孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

バスティーユを破壊する方が先だ!とルイ16世。~マリー・アントワネットの生涯50。モーツァルト:オペラ『クレタの王イドメネオ』第2幕前半

セビリアの理髪師』の一場面

フィガロ三部作」の第一作

1772年、ボーマルシェは、かつて妹の名誉を救うために滞在し、元婚約者と裁判で闘った地、スペインでの体験をもとに、オペラ・コミック『セビリアの理髪師 または無益の用心』を書きました。

これがイタリア劇団から上演を断られたあと、喜劇として作り直し、コメディ・フランセーズに持ち込みました。

いったん上演が決まったものの、ボーマルシェはショーヌ公爵やグズマン判事との係争を抱え、当局からトラブルメーカーと目されて上演は禁止。

その後、王の密使としての仕事が忙しく、この作品は放っておかれましたが、1775年にようやく初演ができました。

なかなか上演できなかった〝訳あり〟の前評判もあって、客入りは上々でしたが、初演は失敗。

ボーマルシェは、上演の間際になって、なぜか突然4幕の原作を5幕に改変したところ、冗長になってしまい、観客が飽きてしまったのです。

彼はあわてて原作に戻したところ、大成功を収めました。

セビリアの理髪師』のあらすじ

セビリアの理髪師』のフィガロ

劇のあらすじです。

孤児となってしまった資産家の娘ジーの後見人に、セビリアの医師バルトロが就任します。

既に初老のバルトロですが、ロジーナの遺産目当てと、若い娘への懸想もあって、なんとか彼女との結婚を画策しています。

そして、彼女に悪い虫がつかないよう、邸内に隠し、外出はもちろん、手紙のやり取りも厳しく制限し、監視します。

しかし、その美しさは隠せず、近所で評判となります。

その噂を聞きつけたのが、セビリア近郊に広大な領地を持つ若い大貴族、アルマヴィーヴァ伯爵

彼は自分の花嫁探しの旅に出て、ロジーナの噂を聞きつけます。

そして、窓辺で彼女の姿を見て一目惚れ。

貴族であると警戒されるので、貧乏学生ランドールと称し、何とか口説こうと、セレナーデの楽隊を雇って、彼女の窓辺で演奏します。

ジーナは既に手紙でランドールの存在を知り、恋心を抱きますが、警戒心の強いバルトロに気づかれ、さらに行動を監視させてしまいます。

彼女に近づく術を失った伯爵が途方に暮れていると、そこに現れたのが、町の何でも屋、床屋のフィガロでした。

平民ながら、才智才覚を奮って世渡りをしていく彼のキャラクターは、まさに作者ボーマルシェの分身。

フィガロの助けで、伯爵はバルトロの裏をかき、苦労の末にロジーナを獲得します。

バルトロは、用心しすぎて、フィガロの策略に裏をかかれ、かえってロジーナを失うことになります。

この活劇には、これまでの作者ボーマルシェの様々な冒険、裁判や闘争が反映しており、もともと彼の痛快な活躍を、何度も出版された彼自身の「覚書」で知っていた大衆に受けたのです。

セビリアの理髪師』は、ヨーロッパ中で評判になり、1782年にイタリア人作曲家パイジエッロがオペラ化しますが、1816年に作曲されたロッシーニ版の方が名高いです。

劇中、伯爵から、何でお前はそんなに陽気で楽観的でいられるのか?と尋ねられたフィガロが、『泣くのが嫌で笑うんでさ』と答えるセリフが有名です。

オペラ化された両曲の序曲を挙げておきます。

パイジエッロ:オペラ『セビリアの理髪師』序曲

演奏:シモーネ・ペルジーニ指揮 ハルモニエ・テンプラム室内管弦楽団

ロッシーニ:オペラ『セビリアの理髪師』序曲

演奏:ロジャー・ノリントン指揮 ロンドン・クラシカルプレイヤーズ

大貴族から勧められた、第二作

さて、『セビリアの理髪師』上演後、しばらくアメリカ独立支援に没入していたボーマルシェですが、折しも亡くなった大啓蒙思想家、ヴォルテールの全集を刊行するという大事業も手掛けています。

これは、ロシアの啓蒙専制君主、女帝エカチェリーナ2世がやろうとしている、という噂を聞きつけ、フランスの偉大な思想家の全集をロシアにやられては国の恥、という義憤にかられて思い立ったのですが、啓蒙思想は一歩間違えれば絶対王政側やカトリック教会からすれば危険思想ですから、様々な妨害に遭いました。

