孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

王家のドロドロから生まれた、この上なくキラキラした音楽。ヘンデル『水上の音楽 第1組曲』~ドイツ人の作ったフランス風序曲②

英国王の舟遊びのBGM

前回の『王宮の花火の音楽』と並んで、ヘンデル管弦楽組曲として有名な『水上の音楽 Water Music』を聴きます。

この2曲はCDではよくカップリングされ、ヘンデルの代表作として親しまれています。

結婚式や卒業式などでよく使われる曲『アラ・ホーンパイプ』が含まれているので、このブログを始めた頃に取り上げましたが、ここで改めて、曲ができた背景をご紹介し、全曲を聴いてみます。

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『王宮の花火の音楽』は、ジョージ2世(1683-1760)のために作られましたが、『水上の音楽』はその父ジョージ1世(1660-1727)がテムズ川で舟遊びをしたときのための音楽ですので、時代を少しさかのぼります。

ジョージ1世は、ドイツから来た今の英国王室、ウィンザー朝(第1次世界大戦時に、敵国ドイツの王家名では都合が悪いということで、ハノーヴァー朝から改称)の初代に当たりますが、それを取り巻く人間模様はかなりドロドロしたものでした。

女王、女系が多かった近世英国の王位継承

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アン女王(1665-1714)

ここで、ドイツ人が英国王に迎えられることになるまでの、英国王位継承の流れを振り返っておきます。

スペインの無敵艦隊アルマダ〟を破り、英国絶対王政を確立し、英国を一流国にした英主エリザベス1世(1533-1603)が逝去すると、この〝ヴァージン・クイーン〟には子がいなかったため、血縁から、スコットランド王ジェームズ6世が、イングランドジェームズ1世(1566-1625)として即位します。

イングランド王家はこの時点からテューダー朝からステュアート朝に変わりますが、イングランドスコットランドは、王様が同じ人、というだけでまだ別の国です。

しかし、新教(英国国教会)のイングランドと、旧教(カトリック)のスコットランドは、宗教的に相容れませんので、基本カトリック教徒だった王家と国民の間ではごたごたが続きます。

ジェームズ1世の子、チャールズ1世(1600-1649)の時代に清教徒革命(ピューリタン革命)が起こり、王は断頭台の露と消えます。

ほどなく、チャールズ1世の子、チャールズ2世(1630-1685)が王政復古を果たしますが、その子ジェームズ2世(1633-1701)のときに名誉革命が起こり、王は逃亡。

名誉革命は、ジェームズ2世の娘、メアリ(1662-1694)の夫であるオランダ総督オランニエ公ウィレム3世(オレンジ公ウィリアム3世(1650-1702)がオランダ軍を率いて上陸してきたことで果たされ、逃げた父王の代わりにメアリが女王メアリ2世として即位します。

夫のウィリアムは、単に王配(女王の配偶者)というだけでしたが、王になりたいと言ってごね、ウィリアム3世として、妻と共同統治者となります。

ふたりの間には子が生まれなかったため、そのあとはメアリの妹のアンが即位して、アン女王(1665-1714)となります。

この時代にイングランドスコットランドが統合してグレートブリテン王国が成立し、今のUKの基礎になりました。

アン女王は、デンマークの王子と結婚しましたが、17回妊娠したものの、6回流産、6回死産を経験し、生まれた5人も全員夭折という不幸な結果となり、王家はまた継承問題に悩まされることになります。

血統よりも宗教が大事

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今の英王室の直接の祖、ゾフィー・フォン・デア・プファルツ(1630-1714)

そのため、後継ぎが望めないと分かった段階で、議会は1701年に「王位継承法」を定め、後継王の条件を「ステュアート家の血を引き、カトリック教徒でない者」としました。

それは、名誉革命で父とともに大陸に亡命していた、アン女王の異母弟ジェームズを排除する目的でした。ジェームズはカトリックだったのです。

英国民にとって、血縁が遠くとも、王が新教徒であることが最優先条件だったわけです。

想定されたのは、清教徒革命でクロムウェルに処刑されたチャールズ1世の姉で、ドイツのプファルツ選帝侯に嫁いでいたエリザベスの5女、ゾフィー(1630-1714)でした。

ゾフィーは同じくドイツのハノーヴァー選帝侯エルンスト・アウグストに嫁いでいました。

しかし、ゾフィーはアン女王より先に亡くなってしまったため、ハノーヴァー選帝侯を継いでいた長男、ゲオルク・ルートヴィヒが、英国王ジョージ1世として即位したのです。

なんとも遠い、しかも女系を何代もたどっての王位継承でした。

以前、フランスのブルボン王朝の王たちを紹介しました。あちらはあちらで色々ありますが、どこか楽天的で明るい王たちです。一方、英国王室は、継承の事情も複雑で、どこか薄ら暗いものを感じてしまいます。

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完全に家庭崩壊していたジョージ1世

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ジョージ1世(1660-1727)

そのジョージ1世ですが、お世辞にも王としてふさわしいとはいえない人物だったのです。

ハノーヴァー選帝侯になる前、彼は従妹のゾフィー・ドロテア(1666-1726)と結婚します。

この女性は絶世の美女だったといわれますが、これは持参金と領地目当ての結婚でした。

ふたりの間には、長男として後のジョージ2世と娘が生まれますが、その後は疎遠となります。

ゲオルク(ジョージ)は選帝侯世子時代から、母ゾフィーの侍女であったエーレンガルト・メルジーネ(シューレンブルク夫人)を寵愛しており、結婚後も、美人のお妃はほったらかしにして、愛人だけを相手にしていました。

このシューレンブルク夫人が不美人だったことも、妃のプライドを傷つけました。

ゾフィー・ドロテアは淋しさ、悔しさのあまりか、スウェーデン貴族のケーニヒスマルク伯爵と不倫関係となりました。

ふたりの仲は公然のものとなり、駆け落ちの噂が広がると、宮廷は危機感を持ち、伯爵を暗殺。

遺体はおもりをつけてライネ川に沈められます。バラバラにされて宮殿の床下に埋められた、という噂も立ちましたが、表向きは〝失踪〟ということにされました。

夫ゲオルクが関与した証拠はありませんが、下手人とおぼしき廷臣数名は賞与をもらったとされています。

愛する人を殺されたゾフィー・ドロテアは、ゲオルクに離婚を求めますが、手続きが済むまでの間として、アールデン城に幽閉されました。

結局、正式な離婚は成立しないまま、死去するまでの32年もの間幽閉され続け、再婚どころか、実母以外との面会は許されず、行動にはずっと監視がつけられたのです。

息子ジョージ2世は、美しい母をそんな目に遭わせた父王とずっと不和のままでした。

一方、愛妾のシューレンブルク夫人は、そのまま英国王の公妾におさまりました。

強欲な彼女は、王に謁見したいという者から、面会紹介料をたんまり巻き上げた、ということです。国民からは、その背の高さから〝メイポール〟(5月に広場に立てるお祭りの柱)とあだ名をつけられました。

美人の妃を捨てて、国民に不人気の愛人を取る。今の英王室にも同じようなことがあったような…。王家に生まれたばかりに自由に恋愛できないのでは気の毒ですが。

そんなことから、ジョージ1世は英国民から人気がありませんでした。

当人もなりたくてなった国王ではなかったので、英国を嫌い、故郷ハノーヴァーに滞在しがちでした。

英語も分からないため、政治はウォルポール首相にまかせっきりにした結果、責任内閣制が確立し、〝王は君臨すれども統治せず〟の原則が生まれたのです。まさに結果オーライです。

英国でのジョージ1世の評判が垣間見える当時のジョークがあります。

『国王は疑いもなく情愛の深いお方である。なぜなら、この世のすべての人々の中で、国王が憎んでいる人物はたったの3人しかいないのだから。それはご自分の母と、妻と、息子である。』

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ジョージ1世の悲劇の妻ゾフィー・ドロテア・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク

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ジョージ1世の愛人エーレンガルト・メルジーネ・フォン・デア・シューレンブルク

