。大きくなった子役のように、一人前の音楽家として就職しなければ生きていけません。

父はそのため、モーツァルトの就活に力を入れます。しかし、息子はそんな父の支配にだんだん反抗していきます。そして、父の反対を押し切って、ザルツブルク大司教の元から飛び出し、厳しいフリーの道を歩みます。

映画では、自分を支配した父、そして、父を愛しながらも反抗したモーツァルトの精神的葛藤を、ライバルのサリエリは見抜き、モーツァルトを追い詰めていきます。

確かに、残された手紙を見ると、レオポルトモーツァルトとの間では、かなりの対立が見られます。

オペラ『ドン・ジョヴァンニ』は、モーツァルトが、反抗した父レオポルトを墓から呼び起こし、世界に向かって自分を告発させた作品だ、とサリエリは分析します。

このオペラの石像は、亡くなった父レオポルトの姿そのものだ、と。

そして、弱った晩年のモーツァルトに、石像を思わせる格好でレクイエムを注文し、精神的、肉体的に追い詰め、死に追いやっていくのです。

もちろんフィクションではありますが、確かにこの問答は、教え諭す父と、それに反抗する息子の姿を思わせます。

そんな話も説得力を持つほど、この場面の音楽は異常な緊張感を持っているのです。

映画では、地獄落ちの場面がほとんどそのまま用いられています。

映画『アマデウス』の場面はこちら。


Amadeus - Don Giovanni Scene

ウィーンでの再演では、この場面でオペラは幕になったと言われていますが、プラハ初演では、最後に、残された登場人物たちによる六重唱があるのです。

それは次回に。

 

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女に乾杯!美酒に乾杯!饗宴の中、亡霊の足音が近づく…。オペラ『ドン・ジョヴァンニ』(15)第2幕フィナーレ(前)

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ドン・ジョヴァンニの舞台衣装

モーツァルトドン・ジョヴァンニ』第1幕第13場

BGMはライバルと自分の曲

このオペラも、いよいよ大詰めです。

ドン・ジョヴァンニは墓場で、自分が殺した騎士長の石像に出会い、戯れに晩餐に誘ったところ、『行く』と返事したため、自宅で盛大に食事の支度をします。

そしてまず一人で饗宴を始めるようレポレロに命じ、召使いたちは豪華な食事と酒を運び始めます。

時間としては墓地でのやりとりが夜の2時ですから、晩餐といっても夜明け前くらいになります。

饗宴の始まりは、浮きたつような音楽で、たったひとりの宴にはふさわしくありません。

ドン・ジョヴァンニは、楽士たちにBGMの演奏を命じ、ここで3曲が奏されます。

1曲目は、マルティン・イ・ソレルの『ウナ・コーサ・ララ』。

2曲目は、ジュゼッペ・サルティの『リティガンティ(とんびに油揚げ)』。

いずれも当時のヒットオペラからの人気曲です。

特にサルティの曲は、その人気でウィーンでの『フィガロの結婚』の上演をたった9回で打ち切りに追いやったライバル曲でした。

そして3曲目は、その自身の『フィガロの結婚』の大ヒット曲、フィガロのアリア『もう飛ぶまいぞ、この蝶々』でした。

この曲が始まると、レポレロが『こいつはあまりにも有名だ』と言うので、プラハの観客はさぞ大笑いしたことでしょう。

ドン・ジョヴァンニは昔のスペインの設定ですが、ここでの音楽は〝現代の曲〟なのです。

 

第24曲 第2幕フィナーレ

ドン・ジョヴァンニ

さあ、食卓の用意は出来た。

では諸君、音楽をやってくれたまえ。

自分の金を使うからには、思い切り気晴らしをしたいのだ。

(テーブルにつく)

レポレロ、早く食事を並べろ。

レポレロ

ただいますぐに。

(召使いたちが食事を次々に運ぶ。楽士が演奏を始める。)

ブラヴォー!『コーサ・ララ』だ!

