孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

どこまでも優雅な、音楽で描いたフランス絵画。クープラン『クラヴサン曲集第2巻・第6オルドル』〝神秘的な障壁〟~ベルばら音楽(8)

f:id:suganne:20181209170931j:plain

フランソワ・クープラン(1668-1733)

貴族のサロンに響いたクープランの音楽

フランソワ・クープラン(1668-1733)は王家の子女たちの音楽教育にも携わりましたが、その中心となった楽器はクラヴサンでした。

フランス語の〝クラヴサン〟は、イタリア語でいうチェンバロ、英語でいうハープシコードのことです。

今も親しまれているクープランの音楽は、たくさんのクラヴサン曲です。

その優雅さ、繊細さは比類がありません。

クープランは生涯で4つの『クラヴサン曲集』を出版しており、各曲集には「オルドル Ordre」と名付けられた、いくつかの組曲がおさめられています。

各曲集の年代と、所収のオルドル(通番になっています)は下記の通りです。

クラヴサン曲集第1巻』1713年 第1~5オルドル

クラヴサン曲集第2巻』1716~1717年 第6~12オルドル

クラヴサン曲集第3巻』1722年 第13~19オルドル

クラヴサン曲集第4巻』1730年 第20~27オルドル

謎めいた標題の数々

各オルドルに含まれる曲数は様々で、舞曲の組み合わせである従来の組曲の枠を破り、自由な構成になっています。

ひとつひとつの曲には、マレに見られたような標題が多くつけられており、それは時に具象的であり、時には抽象的で謎めいています。

そこには自然の美しさ、心の動き、情緒と感情、また社会のざわめき、人間模様などが生き生きと描写されており、まさに音楽で描いた絵画といえます。

クープランクラヴサン曲を聴くのは、まるでロココの画集のページをめくっていくかのような愉しみです。

とはいえ、標題は謎めいたものが多く、聴きながら、何を表しているのだろう?と気になって仕方がないのも事実です。

標題について、クープラン自身はこう記しています。

これらの曲を作るにあたって、私はいつもひとつの対象をもっていた。いろいろな機会が私にその対象を与えてくれた。こうして曲の標題はその時私の抱いた想念に対応するものなのである。それらについて説明をする労は省かせていただきたい。しかしこれらの標題のなかには、私の気に入ったものもあるが、それらの標題をもった曲は、一種の肖像画のようなものであり、私の演奏によって時にはかなり似ていると感じられることもあるだろう。しかしこれらの適切な標題の多くは、それらの標題に基づいて模写を行ったというものではなくて、私が表現しようとした愛すべき実物そのものからとられたものだということをいっておくべきだろう。

クープラン自身の想念に対応し、模写ではなく、実物そのものからとった肖像画…。

ますます気になってしまいますが、この文学的な標題は、まさに文学同様、聴く人に様々なイマジネーションをかき立てさせることが狙い、ということなのでしょう。

各曲の総数は250曲近くなるので、全集以外のアルバムや演奏会では、オルドルは分解して、有名な曲が抜粋されるのが普通です。

各オルドルの中の曲も、一見あまり統一性が感じられないのですが、順番にきちっと並べられている以上、何か意味はありそうです。

全曲は取り上げられませんが、まずはオルドルのくくりで聴いてみたいと思います。

今回は、人気曲『神秘的な障壁』が含まれている第6オルドルです。

クープランクラヴサン曲集第2巻・第6オルドル』

F. Couperin : Second livre de pièces de clavecin, 6e ordre

クラヴサン:オリヴィエ・ボーモン Olivier Baumont

第1曲 刈り入れをする人々 Les moissoneurs

〝陽気に〟という指示があります。この第6オルドルには農村に関係した曲が収められている雰囲気があります。秋、楽し気に収穫する農民たちの様子が描写されているのは間違いないでしょう。豊作に村いっぱいに笑顔があふれているようです。

第2曲 優しい憂鬱 Les langueurs-tendres

このような題が解釈が難しいです。〝焦がれ〟と訳しているCDもあり、〝優しい〟ということですから、恋に関係しているのでしょうか?

langueursには〝だるさ〟という意味もありますから、収穫が終わった後の心地良い疲れを意味しているのでしょうか?

いずれにしても、しみじみと心に沁みる優しさは伝わってきます。

第3曲 さえずり Le gazoüillement

〝優美で流れるように〟という指示があり、これは小鳥のさえずりを描写していると思われます。同じような音型の繰り返しはこのような表現の常套手段です。

美しいフランスの田舎の風景が目に浮かびます。

第4曲 ベルサン La Bersan

〝軽やかに〟という指示があります。標題は謎ですが、女性の人名と思われ、特定の人を写したポートレイトなのでしょう。農村のイメージがあるオルドルですから、陽気な村の女性なのでしょうか。

第5曲 神秘的な障壁 Les baricades mistérieuses

クープランの数ある曲の中でも1、2の人気曲です。〝生き生きと〟という指示ですが、標題は全く謎に包まれています。狭い音域の中で繰り返される素朴な音型が、光と影の中を、その名の通り神秘的に揺らいでいきます。

英語で言えば〝ミステリアス・バリケード〟ということになり、〝神秘のバリケード〟と訳された例もありますが、バリケードというと、紛争や学生運動などを連想してしまい、曲想にまるで合わなくなります。

神秘的な障壁とはいったい何でしょう?

