招かれし客、騎士長の石像あらわる
墓場で、自分が殺した騎士長の石像を見つけ、うちに飯を食いに来い、と、からかったドン・ジョヴァンニ。
招きに応じて、ついに石像が宴に現れます。
音楽は、序曲で予告されたニ短調の総奏。これまでのふざけた雰囲気は一変、オペラ史上最も緊張感に満ちた、壮絶な場面が始まります。
そして、のっし、のっしと、石像が歩み寄ってくる音楽には、背筋が寒くなります。レポレロのガタガタふるえるさまも、モーツァルトはリアルに表現しています。
しかしドン・ジョヴァンニは、まさか本当に来るとは…と驚きつつも、恐れることはなく、ふるえるレポレロに、もうひとり分の食事の用意を命じます。
石像はそれを止め、自分は地上の食べ物は口にしない、それよりも大事な話をするためにここに来たのだ、と重々しく告げ、ドン・ジョヴァンニと問答を始めます。
石像の目的とは、ドン・ジョヴァンニに改悛を求め、生活を変えること。
殺された相手にすぐに復讐をするのではなく、悔い改めのチャンスを与えるのです。
これに対し、ドン・ジョヴァンニは決然と No ! と答えます。
ここでのドン・ジョヴァンニは、単なるチャラい女たらしではなく、自らの生き方を信じて貫く、一徹した態度を示すのです。
何度もSi !(Yes)、つまり同意を迫る石像、はいとおっしゃい、と促すレポレロに対し、ドン・ジョヴァンニはどこまでも No ! と拒否します。
騎士長
ドン・ジョヴァンニよ
お前の晩餐の招きによって
ここに参上した。
ドン・ジョヴァンニ
まさか来るとは思わなかったが
できるだけのことはしよう
レポレロ、もう一人前の食事を用意しろ!
レポレロ
ああ、旦那様
あたしゃもうダメでして…
ドン・ジョヴァンニ
行けといっておるのだ!
騎士長
待て
天上の食事をとる者は
地上の食事はとらない
それよりも、もっと重大な思いと
別の願いによってここにやってきたのだ
レポレロ
熱病にかかったように手足がふらふらだ…
ドン・ジョヴァンニ
聞こう、言うのだ
何を求め、何が望みなのだ?
騎士長
言おう、聞くのだ
もう時間がない
ドン・ジョヴァンニ
言え、言え
お前の言うことを聞こう
騎士長
お前は私を晩餐に招いた
お前の義務は知っておろう
答えよ、今度は私のところに食事をしに来るか?
レポレロ
ひゃあ!
あの方には時間がないんで…
お許しを
ドン・ジョヴァンニ
臆病者と言われたくない
騎士長
決心しろ
ドン・ジョヴァンニ
とっくに決心している
騎士長
来るのか?
レポレロ
いやとおっしゃい!
ドン・ジョヴァンニ
俺の気持ちは決まっている
何も恐れていない
ゆくぞ!
騎士長
その証拠に手を出せ!
ドン・ジョヴァンニ
そら!
ああっ!
騎士長
どうした?
ドン・ジョヴァンニ
何という冷たさだ!
騎士長
悔い改めよ
生活を変えるのだ
これが最後だ!
ドン・ジョヴァンニ
いや、いや
悔いなどしない!
立ち去れ!
騎士長
悔い改めよ、悪党め!
ドン・ジョヴァンニ
何を抜かす、おいぼれめ!
騎士長
悔い改めよ!
ドン・ジョヴァンニ
いやだ!
レポレロ
悔い改めてください!
ドン・ジョヴァンニ
いやだ!
騎士長
ああ、もう時間がない
(退場)
放蕩者、地獄に落ちる
騎士長は、自分を殺した相手に、何度も悔い改めのチャンスを与えますが、ドン・ジョヴァンニは敢然として拒否します。
石像の手の冷たさに驚きながらも、最後まで恐れる様子はありません。
ついに石像はあきらめて立ち去り、地獄の業火が燃え始めます。
(方々から火が燃え上がり、大地が揺れる)
ドン・ジョヴァンニ
何という尋常ではない震えを…
俺の魂は感じるのだ。
どこから出てきたのだ?
