懲りない皇帝
バイエルン継承戦争で、母帝マリア・テレジアに逆らえないどころか、母親の判断の方が正しかったことが世界中に暴露されてしまい、大恥をかいた皇帝ヨーゼフ2世。
広大なバイエルンを領土に加えて、偉大なる皇帝として歴史に名を残そうとしましたが、無益な戦争で人々を苦しめたあげく、お情けのように取るにも足らない領土を与えられただけに終わりました。
平和と現状維持を望んだ母に逆らって痛い目に遭ったので、もう領土拡大の野望には懲りたはずなのですが、この皇帝は諦めないのです。
啓蒙主義に傾倒し、人民に自由と権利を与えようというポリシーの人なのに、勢力拡大と侵略にかまけたのは、二重人格としか言いようがなく、不思議でなりません。
西への拡大に挫折した皇帝が次に目を付けたのが、東方でした。
オーストリア、ハンガリーの東には、オスマン・トルコの大帝国があります。
オスマン・トルコが強盛な時代には、ハプスブルク家とはハンガリーを奪い合い、二度にわたってウィーンが包囲されたこともあり、歴史的な宿敵といえます。
ハンガリーは1699年に完全にハプスブルク家のものになりましたが、さすがにトルコ本国には手は出せません。
ロシアの悲願、クリミア領有
そのトルコを侵食しつつあったのが、女帝エカチェリーナ2世が率いるロシア帝国でした。
彼女は、1768年から1774年にかけての第一次露土戦争を有利に運び、黒海への勢力拡大を狙っていました。
今、戦場となっているウクライナ南部からクリミア半島にかけて、イスラム教国のクリミア・ハン国があり、オスマン帝国の保護国となっていました。
この戦争の結果、エカチェリーナ女帝は、アゾフと、ドニエプル川北岸をロシア領に編入し、念願の黒海への出口を確保したのです。
また、クリミア・ハン国へのトルコの宗主権を無効にすることにも成功しました。
次なる標的は、喉から手が出るほど欲しい、クリミア半島です。
今、ロシアはウクライナから奪っていますが、元はといえばトルコの勢力圏だったのです。
そんなに昔から国境がきっちり定まっているわけではない地域なので、現在も、歴史観の違いによって戦争になってしまっているとも考えられます。
ロシアに乗る、危険なもくろみ
ヨーゼフ2世は、このロシアの動きに呼応し、ロシアがクリミアを狙って再びトルコと開戦するときには、オーストリアも参戦して分け前にあずかれるのでは、ともくろんだのです。
ポーランド分割では協調したロシアでしたが、バイエルン継承戦争では、ロシアはプロイセン側についてしまいました。
まずは、その関係改善をしようと、ヨーゼフ2世は、いつものお忍び旅行で、こっそりロシアに出かけたのです。
もちろん、母帝に相談もなく。
1780年4月20日のことでした。
キーウを経て、6月4日に、今のベラルーシのモギリョフで、エカチェリーナ女帝と会見します。
そのあと、ふたりは仲良く、首都サンクトペテルブルクに向かいます。
これを聞いたマリア・テレジアは、怒りに身を震わせたといいます。
彼女は、野心的で領土拡大に熱心なエカチェリーナ女帝が、プロイセンのフリードリヒ大王と同じくらい大嫌いでした。
平和の破壊者でしかありません。
また、男性の愛人をとっかえひっかえ作っているのも、潔癖で道徳家のマリア・テレジアには我慢がなりませんでした。
そんな侵略者、背徳者に、息子は何が目的に会いにいくのか。
今度はあの女と手を組んで、また他国の地を狙って戦争を始めようというのか。
あれほど大きな犠牲と苦労を払って、戦争を終わらせたというのに、息子は何も懲りず、学んでもいないのか。
マリア・テレジアは、やっと更生させたと思った不良息子が、また警察のお世話になったと聞かされた母親のような心境だったことでしょう。
偉大なる女帝が急逝するのは、この年の11月29日です。
不肖の息子は、母の命も縮めてしまったかもしれません。
運命の時は近づいていました。
それでは、この前年、1779年に作曲されたハイドンのシンフォニーを聴きましょう。
Joseph Haydn:Symphony no.70 in D major, Hob.I:70
