孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

征服者との禁断の恋のゆくえ。ピサロとコルテス、そしてマリンチェ。ラモー:オペラ=バレ『優雅なインドの国々』③ 第2アントレ「ペルーのインカ人」~ベルばら音楽(31)

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征服者たちに蹂躙されたインカ帝国

オムニバス形式の4つの幕(アントレ)から成る、ラモーのオペラ=バレ『優雅なインドの国々 』。

トルコをあとにしたキューピッドたちが、次に降り立ったのは、大西洋をわたり、さらに太平洋に面した南米ペルーでした。

そこには古代文明インカ帝国が栄えていましたが、時は大航海時代

ポルトガル、スペインを先駆けとして、ヨーロッパが世界征服に乗り出します。

新大陸には、コロンブスの発見以来、金銀財宝を求めてスペインの征服者たちが押し寄せます。

征服者たちはコンキスタドールと呼ばれました。

1521年にはメキシコアステカ帝国エルナン・コルテス(1485-1547)によって滅ぼされ、ペルーインカ帝国は1533年にフランシスコ・ピサロ(1470-1541)によって征服されました。

ラモーの時代から200年も前の出来事ですが、この物語にはインカの宗教儀礼が描かれていますので、征服直後の時代設定と考えられます。

スペイン将校とインカの姫の恋

舞台は、険しいアンデスの山々に囲まれたペルーの砂漠。

背後には火山の火口が不気味に口を開けています。

幕が開くと、征服者スペインの若き将校カルロスが、インカ族の姫ファニを口説いています。

ファニもカルロスを愛しているのですが、征服者との禁断の恋が、生き残りのインカ族たちからどんな迫害を受けるか、恐ろしくてカルロスの愛を受け入れることができません。

ファニは『このあたりにはインカ帝国の残党が残っていて、まもなく太陽神の祭典が行われるのです。とても危険です』と告げます。

カルロスは『我々スペイン人は、たったひとりでインカの軍隊に勝利するのを忘れたのか?』と啖呵を切ります。

そう、スペイン人は新大陸にない「銃」「鉄」「馬」インカ帝国を一方的に破ったのです。

しかも、戦いの前に、新大陸の人々はヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘によって、すでに人口の大半を失って疲弊していたのでした。

ラモー:オペラ=バレ『優雅なインドの国々』第2アントレ「ペルーのインカ人」

Jean-Philippe Rameau:Les Indes Galantes "Les Incas du Pérou"

リトルネル

第2アントレの導入曲です。夜明けの空をわたる風のような旋律から始まる素敵なフーガ。朝日に染まるアンデスの山々が目に浮かぶようです。

北海道産の「インカのめざめ」という美味しいじゃがいもがありますが、この曲にもその名をつけたい思いです。

侵略者に恋してしまった…

カルロスが去り、ファニはひとりになると、神に彼と結婚できるよう祈ります。

敵である征服者と、さんざんな目に遭った祖国の人々に挟まれて悩み苦しみ、それでも愛する人と結ばれたい、という思いをつづった感動的な歌です。

ファニ:来てください、婚礼の神よ

ファニ

来てください、婚礼の神よ

心から愛する勝利者とわたしを結んでください!

あなたの絆でわたしを縛ってください

わたしの愛の炎があなたに願っているこの瞬間

愛よりもあなたの方が大切なのです

このファニを物陰から見ている人物がいました。

それは、インカの祭司ユアスカールでした。

彼はファニを自分のものにしたいのですが、彼女がカルロスに恋しているのを苦々しく思っているのです。

ユアスカールはファニに言い寄り、あんな侵略者を愛するなんて裏切りだ、自分の愛を受け入れなさい、と迫ります。

ファニは怒って、スペイン人を導いている神を恐れなさい!と退けます。

インカの太陽崇拝

ユアスカールは、彼らはただ金が欲しいだけの強欲な野蛮人だ、と罵ります。

この指摘はまさに当たっているわけですが、そうこうするうち、インカの残党たちが集まり、太陽神を崇める祭典が始まります。

インカ人たちは、太陽神に捧げるダンスを踊ります。

太陽信仰のためのインカ人たちのエール

ここでも異国趣味いっぱいのリズムで、ユアスカールの司式のもと、インカ人たちが太陽神に犠牲を捧げ、その恵みを乞うさまが描かれます。

火山国ペルー

祭典が最高潮になるとき、突然地震が起こり、火山が噴火します。

ペルーは火山国で、今も多くの火山があります。

地震

合唱

大地の奥深く

風の神々が戦いを告げている

真っ赤になった岩が空に噴き出され

地獄の炎が天にまで届く

人々が逃げまどう中、ユアスカールはファニに、これは神の怒りだ、助かるためには私についてくるのだ、と呼びかけます。

ファニが躊躇していると、カルロスが現れ、この噴火はユアスカールの仕業なのだ、と告げます。

これは神の怒りではなく、ユアスカールが火口に岩を投げ込んで、人為的に起こしたものなのだ、というのです。

そして、ファニの手を取り、ユアスカールにふたりの愛を見せつけて去っていきます。

残されたユアスカールは自暴自棄になり、神を呪う言葉を吐き、燃える岩よ、俺を押しつぶせ、とわめき、その言葉通り、大きな噴石が彼の頭上に降ってきて幕となります。

邪悪で罪深いユアスカール、とされていますが、どうも気の毒な気がしてなりません。

ピサロインカ帝国征服

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フランシスコ・ピサロ

史実では、ペルーのインカ帝国は1533年にフランシスコ・ピサロによって征服されました。

ピサロは小貴族の子でしたが、母の身分が低く、十分な教育も受けられない不遇な境遇でした。

こうした、本国では日の当たらない、出世の見込みもない若者たちが、新天地での成功を夢見て海に乗り出したのですから、強欲な侵略者となるのは当然です。

二度にわたる南米探検で、どうやら豊かな帝国があるらしい、という情報を得たピサロは、いったん本国に戻り、スペイン王に征服と支配の許可を得てから、軍隊を整え、満を持してペルーに乗り込みました。