この恐ろしい火の渦は…!
合唱(地下からこもった声で)
お前の罪に比べればまだ軽い
来い、もっと重い罰がある!
ドン・ジョヴァンニ
誰が俺の魂を引き裂くのだ!
誰が俺の内臓を破るのだ!
何という苦しみだ!
おお!
何という地獄だ!
何という恐怖だ!
レポレロ
何という絶望の顔だ!
何という苦しそうな姿だ!
何という悲鳴だ!
何という叫びだ!
あたしゃ本当に恐ろしい!
(火は一段と燃え上がり、ドン・ジョヴァンニは奈落に落ちる)
ドン・ジョヴァンニ
ああっ!―――
レポレロ
ああっ!―――
ついに、背徳者として神の罰を受け、ドン・ジョヴァンニは地獄に落ちてしまいます。
しかし、最後まで改悛を拒否した姿は、英雄的でさえあります。
彼は、自分は悪者だとはみじんも思っていません。彼にしてみれば、たくさんの女性を口説いたのは、自分の愛を分け隔てなく、惜しみなく与えた博愛の精神であり、殺した騎士長も、向こうから決闘を望んできたためやむなく応じたものであって、騎士道に則った行為なのです。
もともとの伝説では、ドン・ファンは、殺した相手の石像を家に持ってきて、宴の肴に一緒に飯を食べるという、愚弄する行為をしたために罰せられるのですが、モーツァルトのこのオペラでは、ドン・ジョヴァンニは騎士長に屈辱を与えるつもりはありません。
最後の問答には、まるで、権威に反抗する革命家の姿さえ感じられます。
まさに、革命の世紀の香りがするオペラになっているのです。
この映画でも、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』は重要な要素になっています。
モーツァルトに神童の才能を見出した父レオポルトは、幼いモーツァルトを連れて、ヨーロッパ各地の王侯貴族のもとへ演奏旅行します。
そして各地で絶賛を受け、大儲けをします。その姿は、まるで猿回しのようだ、とも陰で揶揄されました。
幼い頃のベートーヴェンも、モーツァルトにあやかろうとした父によって、同じような目に遭わされそうになります。
しかし、神童も長ずればただの人。大きくなった子役のように、一人前の音楽家として就職しなければ生きていけません。
父はそのため、モーツァルトの就活に力を入れます。しかし、息子はそんな父の支配にだんだん反抗していきます。そして、父の反対を押し切って、ザルツブルク大司教の元から飛び出し、厳しいフリーの道を歩みます。
映画では、自分を支配した父、そして、父を愛しながらも反抗したモーツァルトの精神的葛藤を、ライバルのサリエリは見抜き、モーツァルトを追い詰めていきます。
確かに、残された手紙を見ると、レオポルトとモーツァルトとの間では、かなりの対立が見られます。
オペラ『ドン・ジョヴァンニ』は、モーツァルトが、反抗した父レオポルトを墓から呼び起こし、世界に向かって自分を告発させた作品だ、とサリエリは分析します。
このオペラの石像は、亡くなった父レオポルトの姿そのものだ、と。
そして、弱った晩年のモーツァルトに、石像を思わせる格好でレクイエムを注文し、精神的、肉体的に追い詰め、死に追いやっていくのです。
もちろんフィクションではありますが、確かにこの問答は、教え諭す父と、それに反抗する息子の姿を思わせます。
そんな話も説得力を持つほど、この場面の音楽は異常な緊張感を持っているのです。
映画では、地獄落ちの場面がほとんどそのまま用いられています。
映画『アマデウス』の場面はこちら。
Amadeus - Don Giovanni Scene
ウィーンでの再演では、この場面でオペラは幕になったと言われていますが、プラハ初演では、最後に、残された登場人物たちによる六重唱があるのです。
それは次回に。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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