しかし、10年かけて、全92巻の全集刊行にこぎつけたのです。

ただ、目算としていた1万5千部に対し、売れたのは2千部だけで、事業としては大赤字となってしまいました。

さて、このようなボーマルシェの活動は、熱烈に支持する貴族たちによってもサポートされていました。

その中でも代表的なのが、コンチ公爵でした。

彼は、ボーマルシェに、『セビリアの理髪師』の続編を書くよう求めましたが、そのうち亡くなってしまいました。

ボーマルシェはその遺志に応え、第二弾として、1778年に戯曲『狂った一日 あるいはフィガロの結婚を完成させました。

フィガロの結婚』のあらすじ

フィガロの結婚』第1幕の一場面

彼を支持する貴族たちは、啓蒙思想に染まっており、アメリカ独立宣言にあるように、人々の権利は平等であり、尊いものだ、という進歩的な考えでした。

これは、自分たちの特権を否定する、自己矛盾に満ちたものでした。

フィガロの結婚』では、貴族のそんな思いに応え、貴族が大いに愚弄され、平民にコテンパンにしてやられる、という内容だったのです。

前編『セビリアの理髪師』で、フィガロの助けを得て、うまくロジーナと結婚できたアルマヴィーヴァ伯爵。

自分を助けてくれたフィガロを雇い、伯爵家の執事にします。

伯爵家で働くことになったフィガロは、美人で機知に富んだメイドのスザンナと恋に落ち、結婚することになりますが、好色な伯爵はすでに伯爵夫人となったロジーナに飽き、スザンナに横恋慕します。

そして、領主の封建的特権「初夜権」を持ち出して、なんとか結婚前にスザンナと関係を結ぼうと画策します。

それをスザンナから告げられたフィガロは、かつて伯爵を助けた才智でもって、そのよこしまな企みをぶっつぶします。

権威と権力で従わせようとする貴族を、才智でもってやり込める平民。

その姿に、平民よりも、当の貴族たちが大笑いし、拍手喝采したのです。

上演に待ったをかけた、ルイ16世

ルイ16世

ボーマルシェはさっそく、この台本をコメディ・フランセーズに持ち込みます。

同劇場はしばらく興行成績が振るわなかったので、評判の良かった『セビリアの理髪師』の第二弾であるボーマルシェの台本に飛びつき、上演作品決定委員会は満場一致で上演を決めます。

ボーマルシェは慎重に、警察長官に検閲申請を行い、「問題なし」というお墨付きをもらいます。

ところが、これに待ったをかけたのが、他ならぬ国王ルイ16世でした。

王はボーマルシェびいきの廷臣たちから前評判を聞いており、彼らの要請で、台本の朗読会を行いました。

そして、王妃付き首席侍女で、朗読係と会計係を兼ねていたカンパン夫人に朗読を命じました。

マリー・アントワネットも一緒に耳を傾けます。

その時の様子は、フランス革命の動乱を生き残ったカンパン夫人の「回想録」で詳しく伝えられています。

わたしが読み始めると、国王はたびたび称賛や非難の声を上げられて朗読を中断なさった。

一番多く叫ばれたのは次のようなことだ。

『これは悪趣味だ。この男は絶えず舞台にイタリア風の奇抜な表現を持ち込む癖がある。』

フィガロの独白の部分で、彼は行政のさまざまな分野を攻撃しているが、とりわけ国内の牢獄をやっつける台詞のところでもって、国王は激しい勢いで立ち上がられ、こう言われた。

『これは唾棄すべきものだ。絶対に上演は許さん。この芝居を上演しても危険で無分別な行為ではないということになるには、まずバスティーユ牢獄を破壊するのが先だろう。この男は政府の中のあらゆる尊敬すべきものを愚弄している。』

『では上演いたしませんの?』

王妃がおたずねになった。

『そう、絶対に。確信してよろしい。』と国王は答えられたのだ。*1

ルイ16世が激昂したのは、次の有名なフィガロの長台詞だと思われます。

『狂った一日 あるいはフィガロの結婚』第5幕第3場

フィガロ

(前略)

そりゃ、いけませんよ、伯爵閣下、あいつばかりは渡せません…

渡してなるものか。

貴方は豪勢な殿様というところから、ご自分では偉い人物だと思っていらっしゃる!

貴族、財産、勲章、位階、それやこれやで鼻高々と!

だが、それほどの宝を獲られるにつけて、貴方はそもそも何をなされた?

生まれるだけの手間をかけた、ただそれだけじゃありませんか。

おまけに、人間としてはねっから平々凡々。

それにひきかえ、このわたしのざまは、くそいまいましい!

