孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

フランスバロック最大にして最高の作曲家、ラモーとは。ラモー『クラヴサン曲集第1巻』〝プレリュード〟~ベルばら音楽(18)

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ルイ15世

最愛王、ルイ15世の時代はじまる

時計の針を進めまして、ルイ15世(在位1715-1774)の時代に入ります。

その治世は、ルイ14世の74年には及びませんが、58年の長きにわたりました。

ルイ15世は、偉大な曽祖父のような力量は無く、政治は放縦、文化・芸術にも造詣は浅く、力を入れたものといえば〝女性〟だけでした。

有名な愛妾ポンパドゥール夫人には政治も任せ、宰相並みの権限を与えました。

晩年の愛人デュ・バリー夫人と、王太子マリー・アントワネットとの確執は『ベルサイユのばら』でも描かれています。

他にも、自分専用の売春宿『鹿の園』をもつなど、その女好きぶりは〝最愛王〟の異名をとりました。

もっとも、アジアの君主には側室がいるのが当たり前で、日本でも明治天皇までは側室がいたわけですから、王様なんてそんなものとも思いますが、そこはキリスト教国。

一夫一婦制をないがしろにするのは神の掟に逆らうことですから、本人にも一応、罪の意識はあったようです。生活を改めることはありませんでしたが。

在世中には破局は訪れませんでしたが、お気に入りの言葉『余のあとには大洪水がくるだろう』に象徴されるように、〝あとは野となれ山となれ〟で享楽的に過ごしました。

予言通り、次の代にはフランス大革命が起こりますが、本人は平和のうちに世を去りました。

世界史をみると、数々の王朝が興亡を繰り返していますが、政治・経済の最盛期が過ぎ、破滅に至る前の無風時代に、文化・芸術が爛熟期を迎える、というのがパターンです。

ルイ15世のフランスもまさにそんな時代で、華やかなロココ芸術が乱れ咲いたのです。

音楽でこの時代を代表するのは、フランスバロック最大にして最高の作曲家、ジャン=フィリップ・ラモー(1683-1764)です。

バロックとは思えないほど斬新で現代的な響き

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ジャン=フィリップ・ラモー

ラモー生誕は、バッハ、ヘンデル、ドミニコ・スカルラッティたちが生まれた大いなる年、1685年の2年前です。

ラモーは、ほぼ同い年といっていい彼らに、勝るとも劣らない偉大なる巨匠で、私もその音楽を愛してやみません。

実にフレッシュで、現代的といってよいくらい斬新な音楽。

それは、ラモーが作曲家であると同時に哲学者、理論家であり、和声について実に深い研究を行い、論文、理論書を表わしていることが大きな要素となっています。

音楽におけるハーモニーの重要性は、まさにラモーによって見出されたといっても過言ではないのです。

ラモーは、ハーモニーに宇宙の秩序と神秘を見出し、その世界を追い求めて数々の曲を生み出しました。

それには、当時の人が面食らった、耳慣れない和音が満ちていました。

その時代の先をいく挑戦は、現代人の耳にも、クラシックとは思えないほどフレッシュに聞こえるのです。

私もラモーの音楽を知ってからは、その魅力に病みつきになってしまいました。

これまで取り上げてきたフランスのバロック音楽は、ドイツやイタリアに比べてとっつきにくく、一般的には敷居が高くて敬遠されがちでしたが、近年の古楽ブームで見直され、素晴らしい演奏、録音が続々と出てきて、特にラモーはこれからどんどんポピュラーになってくること必定だと思います。

50歳まで下積み!ラモーの生涯

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ラモーの生涯は、音楽家として異色のキャリアでした。

なんと、50歳まで下積み人生で、大きく世に出たのはそれからだったのです。

生まれたのは、スーパーで売っている〝マイユのマスタード〟の産地で、ブルゴーニュ公国の首府、ディジョン

父ジャンディジョンのふたつの教会のオルガニストをしており、音楽一家として最初から音楽教育を受けました。

イエズス会教会学校に入りましたが、そこではローマ教皇直轄の教団ということもあって、生徒によってイタリア・オペラが上演されていました。

そんな縁もあってか、18歳のときに学校は中退してイタリアに行きますが、ミラノに数ヵ月いたのみで、早々に帰ってきてしまいました。

その理由は謎なのですが、ラモー自身は、もっと長くイタリアにいて、オペラの本場ヴェネツィアなどでもっと当地の音楽に触れればよかった、と後悔していたようです。

もっとも、フランスにいても、イタリア様式を学ぶ機会は十分あったようですが。

帰国後、ラモーはオーベルニュ、クレルモン・フェランといった小都市の教会オルガニストを務めます。

50歳までは、日の当たらない人生

しかし、その仕事にあきたらず、契約の最後まで務めるのがイヤさに、わざとすさまじい調子っぱずれの演奏をするなど、まるで中二病のようなことをして大都会パリに飛び出します。

それが23歳のときで、パリでそれまで書き溜めたクラヴサン曲を出版。これがクラヴサン曲集第1巻』ですが、たいして評判にならず、故郷に舞い戻って、父の後を継いでディジョンオルガニストになります。

しかし、弟が自分が好きだった女性と結婚する、というショッキングな事件があって、また故郷を去って、再びクレルモンのオルガニストに。

そして、1723年に再びパリに出るまで、この地にとどまります。

いわば地方に埋もれて薄給で地味な活動をしていたわけですが、その間も、和声の研究を続け、音楽理論を構築する、という大望に取り組んでいました。 

まさに、ドサ回りのたたき上げ音楽家、という一面と、学者肌で、哲学者といってもよい一面をあわせもった人物でした。

性格的にも、頑固で偏屈、実に付き合いづらい人間、という評判が一生ついてまわりましたが、その求道的な、尋常ではない努力とパワーには、ベートーヴェンを思わせるものがあります。

音楽理論の探求

1722年には、ついに念願の、最初の音楽理論『和声論』を出版。

これがそこそこの評判となると、満を持して翌年再びパリに出ます。

1724年には『クラヴサン曲集第2巻』を、1728年には『クラヴサン組曲を出版。

そして、その間1726年、理論書の第2作『音楽理論の新体系』を出版し、これは大きな反響を呼んで、音楽理論家としての名声を確立しますが、同時に多くの論敵も生み出すことになります。