男と女の間に横たわる、越えたくても越えられない壁…?

それとも、災いから自分を守ってくれる神様の見えない保護…?

答えは永遠に出ませんが、青春の日に初めて聴いて以来、人生のつらいときには必ず慰めてくれ、力をくれるかけがえのない曲です。

第6曲 田園詩、ロンドー Les bergeries, rondeau

〝ナイーヴに〟という指示があります。田園、ということから、これも農村を表しています。前曲から続いた、心優しい、慰めと癒しをくれるロンドーです。この演奏では弦にフェルトを当てて柔らかく余韻の短い音色にするバフ・ストップを使っているのが素敵です。

心に響くナイーヴな演奏です。

第7曲 おしゃべり La commére

指示は〝生き生きと〟です。〝おしゃべり〟ということですが、明るい太陽のもとで村娘たちが、それとも、夜食卓を囲んで家族が楽しんでいるのでしょうか。

ペチャクチャ、という声が聞こえてくる、楽しい曲です。

第8曲 羽虫 Le moucheron

虫!?とびっくりしますが、まさに〝軽やかに〟という指示です。これも農村の情景を思わせます。畑のあぜ道を軽やかに舞っている羽虫たちでしょうか。

けっして五月蠅い奴らという感じではありません。その動きを面白そうに眺めているクープランの姿が目に浮かびます。

現代のピアノで聴くクープラン

クープランの曲は、か細いクラヴサンの音色にこそぴったりですが、現代ピアノで弾いても、また違った魅力が味わえます。

アレクサンドル・タローの演奏による、まさにミステリアスな雰囲気の素晴らしい『神秘的な障壁』です。

 

次回も、別のオルドルの世界に行ってみたいと思います。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


にほんブログ村


クラシックランキング

音楽でめぐる、ヨーロッパ4ヵ国周遊の旅。クープラン『諸国の人々』~ベルばら音楽(7)

f:id:suganne:20181202190148j:plain

フランソワ・クープラン(1668-1733)

フランスのバッハ、クープラン一族

太陽王ルイ14世に仕えた音楽家たち〝ヴェルサイユ楽派〟の音楽を聴いてきましたが、中でも際立つ巨匠がフランソワ・クープラン(1668-1733)です。

クープラン一族は、ドイツのバッハ一族と同様に、音楽を生業とする一族でした。

フランソワの父シャルルサン・ジェルヴェ教会オルガニストでしたが、彼が10歳のときに亡くなってしまいました。

f:id:suganne:20181202190236j:plain

サン・ジェルヴェ教会

しかし、父の後を継ぐことは約束されており、16歳のときに父の役に就きます。

職人技を世襲していくことは当時は珍しいことではなかったのです。

彼が成長するまでの間は、ドラランドが代役を務めています。

父シャルルの兄、フランソワの伯父にあたるルイ・クープラン(1626-1661)も高名な音楽家であり、現代でもその作品は演奏されています。

しかし、最も偉大なのはフランソワであり〝クープラン〟と呼ばれているのです。

クープランは教会の仕事のかたわら、ブルゴーニュ公、トゥールーズ伯、オルレアン公夫人、ブルボン公やコンデ公の子女たちらの音楽教師を務め、作曲の出版も行い、上流階級の称賛と名声を手にしました。

そして、1693年にはルイ14世によって、国王のオルガニストに任命されました。

生まれ持った家のブランドと、天性の才能のふたつをもっていたのです。

クープランの音楽は、マラン・マレのような陰影はあまりなく、知的で安定した音楽ですが、時にはフランス人らしい辛辣な風刺もピリリと利いた素晴らしいものです。

異国が大好き、フランス人

クープランの作品で最も重要で、今も親しまれているのはクラヴサンチェンバロ)作品ですが、まずは管絃楽曲から聴きましょう。

『諸国の人々』と題された、4つの組曲から成る通奏低音を伴った弦楽合奏曲(トリオ・ソナタです。

それぞれの組曲には『フランスの人』『スペインの人』『神聖ローマ帝国の人』『ピエモンテの人』という題が付されています。

マラン・マレの『異国趣味の組曲』と似た趣向ですが、フランス人はつくづくエキゾチックな異国趣味が好きなようです。

後年の中国趣味の〝シノワズリ〟や、日本の浮世絵に印象派の画家たちが大きな影響を受けた〝ジャポニスム〟のはしりは既にこの時期からあったのです。

〝フランス文化が一番〟という原則だけは揺るぎませんが。

神聖ローマ帝国の人』はドイツ人を、『ピエモンテの人』はイタリア人を指すと考えてよいでしょう。

しかし、期待するほど〝お国柄〟を音楽から感じとることはできません。

それもそのはず、そもそも最初の作曲時には『フランスの人』は『少女』、『スペインの人』は『幻影』、『ピエモンテの人』は『アストレ(星の女神)』という名がつけられていました。