さもしい餓鬼道に埋もれて、ただ生きてゆくだけでも、百年このかた、イスパニア全土を治めるくらいの知恵才覚は絞りつくしたのです。

貴方はそのわたしと勝負をなさるおつもりですな。

(中略)

当時世上の問題は、富の性質如何にとどめをさした。

富を論ずるに富を所有する必要もなかったから、俺は赤貧とはいうものの、貨幣の価値とその利潤について論文を書きなぐったが、書いたと思うそばから俺はもう泥棒馬車で運ばれ、馬車の中から眺めると監獄の吊り橋が渡れとばかりおろされ、そこに入るや否や、希望も自由もおさらばという始末だ。

人を監獄にぶち込むなんざあ朝飯前の、成り上がりの役人どもをなんとかとっちめてやりたいものだなあ。

免職が奴らの傲慢を払いのけた暁に、俺は言って聞かせてやりたい。

愚劣なる印刷物は発行禁止の国にあらざれば権威なく、誹謗の自由なくんば追従のお世辞もなく、かつまた些細な記事を恐るるはただ小人のみ、と。

(後略)*2

後半は、フィガロというより、何度も監獄にぶちこまれたボーマルシェ自身のことであり、聴衆もそれをよく分かっていたので、面白がったのです。

しかし国王はただちに国璽尚書ミロメニルに手紙を送って、作品の上演および出版禁止を命じたのです。

ボーマルシェの反撃

王妃の首席侍女で朗読係のアリエット・カンパン夫人

ボーマルシェはただちに反撃に出ます。

彼は、台本の原稿に厚手の表紙をつけ、おしゃれなピンクのリボンで飾り、前書きも付け加えた上で、貴族のサロンを回って朗読を行ったのです。

これは大評判となり、カンパン夫人は次のように書いています。

『毎日のように、人々がボーマルシェの芝居の朗読を聞きましたとか、これから聞くのですとか言う声が聞こえていた。』

当時の世上は、民衆が王政に勝ったという、アメリカ独立がフランスの民衆を刺激していました。

貴族たちは貴族たちで、ルイ14世以来、絶対王権に飼い慣らされてきた鬱屈もあり、また近代の息吹が迫る中で、自由主義啓蒙思想に染まった者も増えていました。

社会の上も下も時代的な閉塞感に息が詰まる中で、ボーマルシェの分身フィガロが才気を奮って、権威をものともせず痛快に上を批判し、やり込める姿に、スカッとするものを感じていたのです。

この作品と、高まる支持に危険なものを感じたのは、ただひとり、ルイ16世でした。

彼は凡庸で優柔不断、それゆえにフランス革命を防げずにギロチンの露と消えた凡君、と歴史では評価されていますが、『フィガロの結婚』に対するこの判断からすれば、世上の動きや情報に敏感で、リスクもちゃんと認識できる面が見受けられます。

絶対王政というのは、王ひとりに権力が集中して始めて保てる体制ですから、その体制が揺らぐ危険性というのは、王しか感じ取ることはできなかったのかもしれません。

上演禁止が続いて1年、なぜか、パリの「王室娯楽劇場」で上演されることが発表され、貴族の間で大評判となり、切符はあっという間に売り切れました。

ところが、幕が開く寸前に、ルイ16世の急使が劇場に派遣され、上演禁止となりました。

王は、上演の日の朝にそれを知ったといわれていますが、上演を画策したのは、おそらく他ならぬ王妃マリー・アントワネットと、その遊び仲間、アルトワ伯(のちのシャルル10世ではないか、とされています。

「王室娯楽劇場」を後援していたのは、悪名高い王妃のお気に入り、ポリニャック夫人の愛人、ヴォードルイユ伯爵だったからです。

王としては、聞いてないぞ!と怒ったのでしょうが、楽しみにしていた観衆たちのさらなる怒りを呼びました。

カンパン夫人は次のように書いています。

『国王のこの禁止令は公共の自由への侵害と思われた。期待がすべて裏切られたことが大きな不満を引き起こし、圧政とか専制とかいう言葉が、王権失墜に先立つ日々の中でも、これほど熱を込めて激しく語られた日はなかった。』