その最大の敵手は、世界史に名高い『社会契約論』の著者、ジャン=ジャック・ルソーでした。

これからのラモーは、音楽創造と論戦に残りの生涯を捧げることになります。

ラモーの運は開けてゆき、同年42歳のラモーは王室音楽家の娘、19歳のマリー=ルイーズ・マンゴと結婚。

私腹を肥やしたとは限らない、徴税請負人

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アントワーヌ・ラヴォアジエ

さらにその人生を運命づけたのは、徴税請負人ラ・ププリニエールとの出会いでした。

徴税請負人とは、政府に代わって税金を徴収する、個人契約の税務署長のようなもので、莫大な手数料を得ることができ、貴族以上の大金持ちでした。

当然民衆からは恨まれ、フランス革命のときには、徴税請負人だったという理由で、偉大な科学者ラヴォアジエが問答無用でギロチンにかけられています。利益は全て科学の発展に使ったのに、と訴えながら。

ラ・ププリニエールは、その利益を芸術・文化の振興や、パトロンとして芸術家の後援につぎ込んでいました。

私的なオーケストラを運営しており、ラモーはその才能を見込まれて、その楽長に任命されました。

そして1733年、50歳にして満を持して、画期的なオペラ『イッポリートとアリシー』を上演し、以後、80歳で亡くなるまでオペラ作曲家として活動したのです。

つまり、作曲家としては、前半生はクラヴサンを、後半生にはオペラを作ったわけです。

では、年代を追って、まずクラヴサン曲から聴いていきたいと思います。

フランスのクラヴサンチェンバロハープシコード)の小品は、クープランが謎めいた標題をもった愛らしい組曲(オルドル)をたくさん作曲し、これまでも聴いてきましたが、ラモーは作品数は少ないものの、見事にその後を継ぎ、素晴らしい曲を生み出しています。

ラモーのクラヴサン曲は、3巻、5つの組曲から成っています。(それ以外にも数曲あります)

クラヴサン曲集第1巻(第1組曲所収)(1706年出版)

クラヴサン曲集第2巻クラヴサン曲集と装飾音法)(第2、第3組曲所収)(1724年出版)

クラヴサン曲集(第4、第5組曲所収)(1728年出版)

順番に聴いていくと、どんどん進化していくのが分かります。

まずは、若い頃の処女作、第1組曲を抜粋して取り上げます。 

ラモー:クラヴサン曲集第1巻(第1組曲 イ短調

Jean-Philippe Rameau:Premier Livre de Pieces de Clavecin

演奏:ブランディーヌ・ランノー(クラヴサン)Blandine Rannou

第1曲 プレリュード

第1組曲クープランがまだまだ活躍していた頃の作品で、若い頃の第1作ということもあって、あまり有名な曲は少ないのですが、この前奏曲は人気があります。

虚空に響く孤独な音色は、どこまでも高貴で、心に突き刺さるようです。

アニメの『ベルサイユのばら』で、誰かが死ぬ場面で使われていた、と言っている人がいましたが、未確認です。

でも、確かに運命的なものを感じさせる劇的な曲です。

フランス風序曲の形式通り、前半はゆっくりじっくりと聞かせ、最後は速いテンポになります。

第3曲 第2アルマンド

組曲は定石通り、アルマンドから始まりますが、これは前曲に装飾を加え、展開させたもので、変奏といってもいいでしょう。

右手と左手が呼び交わす切ない旋律が心に沁みます。

第7曲 ヴェネツィアの女

組曲は、アルマンドのあと、クーラントジーグ、サラバンドと続きますが、ここでいきなり標題をもった曲が初めて登場します。

まさにクープランさながらです。

ヴェネツィアの女〟(ヴェネツィエンヌ)という、これも謎のタイトルですが、明るい曲で、仮面をつけて陽気に騒ぐカーニバルを思わせます。

ラモーが5年前のイタリア旅行時、行けばよかった、と後悔していたヴェネツィアへの憧れでしょうか。

この曲のあとは、また組曲の定石に戻り、ガヴォット、メヌエットで締めくくられます。

 

ラモーの世界はこれからです。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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聴衆という暴君誕生。今に続くコンサートの元祖「コンセール・スピリチュエル」とは。ドラランド『レジナ・チェリ』、コレッリ『クリスマス・コンチェルト』~ベルばら音楽(17)

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パリ・テュイルリー宮殿1850年の絵)※1871年パリ・コミューンで焼失

巨星墜つ

1715年9月1日、フランス絶対王政の黄金時代を築いたルイ14世薨去しました。

貴族たちを、王権に反抗しかねない「領主」から「廷臣」にして骨抜きにし、中央集権を実現しました。

そして、音楽をその統治の道具として大いに利用したのです。

しかし、在位はギネス記録の72年に及び、晩年にはその無理に無理を重ねた拡張政策のツケが相当回ってきていました。

国民は果てしない治世にうんざりし、パリの街角では〝イギリス人を見習おう〟という小唄が流行ったということです。

英国では1649年の清教徒革命で国王チャールズ1世を処刑していたことを指します。フランスで実現するのはずっと後、1793年になりますが。

また、ルイ14世はパリから宮廷をヴェルサイユに移してから、ずっとパリには行かず、ヴェルサイユに閉じこもりっぱなしでした。

貴族、廷臣たちも、音楽家たちもヴェルサイユに張り付きを余儀なくされ、彼らは彼らでうんざりしていました。

ちなみに、ルイ14世は侍医のアントワーヌ・ダカンの『歯は全ての病気の温床である』という自説により、結果的に全ての歯を抜かれてしまいました。

確かに歯周病菌は糖尿病の原因になるなど、あなどれない怖さではありますが、歯自体は必要です。

ポ〇デントなど無い頃ですから、ルイ14世の口臭はひどかったということです。

さらに、咀嚼が十分にできないため、常に消化不良に悩まされ、排便数は1日に14~18回に及びました。

ヴェルサイユ宮殿にはトイレはありませんから、各部屋にある便器で用を足しながら、超多忙な政務をこなしたわけです。

廷臣たちは王に近づくときにはハンカチに香水をしみこませ、鼻に当てたそうです。華やかなヴェルサイユの裏の側面です。

ルイ14世がついに世を去っても、悲しむ者はおらず、せいせいした気分がフランスを覆ったということです。

これは、そんなルイ14世が臨終を迎えるまでの数週間を描いた珍しいテーマの映画です。

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youtu.be

解放の時代

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摂政オルレアン公と幼いルイ15世

さて、ルイ14世は長生きだったのと、子や孫が天然痘などで次々に先立ってしまったため、次に位に即いたのはひ孫、ルイ15世でしたが、幼いためオルレアン公フィリップ2世が摂政に就きます。