新しいのは『神聖ローマ帝国の人』だけで、それを4曲まとめて出版することになったときに、諸国の人、という趣向で売り出そう、ということになったようです。

きわめて商業的なネーミングなのですが、そのせいで、今でも聴いてみたい、という気にさせるのですから、その狙いは見事に当たっています。

クープランの思惑に乗り、フランス、スペイン、ドイツ、イタリアを旅する気分で聴いてみましょう。

組曲は全て1曲目に「ソナード」(イタリア語でいうところのソナタ)が置かれ、その後に例によってアルマンドクーラントといった舞曲が続きます。

ここでは、それぞれ1曲目のソナードだけ掲げます。

クープラン:『諸国の人々』

François Couperin : Les Nations - Sonades et suites de simphonies en trio

ホルディ・サヴァル指揮 エスペリオンXX

Jordi Savall&Hesperion XX

第1組曲『フランスの人』~ソナード

切なくも繊細な序奏で始まります。メロドラマのようで、まさに原題の『少女』のようにいたいけな感じです。

続いて、当時フランスで流行していたコレッリなどのイタリア音楽風の速い部分と、荘重なフランス風のゆっくりした部分が代わりばんこに出てきます。

そして、曲が進むごとに鄙びた管楽器が呼び交わし、充実した音楽を繰り広げるのです。

第2組曲『スペインの人』~ソナード

荘重な開始は、原題の『幻影』を感じますが、ハプスブルク家のスペインは、フェリペ2世の時代に世界中に植民地を保有し〝太陽の沈まない帝国〟を現出した時代から100年が経過し、凋落の一途をたどっていました。当時の国王も病弱で、子供の望めないカルロス2世の後継ぎを、自身の孫、アンジュー公フィリップにしようとして、ルイ14世スペイン継承戦争を起こすのは1701年のことです。

戦争終結は1714年で、この曲は、戦争の起こる8年前に『幻影』として作曲され、戦後の1726年に『スペインの人』と名付けられて出版されました。

戦争は痛み分けのような形で講和に持ち込まれ、ルイ14世は、フランスとスペインがずっと合邦しないことを約束させられた上で、孫をスペイン王とすることができました。

以後、スペイン王家はハプスブルク家からブルボン家に変わり、現在に至っています。

クープランは戦後に、王をすげかえられるまでに落ちぶれた斜陽の大国スペインに、かつての栄光の「幻影」を見たのかもしれません。

この曲では、明るい部分は少なく、厳しさと寂しさが支配しています。

第3組曲神聖ローマ帝国の人』~ソナード

曲集で唯一の〝書き下ろし〟で、最も新しい曲です。

序奏は、いっそう味わい深いものになっており、続く速い部分は対位法処理がされていて、まさにバッハ風。このあたりは、まさに標題通り、ドイツ音楽を意識しているのは間違いないと思われます。

その後も、リズムは自由に変幻自在、身を任せるほどに、心に沁み入ってきます。

そして最後はフーガ風となり、まさにドイツの巨匠バッハを思わせる仕上がりです。

第4組曲ピエモンテの人』~ソナード

ピエモンテ」はトリノを中心としたイタリア北西部のことですが、当時は「イタリア」という国はありませんので、「Les Nations」というタイトル上、イタリアのどこかに絞らざるを得ないでしょう。

フランスに一番近いイタリア、ということで取り上げられたのかもしれません。

原題はギリシャ神話の星の女神ですから、この曲からイタリア風を見出そうとしても意味はありません。

しかし、4曲のソナードだけを比べても、最も明るく、輝かしいので、再編出版時に選ばれたのも分かります。

中ほどの管楽器の歌は、まさにカンタービレで、確かにイタリアのイメージにピッタリです。

 

ヨーロッパというのは、狭い地域にあれだけの小さい国がひしめいていて、しかも独特の文化を持っているのが魅力です。

現代の旅でも、国々を巡りながら、それらの違いを楽しみ、味わうのがヨーロッパ旅行の愉しみですから、それを音楽に置き換えて人々を楽しませようとしたクープランの趣向は見事です。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


にほんブログ村


クラシックランキング

戦慄の珍曲!音楽で描かれた麻酔なしの手術。マラン・マレ『膀胱結石手術図』~ベルばら音楽(6)

f:id:suganne:20181202134727j:plain

当時の手術(盲腸)

フランスのエスプリ

〝いちばん人間の声に近い楽器〟といわれたヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバの深い音色を活かした名曲を数々作曲したマラン・マレ(1656-1728)ですが、落ち着いた深遠な曲ばかりというわけではなく、むしろかなり〝やんちゃ〟な曲も作っています。

前回の『迷宮(ラビリンス)』などもその一例です。

またフランス人作曲家は、曲に標題をつけることを好む傾向があります。

イタリア人やドイツ人は、抽象的な音楽を好み、曲名としては〝アレグロ〟〝アダージョ〟などの速度表記や、〝アルマンド〟〝メヌエット〟などの舞曲名、あるいは〝フーガ〟〝カノン〟などの形式名でそっけなく呼んでいますが、フランス人は具体的な、あるいは意味深な名前をつけた例が多くあります。

