孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

乙女の胸のような亜麻布とは。ハイドン:オラトリオ『四季』より第4部『冬』〝糸紡ぎの歌〟〝メルヘン〟

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フェリス『祖母の糸車』

〝ステイホーム〟の楽しみ

ハイドンのオラトリオ『四季』の12回目、第4部『冬』の続きです。

前回、吹雪の中で道に迷い、日も暮れて絶望していた旅人が、遠くに人家の明かりを見つけます。

近づいて中を覗き、旅人が目にしたのは、暖かい屋内に村人たちが集まって、手仕事に精を出しながら、おしゃべりに花を咲かせている楽し気な光景でした。

外の極寒地獄とはまるで別世界です。

ヴィヴァルディ『冬』第2楽章でも、外の雨の中、家の中で暖炉を囲んで過ごす幸せが描かれていましたが、ここでも冬ならではの〝インドア〟の楽しみがテーマなのです。

男たちは若かりし頃の武勇伝を語り、そのそばで息子たちはいっしょうけんめい、ざるや籠を編んでいます。

女たちは糸車を回して、糸を紡ぎながら歌を歌っています。

糸紡ぎは長い間女の仕事でした。

紀元前から続いていた亜麻布の糸紡ぎ

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フラックス

ここで紡がれているのは亜麻糸です。

亜麻糸は、フラックスという亜麻科の植物の繊維から紡ぎ出される糸で、亜麻布古代エジプトのミイラを包み、イエス・キリストの遺骸を覆ったとされるほど古い素材です。

麻の仲間ですが、日本の麻ほどゴワゴワしておらず、丈夫で肌触りがよく、汚れにくくて吸水性もよいという優れものです。

フランス語でリンネルですが、下着に使われ、ランジェリーの語源となりました。

英語のリネンは、線を表す言葉、ラインの語源でもあります。

ホテルのシーツ類をリネンと呼びますが、亜麻が使われていなくても言葉として残っています。

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亜麻布

グリム童話でも、『眠れる森の美女』で、王女が糸車の針で指を刺して死ぬという魔女の呪いを防ぐため、王が国中の糸車を燃やすというくだりがあります。

糸車に針などないのでそこは謎ですが。

女たちが作業をしながら歌う〝糸紡ぎ歌〟は、日本の田植え歌よろしくたくさんあったと思われ、ここでヴァン・スヴィーテン男爵は、ゴットフリート・アウグスト・ビュルガー(1737-1794)の詩を借用しました。

ハイドンは、これに民謡調のシンプルな曲をつけ、さらに、循環的なモチーフを繰り返し、上下してくるくる回る糸車を巧みに描写しました。

この手法はのちに、シューベルト歌曲『糸を紡ぐグレートヒェン』でも使いました。

いったりきたり、回るばかりの糸車は、恋に悩む女心そのものです。過去記事でも取り上げました。

www.classic-suganne.com

ハイドンの音楽もニ短調の哀調を帯びた、不思議な力強さをもった曲になっています。

独唱はハンネで、この糸で私のヴェールを作り、求婚者にアピールすると、と歌います。

(あれ、ルーカスという彼氏がいたんじゃ…?)

貴族を笑いものにした小噺を一席

つづいて仕事を終えた村人たちは、ハンネを囲んでさらに車座を縮め、彼女の物語に耳を傾けます。

語り部は村の長老や老婆かと思いきや、若いハンネなのです。

ハンネは可愛いだけでなく、話上手で機知に富んだ娘です。 

彼女が語るのは、賢い村娘が、自分に懸想した貴族を手玉に取り、自分の貞操を守ったばかりか、金と馬まで奪ってしまう、という小噺です。

村人はバカ受けして大笑い。

貴族の間抜けさを嘲笑するというモチーフは、モーツァルトがオペラにした、フランスのボーマルシェの戯曲フィガロの結婚で取り上げられ、フランス革命を誘発しました。

フィガロの結婚』は、国王ルイ16世が上演に反対したにもかかわらず、王妃マリー・アントワネットや取り巻きの貴族たちが押し切り、貴族たちは自分たちが笑いものになる劇に大笑いしたのです。

