
作曲する若きハイドン
宮廷楽長のお仕事
ハイドンは、エステルハージ侯爵家の宮廷楽団副楽長に就任した翌年、1762年に代替わりした新しい君主、エステルハージ・ニコラウス・ヨーゼフ侯爵(1714-1790)の元で、本格的な活動を仕切り直して始めました。
ハイドンの仕事は大きく分けて3つです。
1つめは、指揮者として楽団の演奏をリードすること。
2つめは、楽団で演奏する音楽を作曲すること。
3つめは、管理職として、楽団員の人事労務、楽譜や楽器などの備品を管理すること。
現代の音楽家はもちろんのこと、当時でもここまでの仕事と責任を任されている人はいませんでした。
今、私たちがハイドンの仕事の恩恵にあずかっているのは、2つめの作曲の成果ですが、彼の業務の中では三分の一に過ぎなかったわけです。
演奏中のハイドンは恍惚として忘我の状態にあり、その顔は微笑に輝き、きわめて表情豊かだったということです。*1
ハイドンが自ら語った、自作演奏の心得
演奏に関しては、楽団員に対するハイドンの要求は厳格でした。
彼の演奏に対する具体的な指示内容がうかがえるものとして、有名な『アプラウスス書簡』という貴重な史料が残っています。
これは、1768年に書かれたハイドンの手紙で、ニーダーエスタライヒにある僧院のために書かれたカンタータ『アプラウスス』の演奏に、自分が立ち会うことができないため、楽譜につけて送った注意書きです。
楽譜だけでは、実際の演奏が自分の意図した表現になるのか心配だったようで、事細かに〝マニュアル〟で指示しているのです。
ハイドン自身の指揮ぶりが分かるものですから、作品を演奏する上では欠かせない資料なのです。
カンタータなので、歌や歌詞の扱いに関する記述も多いのですが、長いので、器楽に関する部分だけ抜粋します。
テンポはTPOに合わせて
私はこの『アプラウスス』に出席することができませんので、その演奏について、2、3の説明を加えることが必要だと気づきました。
まず、アリアとレシタティブ全部について、テンポを厳格に守っていただきたい。歌詞全体が「称賛」を表すものですから、私なら、とくに最初のリトルネロと、1、2のレシタティブでは、アレグロをふつうより速めに演奏いたします。もっとも、2つのバス・アリアはその限りではありません。
現代の古楽器の演奏は、セカセカしていてテンポが速すぎる、という方がいますが、にぎにぎしい場面での音楽は、同じアレグロでも速めが正解、ということです。
しかし、全ての曲を速くすればよいというものでもなく、じっくり聴かせる曲では、むやみに速くするとおかしいことになる、というわけです。
速度指定には丁寧に対応すべし
第4に、フォルテとピアノの記号は、曲全体を通じて正確に記入されていますから、そのとおりに守っていただかねばなりません。ピアノとピアニッシモ、フォルテとフォルテッシモ、クレッシェンドとフォルツアンドなどとのあいだには、非常に大きな違いがあるのですから。総譜の中のフォルテやピアノがパート譜に記入されていない場合には、写譜家が、演奏の用意をするときに、これを修正しなければならない、ということにもご留意願います。
ハイドンが非常に細かいニュアンスにこだわっていたことが分かります。
現代の演奏ではもちろん、速度記号など、楽譜に書いてある作曲家の指示に厳格に従うのは当たり前ですが(グレン・グールドのようにあえて従わない人もいますが)、当時はそれほど尊重されていなかったようです。
特にコピーの無い時代、スコアを写譜家が大急ぎでパート譜に書き写す際、速度記号が見落とされたり省略されてしまったりする場合があったようなので、そのようなことのないように、とチェックを要求しています。
タイは音楽の中で最も美しい
第5に、私はいろいろな演奏会で、ある種のヴァイオリニストたちが、いわゆるタイ(これは、音楽の中で最も美しいものなのですが)をすっかり損なってしまうのに悩
まされました。彼らは、本来、前の音符につながなければならないはずのタイの音符から弓を離して、跳ねるようにして弾くのです。そこで私は、第一ヴァイオリンの奏者たちに、次のような箇所《実際には譜例あり》は、それぞれ最初の音符は一つのボーイングで弾かなければならないのに、まるでタイがないかのような、不愉快なやり方で演奏することが馬鹿げているということを指摘したいと思います。
タイによって伸ばされた音に、ハイドンはこの上ない美しさを感じ、そこに特別な〝思い〟を込めて作曲していた、ということが分かります。
ヴァイオリニストたちがある程度自己流で弾くのが容認されていた時代に、このこだわりは厳格なものでした。
目立たない内声こそ命