ドン・ジョヴァンニ

どうだ、この素敵な音楽は?

レポレロ

あなた様にふさわしいもので。

ドン・ジョヴァンニ

ああ、なんてうまい料理だ!

レポレロ(傍白)

なんてすごい食欲だ!でかい口でひと呑みだ!

見ていると気が遠くなりそうだ。

ドン・ジョヴァンニ(傍白)

俺の食べっぷりに、奴め、気が遠くなりそうだな。

次の料理!

レポレロ

ただいま!

(楽士が曲を変える)

ブラヴォー!『リティガンティ』だ!

ドン・ジョヴァンニ

酒をつげ!

素晴らしい酒、マルツィミーノ!

レポレロ

(こっそり盗み食いをする)

このキジの肉を一枚、こっそりいただいちまおう。

ドン・ジョヴァンニ

奴め、食いおるな。知らんふりをしといてやろう。

(楽士たち、また曲を変え『もう飛ぶまいぞ』を演奏する)

レポレロ

こいつはあまりにも有名だ!

ドン・ジョヴァンニ

おい、レポレロ!

レポレロ

(肉をいっぱい頬張ったまま)

ふぇい、たんなまま…

ドン・ジョヴァンニ

ばか者、ちゃんと言え!

レポレロ

風邪で声がうまく出ないんで…

ドン・ジョヴァンニ

食事中、ずっと口笛を吹いていろ。

レポレロ

吹けまへん…

ドン・ジョヴァンニ

なぜだ?

レポレロ

お許しください! 旦那のコックの腕前がいいので、あたしも味見してみたくなったんでさ。

ドン・ジョヴァンニ

俺のコックの腕前がいいので、あいつも味見してみたくなったんだとさ。

ドン・ジョヴァンニがひとりでご馳走を平らげていますが、空腹のレポレロは何ももらえません。

たまりかねてつまみ食いするのをドン・ジョヴァンニに見とがめられる、という小ネタを挟みつつ宴が進むうち、一人の女性がまろびこんで来ます。

それは、ドンナ・エルヴィーラでした。

彼女はドン・ジョヴァンニの破滅が近いのを察し、いてもたってもいられず、改心するよう忠告に来たのです。

しかし、その真剣なエルヴィーラの行動にも全く心は動かさず、かえって茶化す始末で、エルヴィーラもついにあきらめ、罵って帰ってしまいます。

ところが、外に出て行ったエルヴィーラが、絹を裂いたような悲鳴を上げます。

なんだなんだ、と追いかけたレポレロもうわあああっと悲鳴。

レポレロは戻ってくると、テーブルの下にもぐり込み、ガタガタ震えて歯の根も合いません。

(エルヴィーラが取り乱した様子で入ってくる)

エルヴィーラ

私の愛の最後の証しを、あなたにもう一度試してみたいの。

あなたの裏切りの数々はもう水に流しました。

あなたがかわいそうだから…!

ドン・ジョヴァンニ、レポレロ

なんだ、なんだ?

エルヴィーラ(ひざまずいて)

もはやあなたの心にお情けを求めようとは思っていません。

ドン・ジョヴァンニ

これは驚いた、何を望んでいるのだ?

あなたが立っていないなら、私も立ってはおられない。

(一緒にひざまずく)

エルヴィーラ

私の苦しみをあざけらないで!

レポレロ

涙が出るよ、この人にゃ…

ドン・ジョヴァンニ

あざけってなどいないよ。ああ、何が望みなのだ、いとしい人よ?

エルヴィーラ

生き方を変えて!

ドン・ジョヴァンニ

ブラヴォー!

エルヴィーラ

不実な人!

レポレロ

不実な人だ!

ドン・ジョヴァンニ

食事をさせてくれないか。よかったら君も一緒に食べないか。

エルヴィーラ

もう勝手にするがいいわ、ひどい人!

このまま悪の見本のような汚れた世界にいるがいいわ!

