孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

モーツァルトが出演したコンサートを完全再現【後半】ピアノ協奏曲 第5番ほか

f:id:suganne:20180917234157j:plain

現在のブルク劇場。建物は3代目で、1955年に再建されたもの。

アリア、コンチェルト...音楽の饗宴は続く

前回に続き、1783年3月23日ウィーン・ブルク劇場で行われた、 オール・モーツァルト・プログラムのコンサートの後半です。

曲名の前の題は、モーツァルト自身が手紙に書いた紹介文です。

第4曲 バウムガルテンのために書いた場面の歌をアダムベルガー夫人が歌って

モーツァルトレチタティーヴォとアリア『憐れな私よ、ここはどこ~ああ、語っているのは私ではないの』K.369

ハルトムート・ヘンヒェン指揮カール・フィリップエマヌエル・バッハ管弦楽団

ソプラノ:クリスティアーネ・エルツェ Christiane Oelze

Hartmut Haenchen & Kammerorchester C.P.E. Bach

歌詞はメタスタージオオペラ『エツィオ』から取られていますが、独立して作曲されたコンサート用アリアです。先のオペラ『クレタの王イドメネオ』を作曲したミュンヘン滞在の折、バイエルン選帝侯の愛人だったバウムガルテン伯爵夫人に献呈されたものです。ローマ皇帝に恋人を殺されたヒロインが錯乱して歌うアリアです。素人が歌うのを意識したのか、音域もあまり広くなく、技巧も控えめなアリアです。このコンサートでは、『後宮からの誘拐』でベルモンテを歌ったアダムベルガーの夫人が歌ったということです。

第5曲 私の最近のフィナルムジークの中の小さな協奏交響曲

モーツァルト『セレナード 第9番 ニ長調 K.320〝ポストホルン〟より第3楽章』 

Mozart:Serenade no.9 in D major , K.320 “Posthorn”

演奏:マイケル・アレクサンザー・ウィレンズ指揮 ケルナー・アカデミー

Michael Alexander Willens & Die Kölner Akademie

第3楽章 コンチェルタンテ:アンダンテ・グラツィオーソ

ザルツブルク時代に書かれた有名な『ポストホルン・セレナード』の中の1楽章です。あの『ハフナー・セレナード』より後に書かれ、ザルツブルク時代の最後の大きな作品となりました。フィナルムジーとは、終幕音楽ということで、ザルツブルク大学の学生たちが、2年間の義務過程を修了したあと、感謝のために大司教や教授たちに捧げて演奏した音楽のことです。旅立つ学生もいたことから、郵便馬車のホルンの音が出てくる楽章があることからこの名がつきました。音楽が素人のはずの学生が、こんな本格的な演奏ができるなんて信じられませんが、当時は楽器演奏は知識階級の必須科目だったということでしょう。

モーツァルトがこのコンサートで取り上げたのは、第3楽章だけで、モーツァルトの言うように、これは小さな協奏交響曲になっていて、2本ずつのフルートとオーボエが競い合う、典雅な楽章です。同じく管楽器が活躍する第2曲のイドメネオのアリアといい、モーツァルトが自分を管楽器のうまい使い手としてもアピールしたい狙いがあるように思えます。

第6曲 私の演奏で、当地で好まれるニ長調のコンチェルトに変奏曲のロンドをつけて

モーツァルト『ピアノ協奏曲 第5番 ニ長調 K.175』 『ロンド ニ長調 K.382』

Mozart:Concerto for Piano and Orchestra no.5 in D major , K.175

演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)

マルコム・ビルソン(フォルテピアノ

イングリッシュ・バロック・ソロイスツ

John Eliot Gardiner , Malcolm Bilson & English Baroque Soloists

第1楽章 アレグロ

ベートーヴェンでピアノ・コンチェルト5番といえば最後の曲ですが、モーツァルトでは最初の曲になります。1番から4番は?というと、これは他人のソナタをコンチェルトに編曲したもので、いわば習作になります。17歳のときの作品ですが、ピアノ・コンチェルトは遅めのスタートだといえます。しかし、この曲は大人気となり、ミュンヘン・パリ旅行にも携えてきましたし、ここでもわざわざ〝当地で好まれる〟と書いています。ティンパニやトランペットを伴った堂々たる曲で、先に演奏された新作の第13番と並べても遜色はありません。むしろ、ああ、この曲知っている!と聴衆は喜んだかもしれません。モーツァルト自身も気に入っていて、何種かのカデンツァが残されています。今回は、ただ旧作を演るのでは芸がないと思ったのか、終楽章に新しくロンドを作曲しています。

第2楽章 アンダンテ・マ・ウン・ポコ・アダージョ

クラヴィーアが流れるような旋律を抒情豊かに奏でます。作曲当時はチェンバロで弾かれることも多かったかもしれません。実際、チェンバロによる録音もあります。

第3楽章 アレグロ

元気いっぱいの弦の高音から始まり、力強いオーケストラの間を玉を転がすように駆け回るピアノが絶妙で、興奮します。このコンサートでは、この楽章を省いて、次の新作のロンドに差し替えた、というのが定説で、後年の出版でもそのようになっています。しかし、モーツァルトの手紙には差し替えたとは書いてありません。この素敵なフィナーレをわざわざ省いたとは、私にはどうしても思えないのです。次のロンドはあまりフィナーレにはふさわしくありません。ロンドを含めて4楽章にすれば、バッハのブランデンブルク・コンチェルト 第1番と同じ構成となり、効果的です。そんな思いを込めて、第3楽章をここに入れておきました。

ロンド ニ長調 K.382

このコンサートのためにわざわざ書いたロンドです。幼稚園のお遊戯のような平易なテーマですが、これこそ、モーツァルトがウィーンの聴衆の好みに合わせたものです。また、平易なロンドの間のピアノは高度なテクニックを縦横無尽に使っており、このバランス感覚がモーツァルトならではです。対位法的な処理をした、第3楽章をこのロンドに取り替えたとすれば、モーツァルトはウィーンの聴衆のレベルは、マンハイムミュンヘンなどの音楽都市に比べて低いと思っていた可能性があります。コンサートでは、まさに狙い通りウィーン人には大喝采で、アンコールされました。

第7曲 タイバー嬢の歌で、私のミラノの最後のオペラの中の『発とう、急いで』

モーツァルト:オペラ『ルーチョ・シッラ』K.135よりアリア『発とう、急いで』

レオナルド・グラシア・アラルコン指揮 ミレニアム・オーケストラ

ソプラノ:ジョディ・デヴォス Jodie Devos

このコンサートの中では一番古い曲で、16歳のときの作品です。若き日のモーツァルトは3度にわたって父レオポルトイタリアに旅行し、大喝采を浴びます。音楽の本場での名声は、モーツァルトに明るい未来を約束したようにみえました。モーツァルトはイタリアでいくつかのオペラを上演しますが、これは最後の作品で、1772年にミラノで上演されたオペラ・セリアです。〝ルーチョ・シッラ〟とは、古代ローマ独裁官ルキウス・スッラのことです。モーツァルト父子は、特に、マリア・テレジアの四男でヨーゼフ2世の弟、ロンバルディア総督としてミラノに宮廷をかまえるフェルディナント大公に、宮廷音楽家として雇われることを期待して、オペラを上演し、アピールをしていました。実際にオペラは大評判で、大公もモーツァルトを雇用しようと思い、母帝にお伺いを立てます。これに対し、マリア・テレジアの返事ははっきりとNO!でした。大公宛の手紙を引用します。

あなたは若いザルツブルク人を自分のために雇うのを求めていますね。私にはどうしてだか分からないし、あなたが作曲家とか無用の人間を必要としているとは信じられません。けれど、もしこれがあなたを喜ばせることになるのなら、私は邪魔したくはないのです。あなたに無用な人間を養わないように、そして決してあなたのもとで働くようなこうした人たちに肩書など与えてはなりません。乞食のように世の中を渡り歩いているような人たちは、奉公人たちに悪影響を及ぼすことになります。彼はそのうえ大家族です。(1771年12月12日 マリア・テレジアよりフェルディナント大公宛)*1

母帝にここまで言われたら、それに逆らうことなどできません。乞食とはずいぶんな言われようですが、マリア・テレジアは決してモーツァルトを評価していないわけではなく、オペラ作曲の依頼もしています。しかし、仕事の発注をするのと、雇用して養うのは、女帝にとって全く別問題でした。経営者が正社員を雇うのではなく、非正規雇用アウトソーシングで済ましたい、と考えるのと同じです。まして、数々の戦争を切り抜け、大帝国を統治した女傑ですから、まったく甘くありませんでした。マリア・テレジアは、後継ぎのヨーゼフ2世の甘さにも心配しつづけ、ふたりの間には、モーツァルト父子以上の確執があったのです。

ミラノ就職を目論んで全力を注いだオペラの歌が、今、それを拒んだ女帝の息子の前で演じられているわけです。モーツァルトは、音楽の本場イタリアでの華麗な実績を披露するためにこの曲を選びました。イタリア人をもうならせた、本場のオペラが書けることを示すために。歌うのは、『後宮からの誘拐』のブロンテを初演したタイバー嬢です。

第8曲の1 私の独奏で小さなフーガ(これは皇帝がいたから)

モーツァルト『ファンタジアとフーガ ハ長調 K394(383a)』よりフーガ

Mozart : Fantasia and Fuga in C major , K.394 (383a)

フーガ:アンダンテ・マエストーソ ハ長調

ピアノ:グレン・グールド Glenn Gould

ここから、モーツァルトのピアノ独奏コーナーとなり、彼は3曲弾きました。1曲目はフーガで〝これは皇帝がいるから〟とのことです。ヨーゼフ2世はフーガがお好みだったということでしょうか。以前触れたように、新妻コンスタンツェもフーガを作って、と夫にせがみ、何曲か手掛けますが、なぜか未完に終わっているものが多いのです。これは珍しく完成したもので、ヴァン・スヴィーテン男爵の邸でバッハ・ヘンデル体験をした成果といえます。ただし、このコンサートで弾いたものはどの曲か分かりません。即興だったという説もありますが、モーツァルトといえどもフーガには苦吟しているので、この曲だった可能性もあります。私の独断でここに掲げています。

第8曲の2『哲学者たち』というオペラの中のアリアによる変奏曲、これはアンコールされました

モーツァルトパイジエッロのオペラ「哲学者気取り、または星占い師たち」の「主よ幸いあれ」による6つの変奏曲 へ長調 K.398 (416a)』

フォルテピアノクリスティアン・ベズイデンホウト

Fortepiano : Kristian Bezuidenhout

これは、当時の人気オペラ作家、パイジエッロのヒット曲をテーマにした変奏曲で、まったくの聴衆サービスです。パイジエッロは、ロッシーニの前に『セビリアの理髪師』をオペラにした作曲家で、以前の稿でも取り上げました。 

www.classic-suganne.com

誰もが知っているポピュラーなメロディーを自在に展開していく変奏曲は、まさにピアニスト兼作曲家の腕の見せ所でした。コンサートでは即興で演奏され、これは後に楽譜起こしされたものなのですが、コンサートで演奏された通りかどうかは分かりません。

第8曲の3『メッカの巡礼』からアリア『愚民の思うは』の変奏曲

モーツァルトグルックのジングシュピール「メッカの巡礼たち」のアリエッタ「愚民の思うは」による10の変奏曲 ト長調 K.455

フォルテピアノクリスティアン・ベズイデンホウト

ピアノ・ソロの3曲目は、グルックのオペラから取られています。このコンサートには老大家グルックも出席していましたので、大先輩に対するオマージュでもありました。グルックモーツァルトを可愛がって、家に招待してくれたのは前述しましたが、このあと、またモーツァルトは食事に招かれています。グルックの『メッカの巡礼たち』は、1780年に上演された、トルコを舞台にしたドイツ語オペラのジングシュピールで、まさにモーツァルトが『後宮からの誘拐』のお手本にした作品でした。親しみやすいテーマは、ウィーンっ子たちがふだん口ずさんでいたものです。モーツァルトはこの曲も即興で演奏し、のちに楽譜起こしをして今に伝わっています。

