カルテットの魅力
村上春樹氏の『騎士団長殺し』では、オペラが重要なファクターになっていますが、それとともに作品を味わい深くしているのが、何曲か取り上げられている弦楽四重奏曲です。
弦楽四重奏曲。String Quartet.
2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロで構成されるカルテットは、クラシックの形式の中でも最も高尚とされ、音楽思考を最も純粋に表すといわれるジャンルです。
シンフォニーとともにハイドンが形式を確立し、ハイドンは〝交響曲の父〟であり〝弦楽四重奏の父〟とも言われています。
少人数で充実した内容の音楽を演奏できることから、家族や友人たちでの気のおけない仲間内での愉しみであり、さらに芸術的にどこまでも深化できる器でもありました。
ベートーヴェンの有名な後期の弦楽四重奏曲などは、その極みです。
しかし、いかんせん弦だけで音色が地味であり、渋すぎるということで、敬遠される向きもあります。
私も若い頃は、ほんの一部の曲を除いて、好んでは聴きませんでした。しかし、年齢を重ねるとともに、その渋い味わいが分かるようになってきました。大人の音楽、ということかもしれません。
あくまでも私の個人の思いですが、ウイスキーに似ているような気がします。ウイスキーも、私は若い頃はあまり美味しいとは思わなかったのですが、四十路を越えると、しみじみ味わいが沁みるようになってきました。
『騎士団長殺し』でも、主人公は、オペラと弦楽四重奏曲ばかりの画伯のレコード・コレクションの中から、何曲かを選び、シングルモルトのスコッチをちびりちびりやりながら、耳を傾けています。
まさに至福の大人の時間です。
その中でも、多く取り上げられているのが、シューベルトの弦楽四重奏曲です。
フランツ・シューベルト(1797-1828)。
このブログでは初登場の大作曲家です。
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの、古典派三大巨匠の後の作曲家で、初期ロマン派を切り拓いた作曲家、というのが 音楽史の位置づけですが、わずか31歳で亡くなったのは、ベートーヴェンの没後1年後ですから、ほとんど時期的には古典派とかぶっています。
しかし、彼の音楽は古典派ともロマン派とも違い、〝シューベルト的〟としか言いようのないものです。旋律は繊細で、独特のメランコリックな香りに満ちています。
ウィーン近郊の貧しい教師の家に生まれましたが、若くして音楽の才能を発揮し、宮廷礼拝堂児童合唱団の試験に合格し、11歳でコンヴィクトという、国立の全寮制神学校に入学することができました。試験官は、モーツァルトのライバルで、映画『アマデウス』ではモーツァルトを死に追いやったとされている、宮廷楽長アントニオ・サリエリ(1750-1825)。
サリエリは、シューベルトの才能を見出し、しばらくの間、音楽教育を施すのです。それはすでに古い教育内容でしたが、基礎作りには役に立ったはずです。
学校を出てからは、定職につかず作曲に没頭します。定収入はほとんどなく、友人からの支援に頼っていました。まさに、さすらうボヘミアンでした。
出版社からの声もほとんどかからず、生前に出版された曲はわずかです。しかし、全く無名であったというわけではなく、その作品の素晴らしさは、ウィーンで貴族に変わって力をつけていた市民(ブルジョワジー)の間で口コミのように広がっていました。
特に、ドイツ歌曲(リート)は素晴らしく、高名な歌手フォーグルが取り上げてからは一気に人気が出ました。『魔王』『野ばら』『ます』まど、有名な曲は枚挙にいとまがなく、ドイツ歌曲を確立したということで〝歌曲王〟と言われています。
彼が誰かの家に行き、自作を演奏するミニ・コンサート「シューベルティアーデ」(シューベルトの夕べ)は有名でした。
しかし、引っ込み思案で人見知りをするシューベルトは、病気がちでもあり、人生に多くを求めず、〝自分は作曲をするために生まれてきたのだから〟と自らを慰めつつ、31歳の若さで世を去るのです。
世界がシューベルトの真価に気が付くのは死後40年たってのことでした。
ロザムンデ
『騎士団長殺し』全編を覆う雰囲気には、シューベルトの音楽はぴったりです。むしろ逆に、村上春樹氏はシューベルトの似合う場面設定をしたのかもしれません。
シューベルトの弦楽四重奏曲は数曲名前が出ますが、特に印象的なのが、第13番イ短調〝ロザムンデ〟です。
重要な登場人物、M氏邸を主人公が訪ね、〝騎士団長を招いた宴〟が開かれた際、M氏がかけるレコードが〝ロザムンデ〟でした。
主人公は、家に帰ってあらためて、スコッチを傾けながら、この曲に聴き入るのです。
この曲は、シューベルトの後期の3大弦楽四重奏曲の第1作にあたる作品です。この曲を作曲した頃のシューベルトの心境を表した、友人に宛てた手紙を引用します。
僕はこの世でもっとも不幸で、哀れな人間だと感じている。考えてみてほしい、健康が回復する見込みがもはやなく、その絶望から物事をよいようにではなく、どんどんと悪い方向へもっていくような、そんな人間のことを。考えてほしい、輝いていた希望が無に帰し、愛と友情の幸福がこの上ない苦痛しかもたらさず、美に対する熱狂も消えゆこうとしているような人間のことを。…歌曲は新しいものをほとんど作らなかったが、器楽曲はいくつか試みた。弦楽四重奏曲を2曲と八重奏曲を1曲作曲したが、もう1曲弦楽四重奏曲を書くつもりだ。このようにして大きな交響曲への道を開いていこうと思っている。
鬱々とした思いの中で、創作意欲だけは旺盛です。ここに書かれている2曲の弦楽四重奏曲のうちの一つが、〝ロザムンデ〟です。もう1曲は、第14番ニ短調〝死と乙女〟。このような心境で作られた音楽を、村上氏は小説の意味ある場面でBGMにしているのです。
