孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

師匠が仰天した前衛作品。ベートーヴェン『ピアノ三重奏曲 作品1 第3番 ハ短調』

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ベートーヴェン・イヤーが終わって

あけましておめでとうございます。本年も当ブログをよろしくお願いいたします。

昨年、記念すべきベートーヴェン生誕250周年は、コロナ禍のなかであまり盛り上がらずに終わってしまいましたが、苦難に耐えて新たなる創造に捧げたその生涯、また世界人類の団結と一体化を呼びかけたそのメッセージが、これほど意味を持つ年もなかったと思います。

6年後の2027年ベートーヴェン没後200周年には、世界はどうなっているでしょうか。

引き続き、若き天才作曲家の挑戦と成長を追っていきたいと思います。

ハイドン先生、まさかのダメ出し!

ベートーヴェンの記念すべき『作品1』ピアノ三重奏曲、いよいよ最後の第3番 ハ短調です。

この曲こそ、〝ベートーヴェンらしさ〟が最初に確立した作品といえます。

同時に、ハイドンベートーヴェンの師弟関係にヒビが入ることになった〝いわくつきの曲〟でもあります。

ベートーヴェンがウィーンに来て、初めて仕上げたソナタ形式の本格的な作品となったこれら3曲のピアノ三重奏曲は、ある夜、リヒノフスキー侯爵邸の夜会で初演されました。

聴衆たちは、これが歴史的瞬間であることを十分承知しており、期待に胸を膨らませて参集しましたが、それが裏切られることはありませんでした。

そこに響いたのは、斬新で工夫の凝らされた構成、魅力的なテーマ、意表を突く和音と転調、めくるめくテーマ展開と、手に汗握る、まさしく新しい音楽でした。

全曲が終わると、人々は喝采を惜しみませんでしたが、専門家たちは、その場に招かれていたベートーヴェンの師ハイドンが、どんな批評を述べるかに注目していました。

その場については、ベートーヴェンの弟子フェルディナンド・リースが、後年ベートーヴェンの親友ヴェーゲラーとともに著したルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの伝記的覚書』で報告しています。

ハイドンは、総評としては最大級の賛辞を贈りましたが、第3番のハ短調だけは、ベートーヴェンに対して、将来機会があってもこの曲は出版しないように、と強い口調で釘を刺したというのです。

満座の人々はそれを聞いてびっくりしました。

3曲の中で一番聴衆を感動させ、評価の高かったのが第3番だったからです。

リースによれば、ベートーヴェンはこれを聞いて、ハイドンは自分の才能をねたんで嫌がらせを言ったのだと思い込んでしまった、ということです。

だとすれば、温厚な人格者というイメージのハイドンらしからぬエピソードですが、伝記捏造の常習犯シンドラーと違って、リースの証言には一定の信用は置けるので、ハイドンがこのようなことを言ったのは事実かもしれません。

師匠の親心、弟子知らず?

とはいえ、ハイドンに、ベートーヴェンが感じたような悪意があったとは思えません。

しかし、この曲が師匠を大いに当惑させたのは間違いないのでしょう。

音楽に新たな地平を開拓し続けてきたハイドン自身も、実験的、冒険的な試みについては躊躇していませんが、さすがにこれはやり過ぎ、と感じたのは無理からぬことです。

モーツァルトに慣れたウィーンの聴衆の耳には、この曲はあまりに刺激的過ぎて、〝モーツァルトの再来〟という売り出し文句に傷がつき、駆け出し段階としてはあまりにリスクが高い、と判断したのではないでしょうか。

ベートーヴェンがこの場にいるのはハイドンのお陰ですし、その後も経済的、社会的援助を惜しみませんでした。

それだけに、ハイドンはこの奇跡の才能をもった弟子の将来を心配したと思われます。

かのモーツァルトも、ウィーンデビューの前半こそ、大変な人気を博してもてはやされましたが、晩年だんだんと曲が芸術的な深みを増すにつれ、軽い典雅な曲を好むウィーンの聴衆は離れてゆき、貧窮のうちに世を去りました。

ハイドンは、そんな軽薄なウィーンの聴衆を知り尽くしていたからこそ、前途ある若いベートーヴェンモーツァルトの二の舞はさせたくない、と思い、聴衆を離れさせかねないファンキーな曲はまだ時期尚早、と感じて、出版は見送るよう忠告した、というのが真相と思います。

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大いなる世代ギャップ

ただ、ハイドンもこの夜が終わったあと、『彼はもはや弟子ではない、ライバルだ。』といったようなことを漏らしたとも伝えらえれていますので、ベートーヴェンハイドンの親心を誤解したのも無理からぬことかもしれません。

また、ベートーヴェンの言動や振舞いには生意気で無作法なところがあったのは間違いのなく、30年間宮廷人として儀礼に忠実に勤め上げたハイドンの眉をひそめさせることも多々あったと思われます。

前回取り上げたように、ベートーヴェンが自分に内緒で他の先生のもとに通っていることも耳に入っていたでしょう。

いずれにしても、60代の師匠と20代の弟子ですから、多かれ少なかれ〝世代ギャップ〟があったのは当然です。

ハイドンは、2回目のロンドン訪問にベートーヴェンを同伴していく計画だったといわれますが、それは実現しませんでした。

その理由は定かではありませんが、このあたりの微妙な関係性が影響していそうです。

なお、この初演の夜会が、ハイドンの第2回ロンドン訪問の前であったのか、それとも後であったのか、ということも謎であり、論議を呼んでいます。

後だとすると、この3曲が出版されたのは1795年夏で、ハイドンがロンドンから帰着した直前ですから、〝出版しないように〟という発言と矛盾します。

一方、曲の内容には、ハイドンがロンドンに出発後、アルブレヒツベルガーに習った対位法のテクニックが反映されている、という見方も強いです。

いずれにしても、ハイドンも〝最近の若いモンはなっとらん、俺の若い時分は〟などと説教を垂れるロートル親父ではなく、まだまだこの後天地創造『四季』といった不朽の傑作を生みだしていくのですから、多少のギクシャクはあっても、世界最強の師弟コンビといえます。