この芝居は王権への反感を招きかねない、と判断して上演禁止にしたルイ16世でしたが、それがかえって国王専制に対する不満をかきたててしまったわけです。

ボーマルシェはさらに自ら警察長官に検閲を求め、許可を得、国王に対しそれを報告し、コメディ・フランセーズの経営困難も訴える書簡を送ります。

フィガロの結婚』裁判の場面

ついに迎えた、歴史的初演

18世紀のコメディ・フランセーズ

孤立した王はついに、コメディ・フランセーズでの上演の許可を出しました。

1784年4月27日、『フィガロの結婚』は歴史的な初演の日を迎えます。

切符売り場には10時間も前から人が押しかけ、全パリ市民がやってきたようだった、と伝えられています。

切符が手に入らない人々は、売り場にお金を投げつけて入場したといい、押しかけた群衆によって劇場の扉は凹み、鉄柱が折れ、押しつぶされて3人の死者が出たともいいます。

上演は連日盛況で、この熱狂がフランス革命へとつながっていった、というのが歴史の評価です。

敗北したルイ16世は、ボーマルシェを憎んでいたでしょう。

ある新聞が『フィガロの結婚』の一部分を批判した記事を載せたことに腹を立てたボーマルシェは、『劇公演を実現するためにライオンや虎を打ち負かさなければならなかったわたしが、そんなことに屈すると思うのか』という反論宣言を出しました。

これを、トランプに興じていた最中に聞いたルイ16世は、『ライオンや虎』が王や政府のことを指しているととらえ、その場でスペードの7のカードにボーマルシェの逮捕命令を書いて、彼を投獄したということです。

しかし、この措置もすぐ世論の反発を受け、王は5日で彼の釈放命令を出さざるを得ませんでした。

ボーマルシェは、理由もなく投獄されたとして、王が直接謝罪するまでは出獄しない、とまで抵抗しますが、周囲に説得されてしぶしぶ監獄を出たということです。

王妃による、まさかの追い打ち!

セビリアの理髪師』のロジー

ここまでコテンパンにされたルイ16世に、さらに打撃を与えたのが、よりにもよって、王妃マリー・アントワネットでした。

彼女は深い考えもなく、大人気のこの芝居を面白がっていました。

常に流行に乗り、流行を生み出すことに血道を上げていた王妃は、自分の城プチ・トリアノン宮殿に作った自分専用のロココ劇場」で、『セビリアの理髪師』を上演することにしたのです。

しかも、主役のロジーナを演じたのは、マリー・アントワネット自身でした。

ボーマルシェの台本には、ロジーナのキャラクターについて、次のように書いてあります。

『すばらしく魅力的な娘を思い浮かべてください、やさしく、気立てがよく、ピチピチして、フレッシュで、気をそそり、かろやかな足、弓型のほっそりした腰、ふっくらした腕、露に濡れた唇!何という手!何という歯並び!何という眼!』

これはまさにわたしじゃない!と王妃は飛びついたのです。

さっそくコスチュームをベルタン嬢に発注します。

そして、フィガロ役は王弟アルトワ伯(のちのシャルル10世)が、アルマヴィーヴァ伯爵役はヴォードルイユ伯爵が務めました。

王妃がここまで入れあげているのを、ルイ16世に止められるわけがありません。

上演は国王臨席で行われましたが、そこにはなんと作者ボーマルシェも招待されていたのです。

国王が断固として上演禁止にした作品を、作者の前でなんと王妃自身が演じる。

しかも、それに立ち会わせられる…。

ルイ16世の内心は窺い知れませんが、「世も末だ…」と諦めの境地だったかもしれません。

まさにフランス王家の世の末は迫っていました。

こんな芝居を上演するくらいなら、バスティーユ監獄を破壊する方が先だ、と言い放った王の予言は、まもなく的中してしまうのです。

フィガロの結婚』はモーツァルトがオペラ化しますが、これもマリー・アントワネットの兄、皇帝ヨーゼフ2世からいったん上演禁止されます。

しかし、オペラでは危険なセリフは削除され、また周囲の期待もあって、最終的にはヨーゼフ2世も上演を許可せざるを得ませんでした。

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ボーマルシェその後

ボーマルシェ邸の豪華な庭園

ボーマルシェの名声はその後、だんだん翳りをみせます。

フランス革命の2年前、よりにもよって、バスティーユ監獄前の土地が売りに出されているのを見つけ、これを買って豪邸を建て、広壮な庭園も造ります。

民衆の味方のはずのボーマルシェは、これによって「旧体制側」と見做されてしまいます。

そして、フランス革命勃発。

彼は『セビリアの理髪師』『フィガロの結婚』の続編として、1791年に罪ある母を書き、上演しますが、以前のような大きな成功には至りませんでした。

この三作は文学史フィガロ三部作』と呼ばれています。

革命中、武器の取引で事実無根の疑惑をかけられ、ボーマルシェ邸は群衆に襲われます。

本人は寸前に脱出しますが、群衆が彼の家で見つけたのは、隠し持った陰謀の武器ではなく、大量に売れ残った『ヴォルテール全集』の山だったといいます。

ボーマルシェはオランダ、英国で活動し、亡命者リストに乗せられて帰国できなくなったりしましたが、1796年にようやくフランスに戻ることができました。

彼は、政府に対する補償などの裁判に明け暮れますが、ナポレオンブリュメール18日のクーデターで政権を獲る直前、1799年5月18日に脳卒中で67年の波乱万丈の生涯を閉じました。