第6に、曲全体を通じて、ヴィオラのパートには二人の奏者を使ってください。内声は、ときとして上声以上に聴こえなければならない場合があり、また、私の作品では、いずれもヴィオラがバスに重なる場合がめったにないことをお気づきになりましょう。
これも示唆に富んだ記述です。
目立たない内声こそ、ハーモニーに深みと味わいを与えるものであり、低音とは違う特別な役割を持たせているのです。
モーツァルトもこの意味でヴィオラを愛していました。
リハーサルは入念に
第9に、私は、作品全体を、少なくとも3、4回練習するように望みます。
ぶっつけ本番での初見演奏も珍しくない時代でしたが、ハイドンが要求する、高度で難易度の高い音楽は、もちろん十分な練習しないと、名手揃いの当時としても、うまく鳴らなかったでしょう。
バスの取り扱い
第10に、ソプラノのアリアのなかで、ファゴットは、やむを得ない場合には省くことができます。しかし、少なくともバスがオブリガートを奏するあいだは、置いておきたいと思います。私は、コントラバス6、チェロ3の編成よりも、3種の低音楽器の編成、チェロ、ファゴット、コントラバスの編成のほうを好みます。いくつかのパッセージは、そうしたほうがうまくゆくのです。
内声重視のハイドンでしたが、低音については、低弦を強化するよりは、各1つでもファゴットを加えて、音色を豊かにする方が好みのようです。
シンフォニー『朝』『昼』『晩』のように、コントラバスに特別な旋律を奏でさせる、というのはハイドンの必殺技のようです。
聴衆にウケるか心配ですが…
最後に、私は、すべての人々、とくに音楽家諸氏に、彼ら自身と同時に私の名声のためにも、できるかぎり勤勉であるように求めます。私がこの紳士方の趣味を推し量りえなかったとしても、そのために私が責めを負うことにはなりません。私は、人も場所も知らないのですから。彼らの姿が私に見えないということは、実際、私の仕事をたいそうむずかしいものにしました。その他のことについては、私は、この『アプラウスス』が、詩人、尊敬すべき音楽家、聴衆各位など、私が深い尊敬の念を抱いているすべての人々に喜ばれることを望みます。
あなたの最も忠実なしもべ
エステルハージ家の至高なる君主の楽長 ジュゼッペ・ハイドン
音楽の演奏については、全身全霊を尽くすことを求めています。
一方、注文されたこの音楽が、実際どんな場所で、どんな聴衆を相手にしているのかが、分からないまま作曲した不安も訴えています。
確かに、聴衆が娯楽的な音楽を求めているのか、精神的に深い芸術作品を求めているのか、など、ニーズがよく分からないままに曲を提供しましたが、受けなかったらどうしよう、それは私のせいじゃないよ…と予防線を張っているのです。
自分の内面にあるものを吐露する近代芸術とは違い、聴衆のレベルやニーズ、演奏者のスキルや得意技を念頭に作曲するのは当時の常識でしたから、ハイドンの不安はもっともです。
その不安を少しでも払拭するために、この書簡は書かれたというわけです。
このように、ハイドンがエステルハージ家宮廷に提供した音楽は、当時のヨーロッパ一といっても過言ではないハイレベルなものでした。
新君主もハイドンに大いに満足したのです。

エステルハージ侯爵宮殿のハイドンザール(アイゼンシュタット)
最後の親孝行
1763年、ハイドンの父親、車大工のマティアスがアイゼンシュタットの宮殿に息子を訪ねてきました。
侯爵家の立派な制服に身を固めた息子に会い、侯爵から直々に、ハイドンの才能に対する賞賛の言葉をかけられた父親は、どんなにかうれしかったことでしょう。
寒空のウィーンを、住むあてもなく放浪していた息子をどれだけ心配していたことか…。
しかし、残念なことに、ハイドンはこれが最後の親孝行となってしまいました。
帰宅して仕事に戻った父は、ほどなくして、仕事場に立てかけていた材木が倒れてきて、その下敷きになり、肋骨が何本も折れて、亡くなってしまったのです。
もっと長生きして、ハイドンの名声がヨーロッパ全土に広がるのを見てもらいたかったものです。
1766年、名誉楽長だったヴェルナーが死去し、順当にハイドンが楽長に昇進しました。
実質的はすでに楽長でしたが、ついに名実が伴ったわけです。
ハイドンは、主君が新たに建造した〝ハンガリーのヴェルサイユ宮殿〟エステルハーザを舞台に、さらに飛躍していきます。
それでは、エステルハージ家で作曲されたハイドンのシンフォニーを聴いていきましょう。
今回は第46番 ロ長調です。
Joseph Haydn:Symphony no.46 in B major, Hob.I:46