レポレロ

彼女の気持ちに心を動かされないようなら、旦那の心は石なのか、それとも心がないのか。

ドン・ジョヴァンニ

女に乾杯! 美酒に乾杯!

人間の命の糧にして栄光だ!

(エルヴィーラ退場)

キャーーーー!!

(エルヴィーラ、再び登場し、逃げまどいながら反対側へ逃げ去る。楽士たちも退場)

ドン・ジョヴァンニ、レポレロ

いったい何の悲鳴だ?

ドン・ジョヴァンニ

様子を見に行ってこい。

(レポレロ退場)

レポレロ

うわあああーーー!!

ドン・ジョヴァンニ

なんてひどい悲鳴だ!レポレロ、どうした?

レポレロ(おびえて登場、震えながら)

ああ、ご主人様..お助けを!…

ここから外に出ないでください!

石の…人間…真っ白い…人間が…

ああ旦那様…あたしゃゾッとして…気が遠くなる…

あの格好を見たら…あの音を聞いたら…

タ・タ・タ・タ!

ドン・ジョヴァンニ

なんのことか、さっぱり分からん。お前は気でも狂ったのだろう!

レポレロ

タ・タ・タ・タ!

ドン・ジョヴァンニ

本当に気が狂ったな。

(扉を叩く音がする)

誰かが戸を叩いている!開けてやれ!

レポレロ

滅相もない!

ドン・ジョヴァンニ

開けろと言っているのだ!

レポレロ

ああ!

ドン・ジョヴァンニ

たわけ! 面倒だというなら、俺が行って開けてやる。

(灯りを取り、剣を抜いて、自ら扉を開けに行く)

レポレロ(傍白)

二度とあんなものを見たくない!

この際こっそり隠れちまおう。

(テーブルの下に隠れる

レポレロは石像が現れた、と言うのを伝えようとしているのですが、ドン・ジョヴァンニにはいっこうに伝わりません。

そうこうするうち、運命の時が訪れます。

次回、オペラ史上最恐と言われる場面に。

 

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殺した相手を晩餐に招待…。ホラーとコミカルの同時進行。オペラ『ドン・ジョヴァンニ』(14)『墓地の場』

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『墓地の場』初期の舞台装置

モーツァルトドン・ジョヴァンニ』第1幕第11場

うなずき、しゃべる恐怖の石像

さて、みんなの大迷惑をよそに、ドン・ジョヴァンニは今夜もまた女遊びを続けていたようです。

時は深夜2時、場は墓場。たくさんの墓標や記念像が立っています。

ドン・ジョヴァンニは塀を乗り越えて墓地に入ってきて、あくまでも陽気です。

いい月夜だ!さっきのもいい女だったな!と。

そういえば、レポレロの奴はエルヴィーラとどうなったかな、あいつは経験不足だからな、などと独り言を言っていると、レポレロが歩いて来てそれを聞きつけ、『結局俺はどうなってもいいってことか』と傍白で悪態をつきます。