否定された、国王とヘンデルの不仲・和解説

さてヘンデルは、若き日のイタリア修行で国際的名声を得たあと、ハノーヴァー選帝侯宮廷楽長の座に迎えられます。

主君ゲオルク侯は、音楽への造詣は薄く、高名な芸術家を召し抱えている、という見栄でヘンデルを雇用した面が強かったと考えられます。

そのため、ヘンデルがハノーヴァー宮廷ではあまり仕事をせず、ロンドンに行って私的に活動することも、ある程度容認していたと思われます。

『不義理をした主君が英国王になってしまったため、王の舟遊びの際に、妙なる音楽を奏でてご機嫌を取り、和解した』というのが『水上の音楽』成立の伝説ですが、これは後世のフィクションであることはほぼ間違いない、とされています。

ジョージ1世が即位後、ロンドンでヘンデルを責めたり冷遇したりした記録は全くないどころか、英国に渡って、初めて王室礼拝堂での典礼に出席した際、演奏されたのはヘンデルの『テ・デウム』だったということです。

演奏旅行ばかりして宮廷での仕事をなおざりにしたモーツァルトに激怒した、ザルツブルク大司教コロレードのようなことは起こらなかったのです。

ジョージ1世は、英国に入ると愛妾シューレンブルク夫人をあちこちに同伴して見せびらかしていたといいますから、むしろ、ロンドンで人気のヘンデルについても『もともと余の部下であるぞ』と自慢していた節すらあります。

側近のごますりで実現した水上コンサート

さて、1717年、ジョージ1世は、自分の楽しみのためか、大衆の人気取りのためか分かりませんが、テムズ川での水上コンサートをやりたい、と言い出します。

そして、こうしたイベントのプロデューサーだったスイス人、ハイデッガーに依頼しますが、他に儲け仕事が入っていたために断られてしまいます。

そこで、側近のキルマンゼック男爵が、代わりに自腹で開催することにしました。

その詳しいいきさつが書かれた文書が1922年にベルリンで発見されました。ロンドン駐在のプロイセン外交官、フリードリヒ・ボネットによって書かれたものです。

数週間前、国王はキルマンゼック男爵に、この冬の仮面舞踏会ーー国王は欠かさず必ずご出席されたーーと同様の、予約制による川の上のコンサートを開きたいとの意向を明らかにした。男爵はその旨、ハイデッガーに依頼した。スイス生まれのこの男は、最も知恵のある貴族娯楽の請負人であった。ハイデッガーは、陛下のご要望にできる限り応じたいが、目下、大きな行事、つまりいくつかの仮面舞踏会のための予約を確保しなければならない、と答えた。これらの仮面舞踏会はそれぞれ300から400ギニーの純益が得られるのである。陛下が残念そうにしているのを見て、キルマンゼック男爵は、自分の負担で水上の音楽を実施することを請け合った。必要な指示がなされて、この音楽会は一昨日(7月17日)に行われた。夕刻8時頃、国王は御座船に赴いた。そこに乗船を許されたのは、ボルトン公爵夫人、ゴドルフォン伯爵夫人、キルマンゼック男爵夫人、ウェア夫人、オークニー伯爵、それに寝室付侍従であった。その御座船の近くには数にして50名ほどの音楽家達を乗せた船が続き、彼らはあらゆる楽器、すなわちトランペット、ホルン、オーボエファゴット、ドイツ・フルート(横笛のフルート)、フランス・フルート(リコーダー)、ヴァイオリン、バスによる演奏をした。歌手はひとりもいなかった。その音楽は、ハレ出身で、陛下の首席宮廷作曲家、高名なるヘンデルにより特別に作曲されたものである。陛下はそれをことのほかお気に入られ、演奏するには1時間もかかるその音楽を3回、つまり、夕食前に2回、夕食後に1回繰り返させた。その夜の天候は祝祭にふさわしいもので、御座船や、音楽を聴きに集まった人々を乗せたボートは数えきれないほどであった。この催しをさらに凝ったものにするために、キルマンゼック男爵夫人は河畔のチェルシーにある、故ラネラ卿の別邸に腕によりをかけた夕食を用意した。国王は午前1時にそこにお着きになられ、3時にそこを発ち、4時半頃、セント・ジェームス宮殿に戻られた。キルマンゼック男爵はこの音楽会のために、音楽家だけでも150ポンドを費やした。王子や王女はこの祝祭には全く関与しなかった。*1

催しは、次代の『王宮の花火の音楽』のときと違って、大成功に終わったようです。

ちなみに、催しを主催したキルマンゼック男爵の夫人は、ジョージ1世と愛人関係にあったといわれています。さらにこの夫人は、ジョージ1世の父の庶子、つまり王の異母妹だったという説も。

果たしてキルマンゼック男爵は、妻を王に差し出して取り入ったのか、王の密かな近親相姦の相手を引き受けて出世したのか、いずれにしても相当なごますり男です。

そのごますりの一環で成立したのが、この美しい音楽だというのは皮肉の限りです。

組曲構成の謎

今伝わっている『水上の音楽』は、すべてがこの機会のために作られたものではありません。

こうしたテムズ川における王室の水上音楽の催しは計3回、1715年8月22日、ここに記録された1717年7月17日、そして1736年4月26日に行われ、どの曲がいつ演奏されたのかは定かではないのです。

1736年のものは、ジョージ2世の長男、プリンス・オブ・ウェールズフレデリックの結婚を祝賀するためで、ヘンデルはこのためにも新曲を作曲したと考えられています。

現在残っている、組曲を構成する曲は、自筆譜はなく、無断で出版された楽譜、バラバラの筆者譜、鍵盤楽器への編曲譜からの復元などの寄せ集めで、どの曲がいつ演奏されたのかは不明です。まして、順番などは全く分かりません。

今演奏される楽譜は大きく分けて2種類あり、ヘンデル全集版(クリュザンダー版)ヘンデル全集版(ハレ版、レートリヒ版)があります。いずれも曲数は22曲ですが、配列が違います。

新全集版は、調性と編成から、組曲第1組曲ヘ長調HMV348、第2組曲ニ長調HMV349、第3組曲ト長調HMV350の3つに分けています。

すると、第1組曲はホルンとオーボエ、第2組曲はトランペット、第3組曲はピッコロやフルートが目立って活躍する、という特徴が見えてきます。

いっぽう旧全集は第2組曲と第3組曲を混ぜて、ひとつの組曲として演奏するもので、全体のバランスはよく、一番ポピュラーなスタイルです。

しかし、いずれも〝正解〟の証拠はありません。

こうしたわけなので、演奏者によって独自の配列をしているものもあり、『水上の音楽』は様々なヴァリエーションがあります。

聴きなれない順番だと落ち着かないこともありますが、それも一興です。

とはいえ、当時の管楽器の構造上、異なった調性の曲を演奏するのには大きな制限があったので、新全集の並べ方は理にかなっています。

ここで取り上げるサヴァールの演奏は、独自の解釈で並べていて、それはそれで相応の理由があるのですが、これを新全集順に並べ替えて聴いてみたいと思います。

まずは、第1組曲からです。 

ヘンデル『水上の音楽』第1組曲 HMV348

George Frideric Handel: Music for the Royal Fireworks

演奏:ホルディ・サヴァール指揮 ル・コンセール・ナシオン

Jordi Savall & Le Consert des Nations 

第1曲 序曲

典型的なフランス風序曲で始まります。その典雅さは、まさに本場フランス顔負けという風格です。ティンパニが無いのが、さらにこの音楽を知的な印象にしています。続く「急」の部分はヴァイオリンのソロで導入され、 オーボエに応援されながら、オーケストラのトゥッティが呼応していくさまは、まさにコレッリのコンチェルト・グロッソのフーガを彷彿とさせます。フランス形式をとりながら、中身はイタリア様式を取り入れていて、聴く人は、まさにドイツ職人の技に圧倒されたことでしょう。