そして、インカ皇帝アタワルパをだまし打ちにして捕虜にします。

皇帝は『そんなに金銀が欲しいのなら、部屋1つを満たす金と、2つを満たす銀を身代金として渡すから助けてくれ』と頼み、実際に用意してピサロを驚かせますが、最終的にはいいがかりをつけて皇帝を処刑し、インカ帝国を滅ぼします。

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インカ皇帝アタワルパ

インカ帝国の首都はクスコですが、海岸に新たな都市リマを建設し、植民地支配の拠点とします。

世界遺産の代表格、マチュピチュ遺跡は、インカの残党が山奥に逃れ隠れ住んだ、というイメージがありますが、滅亡以前から築かれた、王族の避暑地だったようです。

ピサロは、最後には仲間割れの争いの中で暗殺され、その生涯を閉じます。

コルテスとマリンチェ

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エルナン・コルテス

ピサロのインカ征服には、このオペラにあるようなロマンスはないのですが、その10年程前、メキシコアステカ帝国を滅ぼしたエルナン・コルテス(1485-1547)には、現地女性との有名なエピソードがあります。

アステカを征服すべくメキシコに上陸したコルテスは、ピサロと違って、なぜか現地人に手厚く迎えられます。

それは、アステカに『一の葦の年に、白い顔をした神ケツァルコアトルがやってきて支配する』という伝説があったからです。

この予言は広く信じられ、当時のアステカ皇帝モクテスマ2世も、これを不安に思っていました。

歴史のいたずらとしか言いようがありませんが、コルテスは偶然にも現地の暦で「一の葦の年」に当たる年にまさにやってきたのです。

しかも白人。現地人が予言が実現したと思っても無理はありません。

コルテスはアステカ帝国の首都テノチティトラン(今のメキシコシティ)を目指しますが、途中、タバスコの地で、現地の酋長から10人の美女を献上されます。

コルテスを神と思って捧げものをしたわけです。

その中のひとりに、マリンチェという娘がいました。

この女性は美しい上に聡明で、ほどなくスペイン語を覚えてしまい、コルテスに愛されて、征服の道案内と通訳の役目を果たします。

マリンチェは神に仕えているつもりだったのでしょう。

コルテスはそのおかげでスムーズに進軍し、テノチティトランに無事入城し、皇帝モクテスマ2世と会見を果たします。

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コルテスの通訳をするマリンチェ

しかし、コルテスは、人間の生きた心臓を毎日神に捧げるというアステカの残酷な祭祀を嫌悪し、アステカ側も、スペイン人たちの横暴ぶりに、どうもコルテスは神ではないのではないか?と疑いはじめ、結局流血の戦いとなった末に、アステカ帝国は滅ぼされます。

マリンチェはコルテスの子を産み、その子孫は今もメキシコにいるそうです。

しかし、マリンチェはコルテスの正式な妻にはされず、後に部下の妻となります。

メキシコ旅行の思い出

私は10年程前にメキシコシティを訪ねましたが、現代のメキシコで、このマリンチェの評価が分かれているのが印象的でした。

侵略者のお先棒を担ぎ、あろうことかその愛人となった裏切者、売国奴、悪女、という非難。

一方で、その後のメキシコの発展の担い手となったメスティーソ(スペイン人とインディオの混血)の最初の母であり、両国をつなぐ架け橋となった功績を讃える評価。

コンキスタドールによる新大陸征服は、世界史上悪名高い残虐行為ですが、今の中南米の国々はその結果生まれたものであり、その歴史を否定しては国民としてひとつになることはできないのです。

しかし、メキシコにはまだまだスペイン語が分からない先住民族がたくさんいて、メキシコシティの地下鉄では、駅名が文字とともにイラストで表示されていました。

植民地支配の歴史というのは、決して消すことはできない、現代も未来もずっと背負っていかなければならない過去である、ということを痛感しました。

ラモーがこの幕で描いた、征服者カルロスと被征服者ファニとの恋。

そこには2つの国に挟まれたマリンチェの記憶が反映しているのでしょうか。

そしてこの物語を、当時のフランス人たちはオペラ座でどんな思いで観ていたのでしょうか。

思いは尽きません。

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コルテスとマリンチェ

 

次回は、3か国目、ペルシャです。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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恋の難破船、心の中に吹きすさぶ嵐。ラモー:オペラ=バレ『優雅なインドの国々』② 第1アントレ「寛大なトルコ人」~ベルばら音楽(30)

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キューピッド、トルコに降り立つ

オムニバス形式の4つの幕(アントレ)から成る、ラモーのオペラ=バレ『優雅なインドの国々 』。

戦火に包まれたヨーロッパから、愛を求めて世界に飛び出したキューピッドたちが、最初にたどりついたのはトルコでした。

ここではどんな「愛」の物語があるのでしょうか。

フランスとトルコの奇妙なつながりは以前も取り上げました。

フランスの宿敵、オーストリアハプスブルク家を背後から脅かすオスマン・トルコ。

太陽王ルイ14世は〝敵の敵は味方〟ということで、異教徒にもかかわらずトルコと同盟を結ぼうとします。

ところが、ヴェルサイユ宮殿を訪れたトルコの使者は、その国力と文化に驚くどころか〝トルコ皇帝に比べたら全然たいしたことない〟と鼻で笑います。

逆にパリ人たちが、使者がもたらした魅惑の飲み物「コーヒー」のとりこになる始末。

憤懣やるかたない王は、モリエールリュリに、トルコ人を笑い者にしたオペラ『町人貴族』を作らせて、かろうじて留飲を下げました。

どこかで聞いた話?

