もうひとつのシャンデリア落下事件と『オペラ座の怪人』
ロンドンでのハイドンのコンサートでは、〝奇跡〟によって死者は出ませんでしたが、後年、パリのオペラ座(オペラ・ガルニエ)で、オペラ上演中にシャンデリアが落下し、こちらは死者が出ました。
ハイドンのコンサートから101年後、1896年5月20日のことで、原因は火災とも、吊るための重りが壊れたためともいわれています。多くのけが人が出ましたが、女性が一人亡くなったと伝えられています。
この事故にインスピレーションを受け、フランスの作家ガストン・ルルーが1909年に発表した小説が『オペラ座の怪人』です。
これを原作として、1986年にアンドリュー・ロイド・ウェバー(1948- )が作曲したミュージカルで有名になりました。
私は1995年に初めて訪ねたニューヨーク、ブロードウェイのマジェスティック劇場で観ましたが、あの感動は忘れられません。
初演は1986年、ロンドン、ウェスト・エンドのハー・マジェスティック劇場で、ブロードウェイでの開幕は1988年です。
妻は芸術のミューズ
オリジナル・キャストの主役、クリスティーヌ・ダーエ役は、作曲者のウェバーの妻、サラ・ブライトマン(1960- )です。ウェバーは、歌の音域も彼女に合わせて作曲し、シーンも彼女へのオマージュともとれる場面が多くあります。
モーツァルトが妻コンスタンツェを主役名にしたオペラを作曲したり(『後宮よりの逃走』)、彼女が目立って歌えるようなパートを作ったり(『ハ短調ミサ』)したことを思わせます。
絵画でも、ダリの妻ガラのように、芸術家が愛する妻や恋人をモデルにしたとき、最高傑作が生まれた例は枚挙に暇ありません。
ロンドンに続き、ブロードウェイの初演でも、ウェバーは妻を主役にしようとしましたが、まだ無名の歌手であり、俳優協会の抵抗を受けました。しかし、ウェバーは押し切り、サラ・ブライトマンの名声はこのミュージカルによって世界的なものになったのです。
しかし、ブロードウェイ初演の2年後、ふたりは1990年に離婚してしまいます。自らのミューズの女神と別れることになったウェバーの傷心は大きかったと言われています。
『オペラ座の怪人』の筋書通りになってしまったのは皮肉です。
私が観た1995年のブロードウェイでのキャストは分かりません。プログラムを買った記憶はあるのですが、見当たらず。公演は7年目ですから、サラはソロ活動に入っており、出演していたとは思えません。もし彼女だったとすれば、かけがえのない体験なのですが。
ただ、震えるほどに感動したのは間違いなく、近くに座っていた日本人の女の子が幕が降りたあと、ずっと泣きじゃくっていたのを覚えています。
音楽劇ミュージカルは、現代のオペラと言えますが、この作品は、そのテーマからも、音楽はオペラの香りを散りばめていて、オペラの華やかな世界の魅力が楽しめるのも魅力です。
サラ・ブライトン始め、ロンドン初演でのオリジナル・キャストで主要なナンバーを聴いていきましょう。
The Phantom of The Opera
音楽:アンドリュー・ロイド・ウェバー
Andrew Lliod Webber, Baron Lloyd-Webber
The Original London Cast
Overture
有名なパイプ・オルガンによるファントムのテーマです。1905年にオペラ座で行われた、オペラ座にちなむ古道具のオークションの光景から劇は始まります。老いたシャニュイ子爵ラウルが競り落としたのは、亡き妻の思い出の品、猿のオルゴールでした。次に出品されたのは、落下して大惨事を引き起こした、「オペラ座の怪人」にまつわるいわくつきのシャンデリア。それが現れると、輝きながら浮揚し、オペラ華やかなりし1880年代に時代が戻っていきます。
Think Of Me
オペラ座を陰から支配している謎の「怪人」。決して姿は見せませんが、手紙や声で脅し、オペラ座の経営に口を出し、給与や専用ボックスの確保を要求しています。前支配人はこれに耐えかねて辞任。怪人はプリマ・ドンナのカルロッタに満足せず、ちょうど着任した新しいふたりの支配人に圧力をかけますが、従わないため、怪事件を起こします。カルロッタは事件にいらついて、歌うのを拒否。代わりに代役として抜擢されたのが、無名のコーラスガール、クリスティーヌ・ダーエ。公演を中止して大損害になるよりは、と渋々承知する支配人たち。しかし、予想に反してクリスティーヌの歌は素晴らしく、大喝采を浴びます。それがこの歌です。これを観ていた、新しいオペラ座のパトロン(オペラ座に出資する、いわばオーナー株主)、子爵ラウルは、クリスティーヌが昔よく遊んだ幼馴染みであることに気づき、幼い恋が大人の恋となって燃え上がります。
Angel of Music
クリスティーヌはスウェーデンの有名なヴァイオリニストの娘でした。幼いときに父を亡くしますが、いまわの際に父は、音楽の天使(Angel of Music)がお前を守ってくれるから、彼に従いなさい、と言い残しました。オペラ座にコーラスガールとして雇われることになったクリスティーヌに、姿は現さずに声だけで音楽の指導をしてくれる男があり、彼女の歌はそれで上達したのです。それが「オペラ座の怪人」でした。怪人はクリスティーヌの デビューを喜びますが、ラウルの存在を警戒し始めます。