時代の変革期には英雄や偉人が輩出しますが、近世から近代へ移る18世紀末を彩った風雲児のひとりといえます。

クレタの王イドメネオ』登場人物

※イタリア語表記、()内はギリシャ

イドメネオ(イドメネウス)クレタの王

イダマンテイドメネオの息子

イリアトロイアプリアモスの娘

エレットラ(エレクトラ:ミケーネ王アガメムノンの娘、イピゲネイア、オレステスの妹

アルバーチェイドメネオの家来

モーツァルト:オペラ『クレタの王イドメネオ』(全3幕)第2幕

Wolfgang Amadeus Mozart:Idomeneo, Re di Creta, K.366 Act.2

演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団、アンソニー・ロルフ・ジョンソン(テノールイドメネオ)、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(メゾ・ソプラノ:イダマンテ)、シルヴィア・マクネアー(ソプラノ:イリア)、ヒラヴィ・マルティンペルト(ソプラノ:エレットラ)、ナイジェル・ロブスン(テノール:アルバーチェ)、グレン・ウィンスレイド(バス:祭司長)【1990年録音】

レチタティーヴォ

アルバーチェ

すべて、わたしには分かっております

イドメネオ

わたしは数々の武勲を立てたが

最後にあの猛々しいポセイドンが待ち伏せしており

アルバーチェ

承知しております

王様を破滅させようと、

ゼウスや風の神イオラスと結び、

ポセイドンは支配下の海を波立てたと…

イドメネオ

そうなのだ、

生けにえに人間を無理に供えさせるほどに…

アルバーチェ

で、誰を?

イドメネオ

で、仰せ下さい、

誰に最初に会われたのです?

イドメネオ

驚くでない…

わが息子だ…

アルバーチェ

イダマンテ様!

気が遠くなる…

イドメネオ

助言をくれ、アルバーチェよ

頼む、わたしを救ってくれ、

王子を救ってくれ

アルバーチェ

どこか、よその土地に移っていただくことです

人々の目から隠れておられさえすれば、

そのうち他の手立てでポセイドンは鎮まるか、

他の神の誰かがポセイドンのとりなしもしてくれましょう

イドメネオ

良いことを言ってくれた、その通りだ…

イリアがやってくる

ああ、何とも…

そうだ、彼をアルゴスへ行かせよう

それにはエレクトラを故郷へ帰すのがよい…

今すぐエレクトラと王子のところにゆき、

準備をさせてくれ

万事急いでやってくれ、秘密裡に

わたしはそなたを頼りにしている

今やそなたにかかっているのだ

息子の命と父なるわたしの安らぎは

いいな、忠実なるアルバーチェよ

幕間劇が終わり、第2幕となります。

舞台には、イドメネオと、その腹心の部下アルバーチェ

王はこれまでの経緯を忠実な大臣に語ります。

すなわち、トロイア戦争では赫赫たる武勲を立てたが、いざ故郷に凱旋という段になって、どういうわけか海の神ポセイドンの不興を買い、嵐を起こしてクレタの軍船を沈めようとしたこと。

そして、人間を生けにえに捧げさせる約束をするまで、自分を追い詰めたこと。

さらに、神が求める生けにえは、王子イダマンテであること。

アルバーチェは驚きますが、有能な大臣らしく、さっそく冷静に王に善後策を献策します。

王子を、いったんこの地から離れさせ、時間稼ぎをして、その間にポセイドンの怒りが静まるのを待つか、ほかの有力な神にとりなしを頼んではどうか。

そして、イダマンテを、ミケーネの王女エレクトラと一緒に、その故郷アルゴスに行かせること。

アガメムノンが殺されるクーデターが起きた政情不安のミケーネに、同盟国クレタの王子イダマンテをして、王女エレクトラを帰還せしめる。

当時のギリシャの国際情勢を踏まえた妥当な判断です。

イドメネオはこの策に飛びつき、すぐ実行に移すよう、アルバーチェに命じます。

第10曲 アリア

アルバーチェ

もし、あなた様の苦しみとわたしの思いが

同じものでありましたなら

わたしがあなた様の命にすぐ従いますように

苦しみはすぐにも去りましょう

王座に伴う責任がどのようなものか

王座を望むお方は、

こうしたとき、学び、知らねばなりますまい

さもなくば王座を望まぬこと

もし望むなら嘆いてはなりません

たとえ苦悩にしか出会わないとしても

(退場)