第2曲 アダージョ・スタッカート

今度はオーボエがソロで情感たっぷりに歌います。このしっとりとした美しい調べが、テムズの両岸に流れていく様が目に浮かびます。

第3曲 アレグロ

典雅なオケのトゥッティを、ホルンとオーボエが華やかに彩ります。その掛け合いも楽しく、心地良い船の揺れに身を任せている気分になります。

第3曲 アンダンテーアレグロ

3部構成になっている第3曲の後半ですが、再びオーボエが哀歌を奏で、弦が優しく和していきます。その後、先のアレグロが元気に回帰してきます。

第4曲 メヌエット

ホルンが導入する華やかなメヌエットです。野外音楽にふさわしい、アクティブな音楽です。サヴァールの演奏では組曲の締めくくりに置かれています。

第5曲 エール

たゆたう水面のようなリズムに乗って流れる、この旋律には誰もが癒されてしまうことでしょう。さりげないようで、深みもある素晴らしい曲です。

第6曲 メヌエット

これもホルンがリードする、狩を思わせるメヌエットです。まさに王者の音楽です。

第7曲 ブーレー

『王宮の花火の音楽』でも登場した活発なフランス舞曲です。弦が楽し気に生き生きと走り回り、オーボエがそれに続きます。 

第8曲 ホーンパイプ

 「ホーンパイプ」は英国のフォークダンスです。有名な「アラ・ホーンパイプ」は〝ホーンパイプ風〟ということで、別の曲であり、第2組曲に登場します。フランス舞曲が多い中で、わずかな英国風の曲、というわけです。

第9曲 アンダンテ

第1組曲は、後の組曲に比べて、ややバロック的な影がありますが、締めくくりとなるこの曲にもそこはかとない哀愁が漂っています。しみじみと心に沁みる曲ですが、次の曲につなげるような終わり方をしていることもあり、確かにこの曲が最後だと、どうも座りが悪いのは否めません。やはり、実際のコンサートでは明るいメヌエットで締める方がすっきりするとは思います。 


Handel Water Music Suite Jordi Savall I II & III HWV 348 HWV 349 HWV 350

 

次回、第2、第3組曲を聴きます。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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残念な結果に終わった、国王主催の花火大会。ヘンデル『王宮の花火の音楽』~ドイツ人の作ったフランス風序曲①

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アーヘンの和約を記念する花火大会(1749年)

ヨーロッパ中の王侯がマネをしたフランスの宮廷文化

これまで〝ベルばら音楽〟として、リュリからラモーに至るフレンチ・バロック(フランス古典音楽)を聴いてきました。

太陽王ルイ14世が確立したフランスの絶対王政と、それをビジュアル的に具現化したヴェルサイユ宮殿と、そこで繰り広げられる、諸芸術に彩られた宮廷生活、文化は、ヨーロッパの諸王侯の憧れとなり、彼らは競ってその真似をすることになりました。

中でも、文化的な後進国であり、また、政治的にもまとまっておらず、独立した君主国の集まりだったドイツでは、王侯たちが自らの権威を競っていました。

その権威とは、フランス王ルイ14世が手にした、軍事力と並んで、文化力に倣うことだったのです。

そのため、ドイツ諸侯に雇われた音楽家たちは、フランス音楽をその宮廷で作曲、演奏することが求められました。

その切磋琢磨から、音楽先進国のフランス音楽と、イタリア音楽のいいとこどりをした、最高のドイツ音楽が興隆していきます。

宮廷の定番曲、フランス風序曲

フランス音楽の代表は、リュリのフランス・オペラであり、これまで聴いてきたように、王が劇場に入場するときに奏された、緩ー急のフランス風序曲がその象徴でした。

この序曲に、オペラのバレエ曲の抜粋である舞曲を何曲か組み合わせた管弦楽組曲が、フランス音楽の典型となりました。

これらの組曲は、すべてあわせて〝序曲(ウヴェルチューレ)〟と呼ばれ、定番となり、ドイツのあらゆる音楽家がこの形式で作曲しました。

バッハ、ヘンデルテレマンetc...

これから、それらドイツ人が作ったフランス風序曲を聴いていきたいと思います。

ヘンデルの『王宮の花火の音楽』

最初は有名な、バロック音楽の定番曲、ヘンデル『王宮の花火の音楽』です。

これもフランス風序曲の形式をとっています。

ヘンデルはドイツのハレで生まれ、若くしてイタリアに留学、名声を得て、ドイツのハノーヴァー選帝侯の宮廷楽長となりました。

しかし、楽長の仕事はさぼって、英国のロンドンでオペラを上演し、大人気を得ていました。

しかし、よりによって不義理をした主君のハノーヴァー選帝侯ゲオルクが、英国王に即位してジョージ1世となります。そのご機嫌を取るために『水上の音楽』を作曲したというのは有名な逸話ですが、これは今では否定されています。

ともあれ、優雅な宮廷文化とは無縁な英国にとって、大陸のフランス、イタリア両先進音楽を自在にあやつれるヘンデルは、王室、貴族、市民いずれにとってもこの上なく頼りになる存在だったのです。

最後は英国に帰化し、英国人として亡くなり、栄光のうちにウェストミンスター寺院に葬られます。

国王と国民、お互いに無関心…

時代は、ジョージ1世の息子、ジョージ2世の御代です。

スチュアート朝がアン女王で断絶し、女系の血縁によってドイツから迎えられたハノーヴァー朝の国王たちは、もともとがドイツ人で、英語もろくに話せませんでした。

政治にも無関心だったため、英国で議会制民主主義が発達した、というのは有名な話です。

そんな国王には国民も無関心でした。当時の国民にとっては、国王など誰でもよかったのです。女系継承で君主が国民の支持を得るのは、歴史的には並大抵のことではないのです。

そんな折、英国は、これも国民のほとんど関心のない戦争を戦っていました。これまでも何回か触れたオーストリア継承戦争です。

ほとんどの国民は、国が誰を相手に、何のために戦っているのか、理解していませんでした。

そんな中、自ら出陣したジョージ2世が、大砲の音に驚いた乗馬が敵中に走りこんだお陰で、戦いに勝利します。デッティンゲンの戦いです。

これには英国民は狂喜し、ジョージ2世は初めて、人気者となることができました。

その勝利を祝うため、ヘンデル『デッティンゲン・テ・デウム』を書いたのは以前ご紹介しました。

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国王の思いつきイベント

その後、8年に及んだこの泥沼の戦争は、1748年10月7日にアーヘンの和約終結しました。

しかし、どの国も〝勝った〟と主張しているようなあいまいな終わり方だったので、国民の盛り上がりも今一つでした。

自ら戦ったジョージ2世としては、それに不満で、英国の勝利をはっきり国民に示すため、盛大な 「平和条約祝賀行事」をやろう!と思いつきます。

イベントは、正式に講和が宣言される翌年の1749年2月のあと、4月に予定されました。

そして、会場となるヴォクソールのグリーンパークに、巨大な木造パビリオンの建設が始まりました。

それは、古代建築に範をとったパラーディオ様式で造られ、中央に勝利のアーチ、周りにはギリシャ式の柱廊、ポセイドンやマルスといった神々の像、そして、英国を擬人化した女神ブリタニアに〝平和〟を手渡している国王ジョージ2世の巨大な像が配置されました。

そして、イベントでは盛大な花火とともに壮大な音楽を演奏することになり、それがヘンデルに依頼されたのです。

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ジョージⅡ世(1683-1760)

国王の〝思し召し〟に逆らうヘンデル

ヘンデルが以前、プリンス・オブ・ウェールズの結婚祝賀のために作曲したオペラ『アタランタの中の花火の音楽は、その後、花火大会の定番のBGMとして使われていて、すでに〝花火といえばヘンデル〟でした。

このイベントは、元祖〝音と光のページェント〟で、ジョージ2世は、建設途中のパビリオンを何度も見に行くほどの熱の入れようでした。

国王は、ヘンデルの音楽にも注文をつけ『弦楽器を使わず、軍楽器の吹奏楽だけで行うように』との意向を示しました。その方が勇ましく、戦勝記念にふさわしい、と考えたのでしょう。