第9曲 ランゲ夫人の歌で私の新しいロンド

モーツァルトレチタティーヴォとロンド「わが憧れの希望よ!~ああ、あなたには苦しみがどんなには分からないでしょう」K.416』

レオナルド・グラシア・アラルコン指揮 ミレニアム・オーケストラ

ソプラノ:ジョディ・デヴォス Jodie Devos

いよいよ、メインディッシュの最後です。再び、ランゲ夫人アロイジアの登場です。このコンサートの前月に出来たばかりのコンサート用アリアです。モーツァルトは、かつて恋してやまなかった彼女の声を知り尽くしていますから、その良さを最大限発揮できる歌を作りました。歌詞は、前年のカーニバルでヴェネツィアのサン・ベネデット劇場で上演されたアンフォッシ作曲のオペラ『ゼミーラ』から取られています。モンゴルの王に、婚約者を、自分になびくよう説得せよ、と脅迫された主人公が、彼女の先行きを案じつつ身を引く場面で歌われます。アロイジアの得意とする高音域でのテクニックが存分に活かせるような曲に仕上げられています。

第10曲 この日最初にやったシンフォニーの終楽章

モーツァルト交響曲 第35番 ニ長調 K.385〝ハフナー〟』 

レオナルド・グラシア・アラルコン指揮 ミレニアム・オーケストラ

第4楽章 フィナーレ:プレスト

以上でメインプログラムは全て終了し、お開きの曲は、冒頭のハフナー・シンフォニーの最終楽章です。オスミンのアリアを思わせるこのフィナーレで、観客は『後宮からの誘拐』を思い出し、拍手喝采が鳴りやまなかったことでしょう。

 

以上で、3月23日のオール・モーツァルト・プログラムは幕となりました。

モーツァルト自身が書き残してくれたおかげで、当時の様子を生き生きとしのぶことができます。

プログラムも、これまで触れたように、これまでのモーツァルトの活動を集約して紹介するものであり、ウィーンっ子の期待に大いに自分が応えられることをアピールしたものでした。

ずいぶんと長いプログラムですが、皇帝ヨーゼフ2世は、慣例では途中で退出するのに、この日は最後まで席を離れなかったとのことです。

モーツァルトが、皇帝からのご祝儀が前金制ではなく、終わったあとだったらもっともらえたはずなのに、と嘆くのも無理はありません。

 

今のクラシック・コンサートとはかなり趣の違うプログラムですが、むしろ、現代のポピュラーミュージックのコンサートの方に共通点が見い出せるのではないでしょうか。


ポチッとよろしくお願いします!


にほんブログ村


クラシックランキング

*1:海老澤敏訳

モーツァルトが出演したコンサートを完全再現【前半】ピアノ協奏曲 第13番ほか

f:id:suganne:20180917232751j:plain

ヨーゼフ皇太子(のちのヨーゼフ2世)の婚礼を記念したオペラ上演の様子(1760年)。最前列にマリア・テレジア夫妻と皇子、皇女。

f:id:suganne:20180917233127j:plain

上掲の絵に描きこまれた少年モーツァルト。実際にはモーツァルトはこの席にはおらず、神童としてマリア・テレジアに謁見して御前演奏をしたのは2年後の6歳のとき。

1783年3月23日、ブルク劇場。 オール・モーツァルト・プログラム

前回のお話。父からの命令に近い要請で、修羅場の中で突貫工事でセレナードを作曲し、出来た楽譜から故郷の父に送りつけたモーツァルト

年明けて、自分のコンサートが開かれることになり、新しいシンフォニーが必要になって、父にセレナードを送り返してもらったところ、見てびっくり。

なんという素晴らしい出来栄えでしょう!

自分でも信じられない思いで、これをシンフォニーに改変し、コンサートに臨みました。

1783年3月23日に、皇帝ヨーゼフ2世臨席のもと、ブルク劇場で開かれたこのコンサートこそ、モーツァルトの人生でも栄光の頂点というべきものでした。

プログラムは全てモーツァルトの作品で、もちろんモーツァルト自身が出演し、指揮と、当時ヨーロッパ一といわれたピアノの腕前を存分に披露。

出演の歌手たちも、モーツァルトが失恋したアロイジア・ウェーバー(今は結婚してランゲ夫人)や、オペラ『後宮からの誘拐』の初演にも出演した当代の人気歌手たち。

成功を鼻高々に父レオポルトに報告した手紙です。

大好きなお父さん!

私の発表会の成功についてあれこれと申し上げるまでもないと思います。

たぶんもうお聞きになっていることでしょう。ともかく、劇場はこれ以上詰め込む余地がないくらいで、ボックスも全部ふさがりました。何よりもうれしかったのは、皇帝陛下がお見えになり、たいそうご満悦の様子で、大いに喝采をしてくださったことです。皇帝は劇場へお出でになる前に、会計へお金を送ってくださるのが慣わしなのですが、もしそうでなかったら、もっとたくさんいただけたものと思って間違いないでしょう。じっさい、皇帝のご満悦は際限がないくらいでしたから。25ドゥカーテンだけ届けてくださいました。(1783年3月29日 父レオポルト宛)*1

当日のコンサートのプログラムが、この手紙の後半に詳しく紹介されていますので、当時のコンサートの様子がよく分かる貴重な記録なのです。

いくつか、分かることを挙げてみましょう。

シンフォニーは前座

まず特徴的なのが、シンフォニーの立ち位置です。

このコンサートでは、4楽章あるハフナー・シンフォニーのうち、第1楽章から第3楽章までがコンサートの冒頭に演奏され、全てのプログラムが終わったあと、最後に第4楽章が演奏され、お開きとなっているのです。

シンフォニーはもともと、オペラの開幕の前に演奏される序曲が起源ですから、この時代のコンサートにおいても、開始前におしゃべりしたり、離席したりしている人々を静まらせる〝ガヤ鎮め〟の役割なのですが、分割されて、終楽章だけが最後に演奏されていたのは驚きです。

終楽章は〝フィナーレ〟と題されていますが、単にシンフォニーのフィナーレという意味ではなく、演奏会全体のフィナーレ、という意味だったのです。

シンフォニー、すなわち交響曲は、現在のコンサートでは、このような〝前菜〟ではなく〝メインディッシュ〟になっていますが、それはシンフォニーの価値を高め、近代の音楽芸術の媒体としたハイドンモーツァルトベートーヴェンの努力の賜物なのです。

発展させた順番は、私はハイドンモーツァルト→もう一度ハイドンベートーヴェン、と思っていますが。

ベートーヴェンのシンフォニーは初演時から既にコンサートの主役になっていますが、それでも、全ての楽章をぶっつづけでは演奏されず、楽章と楽章の間には小品を挟んだといわれています。

1時間に及ぶようなシンフォニーを続けて聴く集中力は当時の聴衆にはありませんでした。

ちょうど、オペラ・セリア(正歌劇)幕間の寸劇(インテルメッツォ)のようなものが必要だったのです。

モーツァルトの晩年のコンサートの広告にも〝モーツァルト氏作曲による大シンフォニー〟と書かれていて、だんだんとシンフォニーが主役になってゆくように感じられます。

ハイドンがロンドンに行った頃には、英国人は大シンフォニーを求めていたのです。

四旬節と公開演奏会

このモーツァルトのコンサートは〝四旬節の時期に行われました。

四旬節とは、カトリックの教会暦で定められた期間で、イエスの受難に思いを致し、祈り、断食、慈善の行いをすべき時期とされていました。

期間は、復活祭(イースター)の46日前から始まります。イースターは「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」ですので、3月22日から4月25日の間で毎年変動します。

イスラム教におけるラマダン(断食月)に似ていますが、それほど厳格には行われていません。

それでも祝祭的なものは控えられ、オペラの上演は禁止されていました。

しかし、日曜日は除外とされていたので、オペラの代わりの娯楽として、コンサートが開かれていたのです。

そのため、四旬節といえば、むしろ演奏会の繁忙期で、モーツァルトは大忙しの稼ぎ時でした。

ちなみに〝四旬〟とは〝40日〟のことで、46日から日曜日を抜くと40日になります。

「40」というのはキリスト教では特別な意味のある数字で、モーセが約束の地を求めて荒野をさまよったのが40日、預言者ヨナがニネヴェの町に改心の期限を切ったのが40日、イエスが荒野で断食したのが40日でした。

四旬節に入ると断食で肉を食べられなくなるので、その前に思いっきり肉を食べておこう、というのが謝肉祭、すなわちカーニバルです。

本来、カーニバルもイースターも、辛いことを我慢することと引き換えのお祭りなのに、日本ではお祭りならなんでもやりたい!ということで、いいとこどりをしてテーマパークなどで楽しんでいるわけです。

ウィーンの劇場事情

f:id:suganne:20180917231944j:plain

ブルク劇場内部

モーツァルトのコンサートの行われたブルク劇場は、ヨーゼフ2世肝いりの宮廷劇場で、モーツァルトのオペラのうち『後宮からの誘拐』『フィガロの結婚』『コジ・ファン・トゥッテがこの劇場で初演されています。

ブルク劇場は、客席約1,350名でした。

当時、ヨーロッパで最大級の劇場は、ミラノのスカラ座と、ロンドンのキングス劇場でしたが、いずれも収容数は約3,300名。 

音楽の都ウィーンの劇場にしてはこじんまりとしていますが、宮廷劇場ですので、こんなものでしょう。

むしろ、今のグランドピアノよりはるかに音量の小さいフォルテピアノでの、モーツァルトの繊細な演奏を堪能するには、このくらいの規模でなければなりません。

ヨーゼフ2世は、この劇場を皇族、貴族だけでなく、一般人にも開放しましたが、まだまだ敷居は高かったようです。

観客席も身分で隔てられていました。

まず、舞台の正面前列は、「パルテル・ノブル」という皇族、貴族の特等席。映画『アマデウス』でも、皇帝は指揮者の真後ろに陣取っていますし、マリア・テレジアとその家族がオペラ鑑賞をしている絵でも、最前列に皇室一家が並んでいます。

2階と3階のボックス席は、貴族や各国大使のためのもので、これは今の野球場の指定席や競馬場の貴賓席のように年間契約で、1席700~1000グルデン。

モーツァルトが後年、死去したグルックの後任としてようやく宮廷作曲家の職を得たとき、年棒は800グルデンで、つまり公務員の年棒に匹敵する額でした。

そして、パルテル・ノブルの後ろの第2パルテル、4階ボックス、上のギャラリー席(いわゆる天井桟敷)が、チケットを払えば誰でも入れる席でした。

しかし、チケット代も、ヨーゼフ2世によって値下げされたとはいえ、石工の日給くらいの額で、手に入れられるのは、やはり一般人でも裕福な人に限られました。

ちなみに、オペラシーズン以外では、作曲家がチケット収入目当てでコンサートを催そうとするとき、宮廷劇場は貸してもらうことができました。

モーツァルトはこうした演奏会はコンサートと呼ばず、「アカデミー」と呼んでいます。3月23日のコンサートもそれでした。 

このコンサートの聴衆は、そんな人々だったのです。

やはり主役は歌手

まるでやTVドラマやアニメ番組のように、シンフォニーは〝始めの歌〟〝終わりの歌〟の役目を果たしているわけですが、プログラムのメインは、やはり歌手の歌でした。それは現代音楽のコンサートと一緒で、フュージョンなど一部のジャンルは別として、ヴォーカルのいないコンサートなど考えられません。

また、モーツァルトピアノ・コンチェルトが2曲もありますが、これは、作曲家でありながらヨーロッパ一のピアノの腕前をもっていたモーツァルトならではの趣向です。

モーツァルトの作ったピアノ・コンチェルトは、さながらオペラの歌の代わりをピアノが務めるもので、モーツァルトが自分の妙技を存分に見せるために創ったジャンルと言っても過言ではありません。

バッハブランデンブルク・コンチェルト 第5番で、チェンバロを初めて伴奏楽器から合奏の主役に引き上げましたが、モーツァルトはまさにそれを自分のアピールのために使ったのです。

www.classic-suganne.com

さらに、モーツァルトはピアノの独奏も何曲も行っていますが、さながらリサイタルの趣きです。

ウィーンに来たモーツァルトは開口一番、『当地はまさにピアノの国です』と、ピアノ・ブームを実感し、自分の新天地はここしかない、と定住を決めました。

モーツァルトはヴァイオリンも得意でした。

ヴァイオリンの権威であり、教本まで著した父レオポルトに『お前は自分がどんなにヴァイオリンが上手いか分かっていないのだ!』と言われながらも、父の楽器ヴァイオリンではなく、ピアノを自分の楽器として選んだのも、父への反抗だったかもしれません。