ドン・ジョヴァンニも彼に気づき、声をかけます。

レポレロ『どちらさんで?』

ドン・ジョヴァンニ『お前の主人が分からんのか!?』

レポレロ『分かりたくないんでさ』

ドン・ジョヴァンニ『何だと!?』

レポレロ『こりゃ失礼。旦那でしたか。』

ドン・ジョヴァンニ『で、どうだった?』

レポレロ『どうもこうも、殺されるとこでしたよ!』

ドン・ジョヴァンニ『そりゃ結構!こっちもいろいろあってな。』

といって、これまでの出来事を語り始めます。

それは何と、広場でレポレロの恋人と会い、向こうがレポレロと勘違いしてキスしてくるので、こちらも勘違いを利用させてもらった、というものでした。

さすがのレポレロも怒り心頭『それがあたしの女房だったらどうするんでさ!?』と詰め寄ると、ドン・ジョヴァンニは『なおさら結構だ!!』と高笑いします。

すると、墓場のどこかから、重々しい声が響きます。

その笑いも夜明け前には消えるだろう

ふたりは誰がしゃべったのだ?といぶかりますが、レポレロはもう震え出しています。

きっと旦那をよくご存じの亡霊ですよ、と。

ドン・ジョヴァンニは誰かが外からからかっているんだろう、誰だ、と、墓を剣で叩いて回ります。

するとまた声が。

厚かましい悪人め。死者の平安を乱すな

 声のする方を見ると、そこには、ドン・ジョヴァンニが殺した、ドンナ・アンナの父騎士長の石像がありました。

ドン・ジョヴァンニは、レポレロに、碑に書いてある文言を読ませます。

レポレロはもう恐ろしくて、月明かりで字を読むなんて教わってません、と拒みますが、ドン・ジョヴァンニに脅されて、恐る恐る読みます。

『われに死を与えし背徳者への復讐を、ここにて待つ』

レポレロは、それ、言わんこっちゃない、と腰を抜かします。

ドン・ジョヴァンニは、ふふん、不敵なジジイだ、と鼻で笑い、レポレロに『それならそいつに、今晩うちで晩餐を共にしようと言え』と命じます。

レポレロは『とんでもない、この石像をご覧なさい、生きてるみたいに、怖い目でにらんでいますよ…』と逃げようとしますが、ドン・ジョヴァンニは剣を抜いて『言わないとお前も殺してここに埋めてしまうぞ!』と脅します。

レポレロはやむなく、石像に向かって、晩餐への招待の口上を述べます。

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騎士長の石像とドン・ジョヴァンニ
第22番 ドン・ジョヴァンニとレポレロの二重唱『騎士長様の石像様』

レポレロ

ああ、お優しい大騎士長様のお石像様…

ドン・ジョヴァンニに)

旦那様、心臓が震えて、もうこれ以上言えません…

ドン・ジョヴァンニ

最後までちゃんと言え、さもないとこの剣をお前の胸にぶっ立てるぞ。

レポレロ(傍白)

なんてこった、なんでこんな目に…

ドン・ジョヴァンニ(傍白)

こいつは楽しいぞ。

レポレロ(傍白)

体が冷たくなってきた!

ドン・ジョヴァンニ(傍白)

こいつをもっと震えあがらせてやろう。

レポレロ

ああ、お優しい石像様、あなたは大理石で出来ておいでですが…

ドン・ジョヴァンニに)

ああ旦那様…見てください…じっとあたしを…見つめてますよ…

ドン・ジョヴァンニ

死んでしまえ!

レポレロ

いえいえ、どうかお待ちを…

(石像に)

旦那様、手前の主人が…いいですね、あたしじゃありませんよ…

主人の方が、あなた様と食事をご一緒したいと…

(石像がうなずく)

うわあああ!なんて光景だ!大変だ…うなずいた!

ドン・ジョヴァンニ

つづけろ、バカ者!

レポレロ

よく見てくださいよ、旦那…

ドン・ジョヴァンニ

何を見ろというんだ?

レポレロ

大理石の首が、動くんです…こんな風に…こんな風に…

(うなずく真似をする。石像ももう一度うなずく)

ドン・ジョヴァンニ、レポレロ

大理石の首が動いた…こんな風に…こんな風に…

ドン・ジョヴァンニ(石像に)

口がきけるのなら、返事をしてくれ。

晩餐においでくださるのか?

騎士長

行く

レポレロ

もう動けませんや…体中の力が抜けました!

お願いです、帰りましょう、ここからずらかりましょう!