第1アントレは「寛大なトルコ人」と題され、ヨーロッパ人にとって尊大で残虐なイメージのトルコ人にも、寛大な人がいた、というのがテーマです。

あらすじは、結婚式に乱入した海賊によってさらわれた花嫁エミリーが、トルコの領主オスマン・パシャに売られます。奴隷となったエミリーを、オスマン・パシャは愛しますが、エミリーは婚約者への操を貫いて受け入れません。

そこに、エミリーを探していた花婿ヴァレールがたどりつき、再会を果たしますが、オスマン・パシャに捕らえられます。

絶体絶命、と思いきや、なんとオスマン・パシャはふたりを解放し、船にお土産の財宝まで積んで、祖国に帰してやります。

実は、オスマン・パシャはかつてヴァレールの奴隷であり、解放してもらった恩を返した、というわけです。

めでたし、めでたし…。

あれ?どこかで聞いたような…?

そうなんです、モーツァルトオペラ『後宮からの誘拐とほぼ同じストーリーなのです。

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恐ろしいトルコ人が、実はいい人だった、というのは当時のヨーロッパ人にとってよほど面白い話だったようです。

また、異教徒に囚われた恋人を騎士が助けにいく、というモチーフも、中世以来の文学に見られます。

オスマン・トルコ最盛期の皇帝(スルタン)、スレイマン大帝の最愛の皇后がポーランド女性ロクセラーナだったことも大きく関係しているでしょう。

いずれにしても、モーツァルトよりラモーの方が先ですが。

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では、最初の幕を聴いていきます。

ラモー:オペラ=バレ『優雅なインドの国々』第1アントレ「寛大なトルコ人

Jean-Philippe Rameau:Les Indes Galantes "Le Turc Généreux"

リトルネル

第1アントレの序曲にあたります。フランス風序曲ではなくて、フーガ風の厳粛なポリフォニックな音楽で、冒頭のエミリーの悲しみにつながっていきます。

幕が開くと、そこは海に面したオスマン・パシャの宮殿。

結婚式で誘拐され、異国の宮殿でひとり悲しむエミリーのところにオスマン・パシャがやってきて、いい加減彼氏のことはあきらめて、自分の愛を受け入れるよう説得します。

エミリーは頑として聞きませんが、オスマンも彼女の涙にショックを受けるばかりで、決して権力を使って強制するそぶりはありません。

いつまでも悲しんでいても苦しいばかりですよ、その人には二度と会えないんですから、と告げて去っていきます。

再び1人になったエミリー。

にわかに空がかき曇り、雷鳴が聞こえ、嵐となります。

沖合には難破寸前の船が見え、船乗りたちの断末魔の叫びが聞こえてきます。

エミリー:恐怖が勝利する広大な海の帝国よ

エミリー

恐怖が勝利する広大な海の帝国よ

あなたは私の心の混乱に恐ろしいほど似ている

あなたは激しく吹き付ける荒れた風

わたしは絶望の恐ろしさ

水夫たちの合唱(姿は見えない)

なんということだ!

死の打撃は一度では済まない!

雷に焼かれて死ぬのだろうか?

そこに陸が見えているのに

波に飲まれて死ぬのだろうか?

エミリー

あの叫びはなんとわたしの心をいらだたせることでしょうか

わたしの方こそ嵐の犠牲者なのに

嵐がおさまって、明るさが戻ってきた

天が私の混乱を憐れんでくださったのだわ

公正な天は、波と風を鎮めてくださる

わたしは港のなかで難破の恐怖を感じていたのね

水夫たちの合唱(姿は見えない)

海の恐怖から逃れることが何の役に立つだろうか

死を避けたところで

われらは鉄のくさりにつながれるのだから

迫力ある嵐の描写はラモーの得意とするところです。

フルートが吹きすさぶ風を表現します。

沖合の嵐と、船乗りたちの叫びは、そのままエミリーの心の中の嵐につながります。

モーツァルトのオペラ『クレタの王イドメネオ』でも、絶望にかられた王女エレクトラの激しい歌が、そのまま海の嵐の場面につながり、船乗りたちの助けを求める叫びが交錯するシーンがあります。

イドメネオ』はフランス様式を意識して書かれたオペラなので、ラモーの影響を受けた可能性があります。

船乗りたちは嵐からは助かったものの、陸は異教徒の支配下にあり、死は免れてもどのみち奴隷として鉄の鎖につながれてしまう、と悲しみます。

ため息をつきながら、そんな不幸なひとりが現れますが、なんとそれは、エミリーの恋人ヴァレリー

ふたりは奇跡の再会を喜びますが、エミリーはオスマン・パシャの支配下にあることを告げ、再び絶望に暮れます。

そこにオスマンがやってきて、ふたりは覚悟を決めますが、ヴァレリーを見たオスマンは、ふたりの解放を告げます。

驚くふたりに、オスマンは、自分をお忘れですか、とヴァレリーに語りかけると、ヴァレリーは、お前か!と気づきます。

オスマンはかつてヴァレリーの奴隷であり、その忠実な働きぶりから、解放して自由の身にしてもらったのです。

まずは〝寛大なフランス人〟というわけです。

帰る船を用意してくれたオスマンに、ふたりが感謝しようとすると、オスマンはそれを聞くのを拒んで去っていきます。

オスマンの心境は複雑です。

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アフリカ奴隷たちのエール

オスマンのアフリカ人奴隷たちが、お土産の財宝を船に詰め込んで、踊ります。

異国趣味のバレエですが、当時のヨーロッパ人がアフリカ人にどのようなイメージをもっていたかが音楽で分かります。

タンブランⅠ&Ⅱ

ふたりは祖国に向かって希望の船出をし、最後はラモーの真骨頂、タンブランで大団円となります。

早く船出しよう、というはやる気持ちにあふれた、実に楽しい音楽です。

 