この演奏は、古楽器を使っています。
Schubert : String Quartet no.13 in A minor, D.804 op.29 no.1 “Rosamunde”
演奏:モザイク弦楽四重奏団 Quatuor Mosaiques
第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ
たゆたうような第2ヴァイオリンの上に、第1ヴァイオリンが憂愁に満ちた歌を歌います。この冒頭の部分は、シューベルトの初期の記念碑的な歌曲、『糸を紡ぐグレートヒェン』からとられています。曲が進むにつれて、緊張感は増し、孤独な思いが虚空をさまようかのようです。まさに〝遷ろうメタファー〟を思わせます。
第2楽章 アンダンテ
優しいメロディに心癒されますが、これはシューベルトの劇音楽『ロザムンデ』からとられたもので、この曲の愛称にもなっています。シューベルトはオペラや劇音楽にかなり取り組んだのですが、いい台本作家に恵まれず、いま上演に耐える作品はひとつもありません。その点、ダ・ポンテと巡り合えたモーツァルトは、本当に幸運でした。この旋律も、四重奏曲によって親しまれているのです。
チェロの低音から始まるこの曲のメインテーマも、シューベルトがシラーの詩に曲をつけたリート『〝ギリシアの神々〟からのストローフ』からとられていますが、舞曲というより、ゆりかごのような揺らぎを感じる、深いメヌエットです。多様な転調がここでも寂しさや孤独さを感じさせます。初演ではこの楽章がアンコールされたということです。
軽めのリズムは、ハンガリーの民族舞踊風です。 楽しげではありますが、シューベルト独特のメランコリーが漂っています。
ファウストと『糸を紡ぐグレートヒェン』
さて、この〝ロザムンデ〟ですが、村上氏が取り上げたのには隠された意味もあるのではないか、と私は感じています。
題名がついたのは前述の通り第2楽章からですが、第1楽章は歌曲『糸を紡ぐグレートヒェン』から引用されています。
この歌曲は、若き日のシューベルトが、ゲーテ(1749-1831)の戯曲『ファウスト』のテキストに曲をつけたものでした。
ゲーテの『ファウスト』では、学問を究めたファウスト博士が、いくら学問をしても宇宙の何もわからない、と悩んでいるところに、悪魔メフィストフェレスが現れ、現世で人生の快楽と悲哀を味わわせてやろう、その代わり死後の魂を売り渡せ、という契約を持ち掛け、ファウストは承諾します。
そしてファウストは、町娘グレートヒェンと恋に落ち、快楽を味わいますが、結果、グレートヒェンは孕み、その母や兄を死に追いやった上に、グレートヒェンも嬰児殺しの罪で投獄、別れの悲哀を味わうことになります。
この歌曲は、恋に落ちたグレートヒェンが、糸車を回しながら、ファウストの甘い口車と激しい接吻を思い出し、物思いにふけっている情景です。
シューベルト『糸を紡ぐグレートヒェン』D.118
Schubert : Gretchen Am Spinnrade, D.118
ソプラノ:バーバラ・ボニー Barbara Bonney
私の安らぎはなくなり、心は重い
もはやもう、決して憩いは見出せない
あの人がいないところは、私には墓であり
全世界が厭わしい
私の哀れな頭は狂い
哀れな心はずたずた
私の安らぎはなくなり、心は重い
もはやもう、決して憩いは見出せない
あの方を求めて、窓から眺めるだけ
ただあの方を求めて、外に出るだけ
あの方の立派な足どり、高貴なお姿
口元の笑み、眼差しの力
おことばの、魔法のような澱みなさ
握ってくださった手の力
そしてああ、あの口づけ
私の安らぎはなくなり、心は重い
もはやもう、決して憩いは見出せない
わたしの乳房は、あの方へと急き立てられる
ああ許されるならあの方をつかまえ
抱き締めたい
口づけをしたい
私の望むままに
あの方への口づけで
消えてしまおうとも
これは、シューベルト20歳の作で、ドイツ歌曲を確立させた、と言われている曲です。
シューベルトはゲーテの詩を好み、『魔王』を始め、その詩に曲をつけた楽譜をゲーテのもとにせっせと送りましたが、ゲーテはそれらの曲を好まず、返事はありませんでした。
一方、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』を聴いたゲーテは、『私の「ファウスト」をオペラに出来るのはこの作曲家だけだ!』と叫んだといいます。もはやその時にはモーツァルトはこの世にいませんでしたが。
さらに後年、ゲーテはシューベルトの『魔王』を優れた歌手の歌で聴き、『以前はこの曲はいいと思わなかったが、このように歌われてはじめて、その素晴らしさが分かった。』と言ったといいます。文豪にして宰相、ゲーテ閣下は何につけても遅いですね…。
さて、『騎士団長殺し』の中では、ふたつの不思議な妊娠が大きな意味を持っていますが、訳ありの子を孕んだグレートヒェンが、その旋律を引用された弦楽四重奏曲〝ロザムンデ〟に暗示されているのではないでしょうか。
深読みしすぎかもしれませんが、村上春樹氏の作品には、クラシックが重要なファクターとなっているのは間違いありません。
さらに言えば、この作品の登場人物は全て劇中の人物であって、そのうちの隠されたふたりが、『オルフェーオ』と『グレートヒェン』なのではないか…と私は仮に読み解くのですが、正解は村上春樹氏の胸のうちですので、永遠の謎です。
いずれ、他の作品もそんな視点で味わってみたいと思っています。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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