しかし、ヘンデルはそれでは音量、音質ともに不足と考えたのか、どうしても弦楽器を加えるべき、と言って譲りません。

間に挟まった大臣は、ヘンデルの頑固さにいらだちます。

花火の責任者、火砲長官モンタギュー公爵の書簡です。

ヘンデルは今、12本のトランペットと12本のホルンだけの使用を考えているものと思われる。当初はそれぞれ16本の予定だったし、私からも陛下にそう申し上げたことを覚えている。陛下は、そのとき、そういった音楽には反対の意向だった。しかし、軍楽も多く使用されることになっている、と申し上げると、陛下は大いに悦ばれ、ただし、ヴァイオリンは使用しないようにとの希望を述べられた。ヘンデルはといえば、トランペットその他の数を減らし、ヴァイオリンを使用するつもりになっていた。陛下がこのことを耳にすれば、さぞ気を悪くされることは疑いようがない。ことが確実に陛下のお気に召すように運ぶためには、軍楽の楽器だけで編成すべきなのだ。そうでない限り、陛下の不興を買うことは目に見えている。したがって、ヘンデルは、ヴァイオリンを削除しないにしても、トランペットやその他の軍楽の楽器をできる限り増やした方が良いし、また、そうすべきだと確信している。ただ、彼はけっしてそれを聞き入れないと思うのだが。この2週間に、陛下がこのような意向を漏らされたということを、私はつい最近、信頼できる筋から聞いたので、こんな話をするのである。*1

モンタギュー公爵は、さらに後日、別な書簡でブチ切れています。

今朝、国王は光栄にも私に花火のことで声をかけられた。その話の中で陛下はヘンデルの序曲のリハーサルはいつかと機嫌よく尋ねられた。そこで私は、それについてはヘンデル氏が異議を唱えており、何も申し上げられませんとお答えした。(中略)今のところヘンデルはそれをヴォクソールで行うことを拒否している。陛下は、これについてはヘンデルに非があるとお考えのようである。私も全く同感だ。彼の序曲が演奏されようとされまいと、そんなことはどちらでも構わない。他の作品にも容易にとって代えられるのだから。ヘンデルの作品が演奏されない理由を陛下に知っていただければ私は満足なのだ。ヘンデルもその理由を知っている。リハーサルをヴォクソールで行うことが人々にとって大きな利益となり、また、倹約にもなるのだから、もし彼が陛下にお仕えしようという熱意を、それとは反対の行為、つまり、リハーサルをそこで行わないという行為によって示そうとするのであれば、もう彼の序曲に完全に見切りをつけ、他の曲の使用を考えようと思う。*2

ずいぶんとモメにモメたようですが、最終的にはヘンデルは国王の意向に従い、増強した吹奏楽で演奏することに決定しました。

それはトランペット9本、ホルン9本、オーボエ24本(!)、ファゴット12本、ティンパニ3対という編成でした。

ただ、自筆譜には、オーボエファゴットに弦楽器を重ねるという指示が書き加えられているのです。さらに後から、最後のメヌエットだけその指示が外され、管楽器だけになっており、色々モメたあとがうかがえます。

リハーサルは100人のオーケストラだったという記録がありますから、実際の演奏ではヘンデルは弦楽器を加え、最後の楽章だけ国王の意向に従って、お茶を濁したのかもしれません。

4月21日に実現した公開リハーサルには、なんと1万2千人以上が詰めかけ、ロンドン橋は馬車の渋滞で3時間にわたって通行止めとなった、ということです。

残念な結果に終わった本番の花火

そして迎えた、4月27日の本番。

当日の段取りは、王室火砲係の記録によれば次のようなものでした。

ヘンデル氏によって作曲された軍楽の楽器による壮大な序曲ののち、合図が出され、それから101発の王室の礼砲とともに花火がはじめられる』

しかし、実際にはそのようには運びませんでした。

ヘンデルの演奏ののち、礼砲まではうまくいったのですが、花火はどうしたわけか一向に始まりませんでした。

間が悪いので、ヘンデルがもう一度演奏を繰り返したところ、ようやく花火が打ち上がり始めました。

しかし、観衆が歓声を上げたのもつかのま、また再び沈黙。そのうちに木造のパビリオンに火が付き、国王の像も含めて焼け落ちてしまったのです。

当時の証言です。

ロケット花火や、空中に打ち上げられたものはすべて非常にうまくいった。しかし、回転花火やその他肝心な部分を構成している花火のすべては情けないほどうまく作動せず、炎の色や形が変化しなかった。花火の光も貧弱で、点灯が緩慢なために最後まで忍耐強く待つ者はほとんどいなかった。その上、右側のパビリオンに火がつき、ショーの真っ最中に焼け落ちてしまった。このことも全体の不手際に拍車をかけた。(ウォルポールの手紙)*3

国王がこの結果にどんな感想を持ったのかは記録がありませんが、責任のなすり合いが続いたということです。

一連のパビリオンを設計し、イベントをプロデュースしたフランス王室の舞台芸術家、ジョヴァンニ・サルヴァンドーニは、花火の現場責任者である「戦いと勝利のための陛下の花火監督官」チャールズ・フレデリックに対し、剣を抜いて詰め寄ったとのことです。

もうすぐ夏が来ますが、今でも花火大会は期待が大きいだけに、花火師たちは相当な緊張を強いられるでしょうから、当時、技術が未発達な中で奮闘した担当者たちは気の毒な気もします。

ともあれ、ヘンデルの音楽そのものは好評だったはずです。

ヘンデルは1ヵ月後、自身が理事に就任した捨子養育院の礼拝堂を完成させるための資金を得るために、建設途中の礼拝堂で行ったチャリティーコンサートで、この『王宮の花火の音楽』を演奏しました。

この時には、ヘンデルが理想とした、弦楽器を加えたオーケストラ編成で演奏され、今も一般的にはそのスタイルで演奏されています。

折しも、ドーバー海峡の向こう岸、旧敵国のフランスでも、講和記念オペラ『ナイス、平和のためのオペラ』がラモーによって上演されたのは先述しました。

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それでは、『王宮の花火の音楽』を聴いていきましょう。

全5曲の組曲で、壮大なフランス風序曲に続き、舞曲のほか、「平和」「歓喜」と題された表題音楽も含まれます。締めは、お約束のメヌエットです。

ヘンデル『王宮の花火の音楽』HWV351

George Frideric Handel: Music for the Royal Fireworks

演奏:ホルディ・サヴァール指揮 ル・コンセール・ナシオン

Jordi Savall & Le Consert des Nations 

第1曲 序曲(アダージョ

軍楽隊の小太鼓のドラムロールから始まる演奏が多いですが、この演奏では出てきません。フランス風序曲の「緩」の部分です。朗々と鳴るトランペット、それに呼応するオーボエ。これ以上壮麗な音楽はないでしょう。どこまでも雄大、広壮な序曲で、まさに野外ページェントの幕開けにふさわしい曲です。

重々しい付点リズムによって王の威厳を示すという、フランス風序曲の様式を、さらに効果的にしたといえますが、英国とフランスの決定的な違いは、この曲を真に楽しんだのは、国王ではなく、市民だったということです。

国王も、自分の戦勝をアピールするために作らせたわけですが、その目的は、市民を喜ばすことにあったのです。

序曲(アレグローラントマンーアレグロ

いよいよ、もったいぶった導入によって、「急」の部分に入っていきます。この演奏では、ここでドラムロールでつないでいます。

トランペットの軽快なファンファーレに、オーケストラが呼応し、それがひとつになって音楽史上最高ともいえる盛り上がりを繰り広げます。

私はこの曲を初めて聴いたとき、これでもか!というたたみかけに、思わずのけぞったのを覚えています。これを表面的な虚飾、ととらえる向きもありますが、この生気に満ちた音楽に元気をもらわない人がいるでしょうか。自筆譜には、戦い風に、と書かれていますので、ラモーの『ナイス』序曲と同様に、戦いを表していると考えられます。

途中で冒頭の「緩」の部分が入り、さらに「急」が回帰して、壮大に曲を締めくくります。

第2曲 ブーレー

序曲の興奮冷めやらぬ中、フランス様式の壮麗な舞曲ブーレーが続きます。2分の2拍子の速い楽章で、初演版では木管だけで作曲され、まさに前曲の盛り上がりを冷ます役目だったと考えられます。前半と後半に分けられていて、それぞれ反復の指示がありますが、オーケストラ版では、2度目は逆にオーボエファゴットは無しで、と注記されており、ヘンデルの本来の意図がうかがえて興味深いです。