このコンサートの観客は、ひいきの歌手の歌と、モーツァルトのピアノを目当てに劇場に殺到したのです。

開幕!モーツァルト・コンサート 23 March 1783

それでは、モーツァルトが手紙で報告している通りに、この日のコンサートを再現してみましょう。

下は、この日のコンサートを再現したCDで、面白い企画ですが、全ての曲を網羅しているわけではないので、他のおすすめ演奏も交えながらご紹介していきます。

Mozart: The Vienna Concert, 23 March 1783

Mozart: The Vienna Concert, 23 March 1783

  • アーティスト: Jodie Devos, Sebastian Wienand, Leonardo García Alarcón Millenium Orchestra
  • 出版社/メーカー: Ricercar
  • 発売日: 2016/10/14
  • メディア: MP3 ダウンロード
  • この商品を含むブログを見る
 

曲名の前の題は、モーツァルトの手紙に書いてある、曲の紹介文です。

第1曲 ハフナーのための新しいシンフォニー 

モーツァルト交響曲 第35番 ニ長調 K.385〝ハフナー〟』 

W.A.Mozart : Symphony no.35 in D maior, K.385〝Haffner〟

レオナルド・グラシア・アラルコン指揮 ミレニアム・オーケストラ

 Leonardo García Alarcón & Millenium Orchestra  

第1楽章 アレグロ・コン・スピーリト

父のために書いたセレナードをシンフォニーに改変した第2版です。セレナードとシンフォニーの区別は、用途だけの話で、音楽の形式上はあいまいなものでした。モーツァルトは第1楽章と第4楽章にフルートとクラリネットをそれぞれ2本追加して、ハーモニーを充実させています。編成としては〝パリ・シンフォニー〟以来の大編成です。この演奏はティンパニの生々しい轟きが実に新鮮です。前回も触れた冒頭の跳躍に、がやがや騒いでいた聴衆はびっくりして一気に舞台に向かって居ずまいを正したことでしょう。

第2楽章 アンダンテ

フルートとクラリネットは入っていませんが、最初から入っていたらもっと違う曲になっていたことでしょう。しかしそれでも、抒情はたっぷりです。

第3楽章 メヌエット

このメヌエットで序曲としてのシンフォニーは、終楽章を残したままいったんおしまいになり、いよいよメイン・プログラムがスタートです。

第2曲 ランゲ夫人の歌で、私のミュンヘン時代のオペラの中のアリア『もし父をなくしていたら』を4つの楽器の伴奏で

モーツァルト:オペラ『クレタの王イドメネオ』K.366よりイリアのアリア『もし父をなくしていたら』

レオナルド・グラシア・アラルコン指揮 ミレニアム・オーケストラ

ソプラノ:ジョディ・デヴォス Jodie Devos

オペラ『クレタの王イドメネオ』K.366は、モーツァルトがウィーンに来る直前、1781年にバイエルン選帝侯カール・テオドールの依頼で、ミュンヘンで上演した本格的なオペラ・セリアです。モーツァルトの7大オペラの最初の作品でしたが、ギリシア神話を題材とした古臭いオペラと思われ、ほんの数十年前まではほとんど上演されない歴史上の作品でした。しかし、メトロポリタン・オペラハウスがパバロッティなど当代一流の歌手をそろえて上演したところ、その素晴らしさにみな息を呑み、今ではモーツァルトの一流の作品という評価を得ています。しかし、モーツァルトにとっては願ってもないチャンスを得て、飛躍のために精魂を込めて書いた自信作であり、ぜひウィーン人たちに知ってほしいと、プログラムの冒頭に持ってきたのです。歌うのは、妻コンスタンツェの姉であり、モーツァルトが求愛して失恋したアロイジアです。今では俳優ランゲの妻となり、ランゲ夫人と呼ばれています。

オペラの筋は、ギリシア神話トロイア戦争の後日譚で、〝トロイの木馬〟作戦でギリシア軍に滅ぼされたトロイアの王女イリアと、その身を預けられたギリシア軍の武将、クレタイドメネオ、そしてその王子イダマンテの数奇な運命を描いたものです。

王子イダマンテは敵の王女イリアに恋しますが、イダマンテは神の怒りをかってしまい、海神ネプチューン(ポセイドン)は、父イドメネオに息子を殺すように迫ります。

このアリアは、悩むイドメネオにイリアが、本当の父を亡くした今、あなたを父と慕います、と優しく歌い、イドメネオの苦悩をさらに深める歌です。

モーツァルトが書いているように、4つの管楽器のオブリガートが、イリアの恋人の父親に対する心情を豊かに歌い上げます。

第3曲 私の予約協奏曲の中の第3番を私の演奏で

モーツァルト『ピアノ協奏曲 第13番 ハ長調 K.415』 

Mozart:Concerto for Piano and Orchestra no.13 in D major , K.415

ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ指揮 フライブルクバロック・オーケストラ

フォルテピアノクリスティアン・ベズイデンホウト

Gottfried von der Golts & Freiburger Barockorchester

Fortepiano : Kristian Bezuidenhout

ウィーンに来たモーツァルトは、旧作のピアノ・コンチェルトを弾いていましたが、ウィーンのピアノ人気から、満を持して3曲の新曲を作り、楽譜の予約を受ける広告を新聞に掲載します。これが、ピアノ・コンチェルト第11番 へ長調 K.413第12番 イ長調 K.414、第13番 ハ長調 K.415の3曲で、モーツァルトが〝予約協奏曲〟と呼んでいるのはこの3曲です。この第13番は、3曲セットの中の第3番、ということになります。モーツァルトはこれらの曲について、父に次のように書いています。

できた協奏曲は、難しいのと易しいのとのちょうど中間のもので、非常に華やかで、耳に快く響きます。もちろん空虚なものに堕してはいません。あちこちに音楽通だけが満足を覚える箇所もありながら、それでいて、通でない人も、なぜか知らないながらも、きっと満足するようなものです。切符は現金6ドゥカーテンで頒けています。(1782年12月28日 父レオポルト宛)

このくだりも有名です。自分の曲は、音楽通を満足させ、通でない人も、なんだか理由が分からないまま満足してしまう、というのです。私なども後者ですが、全くモーツァルトが自分で言う通りです。

演奏会も予約制で、貴族や有力者の間に名簿を回し、これも予約演奏会と呼ばれ、モーツァルトの大きな収入源となりました。

この時期の名簿はあっという間にいっぱいになりましたが、晩年、演奏会をやろうとして名簿を回したところ、予約はヴァン・スヴィーテン男爵ひとり、という寒い結果になっていました。

まさに、父やアルコ伯爵の言う通り、ウィーン人は流行に流されやすく、熱しやすく冷めやすかったのです。

ともあれ、この曲を書いた頃は、人気絶頂でした。

第1楽章 アレグロ

これも弦が小さく奏でるマーチ風のリズムがカノン風に始まり、やがてトランペットとティンパニが加わって華やかに盛り上げます。格調高く、礼服を着てかしこまったモーツァルトです。独奏ピアノは華麗の極致で、モーツァルトの技を心行くまで堪能できます。

第2楽章 アンダンテ

モーツァルトは最初この楽章をハ短調で書こうとして、途中でやめて、平明なヘ長調に変えています。後のモーツァルトは、短調の劇的でシリアスが楽章をたくさん書くようになり、結果、人気を失っていくのですが、この時期はまだ聴衆の好みに極力合わせようとしたのでしょう。聴衆はここで、一息つき、ホッと癒されたに違いありません。

第3楽章 ロンド:アレグロ

このコンチェルトで一番充実した楽章です。独奏ピアノのロンドでリードし、オーケストラが追いかける展開です。心に沁みる第2テーマはオーケストラから提示されますが、これを受ける独奏ピアノはいきなりしんみりとしたハ短調で、意表をつきます。おそらく第2楽章でやろうとしたことを、第3楽章の中で軽く試してみよう、ということにしたのでしょう。このあとは、しんみりと、華やかな名人芸の披露が交代で展開し、聴く人を引き付けてやみませんに戻っていきます。注目すべきは曲の終わり方です。ドカン、と大きな音で締めるのではなく、だんだんとデクレッシェンドしていき、消え入るように終わるのです。その粋なこと!派手好きなウィーン人の心を逆手にとってくすぐった、小憎らしいほどの細工です。

 

モーツァルトはその後もウィーンで珠玉のようなピアノ・コンチェルトを書き続けますが、それは以前こちらから16番以降を取り上げました。

www.classic-suganne.com

 

コンサートはまだまだ続きます。次回、後半をお届けします。


ポチッとよろしくお願いします!


にほんブログ村


クラシックランキング

*1:柴田治三郎訳

火のように激しく。モーツァルト『シンフォニー 第35番 ニ長調〝ハフナー〟』

f:id:suganne:20180916202921j:plain

アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)

後宮からの誘拐』の熱狂は続く

前回まで取り上げたモーツァルトオペラ『後宮からの誘拐は、モーツァルトの婚約者、コンスタンツェと同名のヒロインだったり、囚われの身から婚約者を助け出す、というストーリーも、実際モーツァルトは婚約者を束縛していた母から引き離すことに苦労するなど、偶然にも実生活とリアルにパラレルなものだったので、モーツァルトは格別の思い入れを込めたオペラでした。

また、モーツァルトの父オポルトは、コンスタンツェとの結婚に猛反対。

これも、オペラのヒーロー、ベルモンテが、父の仇敵、太守セリムに許しを懇願する姿とかぶります。

オペラの終幕の大団円で、太守セリムはついに、寛大にもふたりの解放を許します。

これこそ、モーツァルトが求めてやまない、父の赦しでもありました。

オペラは初演後も熱狂的な好評が続き、8月6日には、オペラ改革の旗手として音楽史上に大きな足跡を残し、今は功成り名遂げてウィーンの皇室作曲家に収まっているグルック(1714-1787)の要請により特別公演が行われ、この老大家を感激させました。

グルックは翌々日にはモーツァルトを自宅に招待して食事を振る舞い、モーツァルトはそれを自慢げに父に報告しています。

f:id:suganne:20180916201936j:plain

クリストフ・ヴィリバルト・グルック(1714-1787)

父からの困った頼みごとから生まれた曲

さて、後宮からの誘拐の上演で連日忙しい7月、父レオポルトモーツァルトに頼みごとをします。

それは、地元ザルツブルク市長の息子、ジークムント・ハフナー2世が貴族に叙せられることになったので、その祝典のためのセレナードを急ぎ作曲して欲しい、というものでした。

かつて、このハフナー氏の婚礼に際して書いたのが、以前取り上げた『ハフナー・セレナード K.250』です。

www.classic-suganne.com

このときモーツァルトは多忙の極みで、前回の曲を使って欲しい、といったん断るのですが、地元の名士との関係を重視した父は、あくまで新作を所望します。

モーツァルトは、父に結婚を許してほしい、ということもあり、しぶしぶ引き受けます。

しかし、さすがに速筆の彼も、一度には書けず、出来た楽章から順に送っています。

なかなか楽譜を送れない理由として、こんなことを父に書き送っています。

今は仕事をたくさんかかえています。来週の日曜までに、ぼくのオペラを吹奏楽に編曲しなければなりません。でないと、だれかが先を越して、ぼくの代わりに儲けてしまいます。それに新しい交響曲も1曲書かなければなりません!どうすればそんなことができましょう!そんなようなものを吹奏楽に直すのが、どんなにむずかしいことか、お父さんには信じられないでしょう。吹奏楽にぴったり合って、それでいて効果が失われないようにするなんて。そこで、夜はそのために使わなければなりません。そうでもしないと、どうにもなりません。そして、最愛のお父さん、これはお父さんに捧げます。郵便のたびに何かをお届けします。そして、できるだけ速く仕事をします。急ぎはしても、せいぜい良く書きます。(1782年7月20日 父宛)*1

これも以前ご紹介したように、6名程度の管楽アンサンブル(ハルモニームジーク)は、当時大人気でした。そして、劇場でのヒット曲を街角や自宅やパーティーで気軽に楽しめる手段でもありました。

著作権の確立していない当時、編曲はやったもん勝ちでした。場合によっては、オペラの作曲以上に儲かったのです。

モーツァルトがあせるのも無理はありません。

せっかくの苦労の果実を半分以上、とんびにさらわれるようなものですから。

しかし、現在、その編曲の楽譜が残されていません。ただ、ここまで書いていたモーツァルトが断念したとは思えず、写しと思われるものも近年発見されています。

ただ、それがモーツァルト自身の編曲かはわからず、学者たちが再現を試みています。

そのうちの1曲を掲げます。当時のウィーンの街角でモーツァルトの曲がもてはやされている雰囲気をしのぶことができます。

モーツァルト:オペラ『後宮からの誘拐』K.384 ハルモニームジーク版

演奏:アマデウス管楽合奏団 Amadeus Winds

作曲のバーターで結婚許して!