オルレアン公は宮廷をパリに戻し、ルイ15世は市内のテュイルリー宮殿に住まわせ、自身はパレ・ロワイヤルに居をかまえました。

オルレアン公は軍歴が長く、イタリアに遠征したときにすっかりイタリア音楽に魅せられていました。

そして、自らヴァイオリンやクラヴサンを弾き、オペラの作曲までしたのです。

世替わりによって、音楽界も大きく変わりました。

これまでヴェルサイユに閉じ込められていた音楽家たちもパリにやってきました。

また、貴族たちも、ルイ14世が相次いで起こした征服戦争によって経済的に困窮し、パリで力をつけてきた富裕な商人、つまりブルジョワと持参金目当ての婚姻関係を結びました。

まさに、貴族になりたい成り上がりの商人を描いたモリエール&リュリ作『町人貴族』の世界です。

1722年に12歳のルイ15世は成人式を前にヴェルサイユに移りますが、もう音楽の中心地はパリから動きませんでした。

なぜなら、音楽の消費者が王から市民に移ったからです。

「コンセール・スピリチュエル」開幕!

そんな音楽の新時代を象徴する出来事が、「公開演奏会」つまり、今に続くコンサートのはじまりで、その元祖とされるのが、1725年に設立された演奏会組織「コンセール・スピリチュエル」です。

訳すと、「聖楽演奏会」あるいは「宗教音楽演奏会」ということになりますが、それは、イエスの40日間の荒野での断食修行をしのんで、禁欲生活と精進潔斎を行う四旬節に、オペラなど世俗の娯楽音楽が自粛となる間、宗教音楽に限っての演奏会を行うということで、王の許可を得たことによります。

創始者は、音楽家一族フィリドール家のひとりアンヌ・ダニカン・フィリドール

テュイルリー宮殿の「スイス衛兵の間」という大広間を使用し、この時期に手の空く王立音楽アカデミーオペラ座宮廷音楽隊に所属する音楽家を駆り出す勅許を得たのです。

そして、一人4リーヴル(今の日本円に正しく直すのは不可能ですが、感覚的には2000~5000円くらい)の入場料を払えば誰でも聴ける、史上初めてのコンサートでした。

曲目は、リュリの後継ぎ、ミシェル=リシャール・ドラランド(1657-1726)が宮廷礼拝堂のために作ったラテン語の宗教曲、グラン・モテ(イタリア語でモテット)が主役でしたが、曲の合間にはちゃっかり流行りのイタリアの器楽曲が挿入されました。

記念すべき第1回コンサートは1725年3月18日。

開幕プログラムは、フランス代表ドラランドのグラン・モテと、イタリア選手代表、コレッリの『クリスマス・コンチェルト』だったのです。

ここでは、そのプログラムを再現し、ドラランドの短いモテと、以前も取り上げたコレッリの『クリスマス・コンチェルト』をもう一度掲げます。

ドラランド:天の女王(レジナ・チェリ)

Michel-Richard Delalande:Regina Coeli

ジェフリー・スキッドモア指揮エクス・カセドラ・バロック管弦楽団・合唱団

Jeffrey Skidmore&Ex Cathedra Baroque Orchestra, Ex Cathedra Choir

第1曲 レジナ・チェリ

Regina coeli laetare, alleluia:

天の女王よ、喜びたまえ、アレルヤ

「レジナ・チェリ」は、カトリックの日々の典礼に使われる聖歌で、聖母マリアに捧げられる4つのアンティフォナ(交唱)のひとつです。

〝天の女王〟または〝天の元后〟と訳され、旧約聖書には異教の神という扱いで記されていますが、カトリックでは聖母マリアのことを指すとされています。

各行の最後にアレルヤ(神を讃える言葉。英語でハレルヤ)がつく、4行の短い讃美歌です。

深みのある曲の多いドラランドの音楽ですが、ここでは軽快で、テノールの二重唱が先導し、合唱が続きます。

第2曲 キア・クェム

quia quem meruisti portare, alleluia:

御身に宿りし方が、アレルヤ

テノールがソロで情感豊かに、マリアがイエスを宿した奇蹟を歌い上げます。

第3曲 レジュレジット

resurrexit, sicut dixit, alleluia:

復活されたゆえ、アレルヤ

テノールとソプラノが、イエス復活の喜びを歌います。

第4曲 オラ・プロ・ノビス

ora pro nobis deum, alleluia.

我らがために神に祈りたまえ、アレルヤ

しっとりとした合唱が、マリアの慈愛を求めて清澄な祈りを捧げます。締めくくりは、これまでより速度を上げたアレルヤで神を讃えます。

 

このような〝まじめな〟宗教音楽をメインとしながらも、実のお楽しみはイタリアのコンチェルトでした。

コレッリの『クリスマス・コンチェルト』は、最終楽章にイエス誕生の夜の、羊飼いたちの様子を描写したパストラ―レ(田園交響曲)がついているので、少しでも宗教色があるということで、様子見として取り上げられたと思われます。

