孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

たった1台のヴァイオリンが奏でる、広大な宇宙。バッハ『無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ 第1番』

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ジギスヴァルト・クイケン

無伴奏の演奏史

前回まで、バッハ無伴奏チェロ組曲を取り上げましたが、今回から、バッハの無伴奏、いやバッハ芸術の極致というべき、無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータをご紹介します。

バッハの天才が最も力強く発揮され、壮大にして深遠、華麗にして神秘といわれる曲です。

作曲はケーテン時代の1720年といわれています。バッハが楽譜を清書した年ですので、もっと古い時期の可能性もありますが、ブランデンブルク協奏曲第4番をはじめ、ヴァイオリン曲の傑作を次々に生み出した時代です。

無伴奏の意図は前回ご紹介しましたが、チェロ組曲と同様、長い間、練習曲、あるいは伴奏を欠いた不完全な曲とみなされてきました。

バッハを19世紀によみがえらせたメンデルスゾーンでさえ、この曲に伴奏をつけ、出版までしています。メンデルスゾーンのヴァイオリン・コンチェルト(いわゆる〝メンコン〟)を初演したヴァイオリニスト、フェルディナント・ダーフィト(1810-1873)も、この曲を親友メンデルスゾーンの伴奏つきで演奏し、その演奏を聴いたシューマンも〝それによってこの曲は楽しく聞けるものになった〟と評しています。

この曲が、無伴奏だからこそ価値がある、ということに気づきいたのは、そのダーフィトの弟子、こちらはブラームスの親友だった名ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)でした。

彼は、バッハの自筆譜と向き合い、頑としてこの曲を無伴奏で弾き、その素晴らしさを示すとともに、自筆譜の校訂、出版を行ったのです。以後、この曲に余計な伴奏がつけられることはなくなり、その真価が正しく世に伝えられたのです。

ストイックなまでに求道的な音楽

それにしても、メロディラインしか弾けないはずの1台のヴァイオリンで、ハーモニーが奏でられるこの曲は、奇跡としか言いようがありません。

楽譜には、3つや4つの音を同時に奏でるような指示がありますが、無茶もいいところです。

これについて、曲弓という特別な弓を使ったのだ、という説もありますが、今では、分散和音として弾くのが正しい、という解釈が主流です。

バッハは、合奏だったらこうなる、という形を示し、それにできる限り近い演奏を1台のヴァイオリンに求めたのです。

なんというストイックな芸術でしょうか。

なぜ、そこまで1台のヴァイオリンでしなければならないのでしょうか。

しかし、だからこその深い感動をこの曲は与えてくれるのは間違いありません。

それは、極限まで無駄な装飾を排し、素朴なしつらえに最高の美を見出した千利休の茶道と同じ精神なのかもしれません。あるいは「禅」「剣」「書」の三道か。

質実剛健なドイツ人気質には、かつての日本人の精神にも通じるものがある気がします。

いずれにしても、気軽なBGMとしてではなく、居ずまいを正して向き合わなければならない音楽のように感じるのです。

曲の構成

この曲は、ソナタパルティータがセットになり、それが3つあります。

すなわち、下記のように計6曲あるわけです。

ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001

パルティータ 第1番 ロ短調 BWV1002

ソナタ 第2番 イ短調  BWV1003

パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004

ソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005

パルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006

ソナタはこれまでもコンチェルトなどで出てきたバロック時代の緩ー急ー緩ー急の4楽章から成る「教会ソナタ」で、パルティータも同様に、舞曲の集まりです。

しかし、古い出版譜では、この曲集は〝3つのソナタ〟と題されており、パルティータはソナタの付属品のような扱いでした。

その流れで、今でもソナタとパルティータがセットで奏されます。

今回はそれぞれの第1番を聴きます。

バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001

J.S.Bach : Sonata for Violin Solo no.1 in G minor, BWV1001

演奏:ジギスヴァルト・クイケン(ジョヴァンニ・グランチーノ製バロック・ヴァイオリン使用/1700年頃ミラノ

Sigiswald Kuijken

第1楽章 アダージョ

トッカータ風の、華麗にして深遠な走句から始まります。ジブリ映画『耳をすませば』で、雫が聖司にヴァイオリンを弾いてみせて、とせがみ、彼が音合わせのように弾いて雫の度肝を抜くのが、このフレーズです。分散和音で、単色の中に表情が豊かに展開します。

第2楽章 フーガ(アレグロ)

94小節にも及ぶ3声のフーガで、とても1台のヴァイオリンで弾いているとは思えません。このような難曲を、バッハ以外に当時弾ける人がいたのだろうか、ということが研究者の中での長年の疑問になっていますが、この曲の写譜はかなりの数が残っていて、意外と普及し、愛奏されていたことをうかがわせます。テーマは簡潔で、思わず口ずさみたくなります。

第3楽章 シチリアーナ

シチリア島起源の、ゆっくりとした、のどかな風情の田園舞曲です。前楽章までの緊張感が緩み、ホッとさせてくれます。

第4楽章 プレスト

分散和音で飾られた、組曲の終曲であるジーグを思わせる軽快な楽章です。

バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第1番 ロ短調 BWV1002

J.S.Bach : Partita for Violin Solo no.1 in H minor, BWV1002

第1楽章 アルマンドードゥーブル

このパルティータでは、全ての楽章(舞曲)に、ドゥーブルという装飾変奏がついていますので、外見上は8楽章になっています。このアルマンドフランス風序曲のような付点リズムで始まります。荘重なリズムの中に、明るい光も差し込んで、スケールの大きな曲になっています。ドゥーブルは、前曲の楽節や和音のコードを維持しながら、多彩な変奏を行っています。

第2楽章 クーラントードゥーブル

クーラントにはゆっくりしたフランス風と、速いイタリア風がありますが、ここでは前半のクーラントがフランス風、ドゥーブルがイタリア風になっており、その対比が楽しめるようになっています。

第3楽章 サラバンドードゥーブル

重音奏法を駆使し、1台のヴァイオリンとは思えない深く充実した響きが心に響きます。ドゥーブルでは、重音を解体して分散和音にしているので、その効果、音色の違いがよく分かります。

第4楽章 テンポ・ディ・ボーレアードゥーブル

なぜかバッハはイタリア語でボーレアと書いていますが、フランス語のブーレ―の方をバッハよく自身も使っているので、ちょっと不思議です。何か意図があるのでしょうか。また通常、組曲のトリはジーグですが、ブーレーになっているのも異例です。一説では、このパルティータでは全ての楽章に変奏のドゥーブルを置いていますが、ジーグでは変奏がしにくいからだ、と言われています。親しみやすいメロディです。ドゥーブルでは、それが楽しく駆け回り、華やかに曲を締めくくります。

 

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偉大なるチェリストによる、偉大なる再発見。バッハ『無伴奏チェロ組曲 第2番~第6番』

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アンナ・マグダレーナ・バッハの写譜による『無伴奏チェロ組曲

無伴奏〟の意味するものとは

前回、バッハ無伴奏チェロ組曲第1番をご紹介しましたが、文字通り伴奏を伴わない、純粋なソロの曲が、バッハにはチェロ、ヴァイオリン、フルートの3種あります。

楽器には、鍵盤楽器(ピアノ、オルガンなど)や撥弦楽器(ギターなど)に代表される、1台でも複数の音、つまりハーモニーを奏でられる『和音楽器』と、基本的には同時には一つの音しか出せないヴァイオリンやチェロなどの擦弦楽器や、フルート、オーボエ、ホルン、トランペット、トロンボーンクラリネット管楽器などの『旋律楽器』のふたつがあります。