愛ゆえに、愛する人を恋人のもとに帰す。

キューピッドたちがトルコで見つけたのは、オスマンの自己犠牲を払った至上の愛、というわけです。

 

次回は、2か国目、南米ペルーのインカ帝国です。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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キューピッドたちよ、愛を求めて異国へ飛んでいけ!ラモー:オペラ=バレ『優雅なインドの国々』①「プロローグ」~ベルばら音楽(29)

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ネクタル(神酒)を持つ青春と若さの女神ヘベ

フランスならではの『オペラ=バレ』

ジャン=フィリップ・ラモー(1682-1764)は、1735年に処女作『イポリートとアリシー』を上演した後、次々とオペラを生み出していきます。

しかし、こだわり抜いた『イポリートとアリシー』に聴衆がついていけなかったので、一般ウケを意識し、だんだんと親しみやすく、楽しい作風になっていきます。

ラモーの人間ドラマとしてのオペラは、『イポリートとアリシー』で最初から頂点を極め、その後は娯楽性を強めていくのです。

モーツァルトが、若い頃は聴衆ウケを意識していたのに、年齢とともに音楽が深みを増して人々がついていけなくなったのとは、逆の流れといえます。

『イポリートとアリシー』はジャンルとしてはリュリが創始した「抒情悲劇(トラジェディ・リリック)」ですが、次作『優雅なインドの国々 Les Indes galantes』は「オペラ=バレ」というジャンルです。

これはリュリの次世代にあたるアンドレ・カンプラ(1660-1744)が、1697年に上演した『優雅なヨーロッパ L'Europe galante』によって創始されたジャンルです。

お堅い抒情悲劇とは異なり、必ずしもテーマはギリシャローマ神話でなくてもよく、歌よりも華やかなバレエが重視され、結果的にはフランス独特の、オペラとバレエの中間のような演目となりました。

喜劇の要素も入り、よりくつろいで楽しめるものでした。

ラモーのこの『優雅なインドの国々』も、エキゾチックな魅力満点で、ラモーの代表作となっています。

この作品はプロローグ(序幕)を含めて全5幕ですが、各幕は「アントレ(入場の意)」と名付けられ、それぞれ独立したストーリーになっており、いわばオムニバス形式といえます。

〝インドの国々〟とは?

あらすじは、青春と若さの女神ヘベ(フランス語ではエベ)が、ヨーロッパ各国(フランス、イタリア、スペイン、ポーランド)の若者たちと青春を謳歌しているところに、軍神マルスの妻ベローナが乗り込んできます。

ベローナは若者たちに『愛など語っている場合ではない!戦いに赴け、栄光が待っている!』と扇動し、連れて行ってしまいます。

青春の真っただ中に徴兵されたようなものです。

ヘベは落胆し、愛の神に助けを求めます。

愛の神は、連れ去られたヨーロッパの若者たちの代わりに、インドの国々に手下のキューピッドたちを遣わし、愛する者たちを連れてこよう、と請け負います。

ここでの〝インド〟とは、仏教発祥の地、南アジアのインドを特定した言葉ではなく、ヨーロッパ以外の国を指します。

コロンブスが発見したアメリカ大陸の島々は今も西インド諸島と呼ばれますし、ネイティブ・アメリカンも〝インディアン〟〝インディオ〟と称されました。

史上有名な「東インド会社」のように、今のインドは〝東のインド〟の一部であり、アメリカ新大陸はざっくりと〝西のインド〟だったわけです。

このバレエは次の5幕(アントレ)で構成されています。

プロローグ(序幕)

第1アントレ『寛大なトルコ人

第2アントレ『ペルーのインカ人』

第3アントレ『花々、ペルシャの祝祭』

第4アントレ『未開人たち』

というわけで、インドはなく、トルコ、南米ペルー、ペルシャ、北米となっているのです。

聴衆はオペラ座にいながらにして遠い異国情緒を楽しめるというわけで、大変な人気を博しました。

さまざまな楽しみ方

「イポリートとアリシー」でもご紹介したように、ラモーのオペラは、劇場以外ではオーケストラのみによる管弦楽組曲として普及し、今でもその形態での楽しみ方が主流となっています。

また、クラヴサンチェンバロにも編曲され、気軽に親しまれました。

ここでも、いくつかの形態の演奏を組み合わせながら曲を紹介していきます。

取り上げる演奏(アルバム)は下記の通りです。

『ルイ15世のオーケストラ(管弦楽組曲版 優雅なインドの国々)』ホルディ・サバル指揮 コンセール・デ・ナシオン

『オペラ=バレ 優雅なインドの国々』ウィリアム・クリスティ指揮 レザール・フロリサン

管弦楽組曲版 優雅なインドの国々』フランス・ブリュッヘン指揮 18世紀オーケストラ

クラヴサン版 優雅なインドの国々』ケネス・ワイス(クラヴサン

ラモー:オペラ=バレ『優雅なインドの国々』「プロローグ(序幕)」

Jean-Philippe Rameau:Les Indes Galantes

序曲

緩急二部構成の典型的フランス風序曲です。最初のゆっくりした部分はどこまでも気高く響きますが、威圧的ではなく、異国情緒を感じさせる軽やかさです。続く速い部分では管楽器が華やかなパフォーマンスを繰り広げます。何度聴いても飽きない素晴らしい序曲です。

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ゼウスの鷹の世話をするへべ
ヘベの支配にある者たちよ

幕が開くと、青春と若さの女神ヘベが、お付きの者たちが集っています。

へべは大神ゼウス(ジュピター)と正妻ヘラ(ジュノー)との間に生まれた最高の血筋のサラブレッド女神ですが、色々問題を起こす他の神々と違って、いたって優しくて快活な神様です。