演奏は前回、前々回に取り上げた『コレッリ賛』『リュリ賛』を素晴らしく聞かせている、アマンディーヌ・ベイエです。

コレッリ:コンチェルト・グロッソ 作品6 第8番 ト短調〝クリスマス・コンチェルト〟

Arcangelo Corelli:Concerto grosso no.8 in G minor, op.6

演奏:アマンディーヌ・ベイエ(ヴァイオリンと指揮)アンサンブル・リ・インコーニティ

Amandine Beyer & Gli Incogniti

第1楽章 グラーヴェーヴィヴァーチェ

トゥッティ(全合奏)による深刻な始まり方ですが、これは、明るい曲の多いコレッリには珍しい劇的な表現です。

エスの受難に思いを馳せるべき四旬節に合わせて、この曲が選ばれた理由のひとつでしょう。〝まじめな曲を演る〟というのが条件ですから。

続いて、まさに厳粛な雰囲気の繋留音が重々しく奏されますが、ここには楽譜にわざわざ〝弓を十分に保って、書かれている通りに〟と指示があります。

それは、バロック音楽の慣習だった、演奏者の即興による装飾はやめてね、ということなのです。

それだけコレッリがこの箇所にこだわっていたということです。

第2楽章 アレグロ

一転、焦燥感あふれる速い音楽になります。

ソロのチェロの8分音符の上を、ふたつのソロ・ヴァイオリンが絡み合い、くんずほぐれつ走っていきます。

後半はトゥッティで盛り上げていきます。

第3楽章 アダージョアレグロアダージョ

また一転、前楽章の嵐がうそのように鎮まり、これぞコレッリ、というべき、抒情豊かなアダージョが奏でられます。

と、中間部で再び胸騒ぎが。

・・・それもつかの間、再び穏やかな世界に戻っていきます。

嵐のあとの静けさに、胸がいっぱいになります。

なんというドラマでしょうか。

第4楽章 ヴィヴァーチェ

速めのサラバンドのリズムで、優雅な舞曲になります。

これまで聴いてきたフランスのサラバンドと違い、ストレートに訴えてくる気がします。

第5楽章 アレグローパストラーレ(ラルゴ)

さらに速い、ガヴォットから始まります。

この曲の速い楽章に共通する、焦り感がここに極まります。

救い主に早く来て欲しいという焦燥なのでしょうか。

ソロ・ヴァイオリンが妙技を見せます。

曲は途切れず、そのまま第6楽章に続いていきます。

ハイドンが後に〝告別シンフォニー〟で真似をしました。

パストラーレ」は、イタリア語で羊飼いを意味する「パストーレ」からきました。

イタリアではクリスマスの朝、羊飼いたちがバグパイプシチリアーノ(シチリア舞曲)を吹いてまわる習慣があり、そこからクリスマスを象徴する音楽になりました。

もともとはクリスマスとは、のどかで牧歌的な行事だったのです。

他の多くのバロック作曲家が、このようにコンチェルトの最後にパストラーレ楽章を置いて、クリスマスの音楽に仕立てていますが、コレッリのものが最も有名です。

コンサートは止まらない

こうして始まったコンセール・スピリチュエルは大好評、大成功でした。

これまでヴェルサイユ宮殿でしか演奏されなかった音楽を、市民が聴くことができるようになったのです。

また、イタリアやドイツなどの新しい音楽に触れられる貴重な場となりました。

スタートして2年後には早くも、フランス語の世俗声楽曲がプログラムに入っています。

これは、ラテン語の宗教曲のみ、という許可の条件を破っていますが、王自身も楽しんでおり、もはやこの流れは止まりませんでした。

「聴衆」という新しい絶対君主に音楽家が従う時代がやってきたのです。

今のアーティストたちも、音楽で生計を立てていくためには、「聴衆」という暴君に気に入られなければならないわけです。

それは、場合によっては、王や皇帝たちよりも残酷で気まぐれといえるかもしれません。

新人の登竜門として

ともあれ、「コンセール・スピリチュエル」は、新進の音楽家にデビューの場を与え、今の国際コンクールのように、新たなスターを生み出す場ともなりました。

1736年にはプログラムにヘンデルの名が現れ、1743年にはヘンデルのコンチェルト・グロッソが演奏された記録があります。

1764年からはハイドンのシンフォニーが取り上げられて大喝采、1778年には就活のためパリを訪れたモーツァルトの〝パリ・シンフォニー〟が初演されたのはこのブログの最初あたりに書きました。

www.classic-suganne.com

 

「コンセール・スピリチュエル」の活動はフランス革命によって中断しますが、ナポレオンの失脚後に復活し、1821年にはベートーヴェンのシンフォニー第2番を初演することになります。

まさに、コンサートの元祖にふさわしい業績なのです。

 

こちらも、ルイ15世時代の「コンセール・スピリチュエル」の音楽を再現したアルバムです。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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音楽用語がイタリア語になったわけ。クープラン『リュリ賛』~ベルばら音楽(16)

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エリュシオンの野(ドラクロワ

音楽用語がイタリア語になったわけ、それは3つのウェーブ

前回、クープランが偉大なるイタリア音楽の巨匠、コレッリを讃えて作曲した『コレッリ』を取り上げましたが、そこにはフランス人のイタリア文化に対する、コンプレックスに近い畏敬の念が込められていました。

今でも、音楽用語はイタリア語がほとんど世界共通語になっています。

ピアノ、フォルテ、アレグロ、アンダンテ、アダージョ、ヴィブラート、クレッシェンド、カンタービレソナタ、コンチェルト…

その理由は、歴史にあります。

音楽の波が、3回にわたってイタリアから発してヨーロッパに広がっていったのです。

第1波:教会音楽

中世初期、6世紀のローマ教皇グレゴリウス1世が整えたと伝説的にいわれている「グレゴリオ聖歌」。

この単旋律(ひとつのメロディだけで、和音がないもの)の讃美歌が、西洋音楽のスタートラインと言われています。

その後、いくつかのメロディを組み合わせて、和音が生まれ、楽器が加わり、より複雑で色彩豊かな音楽に発展していきますが、舞台は教会でした。

イタリアのローマ教皇を頂点とするカトリック教会が、ヨーロッパ諸国に広がっていたので、イタリアが中心というわけです。

楽譜も教会で生まれ、発展していき、今の五線譜が定着したのも17世紀のイタリアといわれています。

第2波:オペラ

長い暗黒の中世が終わり、古代の人間らしい文化を復興しようという運動、ルネサンスは、イタリアで始まりました。

古代ギリシャで盛んだったといわれる、歌の入った演劇を復活させようということで、17世紀初めにイタリアでオペラが生まれました。

物語と歌と演技と華やかな舞台装置で、神話や古代の英雄たちの世界を再現したオペラは、まさに総合芸術であり、教養あふれた最高の娯楽であり、イタリアはその本場となりました。

フランスにも〝輸出〟され、フランス人はこれにダンスを取り入れて、リュリによって独自の〝フランスオペラ〟を作りましたが、今後も見ていくように、常にフランスにあっても賛否両論が続きました。

第3波:器楽

ソナタコンチェルトといった形式で、楽器のみの独奏、合奏の素晴らしい曲がイタリアで生み出され、世界を魅了しました。

その代表がコレッリで、ヴィヴァルディがこれに続きます。

この3つのウェーブがヨーロッパを席捲した結果、音楽用語はイタリア語になったのです。

フランスの意地!