旋律楽器は、人間の声と同じようにのびやかにメロディを歌うことができますが、ハーモニーは出せないため、独奏する場合は、ピアノなどが伴奏し、和音を補充することによって、音色を豊かにし、より旋律の美しさを際立たせています。

通奏低音の時代

バロック時代の伴奏とは、『通奏低音』でした。

通奏低音は、イタリア語では『バッソ・コンティヌオ Basso Continuo』といい、ずっと伴奏を途切れることなく続けることから名付けられました。

主にチェンバロのような鍵盤楽器と、チェロのような低弦楽器が担当します。

チェンバロも楽譜は基本的に左手の低音部分だけで、右手は演奏者が即興的に和音を加えます。

通奏低音の時代はモーツァルトの頃まで続き、オペラのレチタティーボ・セッコの伴奏は通奏低音のみです。

バッハはこれに飽き足らず、チェンバロの右手部分もしっかり作曲し、旋律楽器と対等な扱いにする試みもしています。

その代表的なものがオブリガートチェンバロつきのヴァイオリン・ソナタです。ヴァイオリン独奏曲の扱いですが、バッハにしてみれば、チェンバロの右手、左手、そしてヴァイオリンの三声によるソナタなのです。

究極のエコな音楽

一方、無伴奏は、それがない、ということになります。この、チェロ組曲に至っては、通奏低音を担当するいわば脇役を、いきなり主役に抜擢したようなものです。

しかも、一人芝居で。

バッハの試みは、単旋律で、いかにハーモニーを出すか、ということでした。

弦は複数ありますので、一度に2音を出す重音奏法というのもありますが、多用するのは困難です。

複数の声部がさもあるように見えるようにするか、という工夫なのです。それは画家が、平面に過ぎない絵に、奥行きがあるように見せるため、遠近法を発明したようなものでした。

その結果、これらの曲には、まるで一つの楽器で弾いているとは思えないような奇蹟の効果が生まれているのです。

しかし、そんなストイックなことをするくらいなら、別に複数の人を集めてやればいいのに、とも思いますが、自分あてのワインが運送中に少しこぼれたといって、地団太踏んで悔しがるようなバッハ先生であり、また節制に努め、世界一環境保全に気を遣っているドイツ人ですから、とことん〝エコ〟を究めた、ということでしょうか。

無伴奏チェロ組曲は6曲あります。

作曲時期は不明なのですが、おそらく、器楽曲が花開いたケーテン時代と言われています。そうなると、ケーテン宮廷のチェロ奏者、アーベルのために作曲されたということになりますが、果たして彼がこんな難曲を弾けたのか?ということもバッハ研究者の疑問になっています。

自筆譜は惜しくも失われ、後妻アンナ・マグダレーナの美しくも、バッハと見分けがつかないような写譜で伝えられています。

一連の無伴奏シリーズは、フルート→チェロ→ヴァイオリンの順で作曲されたといわれ、後になるほど、深く思索的になっていきます。

第1番は前回聴きましたから、残りの5曲のハイライトをご紹介します。

いずれも、アンナー・ビルスマの演奏で、第2番から第5番までが、ストラディヴァリウス〝セルヴェ〟による演奏です。

バッハ:無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV1008

J.S.Bach : Suite for Violoncello Solo, no.2, in D minor, BWV1008

演奏:アンナー・ビルスマ(チェロ:使用楽器 ストラディヴァリウス〝セルヴェ〟)

Anner Bylsma (Violoncell Stradivarius “Servais”)

6曲中2曲が短調で、これはそのうちの1曲ですが、特に情感にあふれ、瞑想的な雰囲気の曲です。自分を深く見つめなおしたいときなどに、頭を空っぽにして聴くとよいかもしれません。

第1楽章 プレリュード

豊かなハーモニーを生み出そうとした第1番のプレリュードに比べ、これはメロディーラインが重視され、複声部があるかのように作られています。深い物思いにふけるような音楽です。

第2楽章 アルマンド

プレリュードの内省的な雰囲気を引き継いでいます。演奏技法の上でも、重音奏法など、高度な技術が要求されている難曲です。

バッハ:無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV1009

J.S.Bach : Suite for Violoncello Solo, no.3, in C major, BWV1009

演奏:アンナー・ビルスマ(チェロ:使用楽器 ストラディヴァリウス〝セルヴェ〟)

Anner Bylsma (Violoncell Stradivarius “Servais”)

明るくのびのびとしており、組曲の中でも最も演奏される機会の多い、広く愛されている曲です。

第1楽章 プレリュード

流れるような音符が積み重なっていきます。ハ長調はチェロでも弾きやすく、それだけ4声和音も多く使いやすいため、広がりを見せています。

第5楽章 ブレー

この曲の中で一番知られている曲です。早いテンポの中にも落ち着いた風情があります。

バッハ:無伴奏チェロ組曲 第4番 変ホ長調 BWV1010

J.S.Bach : Suite for Violoncello Solo, no.4, in E flat major, BWV1010

演奏:アンナー・ビルスマ(チェロ:使用楽器 ストラディヴァリウス〝セルヴェ〟)

Anner Bylsma (Violoncell Stradivarius “Servais”)

渋く落ち着いた、大人の音楽です。

第1楽章 プレリュード

前半と後半に分かれ、前半ではアルペジオ(分散和音)が続き、色調が豊かに変化します。後半には緊張が高まり、音階が上下する激しい面も現れます。

第4楽章 サラバンド

旋律の美しさで知られた楽章です。歌うようなメロディを、自ら奏でる和音が伴奏していきます。和音の解決を遅らせる、繋留という技法で情感を高めています。

バッハ:無伴奏チェロ組曲 第5番 ハ短調 BWV1011

J.S.Bach : Suite for Violoncello Solo, no.3, in C minor, BWV1011

演奏:アンナー・ビルスマ(チェロ:使用楽器 ストラディヴァリウス〝セルヴェ〟)

Anner Bylsma (Violoncell Stradivarius “Servais”)

 a線だけをgに調弦する『スコルダトゥーラ(変則調弦』の指示がある曲です。通常の調弦ではできない重音を出すための措置ですが、現代の演奏では、音色が悪くなるというデメリットが生じるため、楽譜の方を書き換えるのが一般的です。でも、この演奏ではバッハの指示に従い、スコルダトゥーラを行っています。この曲集で最も大きい規模をもつ大作です。

第1楽章 プレリュード

緩ー急のフランス風序曲です。「急」部分のフーガは、1台のチェロで弾いているとは思えません。無伴奏ヴァイオリン・ソナタでもこの脅威のフーガが炸裂しています。雄大な楽章です。

第3楽章 クーラント

ここでも、本来複数の楽器でしかなしえない曲が、1台のチェロで実現しています。スコルダトゥーラの効果といえます。クーラントには、速いイタリア風と、ゆっくりしたフランス風がありますが、ここでは後者で、この曲がフランス風を意識して作られたことを示しています。

バッハ:無伴奏チェロ組曲 第6番 ニ長調 BWV1012

J.S.Bach : Suite for Violoncello Solo, no.6, in D major, BWV1012

演奏:アンナー・ビルスマ(5弦のチェロ・ピッコロ:使用楽器 1700年頃チロルで製作、作者不明)

Anner Bylsma (Violoncell Stradivarius “Servais”)