さて、父からの頼まれごと、ハフナー家用のセレナードは、7月中の約束でしたが、7月27日の手紙には、こう書かれています。

大好きなお父さん!

最初のアレグロしかお目にかけないので、びっくりなさるでしょう。でもほかに仕方がなかったのです。急いでナハトムジークをひとつ、といってもただの吹奏楽用に(さもなければお父さんのためにも使えたでしょうが)、書かなければならなかったので。31日の水曜日に、2つのメヌエットとアンダンテとフィナーレを、できれば行進曲も、お送りします。できない場合は、ハフナー音楽の行進曲を使っていただかなければなりません。これは、お父さんの好きな二長調で書きました。

ぼくのオペラは、すべてのナンネルに敬意を表して、昨日3度目の上演が行われ、大いに喝采を博しました。劇場は恐ろしい暑さにもかかわらず、またしても破裂しそうなくらい一杯でした。次の金曜にまたやるというのですが、ぼくはそれに抗議を申し込みました。このオペラをもみくちゃにされたくないからです。世間の人たちはこのオペラに夢中になっている、と言えましょう。こんなに喝采を受けるのは、やはり気持ちのいいものです。これの原譜を確かにお受け取りのことと思います。

最愛の、最上のお父さん!どうぞ、後生ですから、ぼくが愛するコンスタンツェと結婚できるように、ご同意ください。これがただ結婚のためだけだ、などとはお考えにならないでください。そのためだったら、ぼくは喜んで待ちもしましょう。でもぼくは、それがぼくの名誉、ぼくの恋人の名誉、そしてぼくの健康と心の状態のためにどうしても必要だということが、分かるのです。ぼくの心は落ち着かず、頭は混乱しています。こんな時に、どうして気の利いたことを考えたり作ったりすることができましょう?これはどこから来るのでしょうか?たいていの人は、ぼくたちはもう結婚したものと思っています。母親はそれでぷりぷり怒っているし、哀れな娘は、ぼく同様に、死ぬほど悩まされています…(略)(1782年7月27日 父宛)

後半は、結婚になかなか同意を与えてくれない父への懇願になっています。

父は、息子がオペラの成功にいい気になればなるほど、心配でした。

父の耳には、ウィーン楽壇ではモーツァルトの成功が嫉妬の的となり、そのイキがった傍若無人ぶりが大顰蹙をかって、多くの人を敵に回している、と聞こえていたのです。

そんな環境で、しかもいわくつきの家の娘と結婚して、定収入もないフリーターのままで家庭を営むなんて、父から見れば正気の沙汰ではありませんでした。

ついにモーツァルトは、父の許しを待たず、8月4日に結婚式を挙げてしまいます。

待ちに待った父の同意書が届いたのはその後でした。

父から依頼の音楽については、5つの楽章を順に送り、どうにかこうにか、8月7日に全ての楽譜を送り終えました。

最後の楽譜には、演奏上の注意として『最初のアレグロは火のように激しく突き進み、最後の楽章はできる限り速く演奏しなければなりません』とコメントがありました。

父は、結婚については大いに不服でしたが、音楽の出来栄えには満足したと伝えられています。

自分の作った曲を忘れている!?

さて、年が明けて、モーツァルトは、3月にブルク劇場でコンサートを開くことになり、その演目のひとつのシンフォニーにするため、ハフナー家のために父に送ったセレナードを返送してもらうように頼みました。

モーツァルトは、送られてきた楽譜を見て、興奮して父に次のように書き送ります。

新しい「ハフナー・シンフォニー」にはまったく驚きました。これには言う言葉もありません。この曲はすばらしい効果を発揮するでしょう。』

モーツァルトはなんと、自分が作った曲をすっかり忘れていたのです。

先の手紙にあるように、超多忙の中で、父からの矢の催促と、結婚許可がもらえない焦りの中、〝ぼくの心は落ち着かず、頭は混乱しています。こんな時に、どうして気の利いたことを考えたり作ったりすることができましょう?〟という極限状態の中で書きなぐるようにできた音楽のはずですが、その出来栄えの素晴らしさに、まるで他人の仕事のように感心しているのです。

これが、モーツァルトのシンフォニーの中でも人気の高い、交響曲 第35番 ニ長調〝ハフナー〟なのですが、モーツァルトの後期シンフォニー6曲の最初を飾る、画期的な作品です。

斬新で、底抜けに元気よく、生き生きとしていて、まさに生命感にあふれた名曲です。

私は小学生の頃、父が友人からもらってきた何枚かのレコードの中に、トスカニーニのハフナーがあり、これが私の中でモーツァルトの先入観的イメージを形成する、原体験となりました。

当時の私はベートーヴェンの重厚な曲が最高と思っていましたので、モーツァルトは軽いな、という感じを持ちましたが、その軽さも決して嫌いではありませんでした。

しかし、モーツァルトのほかの曲を聴くようになるには、映画『アマデウス』との出会いを待つことになります。

まずは、モーツァルト古楽器演奏ブームの起爆剤となった、ホグウッド&アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックの演奏を聴きましょう。

モーツァルトは父から送り返された楽譜をウィーンのコンサートで演奏するにあたり、フルートとクラリネットを追加しましたが、これは追加前の第1版で、オリジナルの響きです。

第2版は次回ご紹介したいと思います。

モーツァルト交響曲 第35番 ニ長調 K.385〝ハフナー〟  

W.A.Mozart : Symphony no.35 in D maior, K.385〝Haffner〟

クリストファー・ホグウッド指揮 アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック

Christopher Hogwood & Academy of Ancient Music

第1楽章 アレグロ・コン・スピーリト

モーツァルトはこの楽章を〝火のように激しく〟演奏しなければならない、と父に書き送っていますが、その冒頭は、ドの音が一気に2オクターブも跳躍するという、異常なものです。今聴いても度肝を抜かれますから、当時だったらどんなに衝撃だったでしょう。しかも、ユニゾンの単旋律。これは、ウィーンで出会ったバッハやヘンデルの音楽から学んだ、独立したメロディーを組み合わせる、ポリフォニー的展開をこの曲でやろうとすることを意味します。鋭い付点、緊張感あふれる休止は、後の〝プラハ・シンフォニー〟につながっていきます。続くマーチのリズムは、モーツァルトがこの後書く、ウィーンでの一連のs晴らしいピアノ・コンチェルトでも多用されます。まさに〝モーツァルト印〟としてウィーンの人々に印象付けたでしょう。そこから、祝祭的な気分を盛り上げていきますが、ただ元気なだけではなく、洗練された香りを感じます。展開部では、一転暗い短調の森に入り、そこで冒頭のテーマがポリフォニックに楽器たちに受け継がれ、妖しい影にゆらめくさまは、まさに奇跡で、後年の〝ジュピター・シンフォニー〟を予告します。まさに、新しい時代の到来を告げるシンフォニーです。

第2楽章 アンダンテ

セレナードの趣き深い、牧歌的な楽章です。私は子供の頃、このレコードを梅雨の時期に聴いたのを覚えていて、昼下がりの雨だれの音が心の中でマッチするのです。展開部では、ハーモニーの色合いが繊細に変化してゆき、胸がいっぱいになります。

第3楽章 メヌエット

きりッと居ずまいを正した、アクセントのしっかりした力強いメヌエットです。トリオでは第2ヴァイオリンと木管が穏やかな響きを奏でます。モーツァルトは父から依頼されたセレナードには〝2つのメヌエット〟があると書いています。しかし、これをシンフォニーに再編したときにはメヌエットは1つになっていて、もう一つのメヌエットは失われたと考えられています。ただし、モーツァルトの言う〝2つ〟は、メヌエット部分とトリオ部分を指すのであって、曲は最初から1曲だった、という説もあります。

第4楽章 フィナーレ:プレスト 

モーツァルトが〝出来る限り速く演奏するように〟指定したこのフィナーレは、同時期のオペラ『後宮からの誘拐』の世界そのままです。第1テーマはオスミンのアリア『ははは、勝ったぞ!』から取られたものです。第2テーマも、序曲の変形です。極限状態の中での作曲で、モーツァルトは気合を入れて作ったオペラのエキスを、この楽章に凝縮したのです。まるでディズニーワールドにいるようで、わくわくします。ティンパニ轟く、エキサイティングなフィナーレです。

往年のマエストロ、トスカニーニの演奏 

次に、私のモーツァルト原体験、懐かしいトスカニーニの演奏も掲げておきます。巨匠アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)が、自身のために編成されたNBC交響楽団1946年に録音した演奏です。

古楽器演奏にこだわっている私ですが、このような往年の名録音も、まさに後世の規範となる古典、クラシックであり、今では聴くことのできない、レトロな魅力がたまりません。

まさに、モーツァルトが望んだ、火のように情熱的な演奏です。

モーツァルト交響曲 第35番 ニ長調 K.385〝ハフナー〟  

W.A.Mozart : Symphony no.35 in D maior, K.385〝Haffner〟

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団

Arturo Toscanini & The NBC Symphony Orchestra

第1楽章 アレグロ・コン・スピーリト

第2楽章 アンダンテ

第3楽章 メヌエット

第4楽章 フィナーレ:プレスト

次回は、このシンフォニーが演奏された、1783年3月23日のブルク劇場における、オール・モーツァルト・プログラムのコンサートを再現します。

 
ポチッとよろしくお願いします!


にほんブログ村


クラシックランキング

*1:柴田治三郎訳

すべてを許す、寛容の徳。モーツァルト:オペラ『後宮からの誘拐』あらすじと対訳(10)『最終幕フィナーレ』

 

f:id:suganne:20180909205445j:plain

たまたま観客として訪れた劇場で、オーケストラの誤りを指摘するモーツァルト。(1789年『後宮からの誘拐』ベルリン公演)

父と太守の宿怨

モーツァルトオペラ『後宮からの誘拐、あらすじと対訳の10回目です。

最3幕フィナーレ、これで最終回です。

逃走の途中で、番人のオスミンに見つかり、捕まったベルモンテコンスタンツェ、ペドリロブロンデの2組のカップル。

場は転換して太守セリムの部屋になりますが、通常の演出では、捕まった場所にセリムがやってきます。

『オスミン、何の騒ぎだ?』と質すセリムにオスミンは、裏切りです、と得意げに報告します。

『裏切りだと?』

『はい、あなたがお雇いになった建築家が、コンスタンツェ様を誘拐しようとしました。』

『誘拐?すぐに追いかけろ!』

『それに抜かりはありません。もう捕まえました。』

連れてこられたコンスタンツェを、セリムはなじります。

『この女狐め!お前があれほど待ってくれと言ったのは、このことだったのか?私の寛容をお前は悪用しようとしたわけだな。』

『あなたにとっては、私は罪深い女ですわ。でも、この方は私の心を捧げた恋人なのです。どうかお助け下さい。』

『お前は厚かましくも、恋人の命乞いまでするのか?』

『それ以上ですわ。私を代わりに殺してください。』

ここでベルモンテが膝まづき、太守に言上します。

『私はこれまで誰にも膝を屈したことはない。しかし、今はあなたの前に膝まづき、お情けを乞います。私はスペインの名家の出です。どうか私たちに身代金を要求されたい。いかなる額でも結構ですぞ、我が名はロスタドスです。』

これを聞いたセリムの顔色が変わります。

『ロスタドス...?オランの司令官を知っているか?』

『それは私の父です。』

オランは北アフリカ、現アルジェリアにある地中海に面した貿易都市で、スペインとオスマン・トルコが奪い合った、最前線ともいうべき要衝です。

セリムはこれを聞いて呵呵大笑。

彼が語るには、ベルモンテの父は、セリムの仇敵だったのです。

その貪欲な陰謀のせいで、セリムは祖国を追われ、命より愛する女を奪われ、地位も名誉も失ったというのです。

『さて、最悪の敵の息子が我が手中にあるとなったら、その運命はどうなるかな?』

『…それは悲惨なものとなるでしょう…』

『その通り。彼が私にした仕打ちと、同じことをお前にやってやる。オスミン来い、彼らに行う拷問の指示を与える。』

そう言ってセリムとオスミンは退場します。

残されたベルモンテは、もうコンスタンツェの顔も見ることはできません。

悲痛なレチタティーヴォで、絶望の叫びを上げますが、コンスタンツェは気丈にこれに応え、感動的で壮大なデュエットとなります。

オペラ『後宮からの誘拐』第3幕第7場

W.A.Mozart : Die Entführung aus dem Serail K.384

演奏: ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団

John Eliot Gardiner & The English Baroque Soloists , The Monteverdi Choir

第20曲 コンスタンツェとベルモンテの二重唱『なんという運命!なんという苦痛!』 

ソプラノ:ルーガ・オルガノソーヴァ

テノールスタンフォードオルセン

レチタティーヴォ

ベルモンテ

なんという運命!なんという苦痛!