神々の宴会ではホステス役で、不死の神酒、ネクタルをお酌して回る役目でした。

(泥酔状態を表す〝へべれけ〟は女神へべに由来する、という説がありますが、全くのガセネタのようです。ずいぶん高尚?な俗説もあったものです)

若さの象徴だけあって楽天的で、ゼウスが度を過ぎたヘラの嫉妬に怒って、妻を懲らしめるため、ヘラ最愛の娘ヘベを縄でしばって天から吊るしたこともありましたが、本人は楽しがってケラケラ笑っていました。

後に、12功業を果たし、神となった英雄ヘラクレスと結婚しました。

青春の神ということで人気があり、ラモーはほかにオペラ=バレ『ヘベの祭典』を書いています。

ローマ神話では「ユウェンタス」と呼ばれ、イタリア・トリノのサッカーチーム「ユベントス」の由来になっています。

ヘベ

ヘベの支配にある者たち

おいで、集まりなさい

私の声を聞いたら走っていらっしゃい!

夜明けがこの美しい場所を照らし始めたら

歌うのですよ、お前たち

テルプシコラの輝かしい演奏を

夜明けとともに始めるのです

愛の神がお前たちに与えてくれる甘美なひとときは

お前たちには一番大事なものね

4つの国の人々のアントレ

そこに、ヨーロッパ4か国、フランス、イタリア、スペイン、ポーランドの若い男女が入場してきて、踊り始めます。

いずれも当時のフランスの同盟国や、影響のある国々で、敵方の英国やドイツ、オーストリアは呼ばれていません。

大国の中になぜポーランド?と思いますが、それはルイ15世の王妃がポーランド出身のマリー・レクザンスカだったからです。

ポーランド人のエール

そのため、ポーランドだけ特別に、お国風の踊りが取り上げられています。

ミュゼット

愛と青春を謳歌するヨーロッパの若者たちの踊りを満足げに眺めていたヘベは、楽器ミュゼットを奏させ、宴の時間となります。

ミュゼットの天国的な響きは、まるで天上の宴にいるような気分にさせてくれます。

栄光の女神がお前たちを呼んでいる

その優雅で平和な時間をぶち壊すように、突然トランペットと太鼓が鳴り響き、戦いの女神ベローナがやってきます。

そして、男たちに、愛など語っている場合ではない、戦士になって栄光を目指すのだ、と扇動します。

ベローナは女神ですが、『イポリートとアリシー』の運命の女神のように、不気味さを出すために女装したテノールが歌います。

ベローナ

栄光の女神がお前たちを呼んでいる

彼女のトランペットを聞くがよい!

急ぐのだ、武器をとれ、戦士となるのだ!

このような平穏な隠れ家は捨てなさい!

戦うのだ、栄光をつかみ取る時が来たのだ

合唱

栄光の女神がお前たちを呼んでいる

彼女のトランペットを聞くがよい!

急ぐのだ、武器をとれ、戦士となるのだ!

旗をもつ戦士たちのためのエール

若い男たちはその呼びかけにすっかり血沸き肉踊り、軍旗をもって勇ましく踊り始めます。

ベローヌに従う男性と、彼らを引き留めようとする女性の恋人たちのエール

女性たちは恋人たちに、戦争になんか行かないで、と引き留めますが、若さゆえ、男たちは振り切ってベローヌについて行ってしまいます。

勇み立つ男が弦で、それを留めようとする女性の哀願がフルートで物悲しく奏される、対比の素晴らしい曲です。

女たちも悲しみながら追いかけて退場していきます。

残されたエベはがっくりして、愛の神に助けを求めます。

『イポリートとアリシー』でも活躍した、アフロディーテ(ヴィーナス)の息子、愛の神が現れ、それならば、戦いに巻き込まれたヨーロッパ以外の国、インドの国々にキューピッドたちを遣わし、愛に生きる若者たちを連れて来よう、と請け負います。

キューピッドたちのためのエール

愛の神とエベ、合唱

どんなに広い海も渡って

飛んでいけ、キューピッドたちよ、飛んでいけ

どんなに遠く離れた岸辺でも

お前たちの武器と剣をもっていくのだ!

お前たちに敬意を捧げない心が

この世界にあるだろうか?

エベは、遥かなる国々に愛と平和への望みをかけて、幕となります。

 

こちらはウィリアム・クリスティ指揮レザール・フロリサンの舞台、プロローグと第1、第2アントレです。バレエはクラシックバレエをアレンジした現代舞踊的なものですが、バロックバレエの踊り手は少ないので、当時の再現はかなり難しいです。


Rameau -- Les Indes Galantes (Act I)

 

次回は、キューピッドがたどりついた最初の国、トルコです。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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革命的オペラが拓いた新しい時代。ラモー:オペラ『イポリートとアリシー』⑦「第5幕(最終幕)」~ベルばら音楽(28)

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パイドラ(フェードル)とテセウス(テゼー)

テセウスの悔恨

ジャン=フィリップ・ラモー(1682-1764)のオペラ、『イポリートとアリシー』

今回は最終幕となる、第5幕です。

舞台は、第4幕と同じ、海辺に面したアルテミス神殿のある森です。

絶望した王、テセウスが取り乱しながら独唱します。

王妃パイドラは自殺を図り、瀕死の状態でテセウスに真実を打ち明け、死んでいったのです。

そして、最愛の息子を信じることができず、死に追いやってしまいました。

まさに、運命の神が予言した〝我が家の地獄〟が成就してしまったのです。

ラモー:オペラ『イポリートとアリシー』「第5幕」

Jean-Philippe Rameau:Hippolyte et Aricie

演奏:マルク・ミンコフスキ指揮 レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル

Marc Minkowski & Les Musiciens du Louvre

第1幕 テセウス『後悔に身も引き裂かれる』

テセウス

ああ!

後悔に身も引き裂かれる思いだ!

一度になんと多くの恐ろしいことが!