ドン・ジョヴァンニ

おかしなことがあるものだ。このジジイが晩餐に来るという。

帰って支度をしなければ。ここを出て行くとしよう。

(ふたり退場)

有名な〝墓地の場〟です。ドン・ジョヴァンニは自分が殺した騎士長の、墓の石像までからかって、〝我が家に飯を食いにこないか〟と不敵な招待をします。

ドン・ジョヴァンニは、ただの女たらしではなく、無神論者でもあり、あらゆる道徳や倫理も笑い飛ばす実利主義者でもあるのです。見方によっては、迷信、怪力乱神にとらわれない合理的な近代人、という側面もあるかもしれません。

この二重唱は、レポレロが脅されてビクビク、オタオタする滑稽さと、墓場の石像がしゃべるというホラーなシーンが合わさり、面白さと怖さが一緒くたになった、世にも稀有な音楽と言えます。

石像がうなずく描写は管楽器の滑稽な感じである一方、石像の『Si !(Yes !)』というセリフには重々しいトロンボーンの伴奏がつき、背筋が寒くなります。

ドン・ジョヴァンニはまさかと思いながらも、石像がうなずいたり返事をしたりするのを自分の目と耳で確かめていますから、晩餐の支度に帰宅を急ぎます。

モーツァルトドン・ジョヴァンニ』第1幕第12場

場所は変わって、ドンナ・アンナ邸の暗い一室。

ドン・オッターヴィオが、婚約者ドンナ・アンナに話しかけています。

アンナを慰めつつ、あなたの父上の代わりを私に務めさせてください、明日、結婚しましょう、と。

アンナは『何をおっしゃるの? こんな悲しい時に…』と拒絶します。

すると、これまでひたすらアンナを気遣っていたオッターヴィオが、ついにブチ切れます。

『なんですって? あなたは新しい悲しみで今度は私の苦痛を増そうというのですか? ひどい人だ!

鉄板のように見えたカップルに、初めて入った亀裂でした。

アンナは驚き、オッターヴィオに弁解のアリアを歌います。

さすがに、これまでずっと自分の復讐のことばかりで、オッターヴィオの顔さえまともに見ていないことに気付いたのかもしれません。

第23番 ドンナ・アンナのレチタティーヴォとアリア『ひどい人ですって~言わないでください』

レチタティーヴォ・アコンパニャート

アンナ

ひどい人ですって? いいえ、愛しい人!

私も嫌なのです。私たちが長い間待ち望んでいた幸せを、あなたから遠ざけるのは…。

でも世間は何て言うでしょう? 神様!

動きやすい私の心が、ようやく決めたことを惑わさないでください。

あなたの気持ちはよく分かっています。

アリア(ロンド)

アンナ

言わないでください、あなた、私がひどいなんて。

私がどれほどあなたを愛しているかご存知でしょう。

私の操も知っているでしょう。

しずめてください、我慢してください、あなたの苦しみをしずめてください。

私に悲しみで死んでほしくないのなら!

きっといつか、天は私たちを再び憐んでくださることでしょう!

(退場)

これまで復讐の鬼の姿しか見せていなかったアンナが、終幕近くになって初めてみせる女らしい愛の歌です。

婚約者オッターヴィオに、初めて思いやりのある心を示し、父を喪った悲しみと、婚約者への愛のふたつの感情が交錯する、印象的で、神秘的でさえあるアリアです。

夜明け近いしじまに静かに響くような、抒情に満ちた、心に染み入る旋律です。

しかし、婚約者への答えがNoであることは変わりません。

父の喪も明けないうちに結婚を迫るオッターヴィオが非常識なのか、父の自分のことばかりで、オッターヴィオのことをまるで考えていないアンナがひどいのか、それも観衆に解釈を任されています。

ただ、いつになるか分からない天の憐れみを待ちましょう、と、希望的観測でアリアを締めくくるアンナに、婚約者への誠意がどうしても感じ取れないのは私だけでしょうか。 

そもそも、オッターヴィオは父が決めた婚約者であり、真の恋人ではないのではないか、との疑念が、第1幕からずっと通奏低音のように響いている気がしてならないのです。

残されたオッターヴィオはひとり『あの人の言う通りにしよう、あの人の悲しみを分かち合おう』と、元の物わかりのよい優等生に戻って立ち去ります。

しかし、ふたりの間には静かに亀裂が入り、同時に、ドン・ジョヴァンニを迎えるべく地獄の裂け目もまた、開き始めるのです。

 

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