この曲は、実は5弦のチェロのために作られました。一説によると、ここで想定された5弦のチェロは、足で挟む形ではなく、ヴァイオリンのように顎に当てて弾くもので、バッハ自身が考案したと言われています。しかしはっきりした証拠はなく、楽器も現存していないので、今では5弦の小型のチェロ(チェロ・ピッコロ)で演奏され、この演奏でもそれが使われています。

第1楽章 プレリュード

5弦を活かし、高音域を駆使した軽快かつ長大な曲です。やまびこのように、強弱をつけて奥行を出す効果も見られます。

第5楽章 ガヴォット

有名な曲ですが、演奏は至難で、聴いていても苦しそうでさえありますが、親しみやすく楽しい楽想です。

パブロ・カザルスによる再発見

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バブロ・カザルス(1876-1973)

これらの深い精神性を表現した名曲は、その地味さからか、長い間、チェリストにさえ知られていませんでした。これを〝発掘〟したのが、20世紀を代表するスペインの大チェリストバブロ・カザルス(1876-1973)であることはよく知られています。

その発見について、カザルスは次のように述べています。

ある日――その時私は13歳だったが――偶然に一軒の店でバッハの『6つの無伴奏組曲』を見つけた。なんという魅惑的な神秘が、この6つの『無伴奏組曲』という譜のなかにひそんでいたことだろう!私はそのときまで、だれからもこの曲の話をきかなかったし、私も、私の先生も、それがあることすら知らなかった。この発見は生涯での大きな天啓ともいうべきものだった。私はすぐにその特別な重要さをさとり、夢中になってこの組曲を勉強しはじめた…*1

カザルスの歴史的演奏は下記です。

 

アンナー・ビルスマも、ライナーノートで次のように述べています。

それにしても、バッハのチェロ組曲は何とすばらしい作品であろうか。この作品に対する考えは年ごとに変わる。音と音の間には常に新たな関係が発見されるし、個々のモティーフは、それまでとはまったく違ったやり方で、しかも意味深く演奏され得る。むろん、やり方によって演奏が生き生きしてくることもあれば、台無しになることもあるが。いずれにせよ、チェロ組曲を弾く人で自分の演奏に完全に満足できる人はいないはずである。どんなに立派な演奏をしたところで、語り尽くすことのできなかった部分が常に残るのだから。

この曲は、チェリストたちにとってのエベレストのような存在です。ヨー・ヨー・マも、全曲コンサートを行うに当たり、聴衆を飽きさせずにこの曲のすばらしさを伝える困難さを語っていました。

ビルスマの全曲 はこちらです。

 

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*1:コレドール『カザルスとの対話』佐藤良雄訳

ストラディヴァリウス〝セルヴェ〟にまつわる物語。バッハ『無伴奏チェロ組曲 第1番』

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ストラディヴァリ製のチェロ〝セルヴェ〟(スミソニアン博物館所蔵)

ストラディヴァリウスの名器〝セルヴェ〟

前回のシューベルト弦楽四重奏曲は、スミソニアン博物館所蔵ストラディヴァリウスを全て使った演奏でご紹介しました。

そのうちのチェロは、オランダの古楽器チェロ演奏の第一人者、アンナー・ビルスマが、 名器〝セルヴェ〟を使って演奏していました。

今回は、その楽器にスポットを当てたいと思います。

ストラディバリ製のチェロ、通称〝セルヴェ〟は、スミソニアン博物館所蔵の約3,000点の楽器の中でも、ひときわ優れているものとして有名です。

アントニオ・ストラディバリが18世紀最初の年、1701年に製作したものです。日本は元禄時代、犬公方こと五代将軍徳川綱吉の治下、水戸黄門こと徳川光圀が亡くなり、浅野内匠頭江戸城松の廊下で吉良上野介に刃傷に及び、切腹させられた年です。

かなり大型のチェロで、細かいところまで念入りに装飾され、見た目の素晴らしさもさることながら、その音も、これまでこの楽器に触れたあまたのチェリストが『えっ?チェロって本当はこんな音がするのか!?』と叫んだという代物です。

また、この楽器の価値は、後世の改造をほとんど受けていなかった、ということにもあります。

17世紀にはこのような大型チェロがさかんに作られましたが、18世紀になると、だんだんと大きさが縮められてきました。

それは、弦の改良に原因があります。

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ストラディヴァリの工房(想像図)

羊の腸で作ったガット弦

この時代の弦は、羊の腸を使ったガット弦でした。ソーセージの皮で作ったようなものです。(製法には秘法があり、そんな簡単にはできませんが)

とても柔らかく甘い音が出ますが、音量が小さいため、音を大きくするためには楽器を大きくする必要がありました。そのため大型のチェロが主流だったのです。

しかし、17世紀末から、ガット弦に金属線を巻き付けて補強する方法が発明されました。

これによって、低音が明瞭に出るようになり、音量も大きくなって、楽器の小型化が進んだのです

ストラディバリも18世紀になってからは、もう少し小型の楽器を作るようになってきました。

現在使われているスチール弦(金属弦)は20世紀になってから主流となりました。スチール弦は耐久性、音量、表現力ともに、大ホールでのコンサートに向いていたのです。

しかし、近年ガット弦の魅力が見直されるようになって、古楽器ブームが起こりました。私は作曲者が想定したであろう古楽器の響きを好み、このブログではガット弦の演奏を中心に取り上げていますが、スチール弦の表現の幅の広さにも感銘を受けます。それぞれに違った魅力があるわけです。

〝セルヴェ〟は、そんな大型チェロの最後の作品でした。

 

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アドリアン=フランソワ・セルヴェ像

〝セルヴェ〟の物語

その名は、19世紀のベルギーのチェロ奏者、アドリアン=フランソワ・セルヴェ(1807-1866) が20年以上所有し、愛奏していたことから名付けられました。

ベルリオーズから〝チェロのパガニーニ〟と絶賛されたヴィルトゥオーゾ(名人)です。

彼がこの楽器を厳重に管理したおかげで、この楽器は改造の憂き目をみることなく、製作当時の姿を今に保っているのです。

ただ、18世紀以前のように膝に挟むのではなく、地面に固定して演奏するために、エンドピンを取り付けました。

エンドピンは、セルヴェが自分のお腹が出ていて、膝で挟むのが困難なために発明しました。

現代楽器では安定した姿勢で演奏を行うために不可欠になっています。

しかし、当時は木製だったために、木の床だと悪影響を受け、特にストラディヴァリウスのような繊細な楽器は音質が台無しなった、という証言も残っています。

さて、セルヴェは若い頃にロシアに演奏旅行に行き、ロシア皇帝ニコライ1世の前で御前演奏を行い、大喝采を浴びました。セルヴェにはユスポヴァ皇女が所有するストラディヴァリウスのチェロを貸して演奏させたのですが、皇帝の絶賛を聞いて皇女は、『これは貸与ではありません、贈与です!』と叫び、皇帝を喜ばせました。

外国の高名なチェリストに銘器を気前よく与えた、ということは、ロシア帝国の威光を諸国に知らしめることになるからです。

しかし一方で、セルヴェはこの楽器欲しさに皇女に近づき、篭絡して自分のためにこの楽器を買わせた、という一説もあります。皇女の周囲が反対すると、皇女から自分に来たラブレターを公表する、と脅して、スキャンダルになることを恐れた皇室が彼の望みを叶えさせた、というのです。

