〝交響曲の父〟ハイドンは、104曲のシンフォニーを作曲しましたが、最もポピュラーなのは、〝ロンドン・セット〟といわれる最後の12曲です。(第93番から第104番)
そして、〝パリ・セット〟の8曲。(第82番から第87番)
また、その間の第88番〝V字〟第92番〝オックスフォード〟なども演奏の機会はわりとあります。
私の子供の頃は、ハイドンといえば〝おもちゃのシンフォニー〟だったのですが、今ではこれはモーツァルトの父レオポルトの作とされています。いずれにしてもビッグネームですが。
壮大侯との出会い
それらの作品の前、30年にわたって務めあげた、エステルハージ家での作品は、以前はほとんど演奏されなかったのですが、古楽器ブーム以降、人気が出ています。
前回ご紹介した、ハイドンを副楽長として招き、『朝』『昼』『晩』の作曲を依頼したパウル・アントン・エステルハージ侯は、ハイドンが来て1年後に亡くなり、後を弟ニコラウス・ヨーゼフ・エステルハージ侯(ハンガリー語では、エステルハージ・ミクローシュ・ヨージェフ)が継ぎました。
このニコラウス侯こそ、ハイドンの最大の理解者、庇護者となり、〝壮大侯〟と称えられた人物です。
七年戦争では、オーストリア軍の将軍として、コリンの戦いでフリードリヒ2世自ら率いるプロイセン軍を破り、後に帝国軍元帥に叙せられた英雄でした。
襲爵後、新しい居城『エステルハーザ宮』を、本拠地アイゼンシュタットの郊外に築きましたが、ヴェルサイユを除いてはヨーロッパ最大級の宮殿でした。
宮殿内には、400人収容のオペラ劇場や、人形劇を演じるマリオネット劇場までありました。
ここが、ハイドンの活躍の場となったのです。
出来たばかりの宮殿と、オペラ劇場をレポートした、当時の新聞報道を引用します。
侯爵は常に出席しておられ、午後6時が通常の時刻である。どれほど目と耳を楽しませるかは、口では言いがたい。まず第一に音楽である。オーケストラ全体が完全に一体化して鳴り響く。まず心を感動させるような優しさ。次に心を貫くような激しい力。なぜなら侯爵の楽長をつとめるハイドン氏が指揮を取っているからだ。
ニコラウス侯は、自らバリトンという、チェロに似た楽器を演奏したので、ハイドンは侯のためにバリトンの曲を約200曲も作りました。
ふたりは完全な信頼関係で結ばれていました。
ハイドンの述懐です。
侯爵はいつも私の作品に満足されていた。私は常に認められて励まされたばかりか、オーケストラ指揮者として実験をやり、何が効果を生み何が弱めるかを観察し、改善や改変、追加や省略を行い、自分の望むだけ勇敢になることができた。私は外部世界から隔離され、私を混乱させたり苦しめる者はなく、いやおうなしに独創的であろうと努めることになった。
ハイドンの音楽は、この30年間に、大胆なトライアルとPDCAサイクルをじっくり回すことを許された環境の賜物だったといえます。
今こんな待遇を得ている芸術家がどれだけいるでしょうか。
疾風怒濤の時代
そんな、ハイドンのエステルハージ時代、18世紀後半のヨーロッパ文化界は、文学を中心に〝疾風怒濤運動〟と言われています。
ドイツ語ではStrum & Drang (シュトゥルム・ウント・ドランク)です。
これは、『若きウェルテルの悩み』などを書いたゲーテや、『群盗』などの多くの戯曲を世に送ったシラーが担い手となった運動で、理性を説いた啓蒙思想や、理想の均整を追い求めた古典主義に抗い、感情や心の内面を隠すことなく表に出した〝本音〟の文学を目指していました。
ベートーヴェンの第九の歌詞もシラーの詩です。
19世紀のロマン主義を先取りした動き、といわれています。
音楽には直接の関係はないものの、そういった〝時代的雰囲気〟の影響を受けたようで、この時期のハイドンのシンフォニーにも、激しさや感情的な表現がみられるため、〝ハイドンの疾風怒濤時代〟とされています。
ハイドンの若気の至り、ともいえるかもしれませんが、魅力的な曲が多くあります。
今回はその中から、私の気に入っている1曲の短調作品をご紹介します。
Haydn : Symphony in E minor, Hob.Ⅰ: 44 “Trauer”
演奏:トレヴァー・ピノック指揮イングリッシュ・コンサート
Trevor Pinnock & The English Concert
第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
ホ短調という、ロマンティックな調性を使い、劇的な音楽になっています。暗い短調の曲は当時はあまり好まれず、モーツァルトも短調のシンフォニーは41曲中2曲だけで、ハイドンも104曲中11曲ですが、そのうち6曲がこの時期に集中しているのです。
第2楽章 メヌエット(アレグレット)
ふつうはメヌエットは第3楽章ですが、第2楽章に持ってきたのも実験でしょう。踊りの音楽の性格はない、悲劇的な要素を強調した、クールな楽章です。
ハイドンはこのシンフォニーの出来栄えに満足しており、後年まで愛し、自分の葬儀でこの第3楽章を演奏してほしい、と語っていました。しかし、悲しい音楽ではなく、この楽章だけ長調であり、落ち着いた抒情的な調べです。
実際のハイドンの葬儀で演奏されたのは、モーツァルトのレクイエム(鎮魂曲)だったのですが、ベルリンで開かれたハイドン追悼祭では、遺言通りこの曲が演奏されました。それで、この曲は〝悲しみ〟と呼ばれるようになったようです。
第4楽章 フィナーレ(プレスト)
まさに〝疾風怒濤〟というにふさわしい、激しく情熱的な楽章です。突然の長調への転調にもしびれますが、C.P.E.バッハのように唐突に感じさせない洗練された処理が、一流を感じさせます。何度聴いても飽きない、素晴らしい楽章です。ぜひ、お楽しみください。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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