そんなわけで、ヨーロッパを席捲したイタリア音楽でしたが、イタリアは小国に分かれ、強い国は無かったので、政治的には攻められる一方。

まさに諸国係争の地でした。

これに対しフランスは、太陽王ルイ14世のもと、政治的に絶対主義を確立し、ヨーロッパの強国となったので、文化面でもナンバーワンを目指しました。

ヴェルサイユで華麗なる宮廷文化を花開かせ、音楽の分野では王から全権を託されたリュリが、フランス音楽を確立したわけです。

フランスはイタリア様式に従うのを潔しとせず、楽譜の記譜法などもフランス独自のものにこだわりました。

クープランは、フランス音楽を作り上げた先輩リュリも尊敬しつつ、フランス、イタリア両方の音楽の融合を目指しました。

その流れで、前回の『コレッリ賛』に続き、今回取り上げる『リュリ賛』を作曲しました。

ただし、曲のストーリーとしては、フランス側は劣勢気味で、その中でなんとかフランスの面目を保って仲直り、というような結論になっているのが、実に面白い!

まさに、フランス様式とイタリア様式がせめぎあっている時代の様子が、音楽を通してよく分かるのです。

それでは聴いてみましょう。

『リュリ賛』は、正式には『礼賛という題をもつ器楽合奏曲、比類なきリュリ氏の不滅の思い出として作曲』という長ったらしいタイトルで、『コレッリ賛』と同じく、各曲にストーリーが記されています。

1725年の作曲で、全体としては3部構成になっています。

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フランソワ・クープラン(1668-1733)

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ジャン=バティスト・リュリ(1632-1687)

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アルカンジェロ・コレッリ(1653-1713)

クープラン:リュリ賛(礼賛という題をもつ器楽コンセール、比類なきリュリ氏の不滅の思い出として作曲)

Concert en forme d'apothéose à la mémoire de l'incomparable Monsieur de Lully

演奏:アマンディーヌ・ベイエ(ヴァイオリンと指揮)アンサンブル・リ・インコーニティ

Amandine Beyer & Gli Incogniti

第1部

第1楽章 エリゼの野にいるリュリ、オペラの霊たちと合奏する(重々しく)

エリゼの野〟は、フランス語で〝シャンゼリゼ〟で、パリの目抜き通りの名前になっていますが、これはギリシャ神話の〝エリュシオンの野〟を指します。

仏教でいうところ極楽浄土にあたり、神に愛された英雄たちの魂が集う死後の楽園です。

リュリは死後、極楽往生し、エリゼの野で、オペラの霊たちと合奏している、という光景を表わしているのです。

音楽は、まさにリュリが確立した、フランスオペラの幕開けを告げる重々しいグランド・リトゥルネルです。 

第2楽章 リュリとオペラの霊たちのためのエール(優雅に)

オペラの幕が開き、優雅なバレエが始まります。

エリゼの野にメルキュールが飛んできて、アポロンが降りてくることを知らせる(きわめて速く)

そこに神々の使者、メルキュールが空を飛んできて、アポロン様のお出まし~と告げます。

まさに天から舞い降りてくるような、軽快でそれっぽい音楽です。

第3楽章 アポロンが降りてきて、ヴァイオリンとパルナッソス山の席をリュリに贈る(気高く)

まさに気高い音楽で、太陽神にして芸術の神アポロンが降臨してきます。

オペラで常用された、機械仕掛けによって舞台の上から神が降りてくる場面を再現しています。

アポロンは、コレッリ同様に、パルナッソス山への入山をリュリに許します。

いわば、芸術家としての〝殿堂入り〟です。

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パルナッソス山に集うアポロン、ミューズ、英雄、芸術家たち
第4楽章 リュリの同時代の作曲家たちが起こした、地下のざわめき(速く)

リュリを特別に贔屓し、音楽界の絶大な権力を与えたルイ14世は、みずから太陽神アポロンに扮してバレエを演じたことから、太陽王と呼ばれました。

まさに、現世で王に特別な寵愛を得たリュリに対する、ライバル音楽家たちの嫉妬が、歯ぎしりのような音楽で表現されています。不協和音がユーモラスな、茶目っ気あふれる曲です。

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アポロンに扮したルイ14世
第5楽章 リュリの同時代の作曲家たちの嘆き。フルートもしくは最弱音のヴァイオリンで(速く)

フランス音楽界に君臨したリュリは、シャルパンティエのように、自分のライバルになりそうな音楽家たちを、宮廷やオペラ劇場から、あらゆる権力や陰謀を駆使して締め出しました。

これは、そんな干された作曲家たちの嘆きです。

クープランは、リュリを讃えるだけでなく、その横暴ぶりもちゃんと思い出として曲に残しているわけです。

最弱音でなんともあわれ…

クープランは、同じ時代に生まれなくてよかった、と言わんばかりです。

カブってたら、とても讃える気にはならなかったでしょう。

第6楽章 リュリが、パルナッソス山へ連れていかれる(きわめて軽快に)

性格的にはどうかと思うリュリですが、生み出す芸術は人間性とは関係なく評価され、バチが当たるどころか、殿堂入りです。

足取りも軽く、芸術の聖地パルナッソス山に向かいます。

第7楽章 コレッリとイタリアのミューズたちがリュリに対して示した、優しさと軽侮の念が入りまじった歓迎(ラルゴ)

パルナッソス山には、『コレッリ賛』で描かれたように、既にイタリア音楽の巨匠コレッリが先客として鎮座していました。

亡くなったのはリュリの方が先だったのですが、殿堂入りはコレッリの方が早かったというわけです。

コレッリは穏やかな人柄だったので、リュリを歓迎しますが、どこか軽く見てる、という微妙な設定。

表面的には和やかですが、ふたりの間に流れる冷たーい空気を表した音楽です。

以前もご紹介したエピソードですが、若きヘンデルがイタリアに乗り込んで、新作オラトリオ『復活』を上演したとき、オケのコンサートマスターコレッリでした。

ヘンデルの曲は前衛的で激しいものだったのですが、コレッリヘンデルの意図と違い、あくまでも優雅で上品な演奏しかできなかったので、リハーサルで業を煮やしたヘンデルは、コレッリの手からヴァイオリンをひったくり、こう弾くんだ、とやってみせました。