すべてが裏目に出てしまった

ああ、コンスタンツェ

私のせいで君が死んでしまうなんて

なんという苦しみ!

コンスタンツェ

愛しいお方、どうか苦しまないで

死がいったいなんでしょう?

安らぎへの道ですわ

あなたと一緒なら、死は幸せの第一歩です

ベルモンテ

天使よ!なんという優しい心!

君は私の心に慰めを与えてくれる

君は死の苦しみを和らげてくれる

それなのに、私は君を墓場に引きずり込んでしまうのだ!

(二重唱)

ベルモンテ

私のせいで、君が死ぬなんて!

ああコンスタンツェ!

私は君の目を見ることができない

私は君に死をもたらしたのだ

コンスタンツェ

ベルモンテ!

あなたこそ、私のために死ぬのです

私があなたを破滅させてしまうのです

せめて一緒に死んではだめ?

そう命じてくれればうれしいわ

ふたり

気高い心よ、あなたのために生きることこそ

私の願い、私のつとめ

あなたなしでは、この世は苦痛

生きていても仕方がない

コンスタンツェ

私は喜んで全てを耐え忍びますわ

ベルモンテ

心静かに喜んで私は死のう

ふたり

あなたの側にいるのだから

あなたのために、愛する人

喜んで命を捧げよう

ああ、なんという幸せ

愛する人と死んでいくのは

この上ない喜び

幸せいっぱいのまなざしで

この世に別れを告げよう

愛の力で死の恐怖を克服したふたりは、誰にも切り離すことのできない絆で結ばれました。

死を克服して初めて真の夫婦となる、というモチーフは、後年の『魔笛』でもメインテーマとなります。

死後の復活を信じるキリスト教にあっては、愛の絆は死より強い、という真理はさらに説得力があります。

ブロンデとペドリロも連れてこられ、ペドリロは絶望して大いに愚痴をこぼしますが、ブロンデは平然として『誰でも一度は死ぬんでしょ、同じことよ』と覚悟を決めています。

助けに行った男たちが頼りなく、救われる女の方がいざとなれば動じないように描かれています。

ドロットニングホルム宮廷劇場の舞台はこちらです。


W.A. Mozart - R.Croft & A.Winska "Die Entführung aus dem Serail" Welch ein Geschick!

意外な判決

さて、そんなカップルたちの前に、太守セリムが現れ、『判決を待つ気分はどうだ』とからかい気味に声をかけます。

ベルモンテは、『あなたが烈しく怒るほどに私は冷静です。父が行った不正を、どうぞ私で晴らしてください。』と言い放ちます。

これを聞いてセリムは、『不公正なことを望むのは家柄のようだな。お前は早とちりをしている。コンスタンツェを連れて故国に帰り、父に私の行いと言葉を伝えるがよい。悪行に対し悪行で報いるより、善行で報いる方が私ははるかに満足だ、とな。』と告げます。

ベルモンテは『太守、あなたは私をぼうぜんとさせます…』と絶句。

太守は憐れむようなまなざしで『せめて父より立派な人間になってくれ、さすれば私の行いも報われよう』とまさに大人の貫録を見せつけます。

『あなたの気高いお心は存じておりましたが、ただ驚くばかりです…』と言うコンスタンツェには、太守は『何も申すな。ただわしが望むのは、お前が私の心を退けたことを後悔することがないことだ。』と、少し負け惜しみを言います。

さて、ペドリロも、我々にもお情けをいただけるのでしょうか…と申し出ると、太守はこれも承諾。

これを聞いて収まらないのはオスミン。

『俺のブロンデもですかい!?』と太守に詰め寄ると、太守は笑って『わしはお前の目玉を心配しているのだぞ』と諭します。ブロンデが、オスミンの目玉をほじくってやる、と言っていたのを知っていたのです。

オスミンは糞くらえ、と悪態をつきますが、一同は「ヴォードヴィル」を歌って、太守セリムの寛容さと徳を讃えます。

「ヴォードヴィル」は、フランス語の「ヴォワ・ド・ヴィル」つまり〝街の声〟で、巷で歌われる大衆歌謡のようなものを指します。

途中で、オスミンが第1幕のアリアと同じ怒りの歌を差しはさみ、この愛すべきキャラクターは退場していきます。

そして、太守の親衛隊、イェニチェリが太守を讃えるトルコ風の合唱を響かせる中、4人は祖国に向かって出帆していき、大団円のうちに幕が下ります。

f:id:suganne:20180909205259j:plain

第21曲a ヴォードヴィル『決してお情けは忘れません』 

ベルモンテ

決してお情けは忘れません

永遠の感謝の心で徳を讃えましょう

どこにいても、どんなときも

あなたを偉大で気高い方と呼びましょう

4人

これほどの恩を忘れる者は、軽蔑されるでしょう

コンスタンツェ

愛の喜びに浸りながらも

感謝の心が命じるものは忘れません

愛に捧げられた私の心は

また感謝にも捧げられましょう

4人

これほどの恩を忘れる者は、軽蔑されるでしょう

ペドリロ

この恐ろしさは忘れられません

すんでのところで縛り首になるところでした

あらゆる危険にさらされて

頭が燃えてしまうようでした

4人

これほどの恩を忘れる者は、軽蔑されるでしょう

ブロンデ

太守様、喜びをもって申し上げます

私などに食物や寝床を与えてくださり、感謝いたします

それにも増して、今ここを去るお許しをいただけたことは

心からうれしいことでございます

(オスミンを指して)

なぜって、あのケダモノをご覧ください

どうしてあれに耐えられましょうか

オスミン

人をたぶらかす犬どもは

焼いてしまうに限る

もう見ちゃいられん! 我慢ができん!

あいつらにふさわしい刑罰は

言おうとすると舌ももつれる

まず首を切り、吊るして

焼いた棒で串刺し

火あぶり、そして金縛り

水責めにして、最後は皮を剥ぐ

(怒り狂って退場)

4人

復讐ほど醜いものはない

それに比べて、人間らしく、大きな心で

私情を捨てて許すのは

偉大な心だけにできること

この尊さを理解できない者は、軽蔑に値する!

第21曲b トルコ兵たちの合唱

偉大なる太守よ、永遠に万歳!

その国に栄えあれ

その恵み深いこうべに光あれ

歓呼にあふれ、名誉に満ちて

(幕)

映画『アマデウス』での終幕場面です。ノリノリなモーツァルトの指揮と、仏頂面のサリエリの表情が最高です。


Wolfgang Amadeus Mozart's Turkish Finale

寛容の徳

太守セリムの寛大な心を讃えて幕となりますが、これは、啓蒙専制君主ヨーゼフ2世を讃える意味があります。

人の理性に光を見出した啓蒙思想はこの時代の最先端の価値観であり、ヨーゼフ2世も、自らの政策の理念の第一に掲げたのが「寛容」でした。

宗教による差別を無くし、農奴を解放し、人々に自由を与える政策は、先進的ではありましたが、急進に過ぎ、結局は頓挫してしまいますが。

やはり啓蒙的ではあっても〝専制君主〟の限界があり、上からの一方的な改革には誰もついていかなかったのです。

君主に寛容な徳が備わっていることは、誰もが望んでいることでしたが、政治は太陽だけではうまくいかず、時には北風も必要なのも現実です。

しかし日常生活では〝寛容の徳〟を持った方がうまくいくような気がします。

太守セリム万歳!

モーツァルト生前最大のヒット作

このオペラの初演1782年7月16日に、ウィーンブルク劇場にて、皇帝ヨーゼフ2世臨席のもと行われました。

モーツァルトは初演の様子を父レオポルトに書き送っているはずですが、その手紙は失われています。

しかし、次の便には、2回目の上演の様子が書かれています。

大好きなお父さん!ぼくのオペラが好評だったことをお知らせした前便を、確かにお受け取りのことと存じます。昨日、2度目の上演が行われたのですが、昨日は最初の晩以上にひどい陰謀がめぐらされていたなんて、ご想像できますか?第1幕は終始まぜっかえされましたが、それでもアリアのあいだに大声で叫ばれるブラヴォーまでは邪魔することはできませんでした。それでぼくは終曲の3重唱(注:第1幕の終曲)に望みをかけていたのですが、運悪くフィッシャー(注:オスミン役)がしくじり、そのためダウアー(注:ペドリロ役)もとちり、アダムベルガー(注:ベルモンテ役)一人で全てを埋め合わせることもできず、そのため効果がすっかり失われ、この度はアンコールをされませんでした。ぼくは、アダムベルガーと同様、我を忘れるほど腹が立って、今度は(歌手のために)前もってもう少し下稽古をしないうちは、オペラを上演させない、と言いました。第2幕では、2つの二重唱が初日と同様、それにベルモンテのロンド『喜びの涙が流れるとき』がアンコールされました。劇場は初日の時以上に大入りなくらいでした。前日には、平土間の上席も3階も仕切り席は売り切れ、ボックスも、もうなくなりました。劇場はこの2日で1200フローリンの売り上げがありました。(父宛 1782年7月20日付)*1

上演につきものの〝陰謀〟とは、ここではオペラを妨害するヤジやブーイングのことなのですが、皇帝が臨席しているのに、今の常識では考えられません。

上演そのものも、陰謀のせいで延び延びにされていたのを、ヨーゼフ2世の鶴の一声でようやく上演にこぎつけられたのですが、陰謀にも寛容だったのでしょうか。

映画『アマデウス』でも、サリエリや宮廷楽長ボンノといった、イタリア勢が妨害したことになっています。

また、このオペラは、ウィーンで16回も上演されたあと、翌年にはプラハライプツィヒなどドイツ語圏各地で上演され、モーツァルト生前で一番のヒット作となりました。

後年、1789年にベルリンを訪れた際、たまたま劇場で『後宮からの誘拐』が上演されており、それを聴いていたところ、オーケストラの第2ヴァイオリンがしっかり音を出さないのに業を煮やし、オケ・ピットに駆け寄ってヴァイオリニストに『ちゃんとDを出してください!』と注意しました。すると、それで作曲者が来ていることが伝わり、劇場全体が興奮に包まれた、というエピソードが記録されています。

モーツァルトは晩年不人気で、貧窮のうちに没した、とされていますが、このオペラはその間も愛され続けていたのです。

まぶしい青春の光のようなこのオペラを私も愛してやみません。


ポチッとよろしくお願いします!


にほんブログ村


クラシックランキング

*1:柴田治三郎訳

ハーレムからの誘拐。モーツァルト:オペラ『後宮からの誘拐』あらすじと対訳(9)『オスミンのアリア〝ははは、勝ったぞ〟』

f:id:suganne:20180909165354p:plain

アングル『トルコ風呂』(1862年, ルーブル美術館

後宮? 大奥? ハーレム?