そのあと、取り返しのつかないしっぺ返しを食らうわけですが。

ハイドンがこの曲を書いた頃は、フランス革命からすでに10年以上がたち、その影響が全ヨーロッパに広がりつつあった時期です。

小噺ではありますが、そんな危険思想を、スヴィーテン男爵がなぜわざわざオラトリオに盛り込んだのか。

それは、亡き主君ヨーゼフ2世の〝上からの自由主義改革〟をいまだに信奉にしていたからにほかなりません。

ヨーゼフ2世の妹マリー・アントワネットは、革命によって既にギロチンの露と消えていたにもかかわらず、です。

男爵は、このような農民たちの団結が国を富ませる、と考えていたのです。当時の〝自由主義貴族〟の自己矛盾が垣間見えて実に興味深い曲です。

もちろんハイドンの曲は、〝メルヘン〟と題されたそのままの雰囲気で、童謡風で素朴で愛らしく、村人たちの哄笑までが見事に音楽化され、政治的な匂いは全くしません。

外の吹雪を聞きながら、暖炉の火も暖かく、夜もすがら、みんなで楽しく語り合い。

まさに冬ならではの楽しみそのものです。

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ハイドン:オラトリオ『四季』第4部『冬』

Joseph Haydn:Die Jahreszaiten Hob.XXI:3

演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団

John Eliot Gardiner & The English Baroque Soloists, The Monteverdi Choir

ソプラノ(ハンネ):バーバラ・ボニー Barbara Bonney

テノール(ルーカス):アントニー・ロルフ=ジョンソン Anthony Rolfe Johnson

バス(シモン):アンドレアス・シュミット Andreas schmidt

第33曲 レツィタティー

ルーカス

そこで旅人が近づいてみると

うなる風音に邪魔されながらも

耳に聞こえてきたのは

明るい声

甲高い響き

ハンネ

暖かい部屋のなかに彼が見たものは

近所の村人たちが

仲良く車座をつくって

軽い仕事やおしゃべりに

夜の退屈をまぎらわしている姿

シモン

炉端で父親たちは

若かった頃のことを語りあっている

そのそばで元気な息子たちは

柳の枝や網で

ざるや籠を編んでいる

母親たちは糸巻き竿で糸をつむぎ

娘たちは車をまわす

おのずから喜びの歌が

彼女たちの仕事を活気づける

旅人が人家にたどり着き、命拾いしたのをルーカスが告げ、ハンネとシモンが屋内で集う村人たちの姿を語ります。シモンのレツィタティーフの最後には、次の曲の糸車のモチーフがオーケストラの伴奏で予告されます。 

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【絵本】Elfriede 第一話~糸紡ぎの娘~ ©アカミツキ
第34曲 合唱つきリート

農婦たちと娘たち

くるくるまわれ

まわれ糸車!

ハンネ

まわれ糸車、長く細く

細く糸をよりあわせて

私のヴェールを作るため!

農婦たちと娘たち

くるくるまわれ

まわれ糸車!

ハンネ

織りましょう、華奢に細く

細く織りましょう、私のヴェールを

年の市でかぶるために

農婦たちと娘たち

くるくるまわれ

まわれ糸車!

ハンネ

外側はつややか

内側は無垢

乙女の胸のようでなくてはなりません

ヴェールが胸をよく覆えるように

農婦たちと娘たち

くるくるまわれ

まわれ糸車!

ハンネ

外側はつややか

内側は無垢

丁寧で、敬虔で、上品でなくてはなりません

真面目な求婚者を惹きつけるのです

一同(合唱)

外側はつややか

内側は無垢

丁寧で、敬虔で、上品でなくてはなりません

真面目な求婚者を惹きつけるのです

リートの形式をとり、同じフレーズの反復、メロディーと調の同時使用で、民謡風の素朴さを表現しています。循環するモチーフは、回る糸車を彷彿とさせます。『四季』は自然だけでなく、このような機械の動きまで音楽で描写しているわけです。思わず口ずさみたくなるようなメロディーです。〝外側はつややか、内側は無垢〟亜麻布の特性と乙女の純真さがオーバーラップされています。

第35番 レツィタティーフ(テノール

ルーカス

亜麻布を紡ぎおわって

糸車もいまは止まった

そこで、車座が狭められ

ハンネがこれから始める

新しい物語に耳を傾けようと

男たちも外側を取り囲む

仕事がひと段落し、きょうの夜なべ仕事は終わりました。寝る前の最後のお楽しみはハンネの物語、というわけです。次の曲は、スヴィーテン男爵ははじめ〝ロマンス〟と題しましたが、あとで〝メルヘン〟に変更しています。

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【絵本】Elfriede 第一話~糸紡ぎの娘~ ©アカミツキ
第36番 合唱付きリート

ハンネ

あるとき、名誉を重んずる娘が

ひとりの貴族に恋されました

その貴族はもう長いこと

その娘に恋い焦がれていましたが

娘がひとりのとき

彼女と出会ったのです

貴族はすぐさま馬から下りて言いました

『おいで、お前の主人に口づけしておくれ!』

娘は不安と驚きにかられて

こう叫びました

『ああ、ああ、はい!心から、喜んで!』

村人たち(合唱)

おや、おや

どうして彼女はイヤと言わなかったのだろう?