全ヨーロッパに名声を轟かす大先輩に対し、若僧が大変な無礼、侮辱をはたらいたわけですが、コレッリはちっとも怒らず『でもザクセンさん、この曲はフランス風でしょ?ボクはこういうの苦手なんですよ~』と言い訳したということです。

コレッリの温厚な人柄が伝わる逸話ですが、フランス風は無理、と言っているわけで、やはりクープランが見抜いたとおり、コレッリは内心フランス音楽を軽侮していたのかもしれません。

コレッリ側を示すこの曲だけ、ご丁寧にイタリア式の音部記号や演奏法が用いられ、速度表示も「ラルゴ」で、ページをめくる指示までイタリア語で記されているのです。

第8楽章 アポロンへのリュリの感謝(優雅に)

コレッリと並ぶ栄誉を与えられたことに対し、リュリは宮廷人らしく、神に感謝を捧げます。

曲はふたたびフランス様式の装飾が用いられ、楽譜もフランス式に戻ります。

第2部 アポロンはリュリとコレッリに、フランス趣味とイタリア趣味を結びつけて音楽を完成させるべきだと説得する。

《序曲のかたちでの試み》

第9楽章 リュリとフランスのミューズたち=コレッリとイタリアのミューズたち〔第1部:優雅に、遅くなく(途中から)優しく、穏やかに。〕

アポロンは、ふたりの間に流れる微妙に緊張をはらんだ空気を感じ〝フランス音楽とイタリア音楽はそれぞれにいいところがある、融合したら完璧な音楽になるぞ〟と仲介します。

ほかならぬ神様のとりなしですから、ふたりは力を合わせて曲を作り、演奏してみます。

まずは、フランス音楽を代表する、「フランス風序曲」での試みです。

フランス風序曲は「緩ー急ー緩」ですから、前半は付点リズムの「緩」の部分です。

楽譜の第1声部はフランス式、第2声部はイタリア式で書かれているという凝りようです。

第10楽章 〔第2部:軽快に。第3部:優しく、穏やかに。〕

後半の「急ー緩」です。こちらも、声部が別々のスタイルで書かれていますが、楽譜が違っても同じ旋律を表しているのです。

第11楽章 リュリが主題を奏し、コレッリがその伴奏をする(軽快なエール)次にコレッリが主題を奏し、リュリがその伴奏をする(第2のエール)

続いて、リュリとコレッリの二重奏となります。まず、リュリがフランス風の気高いメロディを奏で、コレッリが伴奏します。

次に交替し、コレッリサラバンド風の哀愁を帯びた旋律を奏し、リュリが伴奏します。

これを2度繰り返しますが、通奏低音は省かれ、2台のヴァイオリンで演奏されます。

現実には実現はしなかった、リュリとコレッリ2大スターの夢の協演を、後輩クープランのファンタジーが生み出したわけです。

第3部 パルナッソス山の平和

「フランスのミューズたちの忠告によって、パルナッソス山ではフランス語を話すときにバラード、セレナードと発音するのと同様、今後はソナード、カンタードと呼ぶことになる。」

トリオによるソナード

第12楽章 重々しく

フランス風序曲に続き、イタリア音楽の華というべき形式、トリオ・ソナタが奏でられます。

こちらは「緩ー急ー緩ー急」の4楽章編成です。

コレッリ風の抒情と哀愁あふれる、ゆっくりとした楽章です。

この曲でも、第1声部はフランス式、第2声部はイタリア式で記譜されています。

演奏者も大変です…

第13楽章 躍動(生き生きと)

イタリア風の元気なフーガです。イタリア式の曲ですが、イタリア語の速度表記はなくフランス語でどんな風に演奏するかが指示されています。

第14楽章 率直に

率直に、という指示も不思議ですが、ストレートに感情を示せということでしょうか。

第15楽章 生き生きと

ソナタの締めくくりのジーグ風の曲です。

文芸の女神ミューズたちにフランス人とイタリア人がいる、という設定も面白いですが、フランスの女神たちは、フランスでは「ソナタ」のことを「ソナード」と、フランス語で呼ぼう、と提唱します。

まさに、音楽用語が国際的にイタリア語になりつつあることへのささやかな抵抗です。

誇り高いフランス人の涙ぐましくも微笑ましい努力が、クープランのこの曲からうかがえるのです。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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フランス音楽とイタリア音楽、どっちが優れている?果てしない論争のはじまり。クープラン『コレッリ賛』~ベルばら音楽(15)

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アポロンとミューズ

フランス音楽 vs イタリア音楽

ルイ14世の時代には、音楽界で絶大な権力を握ったリュリが〝フランス音楽〟を確立しました。

それは、フランスこそ偉大にして最高の国!という太陽王の統治理念そのものの音楽であり、その時代には他の国の音楽はおおやけにはほとんど演奏できませんでした。

何といっても音楽の先進国はイタリアであり、リュリ自身もイタリア人だったのですが。

しかし、ルイ14世が世を去り、幼いルイ15世に代わって政務を執った摂政オルレアン公は、イタリア音楽好きだったので、これまで水面下にもぐっていたイタリア音楽が表立って演奏できるようになりました。

そうなると、フランス人は、フランス音楽派とイタリア音楽派に分かれ、どっちが優れている、という争いが巻き起こります。

実にこの論争は、フランス革命に至るまで、ほぼ1世紀にわたって続くのです。

結局のところ、両者の〝いいとこどり〟をしたドイツ人が、一番人気の曲を生み出していきます。

バッハ、ヘンデルハイドンモーツァルトベートーヴェン…皆ドイツ人です。

しかし、その音楽は純粋な〝ドイツ音楽〟とは言い難いものが多く(もちろん、宗教曲などに独自色もありますが)、ドイツもイタリア音楽とフランス音楽の両方に席捲され、それをうまくブレンドさせたのが本領、といえます。

また、イタリアでは、〝音楽の本場〟だけあって、フランス音楽はほとんど受け入れられませんでした。

あくまでも、イタリア音楽に魅せられつつ、対抗しようとしたフランスだけで起こった争いなのです。

イタリアの巨匠への憧れ

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アルカンジェロ・コレッリ(1653-1713)