それは、イタリアからもたらされたオペラも、ダンス、バレエを多く取り入れてフランス風に改造したように、視覚的なものを重視するフランス人の民族性ということでしょうか。

確かに、フランス人の色彩感覚が優れていることは、印象派など、美術の世界でも際立っており、それが音楽にも反映しているように感じます。

あるいは、謎かけのような題をつけて、聴く人にいろいろ考えさせようという〝知的な遊び〟もフランスならではで、それが『エスプリ esprit』と呼ばれるものなのかもしれません。

恐ろしい、麻酔なし手術

f:id:suganne:20181202134910j:plain

華岡青洲の手術図

マラン・マレが1725年に出した最後の曲集、『ヴィオール曲集 第5巻』の中に『膀胱結石手術図』と題された曲が所収されています。

これは、マレが実際に受けた、膀胱結石を取り出す手術を、なんと音楽で描いたものなのです!

膀胱結石を含む尿路結石は、現代でも七転八倒、のたうち回るような痛みとして多くの人を苦しめていますが、薬で石の排出をうながしたり、なんらかの方法で破砕するなどの治療が施されます。

しかし、18世紀にはそんな方法はなく、治そうと思えば、腹を切開して直接鉗子で石を取り出すしか方法はありませんでした。

エーテルによる全身麻酔手術が成功したのは1842年、あるいは1846年といわれていますから、19世紀も半ばのことです。

その40年前、日本の医師、華岡青洲曼荼羅華やトリカブトなどの薬草、毒草を調合して麻酔薬を使用し、実母や妻を実験台にして麻酔薬「通仙散」を完成させたことも知られています。

実母は死亡、妻は乳がんの摘出に成功したものの失明、という大きな犠牲を払いましたが。

マレが受けた手術は、18世紀前半ですから、もちろん麻酔などありません。

切腹〟と同じ痛みに耐えねばなりませんでした。

しかも、消毒の知識も薄く、術後に命を落とすことも多くて、まさに命がけ。

マレは運よく〝生還〟を果たしたため、その恐怖と、乗り越えた喜びを音楽で表現したのです。

ただ、音楽だけでは内容が伝わらないので、演奏に合わせてナレーションがついているのです。

では、聴いてみましょう。

マラン・マレ『膀胱結石手術図』

M.Marais:Le Tableau de I’Operation de la Taille, Pieces de viole du Ⅴ livre, 1725

演奏:ホルディ・サヴァル(ヴィオール)、クリストフ・コワン(ヴィオール)、トン・コープマンチェンバロ)、ホプキンソン・スミス(テオルボ)

Jordi Savall

手術の場面

(ナレーション)

手術の様子
それを見て震える
手術台に登ろうと決心する
手術台の上まで行き
降りてくる
真剣に反省
腕と足の間に
絹糸が巻きつけられる
いよいよ切開
鉗子を挿入する
石が取り出される
声も出ない
血が流れる
絹糸がはずされる
寝台に移される

読むだけで恐ろしい内容です。自分より先に手術を受けた人の様子を見て、身の毛がよだっています。医師や助手は、患者の絶叫が聞えないよう耳栓をしていたそうです。

ついに自分の番が来てしまいますが、手術台に登っては下りの繰り返し。

そんなことではダメだ、と覚悟を決めます。

絹糸で暴れないよう手術台に縛り付けられ、ついにナイフで腹が切開され、鉗子で結石が取り出されます。

痛みで声も出ません。

この当時の医師は、患者の苦痛を軽減するため、いかに素早く処置するかが腕前とされていました。

マレは身分の高い宮廷楽長ですから、当時としては名医の執刀を受けることができたのでしょう。

それにしても、現代に生まれた幸せを噛みしめたくなる音楽です。

快癒 (陽気に)

術後の経過がよく、快癒に至った喜びを表した音楽です。足を傷つけただけのリュリでさえ、傷口が壊疽を起こして亡くなったのですから、奇跡といってもよいでしょう。

続き

前曲に引き続き、すっかり健康を取り戻し、跳ねて踊るかのような幸せな音楽です。

聴いている方もホッとします。祝・快癒!