主君に褒められ、頼られたアルバーチェは、その信頼に応え、忠義の心をアリアにします。

アレグロハ長調の比較的平易なアリアですが、最後のコロラトゥーラが聞かせどころです。

王様の苦しみと、私の忠義の心を比べたら、私の真心の方が強いので、苦しみは飛んでいってしまうでしょう、という、上司への追従的な内容なので、ドラマの流れから、実際の上演では省略されてしまうことの多いアリアです。

当時のオペラでは、ソロの歌手には、一幕にひとつは出番としてアリアを与えなければならないので、ストーリー上あまり意味がなくても仕方のないことでした。

しかし、後半の内容では、王とは責任が重く、苦悩に満ちた地位なのです、と言っており、オペラの発注主で、臨席している君主の苦労をねぎらい、讃える意味があるのです。

この場合は、バイエルン選帝侯カール・テオドールへのオマージュであることは言うまでもありません。

今からすると違和感があるかもしれませんが、18世紀オペラの特徴を今に伝えるアリアなのです。

レチタティーヴォ

イリア

もしギリシャの土地に、デロスの神、

太陽が輝かしく現れるものならば、

王様、きょうこそその日でございましょう

きょう、王様の尊いお姿が忠臣の方々を元気づけ、

そして王様が亡くなられたと

泣き濡れていた目を晴らしました

イドメネオ

優しい王女よ、

今やあなたの瞳にも

再び晴れやかさが戻ってほしい

そして、長い苦悩を消し去ってほしい

わたしとわたしの持てる力を頼みにするがよい

これからのわたしの計らいは、

友情の確かな証をそなたに与えることであろう

イリア

分かっております

疑いを抱くことは罪となりましょう

アルバーチェが任務を果たすために去ると、代わりに、トロイア王女イリアが入ってきて王に拝謁します。

イリアは、王が無事であったことにお祝いを述べ、イドメネオは、この旧敵国の王女に、これからは友となろう、と優しい言葉をかけます。

第11曲 アリア

イリア

たとえ父を失い、

祖国を、安らぎを失いましても

いまやあなた様がわたしの父君です

クレタはわたしにとり

心地よい住処となりました

もはや思い起こしません

苦しみも、悲しみも

今や喜びと満足を、

これまでの不幸に代えて

天がわたしにくださいましたので

(退場)

イリアはイドメネオに対し、戦争で父を失い、祖国を失いましたが、これからはあなたを第二の父、クレタを第二の祖国と思っております、と歌います。

このアリアは、変ホ長調、アンダンテ・マ・ソステネートで、極めて情感に満ち、管楽器のソロがイリアの感謝の思いを過剰なくらいに伴奏します。

後年の、『ハ短調ミサ』のクレドや、『フィガロの結婚』第2幕の伯爵夫人のカヴァティーナにつながってゆく、このオペラでも白眉の歌のひとつです。

初演のオーケストラは、旧マンハイム宮廷管弦楽団がそのままバイエルンに移ってきたもので、ヨーロッパでも一、二を争う優れた楽団です。

奏者は全員がソロでも最高の腕前であることをモーツァルトは知り尽くしていましたので、ここで管楽器奏者たちが存分にその力を発揮できるよう、配慮しているのです。

レチタティーヴォ

イドメネオ

あの含みのある言葉は、

何ともわたしの頭をかき乱す…

このような境涯にありながら、

突然になんと不可思議な喜びを示すのか、

あのトロイアの王女は…

王女が示す王子への、

あの優しさに満ちた感情は、

あるいは、もしや、

ああ、恐ろしいことに、

愛の感情、

そして希望のもたらす喜び…

間違いない、

あの愛情は、相思相愛のものだ

イダマンテよ、

あまりにも急ぎすぎたのだ、

そなたはあの者らの鎖を解くのが

その罪だったのだ、

天がそなたを罰するのは…

そうだ、そうに違いない

このままでは、

息子と、父と、そしてイリアの3人の生けにえが、

ポセイドンの祭壇に登ることになる

同じ苦悩にさいなまれながら、

ひとりは剣に、

ふたりは悲しみに胸を刺し貫かれて

絢爛たる音楽のお花畑に包まれてイリアが退場すると、イドメネオはかえって不安にさいなまれます。

あの王女は、助けられたとはいえ、他ならぬ父の仇、祖国の敵である自分に、なぜあれほどの愛情を示すのか?