演奏:ジョヴァンニ・アントニーニ指揮 ジャルディーノ・アルモニコ
自筆譜が残っており、1772年に第45番『告別』、第47番『パリンドローム』と同時期に作曲されたことが分かっているシンフォニーです。特に、嬰ヘ短調という特殊な調で書かれた『告別』とはセットであったようです。ロ長調も、シャープが5つもつきますから、当時のシンフォニーではありえない、異様な調性です。ハイドンがこの時期に、このような冒険的ともいうべき実験を行った理由は判明していません。しかし、侯爵も新しい試みを支持していたのも間違いありません。
『告別』は、侯爵の新宮殿への長期滞在により、単身赴任が長引いた楽団員たちの帰りたい思いを伝えるため、寂しさが醸し出せる嬰ヘ短調を使ったと言われています。
侯爵には表向き、いろんな調での作曲を試しているのです、ということで、セットのこの曲も、普段使わない調をあえて使ったのかもしれません。
冒頭のリズムは第44番『悲しみ』と同じです。非常に複雑な構造をもった第1主題は強弱を鮮やかに対比させながら疾走していきます。一転、にわかに空がかき曇り、一陣の嵐のような第2主題がロ短調で激しく荒れ狂います。その後の展開も緊張感が緩むことはありません。全体的にはロココ的な優美さも感じますが、これが華やかな宮殿で演奏されたことを想像すると、いかに斬新なものであったかを実感します。
弱音器をつけた第一ヴァイオリンがシチリアーノのリズムを情感豊かに歌います。しかし、次第に暗いロ短調に転じると、絶望をはらんだ悲しみもあふれ出ます。ヴァイオリンと低弦との掛け合いが、哀愁をさらに漂わせます。
第3楽章 メヌエット:アレグレット
優美なメヌエットですが、このシンフォニーでは大きな意味を持つ楽章です。なんと、フィナーレの第4楽章でも再登場するのです。メヌエットの2回目の繰り返しでは、変奏が加えられ、管楽器も外されてピアノで演奏されます。単なる舞曲から脱していくハイドンの進歩的な工夫です。トリオは暗いロ短調で、ピアノから、へんなところでフォルテになったり、不安なハーモニーや調性もあいまいに揺らいだりと、何とも不思議な雰囲気を醸し出しています。
第4楽章 フィナーレ:プレスト・エ・スケルツァンドーリステッソ・テンポ・ディ・メヌエット ー テンポ・プリモ
この驚くべき楽章は、ヴァイオリンだけの小さな音で始まります。その刻みに乗って、音楽は走り出しますが、突如として立ち止まることがしばしばあります。何ともいえない、間の悪いような静寂の休止が、しばしばこの楽章では訪れるのです。楽団員たち自身が、あれ?といってキョロキョロさせるような立ち往生です。非常に短い展開部のあと、終わるかと思いきや、なんと、第3楽章のメヌエットが演奏されるのです。まったく意味が分かりません。メヌエットの途中で、再び展開部の最後に戻り、これで終わるかと思いきや、ヴァイオリンがまだ何かつぶやき、ホルンがそれをつないで、終わり…と思いきや、またフィナーレの展開部が始まります。そうかと思うとまたメヌエット。もう何がなんだか、今自分がどこにいるのか、分かりません。再びヴァイオリンのつぶやきとホルン、そしてようやく、フェイドアウトチックに曲は閉じます。
この楽章はもはや、ユーモアとかユニークとかの域は超えていて、クレイジーと言ってもよいでしょう。これを君主の前で演奏するなんて、おふざけの度も過ぎていますし、もはや反抗?謀反?とまで疑われます。
何でこのような曲を書いたのか、謎ですが、侯爵の長滞在にやんわり抗議するために書いた『告別』とセットの曲ですから、メヌエットの回帰にも、帰りたい、という意味が込められているのかもしれません。
確かに、そう思って聴くと、フィナーレの中で二度戻ってくるメヌエットには、ノスタルジックな懐かしさを感じます。何ヵ月もの単身出張の間、家に残してきた妻子と過ごした時間が、心の中にありありとよみがえってくる…。楽員の、そんな思いを君主に伝えるために書いた、もうひとつの〝告別シンフォニー〟なのかもしれません。
第45番『告別』は以前こちらに書きました。
www.classic-suganne.com
動画は、ジョヴァンニ・アントニーニ指揮 イル・ジャルディーノ・アルモニコの演奏です。第4楽章での団員同士の目配せが面白いです。(このサイトでは再生できませんので、YouTubeでご覧ください。)
www.youtube.com
今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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