私はパイドラが事切れるのを見た

なんといういまわしい秘密!

なんという嫌悪すべき恋

裏切者は死に際に私にはっきり言った

わが息子は…おお、私を打ちのめす苦悩!

息子は無実だった!

ああ!なんと罪深い我が身!

冥界に戻ろう。誰が私を引き留められよう!

私のような怪物から自然界を解き放とう

もっとも、恐ろしい中傷を企んだ者たちはたった今罰せられた

我が子殺しの誓願が罪を犯してしまった

だから、我が子の最後の犠牲は私

海の神よ、私を永遠に人間どもから隠したまえ

荘重な音楽で、テセウスの深い悔恨が描かれます。

王妃をかばおうとして、テセウスに息子殺しをさせた乳母エノーヌは、責任を取って海に身を投げました。

テセウスも、自分のような者はこの世にいてはいけない、として、海に身を投げようとします。

父ポセイドン現る

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海神ポセイドン(ネプチューン

すると、海中より、テセウスの父神、ポセイドン(ネプテューヌ)がついに現れ、テセウスの自殺を止めます。 

テセウスは、どうか止めないでください、と懇願しますが、ポセイドンは、世の中はお前をまだ必要としている、と諭します。

そして、ヒッポリュトスは生きている、と告げます。

神話では死んでいますが、この時代の劇では、悲劇といえども、最後はハッピーエンドでなくてはならないのです。

アルテミスの加護と、運命の神の定めで、ヒッポリュトスは助かっていました。

テセウスは喜びますが、ポセイドンは、その代わり、お前は二度と彼に会うことはできない、と宣告します。

テセウスは悲しみますが、彼が幸せになってくれるのなら、と受け入れ、ポセイドンは波間に消え、テセウスも退場していきます。

美しい庭園での再会

場面は変わり、森の中の美しい庭園になります。

芝生の上で、アリシーが気を失ったまま眠っていますが、美しい合奏の音で目を覚まします。

この音楽は、リュリ以来のフランスオペラの伝統である「眠り」を現わすホ短調の音楽です。

フルート、ヴァイオリン、通奏低音で奏されます。

第3場 アリシー『ここはどこ?』

アリシー

ここはどこ?

感覚がもどってきたわ

神様!

あなたがたが私をよみがえらせてくださったのは

行ってしまった愛しい人の面影を

ただ私に思い起こさせるためだけなのでしょうか?

(さらに明るくなる)

なんと優しい楽の音!

なんと新しい光が私を照らすことでしょう!

いいえ、この美しい楽の音も

まばゆいばかりのお日様も

ヒッポリュトスがいなければ

ああ!私を喜ばすことはできないわ

私の目よ、お前が開いているのは

涙を流すためではないのよ

すてきな楽の音を空気が響かせても無駄なこと

この魔法の場所からの贈り物、魅力的な合奏にも

私はため息でしか答えられないの

アルテミスの降臨、そして大団円

アリシーが沈んでいるところに、森の住人やアルテミスのニンフたちが集まってきて、アルテミスの降臨を祈ります。

すると、天からアルテミスが光に満ちて降ってきます。

そしてアリシーに、悲しむことはない、あなたに花婿を用意したから、と告げると、アリシーは、ヒッポリュトス以外は考えられない、と拒みます。

すると優しい西風が吹き、ヒッポリュトスが2輪馬車に乗って現れます。

第7場 西風の合奏

西風(ゼフィール)はヨーロッパでは春風のように優しく、幸せをもたらすものとされています。

ふたりは再会に歓喜します。

アルテミスは、この森をふたりで末永く統治するように、と命じ、森の住人とニンフたちの祝祭が始まります。 

第8場 森の住人たちのミュゼットによる行進曲と合唱

合唱

ミュゼットに合わせて歌おう

ミュゼットの音に合わせて踊ろう

こだまよ、繰り返せ

我らの柔らかな音を

大きくなれ、芽を出した芝草よ

牧草をお食べ、飛び跳ねる羊よ

ミュゼットの牧歌的な響きが、これまでの緊迫したドラマが一気にのどかなものに転換します。

踊りがひとしきり行われたあと、羊飼いの女性がナイチンゲールの歌を唄います。

第8場 羊飼いのアリエット

羊飼いの女性

恋するナイチンゲールよ、私たちの声に答えて 

その甘いさえずりで

愛に満ちたあいさつをするのよ

私たちの森を支配なさる女神様に

このアリエットはその名の通りイタリア風で、フルートとヴァイオリンが、ナイチンゲールの可愛らしいさえずりをリアルに再現しています。

夜に鳴くナイチンゲールは、恋の代名詞でした。

やがて、ガヴォットが踊られ、この大歌劇の幕を閉じます。

第8場 ガヴォット

 

ダストレのパリ・オペラ座公演、第3幕から第5幕までの映像です。


Rameau Hippolyte et Aricie (lE cONCERT d'Astrée, Emmanuelle Haïm 2012)

 

