孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

貴族は短調、市民は長調が好き?ハイドン『交響曲 第95番 ハ短調』

18世紀のロンドン

 

めずらしい短調の曲

ハイドンシンフォニーザロモン・セット(ロンドン・セット)』の3曲目は、交響曲 第95番 ハ短調です。

ロンドン・セット12曲の中で、唯一の短調の曲になります。

ひとことで言えば、短調(マイナー)は悲しい曲長調(メジャー)は楽しい曲、ということになります。もちろん、あくまでも第一印象のようなものではありますが。

バロックの作曲家は多く短調の曲を作りました。バッハフランス組曲は6曲中3曲、イギリス組曲は6曲中4曲が短調です。ヘンデルコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)作品6も、12曲中6曲が短調

それが、古典派になると〝短調〟がなぜかグッと減ります。

ハイドンのパリ・セット6曲でも短調は1曲ですし、全シンフォニー104曲中、11曲です。

モーツァルトに至ってはさらに少なく、シンフォニー41曲中、2曲しかありません。(モーツァルトの作なのかどうかまだ確定していない、〝オーデンセ〟というイ短調の曲もありますが)

貴族は短調、市民は長調がお好き?

バロック時代には、なぜ短調が好まれたのでしょうか。宮殿や貴族の邸内での室内演奏が中心でしたので、しっとりと落ち着いた曲がよかったのでしょうか。

短調の方が感情を込めやすく、教養ある貴族の間では趣味が高いとされていたのかもしれません。

古典派になると、聴衆が広がり、より大衆ウケを狙う必要から、派手で明るい曲が好まれた可能性があります。

実際、モーツァルトも、出版社からの依頼でピアノ四重奏曲ト短調を作曲したら、出版社から『もっと一般大衆に受けるような曲にしてくれないと売れないよ!』と苦情を言われ、契約破棄になった経緯もあります。

時代の好み、というものがあるのでしょう。

日本でも、歌謡曲や演歌など、時代時代の流行り歌の曲調には、それぞれヒットした時代の気分というものが色濃く反映しています。

さて、このハイドンのシンフォニー第95番ハ短調は、ベートーヴェンの〝運命〟と同じハ短調だけあって、序奏もなく、悲劇的に始まります。しかし、すぐに明るい曲調に転調し、拍子抜けするくらいです。そのあとの楽章も、短調は第3楽章だけで、通常短調で情熱的に仕上げるフィナーレも、明るく爽快なフーガになっています。

この曲は、第96番〝奇跡〟とともに、ハイドンがロンドンに来て最初に作り、披露した〝デビュー曲〟ですので、ロンドンの聴衆に配慮したのは明らかです。

短調のシンフォニーは珍しいので、冒頭、まずは新鮮な印象を与えるのが目的だったように思います。

この拍子抜け感こそ、ハイドンのサービス精神の現れであり、魅力でもあるのです。 

ハイドン交響曲 第95番 ハ短調 Hob.Ⅰ:95  

F.J.Haydn : Symphony no.95 in C minor, Hob.Ⅰ:95

マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル

Marc Minkowski & Les Musiciens du Louvre

第1楽章 アレグロモデラー

ザロモン・セットの中で唯一の短調曲ですが、序奏がないのも唯一です。いきなり、悲劇的なトゥッティで始まるのは、まさに〝ハイドンの運命〟といった趣きですが、紋切型のフレーズが続きますが、第2主題は楽しくおどけたような感じで、その陽転には面食らうことでしょう。しかし、ふたつのこの対照的なテーマが重なり合いながら展開していくのは、さすがにハイドンの神業です。

第2楽章 アンダンテ・カンタービレ

静かで抒情的なテーマによる変奏曲です。第1変奏では、後半に顔を出すチェロのソロが心に沁みます。第2変奏は短調になり、悲劇的な様相も示しますが、第3変奏からまた穏やかな世界に戻り、第4変奏では管楽器が彩りを添え、豊かに曲を終えます。

第3楽章 メヌエット

短調の格調高いメヌエットです。モーツァルトの第40番ト短調シンフォニーのメヌエットを思わせます。モーツァルトハイドンに多大な影響を受け、そのパリ・セットに刺激されて、生涯最後の〝三大シンフォニー〟第39番変ホ長調、第40番ト短調、第41番〝ジュピター〟を作りましたが、ハイドンがその後作ったこのロンドン・セットには、その影響も多く見られます。ハイドンモーツァルトの師であり、後継者でもあったのです。トリオでも、第2楽章と同様チェロが活躍します。この曲は、チェロを主役に据えたシンフォニーといえるでしょう。

第4楽章 フィナーレ:ヴィヴァーチェ

ハイドンがフィナーレにフーガを使ったのはこの曲が最後になります。テーマの提示が終わり、爆発するようにフーガが展開していく様は、まさにモーツァルトの〝ジュピター〟を思わせます。ハイドンが、モーツァルトのあの世界を自分でも作ってみようと挑戦しているように思えてならないです。 大好きな、素晴らしいフィナーレです。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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