第3曲 ラ・ペ(平和)

フランス語で「ラ・ペ」(平和)と題されている、表題通り穏やかな音楽です。形式としてはシチリアーナ舞曲であり、牧歌的なホルンが平和な雰囲気を醸し出しています。田園=平和というイメージは当時から定番でした。

第4曲 ラ・レジュイナンス(歓喜

この曲もフランス語で「ラ・レジュイナンス」(歓喜)と題されています。フランスとの戦勝を記念した式典で、フランス語で題された曲を演奏するのも異様な気がしますが、このイベントのプロデューサーもフランス人であり、こうした式典そのものがフランスからの輸入だったわけで、英国には無い文化だったのです。

曲は3回反復され、オーケストラ版では1度目はトランペット、打楽器と弦、2度目は木管とホルンだけ、3度目は全員で演奏されます。だんだんと盛り上げて歓喜を演出しようとしたヘンデルの意図が明らかで、ヘンデルが国王に逆らってまで弦の使用にこだわった理由が分かります。

第5曲 メヌエット

組曲の締めの定番、メヌエットです。トランペットを始めとする全楽器に小太鼓が加わり、国王が望んだ軍楽の雰囲気たっぷりに仕上げています。宮廷舞曲の面影はない、壮大な音楽です。

メヌエット

オーボエと弦が、物悲しい旋律を奏でる、実質的にはトリオの役目を果たしてる第2メヌエットです。

メヌエットⅠ(ダ・カーポ

第1メヌエットの回帰で、組曲を盛大に締めくくります。最初に第1メヌエットを持ってこず、この曲を第2メヌエットとしている演奏もあります。

 

サヴァールの演奏動画です。


Handel Music for the Royal Fireworks Jordi Savall Le Concert des Nations

 

また、国王の意向に従った、管楽器のみの初演時を再現した演奏もあります。古楽器で24本のオーボエをそろえるのは大変でしょうから、貴重な演奏といえます。

グリーンパークに実際に鳴り渡った響きはおそらくこちら、というわけです。

演奏:トレヴァー・ピノック指揮 イングリッシュ・コンサート

 

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*1:クリストファー・ホグウッド三澤寿喜訳『ヘンデル』東京書籍

*2:前掲書

*3:前掲書

26歳の作曲家が死の床で聖母に捧げた〝白鳥の歌〟ペルゴレージ『スターバト・マーテル』

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マンテーニャ『磔刑図』(1459年)

十字架にかけられた我が子を見つめる母

ペルゴレージ(1710-1736)は、インテルメッツォ奥様女中で一世を風靡しましたが、その名を不朽のものにしたのは、その若すぎる死の間際に書いた宗教音楽スターバト・マーテルです。

バロック音楽として今もよく聴かれているのは、『奥様女中』よりもこの曲なのです。

スターバト・マーテル』は、カトリックの聖歌で、13世紀にヤコポーネ・ダ・トーディによって作られたと伝えられますが、作者は教皇インノケンティウスⅢ世に擬せられることもあります。中世にはグレゴリオ聖歌として歌い継がれてきました。

歌詞が〝スターバト・マーテル・ドロローサ...(悲しみの聖母は立ちたまえる…)〟から始まるところからこの名で呼ばれ、十字架に架けられたイエス・キリストのかたわらに立ち尽くす、聖母マリアの悲しみに思いを馳せた感動的な聖歌です。

あらゆる時代に作曲され続けた聖歌

「聖母の七つの悲しみ」の日に歌う習慣となったことから、ルネサンス期にはパレストリーナバロック期にはシャルパンティエ、ヴィヴァルディスカルラッティ父子、古典期にはハイドン、ボッケリーニ、シューベルト、近代になってもロッシーニドヴォルザークヴェルディ、グノー、プーランクなどに作例があり、ずっと作曲し続けられてきた聖歌です。

ペルゴレージは、1733年にナポリで『誇り高い囚人』と『奥様女中』を上演したあと、翌年ローマにデビューして聖ロレンツォ教会で『ミサ曲ヘ長調』を指揮します。

その後ナポリに戻り、オペラ・セリア『シリアのハドリアヌス』とそのインテルメッツォ『リヴィエッタとトラコッロ』を上演しますが、『奥様女中』ほどの成功は収めませんでした。

1735年には再びローマを訪れ、オペラ・セリア『オリンピアーデ』を上演しますが失敗。この頃から結核を患うようになってしまいます。

1736年初めには、療養のため、ナポリ近郊の港町ポッツォーリに移ります。

死の床での作曲

ちょうどポッツォーリに居を移した頃、1736年に、ナポリ貴族たちによる信徒集団「悲しみの聖母騎士団」から、『スターバト・マーテル』作曲の依頼を受けました。

この団体は、毎年キリスト受難の主日後の金曜日の礼拝に、アレッサンドロ・スカルラッティ(1660-1725)が1724年に作曲した『スターバト・マーテル』を演奏していましたが、これがやや古い音楽になってきたため、新曲への差し替えを依頼してきたのです。

アレッサンドロ・スカルラッティは、近代ピアノ奏法の父といわれるドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)の父で、ナポリ楽派オペラの創始者にも位置付けられる偉大な巨匠ですが、音楽の好みが時代とともに変化するのは世の常です。

ペルゴレージは、病をおして曲を完成させ、それからまもなく、同年3月16日に世を去ります。

ポッツォーリでの療養は3ヵ月間ほどだったことになります。

白鳥は死ぬ前に歌う

彼はなぜ病の中で作曲したのでしょうか。

オペラの失敗を取り返そうとしたのか、経済的な理由なのか、謎ですが、結核は当時不治の病であり、ポッツォーリに転地したときには死を覚悟していたと思われますから、信仰心も大きな理由だったかもしれません。

後年、モーツァルトが死の床で『レクイエム』を作曲したこととシンクロします。

そんないきさつからも、この曲はペルゴレージ白鳥の歌といわれています。

白鳥はふだん、その美しい姿には似つかわしくない声で鳴きますが、死ぬ間際には美しい歌で歌う、という言い伝えから、詩人や作曲家の最後の作品がこのように呼ばれることがあります。

スターバト・マーテル』は、我が子が目の前で十字架に架けられ、それもすぐには絶命できず、苦しみ抜いているのを、何もできずに見守るしかない聖母マリアの悲痛な心境を歌ったものですが、これに作曲者の死もオーバーラップし、聴く人の心を打ってやまないのです。

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ボウツ『マーテル・ドロローサ(悲しみの聖母)』

ペルゴレージスターバト・マーテル

Giovanni Battista Pergolesi: Stabat Mater

演奏:デイヴィッド・ベイツ指揮 ラ・ヌオーヴォ・ムジカ

ルーシー・クロウ(ソプラノ)、ティム・ミード(カウンター・テナー)

David Bates & La Nuova Musica

第1曲 二重唱『悲しみの聖母は涙にくれて』

悲しみの聖母は涙にくれて

御子がかけられた

十字架のもとに立ち尽くされる

ペルゴレージの『スターバト・マーテル』は、アレッサンドロ・スカルラッティの旧作と同じ、ソプラノとアルト、弦楽、通奏低音という簡素な編成です。冒頭、たたみかけるような弦の悲痛な叫びが胸を打ちます。そして、ソプラノとアルト(この演奏ではカウンター・テナー)が絡み合いながら、十字架の元に絶望して立ち尽くす聖母の姿を描写していきます。弦は絶え絶えな息遣いを現わし、イエスの瀕死の苦しみをたどっていますが、末期の結核に苦しみながらペンで音符を綴るペルゴレージの姿も思い浮かびます。次から次へと湧き出でる新しい楽想と、まもなく消えゆかんとする我が命と。彼の胸にはどんな思いが去来していたのでしょうか。