ハンネ

『静かにおし』と彼は言いました

『愛する娘よ、私に、お前の心をおくれ

私の愛はまことの愛だし

気まぐれでも冗談でもないのだよ

お前を幸せにしたいのだ

このお金をあげよう

指輪も、金の時計もあげよう!

それから、お前の欲しいものはなんでもあげるから

さあ、言ってごらん!』

村人たち(合唱)

おや、おや

それはもっともな話に聞こえるよ!

ハンネ

『いいえ』と彼女は言いました

『それはできそうもありませんわ

私の兄が見ているかもしれませんし

兄が父に話したら

いったい私はどうなるでしょう?

父はこのすぐ近くで畑を耕しているんです

ひょっとしたらすっかり見ているかもしれませんわ

あなたもあの丘に上がってみれば

きっと父が仕事をしているのが見えるでしょう』

村人たち(合唱)

ほう、ほう

それからどうなった?

ハンネ

若い貴族が行って

あたりを見回してるあいだに

この嘘つき娘は

財布をふりふり

彼の馬にまたがって

風のように逃げてゆき

あっという間に見えなくなってしまいました

『さようなら』と彼女は叫びました

『ご親切なお殿様!

これで私の名誉の償いをしました』

彼はその場に身動きもできず立ち尽くし

あぜんとして

目をみはるばかりでした

村人たち(合唱)

あっはっは

それは傑作だ!

これも、前の曲と同じように、ハンネの独唱と、村人との掛け合いのリート&合唱の形式です。同じパターンの曲をあえて2曲続けるのも芸が無いような気もしますが、音楽を聞くと、それが長い冬の夜の時間を表現していることが分かります。それぞれに民謡調、童話調の親しみやすい曲調で、村人たちの合いの手は、親が子供を寝かしつけようとして昔話を聞かせ、子供がワクワクして、それで?それで?と興奮してしまっているかのようです。

他愛ない歌詞ではありますが、借用の系譜は複雑で、元ネタはファヴァール作の戯曲『アンネットとルヴァン』(1762年)に基づいて、ヒラーが『田舎の愛』(1768年)のために、フェーリクス・ヴァイセが翻訳したものです。内容は、金持ちの貴族が村娘を誘惑するために、金に物を言わせて強引に口説こうとしたのを、娘は言うことをきくとみせて油断させ、貴族の財布を持って逃げてしまう、という話で、当時よく知られていた話と思われます。モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』で、同じく貴族に誘惑された村娘ツェルリーナが、『私聞いているの、貴族の皆さんって、女性に誠実ではないって』と抵抗しながら、最後に『はい』と答えてしまうのと対象的です。この曲では、有節的な曲に合唱のリフレインを伴うのは、同じくモーツァルトの『後宮からの誘拐』の「ロマンス」の影響がありますし、さらにのちにウェーバーが『魔弾の射手』で受け継いでいきます。

日本でも、貴人が身分違いの庶民の娘を見初めて口説く、というシーンは、令和の出典となった万葉集の冒頭、最初の歌にあります。雄略天皇が野で菜を摘む娘をナンパした歌です。

こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち このをかに なつますこ いへのらせ なのらさね そらみつ やまとのくには おしなべて われこそをれ しきなべて われこそをれ われにこそは のらめ いへをもなをも

(籠よ 美しい籠を持ち 箆(へら)よ 美しい箆を手に持ち この丘で菜を摘む乙女よ お前はどこの家の娘なのだ 名はなんと言うのだ この大和の国は すべて私が治めているのだよ 私には言いなさい 家も名も)

この〝上から目線〟が、ハイドンの曲とかぶって、つい思い出されてしまいました。 

 

動画は、ベルギーのバート・ヴァイ・レイン指揮ル・コンセール・アンヴェルス、オクトパス・シンフォニー合唱団の演奏です。

第33曲~第37曲


Haydn The Seasons [HD] - Winter part 4: spinning song and Hannah's tale

 

 

いよいよ次回は、オラトリオ『四季』のフィナーレです。

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

『Elfriede 第一話~糸紡ぎの娘~』特設サイト

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