 

ストイックな鐘の音

最後にもう1曲、マラン・マレ標題音楽をご紹介します。

聖ジュヌヴィエーヴ・デュ・モン教会の鐘』という曲です。

鐘の音が鳴り続ける様子を音楽で表現したもので、映画『めぐり逢う朝』の冒頭で弟子が演奏する様が印象的に使われます。この凡庸な演奏に老マレが苛立って、その苛立ちは若い頃の自分に向けられ、物語が幕を開けるのです。

そのサウンドトラック所収の演奏です。

マレ:聖ジュヌヴィエーヴ・デュ・モン教会の鐘

M.Marais:Sonerie de Sainte Genevieve du Mont de Paris

ホルディ・サヴァル(ヴィオール)、ファビオ・ビオンディ(ヴァイオリン)、ロルフ・リスレヴァン(テオルボ)、ピエール・アンタイ(チェンバロ)

ヴァイオリンとヴィオール、そして通奏低音による曲ですが、レーファーミの3音の繰り返しを、鐘の音のごとく、400回も繰り返して展開していきます。

その上にヴァイオリンとヴィオールが様々な曲芸を繰り広げるわけですが、まるで覚めない悪夢の中にいるようなストイックさです。

 

マラン・マレの音楽は、まさに、奇抜でゆがんだバロック芸術を象徴するかのようです。

それは、太陽王の君臨したヴェルサイユ宮廷の表面的な豪華さ、優雅さの裏に隠された、ドロドロした部分を偲ばせてくれる気がするのです。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


にほんブログ村


クラシックランキング

ヴィオールの奏でる奥深い世界と、師弟の愛と確執。マラン・マレ『異国趣味の組曲』~ベルばら音楽(5)

f:id:suganne:20181126190428j:plain

マラン・マレ(1656-1728)

グラン・シエクル(偉大なる世紀)

ルイ14世時代の重要な作曲家をさらに取り上げます。前回の派手な曲とは対極にある音楽ですが。

それは、マラン・マレ(1656-1728)。

当時は、音楽界に君臨したリュリがライバルの作曲家を干しまくった、ということですが、前回のシャルパンティエやラランド、またこの後取り上げることになる大クープランなど、なかなかどうして、キラ星のごとく名作曲家が輩出して『ヴェルサイユ楽派』を成しています。

啓蒙思想ヴォルテールによって、太陽王ルイ14世の時代、17世紀のフランスは、政治・経済的にも、文化・芸術的にも絶頂期であったとして〝グラン・シエクル Grand Siècle (偉大なる世紀)〟と呼ばれましたが、マレもその一翼を担った作曲家といえます。

ヴィオールの大家、マラン・マレ

マレは、パリの貧民窟の靴職人の息子として生まれましたが、幼い頃から音楽の才能を発揮し、教会の聖歌隊に入ります。

変声を迎えたあとは、ヴィオールの名手として鍛錬を積み、1679年にはルイ14世宮廷ヴィオール奏者に任命されました。

ヴィオール〟は、イタリアやドイツで『ヴィオラ・ダ・ガンバ』と言われる楽器です。

以前取り上げたように、バッハもこの楽器で名作を残しています。

www.classic-suganne.com

音が小さく、いわば室内専用の楽器だったため、大劇場でのコンサートが盛んになると、ブロックフレーテ(リコーダー)やチェンバロなどとともに廃れてしまいますが、その音色は高雅にして繊細。

古楽器復活の目玉とされた楽器です。

ちょっと聴くと地味な音色ですが、じっくり聴くほどに味わい深く、やみつきになってしまう魔力を持っています。

マレは、ヴィオールのために生涯5つの曲集を出版しています。

第1巻 独奏・二重奏のためのヴィオール曲集(1686年)

第2巻 ヴィオール曲集(1701年)

第3巻 ヴィオール曲集(1711年)

第4巻 独奏・三重奏のためのヴィオール曲集(1717年

第5巻 ヴィオール曲集(1725年)

マレはオペラもいくつか作曲し、好評を得ていますが、なんといってもヴィオールの大家として不朽の名を残しています。

めぐり逢う朝

マレは1990年のフランス映画めぐり逢う朝で主人公として取り上げられ、より知られるようになりました。

映画では、ヴィオールの師、サント=コロンブとの絆と確執が軸になっています。

宮廷音楽家として功成り名遂げた晩年のマレが、『亡き師に比べたら自分など偽善者で俗物だ』と回想する物語です。

師のサント=コロンブは実在の音楽家で、曲も残っていますが、その生涯は謎めいており、宮仕えを嫌って表舞台に出ず、世間を避けて隠者のように暮らし、ひたすらヴィオールの道を極め続けたようです。生没年も分かっていません。

マレの音楽も十分深くて渋いのですが、サント=コロンブの曲のあとに聴くと、確かに親しみやすく聞こえる気がします。

異国趣味の組曲

マレの曲では、ヴィオール曲集第4巻に入っている『異国趣味の組曲』を取り上げます。

表題のように、フランス趣味との対比といったコンセプトなのですが、それほど外国風ではなく、むしろ新しい取り組みを様々試した冒険的な曲集で、マレも〝上級者向けの難易度の高い組曲〟とことわっています。

ふつうヴィオールでは使われない調性を多用したり、伴奏楽器を増やしたり、ヴィオールの新しい表現を模索しているようです。

出版は、ルイ14世の死後、ひ孫のルイ15世が成人するまでの、オルレアン公の摂政時代ですが、〝偉大なる世紀〟が終わったあとの、この時代のちょっとした解放感も伝わってくる気がします。