モーツァルトオペラ『後宮よりの誘拐』、あらすじと対訳の9回目です。

ここから最終幕の全3幕です。

いよいよ、ベルモンテペドリロが、命を懸けて、太守セリム後宮から、それぞれの恋人コンスタンツェブロンデを密かに連れ出し、逃走を図ります。

このオペラのドイツ語の原題『Die Entführung aus dem Serail』はなかなかに訳が難しいのです。

ここでは、一番ポピュラーな邦題『後宮からの誘拐』をとっていますが、「後宮」も「誘拐」も訳としては異論のあるところです。

まず「後宮」ですが、これも古臭い言葉です。

クラシックの曲は明治、大正期に日本に入ってきたので、その時の文語的な日本語訳がそのまま定着してしまい、クラシックを堅苦しい印象にしているのも否めません。

シンフォニー」は「交響曲」、「コンチェルト」は「協奏曲」ですが、これはもう無理に訳さなくてもいいと思います。

しかし、なかなかの名訳もあり、フーガは「遁走曲」とされましたが、テーマが次々に受け継がれて、まるで逃げていくような有様をよく表して妙です。でも定着はせず〝バッハの小遁走曲〟などとはふつう呼ばれません。

オーケストラを「管弦楽団」と呼ぶのも実はかなり古風で、起源は源氏物語に出てくる「管絃の遊び」あたりにまで遡ります。

さて、まず「後宮」ですが、これは中国皇帝に由来します。〝後宮三千人の美女〟などと呼ばれ、皇帝以外は男子禁制の皇帝の妃、側室の住む宮殿でした。ここに入れる例外的な男性は去勢された宦官のみです。

西晋武帝司馬炎は、夜に相手をする女を選ぶのが面倒になり、牛に牽かせた車に乗って、牛が停まった部屋の女のところに行くことにしたということです。

そのため女たちは牛を止めるために、部屋の前に塩を盛ったということで、これが客商売の店先に盛り塩を置く由来だとか。

日本では、古代では源氏物語に出てくる平安京の「七殿五舎」と、なんといっても江戸城の「大奥」です。

いずれも女たちの陰謀が渦巻き、表の華やかさと裏の陰惨さが、今も興味と想像をかき立てます。

今回のトルコの「Serail」は、無理に日本語にせず「ハーレム(ハレム)」と訳した方が本来はいいでしょう。

「大奥」よりは「後宮」でしょうけれど。

「ハーレム」は、男が美女たちをはべらかす状態をそう言ったりしますが、イスラム圏での女性家族の居室をいいます。

よく知られているように、イスラム教の教えでは、風紀の乱れを防ぐため、夫婦以外の男女は厳しく隔離されなければならず、そのための居室でした。

なので特に王族に限ったものではなく、一般家庭にも普通に存在するものでした。

もちろん、王族のものが大規模だったことは言うまでもなく、イスタンブールトプカプ宮殿にあるスルタンのハーレムは壮麗で、ここで繰り広げられた愛憎劇が偲ばれる、人気の観光スポットです。

本来は倫理を厳しく守るための施設ですが、当時のヨーロッパ人からも、ハーレムといえば東洋の怪しく淫靡なイメージがもたれました。

冒頭に掲げたドミニク・アングル(1780-1867)の名画『トルコ風呂』は、そんなイメージを表した最たるものですが、実態からはかけはなれたものです。

ちなみに新古典主義絵画の巨匠アングルは、ちょうどモーツァルトがこのオペラを書いた頃の生まれですが、最高の画家でありながら、ヴァイオリンもプロ並みの腕前だったため、人々は感嘆して、本業以外にも玄人はだしの得意技を持っていることを〝アングルのヴァイオリン〟と呼んだそうです。

このオペラの邦題も、今さら変えることはできませんが、『ハーレムからの誘拐』の方が、意味としては分かりやすいかもしれません。

f:id:suganne:20180909165758j:plain

トプカプ宮殿のハーレム

誘拐? 逃走? 連れ出し?

さて「誘拐」の方はさらに異論があります。

これからベルモンテとペドリロは、セリムのハレムに奴隷として囚われの身になっている恋人たちを救い出すのですが、これは、捕まっている人を取り戻すのだから〝誘拐〟ではあるまい、ということで、『後宮からの逃走』と訳されることも多いです。

しかし、原題のドイツ語「Entführung」には〝逃げる〟という意味はなく、あくまでも〝誘拐〟や〝連れ出し〟なのです。

確かによく考えてみれば、太守セリムはコンスタンツェをお金を出して〝買った〟のであり、むりやり捕まえたわけではありません。

悪いのは海賊であって、太守には正当に購入した所有権があるのです。元は〝盗品〟ではあるものの。

もちろん今は人身売買は違法ですが、日本でも昭和になっても〝娘の身売り〟があったわけで、なおのこと当時は適法なのが前提です。

つまり、ベルモンテたちがこれからやろうとしていることは〝悪者から恋人を取り戻す〟という正当なものではなく、逆に〝他人の所有物をこっそり盗み出す〟という違法行為なのです。

そのため、これからの場面は、太守のハーレムから愛妾を連れ出す、スリル満点の場面ということになり、〝誘拐〟と呼ぶにふさわしいのです。

また、太守は悪者ではない、ということも、このオペラの結末につながっていきます。

誘拐作戦開始

いよいよ、第3幕の幕が開きます。

場面は真夜中。宮殿の庭で、遠くに月明かりに照らされた海が見えます。

時々通る哨戒の番兵の目を盗んで、ペドリロが逃走経路の確認と手筈を整えています。

そこにベルモンテが現れたので、ペドリロは、自分はあたりの様子を見に行ってくるので、ちょっと待っていてください、と去っていきます。

残ったベルモンテは、4曲目となる最後のアリアを歌います。

これは、死を賭して愛するコンスタンツェを救い出すにあたっての不安と決意を示すもので、危険も愛の力で乗り越えられる、という静かな確信に満ちた素晴らしい歌です。

後年の『魔笛』で、ザラストロの宮殿に王女を救いに到着した王子タミーノの歌につながっていくものです。

テノールの伸びやかなコロラトゥーラに、クラリネットの豊かな響きがからみあう様は、何度も聴きたくなる癖になるアリアです。

オペラ『後宮からの誘拐』第3幕第3場

W.A.Mozart : Die Entführung aus dem Serail K.384

演奏: ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団

John Eliot Gardiner & The English Baroque Soloists , The Monteverdi Choir

第17曲 ベルモンテのアリア『おお愛よ、お前の強さと力が頼りだ』 

テノールスタンフォードオルセン

ベルモンテ

おお愛よ、お前の強さと力が頼りだ

お前の力で成し遂げられなかったものはない

不可能と思われることも

愛の力で成し遂げられるのだ

ドロットニングホルム宮廷劇場の舞台はこちらです。ベルモンテはリチャード・クロフトです。


W.A. Mozart - R. Croft "Die Entführung aus dem Serail" Ich baue ganz auf deine Stärke

ペドリロのロマンツェ

歌い終わると、ペドリロが戻ってきて、いよいよ作戦決行です。

約束の深夜12時、女たちのいる2階の窓下で、ペドリロが目立たないよう小声で、愛の歌を歌います。 

それが合図なのです。

シチュエーションとしては、『ドン・ジョヴァンニのセレナーデ』と似ていますが、歌詞は物語風で、「ロマンツェ」とされています。

内容はこの救出劇を童話風に歌ったものですが、グリム童話塔の上のラプンツェル〟を思わせます。

弦のピチカートがギターの調べを模倣します。

2節歌っても女たちは姿を現さず、焦ったベルモンテはペドリロにやめろ、と止めますが、ペドリロはもう少しやってみないと、と続けます。

第18曲 ペドリロのロマンツェ『ムーア人に囚われた』 

テノール:ウヴェ・ペッパー

ペドリロ

ムーア人に囚われた

可愛い娘があったとさ

唇は真っ赤、肌は真っ白

長い髪は真っ黒で、毎日毎日泣くばかり

早く自由になりたいと

 

見知らぬ国からはるばると

若い騎士がやってきて

乙女の嘆きを聞いたとさ

命をかけてあの人を救う、と

男は勇み立ったとさ

ベルモンテ(セリフ)

もうやめろ、ペドリロ!

ペドリロ(セリフ)

そうしたいんですがね、女たちが現れないんで。

いつもよりぐっすり寝ているのか、それとも太守が近くにいるのか。

もう少しやってみないと

ペドリロ

闇夜に乗じてこっそり行くから

可愛い子よ、私を入れてくれ!

城壁も見張りも何のその

草木も眠る真夜中に

私はあなたを連れ出そう

 

鐘が12時を打つ時に

勇敢な騎士は現れて

娘は腕を差し伸べた

朝には部屋はもぬけの殻

娘はホイサッサと遠くに逃げたとさ

オスミンの勝どき

f:id:suganne:20180909165838j:plain

ようやく窓が開いて、コンスタンツェが姿を見せました。

ペドリロがかけた梯子をベルモンテが昇っていき、ついにコンスタンツェを連れ出します。

ふたりが抱き合って喜び合うのを、ペドリロはそれは後にしてください!と海岸へ急がせます。

そして次にペドリロが梯子を昇ってブロンテを連れ出そうとするとき、寝ぼけまなこをこすりながら、オスミンが現れます。

そして梯子を見つけ、何だこれは?と騒ぎ始め、大声で番兵を呼びます。

出合え!出合え!曲者じゃ‼︎

ペドリロはあわてて窓に入りますが、出口から出てきたところをオスミンと番兵に捕まります。

ほどなく、海岸に逃げたベルモンテとコンスタンツェも、番兵にとらえられて、引き立てられてきます。

一同はオスミンに見逃してくれ、と哀願しますが、もちろんオスミンに聞く耳はありません。

ベルモンテは金貨のたっぷり入った財布を差し出して買収しようとしますが、オスミンは、どうせお前らが縛り首になれば、それは俺のもんだ、と取り合いません。

どうだ、こいつらは怪しいと、俺がにらんだ通りだったじゃないか、こいつらまとめて死刑だ!と、オスミンは勝利のアリアを歌います。

第19曲 オスミンのアリア『ははは、勝どきをあげるぞ!』 

バス:コーネリアス・ハウプトマン

オスミン

ははは、勝どきをあげるぞ!

こいつらが刑場に引かれていくとき

そして縛り首になるとき

笑って、踊って、飛び跳ねて

喜びの歌を歌ってやるぞ!

これでもう厄介者はいなくなったからな

こっそり隠れて抜け出そうとは

ハーレムのネズミども、そうはいかんぞ

俺の耳は早耳だ

獲物を持って逃げようったって

その時はすでに罠の中

報いをじゅうぶん受けるのだ

ははは、勝どきをあげるぞ!

こいつらが刑場に引かれていくとき

そして縛り首になるとき

オスミンのこのアリアは、歌詞は恐ろしいですが、同時期につくられたシンフォニー 第35番 ニ長調 K.385 〝ハフナー〟の第4楽章フィナーレにも使われた、この上なく楽しい音楽です。

終盤で主人公がピンチに陥るのはドラマの定番ですが、次回、囚われの恋人たちは太守の前に引き出され、最終場となります。

 

ポチッとよろしくお願いします!


にほんブログ村


クラシックランキング

愛する人を疑う理由とは。モーツァルト:オペラ『後宮からの誘拐』あらすじと対訳(8)『第2幕フィナーレ』

f:id:suganne:20180902234853j:plain

ついに再会を果たした恋人たち

モーツァルトオペラ『後宮よりの誘拐』、あらすじと対訳の8回目です。

全3幕のうち、今回が第2幕のフィナーレです。

見張り番のオスミンを、眠り薬入りワインでまんまと眠らせたペドリロ

そこに主人のベルモンテがやってきます。

ほどなく、ブロンデコンスタンツェを連れて現れます。

ついにコンスタンツェは、夢に見た彼氏に再会できたのです。

離れ離れになり、囚われの身になってから、涙にくれていたコンスタンツェ。

でもまた今、コンスタンツェの頬には涙が流れているのです。

そんな彼女に、ベルモンテはアリアを歌います。

これまでの彼の2曲は、会えない彼女に対する憧れの歌でしたが、今回は、目の前にいる愛する人に語りかけるアリアなのです。

オペラ『後宮からの誘拐』第2幕第9場

W.A.Mozart : Die Entführung aus dem Serail K.384

演奏: ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団

John Eliot Gardiner & The English Baroque Soloists , The Monteverdi Choir

第15曲 ベルモンテのアリア『うれし涙が流れるとき』 

テノールスタンフォードオルセン

ベルモンテ

うれし涙が流れるとき

愛は恋する男に微笑む

涙を拭い去る口づけは

この上なく素晴らしい愛の報酬

ああ、コンスタンツェ、君に会えて

この胸に君を抱くことができるのは

何という喜び、何という幸せ

それはどんな王者の栄耀栄華にもまさる宝

こうしてまた会えたからこそ

別れが死の苦しみに等しいことを知る

愛情あふれる、感動的なアリア

最初にこのオペラを聴いたときには、このアリアは余計だなぁ、と思ったものです。

待ちに待った再会なので、次の4重唱の喜びの爆発が先にくるべきじゃないか、と感じたのです。

どこかしっとりと落ち着いたこの歌は、この場面では興醒めではないかと。

しかし、ドロットニングホルム宮廷劇場の演出を観て、がらりと認識が変わりました。

ベルモンテに会ったコンスタンツェはその腕の中で失神するのです。そして、彼女を開放しながら、歌うベルモンテ。

本当にうれしいとき、人はおおはしゃぎするわけではないのです。

優しく語りかけながら、胸の中に熱く燃える情熱。何度も聴くうちに、ようやくモーツァルトが表現したかったことが分かった気がしました。

いよっ彼氏!!と掛け声をかけたくなるほど、かっこいいベルモンテ。今ではこのオペラで一番好きな曲です。

ドロットニングホルム宮廷劇場の舞台がこちらです。


W.A. Mozart - R. Croft "Die Entführung aus dem Serail" Wenn der freude Tranen fliessen

浮気を疑う、バカな男ども

そしていよいよ、喜びの爆発です。

2組のカップルは、再会のうれしさと、自由への希望にあふれ、歓喜を大合唱します。

しかし…

ひとしきり歓喜の歌が終わると、急に音楽が転調し、不安な暗雲が立ち込めます。

それは、これからの脱出計画への不安かと思いきや、男たちの疑念なのです。

離れている間、コンスタンツェは、太守セリムとの間に、何もなかったのだろうか?