本当だとすれば何とも卑怯な話ですが、そんな話がささやかれるのも名器の魔力でしょう。

彼はその後、危うくこの楽器を失いかけます。ロシアの雪上を橇で移動中、どこかで荷台から落ちてしまったのです。

それを知った彼の落胆ぶりは激しく、誰も話しかけられないそうでしたが、翌日、ケースに入ったまま、雪の中から見つかったそうです。ケースの皮ひもは狼にかじり取られていましたが、本体に損傷はありませんでした。

その後、彼はこの名器をずっと大切にし、何人かの手を経て、最後の所有者が博物館に寄贈して現在に至ります。

その音は、特に低音に深みがあり、かつ明瞭であって、他の楽器では得られないとされています。

演奏者のアンナー・ビルスマは、この楽器について次のように述べています。

『この楽器を弾くとき、私は自分の技術不足より、想像力の乏しさを痛感する。』

それでは、その名器の音を存分に味わえる曲、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番です。

チェロのみの演奏ですが、その理由、バッハの無伴奏曲とは何か、については次回以降ご紹介したいと思います。

バッハ:無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV1007

J.S.Bach : Suite for Violoncello Solo, no.1, in G major, BWV1007

演奏:アンナー・ビルスマ(チェロ:使用楽器ストラディヴァリウス〝セルヴェ〟)

Anner Bylsma (Violoncell Stradivarius “Servais”)

第1楽章 プレリュード

CMでよく聞く有名な曲です。ハウスメーカーなどが、豊かで落ち着いた生活を演出するのに使われます。この曲を流すと、部屋に不思議と高級感が生まれる、高級家具のような音楽です。それがストラディヴァリウスの音ですから、無料で最高級インテリアを手に入れたようなものです(笑)。曲の構成はフランス組曲などでご紹介した、舞曲に由来する楽章を集めたバロック組曲ですが、曲名の通り、伴奏はなく、チェロのみで演奏されます。それがまた、深く落ち着いたたたずまいを見せています。一見地味ではありますが、豊かな響きとなって聞えてくるのはバッハの高等テクのなせる業です。16分音符の音型の繰り返しになりますが、平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番のプレリュードと同じく、陽の光にゆらめいて様々な色合いに移ろう木の葉のような、変幻的なハーモニーを旋律で表しているのです。不協和音とその解決が、不安な緊張感とホッとしたような安心感を交互に与え、引き込まれていきます。

第2楽章 アルマンド

のびやかで安らぎに満ちたアルマンドです。チェロならではの温かさに満たされます。

第3楽章 クーラント

クーラントの中でもイタリア風の速いテンポで進みます。アルマンドののびやかさとは一転、軽快な中に緊張感もはらんだ音楽です。

第4楽章 サラバンド

サラバンド特有の優雅で高貴な感情を宿した、ゆっくりした舞曲です。

第5楽章 メヌエット

ふたつのメヌエットが、それぞれ違った味わいで続きます。宮廷舞曲らしい気取った感じです。

第6楽章 ジーグ

快調なテンポの終曲です。チェロの渋い音色と、リズミカルな軽いメロディの組み合わせの妙が楽しめます。

 

ビルスマはこの演奏にあたって、a線はガット弦を使用しながらも、他の弦にはガット弦に金属線を巻いた、〝セルヴェ〟では想定されていない弦を張り、弓も現代のスタイルのものを使っています。ですので、楽器は歴史的なストラディヴァリウスですが、厳密には古楽器演奏とは言い難いものです。

しかし、時代のスタイルにはこだわらず、この楽器の魅力を最大限引き出すことを目的にしたわけですので、皇帝や皇女が魅了された音はかくや、と思わせる演奏になっているのです。 

 

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名器で聴く、眠れない夜にぴったりの曲。シューベルト『弦楽五重奏曲 ハ長調』

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ウィーンで評判となった、友人たち主催のミニコンサート、シューベルティアーデ(シューベルトの夕べ)で演奏するシューベルト

シューベルト室内楽の最高傑作

前回、村上春樹の『騎士団長殺し』に出てくる曲として、シューベルト弦楽四重奏曲を取り上げました。

しかし、シューベルト室内楽では、最高峰のこの曲をまず取り上げないわけにはいきません。

弦楽五重奏曲 ハ長調

その若すぎる死の、わずか約2ヵ月前に書かれた作品です。

シューベルトは、最後の年となった1828年に、この五重奏曲のほか、シンフォニー ハ長調〝グレイト〟、ミサ曲 変ホ長調、歌曲集『白鳥の歌』、最後の3つのピアノ・ソナタなど、花火が燃え尽きる最後の輝きのように、奇蹟のような傑作の数々を生みだすのです。

クインテットでは、カルテットにヴィオラをもう1本加えるのが普通で、モーツァルトの有名な2曲もその形です。

でも、シューベルトのこの曲では、チェロが追加になっていて、それが何とも落ち着いた、独特の響きを醸し出しているのです。

この曲は、私にと ってもかけがえのない曲で、若い頃、眠れない夜によく聴いたものです。クラシックを聴くと眠くなるという人は多いですが、私は逆に興奮して眠れなくなってしまいがちです。でも、この曲のしっとりとした情感は、心地良く語りかけてくれて、眠れぬ原因の心配事を忘れさせてくれたのです。

名器ストラディヴァリウスのみによる演奏

ご紹介する演奏は、5つの楽器が全て名器のストラディヴァリウスという、贅沢なものです。

アメリカのスミソニアン博物館に所蔵された銘器を集めた演奏なのです。

奏者と使用楽器は次の通りです。 楽器には全て愛称がついています。

第1ヴァイオリン:ヴェラ・ベス(『オレ・ブル』1678年製)

第2ヴァイオリン:リサ・ラウテンバーグ(『グレフューレ』1709年製)

ヴィオラ:スティーヴン・ダン(『アクセルロッド』1695年製)

第1チェロ:アンナー・ビルスマ(『セルヴェ』1701年製)

2チェロ:ケネス・スロウィック(『メリルボーン』1688年製)

ストラディヴァリについては、以前、千住真理子さん所有の『デュランティ』について書きました。

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楽家兼毒舌家の高嶋ちさ子さんもストラディヴァリウスルーシー』を所有しており、先日TV番組で披露されていました。

ちなみに、高嶋ちさ子さんのお父上は元東芝EMIのディレクターで、ビートルズの楽曲の放題を訳したしたそうです。その際、『ノルウェーの森』を意訳(誤訳?)してしまったとのことで、そのまま村上春樹氏の作品の題名になったのですから、興味深い話ですね。

名器も、優れた奏者の手にかからないといい音は出ないのわけですが、これは出色の演奏です。

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スミソニアン博物館所蔵のストラディヴァリウス

シューベルト『弦楽五重奏曲 ハ長調 D.956』

Schubert : String Quintet in C major, D.956

演奏:ストラディヴァリウスインストゥルメンタル

Stradivarius Instruments from the Smithsonian Institution

Vera Beths, Lisa Rautenberg, Steven Dann, Kenneth Slowik, Anner Bylsma

第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ

闇の中から指す一筋の光のように、引き伸ばされた長い和音から始まります。そして、悦びに満ちた総奏が盛り上がりを見せたかと思うと、たゆたう春の海のような、うっとりするような曲調に移ります。舟の心地良い揺れに身を任せると、さわやかな海風が頬を撫で、海鳥たちが飛ぶのが見える…。前回ご紹介したシューベルトの手紙にあるような絶望感は、みじんもありません。モーツァルトもそうなのですが、死の直前の音楽はどうしてこのように清澄になるのでしょうか。