感謝にしても、その域を超えているのではないか?

自分を第二の父と思う、などとは、どういうことだ?

ここで、伴奏はイリアのアリアの管楽器の動きを簡単に再現します。

そして、王はハッと気づきます。

イリアは、王子イダマンテに恋しているのだ!

そしてイダマンテもイリアに惚れてしまっており、その歓心を買うため、早々にトロイアの捕虜を解放してしまったのだ。

それが、ポセイドンの怒りを買い、生けにえに求められてしまったのだ!

そもそも、トロイア戦役は、ヨーロッパの国ギリシャと、アジアの国トロイアの戦いで、人間同士の戦争ですが、オリンポスの神々も二手に分かれて、それぞれの国を贔屓にし、サポートしていました。

戦争のきっかけは、ヘラアテナアフロディーテ(ヴィーナス)の3女神のうち、誰が一番美しいか、という審判を、トロイアの王子パリスが行ったことです。

パリスが選んだのはアフロディーテですから、美の女神は当然トロイアの味方です。

選ばれなかった女神、ヘラ、アテナは、もちろんギリシャ派。

ポセインドンはというと、トロイアとは古い因縁があり、昔の王ラオメドンがトロイアの城壁を築くときに、ポセイドンは彼の傲慢さを試すため、アポロンとともに人間に化けて、その工事に従事しました。

すると、ラオメドンはふたりを神とは知らずにこき使ったので、ポセイドンとアポロントロイアは嫌いだったのです。

そして、落城のとき、ギリシャ側の計略トロイの木馬を、トロイアの神官ラオコーンが見破ったとき、ポセイドンは海の怪物にラオコーンとその息子を呑み込ませたのです。

その場面は、バチカン美術館所蔵の古代ギリシャ彫刻『ラオコーン像』で有名です。

イダマンテは、ポセイドンが憎むトロイアの捕虜を勝手に解放し、その王女を愛してしまったため、海神の不興を買ってしまったのです。

イドメネオは、神の怒りの理由を理解し、このままでは、自分と王子だけでなく、イリアまで不幸になってしまう、と、さらに絶望を深くします。

『ラオコーン像』(紀元前160-20年作と推定)
第15曲 アリア

イドメネオ

海から逃れたのに、

またもこの胸に抱えてしまった、

前にも増して不幸な海を

ポセイドンは、この胸の海にも、

脅しをかけることを止めはしない

残忍な神よ、せめて教えてほしい

これほど難破が迫っているのに

わたしの心はいかなる邪悪な運命によって

すぐに難破することを拒まれているのか

苦悩の極みに達した王が、その思いを全世界に響けとばかりに訴えるアリアです。

初演で歌うのは、当時ヨーロッパ一のテノール歌手、アントン・ラーフ!

そして伴奏は、当時ヨーロッパ最高のバイエルン宮廷楽団!

その実力を忌憚なく発揮するため、モーツァルトが作った渾身の歌です。

華やかに散りばめられたコロラトゥーラは、英雄的な心情を表わすとされていました。

海の嵐から逃れたのに、陸ではそれを上回る苦しみが自分を襲う。

いっそのこと死んだほうが楽だが、この苦境を放置してひとり逃げるなんて、そんな卑怯なことも自分の心が許してくれない。

なんという非情!

なんという不条理!

統治者として、そして人の親として、逃れ難い運命に抗う心情が、ティンパニ、トランペットを伴って壮大に歌われます。

大海原に波立つかのようなオーケストラは、海の嵐と、人間の心の嵐を、ふたつながらに表現しているのです。

まさに、このオペラの核心となるアリアで、先のイリアの「女の愛情」に対し、「男の苦悩」という見事な対比になっています。

この構図は、後年の「フィガロの結婚」第3幕で、アルマヴィーヴァ伯爵と、伯爵夫人ロジーナのそれぞれのアリアで再現されることになります。

 

ヴァイオリン・ソロが美しい、差し替えアリア

モーツァルトは、このオペラをミュンヘンで上演したあと、バイエルン選帝侯から何らか仕事のお声がかかることを期待して、有給休暇をグズグズと勝手に引き延ばしていましたが、主君のザルツブルク大司教からウィーンに呼び出されました。