全33曲ですが、何曲か抜粋します。

曲には、ふつうの〝アルマンド〟〝サラバンド〟といった舞曲名のみのこともあれば、標題つきのものもあります。

内容も、標題に沿ったものもあれば、不明瞭で意味深なものもあります。

演奏は、マレの全曲演奏を行い、『めぐり逢う朝』の音楽も担当したヴィオールの第一人者、ホルディ・サヴァル(ジョルディ・サヴァール)の新録音です。

マラン・マレ『異国趣味の組曲

M.Marais:Suitte d'un Cout Etranger, Pieces de viole du Ⅳ livre, 1717

演奏:ホルディ・サヴァル(ヴィオール)、ピエール・アンタイ(チェンバロ)、フィリップ・ピエルロ(ヴィオール)、ロルフ・リスレヴァンド、シャビエル・ディアス=ラトッレ(テオルボ、ヴィオール)、アンドルー・ローレンス=キング(ハープ)、ペドロ・エステヴァン(打楽器)

Jordi Savall

タタール人の行進曲

〝異国趣味〟ということですから、まずはタタール人の行進から始まります。

タタール人〟は、日本では〝韃靼人〟といわれますが 、主にモンゴル系の遊牧民族を指します。

ヨーロッパでは特にしっかし諸民族を区別したわけではなく、モンゴル系もトルコ系もツングース系も一緒くたでしたら、リュリの『町人貴族』と同じように、トルコをイメージしているかもしれません。

重々しく、いかめしく、威圧的なマーチです。

タタールの女

これも異色趣味の続きで、タタール人の女性を表しているということですが、確かに少しエキゾチックな香りがします。

タタールの女のドゥービル

前曲の変奏ですが、重音奏法を多用した難曲になっています。

農村の宴

農民の楽しい収穫祭の踊りです。時には軽く、時には優雅に、そして時には力強く、多彩な踊りが楽しめる曲です。

旋風

まさに、草原を突如襲うような一陣の嵐を表しています。

ヴィオールでこんな表現ができるのか、と圧倒されます。

迷宮(ラビリンス)

この曲集で最も有名な曲です。

まず、テクテク歩いて迷宮に入っていくような音型から始まりますが、この音型は、迷宮の中で迷っている最中にも時々出てきます。

ラビリンスはクレタ島にある、ギリシャ神話のミノス王と怪物ミノタウロスにまつわる迷宮を指しますが、ヴェルサイユ宮殿の庭園にも生垣の迷路が作られており、そちらを指しているのかもしれません。

音楽的には〝調性の迷路〟となっており、この時代ではありえないような転調の連続で、まるでバッハのような挑戦です。

10分以上に及ぶ曲は、途中、焦りや絶望、反省などが目まぐるしく続き、最後には出口にたどり着いた喜びがシャコンヌで表されています。

一聴に値する面白い曲です。

夢見る女

幻想的な、まさに儚い夢のような曲で、アンニュイなフランス映画の一場面のようです。映画でも重要な場面で使われます。

行進曲

再び、タンバリンを伴った異国風のマーチです。

バディナージュ

終曲は、異国趣味ではなく、フランス趣味の舞曲です。優雅ですが、どこか、そこはかとなく孤独を感じる、切ない曲です。

他にも、この組曲には『宝石』『喘息患者』『媚態』『奇妙』『奇抜』『尊大』などの表題つきの曲があるので、それぞれどんなことを表しているのか、想像しながら聴くことになります。

答えが分からず、モヤモヤした気持ちにもなりますが、それがフランス人のちょっとイジワルなところかもしれません。

 

サヴァルがマレの5つのヴィオール曲集からそれぞれ抜粋して演奏したアルバムがこちらです。

マラン・マレの世界にどっぷりつかりたい人にはおすすめです。

 

謎の師、サント=コロンブの音楽

また、マレの師、サント=コロンブの曲集は下記です。世俗で成功したマレと対照的ともいえる、求道的な音楽を聴き比べてみてください。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


にほんブログ村


クラシックランキング

戦勝記念のド派手な賛歌。リュリ、シャルパンティエ、ド・ラランド、ヘンデル、ハイドンの『テ・デウム』~ベルばら音楽(4)

f:id:suganne:20181124192732j:plain

アントワーヌ・コワズヴォ作『リュリ像』

放蕩の権力者、リュリの最後

リュリ(1632-1687)は、ルイ14世の恩寵を一身に受け、フランスの音楽総監督として君臨しました。

王はリュリを数少ない親友と思っており、側近として貴族待遇にしていました。

リュリは自分の座を脅かしそうな音楽家の活動は、その絶大な権力を使って妨害したということです。

私生活も放蕩で、スキャンダルに満ち、男女を問わず関係を結ぶという噂が絶えませんでしたが、ある時、王の小姓、美少年のブリュネとの男色関係が王の耳に入ることになり、ついに不興を買ってしまいます。

そして、だんだん王から遠ざけられていく中、1687年に王の病気快癒祝いのための『テ・デウム』を演奏中、指揮をとっていた重い杖で足を傷つけてしまい、その傷が化膿、壊疽を起こして死んでしまうのです。