第2楽章 アダージョ

どこまでも静謐な響きで始まります。優しく語りかけるヴァイオリンを、チェロのピチカートが彩ります。天国的な雰囲気が続きますが、一転にわかに空が掻き曇り、嵐がやってきます。この中間部では、すすり泣くような嘆きが聞かれますが、なぜか聴く人を絶望させることはありません。ただただ、深い感動が心を埋め尽くすのです。そして、再び何もなかったかのように、元の静寂が戻ります。

第3楽章 スケルツォ-トリオ

活気に満ちた音楽は、たった5人で演奏しているとは思えません。まるで、シンフォニーを聴いているかのようです。トリオは、普通見られるようなのどかなものではなく、深い思索に満ちたものです。まさに深夜に聴くにふさわしい楽章です。

第4楽章 アレグレット

シューベルトによく見られるハンガリーの民族舞踊的な音楽です。陽気な中にも、深い抒情をたたえた、決して無邪気な子供の踊りではなく、大人の音楽です。やがて音楽は高揚していき、力強く幕を閉じます。

 

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続・村上春樹『騎士団長殺し』と音楽。シューベルト『弦楽四重奏曲 第13番〝ロザムンデ〟』そして『ファウスト』

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フランツ・シューベルト(1797-1828)

カルテットの魅力

村上春樹氏の『騎士団長殺し』では、オペラが重要なファクターになっていますが、それとともに作品を味わい深くしているのが、何曲か取り上げられている弦楽四重奏曲です。

弦楽四重奏曲String Quartet.

2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロで構成されるカルテットは、クラシックの形式の中でも最も高尚とされ、音楽思考を最も純粋に表すといわれるジャンルです。

シンフォニーとともにハイドンが形式を確立し、ハイドンは〝交響曲の父〟であり〝弦楽四重奏の父〟とも言われています。

少人数で充実した内容の音楽を演奏できることから、家族や友人たちでの気のおけない仲間内での愉しみであり、さらに芸術的にどこまでも深化できる器でもありました。

ベートーヴェンの有名な後期の弦楽四重奏曲などは、その極みです。

しかし、いかんせん弦だけで音色が地味であり、渋すぎるということで、敬遠される向きもあります。

私も若い頃は、ほんの一部の曲を除いて、好んでは聴きませんでした。しかし、年齢を重ねるとともに、その渋い味わいが分かるようになってきました。大人の音楽、ということかもしれません。

あくまでも私の個人の思いですが、ウイスキーに似ているような気がします。ウイスキーも、私は若い頃はあまり美味しいとは思わなかったのですが、四十路を越えると、しみじみ味わいが沁みるようになってきました。

騎士団長殺し』でも、主人公は、オペラと弦楽四重奏曲ばかりの画伯のレコード・コレクションの中から、何曲かを選び、シングルモルトのスコッチをちびりちびりやりながら、耳を傾けています。

まさに至福の大人の時間です。

その中でも、多く取り上げられているのが、シューベルト弦楽四重奏曲です。

漂泊する魂の作曲家、シューベルト

フランツ・シューベルト(1797-1828)。

このブログでは初登場の大作曲家です。

ハイドンモーツァルトベートーヴェンの、古典派三大巨匠の後の作曲家で、初期ロマン派を切り拓いた作曲家、というのが 音楽史の位置づけですが、わずか31歳で亡くなったのは、ベートーヴェンの没後1年後ですから、ほとんど時期的には古典派とかぶっています。

しかし、彼の音楽は古典派ともロマン派とも違い、〝シューベルト的〟としか言いようのないものです。旋律は繊細で、独特のメランコリックな香りに満ちています。

ウィーン近郊の貧しい教師の家に生まれましたが、若くして音楽の才能を発揮し、宮廷礼拝堂児童合唱団の試験に合格し、11歳でコンヴィクトという、国立の全寮制神学校に入学することができました。試験官は、モーツァルトのライバルで、映画『アマデウス』ではモーツァルトを死に追いやったとされている、宮廷楽長アントニオ・サリエリ(1750-1825)。

サリエリは、シューベルトの才能を見出し、しばらくの間、音楽教育を施すのです。それはすでに古い教育内容でしたが、基礎作りには役に立ったはずです。

学校を出てからは、定職につかず作曲に没頭します。定収入はほとんどなく、友人からの支援に頼っていました。まさに、さすらうボヘミアンでした。

出版社からの声もほとんどかからず、生前に出版された曲はわずかです。しかし、全く無名であったというわけではなく、その作品の素晴らしさは、ウィーンで貴族に変わって力をつけていた市民(ブルジョワジー)の間で口コミのように広がっていました。

特に、ドイツ歌曲(リート)は素晴らしく、高名な歌手フォーグルが取り上げてからは一気に人気が出ました。『魔王』『野ばら』『ます』まど、有名な曲は枚挙にいとまがなく、ドイツ歌曲を確立したということで〝歌曲王〟と言われています。

彼が誰かの家に行き、自作を演奏するミニ・コンサート「シューベルティアーデ」(シューベルトの夕べ)は有名でした。

しかし、引っ込み思案で人見知りをするシューベルトは、病気がちでもあり、人生に多くを求めず、〝自分は作曲をするために生まれてきたのだから〟と自らを慰めつつ、31歳の若さで世を去るのです。

世界がシューベルトの真価に気が付くのは死後40年たってのことでした。

ロザムンデ

騎士団長殺し』全編を覆う雰囲気には、シューベルトの音楽はぴったりです。むしろ逆に、村上春樹氏はシューベルトの似合う場面設定をしたのかもしれません。

シューベルト弦楽四重奏曲は数曲名前が出ますが、特に印象的なのが、第13番イ短調〝ロザムンデ〟です。

重要な登場人物、M氏邸を主人公が訪ね、〝騎士団長を招いた宴〟が開かれた際、M氏がかけるレコードが〝ロザムンデ〟でした。

主人公は、家に帰ってあらためて、スコッチを傾けながら、この曲に聴き入るのです。

この曲は、シューベルトの後期の3大弦楽四重奏曲の第1作にあたる作品です。この曲を作曲した頃のシューベルトの心境を表した、友人に宛てた手紙を引用します。

僕はこの世でもっとも不幸で、哀れな人間だと感じている。考えてみてほしい、健康が回復する見込みがもはやなく、その絶望から物事をよいようにではなく、どんどんと悪い方向へもっていくような、そんな人間のことを。考えてほしい、輝いていた希望が無に帰し、愛と友情の幸福がこの上ない苦痛しかもたらさず、美に対する熱狂も消えゆこうとしているような人間のことを。…歌曲は新しいものをほとんど作らなかったが、器楽曲はいくつか試みた。弦楽四重奏曲を2曲と八重奏曲を1曲作曲したが、もう1曲弦楽四重奏曲を書くつもりだ。このようにして大きな交響曲への道を開いていこうと思っている。

鬱々とした思いの中で、創作意欲だけは旺盛です。ここに書かれている2曲の弦楽四重奏曲のうちの一つが、〝ロザムンデ〟です。もう1曲は、第14番ニ短調〝死と乙女〟。このような心境で作られた音楽を、村上氏は小説の意味ある場面でBGMにしているのです。

この演奏は、古楽器を使っています。

シューベルト弦楽四重奏曲 第13番 イ短調〝ロザムンデ〟D.804』

Schubert : String Quartet no.13 in A minor, D.804 op.29 no.1 “Rosamunde”

