それでは、マリー・アントワネットのピアノ教師でもあった、グルックのオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』第1幕の幕を開けます。
題材は、よく知られたギリシャ神話、『オルフェウス伝説』です。
オルフェウスは、ギリシャ語に近い発音でオルペウスとも呼ばれます。
太陽神アポロンと、芸術の女神たち、ムーサ(英語でミューズ)のひとり、カリオペとの子ですが、アポロンは名義上の父で、トラキア王オイアグロスとの子、との説もあります。
ともあれ、太陽神であるとともに、音楽の神でもあるアポロンと、ミューズ9人姉妹の長女で、最も賢く、「叙事詩」を司るカリオペとの子ですから、音楽の名手となりました。
吟遊詩人として名を馳せ、彼が竪琴を掻き鳴らしながら歌うと、森の動物たちのみならず、木々や岩までもが耳を傾けた、とされています。
彼は、美しい森の木のニンフ、エウリュディケ(イタリア語でエウリディーチェ)、と恋に落ち、結婚します。
しかし、新婚早々、彼女は草原で毒蛇に噛まれ、亡くなってしまいます。
新郎オルフェウスの嘆きは限りなく、どうしても妻を諦めきれず、彼は黄泉の国から彼女を取り戻すべく、地獄に降りていきます。
そして、自らの音楽の力で、地獄の恐ろしい神たちの心を融かしてゆく…という物語です。
音楽の力の神秘を語った神話ですので、オペラの題材としてはうってつけです。
オペラ草創期からの題材
オペラは、ルネサンス後期の16世紀末、フィレンツェのカメラータ(愛好家貴族)たちにより、古代ギリシャの歌付きの演劇を復興しよう、という機運の中で生まれました。
世界最初のオペラは、1597年頃にヤコポ・ペーリ(1561-1633)が作った『ダフネ』とされていますが、楽譜はほとんど現存していません。
今日に残る最初のオペラは、同じくペーリが1600年頃に作曲した『エウリディーチェ』で、まさにオルフェウス神話がテーマです。
しかし、現代でも上演される最古のオペラは、クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643)が1607年にマントヴァで初演した『オルフェオ』です。
この作品は、最も最初期のオペラにもかかわらず、一気に歌劇の頂点を極めたといっても過言ではない充実度で、現代人の心も打ってやまない傑作です。
いつか取り上げたいと思います。
このように、オペラの草創期から題材とされてきたオルフェオですが、グルックは、退廃したオペラの改革第一弾として、このテーマを取り上げたわけです。
それでは、聴いていきましょう。
Christoph Willibald Gluck:Orfeo ed Euridice, Wq.30, Act.1
演奏:ルネ・ヤーコプス(指揮)フライブルク・バロック・オーケストラ、RIAS室内合唱団、ベルナルダ・フィンク(オルフェオ:カウンターテノール)【2001年録音】
第1幕
〔月桂樹と糸杉の心地よい、しかしもの寂しい森。木の生えていない小さな場所にエウリディーチェの墓があり、まわりの木立がまばらに取り囲んでいる。〕
第1場
もの哀しいシンフォニアの響きで幕が上がると、舞台には、オルフェオと、花輪やミルテの花飾りをもった大勢の羊飼い、ニンフたちがいるのがみえる。何人かが香を薫き、大理石に花飾りを置き、墓石のまわりに花をまき散らす。一方、ほかのものたちは合唱を歌うが、この合唱は、石の上に身を投げ出し、時折激しくエウリディーチェの名を繰り返すオルフェオの嘆きに遮られる。
第1曲 オルフェオと合唱『もしこの墓のあたりを』
合唱
ああ!
もし暗いこの墓場のあたりをさまよっているのなら、
今は亡き、いとしいエウリディーチェよ
オルフェオ
エウリディーチェ!
合唱
聞いておくれ、
あなたのために広がるすすり泣き、悲しみ、ため息を
オルフェオ
エウリディーチェ!
合唱
耳を傾けておくれ、
あなたの不幸なご主人が、
涙にむせび、
あなたを呼び、嘆いている
オルフェオ
エウリディーチェ!