さて、クープランも、イタリア音楽に魅せられたひとりですが、ルイ14世時代は表立って表明できず、イタリアのソナタを偽名で作曲したりしていました。

しかし、摂政時代、ルイ15世時代になると、イタリア音楽とフランス音楽それぞれの良さを融合させよう、という試みを始めます。

そして作曲したのが、イタリア音楽の代表選手アルカンジェロ・コレッリ(1653-1713)と、フランス音楽の代表選手ジャン=バティスト・リュリ(1632-1687)のそれぞれを讃える曲、『コレッリ』と『リュリ賛』です。

コレッリは以前からこのブログで取り上げているように、私の中で一番〝心の琴線〟に触れる作曲家です。ベルリオーズは〝わがオリンポス山頂の諸神のうち、ジュピターはグルックであった〟と述べていますが、私はあまたの作曲家の中の主神はコレッリです。

当時も、古典的均整の取れたコレッリの曲は、永遠の規範となる完璧な音楽として、ヨーロッパ中で愛され、畏敬されていました。

クープランは、1724年に『趣味の和』という曲集を出版しますが、その付録にこの『コレッリ賛』をつけました。

〝和〟とは、まさにフランス音楽とイタリア音楽の調和を目指したものにほかなりません。

クープランはまず、この曲でイタリア音楽の素晴らしさを讃えているのです。

正式な曲名は『パルナッソス山 あるいはコレッリ』と題されています。

パルナッソス山は、ギリシャに実在する山で、芸能・芸術の神アポロンの聖地デルフィの背後にそびえるため、神話では文芸を司る9人の女神たち、〝ミューズ(ムーサ)〟が住むとされています。

いわば芸術の聖地で、パリの「モンパルナス」もこの山にちなんでいます。

この曲は、この山にコレッリが迎えられた、という設定で、解説つきで描いています。

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パルナッソス山のアポロンとミューズ

クープラン:パルナッソス山 あるいはコレッリ

Le Parnasse ou l'apothéose de Corelli

演奏:アマンディーヌ・ベイエ(ヴァイオリンと指揮)アンサンブル・リ・インコーニティ

Amandine Beyer & Gli Incogniti

第1楽章 コレッリは、パルナッソス山のふもとで、ミューズたちの間に受け入れてくれるように頼む(重々しく)

コレッリがパルナッソス山を訪ね、ミューズたちに挨拶し、仲間に入れてくれるよう頼んでいる場面です。

この曲の楽譜には、当時フランスでは使われないイタリア式の音部記号(第2線上のト音記号)が用いられていて、この曲がイタリアのトリオ・ソナタであることが示されています。

構成も、コレッリの教会ソナタの形式に則っています。(コレッリのトリオ・ソナタには、ゆっくりした楽章と速い楽章を交互に配した「教会ソナタ」と、舞曲を集めた「室内ソナタ」の2種類があります。)

第2楽章 パルナッソス山での歓迎にご満悦のコレッリは、喜びの色を浮かべつつ、従者たちと歩んでいく(陽気に)

芸術の女神たちに歓迎されたコレッリは大喜び。勇んで足取りも軽く進んでいきます。イタリア風のフーガです。

第3楽章 コレッリはヒッポクレネの泉の水を飲む。従者もその後に続く(穏やかに)

ヒッポクレネの泉とは、ギリシャ神話で、天馬ペガサスが天に飛翔して星座になるとき、地を蹴ったところから湧いたとされる泉で、詩人に霊感を与える名泉とされています。でも実はこれはヘリコン山にある泉で、パルナッソス山にあるのは、アポロンの求愛を拒んだニンフ、カスタリアが身投げをしたとされる「カスタリアの泉」です。

こちらも飲むと芸術の霊感が〝降りてくる〟とされているので、混同されているようです。(上掲の絵にもペガサスがいます)

曲は清らかに水が流れるさまを表現しており、心洗われます。

第4楽章 ヒッポクレネの水によって沸き起こったコレッリの熱狂(生き生きと)

霊泉の水を飲んだコレッリは、霊感を得て、興奮してヴァイオリンの演奏を始めます。実際、コレッリが興に乗ったときは、目は火のように赤く燃え、髪を振り乱して情熱的に演奏したという当時の証言が残されています。

第5楽章 熱狂のあと、コレッリは眠り、従者たちは眠りの音楽を奏する(そっと優しく、均等に、なめらかに)

あまりに情熱的に演奏したため、疲れてコレッリは眠りにつきます。従者が優しく、BGMを奏でますが、これは当時のフランスオペラに特有の「眠りの音楽」を思わせます。

第6楽章 ミューズたちはコレッリを目覚めさせ、アポロンのそばに座らせる(生き生きと)

女神たちは、寝てる場合じゃないわよ、とコレッリを起こし、主人であるアポロン神に謁見させ、光栄にもその側に座らせてくれました。

輝かしいファンファーレのような音型が聞かれます。

第7楽章 コレッリの感謝(陽気に)

芸術家として最高の待遇を得たコレッリは、アポロンとミューズたちに感謝の気持ちを、イタリア風のフーガで明るく述べます。

クープランがいかにコレッリを尊敬していたかが分かる、まさにオマージュであり、またイタリア音楽への憧憬が示された、きわめて興味深い音楽なのです。

 

では、フランス音楽はどうなのか?それはのちほど『リュリ賛』にて。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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仮面に隠された貴婦人の心のうち。クープラン『クラヴサン曲集』〝フランスのフォリア、あるいはドミノ〟~ベルばら音楽(14)

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ヴァトー『ピエロ(ジル)』

新年はフランス風序曲から

あけましておめでとうございます。今年も当ブログをよろしくお願いいたします!