国家的な賛歌『テ・デウム』

『テ・デウム』は、カトリック典礼で使われる讃美歌のひとつで、『Te deum laudamus 天主にまします御身をわれら讃え』で始まる、やや長文の感謝の賛歌です。

4世紀にミラノの司教、聖アンブロジウスが、弟子の聖アウグスティヌスに洗礼を与えたとき、霊感が降りてきて、ふたりで即興的に一句ずつ交互に歌ったものである、という伝説があります。

聖アンブロジウスは、ローマ皇帝テオドシウスがキリスト教を国教にするのに一役買ったといわれています。

中世では『テ・デウム』は朝課(夜明けの祈り)で歌われてきましたが、この時代になると、その華やかな歌詞から、王宮での宗教行事に使われるようになりました。

神を讃える曲ながら、実質的には王の権力を誇示するのに使われたわけです。

リュリと同時代、あるいは後輩にあたる作曲家たちも、『テ・デウム』を作曲し、その華やかさを競っています。

今回は、ヴェルサイユを彩る音楽の〝華やかさ比べ〟をしてみましょう。

長いので、曲としては冒頭だけ取り上げます。

まずはリュリの作品です。

リュリ『テ・デウム』

J.B.Lully:Te Deum LWV55

演奏:ヴァンサン・デュメストル指揮 カペラ・クラコヴィエンシス、ル・ポエム・アルモニーク

Vincent Dumestre & Capella Cracoviensis, Le Poème Harmonique

気宇壮大なファンファーレではじまる大賛歌はどこまでも気高く、スキャンダルにまみれたリュリの人生を思うと、人間の行動と、生み出す芸術は無関係なのだ、と感じさせます。

彼自身の死をもたらした曲ですが、王の寵を取り戻そうと焦るあまりに、気合を入れ過ぎたのか…と思えます。

いずれにしても、フランス古典音楽を確立したリュリの功績は大きく、また〝フランス風〟の原点として、後のクラシック音楽に与えた影響ははかりしれないのです。

シャルパンティエの『テ・デウム』

f:id:suganne:20181124193207j:plain

マルク=アントワーヌ・シャルパンティエ(1643-1704)

それでは、リュリの同時代の作曲家の『テ・デウム』を聴いていきます。

まずは、マルク=アントワーヌ・シャルパンティエ(1643-1704)です。

フランス盛期バロック音楽を代表する作曲家のひとりで、リュリと同時代人ですが、宮廷にはほとんど出入りしませんでした。

やはりリュリがいたために、近づけなかったのかもしれません。

貴族の楽長や、パリの教会、シャント・シャペルの楽長を務め、声楽曲を中心に数々の名曲を生み出しました。

日本ではあまり有名ではありませんが、『真夜中のミサ』など、欧米では愛されている作曲家です。

シャルパンティエ『テ・デウム』

M.A.Charpentier:Te Deum H.146

演奏:ヴァンサン・デュメストル指揮 カペラ・クラコヴィエンシス、ル・ポエム・アルモニーク

Vincent Dumestre & Capella Cracoviensis, Le Poème Harmonique

プレリュード

単独で演奏されることも多い有名なプレリュードです。

轟くティンパニに続き、トランペットが華やかに、高らかにファンファーレを吹き鳴らします。

ウィーン・フィルニューイヤーコンサートの放送で、毎年最初に奏でられます。

ド・ラランドの『テ・デウム』

f:id:suganne:20181124193436j:plain

ミシェル=リシャール・ド・ラランド(1657-1726)

ミシェル=リシャール・ド・ラランド(1657-1726)は、リュリの妨害に遭わず、その後輩格でルイ14世の宮廷音楽家として活躍しました。

ラ・ラ・ランドとは違います!)

このテ・デウムのように華やかな音楽も多く作曲していますが、王室礼拝堂の楽長も務め、宗教曲に深い作品があります。

リュリとは一線を画したタイプの音楽を作れたので、太陽王に認められたのかもしれません。

ルイ14世は次から次へと愛人を代えたのは、これまで触れてきましたが、最後の愛人マントノン夫人(1635-1719)は信心深い人格者で、やりたい放題だった王は晩年に至り、この女性に大きな影響を受け、道徳や信仰に傾いていったのです。