合唱
仲睦まじいキジ鳩が、
愛する伴侶を失ったときのように
モンテヴェルディの『オルフェオ』では、舞台は幸せなふたりの結婚式から始まるのですが、グルックの作品では、エウリディーチェは既に亡くなり、ニンフたちが新墓を囲んで嘆き悲しんでいる場から始まります。
この作品では、登場人物はオルフェオ、エウリディーチェ、そして愛の神アモールの3人だけに絞られています。
当時ポピュラーだったメタスタージオの台本では、少なくとも3組6人の登場人物があり、複雑に関係が絡み合いながら進んでいきますが、このカルツァビージの台本では、たった3人、それも、エウリディーチェが歌うのは第3幕だけですから、実にシンプルに作られています。
これも、当時の啓蒙思想、特にジャン=ジャック・ルソーが唱えた『自然に帰れ』という精神に通じるものがあり、オペラ改革の大きな要素です。
音楽も、余計な装飾は無く、直截的に人間の「悲しみ」「嘆き」を表現しているのです。
羊飼いとニンフたちが嘆きの歌を歌うと、それを遮るように、夫オルフェオの『エウリディーチェ!』という慟哭の叫びが入り、さらに悲劇を強調しています。
オルフェオ
もういい、もういい、友よ
みんなの嘆きはさらに私の悲しみをつのらせる
真紅の花を撒き散らし、
花飾りで大理石の墓石を飾って、
立ち去ってくれ
私をひとりにしてくれ
むごい不幸を胸に、
この暗く陰気な場所に
オルフェオは、友人たちの弔いを遮り、ひとりにしてくれ、と訴えます。レチタティーヴォですが、通常使われる、チェンバロの通奏低音の伴奏(レチタティーヴォ・セッコ)ではなく、オーケストラで引き続き伴奏されます。これも、音楽の切れ目でドラマが中断されないようにする、「改革」の一環です。
第3曲 バレエ:ラルゲット
羊飼い、ニンフたちが悲しみに満ちた弔いのダンスを踊ります。通常、イタリア・オペラでは踊りは挿入されませんが、当時、オーストリアは外交的にフランスと提携しており、フランスのオペラ・コミックにおけるバレエが導入されつつありました。その延長に、皇女マリー・アントワネットのフランスへの輿入れがあるのです。そんな当時のウィーンの流行を踏まえて、このオペラは、イタリアとフランスの折衷的なものになっています。グルックは、このオペラをのちに王妃となったマリー・アントワネットに呼ばれて本場のパリで上演した際には、バレエを大幅に拡大しています。
第4曲 合唱『もしこの墓のあたりを』
合唱
ああ!
もし暗いこの墓場のあたりをさまよっているのなら、
今は亡き、いとしいエウリディーチェよ
聞いておくれ、
あなたのために広がるすすり泣き、悲しみ、ため息を
(これに続くバレエのあと、合唱隊退場)
オルフェオに促され、友人たちは再度嘆きの歌を歌い、悲しみのダンスを踊りながら退場していきます。バレエが、亡き人に心を残しながら、残されたオルフェオを案じつつ、余韻を残してフェードアウトします。
第5曲 アリア『愛する人を呼ぶ』
オルフェオ
(アリア)
愛する人を呼ぶ
陽が昇るときも、
陽が沈むときも
でも、どんなに呼んでもむなしい!
心から愛してやまない大事な人は、
答えてはくれない!
(レチタティーヴォ)
エウリディーチェ、エウリディーチェ
今は亡き愛する妻よ、どこにいる?
おまえの夫は涙を流し、
神々に戻してくれと願い、
人々の中におまえを探し求める
だが、その涙も、
悲しみの嗚咽も、
吹く風に散らされてしまう!
(アリア)
愛する人を探し求める
あの人が死んだ、
忌まわしい場所をさまよう
だがわたしの悲しみに、
答えてくれるのはこだまだけ
こだまはわたしたちの愛を知っている
(レチタティーヴォ)
エウリディーチェ、エウリディーチェ!
ああ、小川も、森も、その名を知っている
私の呼ぶ声で、
谷間深くにもエウリディーチェの名は響きわたる
あわれな夫は、すべての木の幹に刻む
不幸なオルフェオ
エウリディーチェ、私の大切な妻
愛するエウリディーチェ!
(アリア)
愛する人を思って嘆く
太陽が空を金色に染めても、
波間に沈んでも、
時は空しく過ぎゆく
私を憐れむのは、
小川のささやかなせせらぎだけ
独りエウリディーチェの墓の前に佇んだオルフェオは、愛する亡妻へのやるせない思いを歌います。やや明るい調子の長調のアリアが、放心したかのような心境を表し、間に挟まれるレチタティーヴォが歌を中断し、短調で悲痛な叫びとなり、ドラマティックな対照を作っています。繰り返しとなっていますが、オペラ歌手の即興的な腕前の見せ場を作るダ・カーポではなく、募る思いを重ねていく、劇的効果としての繰り返しです。
ひとり叫ぶ彼の言葉を、音楽がエコー(こだま)効果で、深い山奥の孤独感を見事に演出しています。
動画は序曲と同じ、オンドレイ・ハヴェルカ演出の映画版の続きです。チェスキー・クルムロフ城バロック劇場の、当時のままの舞台装置が見事です。演奏は、ヴァーツラフ・ルクス指揮のコレギウム1704、コレギウム・ヴォカーレ1704(合唱)、オルフェオ役はベジュン・メータ(カウンターテノール)です。
動画プレイヤーは下の▶️です☟
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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