ラモーのオペラは、管弦楽組曲として編曲され、広く親しまれました。

こちらは組曲版『イポリートとアリシー』です。

演奏:シギスヴァルト・クイケン指揮 ラ・プティト・バンド 

革命的オペラの評価とその後

ラモー50歳の処女作、『イポリートとアリシー』は、初演翌日からパリの街に大論争を巻き起こしました。

多くは、リュリ以来のフランスオペラの伝統を壊した、というごうごうたる非難でした。

リュリはオペラでは詩句を重んじ、その韻律を尊重した伴奏を作曲しました。

あくまでもメインは歌で、音楽はサブ、文字通り伴奏に過ぎなかったのです。

しかしラモーは、音楽の方をメインにし、オーケストラによるドラマチックな曲を作曲しました。

のみならず、『和声論』の著者として、自然界、宇宙の秩序を表わしているとしたハーモニーの新しい可能性を追求しました。

リュリのオペラに慣れた聴衆からは、歌が聞き取れない、大音量で耳が痛くなる、不協和音が不快、と苦情が殺到しました。

ラモーは和声の研究家として既に知られていましたから、聴衆としては、実験台にされたような気分にもなったのです。

あまりの不評に困惑したラモーは、次のように嘆いています。

『自分の趣味は成功すると信じていたが、私は間違えていた。私は他には何もないし、他にこれ以上どうすることもできない。*1

歌手もオーケストラも難曲に困惑し、多くのカットや変更を要求し、ラモーはデビューしたてのオペラ作家でしたから、妥協を余儀なくされました。

そんな状況ですから、演奏も混乱し、今日われわれが聴けるような水準ではなかったものと考えられます。

しかし、モーツァルトの有名な『詩は音楽の忠実な娘でなければなりません』という言葉に代表されるように、以後のオペラでは歌詞より音楽が重要視されていきました。

まさにラモーは、新しい時代をこのオペラで切り拓いたのです。

『イポリートとアリシー』は、初演の不評にもかかわらず、初年度には33回も上演され、その後1742年、1757年、1767年の再演では計123回も上演されたのです。

モーツァルトの『フィガロの結婚』のウィーン初演が9回で打ち切られたのとは大違いです。

さすが新しいもの好き、革命好きのフランス人、ということかもしれません。

ラモーはこの作品を皮切りに、次々にたくさんのオペラ作品を作曲していきますが、上演されるたびに賛否両論を巻き起こしました。

もっとも有名なものは、『社会契約論』などで有名な思想家、ジャン=ジャック・ルソーらに仕掛けられた『ブフォン論争』です。

しかしラモー反対派も、批判するために毎回劇場に詰めかけ、『悪評ばかりのオペラがなぜ毎回満席でチケットが取れないのだ!?』とフランスを訪れた外国人を驚かせています。

 

次回からもいくつかのラモーのオペラを取り上げます。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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*1:村山典子『ラモー 芸術家にして哲学者』(作品社)

人間の愚かさか、運命の理不尽さか。古典悲劇の真髄。ラモー:オペラ『イポリートとアリシー』⑥「第4幕」~ベルばら音楽(27)

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ヒッポリュトスの死

自らさすらいの旅に出る王子

ジャン=フィリップ・ラモー(1682-1764)のオペラ、『イポリートとアリシー』

今回は第4幕です。

舞台は、海辺に面したアルテミス神殿のある森。

月と狩の女神アルテミス(ディアーヌ、ダイアナ)の居場所は深山の森なので、海がそばにあるのは不自然なのですが、海の神ポセイドン(ネプテューヌネプチューンがからんでくるために、このような舞台にせざるを得ないのです。

幕が開くと現れるのは、傷心のヒッポリュトス(イポリート)

彼は、義母パイドラ(フェードル)に愛を告白され、拒絶したら、逆に義母に迫ったと父王テセウス(テゼー)に誤解されてしまい、言い訳したらしたで義母を告発することになるため、自ら身を退いて、国外に亡命せざるを得なくなったのです。

さらに父王の怒りは収まらず、息子に死を与えるようポセイドンに願ったのは知る由もありません。

ラモー:オペラ『イポリートとアリシー』「第4幕」

Jean-Philippe Rameau:Hippolyte et Aricie

演奏:マルク・ミンコフスキ指揮 レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル

Marc Minkowski & Les Musiciens du Louvre

第1場 ヒッポリュトス『ああ!1日で愛するものすべてを』

ヒッポリュトス

ああ!

1日で愛するものすべてを失うとは

父は私をこの地から永久に追放した

アルテミスも愛するこの地から

あの美しい瞳を見ることも、もうないだろう

あれほどの幸せだったのに

私が恐れる災いも、私が失う降伏も

すべてが私の心をこの上ない苦しみで打ちのめす

私の命を覆う恐ろしい雲の下で

世の人々は私の名誉をどう思うだろう?

哀切あふれるこの曲は、ロンド形式をとっています。

結婚を誓うふたり

歌い終わると、恋人アリシーが現れ、ヒッポリュトスがひとりでさすらいの旅に出ようとするのを責めます。

アリシーは、ヒッポリュトスが自分に恋したせいで追放されたと思っているのですが、ヒッポリュトスがいや、そうではない、王妃の怒りを買って…と口ごもるうち、アリシーは、経緯を悟ります。

そしてアリシーは、亡命の旅に自分も連れて行ってください、と懇願します。

ヒッポリュトスはアリシーにそんな苦労はさせられない、としながらも、彼女と離れたくないのはもちろんですから、歓喜のうちに受け入れ、結婚の誓いをし、デュエットを歌います。

第2場 アリシーとヒッポリュトスの二重唱

アリシーとヒッポリュトス

永久に変わらぬ貞節を誓いあおう

来たりたまえ、森の女王よ、私たちの契りを結びたまえ

私たちの誓願の香りがあなたのところまで立ちのぼりますように

あなたが私たちの心の中の唯一の支配者でありますように

この二重唱の伴奏はオーケストラではなく、通奏低音だけで行われており、ふたりの純粋な気持ちを表わしています。

体育会系女神、アルテミス

ふたりはアルテミスに結婚の誓願を立てますが、処女神アルテミスは純潔の神であり、本来はお門違いです。

結婚を管轄する神は、大神ゼウス(ジュピター)の妃ヘラ(ジュノー)なのです。 

そこに、遠くから角笛の音が聞こえ、アルテミスの従者の狩人たちがやってきて、狩りの楽しさを歌うディヴェルティスマンが始まります。

狩りは当時の貴族の最大の野外エンターテインメント、スポーツであって、現代ではさだめしゴルフに当たるでしょうか。

〝狩りの音楽〟は当時好まれたテーマだったため、観衆のために挿入されたものであって、直接ストーリーには関係ないのですが、狩りの女神アルテミスを讃える音楽でもあるので、アルテミスが本来好まない結婚を認めてもらうためにも、アリシーとヒッポリュトスはこの催しを敬意をもって見守ります。

第3場 狩人の合唱

狩人たち

あっちにも、こっちにも、我々の矢を飛ばそう

勝利に沸き立とう

人里離れた洞窟にも

我らの栄光を鳴り響かそう

第3場 狩人たちのロンド形式による第2のエール

女の狩人

さあ狩りへ!