演奏:モザイク弦楽四重奏団 Quatuor Mosaiques 

第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ

たゆたうような第2ヴァイオリンの上に、第1ヴァイオリンが憂愁に満ちた歌を歌います。この冒頭の部分は、シューベルトの初期の記念碑的な歌曲、『糸を紡ぐグレートヒェン』からとられています。曲が進むにつれて、緊張感は増し、孤独な思いが虚空をさまようかのようです。まさに〝遷ろうメタファー〟を思わせます。

第2楽章 アンダンテ

優しいメロディに心癒されますが、これはシューベルト劇音楽『ロザムンデ』からとられたもので、この曲の愛称にもなっています。シューベルトはオペラや劇音楽にかなり取り組んだのですが、いい台本作家に恵まれず、いま上演にたえる作品はひとつもありません。その点、ダ・ポンテと巡り合えたモーツァルトは、本当に幸運でした。この旋律も、四重奏曲によって親しまれているのです。

第3楽章 メヌエット

チェロの低音から始まるこの曲のメインテーマも、シューベルトがシラーの詩に曲をつけたリート『〝ギリシアの神々〟からのストローフ』からとられていますが、舞曲というより、ゆりかごのような揺らぎを感じる、深いメヌエットです。多様な転調がここでも寂しさや孤独さを感じさせます。初演ではこの楽章がアンコールされたということです。

第4楽章 アレグロ・モデラート 

軽めのリズムは、ハンガリーの民族舞踊風です。 楽しげではありますが、シューベルト独特のメランコリーが漂っています。

ファウストと『糸を紡ぐグレートヒェン』

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ファウスト博士と悪魔メフィストフェレス

さて、この〝ロザムンデ〟ですが、村上氏が取り上げたのには隠された意味もあるのではないか、と私は感じています。

題名がついたのは前述の通り第2楽章からですが、第1楽章は歌曲『糸を紡ぐグレートヒェン』から引用されています。

この歌曲は、若き日のシューベルトが、ゲーテ(1749-1831)の戯曲『ファウスト』のテキストに曲をつけたものでした。

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ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1831)

ゲーテの『ファウスト』では、学問を究めたファウスト博士が、いくら学問をしても宇宙の何もわからない、と悩んでいるところに、悪魔メフィストフェレスが現れ、現世で人生の快楽と悲哀を味わわせてやろう、その代わり死後の魂を売り渡せ、という契約を持ち掛け、ファウストは承諾します。

そしてファウストは、町娘グレートヒェンと恋に落ち、快楽を味わいますが、結果、グレートヒェンは孕み、その母や兄を死に追いやった上に、グレートヒェンも嬰児殺しの罪で投獄、別れの悲哀を味わうことになります。

この歌曲は、恋に落ちたグレートヒェンが、糸車を回しながら、ファウストの甘い口車と激しい接吻を思い出し、物思いにふけっている情景です。

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物思いにふけるグレートヒェン

シューベルト『糸を紡ぐグレートヒェン』D.118

Schubert : Gretchen Am Spinnrade, D.118

ソプラノ:バーバラ・ボニー  Barbara Bonney

これは、シューベルト20歳の作で、ドイツ歌曲を確立させた、と言われている曲です。

シューベルトゲーテの詩を好み、『魔王』を始め、その詩に曲をつけた楽譜をゲーテのもとにせっせと送りましたが、ゲーテはそれらの曲を好まず、返事はありませんでした。

一方、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』を聴いたゲーテは、『私の「ファウスト」をオペラに出来るのはこの作曲家だけだ!』と叫んだといいます。もはやその時にはモーツァルトはこの世にいませんでしたが。

さらに後年、ゲーテシューベルトの『魔王』を優れた歌手の歌で聴き、『以前はこの曲はいいと思わなかったが、このように歌われてはじめて、その素晴らしさが分かった。』と言ったといいます。文豪にして宰相、ゲーテ閣下は何につけても遅いですね…。

さて、『騎士団長殺し』の中では、ふたつの不思議な妊娠が大きな意味を持っていますが、訳ありの子を孕んだグレートヒェンが、その旋律を引用された弦楽四重奏曲〝ロザムンデ〟に暗示されているのではないでしょうか。

深読みしすぎかもしれませんが、村上春樹氏の作品には、クラシックが重要なファクターとなっているのは間違いありません。

さらに言えば、この作品の登場人物は全て劇中の人物であって、そのうちの隠されたふたりが、『オルフェーオ』と『グレートヒェン』なのではないか…と私は仮に読み解くのですが、正解は村上春樹氏の胸のうちですので、永遠の謎です。

いずれ、他の作品もそんな視点で味わってみたいと思っています。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

 

 

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村上春樹『騎士団長殺し』と音楽。オペラ『ドン・ジョヴァンニ』とリヒャルト・シュトラウス『薔薇の騎士』

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リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)

村上春樹と音楽

私はノンフィクションが好きなので、あまり現代小説は読まないのですが、村上春樹氏が昨年久しぶりに出した長編小説『騎士団長殺し』は、一目見てモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニがテーマと分かり、読んでみました。

村上作品をちゃんと読んだのは、浪人時代の『ノルウェイの森』以来でした。

当時は大変なブームで、どうしても読まないわけにはいかないくらいの雰囲気だったのです。

しかし、あまり内容には心を動かされず、予備校の現代文の先生を始め、酷評する人も多く、それ以後、氏の本を手に取ることはありませんでした。(先生は本にカバーをしない主義のため、車内で目立って仕方がない、ともこぼしていました。笑)

しかし、彼が雑誌に連載していたクラシックの批評などは愛読していました。

よく知られているように、村上春樹氏は音楽への造詣が深く、特にクラシック音楽がよく作品に取り上げられるので、なかなかヒットの出ないクラシックのレコード会社やCD店は、村上春樹の小説が出るたびに速攻チェックし、作品に出てくるCDを店頭に並べるのだとか。

そんなわけで、私には村上春樹作品の論評などできないのですが、読んでみると、この作品はとても面白く、その独特の世界にはまってしまいました。

同時に、ノーベル賞の時期になると今年こそ村上春樹文学賞を取れるか??ということが話題になりますが、なかなか取れない理由もちょっとわかる気がしてます。

面白過ぎて、文学作品というより、娯楽小説と捉えられてしまうのではないでしょうか。

しかし、何という深い教養と趣味に満ちた娯楽でしょうか。平易な文章ながら、筋は難解で、色々な解釈が楽しめます。

騎士団長とは誰か

読んでみて、やはり主題は『ドン・ジョヴァンニ』でした。

騎士団長〟はドン・ジョヴァンニに殺された、ドンナ・アンナの父親ですが、オペラの役名の訳語としては昔から〝騎士長〟がポピュラーなので、私もそれを使いました。

しかし、何の長なのか、ちょっとあいまいです。

原語は、小説の中でも紹介されていますが、イタリア語で『Il Commendatore(コメンダトーレ)』です。英語ではコマンダーですので〝司令官〟と訳されることもあります。

村上春樹もおそらく、騎士長ではわかりにくいため、熟慮の末に騎士団長を選んだのでしょうが、一般的に騎士団と言うと、世界史に出てくる、十字軍に由来する『聖ヨハネ騎士団』や『テンプル騎士団』、『ドイツ騎士団』などの騎士修道会が思い出されます。