怪人はクリスティーヌがラウルと恋に落ちそうになっているのを見て、彼女をオペラ座の地下深くの隠れ家にいざないます。そこには湖のような貯水池があり、まるでこの世ならぬ、冥界のような神秘の洞窟で、ふたりはゴンドラに乗って進んでいきます。クリスティーヌは音楽の師である怪人を父の魂と思っており、信じ切っています。オペラ座の地下には実際に貯水池があるそうです。
The Music of The Night
クリスティーヌは、怪人が隠れ家に作っていた自分そっくりのマネキンを見て、気を失ってしまいます。怪人は、彼女をベッドに寝かせ、彼女に対する愛を歌います。怪人は、生まれつき醜い顔で、母からも疎まれ、愛されることもなく見世物にされた過去がありました。彼は仮面で醜い部分を隠していたのでしたが、目覚めた彼女は、好奇心から仮面を剥いでしまいます。怪人は怒りますが、自分の境遇を嘆きつつ、彼女への憧憬と愛を語ります。
Prima Donna
支配人たちは、クリスティーヌに主役の座を奪われたカルロッタを慰め、おだてて、何とかまた舞台に立ってくれるように促して、この歌を歌います。オペラの花形、プリマ・ドンナを讃える歌です。ヘンデルを始め、オペラ作曲家や興行主たちは、歌手のわがままには大いに悩まされました。しかし、プリマ・ドンナがいなければオペラは成り立たず、彼女もそれを分かって横暴な振る舞いに及んでいるのです。怪人はそれを許さず、カルロッタを主役にしないよう手紙で脅しますが、支配人は従わず、大道具係が公演中に舞台上で首吊りにされるという惨劇を招きます。
All Ask of You
怪人を音楽の師と仰ぎながらも、その乱暴な振る舞いに嫌気の差したクリスティーヌは、オペラ座の屋上で、ラウル子爵とこの愛のデュエットで結ばれます。
All Ask of You(Reprise)
オペラ座の屋上でふたりがキスするのを見た怪人は、ふたりの愛を光景を反芻しながら、自分が心底求めて得られなかったものを易々と手に入れたラウルに嫉妬し、怒りのあまりにシャンデリアを落下させ、第1幕が幕となります。
Ent' Acte
第2幕は6ヵ月後という設定です。その導入曲です。
Masquerade
オペラ座にて、華やかにマスカレード(仮面舞踏会)が開かれます。そこに、シャンデリア落下事件以降、しばらく姿を見せなかった怪人が現れ、群衆の前で、自作のオペラ『勝利のドン・ファン』を作曲、完成させたことを宣言し、クリスティーヌを主役としてこれを上演することを命じ、従わなければ、さらなる惨劇が起こると脅します。怪人が作曲したのは、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』と同じ題材ですが、モーツァルトのようにドン・ファンは最後に地獄に堕ちるのではなく、勝利するというのです。これはクリスティーヌを必ずものにするという宣言に他なりませんでした。ラウルは、この上演中に現れるであろう怪人を捕らえるよう計画します。
www.classic-suganne.com
Wishing you Were Somehow Here Again
クリスティーヌは、ラウルへの愛と、怪人の自分に対する音楽の指導の恩の間で揺れ動き、父の墓を訪れて悩みを訴えます。怪人は墓地で音楽の天使として登場し、再び音楽への志を訴えてクリスティーヌを誘惑しますが、現れたラウルに妨害されます。
ついに『勝利のドン・ファン』の幕が開きます。ドン・ファン役のピアンギとデュエットを歌うクリスティーヌですが、いつしか相手が怪人に代わっていることに気づきます。ピアンギはかわいそうに殺されています。音楽の力で、舞台上クリスティーヌはまた怪人に心奪われていきますが、このあたりの音楽は素晴らしいです。音楽と体の恍惚感が重なっていくのがこのドラマの核心でもあります。しかし、クリスティーヌは体の誘惑に打ち勝ち、舞台上で怪人の仮面を剥ぎ取り、劇場を恐怖に陥れます。怪人はクリスティーヌを拉致して地下に逃げます。
Down Once More / Track Down This Murderer
隠れ家で怪人はクリスティーヌに結婚を迫り、無理に婚約指輪をはめます。そこにラウルが助けにやってきますが、飛んで火にいる夏の虫。投げ縄の得意な怪人に捕まり、クリスティーヌに、ラウルを助けて欲しかったら自分と一生ここで暮らせ、と迫ります。クリスティーヌは、怪人に、醜いのはあなたの顔ではなく魂だと告げますが、同時に怪人を憐れに思い、キスをします。怪人は生まれて初めて、人の優しさに包まれ、ラウルとクリスティーヌを解放します。クリスティーヌは感謝して婚約指輪を怪人に返し、怪人はあらためてクリスティーヌに対する愛を伝え、クリスティーヌは涙ながらにラウルと隠れ家を出て行きます。怪人を捕えるべく、追っ手が隠れ家に踏み込んだときには、怪人の姿はなく、ただ仮面が残されていました。
映画版はこちらです。これも素晴らしいです。
日本で観るには、劇団四季のスケジュールによると、2018年は京都→静岡→仙台とのことです。
www.shiki.jp
ブロードウェイでの公演は、初演以来ずっとロングラン記録を更新し続けています。ニューヨークを訪れる人がいなくならない限り、終わることはないのでしょう。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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