何より、この第3番 ハ短調は、ハイドンが第1回ロンドン訪問で発表した『シンフォニー 第95番 ハ短調をお手本にしたといわれているのです。

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ベートーヴェンピアノ三重奏曲 作品1 第3番 ハ短調 Op.1-3

Ludwig Van Beethoven:Trio for Piano and Strings in C minor, Op.1 no.3

演奏:キャッスル・トリオ Castle Trio(古楽器使用)(ランベルト・オルキス:フォルテピアノ、マリリン・マクドナルド:ヴァイオリン、ケネス・スロウィック:チェロ)

第1楽章 アレグロ・コンブリオ

この曲と、ハイドンハ短調シンフォニーとの共通項は、同じハ短調であるほか、次の点です。まず第1楽章の冒頭が序奏風のテーマになっていること、第1主題部が形にはまっておらず、流動的な展開を可能としていること、展開部と再現部の唐突な転調が似ていること、第2楽章が同じアンダンテ・カンタービレ変ホ長調の変奏曲になっていること、第3楽章がベートーヴェンが好きなスケルツォではなく、ハイドンのスタイルに従ったメヌエットで、かつ同主調関係であること、です。ベートーヴェンとしては、ちゃんと師匠の新作をお手本にしながら、自分の新境地を開拓したと考えられるのです。

冒頭のテーマは、弱々しく不安なもので、不吉な感じまで受けますが、これは序奏ではなくて、れっきとした第1主題としてその後の展開の素材となります。その後はたたみかけるように切迫した感じとなり、一転、和やかで優しい第2テーマが流れて、思わず胸がキュンとなります。そう思うのもつかの間、不安だった第1テーマが決然としたものに変貌して迫ってきます。展開部も第1主題を素材として、転調と強弱を繰り返しながらドラマティックに進んでいきます。コーダは悲劇の幕が下りるかのようです。

〝運命〟と同じ宿命的な〝ベートーヴェンハ短調〟が作品1から確立したのです。

第2楽章 アンダンテ・カンタービレ・コン・ヴァリアツィオーニ

ピアノが、静かで抒情溢れるテーマを奏で、弦が和します。これを5つに変奏されてきます。第1変奏はピアノがメインでテーマを優しく装飾的に展開していきます。第2変奏は3つの楽器がそれぞれに独立して絡み合いますが、子守唄のように牧歌的です。第3変奏はピアノの左手が流れるようなパッセージを奏でる中、弦はピチカートで応じ、実に愛らしい変奏となります。第4変奏では短調に転じ、チェロが哀愁漂う歌を歌い、ヴァイオリンがそれを受け継ぎます。第5変奏は再び明るい長調に戻り、ヴァイオリンは重音奏法を求められて5声部となり、ピアノが典雅に装飾します。コーダはピアニッシモでメインテーマを振り返り、静かに曲を閉じます。

第3楽章 メヌエット(クアジ・アレグロ

ハイドンへの敬意を表してメヌエットとしている可能性もありますが、テーマの性格はスケルツォに近いといえるでしょう。悲壮感を秘め、ある種の諦観まで感じさせます。ピアノの典雅な動きがかろうじて宮廷舞曲の面影を残しています。トリオはハ長調で、きらびやかなピアノがレガートで天から舞い降りる中、チェロが実に伸び伸びと和します。メヌエットは忠実にダ・カーポされ、コーダはありません。

第4楽章 フィナーレ(プレスト)

師匠を当惑させたに違いない、荒ぶる楽章です。冒頭の豪快な序奏は曲中で何度か繰り返され、強烈なインパクトを与えます。続いてヴァイオリンが切迫感のあるフレーズを奏でると、ピアノがすかさずそれを受け継ぎますが、ほどなく優しくカンタービレな第2主題となります。しかし、ホッとするのもつかのま、嵐は再びやってきます。そこからは、第1主題と第2主題が様々に転調、展開され、フォルテとピアノの展開が手に汗握るようです。最初の聴衆は次にどうなるのか、ハラハラしていたことでしょう。嵐の間の静かな部分にこそ、ベートーヴェンのデーモニッシュな魂が潜んでいるかのような気がします。

最後は盛り上げて悲劇的に終わるのかと思いきや、静かに、消え入るように終わるのも異例で、拍手のきっかけも与えないかのようです。あれ?終わったの?と当惑する聴衆に、若いベートーヴェンがニヤッとしている様が目に浮かびます。師匠が、これは危ない、と危機感を持ったのも無理からぬことといえるでしょう。しかし、この曲は聴衆に媚びていない、立派な芸術作品の風格を示しており、ベートーヴェンの創造の輝かしい第1歩としての「作品1」なのです。

 

古楽器による第1楽章の演奏です。


Beethoven -- Piano Trio in C-minor, Opus 1 No. 3: Allegro con brio

 

Trio Sōraによる第3楽章です。この曲のファンキーさが強調されています。


Beethoven piano trios : BEETHOV3N - Trio Sōra

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

 

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