演奏:ジョヴァンニ・アントニーニ指揮 イル・ジャルディーノ・アルモニコ(古楽器使用)
第1楽章 ヴィヴァーチェ・コン・ブリオ
平板だった前回のシンフォニー、第69番《ラウドン将軍》に比べたら、非常にとんがった、変わった曲です。
焼失してしまったエステルハーザ宮殿の宮廷劇場が再建されることになり、その定礎式のために作曲されたと伝わります。
ハイドン研究家のH.C.ロビンス・ランドンが、1955年という早い時期に『ハイドンの最も興味深い交響曲のひとつ』と見抜き、『先人たちや同時代人たちの中にあって、ヘラクレスのように突出した作品』とまで絶賛しているのもあって、人気の高い曲です。
冒頭、2つの音が鋭く鳴り、それが下行する音型が続いて、休符で立ち止まったりして、まったく滑らかさのない、ギザギザした音楽となります。ここでは強弱の対比が激しく示され、機械的な感じも受けます。リズムも特徴的で、1小節を1拍ととっているかのような激しい身振りです。
祝祭のための音楽ではありますが、優美さはなく、人を驚かせ、圧倒する迫力に満ちているのです。
第2楽章 二重対位法によるカノンの一種:アンダンテ
ニ短調をとる変奏曲ですが、テーマは短調のAと長調のBのふたつあり、A(短調)→B(長調)→Aの変奏→Bの変奏→Aのさらなる変奏、といった構成で進みます。それをわざわざ、「二重対位法によるカノンの一種」と記しています。
付点リズムがなんともいえない不気味さを醸し出していますが、これは後年の第103番《太鼓連打》の第2楽章を思わせます。各変奏では、カノン的な対位法が施され、各声部の役割が聴きどころです。
対位法の活用と、短調と長調の対比がこのシンフォニーと主眼といえます。
第3楽章 メヌエット:アレグレット
メヌエットも激しく、優雅さのかけらもありません。対位法は使われず、ストレートでホモフォニックな響きがズバッと迫ってきます。トリオは短く、メヌエットと対照的に弱音のレガート的なもので、シンプルな2声部の簡素な世界です。ハイドンのメヌエットには珍しく、ダ・カーポの部分にコーダがついています。
第4楽章 フィナーレ:アレグロ・コン・ブリオ
この変わったシンフォニーの中でも、特に変わった音楽です。まず、なんとニ短調なのです。4つの楽章のうちふたつが短調なので、この曲は二長調・ニ短調とした方がよいくらいです。冒頭、チチチチチ、と、何とも不気味な、不安な気分にさせらる4分音符が鳴らされ、低音のレガートがこれに応答します。これが3度繰り返されると、いきなりフォルテッシモで炸裂し、心臓が止まりそうになります。するとなんと、厳格なフーガが始まるのです。これはハイドンによって「3主題の二重対位法」と明記されています。ギャラントであるべき祝祭音楽のはずが、シリアスな雰囲気に支配されるのです。最後の方ではホルンやトランペットが暴れますが、これでも楽しい気分にはなれません。さらにしつこくチチチチチ、が続くうち、冗談かと思うような信じられない終わり方をします。当時の人があっけにとられている光景が目に浮かびます。
ハイドンの音楽に均整の取れた古典的なイメージをもっている方は、この曲をぜひ聴いていただきたいものです。その前衛ぶりに驚くことでしょう。
動画もジョヴァンニ・アントニーニ指揮、イル・ジャルディーノ・アルモニコの演奏です。フィナーレの終わり方に、聴衆から笑いが漏れています。
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こちらはモダン楽器の演奏ですが、この曲の大きな身振りが余すところなく表現された素晴らしいものです。指揮者の動きはもはや〝ハイドン体操〟です。
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今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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