同じ疑念は、実はペドリロも、ブロンデとオスミンの間にもっていました。

弱い女性の身、権力者の誘惑に負けても不思議はないのでは…というのです。

観衆からすれば、女性ふたりの誠実さ、命をかけて貞操を守った姿を見ていますので、なんてバカな男ども、と歯噛みをしますが、恋する心が常に疑心暗鬼にとらわれるのも、また愛のなせる業でもあります。

ついにふたりは、あろうことか、それを口に出してしまいます。

コンスタンツェはまさかベルモンテに疑われるとは思わず、ショックで泣き崩れ、ブロンデは怒り狂ってペドリロの頬をいやというほど張り飛ばします。

男ふたりは、女性陣の反応を見て、瞬時に疑念が晴れ、疑ったことを後悔。

一生懸命謝りますが、ふたりのショックと怒りはそう簡単には収まりません。

謝って、謝って、謝り倒して、ようやく許してもらい、この話は水に流して、来るべき解放のときに対する期待と希望の歌で、第2幕の幕が下ります。

この四重唱は、最初の台本では第3幕におかれていましたが、モーツァルトが第2幕のフィナーレにもってきたい、と言って、シュテファニーに書き換えさせたのです。

まさに、作曲だけではない、人間ドラマ作家モーツァルトの腕前です。

第16曲 コンスタンツェ、ブロンデ、ベルモンテ、ペドリロの四重唱『ああ、ベルモンテ!ああ、私の命!』 

コンスタンツェ

ああ、ベルモンテ!ああ、私の命!

ベルモンテ

ああ、コンスタンツェ!ああ、ぼくの命!

コンスタンツェ

これは本当?なんて幸せなのかしら!

長い苦しみの日々のあとに、あなたの胸に抱かれるなんて

 ベルモンテ

君に会えるなんて、なんという喜び!

悲しみはもう終わりだよ

この胸の高鳴りが分かるかい!

コンスタンツェ

うれし涙がとまらない

ベルモンテ

ぼくのキスで消してしまおう

コンスタンツェ

悲しみはこれで最後ね

ベルモンテ

そう、もうすぐ君は自由の身だよ

ペドリロ

さてブロンデ、分かったかい?

12時の鐘を合図に、ぼくらは助けにくるからね!

ブロンデ

心配しないで!準備は万端よ

ああ、12時が待ち遠しい、

1分、1分、数えて待つわ

全員

ようやく希望の太陽が、雲の間から輝きはじめた

喜びと幸せと希望が満ちあふれ

われらの苦しみが消えていく!

ベルモンテ

でも、この喜びの中にも、私の胸は

秘めた悩みに苦しめられているんだ!

コンスタンツェ

いったいそれは何?

早く打ち明けて!私には隠さないでね!

ベルモンテ

人のうわさでは…君は…君は…

コンスタンツェ

いったい何なの?

ペドリロ

ああ、ブロンデ、君を助ける梯子だけど、

君にはその価値があるんだろうね?

ブロンデ

バカ、気が変になったんじゃない?

誰に向かって言ってるの?

ペドリロ

だって、オスミンが…

ブロンデ

早く言って!

コンスタンツェ

話してくださらないの?

ベルモンテ

人のうわさでは…

ペドリロ

オスミンが…

ベルモンテ

君は…

ブロンデ

さあ、言ってみて!

コンスタンツェ

説明してくださらないの?

ベルモンテ

わかった。うわさを聞いたんだよ

こんなことを聞いても怒らないでおくれ

恐る恐る尋ねるけど、君は太守を愛しているのかい?

ペドリロ

オスミンは、君を無理やり従わせ、

奴隷頭の力で、何かしなかったかい?

皆が思い込んでいることなんだけど、

本当だとしたら、これはまずい買い物だね!

コンスタンツェ

何と悲しいことを!

(泣く)

ブロンデ

これが答えよ!

(ペドリロに平手打ちを食らわす)

ペドリロ(頬を押さえながら)

よく分かったよ

ベルモンテ

コンスタンツェ、どうか許してくれ!

ブロンデ(怒って、ペドリロから離れながら)

そんな人とは思わなかった

コンスタンツェ(ため息をついて、ベルモンテから目をそむけ)

私が操を守ったか、ですって?

ブロンデ(コンスタンツェに)

私が操を守ったかって、

このろくでなしは聞くんですよ!

コンスタンツェ(ブロンデに)

私が太守を愛しているって

誰かがベルモンテに言ったみたい

ペドリロ

ブロンデは裏切らなかった

悪魔にかけて、間違いない

ベルモンテ

コンスタンツェは裏切らなかった

少しも疑う余地はない

コンスタンツェ、ブロンデ

もし私たちの名誉に対して

男たちが邪推を抱き、疑いの目で見るのなら

とても我慢はできないわ

ベルモンテ、ペドリロ

もし疑いをかけられて

すぐに怒り出すということは

確かに操を守ったということだ

もう疑う余地はない

ペドリロ

愛するブロンデ、許しておくれ

今後は君の操を、俺の頭より信じるからさ

ブロンデ

いやよ、絶対許さないわ

あんなおっさんと私が何かあったか、なんて

ベルモンテ

ああ、コンスタンツェ、ぼくの命!

ひどいことを尋ねたぼくを許しておくれ

コンスタンツェ

ベルモンテ、どうして信じることができるの?

この心が他人に奪われるなんて

あなたにだけときめいているこの心を

ベルモンテ、ペドリロ

ああ、許しておくれ!

後悔している!

コンスタンツェ、ブロンデ

後悔するなら、許してあげましょう!

全員

はい、この件はこれでおしまい!

愛を讃えよう!

愛だけを頼りにして

嫉妬をあおるものには目をむけないようにしよう

というわけで、一件落着、となりましたが、女性の貞操はこの時代、常にオペラや芝居のネタになっています。

モーツァルトの後のオペラ、『コジ・ファン・トゥッテ』はその代表のようなもので、ふたりの若い男が、自分の彼女は絶対に浮気しないと主張するのを、老哲学者が、浮気をしない女などこの世に存在しない、と反論し、賭けをする、という筋です。

そして、やはりふたりとも浮気をしてしまう、というとんでもない結末を迎えるのです。

愛ゆえに嫉妬し、嫉妬ゆえに愛を失う。

これだけは、今も昔も分からない人間模様かもしれません。

 

ポチッとよろしくお願いします!


にほんブログ村


クラシックランキング

トルコとお酒の微妙な関係。モーツァルト:オペラ『後宮からの誘拐』あらすじと対訳(7)『ばんざいバッカス!バッカスばんざい!』

f:id:suganne:20180902182839j:plain

台本作者ゴットリープ・シュテファニー(弟)(1741-1800)

素敵な韻を踏んだアリア

モーツァルトオペラ『後宮よりの誘拐』、あらすじと対訳の7回目です。

第2幕も後半に入ってきます。

コンスタンツェ太守セリムの激しい応酬のあと、静けさを取り戻した部屋に、ブロンデがひとり戻ってきます。

『あら、コンスタンツェ様と太守はどこに行ったのかしら? もしかしてふたりは仲良くなってしまったの? いや、そんなはずはないわね、ベルモンテ様一筋のコンスタンツェ様だから…』などとつぶやいていると、そこに恋人ペドリロが、あたりを窺いながら忍び込んできます。

そしてブロンデに、ベルモンテが助けに来たこと、今夜には船で逃げ出す段取りであることを告げます。

ブロンデは思いがけない展開に喜びますが、オスミンが見張ってるのに、大丈夫かしら…?と心配します。

するとペドリロは小瓶を取り出し、この眠り薬でオスミンを眠らせ、うまくいったら、まずは庭でコンスタンツェ様をベルモンテ様に会わせよう、と作戦を伝えます。

ブロンデは、いよいよここから逃げられることが現実となってきたことを実感し、狂喜してアリアを歌います。

詩は音楽の忠実な娘でなければならない

このアリアは、ブロンデの若くて元気な魅力がはちきれるばかりにまぶしい歌ですが、ドイツ語の歌詞の韻が音楽にマッチしていて、それがまた素晴らしいのです。

Lachen...Schrzen

schwachen...Herzen

のあたりは最高です。

〝野蛮〟なドイツ語がイタリア語に負けないということを示した、このオペラの面目躍如です。

しかし。にもかかわらず、モーツァルトは詩人が韻にこだわるのに我慢がなりませんでした。

オペラの台本を書く詩人は、うまく韻を踏むのが腕の見せ所なわけで、ちょうどこの『後宮』が上演された1782年に世を去った、オペラ・セリアの台本作家、ピエトロ・メタスタージオ(1698-1782)は、その権威でした。

f:id:suganne:20180902183232g:plain

ピエトロ・メタスタージオ(1698-1782)

彼の人気作品では、ひとつの台本に最大70以上の作曲家が音楽をつけたのです。

モーツァルトの最晩年のオペラ『皇帝ティートの慈悲もメタスタージオの作品で、モーツァルトを含めて40通りほどの音楽がつけられていました。

つまり、オペラにあっては、音楽よりも台本が大事だったわけです。

しかし、モーツァルトはこの風潮に真っ向から反抗し、挑戦した作曲家でした。

特にこの『後宮』では、台本作者のシュテファニーに、遠慮なく改変を行わせているのです。

作曲中に父に宛てたこの手紙は、モーツァルトの作曲ポリシーを示したものとして有名です。

さて今度はオペラのテキストについてです。シュテファニーの仕事についておっしゃることはごもっともです。しかし歌詞は、馬鹿で無作法で意地悪なオスミンの性格にぴったり合っています。そして、その詩型が最上のものでないことは、ぼくにもよく分かっているのですが、それは丁度よく、ぼくの楽想(前からぼくの頭の中で動き回っていた)とぴったり合ったので、何としてもぼくの気に入ったわけで、これが上演されたら、だれも不足は言わないだろうと、賭けをしてもいいくらいです。作品そのものに含まれている詩情はと言えば、それは本当に馬鹿にできないものです。ベルモンテのアリア『ああ、なんと心配な』(注:第4曲)は、音楽としてほとんどこれ以上には書けないでしょう。『さっさと』と『憂いは私の膝にやすらう』(憂いがやすらうなんてことありません)を除けば、そのアリアも悪くはありません――とくに最初の部分が。オペラにあっては詩は絶対に音楽の忠実な娘でなければならないのですが、イタリアのコミック・オペラが、台本から言えば実につまらないのに、いたるところで、あんなに好かれるのはなぜでしょう。パリでさえ、そうです――ぼくはこの目で見たのですが。それは、オペラでは音楽が全く支配して、そのためすべてを忘れさせるからです。それだけにいっそうオペラは、作品の構想がよく練り上げられ、言葉が音楽のためにだけ書かれていて、あっちこっちでへたな韻をふもうとして(韻は、神かけて、たとえどんな価値だろうと舞台上の演出に、寄与するものではなく、むしろ害をもたらすものです)作曲者の楽想全体をぶちこわすようないくつかの言葉あるいは詩節を加えるようなことがなければ、かならず聴衆に喜ばれるはずです。歌詞は音楽にとって、何よりも欠くことのできないものですので、韻のための韻は、もっとも有害なものです。そんなに杓子定規に作品に取りかかる先生方は、かならずその音楽もろとも、没落してしまいます。