第2曲 アリア『嘆き悲しみ』

嘆き悲しみ

苦しめる御子の魂を

剣がつらぬいた

ソプラノの悲痛なアリアが、十字架上のイエスの苦しみを歌います。弦の鋭いパッセージがイエスを貫いた剣をイメージさせます。

第3曲 二重唱『おお、神のひとり子の』

おお、神のひとり子の

祝福されし御母は

悲しみと傷はいかばかりか

世の中に、自分の子どもの死に遭うほどつらいことはないでしょう。後年、相次いで我が子に先立たれたドヴォルザークも、悲痛な『スターバト・マーテル』を作曲しています。二重唱が、聖母の悲痛な胸のうちを察して歌います。

第4曲 アリア『尊き御子の苦しみを』

尊き御子の苦しみを

ご覧になって嘆き悲しみ

うち震えておられる

一転、オペラのような変ホ長調の明るいアルトのアリアになります。歌詞に似つかわしくないように感じますが、これはこの時代の教会音楽に一般的に見られる傾向で、当時からも賛否両論がありましたが、明暗の組み合わせがあってはじめて、悲しみが引き立つ効果もあるのです。しかし、モーツァルトの師でもあったイタリア音楽の権威マルティーニ神父は、世俗的な音楽だとして切り捨てています。

第5曲 二重唱『これほどに嘆きたまえる』

これほどに嘆きたまえる

救い主の御母を見て

泣かない者は誰か

御子とともに苦しみたまえる

慈悲深い御母を眺めて

悲しまない者は誰か

その人々の罪のために

拷問と鞭に身を委ねられた

エスを御母はご覧になったのだ

ソプラノとアルトが、かわりばんこに、こんなマリアさまを見て悲しまない者がいるのか!と非難口調で問いかけます。そして、最後のフレーズでは一緒に、決然と、イエスがどんな苦難を受けたのかを叫びます。

第6曲 アリア『また苦悶のうちに見捨てられ』

また苦悶のうちに見捨てられ

息絶えられた

愛する御子をご覧になった

前曲の激しい口調を引き継ぎ、ソプラノのアリアが、ついにイエスの死をみとったマリアの姿を劇的に歌います。

第7曲 アリア『愛の泉なる聖母よ』

愛の泉なる聖母よ

御身とともに悲しむよう

われに嘆かせたまえ

アルトのアリアが、聖母のこの上ない苦しみに対し、自分も一緒に嘆かせてください、と哀願します。後半には、日本の演歌の節回しのようなフレーズが出てきます。

第8曲 二重唱『その御心にかなうべく』

その御心にかなうべく

われを神なるキリストを愛する火で

燃え立たせたまえ

情熱的なデュエットが、キリストへの燃え立つ愛を歌います。まるでオペラの一場面のようにドラマチックです。ペルゴレージの音楽は、時々ハッとするほど現代的な響きがあり、これが当時星の数ほど輩出した作曲家の中で、後世まで残った理由だと思います。

第9曲 二重唱『聖なる御母よ』

聖なる御母よ

十字架に釘付けされた御子の傷を

わが心に深く刻みたまえ

わがためにかく傷つけられ

苦しまれた御子の栄光を

われにも分かちたまえ

わが命のある限り

十字架につけられた御子に対し

御身とともに涙し

苦悩させたまえ

われは御身とともに十字架のもとに立ち

御身とともに嘆かせたまえ

乙女の中の清らかな乙女よ

われを拒むことなく

御身とともにわれを泣かしたまえ

人々の罪を背負った十字架上のイエスの死によって人々は救われた、とするのがキリスト教の教義ですので、信者にとってその死は、悲しいと同時に、この上なくありがたいものです。その複雑な心境を歌う切々としたデュエットです。マリアに甘えるような、切々としたフレーズが印象的です。

第10曲 アリア『われにキリストの死を負わしめ』

われにキリストの死を負わしめ

受難をともにし

その傷を再びわれにも与えたまえ

御子の傷をもってわれを傷つけ

その十字架と御子への愛によって

我を酔わしたまえ

ヴァイオリンのソロが、イエスに与えられた鞭のように響くト短調のアルトのアリアです。実に技巧的に作られた感動的な歌です。

第11曲 二重唱『おお乙女よ、審判の日に』

おお乙女よ、審判の日に

炎と熱よりわれを守りたまえ

十字架によってわれを守り

キリストの死によって前を固め

恩寵によって慈しみたまえ

一転、変ロ長調アレグロの楽し気な明るいデュエットになります。これは、恐ろしい審判の日でも、キリストが業火から守ってくれる、という喜びを表したものですが、まるでオペラだ!という批判もあったでしょう。

第12曲 二重唱『肉体が死するとき』

肉体が死するとき

魂に天国の栄光を与えたまえ

ヘ短調、ラルゴのデュエットです。哀調に満ちた清澄な響きは、モーツァルトのレクイエムにも共通するものがあり、まさに〝白鳥の歌〟と呼ぶにふさわしい美しさです。死を前にし、魂が天国に召されることを願った思いが込められていると感じざるを得ません。

第13曲 二重唱『アーメン』

アーメン

終曲は、フーガ調の、合唱曲のようなアーメンです。簡素に、かつ力強く全曲を締めくくります。

偽作が118曲?

26歳の若さで夭折したペルゴレージですが、『奥様女中』と『スターバト・マーテル』によって、死後、その名声は神話的に高まりました。第二次大戦中に出版された『ペルゴレージ全集』には148曲が収められているのですが、その後の研究で、69曲はペルゴレージの作ではなく、49曲は疑わしい作品であり、真作と認められたのはわずか30作なのです。

ペルゴレージ作〟とすれば、どれだけの偽作が売れたのか、を示しています。

しかし、ペルゴレージの功績は、単なる〝一発屋〟ではなく、〝新しい曲〟を作り出したことにあります。

たった26年の生涯で、次の時代を切り拓いた偉人がいたのです。

 

こちらはルセ指揮タレン・リリックの演奏です。


Pergolesi׃ Stabat mater, for soprano & alto ¦ Les Talens Lyriques

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ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710-1736)
Pergolesi: Stabat Mater - Bach: Cantatas BWV 54 & 170

Pergolesi: Stabat Mater - Bach: Cantatas BWV 54 & 170

 

 

 

 

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男を結婚に追い込む女の策略とは。ペルゴレージ:インテルメッツォ『奥様女中』第2幕

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メイドに迫られたご主人様の運命やいかに

歴史を変えたオペラ、ペルゴレージ(1710-1736)のインテルメッツォ(幕間劇)奥様女中第2幕(最終幕)です。

メイドのセルピーナに結婚を迫られた、貴族の主ウベルト

その後の展開には、歌もセリフもない、黙役の従僕、ヴェスポーネが一役買います。

 

ペルゴレージ:オペラ『奥様女中』第2幕

Giovanni Battista Pergolesi: La serva padrona

演奏:マルコ・ダラーラ指揮 アンサンブル・レギア・アカデミア

Marco Dallara & Ensemble Regia Accademia

〝嵐の隊長〟あらわる

第2の幕間。メイドのセルピーナが、軍服姿のいかめしい男とひそひそ話をしています。

その軍人は、従僕のヴェスポーネ(黙役)が変装した姿。付け髭をつけて、いかにも恐ろし気な雰囲気です。

セルピーナは、ウベルトが自分との結婚に踏み切るよう、一計を案じ、ヴェスポーネにその片棒を担がせようというのです。

そして、まんまと私が奥方の座についたなら、あなたをこの館の第2の主みたいにしてあげるからね、と。薄ら暗い取引が成立しました。

そこにウベルトがやってきて、嫌味たっぷりに『そろそろ外出許可をいただけますかな?』とセルピーナにお伺いを立てます。

セルピーナは『お嫁さん探しにいらっしゃるんでしょ?どうぞ』とそっけなく答えます。

ウベルトは『そうだ、お前なんかとは結婚せんぞ!!』と怒鳴ると、セルピーナはしおらしく『分かっていますわ、自分の身の程は。私も身の振り方を考えて、結婚することにいたしました。』と告げます。