大司教はちょうどウィーンに滞在しており、客人をもてなすためにモーツァルトが必要だったのです。

大司教は勤務怠慢のモーツァルトを苦々しく思っていましたが、音楽家として名声のある彼を召し抱えているのは、君主としての面目でもありました。

しかし、モーツァルトは、音楽家を従僕としか思っていない大司教とついに衝突して、辞職し、フリーの音楽家となります。

フリーのアーティストというのは当時でも不安定極まりない身分でしたので、モーツァルトは名声を高めるため、過去の自信作『イドメネオ』をウィーンで再演しようとしました。

しかし、ウィーンの劇場ではそう簡単には取り上げてもらえません。

まずは音楽愛好家の貴族の館で、コンサート形式で試演することになりました。

それでもモーツァルトは張り切り、イダマンテ役をカストラート(ソプラノ)からテノールに変え、またいくつかのアリアを差し替えました。

今回取り上げた第2幕のアルバーチェのアリアは、新たに作曲されたシェーナ(劇唱)とロンド『もういいの、全てを聞いてしまったの-心配しなくてもよいのです、愛するひとよ』K.490に差し替えられたのです。

イダマンテが当地を離れることをイリアが知ってしまい、それをイダマンテが慰める場面となっています。

独奏ヴァイオリンが美しいオブリガートを奏でますが、このパートは、ウィーンでのモーツァルトの親友で、若くして亡くなってしまう名手、ハッツフェルト伯爵が演奏しました。

初演版のオペラでは、イリアはまだ表向きにはイダマンテに思いを伝えられていませんので、筋的には先走ってしまった内容ですが、とても美しい曲で、独立してコンサートで取り上げられていますので、ここで掲げておきます。

作詩者は不明ですが、『フィガロの結婚』をボーマルシェの原作からイタリア語のオペラに翻案した劇作家で、モーツァルトと親しいダ・ポンテではないか、とも言われています。

モーツァルト:シェーナとロンド『もういいの、すべてを聞いてしまったの-心配しなくてもよいのです、愛するひとよ』K.490

演奏:クリスティーナ・ランズハマー(ソプラノ)、ベルンハルト・フォルク指揮 ベルリン古楽アカデミー

(シェーナ)

イリア

もういいの、すべてを聞いてしまったの

みんな分かってしまったの

エレクトラとイダマンテの愛は知られているわ

大事な約束をお破りになってはいけません

行ってください、わたしを忘れてください、

あの方に身を捧げてください

イダマンテ

わたしがあなたを忘れるですって?

あの人に身を捧げろと、

あなたは忠告されるのですか?

しかも、それでわたしが生きるのをお望みとは!

イリア

大切なひと、

わたしの操を傷つけないでください

ひどいショックでわたしは十分痛めつけられているのです

イダマンテ

ああ、違うのです

わたしが生きながらえるのは、

死ぬことよりもずっと悪いことなのです

これはわたしの初恋であり、

また最後の恋となることでしょう

死がやってくるといい、

わたしは勇敢にそれを待ち受けます

でも、ほかの光明に恋い焦がれ、

ほかのものにわたしの愛を捧げることが、

どうしてできましょうか?

どうやってそうしろというのです?

ああ!

わたしは悲しみで死んでしまうことでしょう

(ロンド)

イダマンテ

心配しなくてよいのです、愛するひとよ

心はいつでもあなたのものです

こんなにつらい苦しみにはもう耐えられず、

わたしの魂は死に絶えてしまいます

あなたはため息をついていらっしゃる?

ああ、不吉な苦しみよ!

せめて考えてください、今こそ時なのだと!

ああ神よ!

わたしには説明できないのです

残酷な運命よ、無慈悲な運命よ!

なぜこんなにまで厳しいのでしょう?

うるわしい魂たちよ、

今この時にわたしの苦しみをご覧でしょうが、

言ってください、

同じような苦しみが、

誠実な心に与えられるのかどうか

 

動画は、アルノルト・エストマン指揮、スウェーデンのドロットニングホルム宮廷劇場の上演です。18世紀の上演スタイルを忠実に再現しています。

この上演はミュンヘンでの初演版ではなく、ウィーンでの改訂版ですので、イダマンテはソプラノからテノールに変えられ、アルバーチェのアリアの代わりに、このシェーナとロンドに差し替えられています。

動画プレイヤーは下の▶️です☟

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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クラシックランキン

 

*1:鈴木康司『闘うフィガロ ボーマルシェ一代記』大修館書店

*2:辰野隆訳『フィガロの結婚岩波文庫