しかし、これらの騎士団は広大な領地を保有し、実質的に国に匹敵する規模であり、騎士団長は国家元首に等しい地位でした。

ドンナ・アンナの父はそこまで偉くありませんので、一定の地域のトップである〝騎士団管区長〟が実態に合った訳語と思います。

しかし、それでは長ったらしいので〝騎士団長〟にしたのでしょう。それは妥当な選択なので、オペラの方もそろそろ騎士団長にしてもよいのではないでしょうか。

イデアとメタファー

さて、ネタバレに気を付けながら内容に触れていきますが、あれだけクラシック、特にモーツァルトが好きな村上春樹氏が、モーツァルト作品の中でも最も謎に満ち、ドラマティックな『ドン・ジョヴァンニ』にインスピレーションを掻き立てられないはずがなく、長年温めていた構想が、ようやく形になったという気がします。

主人公の画家は、ひょんなことから、認知症になって施設に入った日本画壇の長老の家に、留守番として住み始めます。そして屋根裏から、画伯の未発表の作品を見つけるのです。その絵は日本画ですので、描かれた人々は飛鳥時代の服装を身にまとっていますが、明らかに、『ドン・ジョヴァンニ』の冒頭、〝騎士団長殺し〟の場面が描かれているのです。

そしてそこから、オペラの筋を通奏低音のようにして、不思議な物語が展開していきます。

小説は2部に分かれていて、それぞれ副題がついています。

第1部が『顕れるイデア』、第2部が『遷ろうメタファー編』です。

村上作品は、まさに〝イデア〟と〝メタファー〟が交錯していて、そこが難解であり、面白いところでもあると思うのですが、特に、クラシック音楽に基づいた〝メタファー〟(暗喩)が魅力的です。

ドン・ジョヴァンニ』のメタファーについては、私も読み解けたとはいえませんが、オペラを知らないとおそらく前提が分かりませんので、これから読む方も、すでに読んだ方も、17回にわたって『ドン・ジョヴァンニ』を取り上げた私のブログをぜひお読みください。笑

薔薇の騎士

画伯の晩年は孤高のうちにあり、そのアトリエにこもって、ほとんど世間との交際を避けていたのですが、部屋にはクラシックのレコードがたくさんありました。

それも、オペラ弦楽四重奏曲が中心という、クラシック愛好者の中でも特に通な嗜好でした。

当然、『ドン・ジョヴァンニ』もその中にありました。そして、それを題材とした、未発表の作品。そこには、戦前・戦中を生きた画伯の激動の過去が秘められていたのでした。

そして主人公は〝顕れたイデア〟によって、画伯の人生、そして『ドン・ジョヴァンニ』の一場面を自ら追体験することになります。

作品には、画伯のコレクションを聴くという形で、何曲ものクラシックが取り上げられます。

ドン・ジョヴァンニ』の次に重要な役割を果たすのが、リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)のオペラ『薔薇の騎士』です。しかも、演奏はゲオルク・ショルティ(1912-1997)指揮のウィーン・フィルが名指しされています。リヒャルト・シュトラウスが生きていた時代のウィーンも、物語に重要な意味をもつのです。激動の戦前・戦中を生きた画伯の人生を追うのも、この小説の大きなファクターになっています。また、両オペラとも、不倫の恋をテーマにしていますので、これも主人公の女性関係をめぐる何らかのメタファーなのでしょう。

リヒャルト・シュトラウス作曲 オペラ『薔薇の騎士』前奏曲

演奏:サー・ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1969年録音)

隠された第3のオペラ

この作品で取り上げられるオペラは『ドン・ジョヴァンニ』と『薔薇の騎士』なのですが、第2部を読み進めると、どうしても、あるオペラを思い起こさざるを得ない場面が出てきます。

それは、クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643)の『オルフェオ』か、クリストフ・ヴィリバルト・グルック(1714-1787)の『オルフェオとエウリディーチェ』です。

両オペラともギリシア神話の『オルフェウス物語』を題材にしていますが、モンテヴェルディのものは、史上初のちゃんとしたオペラといえるほど、オペラ草創期の作品で、グルックは、モーツァルトが『ドン・ジョヴァンニ』作曲によって任じられた帝室作曲家の前任で、モーツァルトの先輩筋にあたります。

これらのオペラは、素晴らしい曲ですので、またいつかあらためて取り上げたいと思いますが、名前は出てこないものの、別な意味でこの小説では〝二重メタファー〟になっているのではないか、と私は勝手に思ったので、村上作品の幻想的な雰囲気を感じた曲だけご紹介しておきます。

モンテヴェルディオルフェオ』第2幕より

グルックオルフェオとエウリディーチェ』第2幕より

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

 

 

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遥かなる未来へ、大歌劇の幕が下りる。オペラ『ドン・ジョヴァンニ』(17)第2幕フィナーレ(後)

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モーツァルトドン・ジョヴァンニ』第1幕第16場(終景)

カットされた、締めの六重唱

主人公ドン・ジョヴァンニは、この世のものとも思われない恐ろしい音楽で地獄に堕ちました。

ウィーン版ではそれでおしまい、ですが、プラハでは、いきなりまた楽し気な音楽が始まり、他の登場人物全員がワラワラと駆け込んできます。

その音楽的落差に驚かない人はいないでしょう。でも、モーツァルトと台本作者ダ・ポンテが参考にした(悪く言えばパクった)、ガッツァニーガと台本作者ベルターティの『ドン・ジョヴァンニ』では、地獄落ちの音楽にそこまでの緊迫感はないので、自然な感じです。

モーツァルトの音楽があまりにも迫力がありすぎて、ここでの明転の拍子抜け感は否めません。

ドン・ジョヴァンニ』を喜劇ではなく、ロマンティック、かつデーモニッシュな悲劇として解釈、上演した19世紀には、当然のようにこの締めの六重唱はカットされました。

確かに、音楽的には地獄落ちで完結しているとも言え、モーツァルト自身もウィーン再演でカットしたのですが、しかし、物語の筋上ではカットできない終景です。モーツァルトのカットも、この時代のことですから、芸術上の理由とも限らず、時間的制約や、歌手の都合などからかもしれません。

今では、この終景がカットされることはありません。

地獄落ちの恐怖さめやらぬドン・ジョヴァンニ邸に、ドンナ・アンナ、ドン・オッターヴィオ、ドンナ・エルヴィーラ、ツェルリーナ、マゼットたちが駆け込んできます。

彼らは司法官、つまり警察官を連れて来ていて、ドン・ジョヴァンニを逮捕させ、裁判にかけようと踏み込んできたのです。

プラハやウィーンでの上演では、歌い手が7人しかいなかったため、マゼットと騎士長役は同じ歌手がやっていました。マゼットは騎士長の着ぐるみをあわてて脱いで来たのでしょう。

しかし、ドン・ジョヴァンニの姿はどこにもありません。一同は、気を失っていたレポレロを叩き起こして問い詰めます。あの悪者はどこ!?

レポレロは、自分の主人は悪魔に地獄に引きずり込まれてしまいました、と答えますが、さんざん二人にだまされてきた皆は信じません。

しかし、実際に石像に出会ったドンナ・エルヴィーラの証言によって、あっけにとられながらも、みなその事実を信じ、司法官は帰っていきます。

(ドンナ・エルヴィーラ、ドンナ・アンナ、ツェルリーナ、ドン・オッターヴィオ、マゼット、司法官たちを連れて登場)

全員(レポレロを除く)

ああ、非道な男はどこ?恥ずべき男はどこ?

私の怒りのすべてをぶちまけたい。

アンナ

鎖につながれたあの男を見ないことには、私の心は晴れることはない。

レポレロ

もう無駄ですよ…

あの方にお会いになろうとしても…

もうお探しにならないでください…

遠いところにいっちまいました…

全員

何ですって?どういうこと!