武器を取れ!

男の狩人

武器を取ろう!

合唱

みな狩りに急ごう

武器を取ろう!

女の狩人

愛の神よ、地位をお譲りなさい

いいえ、決して権力を振るわれますな

アルテミス様が支配なさいますように

アルテミス様が私たちを導かれますように

森の奥で

女神様の支配のもとに平穏に暮らしましょう

いいえ、もうなにものにも惑わされません

ほかに快楽はいりません

惑わされる心配ごともありません

ここでは恋など笑い飛ばし

こよなく楽しい日々を過ごすのです

スポーツに青春を賭け、空しく軟弱な恋愛などにかまけないように、というのが、体育会系女神アルテミスの教義なのです。

なおホルンは、バロック古典派音楽では狩りを表わす楽器というのがお約束です。 

ハイドンオラトリオ『四季』にも同じような曲想の狩りの場面があります。

ポセイドンが遣わした怪物現る

そこで突然、風がざわめき、波が荒れ、海から恐ろしい怪物が現れます。

ポセイドンがヒッポリュトスを懲らしめるために遣わした怪物でした。

ヒッポリュトスは2輪馬車に乗り込み、怪物に立ち向かっていきます。

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怪物に立ち向かうヒッポリュトス
第3場 嵐と合唱

合唱

なんという音!

なんという嵐!

ああ!海が山のように盛り上がる!

なんという怪物を、海は我々の目の前に現わすことか!

おおアルテミスよ、早く来てください!

天から飛んできてください!

ヒッポリュトス(怪物の方に進む)

来たまえ、怪物の弱点はここだ!

アリシー

やめて、ヒッポリュトス!

どこに行くの?

あの人はどうなっちゃうの?

こわい、震えが止まらない

これが正しい神様のやり方なのでしょうか?

アルテミス様さえあの人を見捨てられた

合唱

なんとしたこと!炎が彼を包む!

アリシー

なんて厚い霧!

すべてが消え失せてしまう

…ああ!ヒッポリュトスは出てこない…

死んでしまいそう…

(アリシー、気を失って倒れる)

合唱

おお、むごい不幸!

ヒッポリュトスはもういない

ヒッポリュトスが2輪馬車で怪物に向かっていくと、怪物は火を噴き、あたりは深い煙に覆われて、何がどうなってしまったのか分かりません。

ようやく霧が晴れてくると、そこには怪物の姿も、ヒッポリュトスの姿もありませんでした。

アリシーはあまりのことに気を失って倒れています。

モーツァルトオペラクレタの王イドメネオ』でも、ポセイドンが遣わした海の怪物に王子イダマンテが立ち向かっていく場面がありますが、イダマンテは見事に打ち倒しています。

前述のように、神話では、ヒッポリュトスは海辺を馬車で旅するうち、突然海から現れた怪物(馬とも)に馬が驚き、暴走した馬車から振り落とされたヒッポリュトスは、引きずられて死にます。

古代ギリシャエウリピデスの劇では、引きずられて瀕死の状態で父テセウスの元に着き、真実を告げてから事切れ、テセウスは取り返しのつかない後悔に暮れます。

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ヒッポリュトスの死

狂乱のパイドラ

一同呆然とするところに、騒ぎを聞きつけた王妃パイドラが現れます。

そして、ヒッポリュトスが死んだことを聞き、狂乱状態となります。

第4場 パイドラの嘆き

パイドラ

私は叫びを聞いてここに来たが、この嘆きは?

合唱

ヒッポリュトスはもういない

パイドラ

彼はもういない!

おお、死ぬほどの苦しみ!

合唱

おお、後悔しても無駄だ!

パイドラ

いったい何があって、彼は永久の闇夜に落ちたのか?

合唱

恐ろしい怪物が波間から現れ

我々から英雄を奪っていった

パイドラ

いや、彼の死は私のせい

彼が冥界に堕ちたのは私のせい

ポセイドンはテセウスのために裏切り者の復讐をしようと思ったのだ

私は罪のない血を流してしまった!

なんということをしてしまったのだろう!

悔やんでも悔やみきれない!

雷の音が聞こえる

すさまじい音!なんと恐ろしい光!

逃げよう、どこに隠れよう?大地が揺れる

地獄が私の足元で口を開く

すべての神々が願いを聞き、私と戦いを交えるために、

手に手に武器をとって現れる

残酷な神々よ、情け容赦のない復讐者たちよ

私を恐怖で凍りつかせる怒りを収めてください

ああ!もし神々が公正なら

二度と私に雷を投げつけないでください

不当な行為で命を奪われた英雄の栄光が

あなたがたに救いを求めています

彼の命の創造主に

彼の無実と私の罪を打ち明けさせてください

合唱

おお、後悔しても無駄だ!

ヒッポリュトスはもういない

(幕)

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ヒッポリュトスに迫るパイドラ

愛する人を死に追いやってしまった悔恨と、神々の一族に対する理不尽な仕打ちにたいする恨みとが交錯し、激しい独唱となります。

そして、突き放すような合唱の強い印象。

この運命に相対した人間としての魂の叫びは、ギリシャ古典劇や、ラシーヌを代表とするフランス古典劇の真骨頂といえます。

オペラではその場面はありませんが、パイドラはこのあと自死することが暗示されています。 

 

次回、最終幕です。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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