王妃が亡くなった後、ルイ14世はマントノン夫人と秘密に再婚しました。

王族の出身ではなかったので王妃にはできませんでしたが、王はこの慎ましい女性の導きを必要としたのです。

ド・ラランドの音楽には、太陽王晩年の心境が窺えるような気がします。

f:id:suganne:20181124193632j:plain

マントノン侯爵夫人フランソワーズ・ドービニェ

ド・ラランド『テ・デウム』

Michel-Richard de Laland : Te Deum S.32

演奏:ヴァンサン・デュメストル指揮 アンサンブル・エデス、カペラ・クラコヴル・ポエム・アルモニーク

Vincent Dumestre & Ensemble Aedes, Le Poème Harmonique

戦勝や講和のお祝い曲として

このような華やかな『テ・デウム』のスタイルは諸国に広がり、戦勝や講和条約締結といった国家的祝典には欠かせない音楽になっていきました。

その例として、ヘンデルハイドンの『テ・デウム』もここで取り上げておこうと思います。

いかに『テ・デウム』が派手な曲か、ということが分かります。

英国王、最後の出陣

f:id:suganne:20181124194001j:plain

デッティンゲンの戦いにおけるジョージ2世

1743年、オーストリア継承戦争に英国王ジョージ2世は自ら出陣し、大陸に渡りました。

そして、オーストリア軍と連合してフランス軍と戦いました。

戦場はドイツのデッティンゲン

しかし、戦況は非常にまずく、ジョージ2世はフランス軍の名将ノアイユ公の巧みな策略にはまり、動きの取れない狭い土地に誘いこまれ、フランスの別動隊グラモン公が密かに先回りをしたのにも気づかず、まさしく袋のネズミになりました。

こちらから反撃できない川向うからも大砲をバンバン撃ち込まれるピンチ。

英国王が戦死か捕虜になるかもしれないという絶体絶命の危機を迎えます。

しかし、功を焦ったグラモン公が袋の中に突撃してきたので、フランス軍は味方に当たってしまうため大砲を撃てなくなり、英国軍は形勢逆転、勝利を収めることができました。

一説には、ジョージ2世の馬が大砲の音に驚いて、敵に向かって走り出したのを、兵士たちは王自ら突撃したのだと思って〝王に続け!〟となり、敵を破ったとのことです。

敵失や偶然でからくもつかんだ勝利でしたが、国王自ら敵を打ち破ったということで、英国民はお祭り騒ぎ。凱旋した王を英雄として迎えました。

そして、このデッティンゲンの戦いの勝利を祝うためにヘンデルが作曲したのが『デッティンゲン・テ・デウム』です。

英国王が自ら戦場に臨んだのは、史上これが最後となりました。

ヘンデル『デッティンゲン・テ・デウム』

G.F.Handel : Dettingen Te Deum

トレヴァー・ピノック、サイモン・プレストン指揮ウェストミンスター・アビー合唱団、イングリッシュ・コンサート

Trevor Pinnock, Simon Preston & Choir of Westminster Abbey, The English Concert

フランスの宮廷作曲家と同じように、ティンパニを伴った派手なファンファーレで始まります。

『テ・デウム』という曲の性格がイギリス、ドイツといった各国に広がっていたことがよく分かります。

この曲はヘンデルの中でも特に人気曲で、初演後も長く繰り返し演奏されたということです。

ハイドンとナイルの戦い

f:id:suganne:20181124194256j:plain

ナイルの海戦(アブキール湾の海戦)

さらに時代は下がりますが、英国とフランスの戦いは〝第二次百年戦争〟といわれるほど断続的に続いていました。

フランス革命が起こり、ナポレオンが登場すると、さらに戦争は激化します。

1798年、ナポレオンは英国と植民地インドの連絡を断つべく、エジプトに遠征します。

当時、最強だった英国海軍の目をかすめての遠征でした。

ナポレオンはエジプトに上陸すると、ピラミッドの戦いで勝利を収め、さっそくに戦果を手にします。

一方、ナポレオンの行方を追っていた英国海軍のネルソン提督は、ナイル河口のアブキール湾に停泊していたフランス艦隊を奇襲し、これをさんざんに撃破します。

これが〝アブキールの戦い〟または〝ナイルの戦い〟といわれる海戦です。

向かうところ敵なしだったナポレオンの初の敗北で、オーストリアを始め、ナポレオンの脅威に脅かされていたヨーロッパ諸国はその勝利の報に沸き立ちました。

ナポレオンはこれしきで参ることはなかったのですが。

ネルソン提督は、戦勝後、英国に帰還する途上、アイゼンシュタットを訪ね、エステルハージ侯に大いに歓待されました。

そして、楽長ハイドンはネルソン提督のために『ネルソン・ミサ』と呼ばれるミサ曲と、『テ・デウム』を演奏しました。

ハイドンの時代になっても、『テ・デウム』は戦勝のときの祝いの曲だったのです。

f:id:suganne:20181124194509j:plain

ホレーショ・ネルソン(1758-1805)

ハイドン『テ・デウム』

J.Haydn : Te Deum in C major Hob.XXⅢe:2

トレヴァー・ピノック指揮イングリッシュ・コンサート、合唱団

Trevor Pinnock & The English Concert, Choir

これが宗教曲?と思うような、世俗的なテイストに驚かされますが、元気がもらえるような、底抜けに明るい曲です。

ナポレオンとの死闘はまさにこれからなのですが、戦争に明け暮れた時代に、一勝一勝が平和につながってほしい、という人々の願い、希望が伝わってくるようです。

ネルソン提督の物語はまたあらためて触れたいと思っています。

 

ハイドンの後も、『テ・デウム』にはベルリオーズブルックナーらが名曲を書いています。

『テ・デウム』は神への感謝をストレートに表した讃美歌として、仏教でいえば般若心経のように、ずっと親しまれ、人々の心の支えになってきたのです。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


にほんブログ村


クラシックランキング