レポレロ

巨人がやってまいりまして…

全員

早く話して!

レポレロ

…でも、私は何もできず…

全員

早く、早く!

レポレロ

煙と火の中で…よく聞いてくださいよ…

石の人間が…動き回らないくださいよ…

ちょうどあそこで…すごい一撃で…

悪魔があの方を引きずり込んだんです…

全員

ああ!なんということ!

レポレロ

本当なんでさ!

エルヴィーラ

ああ、私が出会ったのは、確かにその亡霊だったのね!

全員

ああ、あの方が出会ったのは、確かにその亡霊だったのだ!

人間が手を下す前に、天によって罰が与えられたことを知った一同。

アンナの復讐が成就されたことを受け、オッターヴィオは、あらためてアンナに結婚を申し込みます。

しかしアンナは、1年待ってください、と告げるのです。

オッターヴィオは、今回も、しぶしぶ受け入れざるを得ません。

ふたりの優しくも哀しいデュエットに続いて、ほかの登場人物たちが、これからの自分の身の振り方を語ります。

エルヴィーラは、私は修道院に入って生涯をそこで終えましょう、と。ドン・ジョヴァンニによって目覚されてしまった愛欲を捨て去ろうというのでしょうか、それとも再婚はせず、ドン・ジョヴァンニへの愛を貫こうというのでしょうか。

ツェルリーナとマゼットは、家に帰ってご飯にしましょう、と。ドン・ジョヴァンニによってかき回されてしまった新婚生活のスタートですが、ようやく、平凡ながらも幸せな日常が始まるのです。

レポレロは、旅籠に行って、もっとまともなご主人を探そう、と。

ドン・ジョヴァンニに振り回されてしまった皆の人生を、それぞれに、遥かな未来に向かって仕切り直そうというのです。

オッターヴィオ

ああ、いとしい人よ。今や天が、私たちの復讐をしてくれました。どうか、私に安らぎをください。これ以上、私を苦しめないでください。

アンナ

ああ、いとしい人よ。もう1年待ってください。私の心が静まるまで。

アンナ、オッターヴィオ

いとしい人の望みには、誠の愛なら従わなければなりません…

エルヴィーラ

私は修道院に入って、そこで人生を終えましょう。

ツェルリーナ、マゼット

私たちは、ねえマゼット(ツェルリーナ)、家に帰りましょう。そして一緒にご飯にしましょう。

レポレロ

あたしは旅籠にでも行って、もっとマシな主人を見つけるとしよう。

ツェルリーナ、マゼット、レポレロ

それならあの悪党は、ペルセフォネやハデス(冥界の女王と王)と暮らせばいい。

そして私たち善人は、楽しく繰り返し歌おう、とても古い歌を。

結婚1年延期の謎

これまでも触れましたが、アンナがここでオッターヴィオの求婚に対し、なぜ1年の延期を申し出たか、ということは、古来論議の的になっています。

折しも、秋篠宮眞子内親王の結婚延期が話題となっていますが…。

深読みしない説では、 単に父親の喪に服すため、ということ。確かに、父が殺されたばかりですぐ結婚というのは、オッターヴィオも非常識ですし、アンナが世間の目を気にするのも当然です。

しかし、常識的なこのやりとりをわざわざドラマにし、意味深な音楽をつけるだろうか、というのも、誰しも感じるところです。

主流となっている解釈は、やはりアンナはあの夜、オッターヴィオと勘違いしてドン・ジョヴァンニに犯されていて、心と体の傷を癒すため、というものです。

第1幕で、アンナがその夜の出来事をオッターヴィオに語るとき、危ういところで逃れた、というアンナの話に、オッターヴィオが『よかった…(respiro)』と答えるのも、オッターヴィオの昼行燈さ、単純さを示していて、〝知らぬは亭主ばかりなり〟と聴衆の笑いを誘うところ、という見方もできます。

しかし、私が考えるのは、アンナがドン・ジョヴァンニのことを、よくも悪くも忘れられないからではないか、ということです。

ややフロイト的な解釈ですが、女性にとって夫は、父に代わる存在です。自分を支配し、頼るべき男性は、これまでは父親だったのが、いずれ夫がそれに代わります。端的に言えば、夫は妻をその父から奪うことになります。それを象徴するのが〝騎士団長殺し〟に暗示されているのではないでしょうか。(男女平等の観点からは外れますが、18世紀の話ですので。)

もちろん、父の仇を愛することはできないでしょうが、深層心理の中でアンナは、自分を父から奪ったドン・ジョヴァンニに惹かれてしまっている。そして、父と争うことのないまま、自分を得ようとしているオッターヴィオの支配に入るのを、躊躇している…。

優等生的な無難な男より、野性的で危険な男に惹かれてしまう女性の心理を、アンナを通じて描いているのではないか。人間観察の達人モーツァルトの音楽に、私はそう感じるのです。

ただいずれにしても、1年経っても、アンナとオッターヴィオが結ばれることは考えにくいでしょう。あわれなボンボン、オッターヴィオ…。

永遠のドンナ・アンナ

ドンナ・アンナは、深窓の令嬢でありながら、確固たる意志を持ち、行動力をもった強い女性です。

しかしながら、一部の批評では、劇中での役割は一面的で、ドンナ・エルヴィーラやツェルリーナのように人間の弱さやずるさをさらけ出していないので、ヒロインでありながら重要な役になっていない、と言われてもいますが、ドン・ジョヴァンニと対等な相手役であり、多くの芸術家にインスピレーションを与えてきました。

モーツァルトと同時代の作家、E.T.A.ホフマン(1776-1822)は、『ドン・ジョヴァンニ』に触発されて1813年に発表した小説『ドン・ファン』で、ドンナ・アンナと主人公に会話させていますし、村上春樹も『騎士団長殺し』にドンナ・アンナを登場させています。

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1823年にドンナ・アンナを演じる伝説の歌手、ゾンターク(1806-1854)

モーツァルトが伝えたかったこと

そんな思いを乗せて、残された一同は〝とっても古い歌〟を歌い、この大歌劇の幕を下ろすのです。

一同

悪人の最後はこうなのだ!

悪人にとっての死は、いつでも生と同じものなのだ!

(全幕終了) 

あれだけの強烈なキャラクター、存在感を示した主人公が不在の中で歌われる、この終幕の歌は、さまざまな思いが交錯し、万感胸に迫ります。

遥かなる未来に思いを馳せるような音楽です。

歌が終わった後の、走り抜けるような弦の動きの素晴らしさ!

そして、締めくくりの和音!

ドン・ジョヴァンニ』のフィナーレは、地獄落ちではなく、この六重唱でなくてはなりません。

あんな悪者ですが、いなくなってしまった喪失感が観衆をも襲います。

残った登場人物たちは、自分たちは善人だと信じて疑っていませんが、果たして本当にそうでしょうか?誰しも、心の中にドン・ジョヴァンニを住まわせていないでしょうか?

しかし、そんな凡人たちにも、それぞれの人生があり、おのおの一生懸命、これからの人生を歩んでいこうと決意しています。

悪は必ず滅ぶのだ!

台本通りのこの言葉が、モーツァルトがこのオペラで真に訴えたかったこととは、音楽を聴く限りでは思えないのです。

権威とか、倫理とか、規範とか、世の中のルールと言われるものに大胆に逆らった末に、世の中によって葬られる反抗者。

反逆者よ、万歳!

私には、そんなメッセージが伝わってくるのです。

オペラ『ドン・ジョヴァンニ』のあらすじ、解説は以上でおしまいです。

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