急な話に、もう?誰と?と、面食らうウベルト。

セルピーナが言うには、相手は軍人で〝嵐の隊長〟と呼ばれている、変り者で乱暴者だとのこと。

ウベルトは、お前はただでさえ生意気なのに、そんな男の嫁になったらどんな目に遭うか分からんぞ、わしはお前を大事に思っているのだぞ、と心配モードになってしまいます。

これこそセルピーナの思うつぼ。アリアでウベルトの憐れみを誘います。

セルピーナのアリア『セルピーナのことを忘れないで』

セルピーナ

セルピーナのことを忘れないで

どうかいつまでも

そしておっしゃるでしょう

『ああ、かわいそうに。昔は仲良しだったのに』と

(傍白)

どうやら早くも少しずつ折れてきたみたい

(正白)

これまで生意気だったこと

どうかお許しください

そう、ぶしつけなふるまいでした

(傍白)

手なんか握ってきたぞ

うまくいってるわ

こちらはシギスヴァルト・クイケン指揮 ラ・プティット・バンドの舞台です。


Pergolesi - La serva padrona - A Serpina penserete

ウベルトは、あんなにいつも叱りつけていたセルピーナなのに、情にほだされ、彼女がいなくなる寂しさに苛まれるようになってしまいました。

セルピーナは、婚約者を連れて来て紹介すると言って出て行きます。

ひとり残ったウベルトは、すっかり混乱し、葛藤しています。

あいつがそんな奴と結婚するなんてかわいそうだ、しかし、俺が結婚する?ありえないだろう?どうすればいいのだ…

ウベルトのアリア『わしはいったいどうしたらいいのだ』

ウベルト

わしはいったいどうしたらいいのだ

この胸の中に言うに言えないものがある

愛だか情けだかわからない

こんな声も聞こえてくる

『ウベルト、お前の問題だ』

わしは『はい』と『いいえ』の間

『したい』と『いやだ』の間にいる

苦境はますます深まりゆく

ああ情けない、運もない

わしはいったいどうなるのだ

そんなところに、セルピーナが〝嵐の隊長〟を連れてきます。

ウベルトは、その想像以上のむくつけき姿にびっくりします。

隊長はうなづくだけで何もしゃべらないので、ずいぶん無口な方だな、とセルピーナに聞くと、人見知りなんです、言いたいことがあるようなので聞いてきます、とふたりでひそひそ話。

そしてウベルトに『私の持参金として4千スクード欲しい、と言っています』と告げます。

ウベルトはびっくりするやらあきれるやら、『娘でもないのにそんなもの出せるか!』と拒否すると、嵐の隊長は怒ったそぶりをします。

そして『出さないなら結婚しない』と言うので、『結婚しなけりゃいい』と答えると、『では、代わりにあなたが結婚しなさい。しないのなら殺してやる』と剣を抜きます。

このやりとりは全て、セルピーナが〝通訳〟してウベルトに伝えています。

嵐の隊長が襲いかかるそぶりをするので、ついにウベルトは観念して『運命が望むのなら、彼女と結婚する』と宣言します。

セルピーナは喜んで、『ご主人様ばんざい!』と叫び、また『ヴェスポーネばんざい!』と彼の正体をあらわします。

ウベルトは怒りますが、セルピーナに『もういいじゃない、私はあなたのお嫁さん、いいでしょ』と言われると、破顔一笑、全てを赦します。

ウベルトも、セルピーナがいなくなるという状況になってはじめて、彼女を愛していることに気づいたのです。

セルピーナは『ほらわたし、メイドから奥様になっちゃった!』と喜び、ウベルトもそんな彼女を愛しく見つめています。

そして、ふたりの愛のデュエットで、めでたしめでたし、となります。

二重唱『あなたは今幸せなの?』

セルピーナ

あなたは今幸せなの?

私を愛してくれるの?

ウベルト

この心は満ち足りているし

お前を愛しているよ

セルピーナ

ほんとうのことを言ってよ

ウベルト

ほんとうさ

セルピーナ

まあ!違う気がするわよ

ウベルト

もう!疑わないでくれよ

セルピーナ

ああ、素晴らしいお婿さん!

ウベルト

愛しい、わしの嫁さん!

セルピーナ

こんなに喜ばせてくれるなんて

ウベルト

ただお前だけが喜びだよ


Pergolesi - La serva padrona - Duetto finale

身分の低いメイドの策略に、貴族が翻弄される。その痛快さに、観客は大ウケ。

ペルゴレージの音楽は、軽快で楽しく、そのアップテンポな日常ドラマは、大仰な神話の物語に飽きた観衆たちをとりこにしました。

可愛くて機転が利き、ちょっとずる賢いメイド役は、その後のオペラ・ブッファに欠かせないお決まりの役どころとなり、モーツァルトのオペラでも、『偽りの女庭師』セルペッタフィガロの結婚スザンナコジ・ファン・トゥッテデスピーナとして大活躍。

そして、貴族の時代から市民の時代へ、オペラの歴史の新しい扉を開いたのです。

 

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18世紀の吉本新喜劇?26歳で世を去った天才作曲家の、歴史を変えたオペラ。ペルゴレージ:インテルメッツォ『奥様女中』第1幕

 

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ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710-1736)

神話とお笑いと、どっちがお好き?

前回、1750年代のフランスに巻き起こった「ブフォン論争」を取り上げました。

フランス音楽イタリア音楽、どっちが優れているか、という大論争です。

王権神授説のもと、神の代理人である国王を讃えるべく、神々の世界をこの世に現わしたフランスオペラ

リュリからラモーに至るまで、ヴェルサイユ宮殿を音楽にしたような華麗な世界を伝統的に紡いできました。

これに対し、イタリアのバンビーニ劇団が、イタリアの作曲家ペルゴレージオペラ・ブッファ『奥様女中』(奥様になったメイド)を上演したところ、大人気を博しました。

これは、機転の利くメイドがご主人様をさんざん手玉に取って、ついにその奥方様にまんまとおさまる、という筋の、吉本新喜劇のようなお笑いオペラで、その軽妙な音楽にフランス人たちはすっかり魅了されてしまいました。

大仰な神話の物語より、市井のコメディの方がよっぽど人間の真実の姿を表わしている、というわけです。

そもそもジャンルの違うものを比べても仕方がないのですが、王権の強かったフランス人にとって、メイドがご主人様をいてこませる話は、実にスカッとするものだったのでしょう。

後にボーマルシェが作り、フランス革命の引き金となった戯曲『フィガロの結婚』は、貴族が従僕にいてこまされる話で、まさに『奥様女中』の延長上にあるといえます。

ボーマルシェの『フィガロ』は戯曲でしたが、これに音楽をつけたのはモーツァルト

そしてその音楽は、ペルゴレージの『奥様女中』から始まったという、歴史の不思議なめぐりあわせがここにあるのです。

ボーマルシェの生涯はこちら。

www.classic-suganne.com

夭折した天才作曲家

今回は、ラモーの対極とみなされ、後世に大きな影響を与えたオペラ、『奥様女中』を聴いていきます。

まず、このオペラを作曲したジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710-1736)とは、どんな人だったのでしょうか。

歴史上には、惜しくも若くして亡くなった天才音楽家がたくさんいます。

モーツァルト35歳、シューベルト31歳、メンデルスゾーン38歳…

しかし、ペルゴレージはなんと26歳!! 最短記録?といっていいでしょう。

ペルゴレージが生まれたのは、中部イタリアの、アドリア海に面したアンコーナ郊外、イエージという町でした。

ペルージャからアドリア海に向かっていく途中にあります。

町の大聖堂の少年聖歌隊員となり、その才能が認められて、ナポリの音楽院に入ることができました。

ここで、ガエタノ・グレコ、レオナルド・ヴィンチ(レオナルド・ダ・ヴィンチとは別人)、フランチェスコ・ドゥランテ、といったナポリ楽派の巨匠たちに音楽理論や作曲を学び、1732年にオペラ作曲家として本格デビューしました。