さて、昨年からヴェルサイユを中心としたフランスの古典音楽を聴いていますが、クープランクラヴサンチェンバロ)曲集の続きからです。

次の曲は、小品の中で珍しいフランス風序曲の形式になっているので、1年のスタートにふさわしく、この曲からです。

クラヴサンは引き続きオリヴィエ・ボーモンです。

クープランクラヴサン曲集

幻影 La visionaire

第25オルドル(組曲)の第1曲です。1730年出版の最後のクラヴサン曲集第4集の曲です。幻影、は何を指すのでしょう。

それは、今は亡き太陽王と、フランス風序曲を確立したリュリの栄光の時代でしょうか。

もう摂政オルレアン公も世に無く、時代は次に進んでいた頃ですが、クープランはこの最後の曲集の序文に次のように記しています。

『3年ほど前にこれらの作品は書き上げられた。しかし私の健康は日々弱るばかりなので、友人たちは仕事を休むように忠告してくれた。それでその後何も大きな仕事はしていない。諸賢が今日まで私の作品に喝采を送ってくださったことに御礼申し上げる。』

まさに引退のことばで、出版から3年後にクープランは世を去るのです。

クープラン La Couperin

同じ第4集所収の、第21オルドルの第3曲で、自分の名前が題名になっています。

つまり、音楽で描いた自画像なのです。

しみじみと落ち着いた、哀愁漂うゆっくりした舞曲ですが、力衰えた晩年の姿なのでしょうか。

しかし、気品にあふれており、功成り名遂げた人の晩年の枯淡の境地なのかもしれません。

ねんね、あるいはゆりかごの愛し子 Le dodo, ou L'amour au berceau

絶頂期の作品に戻ります。第15オルドルの第2曲です。

これは題名と曲想がまさに一致しています。

ゆりかごで眠る可愛い赤ちゃんの描写です。

クープランの子守唄〟といっていいでしょう。このまま赤ちゃんに聴かせてもいい、どこまでも優しい、愛にあふれた曲です。

ショワジーのミュゼット Muséte de Choisi

同じオルドルの第4曲です。〝ミュゼット〟はこれまでも出てきたバグパイプに似た楽器で、鄙びた響きがします。

ショワジーは、パリ近郊の町ショワジー=ル=ロワを指しています。

低音の持続音がミュゼットの低音を表し、3つの旋律が進行してとても豊かな響きを奏でていますが、これはクープランが伯父ルイ・クープランから紹介されたリュート弾きたちから学んだ方法でした。

タヴェルニーのミュゼット Muséte de Taverni

タヴェルニーもショワジーと同じくパリ近郊の町で、この頃は鄙びた田舎町だったと思われます。

全曲よりもアップテンポで、激しさを感じます。それぞれの町の人々の気質を反映させているのでしょうか。

本当のミュゼットの音を聴くと、クラヴサンでここまで再現した天才技にびっくりします。

全曲と同じオルドルの第5曲です。

カロタンとカロティーヌ、あるいは小屋掛け芝居のひとこま Les Calotins et les Calotines, ou La piéce à tretous

第19オルドルの第1曲です。

カロタン、カロティーヌが誰を指すのか分かりませんが、〝善男善女〟と訳したCDもあるので、流しの劇団が町の広場で興行している小屋掛け芝居に集まった観衆たちかもしれません。

芝居の登場人物たちを指している可能性もあります。

いずれにしても、わいわい、がやがや、という賑やかさが伝わってくる曲です。

カロティーヌ Les Calotines

前曲の続きになっている曲ですが、ここでは女性のみ、カロティーヌたちだけが題名になっています。

戦利品 Le trophée

第22オルドルの第1曲です。

トロフィー、つまり戦利品ということで、勇ましくも輝かしい曲です。

2部形式になっていて、後半では静かに哀愁が漂います。

勝者へのいたわりなのか、敗者への思いなのか、戦いの虚しさなのか、表しているものは謎です。

編み物 Les tricoteuses

第23オルドルの第2曲で、有名な曲です。

毛糸か、レースか、女性が編み物をしている様がリアルに描かれています。

順調にいっているようですが、楽譜の欄外には〝ゆるんだ網目〟と書き込みがしてあるそうです。いったい何を意味しているのか…。

仮面に隠された貴婦人の心のうち

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クープランクラヴサン曲ご紹介の最後は、皮相的な名曲です。

フランスのフォリア、あるいはドミノ』と題され、細かく12に区切られた曲です。

フォリアは変奏スタイルの曲ですが、〝ドミノ〟とは「ドミノマスク」のことで、仮面舞踏会のときにつける仮面のうち、顔の上半分を隠すタイプです。ちまたでは〝女王様マスク〟などともいわれています。

つまり、それぞれの仮面に隠された中身を暴く、というような趣向の曲なのです。

暴かれるのは、いったい誰の本性なのでしょうか。

この曲は、ピエール・アンタイの演奏です。

クープラン:フランスのフォリア、あるいはドミノ Les folies françoises, ou Les dominos

純潔、目に見えぬ色のドミノの下で La Virginité, sous le Domino couleur d'invisible.

羞恥、バラ色のドミノの下で La Pudeur, sous le Domino couleur le rose.

情熱、肉色のドミノの下で L'Ardeur, sous le Domino incarnat.

希望、緑色のドミノの下で L'Esperance, sous le Domino vert.

貞節、空色のドミノの下で La Fidélité, sous le Domino bleu.

忍耐、亜麻色のドミノの下で La Persévérance, sous le Domino gris de lin.

倦怠、紫色のドミノの下で La Langueur, sous le Domino violet.

コケトリー、色とりどりのドミノの下で La Coquéterie, sous diférens Dominos.

年老いた伊達男や宮廷人たち、緋色と枯草色のドミノの下で Les Vieux Galans et les trésorieres suranées, sous des Dominos pourpres et feuilles mortes.

お人よしのカッコウたち、黄色いドミノの下で Les Coucous bénévoles, sous des Dominos jaunes.

無言の嫉妬、ムーア風の濃鼠色のドミノの下で La Jalousie taciturne, sous le Domino gris de maure.

狂乱、絶望、黒いドミノの下で La Frénésie, ou le Désespoir, sous le Domino noir.

第14オルドルの第4曲です。

純潔→羞恥→情熱→希望→貞節→忍耐→倦怠→…とくると、どうしても〝女の一生〟をイメージしてしまいます。

だとすると、最後が〝狂乱、絶望〟というのはひどすぎますが…。

でも、クープランが仕事場としていたヴェルサイユ宮廷の貴婦人たちには、こんな一生を送った人が多かったようです。

結婚後、宮廷に出仕し、伊達男たちとの恋愛を楽しみつつ、嫉妬の渦に巻き込まれ、最後には不幸せな晩年を迎える…。歴史を紐解くと、フランス史はそんな女性であふれています。

そんな女たちの人間模様を、クープランはずっと見つめていて、この曲を書いたのかもしれません。

人間の心のうちを仮面の色にたとえているのも意味深です。

まさに、フランス人らしいリアリズムと痛烈な皮肉が込められた作品だといえます。

カッコウの曲の楽譜の欄外には、『カッコウカッコウ』と書かれているそうです。

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次回は、そんなクープランの総決算の曲です。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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