そこでいちばんいいのは、演劇の何たるかを心得て、みずから意見を述べることのできるすぐれた作曲家と、真のフェニックスとも言うべき賢明な詩人が、手を組むことです。そうなれば何も知らない者からも、大丈夫喝采を受けます。ぼくには詩人は、まるで自分の芸で茶番をやっているラッパ吹きのように思われます!われわれ作曲家にしても、いつもいつもわれわれの規則に(規則は、それ以上のものが知られていなかったころは、大いによかったのですが)忠実に従おうとしたら、かれらが役に立たない台本を作るとちょうど同じく、役に立たない音楽を作ることでしょう。(1781年10月13日 父レオポルト宛)*1

詩と音楽の微妙な関係

父レオポルトはどうも台本作家シュテファニーのよくない噂を聞いていたらしく、彼について否定的なことを言ってきたことに対する反論です。

シュテファニーは、モーツァルトの台本改訂要求に快く応じてくれていたのです。そもそもこの台本は他人(ブレツナー)の作品だったのですから、彼が気分を害するいわれはないわけですが。

ともあれ、音楽優先、というモーツァルトのポリシーがはっきり示されています。

サリエリとのオペラ対決

時に1786年、皇帝ヨーゼフ2世は、モーツァルトと、そのライバル、アントニオ・サリエリに、それぞれオペラを作らせて、同時に上演させて競わせます。まさに、音楽の直接対決です。

モーツァルトに与えられた台本は、この『後宮』と同じく、シュテファニーの作ったドイツ語のジングシュピール劇場支配人』だったのですが、サリエリの方はイタリア語のオペラ・ブッファで、なんと題は皮肉なことに『まずは音楽、お次がせりふ』という、モーツァルトの信条そのもののテーマでした。

台本もサリエリの方が出来がよく、どちらかというとサリエリ有利な結果だったようです。

真のフェニックスとの出会い

しかしながらモーツァルトは、先の手紙に書いた〝真のフェニックス〝というべき詩人と出会うことができました。

それが、かつて『フィガロ』のところで取り上げたロレンツォ・ダ・ポンテ(1749-1838)です。

彼とのコンビは、『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『コジ・ファン・トゥッテの不朽の3作を生み出します。

ダ・ポンテ3部作、と呼ばれます。

コジ・ファン・トゥッテ』のみ、題材がダ・ポンテのオリジナルで、皇帝ヨーゼフ2世から『フィガロの中のひとつのせりふからオペラを作れ』と無茶ぶりをされて作ったこともあり、一見くだらない筋書きなのですが、モーツァルトの音楽が極上で歌詞とぴったりなので、やはり傑作とされているのです。

韻は、詩を音楽的に朗詠するときに効いてくるものですから、確かに音楽があるオペラでは、これにこだわる意味はありません。

漢詩の韻

漢詩にも押韻平仄の厳しいルールがありますが、これは中国語で朗誦する場合の効果ですので、日本語の書き下し文で味わう場合には無意味です。

人口に膾炙している王維の『元ニの安西に使いするを送る』では、「塵・新・人」が押韻です。

 渭城の朝雨 軽塵をうるおす

 客舎 青々 柳色新たなり

 君に勧む 更に尽くせ一杯の酒

 西のかた 陽関を出づれば故人無からん

でも日本の詩吟では、結句を〝無からん、無からん、故人無からん。西のかた陽関を出づれば、故人無からん〟と、繰り返すことによって韻のようにして味わうわけです。

前置きが長くなってしまいましたが、このブロンデのアリアでは、韻と音楽が一致した稀有な例といえるでしょう。

オペラ『後宮からの誘拐』第2幕第6場

W.A.Mozart : Die Entführung aus dem Serail K.384

演奏: ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団

John Eliot Gardiner & The English Baroque Soloists , The Monteverdi Choir

第12曲 ブロンデのアリア『なんて幸せ、なんて喜び』 

ソプラノ:シンディア・ズィーデン

ブロンデ

なんて幸せ、なんて喜び

私の胸はうれしさでいっぱいよ!

一刻も早く、このお知らせをあの方にお届けしなくては

笑いながら、ふざけながら、

あの方の弱くてくじけそうな胸に、

喜びと幸せをお約束しましょう

(退場)

オスミン酔いつぶし作戦

ペドリロは、恋人ブロンデの喜ぶ姿を見て、何が何でもこの作戦を成功させなければ、とあらためて心に誓います。

作戦は、オスミンに眠り薬入りのワインを飲ませて、酔いつぶすこと。

しかし、失敗したら命はない、死地。

勇気を振り絞り、自分を鼓舞するために勇ましいアリアを歌います。

トランペットが華やかに、彼の勇気を奮い立たせます。

第13曲 ペドリロのアリア『さあ、戦いだ!さあ、武器をとれ!』 

テノール:ウヴェ・ペッパー

ペドリロ

さあ、戦いだ! さあ、武器をとれ!

ひるむのは臆病者だ

どうして震えてなどいられるか?

命など賭ける勇気はないか?

いや!いやいや、やってやるぞ!

ひるむのは臆病者だ

さあ、戦いだ! さあ、武器をとれ!

トルコ風酒樽叩き

そこに、ターゲットのオスミンがやってきて、なんだこの馬鹿野郎、ずいぶんとご機嫌じゃねえか、とからみます。

ペドリロは『酒さえあれば、奴隷の身もまた楽し、となるのさ。あんたのところのマホメット様は、酒を飲んじゃならんと、つまらん法律を作ったそうだが、そりゃ間違いだ。そうでなきゃ、あんたと俺で、この酒を楽しく飲むっていう手もあったのに』とカマをかけます。

オスミンは、お前と酒だと!くそくらえ!と悪態をつきますが、酒瓶を見て、ゴクッと生唾を飲み込んでいます。

ペドリロは大小2本のワインの瓶を持っており、大きいほうに眠り薬が入っています。

くそくらえ、ばかり言ってないで、少しは利口になりなよ、と言いながら、ペドリロは小さい瓶のワインを飲みます。これはキプロス産の上等なワイン、最高だ、と。

オスミンは警戒しながら、大きいほうも飲んでみろ、と言うので、ペドリロは毒でも入っていると思うのかい、と、ちょっとだけ飲みます。

するとオスミンは、もう我慢ができなくなって、ペドリロから大きな瓶をひったくります。

それでも躊躇するオスミンに『もうマホメット様はお休みで、あんたの酒瓶のことなんか気にしちゃいないさ!』と言って、ふたりで愉快な2重唱を歌います。

この曲についてモーツァルトは手紙に『ウィーン人向きで、何のことはない、ぼくのトルコ風酒樽叩きです』と書いています。

ウィーンの居酒屋、ホイリゲの雰囲気もほうふつとさせる歌です。

f:id:suganne:20180902184523j:plain

第14曲 ペドリロとオスミンの二重唱『ばんざいバッカスバッカスばんざい!』 

ペドリロ

ばんざいバッカスバッカスばんざい!

バッカスはいい男だった!

オスミン

やってもいいのか?

飲んでもいいのか?

アッラーの神はご覧になっているかな?

ペドリロ

何をためらっているんだよ?

飲めよ、飲んじまいなよ

いつまで考えているんだよ!

(オスミン飲む)

オスミン

とうとう飲んでやったぞ

よくやったもんだ!

俺の勇気はたいしたもんだ!

ふたり

女の子、ばんざい!

ブロンドも、茶色も

女の子、みんなばんざい!

ペドリロ

こいつはうまい酒だ!

オスミン

まったくうまい酒だ!

ふたり

これこそ神の飲み物だ!

ばんざいバッカスバッカスばんざい!

酒を発明したバッカスばんざい!

女の子ばんざい!

歌が終わると、オスミンが酔いとともに、眠り薬が効いてきて、陽気に、そしてフラフラになってきます。

最後には、あれほど憎んでいたペドリロに、『おい兄弟、これはマホメット様に…じゃなくて、太守様には内緒だぞ、頼んだよ、お休み、兄弟…』と言いながら、家に帰っていきます。

まさに、人間関係を改善させ、深めてくれるのは酒の最大の効用です。

扱いを間違えると悪化させることもありますが…。

トルコ人と飲酒

さて、オスミンはイスラムの禁酒の戒律を気にしつつも、ペドリロにそそのかされて飲酒してしまいます。

ムスリムイスラム教徒)は飲酒を禁じられていますが、どの程度厳格に守るかどうかは、国、民族、個人によっても違い、トルコは比較的ゆるいことがこの当時から知られていました。

そもそも、ムハンマドマホメットイスラム教を創始した頃は、アラブ人たちは酒好きでしたので、いきなり禁酒はできなかったようです。

イスラム教が拡がる過程で、酒は人智を惑わし、神や、神に対する礼拝を忘れさせるとして、段階的に禁止になったことが聖典コーランクルアーンからも読み取れるそうです。

トルコ民族はもともと中央アジア遊牧民族で、古代にはさんざん中国の漢民族を苦しめましたが、時代とともに西遷し、西アジアに腰を落ち着けてイスラム教徒となります。

しかし、それまで馬乳酒など、酒が不可欠の生活をしていましたから、禁酒の戒律はあまり守れなかったようです。

酔っ払い皇帝

前回ご紹介したレイマン大帝皇后ロクセナラーナの息子で、第11代スルタンになったセリム2世は、英邁な父に似ない不肖の子といわれ、政務をみずに放蕩と飲酒にふけっていたため〝酒飲み〟〝酔っ払い〟というあだ名をつけられました。

そして、宰相の反対を押し切って、キプロス島に遠征しますが、イスタンブールの市民からは、名産のワイン目当てだろう、と陰口をたたかれます。

ペドリロがオスミンに飲ますのも、キプロス産のワインです。

しかし、キプロスの陥落に危機感を持ったヨーロッパ諸国は、スペインを中心に攻勢をかけ、オスマン・トルコはレパントの海戦(1571年)で敗れ、それから衰退の途をたどることになります。

そしてセリム2世は晩年、ワインを1本空けたのちに、浴場で濡れたタイルに滑って頭を打ち、亡くなります。

飲み過ぎには気を付けましょう…

f:id:suganne:20180902184953j:plain

セリム2世(1524-1574)

f:id:suganne:20180902190113j:plain

レパントの海戦が描かれたクラヴィコード

現代のトルコも国民の99%がムスリムですが、共和国となるにあたって、建国の父ケマル・アタチュルクムスタファ・ケマルケマル・パシャ 1881-1938)が政教分離の近代化政策をとったこともあり、日常生活におけるイスラムの戒律はゆるく、特に敬虔な人以外はふつうに飲酒しています。

ラマダン(断食月)のみ禁酒して、そこで信仰心に折り合いをつけている人も多いとか。

トルコの国父、ケマル・アタチュルク

f:id:suganne:20180902184712j:plain

ムスタファ・ケマル・アタチュルク(1881-1938)

ケマル大統領は、日本ではあまり知られていませんが、トルコ人には大変敬愛されています。

以前ネットゲームをプレイしていて、それには様々な国の人が参加してくるのですが、あるときトルコ人プレイヤーが私たちのグループに入ってきました。

日本人のリーダーがチャットで、トルコをほめようとして『オスマン帝国はグレートだね!強い!』と書き込みました。

するとトルコ人は喜ばず、『オスマン帝国は好きじゃない。尊敬しているのはアタチュルクだ』と返してきました。

ケマル・アタチュルクのことは誰も知らなかったのです。

トルコの人にオスマン帝国をほめるのは、日本人に〝江戸幕府すごいね〟とほめるようなものだったのです。せめて〝坂本龍馬すごいね〟の方がうれしいでしょう。

トルコは、エルトゥールル号事件以来、日本にとても好意を持ってくれている国ですので、こちらももっとトルコへの理解を深めたいものです。

 

ポチッとよろしくお願いします!


にほんブログ村


クラシックランキング

*1:柴田治三郎訳