そして、1733年に、ナポリ王カルロス6世の王妃、クリスティーナの誕生日祝賀行事のためのオペラ作曲を依頼されました。

そして作曲されたのが3幕のオペラ・セリア『尊大な囚人』で、同時にその幕間劇(インテルメッツォ)として作られたのがこの『奥様女中』でした。

高尚なオペラの幕間の、庶民的エンターテインメント

当時、イタリアオペラも、神話や英雄をテーマにした、まじめな内容の正歌劇(オペラ・セリア)が盛んに上演されていましたが、それだけではつまらなかったようで、幕と幕の間に、本筋とは全く関係のない〝余興の小咄〟が挿入されていました。

それは必ずしも喜劇とは限らなかったのですが、やはりいつの時代もお笑いは楽しいもので、〝喜劇的インテルメッツォ〟は脇役ながらも人気を博しつつありました。

この上演でも、メインディッシュである『尊大な囚人』はイマイチ不評で、『奥様女中』の方が大喝采を浴びました。

そして、イタリアから他国に輸出され、パリ・オペラ座で異常ともいうべき、歴史的ヒットとなったのです。

喜劇的インテルメッツォは、この作品をきっかけに「オペラ・ブッファ」という新しいジャンルに発展していきました。

さらに、オペラのメイン・ジャンルも、これまでの正歌劇オペラ・セリアから、喜劇オペラ・ブッファに移ってしまい、モーツァルトもこの分野で多くの傑作を残しました。

たった26歳で世を去ったペルゴレージですが、彼はバロックから古典派への橋渡しをした重要な作曲家とされているのです。

登場人物はたった3人

3幕のオペラの幕間劇ですから、2幕で構成されています。登場人物はたった3人。

貴族の主人、ウベルトと、メイドのセルピーナ、そして従僕のヴェスポーネです。

しかし、ヴェスポーネは、歌どころかセリフもない〝黙役〟ですので、歌うのはご主人様とメイドのふたりだけ、というわけです。

このふたりの軽妙な掛け合いが全てですので、演技はなかなか大変なのです。

ペルゴレージ:オペラ『奥様女中』第1幕

Giovanni Battista Pergolesi: La serva padrona

演奏:マルコ・ダラーラ指揮 アンサンブル・レギア・アカデミア

Marco Dallara & Ensemble Regia Accademia

 

幕が開くと、ご主人様ウベルトが、ナイトキャップをかぶった寝巻のまま、怒り心頭でイライラしまくっています。

ふつう、貴族が起床すれば、メイドが朝食のホットチョコレートを持ってくるものなのですが、3時間経ってもメイドが来ない、というわけです。

メイドのセルピーナは、もともと孤児だったのを、ウベルトが後見人として引き取ってやり、メイドの仕事を与えたのです。

しかし、すっかり生意気に育ってしまい、雇用主をご主人とも思わない始末です。

導入曲:ウベルト『待てど暮らせど来やしない』

ウベルト

待てど暮らせど来やしない

ベッドに入っても眠れない

よく働いてもほめられない

この3つは死ぬほどつらい

こいつはひどい災難だ

3時間も待っているのに

わしのメイドは

チョコレートを持ってきてくださらない

急いで出かけなくちゃならんのに

ああ、ほめてやろう、この我慢ぶりを

わしがあいつを甘やかしたのが

この不運の原因かもしれん

こちらは、シギスヴァルト・クイケン指揮 ラ・プティット・バンドの素晴らしい舞台です。

これ以上のパフォーマンスはないでしょう。


La Petite Bande - Pergolesi - La Serva Padrona part 1

そこに従僕のヴェスポーネがやってくるのですが、この男も気が利かず、どこか抜けたところがあるので、ウベルトは当たり散らし、セルピーナがどうしているか見てこい!と命じます。

すると、舞台裏でセルピーナがヴェスポーネを叱り飛ばす怒声が聞こえてきます。

 

ヴェスポーネはセルピーナにご主人様が怒っているぞ、と伝えたようなのですが、あんた、何を偉そうに私に説教してるの!?と逆上したのです。

最後にはビンタをくらわす音が聞こえて、ふたりが舞台になだれ込んできます。

ウベルトが、どうしたどうした、と聞くと、セルピーナは、この男が生意気に指図をするんです、私はもっと敬われるべきです、とまくし立てます。

ウベルトは、『ヴェスポーネもアホだが、ずっと待たされるわしはなんなんだ?まだ朝のチョコレートを飲ませてもらっていないぞ?』と責めます。

セルピーナは、『何言っているんですか、もうお昼ですよ?』ととぼけた言い草。

ウベルトが、『朝食も食べていないのに、昼飯なのか!?』と怒ると、『じゃあ、食べたということになさってくださいな』と涼しい顔。

ウベルトはさらにブチ切れて、セルピーナを責めるアリアを歌います。

ウベルトのアリア『いつもあべこべだ』

ウベルト

お前にかかると、いつもあべこべだ

こっちと言えばあっち

上と言えば下

「はい」といえば「いいえ」

こんなのはもうたくさんだ、終わりにしよう

(ヴェスポーネに)

お前はどう思う

わしにくたばれと?

いや、とんでもない

(セルピーナに)

お前はいつか痛い目に遭うことになる

そのときにこう言うだろう

あの頃はよかった、と

(ヴェスポーネに)

お前はどう思う?

そう思わないか?

あ?え?違う?うむ

いや、そうなのだ


La Petite Bande - Pergolesi - La Serva Padrona part 2

ご主人様に説教されたセルピーナは、じゃあ結局、あなたは私に意地悪をするんですね?と言い返します。

ウベルトは、そりゃかわいそうだな!とあしらうと、セルピーナは逆ギレ。

うんざりしたウベルトは、もう外出するぞ、とヴェスポーネに帽子と剣と杖を持ってくるよう命じます。

これを聞いたセルピーナは、外出は禁止です、と言い渡します。

はあ?と混乱するウベルトに、セルピーナは歌います。

セルピーナのアリア『怒りんぼのご主人様』

セルピーナ

怒りんぼのご主人様

威張り屋さんでもあるけれど

あまり賢いやり方ではないことよ

私がダメと言ったら

シッ、シッ

おとなしく口を閉じてなさいな

セルピーナがそう望むのです

お分かりでしょ

だってあなたは私のこと

ずっと前からご存知ですからね


Pergolesi - La serva padrona - Stizzoso mio stizzoso

ここまでメイドの好き放題にされるのはまずい、と決心したウベルト。

ヴェスポーネに、今すぐ街へ行って、どんな女でもいいから、わしの嫁を見つけてこい、と命じます。

結婚して奥方ができれば、この悪魔のような女の支配から逃れられる、というわけです。

セルピーナは、結婚なさる?よろしい、認めましょう、と応じます。

認めてくれるか、そりゃありがたいね、と言うウベルトに、でも、相手は私ですからね、と告げます。

あまりのことに啞然とするウベルト。

ずっと前から私のことを狙っていたんでしょ、と追い打ちをかけるセルピーナ。

愉快なデュエットが始まります。

二重唱『そのズルい目を見れば、全てが分かるわ』

セルピーナ

そのズルい目を見れば、全てが分かるわ

いたずらな目は、私を狙ってる

口では違うと言っても

目ではそうだと私に言っている

ウベルト

お嬢さん、それは誤解だ

あまりにものぼせあがっておられる

目も違うと言っているし

そうだ、というのは夢でもみているんだ

セルピーナ

どうして?

私はこんなに綺麗だし

優しくて快活

ご覧なさい、こんなにおしとやかなのよ

さらにこんなに元気で立派!

ウベルト

(傍白)

ああ!こいつはわしを誘っている

その手の内に落ちてしまうのか?

セルピーナ

(傍白)

あともう少しね

(正白)

さあ、ご主人様

ウベルト

ああ、どこかに失せろ!

セルピーナ

ご決心を

ウベルト

気でも違ったか!

セルピーナ

私はあなたを愛しています

必ず結婚してください

ウベルト

(傍白)

ああ、わし、なんてピンチだ


La Petite Bande - Pergolesi - La Serva Padrona part 3

さあ、ふたりはどうなってしまうのか?

それは次回、第2幕にて。

 

Pergolesi: La serva padrona

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今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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